「あの女と、働いたで」
具体的な名前を言われなくても、誰のことなのかすぐにわかった。どこか、釈然としない気持ちになる。女本人に対してと言うよりも、それに付随するものの存在が、じわじわと頭の隅で残り続けていた。
「そうなん」
「意外と、ちょろそうな女やった。あれなら、上手く道具として利用してもええかもな」
「味噌汁、出したか?」
「ああ、すぐ渡すわ」
ジョージは会計をしに来た客に向かう。お釣りを渡しながら、さりげなく時間を確認した。上がりまでもう少しだ。
室谷の方はこの牛丼屋のバイトが終わっても、まだ別の夜勤があるようだ。薬に使いすぎやろ、と心の中でごちる。工事現場の方と交互にシフトを入れているというのに、彼の貯金が潤っているという話は聞いたことがない。彼女である中山にもいくらか借金している始末だ。
何事も、ほどほどが重要だと理解していた。あくまで麻薬は嗜む程度に。溺れてしまったら、意味がない。
と言いつつ、ジョージはややそわそわしている自分を認識した。既に意識は帰った後のことに向けられている。朝寝坊したせいで、まともに世話ができなかったのだ。
麻薬ではなく、別の何かにすっかりはまり込んでいることを、彼はあまり自覚していなかった。自身のことは、割と都合よく考えている。
アパートへ向かう途中、電話がかかってきた。早足で進みながら、面倒そうに操作をする。
「なんや」
『あのな、明日空いてる?』
「無理。用事があるねん」
向こうの山田は、溜息をついたようだ。
『また行くの? 二か月連続やん。とち狂ってるんとちゃう? それじゃあ、いつプラネタリウム行けるん?』
「その次の週でええやろ」
『そこまで経ったら、タイミングかち合うかもしれん。デートの時までスーツ持ってきたくない』
「じゃあ、スミも来ればええ」
「いや。もう何回付き合わされたと思ってるねん。飽きたわ。ああいう場所の匂いかぐだけで嫌になる」
「知らんがな」
逆にジョージにとっては、星のどこがそんなにいいのかわからなかった。まだ一度も一緒に行ったことがないので、付き合ってもいいと考えてはいる。だが、その前に優先するべきことがあるのだ。
それから彼女の勤務先の愚痴を多少聞いてから、電話を切った。今回は長引かなくて良かったと思う。アパートに着く前に終わってくれた。
一階部分の一番手前にある扉の前で、鍵を出す。少し急いでいたために、取り落としてしまった。舌打ちを連発させながら拾い、開ける。
「ただいまあ。帰ってきたで」
返事はない。事実、ジョージ以外でこの部屋に住んでいる人間などいない。犬や猫が慌ただしく駆けてくるといったこともなく、彼は居間まで進んでいった。
まずはCDレコーダーを操作した。そしてお気に入りのクラシックをちょうどいい音量で流していく。
バッハ作曲、G線上のアリア。優雅なヴァイオリンの響きを楽しみながら、小型のジョウロに水を汲んでいく。
音楽が良いというのは、正直あまり信じてはいなかった。それで目に見える違いを感じたことがないからだ。だが、たとえ根拠がないとしても取れる手は全て試してみるのが、彼の流儀だった。
「~♪」
鼻歌でメロディーをなぞりながら、水をかけていく。
まずは、幹の部分が膨らんだ愛らしい観葉植物だ。ガジュマルという。幸福をもたらす精霊が宿っているとされているが、あながち迷信ではないと考えていた。その存在そのものが、多幸感をもたらしてくれているからだ。
次に、ソファーの横に置いてある鉢へ向かった。南国のような雰囲気の幹、そして上方向にしゃきんと伸びている細めの葉。ガジュマルよりもかなり大きい、ユッカ。別名、青年の樹。部屋の雰囲気を柔らかくしている一因となっている。
葉が中心の植物だけではない。横に長い棚の上には、色とりどりの花が並んでいる。サイネリアや、アザレアなど。水切れに弱い種類もあるので、今日のように一回でも忘れてしまった時は、バイト中でもはらはらしている。
クラシックが響く中、植物たちを眺めながら、ジョージは一本取る。ローリングペーパーとフィルター用の厚紙でまかれた大麻を吸い始めた。
「あー、ええわ…」
彼にとっては、至福の時だった。耳は高音質のクラシックを。そして植物達の香りを感じながら、ジョイントを吸う。これを維持するためなら、いくら金をかけても惜しいとは思わなかった。
似合わない趣味だとは、自分でもわかっている。最初はほんの気まぐれだった。大麻栽培のことについて調べていたら、他の植物との違いについて気になり始めた。そしてあれよと言う間に、ずぶずぶになっていったわけだ。
だが、今日はいつもよりも薬の効きも悪かった。原因はだいたいわかっている。
度し難い、と考えていた。植物は、植物であるべきなのだ。けっして生意気な瞳が二つ付いた上、生えた足で平然と動いていいものではない。どこか引っかかるような気分が続いていた。それも全て、あの星人のせいだった。
スマートフォンを起動し、明日の目的地を確認する。そうすると、鬱屈もすぐに晴れていった。
いつもと気分を変えるつもりでいた。少し遠出をする。大阪府内にはそれほど多くはないが、調べたら興味の引かれる園があった。なるべく早起きをして、開いたらすぐに入るつもりでいた。
翌日、その決断を後悔することになる。
「初めて来たわあ」
「いっぱいあるー」
「凄い。色々な種類があるのね」
ジョージの動きは素早かった。目の端に聞き憶えのある声と、見憶えのある姿を捉えた瞬間、トイレに逃げ込んでいた。個室に入った直後、どうしてこんなことをしなければならないのかという怒りがわいてきたが、堂々とシロナ達の前へ姿を晒す気にもならなかった。
最悪な日だと、舌打ちする。せっかく来たかった植物園にいるというのに、少しも安らげない。
大きく伸びている樹木を見ながら、どうしたものかと考え始めた。
そして、思い出したくもなかった勝気そうな瞳と視線が合う。
「…」
手すりに立っている対象を、ジョージは躊躇いなく払いのけようとする。だが、ロズレイドは容易く飛んでかわした。そして目の前を通り過ぎると、頭に重みがかかる。
飼い主の度量が伺えるな、と苛々しながら腕を振る。だが相手はジョージのつるつるした頭の上を移動し、巧妙に避けていた。今の彼は、スーツを身に着けていない。ロズレイドの動きにまるで対応することができていなかった。
「乗るなボケ!」
鳴き声を聞いた。どう考えても笑っている調子だ。さらにむきになって首を振るが、今度は肩の方に移ってきた。片手を叩き付けるも、結局自らの肩を痛めつけるだけに終わる。再び目の前の手すりに着地した彼女は、小さく舌を出す。ジョージは、ガンツの武器を携帯してこなかったことを酷く後悔していた。
「何してるの?」
大声は、当然聞こえていたらしい。横から、シロナが歩いてきていた。ジョージに目をやると、少し考えるような顔になる。
彼女によって再生された若い女とその子供らしき少年も、よくわかっていない様子で見てきていた。
テラスにあるカフェで、コーヒーを頼む。
「どうして、こんな所にいるの?」
シロナはちゃんと彼のことを憶えていたようだった。おそらく、ロズレイドのせいだろう。ボールから出ている所を誰かに見られれば騒ぎになりそうだが、彼女は器用に目口を隠して、植物に擬態していた。スリムな胴体や足は、シロナの手によって抱かれている。
ジョージは頭をかきながら背もたれに寄りかかった。
「女や。女と来る時のために、下見しとった」
「几帳面なのね」
「でも、デートの場所がここって。よっぽど植物好きな彼女なんやなあ」
杏という女が、呑気に言ってきた。
二人は信じているようだが、一匹疑ってきている存在がいる。ロズレイドはこっそりと鼻らしき部分を動かしていた。熱心にジョージへと向けられている。そして何かに気がついたかのように片目を開けると、小さな口から息を吐き出した。
シロナも、そんな様子に気がついたようだ。
「なに?」
ロズレイドがにやつきながら鳴こうとしたところで、ジョージは席を立った。自分が頼んだ分の料金を乱暴に置くと、出口へと歩き始める。
「もう行くの?」
「下見は終わった。次のゲームは、ちゃんとやれや」
もやもやとした何かが無視できないほど大きくなってきたので、限界を感じた。安らげるはずだった一日が最悪なものになってしまったことを悔やみながら、無視を続けようとする。
シロナに密着していたロズレイドの姿が、外に出ても瞼の裏に残っていた。
◆
呼吸が、乱れている。
「ふざけんなや…」
空気が重く沈んでいた。全員が絶望しているようだった。
「一時間半、経ったやろ! 時間や! おい、黒飴、転送しろ。早く」
室谷は片腕を根元ごともぎ取られていた。スーツのくぼみから、ゲル状の液体がこぼれている。彼の出血は酷く、限界が来るまでそう時間は残されていないと察せられた。腕だけではない。彼の耳も片足も食いちぎられていた。
手を、離す。覆っていた視界が元に戻ると、そこには惨状が広がっていた。
ちょうど、桑原が首を潰された所だった。上から降ってきた不可視の衝撃が、その肉を破壊するだけではなく、固い地面にも大きなへこみを作っていた。
「使われた! ちくしょう、人間でもないくせに…」
ジョージは川の方に飛ばされる。それを救いに行こうとしていたトゲキッスが、伸びてきた手によって捕まる。自分の口が、甲高い叫び声を上げるのがわかった。白い羽がもがれていくのを眺めることしかできない。
「姉さん、お願い」
シロナの肩を、杏が支えていた。血に濡れた頬に、雫が伝っている。
「百点のヤツは、うちらで止めるから。逃げて。帰らないといけないんやろ?」
だがその言葉は虚しかった。既にロズレイドもミカルゲもトリトドンもミロカロスも、向こうの方で動かなくなっていた。家族達が全て殺された上で、どう故郷に戻ればいいのだろうか。どうやって、生きていけばいいのだろうか。
化物が、近づいてくる。、室谷の首が飛ばされる。
シロナを突き飛ばそうとした杏の胸が、大きく裂かれた。
意識が、暗転する。精神もまた暗く沈みこんでいった。
シロナはいつもよりも遅い時間に起きてきた。顔を洗い、寝癖を直すと、居間で杏がぽかんと口を開けて座っていた。
「酷い顔や。なんか、うなされてたな。大丈夫?」
「ええ。平気」
本当はあまり平気ではなかった。最悪な夢を見たからだ。妙に現実味があって、起きた後も泥を呑み込んだかのような気持ち悪さが続いていた。
トゲキッスを出すと、その全身を強く抱きしめる。不思議そうに鳴いてきたが、シロナは構わずにその羽へと口づけした。相手がくすぐったそうにしても、まだ続けた。
「姉さん、本当に大丈夫?」
腰を下ろしてきた杏の体も、引き寄せる。最初彼女は戸惑っていたが、シロナの表情を見て力を抜いてくれた。
最近、ほとんど毎日夢を見ている。それも悪夢を。内容は、どれも死が充満する酷いものだった。恐れていたことばかりが起き続け、どうにもならなくなった状況。最初は不安から来るものだと思っていた。大体の夢は、本人の精神によって形作られるからだ。
一方で、不気味さを感じていた。実際、妄想に近いのは確かなのだろう。だが、おかしな点があった。転がっている死体には、ルカリオとカブリアスも含まれていた。本当にただの妄想である可能性もあるのだろう。それでも別の考えもぬぐえなかった。
食事もして、ようやく落ち着いた頃、杏が提案をしてきた。
「今日、仕事ないんや。お休みってこと。銀行行ってから翔と映画見るんやけど、姉さんもどう?」
「そうね…」
本当は夜からバイトがあったが、休むつもりだった。手持ちにはそれなりの余裕がある。外に出て、気分転換をする必要があると考えていた。
わざわざ少し遠くへ出向かなければならないと、杏は文句を言っていた。
税金というものの関係で、窓口に行く必要がある。だが、一番近い銀行はそれを閉めていた。シロナとしては移動距離が長いほど意識の切り替えに使えるので、さほど苦にはしていなかった。
杏も、始めて来る支店らしい。中に入った後少しきょろきょろしてから、窓口へと向かった。シロナも翔と手をつなぎながら、ついていく。
「すみません、相談したいんですけど」
「受付番号順にお呼びしますので、少々お待ちください」
七三分けにした細目の男が、丁寧に説明をしていた。普段は鋭そうな目つきも、上手く表情で和らげている。こうすると黒めの肌もまたマイルドな印象になっていた。
彼は、上手く感情を隠しているようだった。シロナの視線を受けても、役員としての態度を崩さないでいる。
「オカ?」
信じられなかった。受ける印象はかなり変わっている。だが肌の色と、目元の感じだけはごまかせなかった。シロナは何やら自分の口元が歪んでいくのを感じたが、直前で自制する。まだ受付を待っているお客もいたからだ。
相手は横のメモ帳を取って、ペンを動かし始める。
「え、何? 知り合いなん?」
「そっか。アンズはわからないわね。ほら、あれの。一緒のチームの男。ろくでなしよ」
「次の方、受付までお越しください」
曖昧な笑顔を崩していない岡は、素早くシロナに紙片を渡してきた。ちらちら振り返りながら開けると、時間と銀行前の駐車場が記されている。
理解をして、杏と共に席に座った。
「なんか、不思議や。あの中に真面目な人もいたんやな。あんなサラサラしてそうな髪で、星人と戦うんか?」
周りの人の目がある状況でも、吹き出してしまった。
時間は、かなり遅かった。杏達と映画を見た後、しばらくスーツの検証や同じくケースに入っていた武器のことをじっくりと調べていてもまだ、余裕があった。
夜の街を歩き、指定された駐車場に到着する。周りを見回していると、一台の車が光を点滅させた。
横に来ると、窓を開けてくる。
「座れ」
まだ岡は、仕事用のスーツを着ていた。髪型を少し崩している。どうやらかなりの量の整髪剤を使っていたようだ。その香りの残滓が、車内に漂っていた。
「何の用?」
「こっちの台詞や。どうやって、調べた? 脅してるつもりか?」
「偶然よ。私はアンズの付き添いで来てただけ。まさか、その確認だけでわざわざ呼び出したの?」
「ちゃうわ」
岡は灰皿に煙草を擦りつけた。あまり煙は好きではないので、やめてほしかった。だが、話を円滑に進めるために我慢をした。
窓の外に手をかけながら、顔も向けずに話を続ける。
「一応、言っておこうと思ってな。別に俺は悪くない。そうやろ?」
「貴方って本当に…」
「自分の命が大事なのは当たり前や。お前のペットを使えば、より安全性が増す」
「家族よ」
「でもな、その前に知っておくべきことがある。お前達の事情や」
「そう」
灰皿を片手でぞんざいにどけた。
「何なんや、お前。星人か? 星人を使う星人なんて、初めて見るわ」
「私は、人間よ。そしてあの子達はポケモン。人と、ずっと共存している存在」
「そんなの、今ままで見たことないわ」
「私も、こんな世界知らなかった。訳がわからないのは同じ。気が付いたら、あのガンツに転送させられていたの」
「つまり、こう言いたいわけか?」
岡は体を向けてくる。背もたれに手を預けて、鼻で笑った。
「お前達は、よくわからない別世界から来て、困っていると? 偶然話す言葉も一致していて、何とかなっているとでも?」
「じゃあ、ポケモン達の存在はどう説明するの? 私の狂った妄想という仮定では、処理できない事柄のはずよ」
「こっちとしては、ガンツと結びつけるしかないんや。直前のことは、憶えてないんか? あの部屋に転送される直前、どのように死んだのか」
「だから、私は死んでないの。その記憶もない」
相手の思考するような時間が過ぎていった。シロナはその間、ガラスの向こうで走っていく車達を観察していた。どちらの方が文明が発達しているのか、判断が付きづらい。それでもやはり、ポケモンの有無は大きな差を生んでいた。
「…それを、事実だと仮定して、進めていくとする」
再び、煙草に火をつけた。
「どっちにしろ、お前の持っている武器は強力や。独り占めするのはもったいない」
「家族だって、言ってるでしょ」
「お前、自分に資格があるとでも思ってるんか?」
岡は少しだけ笑みを強めた。
「未来が、ありありと見えるわ。お前はいつか、自分の家族を巻き込んで死ぬ。自分がトロいばっかりに、他の命も危険にさらす。宝の持ち腐れだと思わんか?」
「いいえ、そんなことにはならない」
「どこがや。今の自分を見てみい。一度殺し合いをした男と、性懲りもなく密室で二人になっている。自分の方は、何も準備せずに。また、俺が同じ行動をするとは思ってもいなかったんか?」
岡が横の鞄に手を入れていた。
シロナは動揺することもなく、彼の横顔を見つめる。
「本気?」
「あ?」
「本気で、私が何の備えもしてこなかったと思ってるの? それなら、貴方は複数の仮定もできない典型的な作業人ということになるわね」
こんこん、と窓ガラスが角でつつかれている。岡が顔を向けると、ガラスの向こうでトゲキッスが睨みつけてきていた。先ほどからずっと車の上に留まらせておいたのだが、岡は気づいていなかったらしい。
「スーツ、着てないんでしょ? 本当に、やるつもり?」
シロナのバックの口から、花がぬっと飛び出してくる。その先で、緑色の光球が形成されていった。エナジーボール。人間の体になど、当てたことはない。だがどういう結果になるのかは予想できていた。
シロナが上着をめくり、黒スーツの部分を示す。それを最後に確認した岡は、鞄を閉めた。両手を頭の後ろにやる。
「オフの日でこれはないな。冗談や。学べているようで、何より」
「貴方の計画なんて、成功しない」
「ほう」
「意味がわかった。ポケモン達に対する飴の意味が。私を殺した後、その再生をたてに従わせるつもりだったんでしょ?」
だが、既に彼らには言い含めていた。たとえどんなことがあっても、自分達を利用しようとしている者達の言うことは聞かないようにしろと。
岡の反応で、それが正解だったと確信できた。
「なんや、頭はまともに働くやんけ」
「いい? 私達は、協力しないといけないと思うの」
「お前が、俺に従うんだったらな」
「訊きたいことがある」
シロナがどう考えても怪しい呼び出しへと応じたのは、内にある不安をなくすためだった。夢の内容を反芻しながら、やや声を潜める。
「百点の星人って、そんなに強いの?」
その質問は、岡にとって予想外だったらしい。余裕のありそうだった表情が消えて、何かを探るようにシロナを見てきた。
「貴方は過去に二回、戦ったと言っていた。そんなに強大だったの?」
「そうやな。たくさん殺されたのは確かや。後に戦った奴の方が、強かったな。理不尽とも言えた」
「それくらいを想定したとして、」
シロナは目の力を強める。
「今の私達で、勝てる? ポケモン達の力も合わせれば、突破できるの?」
岡もまた、視線を鋭くしながら見てきていた。少し首を傾げて、もったいぶるように沈黙を作ってから、煙を彼女に向かって吐き出してきた。
彼女が咳き込むのを眺めながら、言う。
「余裕やろ。俺一人でも勝てたんやで。正直あれよりも、お前のペットを同時に全部相手する方がきついわ。まずお前を殺して動揺を誘わないと、まあ無理やろな」
「そう」
素っ気なく返事しつつ、わずかに乱れる鼓動を抑えていた。岡の言葉には、確信がこもっている気がする。少なくとも彼は、勝てるのだと信じている。それならあの夢は、本当に杞憂だということなのだろうか。
いくら考えても、今は答えが出てこなかった。
「どうせだから、たくさん質問するわ。貴方達の行動原理について、わからない所があるのだけど」
「学者みたいな言い方やな」
「そうだから。つまり、貴方達のほとんどは、一回はクリアしたのよね?」
「説明したやろ」
「なんで、一番を選ばなかったの?」
煙草の先端が、灰皿に擦りつけられた。
「解放ってことは、つまりガンツからのってことでしょう? 理解できない。どうしてわざわざ、こんなことを続けようとするの?」
「奴らのことを、真面目に考えようとしても意味はない。お前もわかってるやろ。楽しんでるんや。娯楽の一部として、遊び感覚で続けている。強い武器を手に入れて、さらに点を稼ぐ。それだけのこととしか思ってない」
「貴方は?」
シロナの質問の対象は、一人だけだった。室谷達のことなら、もう多少は分かっているからだ。彼らに意味を求めても仕方がない。だが、この男は違うと思っていた。少なくとも、ただのストレス解消や暇つぶしで、七回もクリアするほど続けているとは考えられない。
岡は、窓を閉めた。まだ煙草の先は少し燃えているが、もう吸う気はないようだ。
「昔から、投げ出すのが嫌いなんや」
目で、先を促す。
「お前だって、憶えはあるやろ。一度参加した催しの、エンディングを見てみたいと思うやろ? それと同じや。このゲームの最後を見届ける。それが俺の目的」
「どういう、こと?」
「俺もよくわかってない。一応、仮説はある。一つは、星人が全滅すること。敵がいなくなったら、終わりやろ」
「それって…」
「まあ、途方もないやろうな。俺達だけやない。関東の方も、他の国も、同じことが繰り返されとる。結構前から、ガンツのゲームは続いてきたはずや。今になっても終わってないということは、これからもまだまだ終わらない可能性がある。もう一つは、」
前のガラスから見える空を、指先で示してみせた。
「ラストミッションのクリア。カタストロフィとも、呼ばれとる。破滅や。その時が近づいているらしい」
シロナは少しの間話を整理してから、声を出した。
「そもそも、星人って何なの? 元々この世界にいたわけではないんでしょ?」
「名前をそのまま受け取るなら、他の星の奴らってことやな。宇宙の先にいる。わかるか?」
「ええ」
宇宙、銀河。その言葉には、あまりいい思い出がない。遠大な野望を語っていた男のことを考える。なぜか、背筋が寒くなった。
「貴方は、そういう理由でずっと戦いを続けているのね」
「そうや」
「でも、本当に?」
「あん?」
相手の顔を真っすぐ見る。
「本当にそれだけの理由で、続けているの?」
「疑っとるんか? 生憎、これ以上面白い話はないで。これだけや」
岡は感情を隠すのが上手かった。だが今の質問に対してだけは、やや目線が動いたようにも感じた。シロナは心に留めておく。この男の言葉は額面通りに受け取ってはいけない。
「そう。じゃあ、他の質問もするわ」
「おいおい。やけに時間かけるな。明日も仕事なんや。手短にな」
「さっき、他の所でも同じことが行われてるって、言ってたわよね。特に、カントーの方はどうだとか。あっちも、私達と同じような感じなの? クリアしてる人がたくさんいる?」
「いや、それがなあ…」
嘲りも混じった苦笑が、その口から漏れた。
「てんで駄目や。間接的な情報しか伝わってこんが、特に東京チームはぼろぼろらしい」
トウキョウ。日本の首都。この国の中心都市。イメージとしては、最も猛者が集まる場所だと言えた。だが、岡によると違うそうだ。
「数回連続の全滅になったそうや。二回生き残る奴もいないらしい。毎回事情のわからない奴だけが集められるから、生存率もお察しやな」
「そんなに…」
「ちょっと前なら、粒がいたらしいんやがな。そいつも死んだ。星人の強さが増すと運も絡んでくる。そこばかりは、どうしようもない」
「なるほどね。わかったわ。次ので最後」
「やっとか」
シロナは真面目な表情で続けた。
「もじゃもじゃとサラサラ、どっちが本当の貴方?」
「知らん。さっさと帰れ」
完全に、楽になったとは言えなかった。
だが、覚悟を決めるしかない。
本能的に、わかった。首筋が粟立つような感覚。ちょうど、何度目からスマホ確認をしていたところだ。充電は可能だと証明されたので、取りあえず周辺を回って、電波がつながらないか試していた。それに疲れて、杏のアパートの前に戻った時だ。
ちょうど、杏も出てきていた。彼女はシロナを見つけると、路地裏まで連れて行く。
「ほんとに? もうすぐなん?」
「多分。それ、ちゃんと着れた?」
おそらく、最低条件だった。スーツを身に着けていること。そうしなければ、生き残ることは難しい。
彼女は腰から胸のあたりを片手でなぞった。
「これ、ちょっとはずいなあ」
「でも、私達の生命線だから」
「姉さん、思ってた通り凄いなあ。やっぱりガイジンさんって、大きくなるものなん?」
「さあ…」
いつもより、杏は饒舌だった。声の調子も高い。彼女の肩をゆっくり撫でてやると、その場にしゃがみ込んだ。
「大丈夫。私とポケモン達がいる。今度は、簡単よ。でも一応、この武器は握ってて」
「緊張する…」
「頑張りましょう」
思った通り、足の先から転送が始まる。シロナは強く杏とボール達に触れていた。目の前が移り変わっていっても、力を抜かなかった。
どうやら、彼女達は最後の方だったらしい。
既に他の者達は全員、部屋に揃っていた。あらゆる性質の視線が向けられても、今度ははっきり堂々としていられた。
「二万でどうや」
「また、不能にさせられたいの?」
胸のラインを遠慮なく見てくる桑原をあしらって、球体の前に立った。
音楽が鳴る。
どうやら、既存のメンバーだけで始まるらしい。シロナが初めて参加した回以前は、いつも新しく人が追加されていたという。だが、今回は違っていた。
シロナは、まだスマホをしまえていないことに気がついた。戦いになれば、負担がかかる。この部屋に置いていけばいいかと、隅の方を見た。最後の駄目もとで、スマホのスイッチを入れる。ほとんど期待はしていなかった。
息が、止まった。
今までずっと表示されていた圏外が消え、電波が一本だけ立っている。他のどこで試しても成功していなかったのだ。だから、この事実には大きな衝撃を受けた。
しかし、直後のことだった。
シロナは大事なはずのスマホを取り落としそうになる。ついに連絡がつながりそうだという事実以上の強烈な何かが、黒い球体に表示されていた。
画像。
星人とされている画像を、認識する。
文字と音声が、その名を示していく。
『でぃあるが・ぱるきあ』
結局、どれだけ備えても。覚悟を決めても。
どうしようもない事態はやってくるのだと、痺れる頭で理解した。