試製・転生請負トラッカー日月抄~撥ね殺すのがお仕事DEATH~【一般版】   作:珍歩意地郎_四五四五

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第14話:痛恨の失策(1)

 ホテルを出ると、オレは繁華街の雑踏を見わたした。

 

 なにか不思議な感覚だった。

 

 通り過ぎる着飾った女。

 流行りのカッコをした若いカップル。

 余所行きの服を着て買い物中とみえる家族連れ。

 これ見よがしな爆音をたててはしってゆくフェラーリ。

 店のバーゲンセールの表示や、ショーウィンドウの華やかさ。

 街路樹の新緑や風の匂い。まるで磨かれたような高層建築の群れ。

 

 路を行く光景が。

 人が、静物が。そして何もかもが。

 みんな不思議なほど新鮮に見えるのだ。

 

 苛立たしくネクタイを解くと、オレは持ってきた書類カバンに叩き込んだ。

 Yシャツの首もとを思いきりくつろげ、風が胸に入るままにする。

 

 曇りがちだった空に切れ目が入り、ときおり青空が覗くようになった。

 西の方も晴れてきて、夕方の光が斜めにオレを射るように。

 

 一直線な長い階段があった。

 

 オレはステップをふみつつ、クルクルと舞いながら降りてゆく。

 ぐうぜん居合わせた下校途中の小学生たちも、オレのまねをしてキャッキャ騒ぎながら。

 縦笛をブッさしたランドセルを揺らしつつ。ときおりキックなどをまぜて。

 

 足の向くまま気の向くまま。

 都会を歩きまわり、跳ねまわって。

 さいごに夕日が見える公園で腕組みをしつつ、

 

 ――よぅし……オレの人生、まだまだこれからだ!

 

 などと、恥ずかしくもリキんでみたり。

 バカだねオレもと思うが、なにか高揚感に包まれてどうしようもない。

 

 さて。さて。こうなると?

 

 持ち前の意地きたない根性から、(これは……祝杯をあげなくては)という気持ちになる。

 なにしろこれからの給料は、全部自分で使えるんだ。

 緊縮財政の停止!それと同時に異次元緩和だ!

 

 オレは携帯から事業所に、

 

 ・今日は直帰すること。

 ・明日は有給を使うこと。

 

 などを庶務の女の子に告げる。

 するとこの子は、どこか心配そうな声で、

 

「いいんですか?マイケルさん」

「なにがよ?」

「さっき所長が探してましたけど。名札、ひっくり返すの忘れたでしょ?」

 

 しまった!と背中から冷や汗。

 

 昼に“あの女”の弁護士から連絡が来てからというもの、大急ぎの連続だったので、在社/退社の札を赤くするコトなど、すっかり忘れていた。

 

「……ワリぃ、こっそり変えといて?」

「え~?どうしよッかなァ~」

 

 通話の向こうの声は一転、いたずらっぽそうな口調にかわり、

 

「アタシこのごろ金欠なんですよねぇ……」

 

 ――またかよ!

 

 どうしてこう、金に余裕が出てきた瞬間、出費事項が頻発するんだ!

 とっさにオレは“女子脳”を類推しながら、

 

「……こんど、その、龍田野の「クリームあんみつ」オゴってやるから」

「そんな安いのじゃイヤよ」

「……ンじゃ、ナニがいいのさ」

「マイケルさんと**ホテルのスィートでゴム無し」

 

 庶務嬢は通話口の声をひそめ、シレッと言い放った。

 

「は!?」

 

 フフっ……と耳をくすぐる秘めた笑い声。

 しかも、そのホテルは偶然にもあの弁護士と会見に使ったホテルだ。

 あんなプライベート・エリアのあるホテルのスィート。一泊いくらするんだろうか。

 

「アノ、ヨク聞コエナカッタンデスケド……」

「マイケルさん、ここの大体のハネ殺し屋と違ってイケメンだし。リサちゃん、チョッピリ本気の恋がしたいナー……って」

 

 こいつ!

 青臭いガキが、大人をいいようにあしらいやがって!

 

 だがそのとき。

 

 またあの「お守り」の印象がチラッと浮かんだのは、どういう寸法か。

 もしかしたらあの神社さまが“追加のお布施”を所望してらっしゃるのかもしれない。

 

 ――いくらぐらい出せばいいんだろう……まーた財政出動案件の発生だよ。いやまて?ってか、コレもヒョッとして、あのお社のお計らい?だとしたら恐ろしいほどのご利益だぞオィ……。

 

 こっちの沈黙を拒否と受け取ってくれたのか、彼女はまたサバサバした口調にもどり、

 

「――ウソよ、バカね。とりあえず松川亭で営ってる鰻のコースでガマンするわ」

 

 また高価い店を。

 緩和政策のしょっぱなから、大規模な“復活折衝”を通されたような。

 

「オーケェ、連れてってやる」

 

 相手に手玉に取られた腹立たしさに、

 

「いい子にしてれば“ホテルのスィート”とやらも考えといてやるぞ?その代わり明日の朝会の様子を報告してくれ」

 

 嬉しい!わかった!!と相手は声を生き生きとさせ、通話は切れる。

 

 ――やれやれ……。

 

 やっちまったかな?まぁどうでもイイや。

 ぐったりとしたオレは、携帯を電源オフにするとポケットに戻した。

 あのベリショな庶務の娘、何歳だっけか。

 たしか高卒で入ってきたので、いまハタチそこそこと聞いたが。

 

 "レディース"上がりとも。

 中央事業所のコネを使って就職とも。

 あるいはモデルをやっていたとも言われるが、正味のところは分からない。

 

 ただカワイイ感じの子であることは確かだな。うん。

 もっとも鷺の内医院の“美人姉妹”にはとうてい及ばないが、まぁそれは彼女たちと比べるだけ酷と言うものだろう。

 

 そしてカワイイ顔に似合わず、嫌いな人間には当たりがキツいんだ、コレが。

 

『どうだい、今夜オレとサ?しっぽりホテルでデートなんか』

『アンタの素チンじゃ濡れないし。チンポに真珠でも入れて来な』

 

 数日前。

 あの小娘が放った返しの一撃は、いまでも轢殺屋たちの間で語り草だ。 

 

 ふと。オレは鞄の中をさぐって例のお守りをとりだした。

 白地に金刺繍の入った、何の変哲もない品をマジマジと:見つめる。

 

 ――このお守り、強力すぎるんじゃ……?

 

          * * *  

 

 所長の“アシュラ”がオレを探していたという情報(ハナシ)は気になったが、いまは“あの女”に金を払わなくて良いという驚天動地などんでん返しの展開がオレの心を軽くしていた。

 そう!まるで異世界――とまではいかないが、並行世界にでもまぎれ込んだように。

 まぁ、考えてもみりゃ、人を轢いたり撥ねたりして異世界へブッ飛ばす業者が存在してるんだ。オレは知らないうちにもう並行世界に来ているのかもしれん。

 

 気づいたときには足どりもカルく、酒屋でシャンパンの銘柄を選んでいる。

 少なくとも、ヤツの事務所にオゴられそうになった“ドンペリ”は除外だ。

 KRUGは残念ながら中国人の団体が来て買い占められたとか。

 しかたなく“サロン”の大盤振る舞い。

 そして酒の肴も選ばなくては!

 

 ウナギの白焼き……季節限定物のチーズ……カニ缶の一番いいヤツ……。

 天然物のタイをサクで買い、小振りだが()()()の岩牡蠣も数個ゲットした。

 そのほか、普段なら絶対に手が出ないようなものを。

 

 ――そうだ……。

 

 ふと思いついて、おまけにシャンパン用のグラスまで新調して。

 結果、宅呑みなのに20万近くの出費となっちまう。

 

 デパートの銘が入った紙袋をいくつも下げてオレは自分の部屋まで帰ってきた。

 シャンパンの冷える間さっそく簡単な調理をば。

 

 ・パスティッチョを小皿に。

 ・カニとサワークリームのカナッペ。

 ・シュークリームのクリームチーズ版。

 ・自慢の柳刃包丁でタイのサクを“行儀”で切って。

 ・織部の皿に白焼きを載せ信州のワサビをすりおろし……。 

 

 (ころ)は佳し――と冷えたシャンパンを取り出し封を開けようとしたとき、そこで初めて今日の昼前に聞いた目標(ターゲット)の会話を思い出す。

 

≪今週、どっかでカネ持ってそうなリーマン()ッけンべ!≫

≪オレはリーマン殴り倒していくわ≫

 

 

 ガキにしては、不吉な会話。

 

 ヤツを尾行したほうが良くないか。

 何か行動を起こすのではないか?

 

 オレの中で、不意に騎士の感覚がよみがえってきた。

 王都民の財産と安寧を守る特殊騎士団・団長としての責務。

 

 だが、目の前に並べられた貧弱な手製料理と、何よりもシャンパンの魅力には勝てなかった。

 

 ――ま、初日から、そう(うま)くイクはずもないだろ……。

 

 だがそう思う(はし)から、オレの中の騎士団長は自分を責め立てる。

 

 ――怠惰!(たいだ)

 ――無能!(むのう)

 ――無責任!(むせきにん)

 ――不忠!(ふちゅう)

 ――任務放棄(にんむほうき)

 

 ――うるせェ、知ったこっちゃねぇや!

 

 オレはシャンパンのコルク栓を静かに開けた。

 そして買ってきたばかりのバカラに注ぐ……。

 

 隣のギシギシ・アンアンは聞こえてこない。

 

 聞こえるのは、グラスの中で泡がはぜる音だけ。

 さすがに隊長殿も、コレには黙ったらしい。

 

 静かにひとくち含んで、法悦の吐息をもらす。

 くわえて、忙しかった今日一日を振り返って。

 

 美味い……。

 

 なによりあのクソ弁護士が奢ろうとした品より上物というのが、アルコールに加勢して気分をゆるやかに高揚させる。

 ヤツは“こんにゃく”(100万円)の束を、全部ひろえただろうか。

 グラスを二杯、三杯と重ねるうちに、立場的に()()()の出たいまは慈悲の心も湧いてきて、ちょっと可愛そうなことをしたかな?と考えるようにすらなっている。

 

 おどろいたものだ。

 人間の心なんて、立場がチョロっと変わるだけでどうにでもなっ(ちま)う。

 

 パスティッチョをフォークで襲いつつ、口の中に広がる濃厚な旨味をシャンパンの清冽さで幾倍も膨らませながら、

 

 ――しかし……。

 

 あの弁護士から受けたオファーを思い起こすとき。

 今でもオレは、首もとに山刀が一閃したようなおののきを感じる。

 

 ――マジでヤバかった。アレは。

 

 今回の奇妙な顛末(てんまつ)

 おそらく詩愛や美香子の父親。鷺ノ内医師の差し金だろう。

 エスタブリッシュメントのコネを存分に使い、横車を通したにちがいない。

 さもなきゃ、こんなべら棒な、前代未聞のトンチンカンなハナシがあるわけなかった。

 

「まぁ――非道い話ですねぇ……お相手が悪い女すぎたのよ。ねぇ?あなた」

「うむ……まァそれはそうだが。しかしキミのほうもお人よしすぎるて」

「あなた!」

「おまえはダマってなさい!

    で、その寝取り相手の会社の名前と、

      ソイツが抱き込んだ弁護士の名は……分かるかね?」

 

 あの“いわくつき”な美人姉妹を送り届けたときに聞いた、初老夫婦にしては威圧感のあるブッソウな会話。

 

 わさびをエイ革のすりおろし板で円を描くようにこすり、出来た緑の香気をタイの刺身に付けほおばる。そしてグラスを一口。うん……味がチョッと淡白同士だな。悪くはないンだが、もう少し何か工夫が欲しい……。

 

 ――考えても見ろ。

 

 シャンパングラスの細いステムをつまむ指先に力を入れながらオレは弁護士との会見中におこなった思考実験を繰り返す。

 

 あの白髪の院長の差し金にそってコチラがうごき、一千万を受けとっちまったら。

 それこそ相手方にのっぴきならぬ“借り”を作ったことになる。

 さて、借りは返さなくてはならない。ではどう返すか。

 

 キズもの(と本人は言っていた)になり、婚約も破談となって()()()()()も拡がった傷心の『詩愛』を受け取ってくれと、ある日呼び出しがかかるだろう。そのときに鷺の内院長からウラのからくりを暴露され「キミのためにこれだけしたのだから」と詰め寄られれば、(イヤ)とはいえない。

 

 なによりあの老婦人の、

 

 「これはイイ人を見つけた!」

 

 ……と言わんばかりなキラキラした目つきが忘れられなかった。

 

 養育費の停止を勝ち取ってくれただけでも十分に恩義はあるのだが、あの一千万を受け取ったのと受け取らないのでは、天と地ほどの差があるだろう。とうぜん報告は鷺の内医師の耳にも入るだろうが、さて、あの表面は穏やかにしているが怖ッかなそうなオッサン。はたして次にどう出てくるか……。

 

 織部焼きのサンマ皿に映える温めた鰻の白焼きを箸で千切る。

 その先から、ほくっ、と美味そうな香りと連れあう白い湯気が。

 

「もう当分結婚はイイよ……」

 

 おもわず声が出た。

 なにか、ドッと疲れた。

 生活に。その他もろもろに――なにより人生に。

 

 目の前がゆるくまわる。

 バカな。まだ一本も空けてない。

 ウィスキー一本は余裕のキャパをもつオレの肝臓が、とうとう裏切り始めたのか。

 

 ま、どうでもいいか。

 飲めなくて死ぬより飲みすぎで死ぬほうがいい。

 

「苦労ばっかりだし。裏切られるし」

  

「――そうかぃ?」

 

「あぁ。そうさ、って……え?」

 

 ビクリとダイニング・チェァから跳ね上がったオレが声のほうを向けば、ソファーに一匹の黒猫が香箱を組んでこちらを見ていた。

 

 ゆるやかに振れる、その尻尾。

 なんと……二股に割れて。

 

「……出やがったな」

 

 酔っているせいか、この現出をオレはきわめて当然のように受け止めた。

 

「この得体の知れない黒ネコめ。今日は何のようだ?」

「まぁた、ごあいさつだネェ」

「しかし、ま、来るだろうと思っていたよ。その証拠に、オレはそんなに驚いてない」

 

 これは負け惜しみではなく本当のことだった。

 革のソファーの上で座り込む黒ネコにおれは少しも心乱されてはいなかった。

 まるでそこに居るのが当然のように。いや、来るのが遅かったなぐらいな感じで。

 

「そうかい?だとしたら光栄だネェ」

 

 黒猫は立ち上がるとペロペロと前脚をなめて顔を洗いつつ、

 

「もっともボクとキミとの間には、すでに相当の"縁"(えにし)が結ばれているんだけどね」

「そいつはどうも」

「ただ、それとは別にキミには相当に強力な"守護"がついているね。やりづらくて仕方ないよ」

「守護……?」

「あぁ、そうさ?ところで……」

 

 と、このしなやかな黒い影はテーブルの上を見やって、

 

「ずいぶんと美味しそうなものが並んでるねぇ……」

「食うか?あ!塩分の高いものはダメだぞ?」

「だいじょうぶだよ。そもそもボクはネコじゃない――失礼するよ」

 

 そういってヒラリ、テーブルの上に飛び乗って、チョイチョイとサロンのボトルに触れてこちらを見る。

 

「ホントに大丈夫なのかよ……」

 

 オレは醤油皿にサロンを少しばかり注ぎ、それと料理を少しずつ取り分けてやった。

 驚いたことにザリザリのピンクな舌でピチャピチャとシャンパンをなめて、

 

「ウン。辛口でなかなかイイね」

「――マジか……」

 

 一丁前に酒の講評をする猫なんて見たことがない。

 いや、そもそもネコは肝臓が小さいのでアルコールはヤバいんじゃなかったか。

 つぎにコイツは、つややかな胴体に虹色の光沢を奔らせ、取り分けてやった料理をカプカプと食べる。

 

「このタイの刺身、どこで買ったんだぃ?」

「え……デパートで」

「だと思った。やれやれ」

 

 こいつ!

 相当口もオゴってるとみた。

 

「そうさ?」

 

 黒ネコはペロリと口の周りをなめ、ふたまたのシッポを自慢気にユラリと、

 

「サラヴァンのところに居たこともあるんだ。日本人だと……迷陽先生のところにもね?」

 

 迷陽って……まさか靑木正兒か!?

 だとしたらコイツ相当な食通のネコだぞ!

 

「まぁソレほどでもないよ。ただキミの料理は、ちょっと"詰め"に欠けるネェ」

 

 惜しいところだよ、といかにも残念そうに言われては立つ瀬がない。

 

「ハ。鋭意努力イタシマス」

「それはそうと……」

 

 黒ネコはサロンのボトルをポン、ポンと叩いた。

 仕方なくオレは醤油皿にお代わりを垂らそうとする。

 だがなんとコイツは肉球のついた小さな前脚でそれを制し、

 

(うつわ)は料理の着物、って言葉を知ってるかい?」

「あぁもう!()()()()()()()!」

 

 オレはネコにも舐めやすい形をしたクリスタル・グラスの浅いボウルを取り出すと、その中にサロンを注ぎいれた。

 この黒ネコは小さな頭をその中に突っ込んでチャッ、チャッ、と満足げにシャンパンを舐めながら、なんと上目づかいでこちらを見て、

 

「キミはもうすぐ、自分の失敗を悟ることになるよ」

「――オレが?なんで」

 

 そういってから、所長の"アシュラ"が自分を探していたことに思い当たる。まさか。

 

「ちがうちがう、キミのところの所長が呼んだのは別件さ。そうじゃなく、キミが心を緩めたことによる反動かな。キミは、この責任を取らなくてはならない」

「なんだよ。コワいこというなぁ」

《b》「ま、これも来るべき結末への必然的な一歩だからね。あまり気にしなくていいよ?ただキミがもう少し気を張っていれば、救えた命だったけど……」

 

 ニヤリと黒ネコがわらう気配――金色の瞳を光らせて。

 

 その様を見たとき、覚えずオレは慄然(ゾッ)とする……。

 

 


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