試製・転生請負トラッカー日月抄~撥ね殺すのがお仕事DEATH~【一般版】   作:珍歩意地郎_四五四五

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 まったくこういうところはヤクザであっても頼もしい。

 

 危険をチャンと理解できているのか。『美月』はシーム付きのストッキングで包まれた美脚を形よく運び、用心のために付けられた兄ィのひとりと一緒に「バイバイ」と、扇情的に改変された顔を一度だけ振りむかせ、豊かな尻を振りつつ出て行った。

 大丈夫かね、アイツは。

 

「それと――」

 

 オレは小男を監視室のすみにひっぱり、

 

「……内通者(うらぎりもの)が居る。あのポニー・テールから目を離さないように。フロアレディを2、3人張り付けるといい。監視任務中、トイレなどで離席する時は――とくに」

 

 小男は凄みのある渋面をゆがめて頷かせた。

 

「携帯妨害用のユニットを、トイレにセットしましょ。あとは?」

「ま、せいぜいボッタクってやることサ」

 

 モニターのなかで、どんちゃん騒ぎを始めるブースを眺めつつ、

 

「取りっぱぐれのないように……」

 

 小男に呼ばれたのか、スーツ姿の女たちがやってきた。

 フロアレディとは程遠い、パンツ・スーツにローファー姿の、頬骨の張ったいかにも“踵落とし”が得意そうなガタイのいい姉御たちだった。

 さりげなくオペレーターたちの後ろに陣取って、彼女らを監視する風。

 そんな中、例のオペレーターがポニー・テールを揺らして振りむくと手を上げ、

 

「あのぅ……お手洗い……」

 

 言ってるそばから。

 

 ――やはりコイツか……。

 

 オレと小男は顔を見合わせる。

 モニター画像を飛ばしていた人物。

 小柄で、見た目きれいな()だった。

 とても裏切るようには見えないのだが。

 

李花(リーホワ)、付いてってやんな。廊下はブッソウだ」

「大丈夫です……ひとりで行けます」

「今は非常事態なんだ……付いてってもらえ」

 

 小男は、ヤンワリと。

 しかし、その裏では憤怒の炎がドス黒く燃えるのを、オレは確かに診た。

 シオシオとオペレーターが広間から消えると、モニターに変化があった。

 

店主(ヂェンチュ)――『美月』サン目標ニせきんスルよ」

 

 ウィスキーとアイス・ペールを乗せた『美月』。

 思わせぶりなモンロー・ウォークで件のテーブルを通り過ぎる。

 例の小僧は、とたんに立ち上がるとヨダレを流さんばかりにそのあとを目で追って。

 

「ヤツだ――間違いない」

「ほぅ……じゃァやはり」

 

 『美月』のヤツは、調子にのって一度、二度。

 さらに目標(ターゲット)の前をウロウロする。

 

「あのバカ、調子にノりすぎだっての」

「いや、佳いですな。フロアがパッと盛り上がっております」

 

 なるほど『美月』の登場に、フロアがどよめく気配。

 携帯のフラッシュがあちこちで光り、あわてたフロア係の黒服たちに止められる。

 

「これで奴らがいなけりゃ、私もピエロ役として乱入するんですがネェ」

 

 それからどれくらい経っただろうか。

 “表”のフロアは満席となり、宴はいまやたけなわという頃あい。

 

 小男の携帯が鳴った。

 なにごとかを交わしたあと、こちらを向き、

 

「3人組の携帯に、順番に着信があったそうです」

 

 放火を始めろという命令だろう。

 連絡がつかないので、順々に連絡を付けようとしたに違いない。

 

 ――じゃぁ、コチラもはじめるか。

 

「はぃ、それでは」

 

 俺は兄ィたちを眺めわたし、

 

「だれかあの小僧をいたぶりたい人」

 

 兄ィたちの中で、黒人とのハーフらしきガタイのいい一人が立ち上がる。

 筋肉隆々のマッチョ。シャツからのぞく胸毛がすごい。

 短髪に、口ひげ。紫のスーツなど着て。

 

 

「gff……」

「……よ、よぅし。じゃぁついて来てくれ」

 

 若干シリ穴の危険を感じながら、“表”の接客エリアへ。

 重い天鵞絨(ビロード)(とばり)からコッソリ中を伺えば、ちょうど『美月』が侵入者たちのテーブルで、目標(ターゲット)にカラまれているところだった。

 

 ――あのバカ。だから調子に乗るなと言ったのに……。

 

 ちょうど近くに、オレはいつぞやの黒服を見つけ、

 

「良いところにいた!」

「あ……お客様!?ようこそ」

「『美月』のところに行ってな?店の用事とか言って、こちらに連れてきてくれ。ここで重要なのはあの客も一緒に、だ。ただし『一緒に来たければ仕方ないので追いてきても構わない』というスタンスでな?」

「難しいですねェ」

「まぁソウ言うな」

 

 俺は常のごとく万札を一枚取り出して折ると、黒服がまとうベストの胸ポケットに。

 

「へへ、毎度」

「――こいつめ!」

 

 黒服は大卓にいくと、目標に腕を掴まれている『美月』のところへ行き、何事か話す風。

 やがて、薄笑いを浮かべる阿呆ガキと一緒にこちらにやってくる。

 

 ――ナ~イス。

 

「おぃ、兄サン準備いいか?」

 

 振り向いたオレはギョッとする。

 いつのまにか、先の一人に加え、ガタイの良い黒人たち3人がオレのバックを獲っていた。

 二階の連中を始末し終えた一派だろう。

 

「――gff。いつでもどうぞ」

「アノ兄サン、好キニシテ良イノ?」

「BOKUノCHINPOハ今カラMACHIキレナイ」

「ホルヨー!」

 

 ――まぁ、ナンだ。その……。

 

 おれは初めてターゲットがそのときチョッと可哀そうになった。

 あくまでチョッとだけね?

 

「でさぁ?イイじゃん、ヨォ。オレといいことしようぜェ!」

「あの……困ります!ワタシ、お仕事中ですし……ご主人様もいるので」

 

 なんと、勝手にこの男はベタベタと元・美香子のバニー姿な身体を触りまくっている。

 フロアの視界から外れて、完全にバックヤードに入ったとき、いきなりこのガキはワイン・レッドのエスコート・バニーに抱き着いた。

 

「へへぇ、ようやく捕まえた!」

 

 そんな!と『美月』はいきなりバニー・コートの胸とおまたに手を入れられ、切なげにもがく。

 

「麻呂のものに!――なれ!」

「嫌!ヘンなところに指を入れないで!!」

 

「一条三位!そこまでだ!」

 

 俺は颯爽と飛び出した。

 

「数々の非道!今こそ成敗してくれる!」

「黙りゃ!おぬしの手にかかる麻呂ではないわ!」

 

 

 その時だった!

 ぬぅばぁぁぁあ……っつっっ、と平野〇太の擬音を背負う勢いでKOKUJINたちが現れた!

 

 目標は、こんらんしている!

 

「な、なんだお前たちは!オレを一体どうするつもりだ!」

「お前は、こっちや!」

「な!?」

 

 強姦ガキは、いきなり後ろを捕られ、素早く手錠をハメられて。

 

「ゲラウェイ!」

 

 だが、目標の抵抗はそこまでだった。

 “裏”の女たちが咥えさせられていた赤いボール・ギャグが素早くこのガキの口に押し込まれる。

 

「!……!!――!――!」

「ホルヨー」

「ズブッ!」

 

 ……などと口々にそう言い交わしつつ、マッチョなKOKUJINたちは暴れる美少年をガラス檻のエリアがある方角に連れて行った……。

 

 ――ひとまずは、これでよし……か?

 

 『美月』がバニーの衣を直しつつ、しなだれかかってきた。

 

「……ご主人様ァ」

「うん、よしよし」

 

 『美月』が甘えて胸もとにはいってきた。

 一仕事終えて、ここで飲めないのが非常に残念だ。

 だが油断はするまい。これから一番大事な仕事が残っている。

 しかし、自分の中から緊張とともに何かが抜けていく感があるのは否めない。

 

 ズボンのチャックをしつこく狙う『美月』の華奢な手を遮りつつ、通りかかった黒服に『美月』をスタッフの控室に連れてゆくよう任せ、()()は監視室へと戻った。

 兄ィたちはすべて出払って、部屋にいるのはモニターをチェックするオペレーターとほお骨の出っ張った姉サンたち。

 トイレに行ったオペレーターと監視役の一人は戻ってこない。

 

「……済んだようですな」

 

 小男は、シャンパン三本分の緩さでオレに問いかける。

 

「お礼を、しなきゃイケません、ナァ……」

「まだ気を抜くのは早いです」

 

 監視モニターを見ると、例のテーブルにちょっとした異変が起こっていた。

 先っほどまであれほどオラついていた大卓が、なにやらソワソワと不安げに。

 残された5~6人ほどの来客たちが、しきりとどこかに携帯で連絡をとる光景。

 

「あとは、トイレにでも行くフリして、トンヅラですかねぇ」

「ウチはそんなにザルじゃないですよ」

 

 小男の顔が醜悪な笑みを浮かべる。

 

「キッチリとりたてます。なければ身体で払わせるだけです――おぃ」

 

 言われたオペレーターの一人がモニターの映像をチェンジ。

 

 小男が、満足げに、

 

「ソレだ。その801番を、メイン・モニターに」

 

 すると、いままで沈黙していた壁際の大型モニターが生き返り、あまり見たくもないものを映し出す。

 あのガラスの大箱の中に、拘束台に据え付けられた強姦ガキの姿。

 

「gff……」

「おらっ!――孕めっ!」

「女にしてやる!」

「アツ――――!!」

 

 毛むくじゃらな全裸の筋肉マッチョたちに、見た目だけは美少年な目標が、

 

 前から――後ろから――下から――上から。

 

 嬲られ、

   突かれ、

     しゃぶられ、

         舐められ、

            くじられ、

               抓られ、

                 そして――挿入(いれ)られて……。

 

        【以下自粛】

 

 小男は、蹂躙され涙を流しているモニター中の強姦ガキを、さもいい気味だと言わんばかりにアゴでしゃくり、

 

「いままで散々、女性たちを悲嘆の底におとして来たクズだ。これぐらいは妥当ですな?」

 

 オレは醜悪な画面から顔をそむけた。

 そして心ならずも未練がましく、テーブルの空きボトルを横目にして。

 

「もちろん。その点は完全に同意です――むしろ手ぬるいと言っていい」

 

 そうでしょう?と小男はまたうなずき、

 

「私はね?女たちを庇護しておるんですよ。大事に思っとる……相手がどう思おうとね?いわば遠くから見守る“一方的なフェミニスト”というワケですな」

 

 その言葉には、どこか自嘲的に響いた。

 

 だがしかし、と小男は次に口調を一転。部屋全体に伝わるような声で、

 

「高給も払い、勤務環境も整え、福利厚生もしっかりさせた。だがそれでも(なお)裏切るようなヤツは……」

 

 36番の映像を出せ、と冷たい口調で。 

 

 モニターの映像が変わる。

 別のガラスの檻。

 別の拘束台。

 

 そこには見慣れぬフロアレディーが、木馬の上で全裸姿で拘束された女に、激しくムチをふるっている。

 脇にたたずみ、冷たい薄笑いを浮かべるホオ骨の張ったスーツ姿の女で気がついた。

 

 拘束台で責めを受けているのは……さっきまで目の前にいたオペレーターだ……。

 ポニー・テールはほどかれ、むち打ちの跡を増やしてゆく背中側にたれている。

 

「どうやら“武蔵”側の男に取り込まれていたようでしてナ」

「やはり彼女が……」

「トイレで内通していたところを、取り押さえました」

 

 オペレーターたちはチラチラ、ソワソワと画面を見る。

 

「よくお分かりになりましたな」

「えぇ、モニターの画像をスキップする不自然な動きをしてましたので」

 

 実際のところ、【SAI】からの通報がなければ、事態は違ったことになっていただろう。

 まったく間一髪のところだった。

 

()()()()()()()()()()()()()()!」

 

 ダン!とシャンパンの空きボトルを、卓に叩きつけて。

 

「絶対に!」

 

 オペレーターたちの白ブラウスな背中が、ヒッ!と震えるのが分かった。

 

「わたしァねぇ?……こんなご面相でしょ?」

 

 小男が、自虐的な口ぶりを復活させて、

 

「昔ァしッから女性にゃ縁が無くてね。歯並びも矯正した、脂性も薬で変えて、ワキガも手術で治しましたよ――しかしチビな事と、この顔つきは、ドゥにもならなンだ。ただ、海外留学でケンブリッジに行ったときは……」

 

 と、ここで小男はぶ厚な唇にうっすらと純粋な微笑をうかべる。

 

 ――へぇぇ……意外。親は資産家だったのかね。

 

 オレは改めて小男の顔を見つめる。

 よくよく観察すれば、苦労を重ねたようなシワが目立つ。

 見てくれの割には、ずいぶんと若いようにも感じられる風貌だった。

 

「その短い留学ンときは、東洋のピエロとして、コレッジで人気を博しましてな?女の子のファンも大勢居たものですぞ?……あの頃ァ良かったナァ……わたしの人生で一番輝いていたトキでした」

「何をなさったんです?」

「え?」

「専攻は――何でした?」

 

 小男は、まるて険の取れたような柔和なまなざしで、

 

「文化人類学でしたよ、あなた。教授(センセイ)方からも覚えがめでたかったものです。あちこちの研究室から誘われたり。中央アジアの方に、フィールド・ワークにも行きましたっけ。草原。土壁の村。満天の星……」

 

 と、ここで相手は常の爛々たる目つきを取りもどし、

 

「だが!実家の没落から!留学(ソレ)も中途でやめざるを得なくなりましてな……帰ってきてからは苦労の連続でした。ハテは、こんな反社会的組織な箱モノの親分にオサまって。だがわたしは後悔しておりません!しておりませんぞォ?実家の零落は、とある方面からの横やりでした。政治屋!――役人!――それと結託したマスコミ!」

 

 全身から怒りを煮え立たせながら、この男は激しい口ぶりで、

 

「実家の仇を!わたしの青春の仇を取るまでは!わたしはドコまでもドコまでも、(キタナ)く、狡猾(ずる)く、はびこってやる所存(つもり)です!」

 

 ジャマをするものは許しません、と小男は、フロアの卓に残って青い顔を寄せ合い何事か相談する“ニセ経団連”の一行を、モニター越しに眺めながらこれ以上は無いという(つめ)たい笑みを浮かべる。

 早くも遠巻きに「ステゴロ上等」なそれ系の黒服たちが取り囲んでいた。

 

「フロント。例のテーブルの会計(チェック)は、いまどれくらいだ?――フン、分かった」

「相当、やらかしたようですな?」

 

 オレの問いかけに、小男は肩をすくめ

 

「なァに、三千万ちょっとです。どうせ燃やす店だとタカをくくってたんでしょ――ところで」

 

 相手はじっとオレを見つめた。

 

「このたびの御恩は……どうすれば報いることが出来るでしょうか……?」

「『美月』と、あのガキの身柄です。間違いなく“生きたまま”ね?」

「いやいや、それだけでは済みますまい」

「それだけで十分です」

「それではワタシの気持ちが!」

 

 小男は苛々と叫んだが、やがて自制を効かせたようだった。

 

「私の“男”が立ちませんよ……あなた」

 

 相手は持ち前の執念ぶかさを発揮し、こちらの方に身を乗り出す。

 

「そうだ!あのマゾ人形を、『マゾ美』を()()()()()()()、お渡ししましょう!」

 

 Yes!とオーナーは手を打ちならす。

 

「もう少しホルモンを投与して豊胸させ、ヴァギナも極上のものに造りかえます。あの子の口唇はアート・メイクをしただけですが、おしゃぶり奴隷に相応しく、もっとボッテリさせましょう!もちろん抜歯をして、フェラ専門の口淫テクを覚えさせ、ノド奥まで使えるようにするのも忘れません!卵管は結紮して永久不妊処置をします(膣内(なか)射精()しほうだいですゾ?小さいモノとはいえ人形にキズを付けるのが気になるようでしたら、子宮鏡をつかって卵管に詰め物をするスタイルでもよろしい。それに加えて――」

 

 熱っぽく美香子への手術処置をとうとうと語り始める小男。

 オレは、この店と妙な貸し借りを作りたくはなかった。

 先日の、あの敵側弁護士の時と同じだ。

 カエサルのものはカエサルへ。

 分を弁えたほうがいい。

 

「“恩をかえす”と言うのは、もともと出来ないコトですよ。ちがいますか?」

「さらに恥部には刺青を――いったい何のことです?」

 

 熱っぽく“商品”の説明をしていた風俗店の親玉は、いきなり遮られて不満そうに。

 

「お礼は要りません。わたしの行動に、対価をつけるのは止めてくれ、ということです」

 

 小男があんぐりと口をあけた。

 

「あなた……そんな」

「もし私から恩を感じたのなら、感じた分の倍の恩を、貴方がほかの人に施せばいい。それは巡りめぐって、いつかオレの――わたしの処に届くでしょう。もしどうしても気が済まないと言うのであれば……」

「――言うのであれば?」

「ありがとう、の一言でいいんです」

 

 あなたは!と小男は監視室のソファーにグッタリ背をつけた。

 あとはしばらく何やらブツブツ言っていたが、

 

「もっと早くお会いしたかったですなぁ……そうなれば私の人生も、少しは変わったかもしれませんて……」

 

 と、渋面をうかべ、それでも未練がましく、

 

「ここで一杯おすすめしても、受けては下さらないでしょうな?」

「車で来ているものですから」

「しかし、あの若造の身柄をお渡しするのは、今夜はムリですぞ?」

「――え……」

「子飼いの者たちが、若造のしまり具合をずいぶんと気に入ってしまったようだ……」

 

 モニターの画像を変える気配。

 だが、オレはもうあえて見ない。

 これ以上不快な記憶を増やしたくはなかった。

 

 男がカラむ光景に背を向けたまま、ビジネスライクに、

 

「それでは――日を改めて、受け取りにうかがえば宜しいですか?」

「日にちを頂ければ、それだけあの若造に、天罰を下せますな」

「では3,4日ほど。あとはコチラで処分します。それと――」

「『美月』クンのことですな?とりあえず自宅に返すことを約束します」

「結構――では当方の連絡先を……」

 

 オレたちは名刺を渡した。

 小男も立ち上がり、両手で名刺を受け取りつつイタズラっぽそうに、

 

「この番号は――()()()おるのでしょうな?」

 

 もちろん。オレは頷き、微笑をうかべる。

 二人の男が、暗黙の裡に手打ちをしたような気配。

 

 

 終わった……。

 

 

 安堵の思いが滝のようにオレの全身をひたす。

 どうにかココまでたどりつけた。結構ヤバい橋もわたったような。

 小男はオレの名刺を相変わらず持ったまま、しげしげとコチラを見つめ、

 

「しかし不思議なお方だ……これだけ尽力なさって、あのガキの身柄ひとつとは」

「ヤツを処分できれば、それでイイのです」

「自分の行動に値札は無いってことですか?

 

 ヤレヤレ、と小男は首をふった。

 

「現代のフィリップ・マーロウですな」

「なぁに、ただの貧乏くじを引き気味な、要領のわるい中年男ですよ」

「……ムズかしいお方だ」

 

 オレはスーツの襟元をただし、身づくろいをする。

 

「では!――これで」

 

 

 そう言ってオレはキッチリと礼をした。

 やがて小男が呼んだ案内者とともに、裏口からこの剣呑な店を出る。

 

 生温かい夜気とともに急に現実が押し寄せ、すオレは少しヨロめいた。

 

 深夜に向かいつつある世界は、艶めいた春の気配に都会の喧騒と人の営みを混然一体となし、かぎりなく蠢動をして行き交う人々を幻惑させていた。

 

 オレは、不夜城めく【Le Lapin Rouge 】(紅いウサギ)を振り向く。

 

 二人の黒服が、いかめしくソドムの門を(まも)る光景。

 

 その前を――。

 着飾って腕をくんだカップルの、足並みそろえた姿がゆく。

 あるいは水っぽい服装(ナリ)をした夜の蝶たち。

 すでに“入って”いるのか高価(たか)そうなスーツを着た一団が何やら騒ぎ乱れながら通り過ぎてゆく。

 その他、門の前を行き交う人――人――人。

 

 彼らが今、目の屋敷でどんな痴態が繰り広げられているか。

 もし、それを知ったら、いったいどんな表情(かお)をするだろうか。

 いつ自分もその渦に巻き込まれて、アヘ顔を晒すかもしれないと知ったら。

 そう。まさに都会は、ミルクの皮一枚へだてたところで異界が口を開けているのだ。

 

 オレは、駐車場で見張りをする黒服の一礼に軽く手をふってトラックに乗り込む。

 重い鋼鉄のドアを閉め、ロックをすると、妖しい夜の空気を追い出して。

 いつものキャビンの雰囲気と、なじんだバケット・シートの座り心地。

 目前で息を吹きかえすメーターと、かぎなれた電子機器の匂い。

 時計の表示を見れば、いつのまにか23時を回っているではないか。

 やはり相当に緊張していたんだろう。

 ヘタをすればガラス箱の向こうで拘束される可能性が十分にあったのだから。

 俺は大きく息をついた。

 

 ようやく自分の居場所に帰ってきた……。

 

 そんな実感が、虎口を逃れてきた身にはありがたい。

 留守番をしていた【SAI】が気を利かせ、モーターを起動させる。

 

 高まってゆく高周波音

 ジェネレーターが回り始める気配。

 

 熱に浮かされたような感覚が去り、日常が急速にもどってきた。

 とんと忘れていた空腹も、ようやく頭をもたげて。

 そこで初めて自分が、いかに緊張していたかを悟った。

 

『おかえりなさいマイケル――首尾はどうでした?』

「まぁまぁかな。ナイス・アシストだったぞ?【SAI】」

 

 

 かえったら……そう、まず熱い風呂だ!

 香水くさい夜の雰囲気を徹底的に洗い流すのだ。

 風呂上りには、ビールの500缶を2本、いや3本!

 立て続けに()っつけて、時分の中を清めてやる。

 冷蔵庫には、何ンか残ってたッけかな……。

 そうだ!昨日の残りの野菜炒めがあったハズだぞ?ありがたい!

 

 ――ようし、キまった。

 

 

『マイケル、周囲異常なし。いつでも出られます』

 

 こんなところ、長居は無用だ。

 

 ガラスの檻の中の痴態を、オレは今さらながら思い出し身ぶるいする。

 いずれ警察の手が入り、連中は一網打尽だろう。そのとき――あの小男は?

 考えたところで仕方ない。

 しょせんこの世は、人の願いや考えとは別の(ことわり)で流れてゆくのだ。

 

「帰ろう――【SAI】」

『了解しました、マイケル』 

 

 よいせ、とオレはトラックのギアを入れる。

 

 

 

 

【紅いウサギ】の遥夜(ようや)  

                    ー了ー

 

 

 

 

 


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