試製・転生請負トラッカー日月抄~撥ね殺すのがお仕事DEATH~【一般版】 作:珍歩意地郎_四五四五
――腕……だな。
――腕……だよな?
すんなりとした指をもった腕。
細く、色白で、ウブ毛すらない。
――腕……でイイんだよなァ、コレ……。
状況を整理しよう。
いまは金曜。
遮光カーテンの合わせ目から漏れる光は、外が快晴らしいことを示している。
所長に“轢殺対象”が風俗店で拷問を受けつつ飼われている現状を伝えた後、有給をとって金土日の三連休としたのだ。
その初日の朝。
ベッドで寝るオレの目の前の上掛けから、明らかに自分のものではない一本の腕がニュッと伸びていると言うワケなのだ。
オレは再度、目の前に延びる腕をながめた。
どう見ても若い女の腕だ。
――酔って見知らぬ女でも引き込んだっけかオレ。
いやいや!とあわてて否定する。
酒で記憶をなくすほど、マダ老いぼれちゃいねェぞ?などと思いつつ。
ややあってから。
ようやく意を決し、おそるおそる上掛けをめくってみる。
とたんにあふれる、嗅いだことのある柔らかい女の匂い。
つぎに現れた赤毛のかたまり。
――え……。
オレはマンガのように二度ばかり目をこすった。
頭の整理がおいつかず、しばらくそのままタップリ15秒ばかり凝固する。
――信じられん……どういうことだよコレ。
読者なら、オレの衝撃を分かってくれると思う。
なぜならそこには「く」の字になってクゥクゥと寝息を立てる『マゾ美』……もとい『美月』の姿があったからなんだ。
室内に干してあったオレのYシャツを着て身体をちじめ、のばした片腕をまくらに気持ちよさそうに眠っている。
――なんてこった……つーか、コイツどうやって入った?
頭の混乱が収まらぬまま、彼女を起こさないようにベッドから抜け出す。
そしてキッチンに行き、休日の朝の神聖な儀式である「朝ビール」を冷蔵庫から一本抜き出すと、とりあえず現実を呼ぼうとリビングのカーテンを引き開けた。
サッ、というまぶしい光。
壁の時計をみれば、もう九時だ。
ここのところの業務で疲れ果て、泥のように寝た気分。
こんな有様じゃ、寝ている最中アイツがベッドに来ても分からないだろう。
あの危うい橋を渡った“香水臭い夜”から、もう1週間になる。
数日して目標の身柄をわたす、といった小男からの連絡はなかった。
かわりに、二度と目にしたくない動画がディスクで私書箱に郵送されてきた。
映像のなかでは目標であるガキが強制的に女装させられ、ムチ打たれながら黒人たち相手にアンアン尻をふっているという、鳥肌の立つような代物……。
もっともこれを所長に見せたところ、轢殺目標の状況にしごくご満悦なようで、なんと「数日はこのままにしておけ」というお達し。そしてそのディスクと引き換えに、今月はノルマが苦しいものの、有給を取る許可をもらえたんだ。
だが、いつまでも放っておくコトは出来ない。
サッサと轢き殺して仕事にケジメをつけたい。
そうだな、今日あたり催促に行ってみようか。
――いやまて……。
そこでオレはフト立ち止まる。
あの店には銭高警部補の相棒である女刑事がおとり捜査に
ウッカリ“手入れ”の現場にカチあって、とばっちりで逮捕でもされた日にはツマらない。
仕方ない。メールで小男にそれとなく催促するか……。
などと考えていると、寝室でゴソゴソと物が動く気配。
やがて背後からペタペタ足音が近づくと、いきなり暖かいものでオレの視界がふさがれる。
「だァ~れだぁ♪」
「キミねぇ……」
汗ばんだ小さな手で視界をふさがれたままオレは、
「いったいどうやって入ったんだ?カギは閉めたはずだが……」
「お店の人にね?鍵開けの得意なヒト居たからァ、こぉチョィチョイ、って♪」
うぇ。あのドアの鍵、そんなに簡単に開くのか。
「30秒ぐらいだったかナぁ……しりんだぁ錠?は信用しない方がイイってぇ」
パッと視界があかるくなる。
ふりかえれば裸ワイシャツ姿の『美月』だ。
ショーツは履いているがノーブラで、豊胸された〇ッパイが、合わせ目からチラチラしている。
その先端には、Yシャツの白い生地にリングピアスの輪郭が。
ゴージャスな赤毛を午前中の蒼い光に輝かせる姿。
トロンとした顔つきに整形された面へ、信頼しきったような微笑をうかべて。
真っ赤にされた肉厚な
「学校は?――どうしたんだ」
オレはため息をつきながら尋ねた。
「まだ金曜だろ?」
「辞めちゃったぁ……」
「え"」
「っていうかぁ、辞めさせられた……が正しいかなぁ?」
「……」
「お父さん、もう学費ぃ、払わないってぇ」
豊かな自分のオッパイを思わせぶりにモミつつ太ももをモジモジとすり合わせ、『美月』はこちらをチラチラうかがう姿勢で。
「オマエのようなヤツはぁ……ウチの娘じゃないってぇ」
「怒ってたか」
「オコだったっていうよりィ、呆れてたかなぁ」
相変わらず焦点のさだまらない口ぶりで、クスクスと。
「一瞬アタシのこともォ、分からなかったみたい」
「そりゃぁ……それだけ整形されればなぁ……」
おれはダッチワイフのようにされてしまった美香子を見つめた。
せっかくの生来な清楚さが人工的に歪められ、ただのイヤらしい人形のよう。
「学校行っても大騒ぎだったよぉ。ダレ?って」
「担任の先生、なんか言わなかったか」
「生徒指導室につれていかれてェ、おかあサン呼ばれた」
「お母さんなんだって?」
ここではじめて彼女の声が曇る。
性的に
「……泣いてたぁ」
だろうな、とオレは思う。
あの品の良い奥様が哀しんだことを思うと、オレの胸も微かに痛む。
――だが、まあいい……しょせんは他人の家のハナシだ。
ワザと冷酷にそう思い込み、平常心を保とうとする。
だがそう思うはしから、ある種のやるせなさが浮かんで。
休日の朝(しかも3連休のスタートだぞ?)が湿っぽくなるのがイヤだったオレは、
「なにか飲むか?コーヒー?紅茶?」
「みるくてぃー♪」
「ハイよ――その間に何か着なさい」
「はァい」
トテトテと素直に『美月』は寝室にもどってゆく。
それを見送ると、オレは久しぶりに台所に立った。
お湯を手ナベに少量沸かし、アールグレイを小さじ4杯。
そのあと牛乳を加え、さらに煮だす。
ティー・ストレーナーで濾してノリタケのカップに。
よし、とくべつ甘めに作ってやるか……。
またも背後に足音。
振り向いたとき、危うくカップを落としそうになる。
リビングに立つのは、キワどいボンデージ・ドレスを着た『美月』だった。
そこからつながる革製のブラは、乳首ピアスが飾る豊胸された〇ッパイを、さらにクビリ出して肥大化させるようデザインされて。
腰回りをシメ上げるウェスト・ニッパーと、そこに連結された、股間に食い込まんばかりな革製とみえるショーツ。
むりやり豊かにされた尻まわりは、スリットの入ったうすいヴェールに包まれて。
中指で引っ掛けるタイプの、わき下までおおう長さがあるピッタリとした長手袋が、彼女の腕をラメまじりな照りで蠱惑的に包んでいる。
つまりは“夜の
あのなぁ、と思わずオレは呆れ声で
「もっと普通の服は無いのかネ!普通の服は?」
「フツーのふく?」
風俗店用の装いをした彼女が小首をかしげる。
「高校の制服でも何でもイイ。外をあるいておかしくない服だ」
「これ、オカしくないョ?」
このとき、オレはハッとようやく気付いた。
さっきから彼女の応対が、何かフワフワ夢見心地で心もとない。
舌ピアスのせいにしては、まだるっこしいしゃべり方。
そことなく虚ろな、底の入っていない浮ついた視線。
まるで半分催眠状態でうごいているような動作。
“紅いウサギ”で聞いた『ゾンビ・パウダー』なる単語も思いだす。
――もしや……。
人為的に知能を引き下げられてしまったのではなかろうか。
あの白衣姿な若い二人組。
美容整形の設備があるんだ。本物の手術室だってあるかもしれない。
なにしろ銭高警部補の『生安課』が乗り込んでくるんだ。
実際に臓器の取り出しすらやっているかも。
――まさか……ロボトミー手術なんて。
ふと、オレはあることに気づいた。
「そういやおまえ、どうやってココが分かった?」
あの小男に渡した名刺には、自分のアドレスを載せていなかった。
代わりにメールアドレスと、会社から貸与された私書箱の番号だけ。
轢殺稼業をやる上で、ヘンなところから足が付かないようにするための用心だと、総務の連中には聞かされている。
ダイニング・テーブルに付いてミルクティーを飲もうとした彼女は、その肉感的な唇をカップから離し、キョトンとした顔で、
「キミちゃんがぁ、教えてくれたモぉン」
「きみちゃんだァ?」
「知ってるハズだぉ?ご主人サマぁ……」
クスクスと彼女はまたも笑いながら
「神社の受付でぇ……住所かいたでしょぉ?」
屋根の修理費をせびってきた現代風な巫女さん。
「アイツか……あんにゃろ~ヒトの個人情報を」
「でもでもォ!それでアタシが、ご主人サマのお
そう言って『美月』は殺風景なオレの
「もうチョッと彩りが欲しいなぁ……。でもこれからは大丈夫だね」
「なにが」
「メス奴隷『マゾ美』が住み込みで精いっぱいお仕えするモン」
あのなぁ、とオレは脱力する。
関係ない第三者が女子高生を部屋に泊めたら事案だ、事案。
ようやく人生が好転しかけた矢先にマスコミなんかの餌食になりたくない。
「おうちの人は?何て言ってるんだ」
「しらなぁい。火曜日に学校辞めたあと、お店の寮から“お仕事”に通ってるし」
ちょっとまて。
「じゃナニか?今まで家には帰っていないのか」
「お父さん入れてくんないモン」
「お母さんは?なんて言ってるんだ」
「なにも。泣いてばっか」
そりゃそうだろう、とオレは思う。
腹を痛めて生んで手塩にかけて育てた娘。
それが、こんなダッチワイフじみた姿になったんじゃ。
「だいたいお父さんに嫌われてるしィ。アタシが家でたほうが、お互いにイイもん」
「だがしかし……」
オレは絶句する。
苛烈で幻惑的な“馴致”と言う名の調教風景。
淫らがましい少年少女。あるいは
不気味な手術をほどこす白衣の若い医者2人組。
「まだあの剣呑な“赤いウサギ”に居るとはねぇ……」
そのとき、『美月』のお腹が盛大に鳴った。
「――だって……」
恥ずかしさを隠すためだろうか。彼女はややふくれッ面で、
「お金とか稼がなきゃ、食べていけないモン」
* * *
“紅いウサギ”の装束をまとう彼女を、使ってないオレの普段服へと着がえさせている間、コッチは有り合わせの材料で朝食を用意する。
台所の換気扇を回すのも実に久しぶりだ。
調理器具や食器のたてる陽気な音が、人間味のある朝を演出するような。
久しく忘れていた感覚だ。状況が今のようでなきゃ、ちょっと鼻歌でもでるくらい。
いつもは出来合いのモノを買ってきて、それでおしまいにしているていたらくなんだよな。
フライパンと包丁を使いつつ、他人に手料理をふるまうのは意外に嬉しいものだとオレは思う(と、いってもロクなものは出来なかったが)。
ベーコンエッグにフレンチ・トースト。
カマンベールチーズのカナッペに、パック物のサラダへ刻んだ生ハム投入。
それらをダイニング・テーブルに並べると『美月』は嬉しそうにパクつきはじめた。
オレの方も、そんな彼女を横目にしてビール片手に茹でたチョリソーなどをほおばって。
すると――なんだかいつもより酒も肴も美味く感じるような気がしてくるから不思議だった。
「ご主人サマのフレンチ・トーストおいし~」
「そうか。紅茶のお代わり、いるか」
「――うん♪」
トポトポと相手のカップに湯気の立つミルクティーを注ぐ。
わすれていたな……こんな感じ。
「なに?――この干からびたチッさいキンタマみたいなのォ?」
「これっ!女の子がなんだね!それは干したイチジク。女性の身体にイイんだよ?」
「なんで?そんなのご主人サマが持ってるのォ?」
「んぅ?酒のつまみにもなるんだ」
こんなことを言うのがなぜか少し恥ずかしかった。
考えてみれば、荒れた生活だ。
人格障碍者とはいえ、人を轢き殺してナンボの生活。
視線をうつろにしたオレに、『美月』は相変わらずトロンとした口調で、
「ご主人サマぁ。アタシこっからお店に通ってイイ?」
「あぁ!?」
「お店の寮だとイロイロうるさくって」
「……食っているあいだは、ムズかしい話はナシだ」
「じゃ、どんなお話ならイイの?」
キミのこと話してくれよ、とオレは500缶の二本目を襲いながら、
「なにか将来、やりたいこととか。夢とかないのかィ」
そうねぇ、と彼女は小首を傾げ、
「美容師サン、とかすこし憧れたなぁ。ナニかァ、じぶんで仕事したかった」
「手に職をつける!イイじゃないか。今からだって遅くないぞ」
「……これ難しいハナシじゃないの?」
「まぁコレくらいなら良いだろう」
ふぅん、と彼女は納得しないような顔をしていたが、すぐに哀しげな顔で、
「……でも、アタシどうせバカだしィ」
「そういうのを“セルフ・ハンディキャップ”と言うんだ」
「ホラぁ。むずかしい話じゃぁん」
「自分で自分をダメだと思い込むほど、ツマらんものはないぞ?」
「高校行っても面白くなかったし」
「友だちは?いないのかね」
「仲のイイ友だちはぁ。ゼンゼン――キミちゃん?ぐらいかなァ」
整形受けて学校行ったあと、注目あびて大騒ぎになったのがイチバン面白かったなと、この娘は怖いことをサラッという。
「さいごにぃ、イイ思い出ができたんだぉ」
お嬢様学校で、いかにも水商売風な女性が廊下を闊歩したら、そりゃ目立つだろうて。
まてよ?あの学校、ミッション系スクールじゃなかったか。
生徒指導のシスターがいたら目を丸くしただろうに。
「家には何て言ってるんだ?」
「知り合いのところ泊まるってぇ、携帯で……」
――それなら……まぁいいか。
風俗店に泊まってると知ったら、あの品のいい奥さんが引ッくりかえりそうだ。
まったくあの家はどうなっているんだか。
・プライドの高そうな、妙にコネを持っているオヤジ。
・上の子に甘く、下の娘には時に放任的とも思える奥方。
・強姦をうけた経験のあるデキのいい姉。
・父親から疎遠にされている蓮っ葉な妹。
詩愛が暴行される事件があってから家庭が“空中分解”しなかったのが不思議なくらいだ。
聞きなれないメロディーが鳴った。
『美月』がオレの軍用カーゴ・パンツから携帯を取り出して画面を見る。
「あ……おねぇちゃんだァ」
――なんか……イヤな予感がするぜ。
オレは携帯で、力の抜けた舌ったらずな言い合いを始める『美月』を見る。
そしてそこはかとなく胸にひろがってゆく不安を、ぬるくなったビールで流し込んだ。