試製・転生請負トラッカー日月抄~撥ね殺すのがお仕事DEATH~【一般版】   作:珍歩意地郎_四五四五

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           * * *

 

 時刻は、日付が回ろうとしていた。

 俺は青年を後部座席に乗せて夜の街中をゆっくりとながす。

 目的の時間まで、もうすこしかかる予定だった。

 あの、と後ろから声がかかる。

 

「さっきスマホの声が洩れてるの、聞いちゃったんですけど……」

「……んぅ?」

 

 ルーム・ミラーからは、うしろの顔がよくみえた。

 ドアにヒジをついて、流れる街の灯をボンヤリと眺めている。

 

「マイケルさん、って本名ですか?」

「アホか。あだ名にキまってるだろうが」

「……デスヨネー」

「みんなして俺をオモチャにしやがって……」

 

 いやまて。

 しかしあの夢の中で、俺はマイケル中尉と言われてなかったか。

 どうもアフリカらしき駐屯地の印象が、自分のアタマの中に残ってしつこく離れない。

 ブレン軽機関銃。ミルズ手榴弾。低地ドイツ語の罵声。銃剣(バヨネット)での決闘(デュエル)。安ワインの痛飲……。

 絶望的な作戦と、そこから傷まみれで生還したときの高揚感。それはまさに生きている“証”そのもの。

 

 

 ――そういやァ、詩愛も妙なことォ言っていたな。

 

 『雰囲気が、いつもと違ってらっしゃるから……』

 

 そんなモンかね、と俺はウィンカーを出し、交通量の多い道の流れに乗った。

 

 特殊騎士団をとりまとめる団長。

 “コカイン・モンキー”を殺りにゆく正規軍の中尉。

 

 このところ自分の意識が、存在が、何かにひっぱられる。

 あたかも、得体の知れない“前世”の記憶のように。

 冗談じゃない、と俺は思う。

 “おとこ現世に処するべし”だろうが。

 

 ――オレはNTRれたあげく轢殺屋を()っている一介の中年――それだけだ。

 

 車が“紅いウサギ”の裏口に着いたのは、それから小一時間ほど経った後だった。

 正面と同じように背の高い鉄柵に囲まれた、従業員や業者用の通用門。

 ここにも黒服がバラバラに集まって守りを固めている。

 とはいえ、先日の襲撃事件があったためか人数は4人と多いものの、みんな携帯の画面に眺め入り、とても警戒しているようには見えない。

 顔に反射するピンク色の移り変わりから、どうせみんなエロ画像のフリー広告なんだろう。

 まったく!と俺は小男の努力をおもい憤慨する。

 

 ――自分の部隊だったら、重営倉モノだぜ……。

 

 青年がものめずらしそうに後部シートの窓をおろして亀の子のように首をのばし、

 

「この店……なんです?キャバレー?風俗店?」

「は?なんだ、知らんのか」

 

 あんなフィギア飾っているくせに、と言おうとしたところで、おそらく監視カメラの映像を見て俺のレンタカーが来たことを知ったのだろう。重そうな扉がひらき、ニューヨーク・ヤンキースのスタジアム・ジャンバーをまとった『美月』が出てきた。

 

 ――!!

 

 後ろの席で、声にならない声とともに身を乗りだす気配。

 ルームミラーを見ると(ムッハ――――!!)と言わんばかりな顔をして。

 

 スソの足りない“スタジャン”からは、艶めかしい網タイツの脚が高いヒールとともに。

 後ろからは丸くて大きなフサフサしっぽがピョコリと飛び出てしまっている。

 珍しく肩までのショートなウィッグを装着した頭には、おどろいたことに赤エナメルのウサ耳をのせたままで。

 

 貸与制服である高価なバニー・コートを着たまま外出しようとすることから、警備の黒服たちと軽くモメたようだが、なにやら彼女が説明をすると、すぐに収まったようである。

 その黒服たちの好色な視線に送られて、意気揚々と歩いてくる『美月』。

 男たちのまなざしを知ってか知らずか、ワザとのように白いしっぽをフリフリと振りたて、営業スタイルめく自身ありげな足取りで。

 

 コイツも変わったよなぁ、と俺は思う。

 娼婦のふてぶてしさが、日に日に《《かさ》を増してゆくような。

 通用門側の鉄柵が専門の黒服の手でひらかれると一転、彼女は無邪気なJKの足取りでヒールをならしつつ駆け寄ってきた。

 助手席のドアを開けるなり、ミントの匂いがする息で、

 

「もーサイテー!私の服、ダレかに隠されちゃったのよォ!?」

 

 ホラ、とジャンバーの前を開けると、扇情的なエナメル光沢のバニー・コートと香水の気配。それにまじって“おまた”から『美月』の匂いも、かすかに。

 伸縮性のない深紅の生地が、ホルモン投与で創られたボディをギッチリと締め上げ、まるでオナニー用のリアル人形(ドール)が助手席口で誘っているような風情。

 よくみれば化粧すら落としていないような気配。

 きっと店内の休憩室か更衣室で、ひともんちゃくあったのではないか。

 

 ともあれ。

 夜の灯に、その姿は蠱惑的に、いかにも美しく照り輝いた。

 

「ヒッ!?」

 

 そのとき後部座席から放射させる食い入るような視線に気づいたか、彼女はいかにも装った扇情的な顔つきを引っ込めると、ジャンパーの前を掻きあわせ、うしろに二、三歩よろける。

 

「ご主人さま!うしろにヒトがッ……ヒトがいりゅぅぅうッ!」

「……おぃおぃ」

 

 み〇くら的なあまりの反応に俺は苦笑しつつ、

 

「安心しろォ、食いつきゃしねぇよ。俺の知り合いだ」

 

 ……沈黙。

 JKバニーガールと、大卒引き篭もりが、ビミョーな視線を切り結ぶ気配。

 

「……大丈夫なの?」

「あぁ、オマエが言うことを聞いておとなしくしてりゃァな」

 

 俺はそう言って『美月』をなだめると、セクシーな衣装をミチミチと鳴らし、からだをゆがめて助手席に乗り込もうとする彼女をおしとどめ、

 

「だめ。オマエは、うしろのシートだ」

「えぇっ!?――そんなぁ」

「さ、ハヤくしろ。ほらPC(ピーシー)が来るじゃねぇか」

「ピーシー?」

「……パトカーのコトですよ」

 

 驚いたことに、青年がしゃしゃり出て口をひらいた。

 尻をずらして後部シートにのりこむ『美月』のためにスペースをあけつつ、彼女に説明する。

 『美月』は、まるで珍しい動物を見るような目つきで、となりの男をながめた。

 無理もない。

 およそ“紅いウサギ”の常連客とはかけ離れた位置づけの、貧乏な引き篭もりなのだから。

 

 ――だがしか~し!(c)筋肉少女帯

 

 ドアが閉まり、ルームランプが消えた薄暗がりのなか、俺は思わずほくそえむ。

 どうやら趨勢は、いくつもの偶然がかさなり、俺のえがいた図面どおりにいっている気配。

 

 ――さてさて、どんな“異化効果”が飛び出すやら。

 

 そう。これを俺はネラっていたのだ。

 この引きこもりに外乱を与えて、すこしフヤけた“お脳”をゆさぶってやらねば……。

 

「さ、いくぜ?しばらくドライブとしゃれこむか」

「……ご主人さまァ。車の中なんだかクサぁい」

 

 ルーム・ミラーの中で、青年が慌てて自分の服を嗅ぐのが見えた。

 

「なに臭いかね?」

「えーと昼間のホラ、あのイケ好かない大きな刑事さんの」

 

 そうだろうか。

 車の中は、飛び込んできた『美月』の匂いと、彼女がまとう“紅いウサギ”の猥雑な気配で充ち満ちているように思われたのだが。

 

「ありゃ。まだ完全に消臭しきれてなかったか――その辺のあしもとに消臭スプレーがあるけど……どこかでいちど車を降りたときにしよう」

 

 そういいつつ、俺はレンタカーを海の方角にむけた。

 サイド・ウィンドーを細目に下ろし、あの横紙破りな警部補の、怪しげな夜の(みせ)の――そして、なにより意味不明なアフリカの印象を(はら)う。

 

「ねぇ、ご主人サマぁ?」

「なんだ?」

「このオジさん――だれ?」

 

 なっ!と青年が一瞬気色ばむように見えた。

 

「ぶわはははは!」

 

 俺はおもわず大笑い。

 ルームミラーをチラ見して、その仏頂面な表情(かお)を痛快なおもいで愉しむ。

 転じて『美月』のほうを見れば、だいぶクスリの影響がヌケてきたのか、甘ったるい舌足らずな口調は滑らかになり、全体的にはじめて会ったころの、すこしトゲトゲしい雰囲気がもどってきている、ような。

 

「聞いたかい?オジさんだとよ?」

「ボクは!……まだ20代です!」

「でも20後半でしょ?」

「25です!」

「ホラ。おじさんジャン」 

 

 またも俺はこらえきれずに笑ってしまう。

 笑って、笑って、目の端に浮かんだ涙が、前の車のテールランプをにじませた。

 まるでいままでの鬱屈が、この二人の掛け合いで雲散したような。

 おれはようやくの思いで気息を整えると青年に、

 

「ナァ?いつまでも若い気でいッと、足元ォすくわれッぞ?『25歳から先』は、人生なんてアッと言う間の急降下だ」

「……それはワかってますけど」

 

 ムッとしたような声が後ろから、

 

「マイケル先生、この()いったいナンなんです?」

「ハァ?あんたこそナニよ!」

 

 シューッ!とスプレーが鳴る音と、青年がムセる気配。

 今度はツンけんと『美月』の横やりが入る。

 

「いいコト!?このヒトはアタシのご主人さま。そして――」

「その先は言うなよ?」

「えーどうしてですご主人さまァ?このオッサンにビシッと言っとかないと!」

 

 そう言うや、彼女はひとつ深呼吸して、

 

「いい?アタシはね、ご主人さまのメス奴隷なの!どんな命令でもよろこんで聞くよう“馴致”された、哀れで下品な肉孔人形なのよ!?」

 

 その物言いに俺は呆気にとられ、

 

「ホント下品だなぁ……どこで覚えたんだよ、そんな言葉」

 

 後ろからカッとんできたプリウスに車線変更で道をゆずりながら苦々しくつぶやく。

 

「きょう、お客さんが自分のモノにしたバニーに言ってたモン」

 

 やっぱりあそこの店は、若い娘の情操教育に良くない。

 俺はぶつくさと再び車線をもどして、

 

「おぃぃぃ……まさか店の“ウラ”サイドで勤務してないだろうなァ?」

「行っちゃダメなんでしょ?()()()()()()()()()()()だモン!」

 

 ――ふぅん……そうかい。

 

 自分のなかで、普段ならぜったい思い付かないような考えが浮かぶ。

 レオポルドヴィルの“クルチザンヌ(高級娼婦)”を侍らせた時のように。

 あの時はずいぶんとバカ騒ぎしたなぁ。ベルギー人のポリ共と大ゲンカになったっけ……。

 追いすがる相手のPCに、照明弾を次々と打ち込んだことが、まるでつい昨日のような。

 

 前方の大きな交差点が赤になった。

 たしかココの信号は長いことで有名だ。

 スクランブルの横断歩道には、コンビニ袋を提げたゲーオタらしいジャージ男や、一杯機嫌の外人たち。明らかに“お持ち帰り”とみえる、だらしなく顔をゆがめたオヤジにヒョウ柄のコートを着た水っぽい女がじゃれつく姿などが、この深夜にもかかわらず行き交う。

 

 ――ちょうどいい……。

 

 俺は大きく息をつくと、ルームミラーを(のぞ)き込みつつ、

 

「よぅし、メス奴隷『美月』。それとも……『マゾ美』のほうがイイか?」

 

 え。と後席の少女が一瞬ひるむ気配。

 よしよし、と俺はこころひそかにうなずく。

 彼女が一般人の心的構造を取りもどしつつあるのを見て取ると、ワザと俺は下品な口ぶりで、

 

「ご主人さまの命令だ……スタジャンを脱げ」

 

 エナメルなバニー・コートが身じろぎでキシむ気配。

 それにつられてゴクリ、青年のノドが鳴る音。

 そわそわと『美月』が首もとの蝶ネクタイをなでる。

 薄暗がりにも彼女の爪に塗られたパールの入ったピンクが(キラめ)いて。

 

「どうした?俺の“マゾ奴隷”じゃないのか?」

「でも……お店の外でぬぐの恥ずかしい。車の中だけど見られちゃうかも」

「いいじゃないか。これも調教……“馴致”の一環だ!」

 

 どれくらいの呼吸があっただろうか。

 遂に彼女はしぶしぶと、

 

「……わかりましたァ」

 

 ノロノロとした手つきで彼女はジャンバーを脱いだ。

 

「耳もチャンとつけろ?」

「……はぁぃ」

 

 紅いエナメルのバニー・ガールが後部座席に現出する。

 同時に服にこもった彼女の体香も、あらわに。

 カチューシャをピンで留めるときに両ウデをあげた彼女の白々としたワキを、青年は血まなこになって見つめていた。

 顔が、ぐぅっ、とソコに近づいて。

 それをみた俺は、してやったりとばかり、

 

 

「どうだぃ、えぇ?ポスターやフィギュアなんかより、三次元はズットいいだろ?」

「えぇ……」

「パヤ波やC子さんよりイイよな?」

 

 えっ、と絶句する一呼吸。

 

「それは……比べられないと思いますケド」

 

 かすれたような囁き声。

 ふん、この後におよんで!

 

「よし『美月』!」

 

 俺は声をはげまし、もういちど冷酷な風を装って、

 

「ソイツにお前のオッパイを揉ませろ!」

「えぇッ!そんな!」

「いいんですか!?」

 

 2人の声は同時だった。

 

「ちょっとアンタ!なにホンキになってるのよ!!」

「だって……君のご主人サマが触っていいって……」

「このオッパイはね?ご主人さま専用なの!」

 

 気色ばむ彼女に俺はニヤニヤと、

 

「しかァし……たまには“メス奴隷”もレンタルして、羞恥心を養わないとナァ?」

「そんなぁ……ご主人さまァ」

 

 『美月』はバニー・コートに縛められた肢体をよじらせて抗議する。

 しかし、ややあって覚悟を決めたのか、青年に向かいツケツケと、

 

「……いいわよ。触らせてあげるわよ。ただし――ひとモミ1万円ね」

高価(たけ)ェなオイ!?」

 

 俺は思わず叫んだ。

 

「当然です!ご主人様以外に触らせるんだから」

「……はい」

 

 青年はプルプルと一万円札を差し出す。

 

「そこでオマエもマジで諭吉ぃ出すなよ!?」

「とうぜんです。アタシのご主人様専用オッパイは、それだけの価値があるんですから!」

 

 そう言うや“紅いウサギ”で鍛えられたものか、『美月』は指の先をつかい、いかにも優雅な手つきでそれをはさみ取ると、折りたたんだ紙幣をなんと自分のおマタに挟んだものである。

 

「ハイ――どうぞ」

 

 彼女はいかにもイヤそうに、ボーンでコルセット状に縛められた胸を突き出した。

 青年の手がブルブルとふるえ、バニー・コートにちかづく。

 いかにも逡巡を交えた、おっかなびっくりな風情。

 ついに彼の手は、念願だった衣装のエナメル生地な制服に触れる。

 

「うわ……固い……はじめて触った」

 

 ゆっくりと胸の部分を、この引き篭もりは指の腹で愛おしそうに撫でさする。

 口もとが喜びに半開きとなり、その目はすこしばかりうるんだように。

 はぁぁぁっ、と吐息めいたものまで交えて。

 だが、このオズオズとした彼の手つきに業をにやしたものか、小悪魔めいたバニーは「ふんす」と鼻息をあらげ、

 

「ナニやってんのよモウ!服の上からじゃ固いにキまってるじゃない!」

 

 『美月』の声が(仕方ない子ね!)とでもいうようにチョッと哀れみのような母性をふくみ、カフスの巻かれた手で青年の腕をつかむや、ホラ!とばかり自分のバニー・コートのキツキツな胸に滑り込ませた。

 

 しばらく沈黙。

 

「どう?……って、きゃははははははッ!♪」

 

 と、いきなり黄色い笑い声。

 

「なんだ?どうしたッ?」

「このヒトったら、いきなり鼻血ながしてるぅ!」

「だ……だいじょうぶでひ……」

 

 はぁっ、と俺はため息。

 まsか本当に三次に耐性がないとは。

 

 ――ナニやってんだか……。

 

「あーもぅ。後ろにティッシュあるから」

「どれぇ?あぁ、コレね。ホラ――動かない!」

 

 『美月』は青年の顔に流れた血をティッシュで押さえ、ふき取ると、別の一枚を引き出し、程よく丸めて彼の鼻に栓をする。

 

「もしかして童貞サン?ちょっとシゲキが強すぎたカナ?」

「ど、ど、童貞ちゃうわ!」

 

 おっと。

 信号が青になった。

 車内の失笑ふたつ。それに仏頂面ひとつを運びながら車は動きだす。

 

 

         * * *

 

 

 港が見える高台の公園で、俺はギアをパーキングに入れた。

 

 春の夜とはいえ、少し冷えるような気味がある。

 ほかに車は一台だけ。広大な園内に、人影はみえない。

 2人を下ろすと、車内に消臭剤を念入りに、そしてクソ銭高への悪意もこめて吹き付ける。

 

「よぉし、このままお散歩、レッツ・ゴー!」

 

 スタジャンを羽織った『美月』がヒールを鳴らして危なっかしくジャンプし、赤信号の横断歩道をわたって人影のない公園に入ってゆく。

 

「え……マジか」

「なんか、さっきので吹っ切れちゃった!度胸だめしよ!」

「あのボク、なんか飲み物を買ってきます!さきに行ってて下さい」

 

 そう言って青年は、煌々たる光を投げかける自販機の列に逃げてゆく。

 ヤレヤレ、とオレは『美月』の後を足早に追った。

 あんな格好で、またロクでもないものにカラまれたら冗談じゃない。

 そうでなくても今日はイロイロありすぎて、お腹いっぱいな気分なのだ。

 銭高の餌食となった「売人ブタジマ」くんみたいなヤローとカチあうのは、もうゴメンだ。

 

 小走りになりながら、おもいきり深呼吸。

 

 夜気には港からのディーゼルエンジン風味な匂いが混じっていた。

 薔薇園や、洋館を配した広大な公園は、森、と鎮まりかえって……。

 上空を見れば、南周りの国際線が、航空灯を点滅させつつ、エンジン音を響かせよぎってゆく。

 間違いない。ここは21世紀の現代日本。そこに吹く風だ。

 村を焼く死臭混じりの煙や、機銃が連射される硝煙臭い空気でもない。

 そのいくぶん冷たい風が、惑乱気味な自分の頭をスッキリさせる気味があるような。

 経験したことのないさまざまな心象が、アタマの中で溶けてゆく。

 

 尻を振りたててヒールを鳴らし、前をゆっくり歩く『美月』にむかってオレは、

 

「さっきは、スマなかったな……車の中で、ムリいって」

「そぉですヨォ!ご主人さま!」

 

 彼女は「わが意を得たり」とばかりにほおを膨らませてふりむき、

 

「ずいぶんイヂワルだったんですから!プンプン!!」

「まぁ……そう言うな。アイツにオマエの容姿(すがた)を見せたかったんだ。まさか、オマエが“おあつらえ向き”にバニー姿で出て来てくれるとは思わなかったが」

「なに()ってるヒトなんです?あのオジさん」

 

 まさかここで「引き篭もりだよ」と言うのは、青年(アイツ)がいかにも可哀想だった。かといって適当に言いつくろうには……。

 結局くるしまぎれに、

 

「まぁ、オレの情報屋、ってトコかな。そうだ、イイ大学出てるんだぜ?あいつ」

「へぇぇ。ダサい雰囲気してるから、てっきり引きこもりかと思っちゃった」

 

 ――うっ……。

 

「なんで?そう思ったんだ」

 

 なんでって、と彼女はワケもなさそうな顔つきで、

 

「お店で接客してると、オトコの人が見えてくるのよね。あ、このヒトお金持ちだ。あ、このヒト自信家だ。このヒトは背伸びしてる……職業が医者なんてウソね、とか。だいたい当たるようになったの服装や、靴や、仕草で」

「うぇぇ。イヤな訓練だなァ」

「ご主人さまはねぇ……」

 

 ふいに『美月』はマジマジとオレの顔をのぞきこんだ。

 ややあってから、プルンとした口唇がいたずらっぽそうにひらき、

 

「心が悲しがってる……でも無理に強がってるわ。でも、さっきみたいに女を乱暴扱う気配になったり。そうかと思えば、どこかの重役さんみたいに急に上に立つエラい人の雰囲気を出したりするの。ナゾめいてるワァ……でもアタシのそばに居るときぐらい、もっと素直にふるまってイイんですよ?」

 

 そう言うと、彼女はオレの手をとった。

 ついで、自分のくびれたボディに押し付けてニッコリ。

 

 ――ふぅぬ……。

 

 オレは心ならずも瞠目(どうもく)する。

 “女の勘”というものは、なんでこうムダにするどいのだろうか。※

 いちいちこちらの胸の内を、ピシリ、ピシリと、まるで詰め将棋のように突いてくる。

 と、そんなオレの警戒を読んだように腕が抱きしめられ、バニーの耳が着けられる頭が肩に乗せられた。

 

 ――こんなガキでも、すでにいっぱしの女なんだな……。

 

 オレは暗がりの中で舌をまく。

 まったく、いまどきの子は……。

 

 港が見える端まで、そのままゆっくり歩いてゆくと背後から、

 

「お待たせしましたァ。ココアとコーヒーと紅茶ですけど……どれにします?」

 

 さっ、とオレたちがさりげなく身を離したところで青年がオズオズと缶を三つ。

 なんとオレをさしおいて『美月』の方に差し出した。

 

「へぇ、情報屋さん。気が利くわね」

「……情報屋?」

「ご主人様が教えてくれたわ」

 

 そう言って紅茶をヒョィと取り上げた。

 

「ご主人様の下で働いてるんでショ――あっつ!」

「気を付けてください!?ホットですから……」

「先に言ってよね!?」

「ゴメんなさい――じゃぁ、マイケル先生にはこれを」

 

 いつの間にかオレを“先生”と呼ぶようになった青年は、どことなく感謝のこもったような目でオレにホットの缶コーヒーを渡す。

 

 それぞれが一服するまでの沈黙。

 だが青年の眼はチラチラと盗み目ぎみに、かたときも目の前のバニーガールから離れない。

 やがて『美月』がフッ、と思いのほか聖母めいた微笑をもらすと、

 

「あ~ぁ。暖ッたかいモノ飲んだら、熱くなってきちゃったなぁ……」

 

 さりげにスタジャンを脱いで、蝶ネクタイと白いカラーの巻かれた首もとをあおいだ。

 公園の灯りにエナメルのシワが艶っぽく浮かぶ。

 これ見よがしな、扇情的とも思えるさまざまなポーズ。

 髪の毛をもみしだき、ポッテリとした口唇を欲求不満気に。

 目元は、あくまで殿方からの征服を待つように、かろく打ち震えて。

 

 深夜の公園に、艶っぽい衣装の照りを煌かせてバニーが踊る。

 ヒールの()もカツカツと、脱いだスタジャンを闘牛士のマントのように。あるいはサロメが、そして“玲瓏の翼”の女体化処置を受けた『九尾』が踊った“七つのヴェールの舞い”のように。

 驚くほどの柔軟性をみせ、身をかがめ、背を反らし、そしてまた足を夜空にまっすぐと伸ばして。

 その光景は、一種、非現実的な、あるいは何かの狂気めく光景を含んでいた。

 スーフィー教徒のように『美月』はヒールを鳴らして旋転をくりかえす。

 これもあの異形な店から教え伝えられた業か。

 その幻想的な踊りを見ているうちに、オレのなかで俺と、自分と、オレが渾然一体。まるでミキサーにでもかけられたようにゴッチャになってしまった、ような気味がある。

 

「あ……」

 

 『美月』がブリッジをからの倒立をしたとき、青年が思わず声をもらした。 

 オレもすぐさま気づいた。

 

 よく見れば……なんと。

 

 様々な姿勢を激しくとるうちに、折りたたまれた諭吉が“おまた”の間からコンニチワしているではないか。

 青年の眼が、さらにまん丸くなり、そこにくぎ付けになった。

 即興の踊りを繰り広げている『美月』も股間の違和感と彼の視線に気づいたのか、舞を打ち切ると息をきらして笑みを漏らし、

 

「さ――コレも返すわ!」

 

 彼女は“おまた”の万券を抜き出すと、青年に付き返した。

 

「アンタみたいなヒトからお金を巻き上げたンじゃ、【Le Lapin Rouge(紅いウサギ) 】で一番人気な『美月』(ミッキー)さんの名がすたるってモンよ……」

 

 え……と暖かい一万円札を持ったまま気圧される青年。

 そんな彼にズィ、と彼女はガンを飛ばし気味にして身を乗り出し、

 

「そしてその服のセンスのダサさ。どうせロクなもん食べずにパソコンとニラめっこなんでしょ?すこしは運動くらいしなさいよね!?ウチのお客さんは、みんなスポーツジム通ってるわよ!なさけない!!」

「あ……うん」

「それと!」

 

 と、彼女は(いろど)られた美しい眼を(いか)らせて青年の手にある諭吉を一瞥し、両腰に手を当てると、

 

「におい。嗅ぐんじゃないわよ……?」

 

 


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