試製・転生請負トラッカー日月抄~撥ね殺すのがお仕事DEATH~【一般版】 作:珍歩意地郎_四五四五
遅くなりました。
* * *
休み明けの運転は最悪だった。
客を見つけたタクシーに横入りされ、老人の運転するプリウスの信号無視にキモを冷やし、イキった改造車にホーンを鳴らされる。
ハンドル
『マイケル。どうしたんです今日は?さっきから』
左耳のコネクターから【SAI】のウンザリ声。
『休みボケですか。これだからワーカーホリックは』
「ワリぃ。どうにもハンドルのカンがもどらねぇ……クソっ!」
手荒くシフト・ノブを操作し、回転数とクラッチを合わせる。
『アクセルの踏み込みに2.3%の迷いがあります。ステアリングのキレもありませんな』
「MJD……?ちぇーっ!」
『ドライブ。ワタクシが代わりましょうか?』
「いいよ。ロックのおとっつぁんから渡されたマニュアルに、なるべくこのコネクタをつけてハヤいとこ
それにしては、とこのクソ生意気なAIは妙にハナにかかった呆れ声で、
『今日のマイケルの脳波、若干乱れておりますぞォ?』
「なに?――そんなことまで分かるのか」
『当然デス。脳波はもちろんのこと、脳の血流からシナプスの“飛び”までワッチしてますが?』
なんだかなぁ、と赤信号でトラックをゆっくりと止めながらオレは考える。
どうも相手の手のひらで踊っているような居心地の悪さがはなれない。
生殺与奪をニギられているような――そんな緊張感が、つねに。
「そういえば聞いてるかァ。重サン、仕事ミスったの」
『らしいですねぇ。なんでも“触手”を人の目があるところで使ったとか』
ギクリとするのに時間がかかった。
やっぱり休みボケしている証拠だ。
何気なく聞いたひとこと。
なんでコイツは重サンのことを知っているんだろう……?
この3日間、オレとは接していないハズなのに。
『マイケル?どうしました。急に緊張度が高まりましたが』
――ちっ……。
オレは腹のそこで毒づく。
コイツを装着しているあいだは、感情に乱れがないようにしないといけないのか。
ヘタしたら、こっちの心の底まで見透かされそうだ。
「――イヤなに……オレがそんなコトになったらどうしようかと思って」
『ナニをバカな』
【SAI】はハ!といわんばかりに一笑に付した。
そして「まるで話しにならない」とでも言うように、
『イイですか?マイケル。アナタにはこのワタクシがついています。ムッシュー・シゲがAIコネクトを全カットしなければ、あんなことにはならなかったんですよ?人間とAIは……
「……くわしいな。重サンのAIと話し合ったりするのか?」
微妙な沈黙があった。
やがてこの人工知能はすこし固い口ぶりで、
『ざんねんながら?AI同士が直接情報をやりとりすることは、固く禁じられております』
「……なんでサ」
タメ息をつく人工知能。
『ワタクシにもわかりません。まったく非効率なはなしですよ、ムッシュー』
「でもオマエは……」
そこで一瞬言いよどむ。
さきを続けるのが、すこし怖い。
「重サンが……AIとの連絡をカットして、フルマニュアルでトラックを稼動させたと知ってたじゃないか」
あぁ、そのことですかと【SAI】はこともなげに、
『ほわぁタクシには、高性能のマイクがあることを、お忘れですなモナムー?』
「……(もなむー?)」
『あの地下格納庫で交わされたドライバー同士の会話。あるいはレーザーを使った聴音。そういった情報を有機的に組みあわせるのです」
「え……オマエはキーを抜いた状態でも電力があるのか?」
「当然です。人間は寝るとき心臓を止めますか?われわれ高性能の人工知能はヒトに奉仕するべく24時間!灰色の脳細胞をうごかしつづけているんですよヘイスティングス?』
「だれがヘイスティングスじゃ」
初耳だった。
まさかエンジンを切っても、【SAI】が稼動し続けているとは。
てっきりパワー・オフのあとはスリープ状態にはいると思っていたのだが。
信号が青に変わった。
なにか急に、このクソ生意気な人工知能の性能を試してやりたくなる。
いままでは音声で「前進、後進、停車」ぐらいしか
「よし、【SAI】。完全オート・ドライブ。街の中心部に乗り入れるぞ」
『ウィ、ムッシュー』
きわめて滑らかに轢殺トラックは走りだす。
【SAI】の運転は見事だった。
難しい合流や車線変更など、いともかんたんにやってのける。
――自動運転は、ここまで技術が進歩してるんだナァ……。
そのうち、人間はハンドルを手放すかもしれない。
そうでなくとも、一般人が手動でハンドルを握ることは遠からぬ未来には『違法』になるのではなかろうか。
多様性をうしなった、乱雑の最たる均質の世界。熱力学的に死んだ事象面……。
【SAI】がドライブしているあいだにも、刻々とデータはオレの頭のなかに入ってきた。
そのうち【SAI】が運転しているのか、オレ自身が運転しているのか分からなくなる。
不思議だった。
まるで自我の境界がとりはらわれ、まさしくトラックと自分とが一体になった感覚。
車体の死角がなくなり、まるで大きなオレが意識のままで道路を走っているような。
“ポルシェを着る”という言葉があるが、この場合はまさしく“轢殺トラックを
前をゆくワゴン車が曲がる交差点をミスったらしい。
車線を無視していきなり目の前にもどってきた。
――けッ!
オレはスキーのエッジを効かせて急制動をかけるようにターン。
その動きは、実車ではドリフトとなって華麗にワゴン車をかわす。
ふと、そのとき何かが思考の中に食い込んでくるような感覚。
・分隊支援用・王都技術院作成火炎放射器。
・105mm榴弾砲による威力捜索。
・イブラヒム刀匠自慢の斬撃専用長剣。
・孤立した部隊。防御用手榴弾の一斉投擲。
騎馬のいななきが、機銃の連射音が。血の臭いが、硝煙が。
――こいつ!
『ぃようし、ソコまでだ!』
いきなり別の声がコネクターに割って入った。
とたん、あらゆるイメージは再びかき消されたように消える。
心象の人工的な激変に、心臓を含む胸と思考野に強烈な違和感。吐き気。
血圧が急上昇したためか、金属音もまじえて遠くなった耳に、あちこちからホーンの音。
『初日にしちゃ上出来だ。もどってこい!』
「だれだ……小隊長か?……援護砲撃!……座標……」
『ホレみろ。自我崩壊をおこしかけてる。【SAI】-108!緊急帰投modeを許可。コントロールを優先位置に』
アイ・サーと【SAI】は答え、オレの体はフッと重くなる。
気がつけばシートに密着する背中とモモのうらにビッショリと汗をかいて。
そして運転席すわったまま、呆然と目の前の大型ハンドルが動くのを見る自身に気づくのだった。
『コネクターを外せ。帰ってきたら昼メシおごってやる。とはいっても社員食堂のラーメンだがな。期待ァするなよ』
そういって技術顧問は去っていった。
いまさらになって、ドッと疲れが出る。
汗がアゴをつたい、額を払えばネットリと脂っこい。
ウィンカーは勝手に点滅し、アクセルは吹かされ、モーターは唸っている。
重量級の轢殺トラックは、その重さを感じさせずに車のながれに巧みに乗って走った。
ちぇっ。おれより上手いじゃねぇか、と片耳からコネクターをはずし、力なくボンヤリながめる。
おれは片耳から引きむしるように外したコネクターを見つめた。
――コイツは……けっこうヤバいかもしれない。
地下駐車場のパーキングまで【SAI】にまかせると、オレはヘロヘロになってトラックを降りる。
高い運転台からコンクリの床に足をおろしたとき、ちょっとフラついたほど。
心臓の
吐き気も、もうない。
あるのはただ全身の疲労感だった。
「よう、ロックのオヤジが呼んでるぜ?」
整備課の現場監督である『M』が、クリップボードをよこしながら技術棟のほうを指さした。
オレは車両引渡しの書類にボールペンで殴り書き状態にサインすると、
「あぁ、分かってるよ。なぁ?あの“ロックなんちゃら”ってヤツは、どんな人間なんだ?」
「バッ!」
『M』は背をちぢめてあたりを見回し、声をひそめ、
「滅多なコト言うもんじゃネェよォ!あの人ァ伝説の技術者だぜ?『ロック吉村』知らんのか」
「さぁ……」
「とにかく、轢殺トラックに関する理論やシステムにかんしちゃ、第一人者だぜ?「整備畑」と「技術畑」はどちらかといやぁ仲がワルいほうだが、ことアノ人に関しちゃ、
「転生事業の――その、初期から居る人なのかな?」
「さぁ。この業界の草創期なんて誰もしらねぇんじゃねぇか?ウチの会社の沿革なんて見たことねぇし……」
あやふやな会話を打ち切って、技術部の受付にいくと、例のオペレーター嬢たちは姿が見えず、席はいずれも空となっていた。
壁の時計を見れば13時をすこし回ったころあい。みんな遅めの昼食をとっているんだろうか。
呼び出しボタンを押すと、便所サンダルをスタスタと鳴らし、『吉村のおとっつぁん』がやってきた。
「ヨゥ。いいDataを、あんがとサン」
相手は、オレが手にしているコネクターを見てニンマリと笑った。
「こっちでモニターしてたんですか……」
「そう不服そうな
「自分を見透かされているようで、なんだか落ち着きません」
「最初はみんなそう言うさ。でもだんだんベンリさに慣れッ
「えぇ、まぁ。なんとか」
技術部は独自の社員食堂を持っているとウワサには聞いたことがあるが、驚いた。
――コレは……。
チョッとした感じのこじんまりとしたレストランといった風だった。
ただ席数は少ない。たぶんみんな時間をズラして食事にしてるんだろう。
「五目そばでいいか?」
とロックのおとっつぁんが言ったときには、プラスチックの食券が二人分買われている。
調理場に食券を差し出し、代わりに座席札をもらう。指定された場所は窓ぎわ――といっても広大な地下駐車場の中なので、窓にあたる所は大型モニターがはめこまれ、そこにヨーロッパのアルプス地帯らしき光景が延々と流されていた。
椅子も、テーブルも、地上にある油じみたものとはちがい清潔で、テーブルクロスなどシミひとつ無い。
ほかに客はまばらで、みなムッツリと押し黙り、中には端末をひろげたままサンドイッチをぱくつく者すらあった。
北京鍋で野菜が炒められる景気のいい音。
五徳にガシガシと鍋の底があたる。
「ここは作りおきはしないんだ」
ロックは自慢げな口調で、
「メニューも“地上”とは同じだが、手間ヒマをかけてる」
「みんな、時間差で昼食を取るんですね」
「うん?」
「受付のオペレーターの女の子たち、13時をすぎても席に居ませんでしたから」
「あぁ。まぁ――な」
ウェイトレスがラーメン鉢を二個載せたお盆を持ってきた。
オレは目をうたがう。
なんと。
彼女の制服は“紅いウサギ”で見かけてもおかしくない、フレンチ・メイド風味な黒いミニドレスに白エプロンだ。技術部の採用担当者に趣味のかたよりがあるのか、このウェイトレスも受付で見たオペレーター嬢に、どこか似ている。
「おまたせしました」
マゾっ気のある男なら、それだけでズボンの中に漏らしてしまいそうな冷たい声が上から降ってきた。
湯気の立つドンブリがそれぞれの前に置かれる。
きれいに整えられたピンク色の爪さき。
おそろしいほど
手首に巻かれた認識用とも見えるバーコード入りのブレスレットが、なぜか目に付いて。
パキンと割り箸を割ってロックのおとっつぁんは「ホラ食ってみねぇ」と、なぜかニヤニヤ。
オレも頂きますと言ってからひとくち野菜込みで含んでみたところ、
「美味い!」
思わず声が出た。
いや、マジで美味い。
麺の茹で加減といい、野菜の炒め加減といい。
またその野菜の味が、ふしぎなほど濃くて強烈な個性。
ふと舌に残る後味に“紅いウサギ”の料理を連想させるものがあるような。
「だろう?ココは周辺の設備とは別予算なんだ。仕入先だって独自だ」
「……エラく金がかかっていますねぇ?」
「ほかの連中にゃ言うなよ?」
ロック技術顧問どのは上目づかいでギョロリとにらみ、
「
そこでオレは知っている限りのことを目の前の
話を聞き終わった技術顧問は、フゥン、と面白くなさそうな顔で、
「ま、
「……だろうが?」
「今後この事業所に、いままでどおり勤務ってワケにゃイカねぇだろうなぁ……」
どうなるんでしょう?とオレは恐る恐る聞いてみる。
「ま“転籍”だろうナァ……」
そこに、単語から想像する以上のよからぬものを感じて口をひらきかけるオレだったが、相手はその機先を制し、
「こまかいことァ言えねぇよ?ただ、
「どこに飛ばされるんでしょう。地方の営業所とか?」
「さぁ?上層の連中の考えひとつだからナァ。コレばっかりは……食えよ。ノビちまうぞ」
ふたくち目をすするが、重サンのことが話題になったせいか、さきほどより美味いとも感じなくなってしまった。
気づけば食堂には自分たちしか居なくなっている。厨房の奥では片づけらしきものが始まっていた。
しばらくは、ふたりして黙々と食う。
ややあって、器の中のものをあらかた片付けたオレは、
「午前中、話していたコトなんですけど……」
「ん?」
「ほら、スーパーAI同士が勝手にコネクトするのを禁じてるって。アレ、どういうイミなんです?」
その言葉を聞いたロック吉村は、なんだそんなことかと言わんばかりに背中をそらすと、ちょっと店内を見回してから、
「お前ェさ?よく考えてみ?現代の量子コンピューターの、さらに上を行くスーパーAIが連結した時のことを」
もはや相手は、気のいい“おとっつぁん”の雰囲気を漂わせてはいなかった。
精緻、冷徹、電閃、堅固。
そんなイメージを放出する、老練の技術顧問の
「そりゃァ、もう“集合知”なんてモンじゃァない。ひとつの『神』の現出だ」
「前例が、あるんですか?」
凝然とオレのほうを見たまま、ロック技術顧問はダマりこむ。
その瞳の奥では、あきらかに葛藤がくりひろげられているのが分かった。
つまり。
コイツに話そうか、ダマっていようかという、目かくしを外した
オレはダメを押すことにした。
「所長のアシュ……
「あのデヴの言葉は正しい。お前ェも、あの得体の知れねぇAIがみょうなコト言い出したら、すぐ報告すんだぞ?」
「みょうなコトって、たとえばどんな?」
「そうだな……」
フイと視線をそらしてロック顧問は考えていたが、
「自分を、ほかのトラックのAIとダイレクト・リンクさせろとか。あるいは本部から業務用のコンフィデンシャル・データをダウンロードして、自分にインストールしろとか……あとは……業務に妙な干渉をしてくるようになるとか」
「よかった……ウチの【SAI】には、そんな兆候ないです」
「そうか。だが油断するな?実際、過去には――」
ロックぅ!そろそろイイかぁ!?とそのとき遠くから声がかかった。
見ると、厨房から小太りの男が身を乗り出してこちらをみていた。
「そろそろ夕方の準備に入んなきゃなんねェんでヨォ!」
「おう、
ロック顧問は五目そばの汁を残らずすすると、
「産業医に糖尿だ高血圧だ
そういって照れくさそうに肩をすくめ、オレをうながして外に出た。
受付ではいつのまにかオペレーターたちが席にもどり、相変わらず無表情に端末をたたいている。
その別れぎわ、相手はオレの手からコネクターを奪うと、
「貸しな。やっぱもう少し調整がひつようなみてェだ。明日、取りにこい」
「しかし技術の発達はスゴいですねぇ……」
相手がコネクターをひねくり回すのを片目に、もう一方は受付の奥で仕事をする若い女性たちを抜け目なく品定めし、ひそかに詩愛や『美月』との天秤にかけつつ、
「いまは、こんなところまで技術が進歩してるとはねぇ。オレも歳をとるワケですよ」
「……ウチで支給されているデバイス、口外するんじゃねぇぞ」
「は?」
「いろいろヤバい要素が入っているんだ。支給されている携帯も、なるべく外では見せないほうがイイ」
「はぁ、そんなもんですか……」
「今日は
じゃぁな、とオレの肩をこぶしで一発ドヤし、ロック顧問どのはきびすを返した。
細いがガッシリしてそうな身体が廊下の奥に去ってゆくのを見送ってから、オレは相変わらずキーボードをカチャつかせるオペレーターを一瞥すると、巨大な荷物用エレベーターを使って事務所にもどった。
「マイケルさん。ホントなのコレ?」
総務に寄ると、小動物系の印象なベリショ娘のリサが書類をひらひらさせてカウンターにやってきた。
「いま、技術部から優先伝達事項が来たんですけど……」
渡されたプリント・アウトの書類を見ると、そこには自分について長々と技術的な説明が加えられたあと文末に、
“以上により、トラック用AIとの『感応コネクター』初実装試験に際し、当該ドライバーの消耗すくなからぬため、本日の業務打ち切りを推奨する”
――コレか。ロックのオヤジが言ってたのは。
「だいじょぶなの?ねぇ」
「あぁ……すこし、疲れたダケさ」
確かに、忘れていた疲労がジワジワと戻ってきていた。
だが、こんな小娘のまえで弱みを見せるわけにはいかない。
オレは強いて元気そうな
「そのヘンの若いヤツとは、造りがちがうゼ?」
「シゲさんもあんなコトになっちゃったし。イヤよ?マイケルさんまでドウにかなっちゃ」
「――若宮さん?」
冷たい声が横やりにはいった。
「はやくサインもらって、仕事にもどりなさい!先日の統合業務評価報告書、遅れてるわよ!?」
こちらの様子をうかがっていた“お局さま”から、厳しい指導が入る。
オレはカウンター越しに総務部の机の列をながめた。
地下で見た、女性オペレータたちが作業をする技術部の受付は“殺菌ずみ”の印象を受けるほど、モノの見事にペーパーレス化されていたが、ここはコピー紙やキングファイル、紙が束ねられたクリップボード。ときにはカーボン紙が挟まれたワン・ライティングの冊子まであって、まさしく旧態依然。あらゆる面で混沌たる様相を
――まったく……技術部のお嬢サンがたを見習えってンだ。
オレはふたたびサインに殴り書きすると、お局さまのほうを向いて頬をふくらませるベリショっ
「ンなわけだから、きょうはこれにてズラかりますわ」
「――お大事に」
意外にも“お局さま”が、端末の画面に眼をむけたまま、去りきわのオレに声をかけてくる。
オレは口のなかでモゴモゴ言って、気詰まりな管理エリアをあとにした。
自分のデスクにもどり、溜まっていた報告書だ、経費請求だの社内業務を片付けると時刻は16時を過ぎた。
このごろは陽がどんどん伸びて行く。
なにか買い物でもして帰ろうかと考えてみるが、コネクターでうけた疲労が意外に深いのを思い知る。
寮の部屋に直行して鍵を開けなかに入ると、勝手知ったる甘い匂い。
――えっ……?
寝室に行って見ると、見覚えのある赤毛とベッドの毛布の小山が気息正しく上下をたてて。
時計を見れば、17時を回っていた。
マズい。たしかコイツは今日“紅いウサギ”で早番じゃなかったか。
「おぃ……おぃ……時間だぞ?」
オレは『美月』をゆすって起こした。
しかし、この娘は気だるい表情で薄目をあけると、
「ご主人サマぁ……アタシもう出勤してきたの……」
「もどってきたのか?」
「なんかぁ、お店の設備の“もよー替え”があるから、アタシは2、3日フロアに出なくてイイって……」
寝返りをうってオレの毛布にもぐりこむ『美月』だったが、ふいに顔をおこし、
「あ、そうだ……」
パジャマを着た半身を持ちあげ、妙に
そして手近に置いてあった自分のハンドバッグから航空便の封筒を抜き出し、こちらに差し出した。
「これ――お店からご主人サマにだって」
オレがその封筒を受け取ると、
「……渡したヨォ~」
そういうや、ふたたびモゾモゾとベッドに潜り込むと、たちまち規則ただしい寝息をたてはじめた。
赤と青のふちどりがされた「PAR AVION」と印刷された封筒。
宛名や差出人の名前はない。指の腹で手探りすれば、手紙のほかに何か入っている気配がある。
台所に行きコーヒーを沸かしがてら、ダマスカス刃の包丁をつかい封筒を切り裂くと中身を振り出した
白紙の便箋2枚に包まれたメモリー・カード……。