試製・転生請負トラッカー日月抄~撥ね殺すのがお仕事DEATH~【一般版】   作:珍歩意地郎_四五四五

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      〃      (4)

 結局、それからは市の図書館で本を読むフリをしつつ、閉館まで粘って店の監視をしていたんだ。

 ドレッドの奴は『BAR1918』に入ったっきり、まったく出てきゃしない。

 あの褐色女とベッドでよろしく姦ってやがるのか。

 それともやはり裏に勝手口があるのか。

 

 ――夕方。

 

 図書館の都合で17時の閉館をシオに追い出されてみれば、パラついていた雨が、とうとう本降りとなっている。

 しかたなくオレは駅に隣接するビルの2Fにある喫茶店に移動し、傘の花が眼下に行き交うのを眺めた。

 もちろんサングラスの下にコネクターを隠した左側の目は、『BAR1918』の表を監視しつづけている。

 

 待つこと以外、何もすることがないというのは奇妙な感じさ。

 

 営業マンのときは、自分の受注予算未達に、なにがしかの焦燥感があった。

 無職だったころは、減ってゆく口座残高に、なにがしかの焦燥感があった。

 しかし現在は給与も保証され、とりあえず監視をする以外やることがない。

 

 お義理でオーダーし、運ばれてきたアイスコーヒー。

 とっくに氷がとけ、見るからに水っぽく口を付ける気にもならない。

 

 右目では、大窓を雨粒が軽やかに叩き、流れてゆく。

 左目では、『BAR1918』の看板が雨に濡れていた。

 

 ふと、監視ポッドの視点を逆サイドにすれば、通りを挟んだ『ジーミの店』に灯が。

 ガブリエルの大柄な姿も、窓辺にチラッと見えたような。

 

 どことなく、やがて展開する荒事を予感させるアンニュイな夕暮れ。

 まるで嵐の前の静けさのような……。

 

 と、そこへ見覚えのある大型セダンが店の前をゆっくりと徐行。停止。

 後席とリア・ウィンドウをスモークにした“いかにも”な車体。

 監視ポッドを『スモーク透過MODE』にして中を見る。

 助手席にいる大柄な男とソフト・ハット。

 

 ――銭高だ……。

 

 あのゴロワーズ臭い猟犬。

 まだ律儀にガンバっているらしい。

 暗い過去があるとはいえ、その執念ぶかさは驚くほどだ

 “紅いウサギ”に潜入捜査として入店した『サッチー』はどうなったんだか。

 

 

 やがて、今日は遅番なハズの『美月』が“ボイトレ”のため早めにバイトへ出たであろう頃合いを見計らい、ようやくオレはアイスコーヒーに手をつけないまま腰をあげ、夕方の雑踏に揉まれながら独り、寮に帰る。

 

 錆びかけたシリンダー錠を回し、ドアを引き開ける。

 ほんのり彼女の匂いが残る、みょうに艶めいた部屋。

 さらに加えて、どこか甘いような気配が漂っている。

 

 部屋を見回せば、テーブルの上にパンケーキが載った皿が置かれていた。

 わきのメモ書きにピンク色の文字で、

 

 『いっしょーけんめー作ってみました――()()()だと思って美味しく食べてネ♪』

 

 ハートマークが乱舞する文面。

 織部(おりべ)の平皿の上には、彼女の手製と見えるパンケーキが。

 いっちょうまえに粉砂糖とバナナの輪切りまで添えられて。

 バターとハチミツが混ざったソースらしき小鉢も置かれている。

 

 ――甘い匂いの正体はこれか……。

 

 時節がら、手洗い・うがいをした念入りにしたあと、末尾の一文に(やwかwまwしwいw)とニヤつきつつ、立ったまま皿の上から一口ほおばる。

 この平皿も江戸後期につくられ、ボーナスをはたいて買った秘蔵の逸品なんだが、本人は知らずに使ったらしい。

 小癪なことに、パンケーキとの風合いもマッチして、悪くない。

 

 作ってから、そんなに時間は経ってないらしかった。

 まだ(ほの)かに暖かい、ふわトロのリコッタ・チーズが口の中にひろがり、まるで本当に『美月』の“おまた”をク○ニしているような……などと下品な妄想が混じるのは、疲れている証拠にちがいない。

 いや、今日は肉体的には疲れていないはず。

 だとすれば、このどうしようもない人生にとうとう()んだか。

 うん――なかなか美味い。

 

 ふたくち目をハチミツとバターのソースに漬けてからモグモグしつつ、淫靡な印象を祓うために冷蔵庫からビール。

 よく冷えたアルコールが()()()()を貫き、頭をスッキリさせる。

 

 ――さぁて。どうするか……。

 

 くちの中の甘さと頭の中のピンクな妄想を炭酸の刺激で洗いながし、今やすっかり自分のベッドとなった長ソファーにあぐらを組んで考えた。

 何はともあれ、転生代行ドライバー唯一の武器である轢殺トラックが無いことには、どうしようもない。

 目標を見つけても、手も足もでない歯がゆさ。もどかしさ。

 (武器が必要だ……)と考えたとき、情報屋の青年が話題にした闇サイトを思い出す。

 

 『拳銃って、例のサイトで手に入るモノなのか?』

 

 こう携帯に打ち込んで、ハタと思いとどまった。

 最近はどんな検閲やフィルターがあるかも分からない。

 直球な表現は危険だ。なにか秘匿性の高いフリー・ソフトでも使うしかないか。

 壁の時計をみれば、すでに時刻は夕方から夜に移るころあいとなっている。

 夜型のゲーマ野郎が、ベッドから起きだしていればいいが……。

 

『前略。SNSソフトの*****って、使ってるか?』

 

 送信。

 と、跳ね返るようにユーザー・ネームだけが帰ってくる。

 どうやら、このネームで検索しろという意味らしかった。

 とりあえず携帯に、くだんのSNSソフトをインストール。

 アカウントをとり、検索画面上でヤツのユーザー・ネームをサーチ。

 秘匿モードにすると、すぐに青年本人とコンタクトすることができた。

 こういうところは、ホント時代だねぇ。をぢさん……じゃない“後期青年”はツいてけない。

 

【調べ物、ありがとう。恩にきる。ほかに新しいネタは――ないよな?】 

【なんです?こんなソフト使うなんて。またヤバい取引じゃないでしょうね】

【キミの例のサイト、武器も扱ってるのか?】 

【ほらキタ。ヤバい取引だ。モノは何です?】

 

【拳銃】

 

 まるで携帯の画面がフリーズしたのような沈黙。

 ややあってから、

 

【……最近は値崩れしてるとはいえ、高価(たか)いらしいですよ?】

【いくらだ】

 

 青年は金額を言った。

 

 その値段にオレは絶句する。

 ハァ?なんだソレ。

 しかも一番廉いパチ物の回転式拳銃(リボルバー)でその値段だという。

 新式の自動拳銃(オートマティック)になると、その数倍に跳ね上がるとか。

 

【ナニを計画してるのかは聞きませんが、ヤメた方がイイですねぇ】

【……一応、アイミツをとった価格表を暗号圧縮で送ってくれ】

【あんみつ?】

【あんみつ違う“合い見積り”のことだ。ようは価格の比較】

【この分野、ボク詳しくないんで。どうしてもと言うならソッチの方面に詳しい知り合いに任せますけど……】

【分かった、分かった。金額を言ってくれれば振り込むよ――ときにドウだ?】

 

 オレは何気なく、いかにも気安い調子で、

 

【最近も、ちゃんと職探ししてるか?】

 

 若干の空白があった。

 やがて、ウソをついても仕方ないと覚悟を決めたのか、

 

【すいません。このごろは……ぜんぜん】

【まぁ、イイってコトよ。こんどいっしょにメシでも食おうぜ】

【なんか……もうそんな気分じゃないって言うか……】

【『美月』も来るんだが――】

【行きます!!】 

 

 ――こいつめ……。

 

 このゲンキンさ。

 まぁいい。それだけ元気があれば結構なコトだ。

 

【――また連絡するから、頼んだ件はヨロシク】

 

 それだけ伝えてログアウトする。

 

 拳銃を装備する線は消えた。

 まぁ、最初から荒唐無稽とは分かっていたが。

 残った『美月』謹製のパンケーキを食べ、二本目のビールに移る。

 

 不思議なことに、酔いが回ってきた。

 たかが500缶の二本程度で?とオレは驚く。

 どうやら本当に疲れているらしい。目の前が細かくフレて。

 そして、部屋全体に黒い霧のようなものがしのびより、空間を犯してゆく。

 

 

 頭の中がスパーク。

 フラッシュ・バック?

 

 異世界での戦乱のイメージ。

 アフリカらしき戦場のイメージ。

 目標(ターゲット)を処分する轢殺トラックのイメージ。

 

 それらが混然一体となり、オレのなかの“俺”と、もうひとりの“オレ”の三人がそれぞれイメージを披露し、入り乱れ、相克し合い、考えがまとまらない。

 

「やぁ――しばらくだネェ」

 

 どこかで聞いたような声がした。

 

「……だれだ」

 

 部屋をめぐる黒い霧が次第に集束してゆき――やがて黒ネコの形をとった。

 ソファーに座るオレの目の前で前足をペロペロと舐め、顔を洗っている。

 

「オマエは。あのときの……」

「キミがお守りを手放してくれたおかげで、ようやく会えたよ」

「お守りを?ウソだ。こっちがお守りをもっているときでも、オマエは現れたじゃないか」

「しばらくキミが持っているうちに、こちらの“支配存在”との“縁”(えにし)が生まれ、ちからが強まったのサ。なんたって咒法(じゅほう)を打ち(こぼ)つのに、ヨソの権力(チカラ)を借りたぐらいなんだから……」

 

 ――お守りが焦げたのは、そのせいか……。

 

 これは早急にあの縁結び神社に行き、お守りをもらい直さねばと考えると、

 

「ヤレヤレ。つめたいネェ……でもムダだよ」

 

 金色の瞳が(……ニイッ)と細められた。

 いきなり相手が数倍もでかくなり、まるで多いかぶさるばかりの迫力をみせる。

 

「お守りは、手に入らない。だってこちらがそういう風に手配したもの」

「手配だって?」

「そうさ。神社の授与所、閉まっていたよね?アレぐらいはカンタンさ」

「……オマエはいったい何だ?どうしてコッチの足を引っ張る?なんでオレに関わる?」

「足を引っ張る、だってェ?」

 

 黒ネコはいかにも心外だと言う風に、直立したまま生意気にも両前足を(ハァッ……)と左右に広げて肩をすくめ、

 

「いちおう、この世界の“バランス役”になっているつもりなんだケドねぇ?」

「バランス役って何だ」

「キミは忘れちゃたかなぁ?因果から来る絶対値。前にも言ったハズだよ?ものごとは、何にせよ収支がプラマイ0でなければならないんだ。まぁ言ってみれば平均律さ」

 

 わすれていた。

 そういえばコイツはゲッティンゲンで哲学を、ソルボンヌで神学を修めたとか言ってたっけ……。

 

 シッポを見る。

 

 やはり。

 二本の尾が揺れて。

 いったい何歳のネコなんだろう。

 

「ボクの歳だって?――そんなのはどうでもイイことだよ」

 

 ハ、とコイツは鼻で嗤うような素振りで

 

「ボクたちが望むのは、世界たちの“調和”そのものだからね。だから相互律、という観点から言って、些細なこともゆるがせには出来ない。キミが気にかけている詩愛という女性が暴行されたのも、この世の必然たる(ことわり)なのさ」

 

 ()ッ!とオレの中で怒りが(はし)った。

 思わずソファーから立ち上がり、この糞ネコを捕まえようとする。

 しかし――身体はピクリとも動かなかった。

 

「ヤレヤレ。そんなに怒らないでよ。ボクはキミたちの知らないトコロでさんざん努力してるんだけどネェ……感謝されこそすれ、恨まれる筋合いはナイよ」

 

 ――努力だと?いったいどんな努力を……。

 

「キミたちに言っても、おそらくは理解出来ないんじゃないかな?」

 

 そのとき、暖かくやわらかいモノが重く身体を包んだ。

 ふにふに、クニクニとした感触。

 首のあたりがくすぐったい。

 

 やがて顔のあたりにプヨプヨとしたものが押しつけられ、くちびるにグミのような、そしてそれよりずいぶんと固めの金属めいたモノも、同時にあたる。

 

「オマエをどう判断すればいいのか、分からんな……」

 

 オレは黒ネコに向かいつぶやいた。

 

「なんだか恐ろしいモノのような気がする」

 

 ふふっ、と黒ネコが片前足を口に当て、目をほそめ、

 

「そうかも知れない。あるいはそうでないかも知れない」

「じゃぁ……オレは沈黙するしかないワケか」※

「そうかも知れない。あるいはそうでないかも知れない」

「やれやれ、完全な袋小路だな」

「そうかも知れない。あるいはそうでないかも知れない……ところで……」

「ところで?」

「○ゅ~るは持ってないかぃ?」

「……」

 

 首もとの生温かい気配が強くなってきた。

 なんとなく蒸れた生臭さ。それでいてイイ匂い。

 シャンパンの、葉巻の、化粧とドレスの(キラ)めきの気配。

 

 ソファーに座ったまま、オレは周りを見回す。

 ……なにもない。普段通りの部屋だ。

 黒ネコは前足をキチンと行儀よくそろえ(ニィッ)とまたも目を細めて。

 

「キミには期待してるんだよ?この外乱を集束してくれると信じてるからね」

「ご主人サマぁ……」

 

 急に別な声が割りこんできた。

 シャンプーの香りが、濃くただよって。

 

「ヤレヤレ、こちらの“支配存在”も強引だねぇ?またジャマをするなんて……まぁ仕方ないか」

 

 耳もとで、熱い吐息。

 なにか艶めかしい、イイ匂いが鼻腔をくすぐる。

 モゾモゾと、重いモノがさらにのしかかり汗ばんだ気配をつたえてきた。

 

「それじゃぁ、よろしく頼んだよ?キミだけが頼りなんだからね」

「おい、チョッと待て!一体ナニが――」

 

 

 ハッと目を覚ました。

 

 

 正面に天井の灯り。

 目が、急な明るさに痛む。

 なんだか目の前に星が舞うような。

 改めて見れば、オレはいつの間にか長ソファーに横になっているのだった。

 

 ――ケド……なんだこの重さは。

 

 不自由な身体で下を見れば、なんと。

 シャツの胸をはだけ、ブラを外した『美月』のヤツが上からのしかかり、軽い寝息をたてている。

 唇に感じた、グミのなかの固い感触。あれはきっと『美月』の……。

  

 ――黒ネコは?

 

 身動きが満足に取れぬなか、目の動きだけで黒ネコのいた場所をにらむ。

 もちろん、そんなものは居ない。

 棄てようと思っていたピザ屋のチラシが一枚、床におちてるだけ。

 

「ご主人サマぁ……」

 

 まるで甘えるように、寝ぼけながらも身をすり寄せる『美月』。

 銀色の乳首ピアスを穿たれたシミひとつない白い双丘が、オレの胸に押しあてられる。

 ついで(あぁん……もっとぉ)と呟きながら、この少女はオレの下半身に手を伸ばし、大事なところをフヨフヨまさぐった。

 

 ――あっ……コラッ!! 

 

 あわてて身をよけるが、相手の小さな手はしつこかった。さては。

 

「おまえ~~。さては起きてるだろ?」

「えへへ……」

 

 小悪魔めいた『美月』の含み笑い。

 だらしない姿のまま抱きついてきた。

 

「アタシの作ったパンケーキ……美味しかった?」

「あぁ。上手に作れてたよ?」

「お口のご奉仕も、じょーずになったンだけどナァ♪」

 

 彼女はプックリとふくれた口唇をオレの首にあてる。

 

「こら――離れなさいって……」

 

 ムクッ、と少女の顔が目の前に持ち上がる。

 おっ、とオレは驚く。その雰囲気が『美月』ではなかった。

 メス奴隷の染色化粧もうすれ、いつのまにか“美香子”の顔になっている。

 ふくらまされた口唇も、すっかり馴染んで「タラコくちびる」よりすこし目立つ程度。

 

「……そんなにお姉ちゃんがイイの?」

「あぁ?」

「アタシじゃ……ダメなの?」

 

 ――ふふっ。

 

 いつの間にか、彼女は女子高生の必死な素振りでこちらを見つめている。

 何だかんだ言っても、やはりまだ十代後半の少女だ。

 欲しいモノをねだる子どもと大差ない……。

 

 だが次の瞬間。

 

 背中がゾワッとする。

 なぜなら彼女の瞳の奥に、なにか狡猾な光がキラリと灯ったような気がしたからだ。

 

「ネェ、ご主人サマぁ」

「……んぅ?」

「……お姉ぇちゃんは、強姦されて“中古”だぉ?」

「……」

「アタシは、お道具を挿入(いれ)られたコトがあるだけで“殿方”の経験ないモン」

「お道具だって?」

「まえに拉致られたときもムリヤリ“突っこまれ”ちゃったケド、アタシ女子校でしょ?」

「うn」

「だから、ペニバン持っているお姉ェさまたちから。よってたかって……」

 

 絶句。

 

 女子校は、一部が“百合の園”だときくが、まさか彼女の通っていたお嬢様学校もそうなのか?

 いや、そもそも「ペニバン」ってなんだ?ピップエレキ○ンみたいなモンか?

 制汗剤の8×3容器を、イジメ目標である下級生のアソコに挿入(いれ)るというハナシは聞いたコトがあるが……。

 

「ネェ、ご主人サマ」

「……」

「わざわざアタシと結婚なんて、しなくてイイのよ?」

「……」

「一度目で、もう疲れちゃったでしょ?」

「……」

「だから“愛人”として飼ってくれれば、ソレでいーの」

 

 ――チッ、聞いたようなセリフを。

 

 オレは苦々しく少女の言葉を耳にする。

 いや……ひょっとして。

 あるいは、そんな口説き落としのテクニックを“あの店”(紅いウサギ)の古株な()ギツネ……もとい女ウサギに、教え込まれたのかもしれない。

 

 潮時だ、とオレは覚悟をきめた。

 

 考えてみれば、アカの他人の中ねn……いや、()()()()が、恋に恋するJKと一つ屋根の下なコトが「ニア事案」であるわけで。

 通報一発、手が後ろに回るこの剣呑な状況を、考えてみればもっと早く修正すべきだった。

 

 オレは『美香子』を“装う”『美月』をやんわりと押しのけ、ソファーから立ち上がる。

 そんなこちらの視線に、相手は何か普通でないものを感じたらしい。

 いままで(ほうけ)け顔をしていた彼女の表情に、不安めいた色がチラリ、はしった。

 

「明日か、明後日。キミの家にいくぞ。オヤジさんに、アポをとる」

「アタシんちに?なんで?」

「もう、この生活も終わりにしよう。キミは“あの店”のアルバイトを辞め、高校生活にもどる」

「ヤ!そんなの」

 

 『美月』は気色ばんだ。

 

「もう家にもどりたくない!」

「世間のキマリでは、そうはいかないんだ。本来ならご両親の(ゆる)しも得ずに、キミとこうして暮らしているのもマズいんだぞ?」

「だって。アタシといっしょだと、家の中がクラくなるんだもん」

 

 ふてくされ、横顔をむける相手。

 それは、たしかにオレが出合ったころの『美香子』だった。

 何かに焦れて、行く先の無い衝動に苦しんで、自分をもてあますしかないハイティーンの少女だ。

 

「それは――キミの生活態度に問題があったんだろう」

「アタシが悪いっってぇの!?」

「もちろん、キミだけじゃない、お父さんもサ。キミを理解しようとする努力を怠った」

 

 『美香子』は立ち上がり、乳首ピアスされた胸をフロント・ホックのブラに隠し、気のない手つきでブラウスの前ボタンをかけた。

 

「……もういい。明日からお店の寮に泊まる」

「それでどうする?あの店に、ずっと勤めるとでも言うのか」

「家にいるよりマシだもん」

「今はいいよ、いまは」

 

 このアホが、という目でオレは彼女をにらみつけ、

 

「女子高生というだけでチヤホヤされる今はいい。ただ、年を取ったらどうする!?」

「え……」

「昼夜逆転の荒れた生活をしてれば、肌も一発でボロボロに老ける。容姿が衰えたら、ダレも見向きもせんぞ?」

「……」

「学歴もない。手に職もない。容姿も衰えた女が、どうやって生きていく?」

 

 オレは自分の言葉の効果を見るために一息つく。

 しかし相手の顔からは、かたくなとも見える気配しか伝わってこない。

 

「歳を経るにつれ、だんだんと店のグレードを落とし、ついには風俗で男のチンポをしゃぶるようになる。だがそれも限界ってモンがあるのさ。そうなったら悲惨だぞ?そしてそう言う女を、オレは何人も見てきた。チンポどころか「華やかだった自分の過去」をいつまでもしゃぶって、周囲からウザがられ、陰で笑われる哀れな女をな!」

「……そのまえに、いいダンナ様を見つけるモン」

「アホか。よく聞け?いいダンナというのは、だなァ」

 

 フフンとオレは鼻で嗤いながら、

 

()()()()()()ということだ。そしてそういう男は、遊び相手としてはオマエを珍重するかもしれんが、結婚相手としては絶対に看ない」

 

 すくなからず茫然とした表情(かお)で、美香子はノロノロと身なりを整えた。

 そしてベッドルームに行き、なにやらゴソゴソと用意する気配。

 やがて見慣れない大きなトート・バッグを引きずってくる。

 それを横目にした()()()は断固とした口調で、

 

「あの店にもどるのは、キミの勝手だ。しかし一度ご自宅にキミを連れかえって、お父上にコチラから直談判する」

「……高校に戻るように、って?」

「ちがう。キミに関する扱いのひどさに、文句を言ってやるのだ」

 

 そう言ったはしから、自分の中で(イヤだなぁ……モウ)という思いがふくれあがるが、営業マン時代につちかったポーカーフェイスで押し隠す。

 次いで、この思慮の足らないアーパー娘を睨みつけ、

 

「しかるのちに!一度わたしの手をはなれ、自宅にもどって高校生になったうえで、母校を退学して店に戻るなり、男の“精液便所”に堕ちるなりすればいい。ただ、わたしの庇護下にある限り、キミを危険な目に遭わせたり、倫理にもとるふるまいをさせるワケには絶対に不可(いか)ん!――いいか?絶対にだ!!」

 

 自分のなかで、部下の特殊騎士団員に叱責を食らわしたときのイメージが甦る。

 あのときは何だったか。たしか複合作戦のタイミングをミスった分隊が出たときだったような……。

 

「年長者の責任として!なにより“鷺ノ内美香子”というひとりの()()()の幸せをねがう大人として!」

「……」

「わたしは、この命令にキミを従わせる義務があるし、また従ってもらうよう努力せざるをえない!」

 

 『美香子』のふくれ顔がすこしおさまり、顔には幾ばくかの笑みが。

 

「ホントに……アタシのコトを想ってくれる?」

「もちろんだ!」

「アタシって美少女なの?」

「う……もちろんだ」

 

 ならイイや、と彼女はあっけらかんとショルダーバッグを放りだした。

 

「なんだかんだいって、やっぱりご主人サマはご主人サマなんだね」

 

 そう言うや泣き笑いのような表情をうかべ、こちらに抱きついた。

 スリスリと、自分の身体をすりつける仕草。

 

 だが――結果的に言えば、これが大きな誤算だった。

 

 思えばモノゴトは、ここから何かヘンな風にコロがりはじめたんだ……。 

 

 




※ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』
「Wovon man nicht sprechen kann, darüber muss man schweigen.」
(語りえないことについては、沈黙するほかない)

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