「AMG112、高度500を維持せよ」
『高度500を維持、AMG112』
エンジンシティの普段は使われないからか埃っぽい建物の中で男の声が響く。
午前中の便は今担当しているものが最後で、他の管制官達はそれぞれ担当する場所でティーブレイクをしている。
ここはジムチャレンジ中やリーグ中にのみ運用される臨時管制タワーで、一緒に居るメンバーも他の空港からの出向組だ。
この期間は普段よりも遥かに多くの人々が行き交うため、普段は航空管制の必要の無いアーマーガア便の航空管制を、ガラル交通が依頼してくるのだ。
今日のイベントはジムチャレンジ開会式で、今担当している最後の便を終えた後この臨時管制塔のメンバーで、運良くスタジアムのチケットを入手出来た組はスタジアムへ、出来なかった組は近くのパブで酒を飲みながら中継を見る予定だ。
そんな最後の便を現在担当している男は、残念ながらチケットを入手出来ず、悔しさを紛らわすために、パブに入って最初に頼む酒を一気飲みする事を決めている。
『エンジンタワー!こちらAMG112!』
そんな男のヘッドホンにパイロットの切羽詰まった声が聞こえてきた。急な出来事に男の鼓動が速くなる。管制官にとって聞きたくない類の声色だからだ。周りの管制官達も男の雰囲気が変わった事に気付き、部屋の中に緊張感が漂う。
緊急事態宣言の類ではないため、もしかしたら違うのかもしれないが、最悪の事態を想定して通信に望む。
「AMG112、どうされました?」
努めて冷静に返答をする。そして次に出てくる言葉の一言一句を逃さないよう集中する。
『ワイルドエリア、ハノシマ原っぱ上空を飛行中!真下にリザードンを連れたチャンピオンがナックルシティに向かって歩いているのを発見した!多分何時もの迷子だ!籠に乗せて連れて行くためにここで一旦着陸したい!』
「よく聞こえませんでした、もう一度どうぞ」
二重の意味で予想外な発言につい聞き返してしまう。
はじめに何か緊急事態でもあったのかと見構えたが、予想以上に平和な事態であった事。
そしてもう一つは何故そこに居る、という事だ。
通年通りであればチャンピオンも開会式に参加するはずなのでエンジンシティに居る、または向かって無ければおかしい。
時間的に見ても、ナックルシティに徒歩で向かい、着いた後に電車でエンジンシティに向かっても恐らく間に合わない。
とするとガラルで有名な彼の癖が出て来てしまったと言う、AMG112便のパイロットの推測は正しいのだろう。
『チャンピオンがナックルシティに向かって歩いてる!籠に乗せてエンジンシティに向かいたい!着陸の許可を!早くしないと見失っちまう!』
「分かりました、AMG112、その場の着陸を許可する」
『その場の着陸を許可、AMG112』
「AMG112、離陸時の無線は118.10」
『離陸時の無線は118.10、AMG112』
指示を出した事で張っていた緊張が解け、椅子の背もたれに寄りかかる。
周りのメンバーにも軽く手を振って問題無い事も伝え、しばらくするとAMG112はレーダーから消失した。
全くあのチャンピオンの迷子癖は有名だが、まさか自分が関わる事になるとは男は思わなかった。と言うより反対側に歩き始めるチャンピオンには世界がどう映っているのか気になる所だ。
そういえば、とチャンピオン繋がりで浮かんだある噂を思い出す。
その噂とは"チャンピオンが推薦したトレーナーが今回ジムチャレンジする"というものだ。
少し前からリーグのコアなファン達の間で広がっている噂だ。もしも噂が本当だとするなら、あの無敗のチャンピオンが推薦したトレーナーだ、弱いわけがない。そうなるとジムチャレンジの試合の内容にも期待が持てる。
開会式前は情報が公開されてないので、開会式後にはその噂の真偽が分かる。
但しあくまで噂だ。もしかしたら間違っているかもしれない。
以前、確度の高い情報として、スパイクタウンのジムリーダーのネズの親類がジムチャレンジをする、という情報が回って来たが、その情報が回ってきた年のネズの推薦を受けたトレーナーは、スパイクタウンに縁はあるものの、ネズの親類では無かった。
ネズはインタビューなどで妹の話題を取り上げる事が有り、一部のファンがその発言を曲解して情報を発信したのだろう。
さて、あと少しこの業務を遂行したら騒がしく雑多で、人で歩くスペースが無いくらい狭くなったパブの、音の大きすぎるテレビで噂の顛末を見るのだと考えていると、無線の通信が来たのか左後ろにいる同僚が椅子に座り直した。
『………………』
「AMG112、エンジンタワー、離陸を許可する」
『………………』
「AMG112、そちらをレーダーで捉えた」
「AMG112、高度500まで上昇せよ」
『………………』
「AMG112、クロフト地点に直行し、飛行計画通りの飛行を再開せよ」
『………………』
「AMG112、以降は経路指示に従え、無線は126.35」
『………………』
通信を終えた同僚が俺にサムズアップをした。
どうやらパイロットは無事にチャンピオンを乗せることに成功したようだ。
『エンジンタワー、こちらAMG112、クロフト地点、高度500で待機中、エンジンシティまでの経路指示が欲しい』
「AMG112、速度60で経路P6を使用しろ」
『速度60で経路P6を使用、AMG112』
この通信の後、AMG112便とそれに乗っていたチャンピオンは無事エンジンシティに到着した。
後にこの出来事がリーグ関係者に伝わり、AMG112便のパイロットと担当した航空管制官はポケモンリーグから感謝状が贈られる事となる。
最後の便を送り届けた後、男とその同僚達は出向する度に行っている行きつけのパブに向かって歩いていた。すると隣の同僚がつい抑えられなかったとばかりに大きな独り言を呟く。
「いやー、こんな時間から飲む酒も楽しみだけど、いよいよチャレンジャー達の情報が公開されるのも楽しみだ!」
既に多くの人達は視聴するための準備を始めているのか、いつもよりも遥かに人通りの少ない道で同僚の声はよく響いた。
ジムチャレンジの開会式は今季のリーグの始まりを飾る式典でもある。
なのでガラル中が噴火前の火山のような、エネルギーを溜め込んでいる異様な雰囲気になる。
そんな火山の噴火に合わせて多くの企業や店が休みになる。そんな中でもパブが開いているのは、店主も一緒に楽しみたいからだろう。
小さいビルの横にある、地下へと続く入り口に着く。
人ひとりがギリギリ通れる狭い階段を降り、木製のドアを軋ませた音を鳴らしながら開けると、多くの人が既に酒を片手に楽しんでいた。
もう何人かは既に出来上がっているみたいで、肩を組みながら大笑いしている。
まず店主の居るカウンターに向かい、酒とツマミを頼む。
「アップリューエールのシャンディ・ガフを一つと、チップスを一つ」
料金を提示され、提示された金額を払う。
「俺はアップリューエール一つ」
「わたしは……」
後続が次々と頼んでいき、男の頼んだものが目の前に置かれると、酒の入ったグラスとフライドポテトの入った紙コップを受け取り、そのまま少しスペースのある所に歩いてく。
大抵のテーブルやカウンターなどは取られており、立ちながら飲食をする必要があるようだ。
全員が飲み物や食べ物を受け取ると、タイミング良くテレビのライブ中継が始まりリーグ委員長のローズ、そしてチャンピオンのダンデが挨拶を始める。
無事開会式にも間に合ったようで、密かに男はほっとする。
そして挨拶が終わると、カメラがバトル会場の入り口にフォーカスされ、パブの中の熱狂も高まってきた。
……そしてリーグ開幕の狼煙を上げるトレーナー達が、スタジアムのスポットライトを浴びながら出て来た。