「ぎ、ギリギリセーフ……」
フゥーン……
イオニアホテル西館でチェックアウト時刻ギリギリにカウンターに駆け込んだ後、ロビーに有るソファーで息を整えながらそうつぶやいた。隣にいるラティアスも安心したのか、片手で胸の辺りを押さえてホッとしている。
今俺はキルクスタウンに来ているが、その目的はジムチャレンジ観戦と観光だ。特別な目的が無い限り、俺がこの町を訪れる機会はほぼ無い。
ターフタウンとキルクスタウンは地理的に離れている事に加えて、両方とも電車が通っていないので、気軽に行く事が出来ない。なのでアーマーガア便を使って行くことになるのだが、このアーマーガア便、そらとぶタクシーの名の通り、使う感覚はよく知るタクシーと同じだ。
つまり何が言いたいかというと、そこそこお値段が張る。
ジムチャレンジャー達はポンポンと気軽に使っているが、それが出来るのはリーグがスポンサーとなって費用を気にしなくて良い事と、そらとぶタクシー利用の優先権を持っているからである。
リーグのシーズン中はそらとぶタクシーの利用客が増加するので、優先権もさりげなく重要な部分だ。
そして金額についてだが、オフシーズンでもそこそこの値が張るのに、シーズン中ということもあり運賃が通常よりも割高になっている。
そんな割高な時期にアーマーガア便を使ってまで来た理由は、そのアーマーガア便のチケットを割安で漢方薬屋さんから譲ってもらえたからだ。
漢方薬屋さんはキルクスタウン周辺の気候に分布している『ふっかつそう』を目当てにチケットを予約していたらしいが、行く前により良い状態の『ふっかつそう』の群生地をワイルドエリアで発見したらしく、行く意味が無くなったので、チケットの使い道に困っていたらしい。
そこにチュリネの葉を納品しに来た俺がやって来て、余ったチケットの話をした所、俺が予約時の値段で買い取る事になったと言う訳だ。
話をされた当時は、既に推しのチャレンジャー達がアラベスクタウンに着いている、又は突破しているのを知っていたので、観光ついでに運が良ければ遭遇出来ると考えていた。また、もしかしたらスタジアムでジムチャレンジを観戦できるかもしれないとも考えていた。
そして運が良い時は連続して良い事が起きるようで、何とジムチャレンジの日が俺の行く日と重なっただけじゃ無く、スタジアムのチケットも取れてしまったのだ。
キルクスタウンの辺りになると、チャレンジャーの数も減り、以前のジムなどの戦いの放送からファンが増えている時期であり、超人気のユウリちゃんのチケットなど取れないだろうとダメ元で抽選に応募したのだが、取れてしまった。
推しの4人……いやもう3人か。ホップ、マリィ、ユウリの三人は、様々なジムチャレンジが放送された事でその人気は増え続けている。
もう一人のビートくんはジムチャレンジ権を剥奪されている事を、ジムチャレンジ観戦のチケットを購入する時に、リーグのホームページで確認出来た。
最近のニュースは連日ラテラルタウンの石像の発見のニュースばかり流れていたので察しては居たが、壁画を壊した人の名前が一切出なかったので、実際に剥奪のページを確認するまでもしかしたら別の人がやったのでは、と考えていたが、彼はしっかりとやらかしていたらしい。
ただ、ニュースに一切名が出ていない事からローズ委員長の優しさが垣間見えた気がする。
「ふぅ、落ち着いたしそろそろ行く?」
フゥウーン
しばらく座っていると、走って上がっていた息も戻っていたのでラティアスにそう聞く。ラティアスの方も問題無さそうだったのでテーブルに置いたリュックを背負い、ホテルの人に見送られながらホテルを出た。
街全体に温泉が張り巡らされているからか、外はそれほど寒くない。だが風が吹くと、耳に刺すような寒さを感じる事ができ、ここがガラルの寒冷地である事を思い出させる。
細い路地の階段を下りて、むき出しの温泉の近くに着く。隣にいるラティアスは温泉の流れが気になるのか、湯気で暖を取りつつ流れる温泉を見ている。
温泉の近くにある段差の上の少し降り積もった雪を払い、座ってラティアスの様子を眺める。
この子は川などの流れている水の側にいる事が好きだ。ターフタウンの農場の近くに流れる川によくドヒドイデと一緒に居ることが多い。
実際にゲットした瞬間は、液晶の向こう側の存在だったので詳しくは分からないが、確か大きな滝があった場所で捕まえた筈だ。
アルトマーレに居る個体も考えると、種族的に水の豊富な場所が好みなんだろう。
シャラシャラ〜
「ん?」
近くから何か鳴き声が聞こえてきて、音の出処の方に向くと、ユキハミが通路の反対側で雪だるまとにらめっこしている様子が見えた。
ユキハミが気になり、ラティアスの様子を見てラティアスが小さな温泉の滝に夢中になっているのを確認して、立ち上がりユキハミの方に向かった。
シャラ〜ン?
突如目の前に来てしゃがみ、目を合わせる俺を不思議に思ったのか、ユキハミは少し頭をかしげながらこっちを見た。
そして俺はゆっくりと人差し指をユキハミのほほに近づけ、それをした。
ぷにぷに
シャラーン
少し冷たく、かなり弾力性のあるもちもちだ。肉厚で、押した指が周りの肌に包まれることなく、押し返される。
ぷにぷに
シャラーン
質感は『スベスベ』と言うより『すべすべ』のような、どこか柔らかさを持った滑らかさだ。
なでなで
シャラーン
撫で心地も、さらさらとした肌で撫でていて気持が良い。ただ、やはり冷たいので長時間撫でたりなどといった事は出来なさそうだ。
ぷにぷに
シャラーン
……先程からこのユキハミは俺にされるがままになっているが、よく見るとつぶらな瞳を閉じてユキハミも俺のそれを受け入れている。
雪だるまとにらめっこしていた時から思っていたが、この子はとてものんきな性格みたいだ。
フゥ?
ラティアスは何かしている俺が気になったのか、俺の所にやって来て、肩越しにユキハミを見つめ始めた。
シャラ〜ン?
俺がやって来たラティアスに気を取られて、撫でる手が止まった事を訝しんだのか、ユキハミは閉じていた目を開き、再び頭をかしげてこちらを見始める。
ぷにっ
シュラーン
先程の俺とユキハミのやり取りを見ていたからか、ラティアスもユキハミのほほをつついた。ただ押す力が強く、ユキハミの顔の形が大きく変形するほど押している。見え方によっては顔を殴られているようにも見えなくも無い。
しかしユキハミは相変わらずそれを受け入れ、のほほんと鳴き声をあげた。
あいすす?
先程からずっとしゃがんだ体勢だったので、楽な体勢に変えるため、近くの段差の雪を払って腰を下ろし、そっとユキハミを両手で掴んで太ももの上に乗せた。
少しズボン越しに冷たさを感じるが、気になるほどでは無かった。
ぷにぷに
ぷにぷに
シャラーン
そうしてしばらくの間細い路地で、一人と一匹がユキハミのほほをぷにぷにし続ける光景が続いた。
ユキハミにお礼のきのみを渡して、別れを告げた後、俺とラティアスはキルクス温泉にやってきた。
温泉と聞き、元日本人としてとても入りたくなるが、残念ながらキルクス温泉はポケモン専用の温泉で、人は足湯でしか入る事ができない。
もちろん人用の温泉もキルクスタウンにはあるが、悲しい事に温泉と言うよりもスパなのだ。温かいと言うには少しぬるく感じてしまう温度である。それに加えて水着着用となるため気分は温水プールに入りに行く感じだ。
入りに行ったら余計に熱い温泉が恋しくなってしまうだろう。
それに女性としての生活にも慣れたが、未だに水着など女性らしい物を着るのには抵抗が有るので、余計に入りたくない。
そんな考えをしている内に、温泉の側に着いた。周りには立ち話をしている人達、足湯をしながら談笑している人達、温泉に浸かるポケモン達。などなどこの場所が一種の社交場として機能していることが伺える。
俺もそんな彼らに倣い、ベルトに付いているボールを掴み、ポケモン達を出す。
「でておいで〜」
ピピュイ
もふふーん
ぽにゃー
べのめのん
テッカグヤを除いた5匹を出した。申し訳ないが、テッカグヤは今回は我慢して欲しい。ここで出したら、貴重な重要文化財が崩壊してしまう。ビートくんの後追いはしたくない。
「ゴメンな、今度埋め合わせするから」
そうテッカグヤの居るボールに語りかけると少しボールが揺れた。
顔を上げ出したポケモンたちの方を見ると、ドヒドイデはもう既に、温泉の真ん中あたりでくつろいでいた。温かい物好きのあの子なら当然だろう。
ドレディアは周りの人の様に足湯として楽しんでいる。リラックスしているようで、目を瞑ってのんびりとしている。
エルフーンは温泉に入っているポケモン達の上をふわふわと浮きながらコミュニケーションを取っている。多分温泉に浸かったら満足に動けなくなるので、浸かることはないだろう。
ウツロイドは体の殆どを温泉に沈めており、唯一露出している頭の部分だけを見ると、透明な饅頭が浮かんでいるようだ。
ラティアスは変わらずに隣に浮かんでいる。
入らないのかと疑問に思うが、ラティアスも特に入りたそうにしている訳じゃなさそうなので、そのまま俺も足湯に浸かる準備をする。
温泉の近くは温かいと言っても、石畳はとても冷えているので、温泉の側で靴や靴下を脱ぎ、そのまま温泉に足を浸け、腰を下ろす。
足が冷えていたからか、入れた最初は刺激の強い熱さが足を襲ったが、次第に慣れてきて心地よい温かさに変わっていく。
リラックスして少し後ろに体重を傾けると、ラティアスが膝の上に頭を乗せてきた。
なるほど、とラティアスが温泉に入らなかった理由に合点がいく。
先程のユキハミを膝に乗っけた時に自分もして欲しいと機会を伺っていたのだろう。
その期待に応えるように、額の辺りをゆっくり、しっかり撫でていく。
フゥーン♪
周りの話し声が建物内を反響する中、俺と俺のポケモンたちの時間はゆっくりと流れていった。