鬼滅の刃―鬼眼の少女―   作:竜華零

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第97話:「見稽古」

 鬼殺隊は壊滅した。

 これは鬼狩りの剣士が全滅したとか、隠や刀鍛冶が全滅したとか、それだけでは無い。

 ()()()()()()()を意味する。

 

 呼吸法を筆頭に、日本全土に張り巡らせていた後方支援のノウハウが失われた。

 辛うじて現代まで残っていた竈門家や胡蝶家でさえ、呼吸や型を伝えることは出来なかった。

 これは、日本という国自体が大正から激動の時代に入ったことも無関係ではない。

 産屋敷家の力を()ってしても、守り切ることは出来なかった。

 

「全集中の呼吸は、鬼狩りの剣士にとってすべての基礎です」

 

 しかしここに、奇跡の人がいた。

 失われた技術を持つ人間が、現代に復活していた。

 100年前から現代へと、渡って来た剣士。

 世界唯一の正統なる呼吸遣い。本物の鬼狩りの剣士。

 

 煉獄瑠衣がこの場にいるという奇跡が、消えかけた鬼殺隊の命脈を辛うじて繋ぐことになった。

 それは、瑠衣のこれまでを思えば、皮肉としか思えないことでもあった。

 よりにもよって瑠衣が、鬼殺隊の未来を守ることになるとは。

 たとえ神でも、思いもしなかった展開だろう。

 

「貴方が会得した目、透き通る世界も、呼吸があってこそです。たとえ視えていたとしても、身体がついて来れなければ意味がありません」

 

 そして、もう1つの奇跡があった。

 竈門炭彦という少年の存在だ。

 いくら瑠衣という生き字引がいても、受け継ぐ者がいなければ意味が無い。

 この時代に炭彦がいたことが、鬼殺の技術継承を可能にしたのだった。

 

「呼吸を極め、剣技を磨き、眼を養う。これを怠らなければ、どんな鬼に対しても後れを取ることは無くなります」

 

 そういう意味では、鬼殺隊が消滅していて良かった、と言えるかもしれない。

 何故ならば、もしも鬼殺隊が現代まで続いていれば、子孫である炭彦にも煉獄瑠衣という()()の存在が教えられていただろうからだ。

 そうなっていたら、炭彦が瑠衣を慕うことも、瑠衣が炭彦を受け入れることも無かっただろう。

 いずれにせよ、いくつもの奇跡が重なったことが、今の幸運をもたらしたのだ。

 

「そうすれば」

「……グッ……ガッ……」

「どんな鬼にも、勝てるようになりますよ」

 

 こんな風に、と瑠衣が見下ろした足元に、クアドが膝を着いていた。

 いや、()()()()()()

 二の腕から先の腕、(もも)から先の足が無かった。

 見下す者と地に伏す者、2人の力関係をそのまま示したかのような構図が、そこにはあった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 凄い、と、炭彦は思った。

 ほんの一瞬、ほんの(まばた)きの間に、クアドが細切れにされていたのだ。

 瑠衣の持つ日輪刀の剣先がぶれたと思った、次の瞬間にはそうなっていた。

 何という剣速。目で追うことさえ出来なかった。

 

「訓練すれば、このくらいのことは出来るようになりますよ」

「そ、そうかなあ」

 

 瑠衣はそう言うが、正直なところ、まるで自信がなかった。

 そういう不安は、瑠衣にも良く分かった。

 

「大丈夫ですよ。私より強い剣士は何人もいたんですから」

「そうなんですか!?」

「ええ……本当に」

 

 柱と呼ばれた剣士達。

 鬼の妹を連れた少年と、その仲間達。

 時代にすれば100年以上前のことだが、瑠衣は昨日のことのように思い出せる。

 皆、瑠衣よりもずっと強かった。

 

「つまり、もっと頑張れと言うことだな!」

「うん!」

 

 そう言って拳を握る桃寿郎の姿に、瑠衣は目を細めた。

 桃寿郎の容姿は、瑠衣にとっては眩しいものだった。

 

「……さて、もう1つ大事なことを教えましょう」

「大事なこと?」

「ええ」

 

 コツ、と一歩を進み、瑠衣は目の前に(うずくま)るクアドに日輪刀を向けた。

 

()()()()()()()()()()

「グ、グ……貴様……ッ」

 

 歯軋りをして、クアドが瑠衣を睨む。

 だが瑠衣は、その視線の圧力を受け流した。

 

「そう言ったのは、私の友人……あ、いえ、友人って言ったら怒られそうな……」

「瑠衣さん?」

「ん、んんっ。とにかく、そう言った人がいましたが。それを噛み砕いて言うと、こういうことです」

 

 突き付けた日輪刀を、そのまま振るった。

 再生したクアドの両腕と両足が、動き出す前に切断された。

 クアドの口から、苦し気な呻き声が響いた。

 

「強い者は、何をしても良い、ということです」

「いや、それは言い過ぎじゃ」

「そんなことは無いですよ。だって……」

 

 目を伏せて、瑠衣は言った。

 

()()()()()()()()()()()()()()

 

 言葉の意味を、炭彦と桃寿郎は数秒ほど遅れて理解した。

 それは、瑠衣が生きた時代には当たり前だったこと。

 

「もう一度、言いますね」

 

 あるいは、現代でも変わらないこと。

 

「強い者は、何をしても良いのです」

 

 弱い者は、何も主張することが出来ない。

 その残酷な真実を、瑠衣は子ども達に教えなければならなかった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 強い者は、相手の生殺与奪の権を握ることが出来る。

 生かすも殺すも、強者――立場が上の者が自由に決めることが出来る。

 弱い者が何を言っても、何も叶えることは出来ない。

 

「さて、子ども達にあまり悪影響を与えてもいけないので、早めに教えてくれると有難いのですが」

 

 再生する手足を、再生する端から斬り捨て続ける。

 その度に呻き声を上げ、クアドが額を地面に擦り付ける。

 どちらが強者でどちらが弱者か、どちらがどちらの生殺与奪の権を握っているのか、一目瞭然(りょうぜん)だった。

 

 瑠衣はクアドの手足を斬る際に、一切の表情を浮かべていなかった。

 その余りに執拗ぶり、徹底ぶりに、さしもの炭彦と桃寿郎も引いた顔をしていた。

 文字通り「教育に悪そう」である。

 しかし瑠衣も、別に意味もなく相手を甚振(いたぶ)っているわけでは無い。

 

「もう一度だけ、聞いてあげますね」

 

 刀を振るって血を払いながら、瑠衣は言った。

 

「日本に来ている鬼は……ああ、吸血鬼でしたか、まあ良いです……あと何体ですか?」

「アア? いったい何を……ッ」

「何体ですか?」

「グオッ、ガッ」

「何体ですか? 能力は? 居場所は? アジトは?」

 

 右腕を斬って数を聞き、左足を斬って能力を問うた。

 左腕を斬って居場所を聞き、右足を斬ってアジトを問うた。

 拷問、である。

 一方的な程の実力の差が、それを可能にしていた。

 崩れた廃倉庫の中、中天に差し掛かった月明かりの下で、吸血鬼の男の鈍い呻き声が続いた。

 

「はあ、いい加減に話してほしいのですが……」

 

 ふむ、と頷いて、瑠衣はクアドの傷口を見た。

 少しずつだが、再生の速度が落ちてきている。

 強さから考えて、クアドとサリアは下弦の鬼と同程度の力と見て良いだろう。

 それも、中の下と言ったところか。

 

(話しぶりからして、そう数はいないようですが……)

 

 瑠衣の予測では、10体はいない。上弦と同じ6体あたりが妥当と見ていた。

 ただこちら側の戦力は、ほぼ瑠衣1人なのだ。

 なるべく効率的に行きたかった、のだが。

 

(まあ、簡単に話してくれるとは思ってませんでしたが)

 

 これ以上は無駄か、と判断して、ゆらりと剣先を揺らした。

 それを敏感に察したのか、クアドが顔を上げた。

 その顔は、屈辱と、そして恐怖の色に染まっていた。

 

「こ、の……人間などに、俺が……俺が……!」

 

 ギチ、と音を立てて、手足が再生しかけた。

 その、次の瞬間。

 グアドの視界が、180度反転した。

 地面の上を転がっているのが自分自身の頭だと気付いたのは、意識が暗転した後のことだった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 気が付いた時、炭彦と桃寿郎は首根っこを掴まれていた。

 そのままぐいっと襟を引っ張られて、一瞬息が詰まった。

 ぐえっ、と、蛙が潰れたような声が口から出た。

 

「げほっ。な、何が……?」

 

 咳き込みながら顔を上げると、クアドの頭が転がっていて、炭彦は息を呑んだ。

 くわっとこちらを睨んだ表情のまま、クアドは事切れていた。

 瑠衣がやったのだろうかと、すぐに思った。

 

 しかし瑠衣を見上げると、厳しい表情で前を見ていた。

 瑠衣が斬ったのではない、というのがそれでわかった。

 ではいったい、何者がクアドの頚を()ねたのだろうか。

 

「まったく、嘆かわしいですよ。クアド」

 

 上から、声が降って来た。

 崩れた廃倉庫の屋根、夜空が覗く隙間に、それはいた。

 猫の目のような縦長の瞳孔の目が、星のように輝きを放っていた。

 

「たかが人間に(なぶ)られるなんて、私ならそれだけで自死を選びますよ」

 

 ショートカットの黒髪の、長身の女だった。

 黒髪と言ってもアジア人とは髪質が違って見える。顔立ちも西洋風だ。

 着ている服も黒のスーツで、夜空に溶けてしまいそうだ。

 

「あまりにも可哀想だったので、ついトドメを刺してしまいました」

 

 そこまでで興味を失ったのか、その女は視線をこちらへ――瑠衣へと向けて来た。

 

「さて、お前がレンゴクルイか」

 

 視線は、鋭い。

 クアドよりもなお強い威圧感が、炭彦の肌にピリピリとした痺れを感じさせた。

 それだけで、目の前の女がクアドよりも強いことがわかった。

 そして、クアドの頚を刎ねたのがこの女ということも理解した。

 

(仲間なんじゃ、無いの……?)

 

 仲間を、おそらく躊躇もせずに殺した。

 その事実が、炭彦を恐怖で竦ませるよりも先に、怒りへと駆り立てた。

 炭彦の怒気を感じたのか、炭彦を掴む瑠衣の手が少し強くなった。

 

「……人の名前を気安く呼ぶ前に」

 

 少年2人を抱えたまま、瑠衣はその場に立ち上がった。

 

「まず、自分が名乗ったらどうですか?」

「ふん。人間風情が偉そうに。しかし自分を殺す相手の名前を知らないというのも、哀れです」

 

 上から廃倉庫の中へ跳び下りながら、その女は言った。

 

「我が名はサド。呼ぶ必要はありません。あの世に行ってから復唱するようになさい」

 

 瑠衣が炭彦と桃寿郎から手を放して小太刀を掌に落とすのと、その女――サドが着地するのとは、ほとんど同時だった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 金属同士が打ち合うような音が響いた。

 目の前で、火花が幾度も飛んだ。

 瑠衣が、こちらに飛んで来た何かを斬り飛ばしたことだけは炭彦にもわかった。

 火花のいくつかは顔の前で起きていたから、瑠衣が動かなければ頭を撃ち抜かれていただろう。

 

「これは、石……? 骨……?」

 

 カラン、と音を立てて落ちたそれは、白い軽石のような、棒状の物体だった。

 人体には不要な程に鋭利に尖ってはいたものの、それは確かに骨だった。

 もしもそれが顔に当たっていたらと思うと、ぞっとした。

 

「物凄い反射速度だったな!」

 

 流石の桃寿郎も冷や汗を掻いていた。

 もしも瑠衣が傍にいなければ、首根っこを押さえて引っ張ってくれていなければ、これが直撃していたのだ。

 ただ桃寿郎の言い方では、正確では無かった。

 

 瑠衣は反射で動いたのではなく、()()()()()()()()()()

 まずクアドの頚は、気が付いたら刎ねられていた。

 つまり飛び道具か、サリアのように不可視の攻撃が加えられた可能性が高い。

 それも鬼――吸血鬼を絶命させる攻撃。触れるだけでも危険と思われた。

 だから炭彦と桃寿郎を傍に置き、斬撃の弾幕で守ったのだ。

 

「まあ、経験ですね。その内に慣れますよ」

「な、慣れる……かなあ」

「ええ、きっと」

 

 二振りの小太刀を掌の中で回転させて、逆手に持ち替えた。

 その上で、無造作に一歩前に出た。

 

「まあ、つまり……その程度の相手、と言うことですから」

「……どういう意味でしょう? こちらの認識が間違っていなければ、侮られているように聞こえましたが」

「はい。そう言ったんですよ。伝わっていたようで何よりです」

 

 ビキ、とサドの額に血管が浮き上がった。

 それを視界に収めながら、瑠衣の身体が()()()()と揺れ始めた。

 とん、と、最後の一歩を踏む。

 その次の瞬間、瑠衣の姿はサドの斜め後ろにいた。

 

「な……!」

 

 速い、と言うのとは少し違う。

 意識の空白の中を歩いて来た、と言った方が正しい。

 瑠衣の小刻みの跳躍は、全集中の呼吸によって尋常ならざる域にまで達している。

 

「その通り」

 

 跳躍した状態のまま、瑠衣は続けた。

 

「私は貴女よりも強いので」

 

 自信と確信に満ちたその言葉は、鋭い刃となってサドの胸を突き刺した。

 それはさらなる青筋という形で、額に表れた。

 尤も、サドの怒気を感じてもなお、瑠衣の表情が険しくなることは無かった。

 むしろ笑みを明るくして、そのまま次の跳躍を始めた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 サドの血鬼術は、骨を操るというものだった。

 人体に206個ある骨を、文字通り自在に操ることが出来る異能だ。

 長さを伸ばすことも、指先から弾丸のように飛ばすことも出来る。

 そして鬼の再生能力は骨も含まれるので、()()()が起こることも無い。

 

「逆に言えば、それだけの能力です」

 

 跳躍を続けながら、瑠衣は言った。

 骨を操る能力は確かに強力だが、基本が人体の骨である以上、人体構造を理解していれば、何となく何を仕掛けて来るか想定することは難しくない。

 そして呼吸遣いほど、人体構造を認識している者はいない。

 つまり、サドの血鬼術は。

 

「ここまで私達と相性の悪い能力も、そうは無いでしょうね」

 

 全集中の呼吸を極めた者にとっては、それほど怖いものでは無かった。

 最初はまだ余裕のあったサドだが、次第にその表情は焦りの色に変わって行った。

 その心の内は、何故、という疑問に満ちたものだった。

 

 そしてそれが、瑠衣には手に取るようにわかった。

 同時に、確信する。

 サド、そしてクアドとサリア。彼女らには共通点があった。

 それは、彼女らが()()()()()()()()()()()()()()

 

()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 サリアの不可視の攻撃も、クアドの怪力も、あるいはサドの異能も。

 それらの能力自体は、確かに強力だ。

 おそらく下弦の鬼に匹敵するだろう。

 その点は、瑠衣も認めていた。

 

 だがその精度や使い方については、下弦の鬼を遥かに下回っている。

 強力な異能を持ちながら、しかし使い方は拙い。

 これが意味するところは、1つしかない。

 ()()()()()()()()

 

「動物の世界でも、個体数の少ない種や天敵の少ない種は、生涯でほとんど他者と戦うことが無いとか」

 

 天敵のいない種で育った動物は、自分よりも明らかに強い存在を前にしても、平気で威嚇する。

 自分の持っている武器が相手に通じるのかも、わからないのに。

 そして自分の武器が通じないとわかった時、彼らはどうするだろうか。

 サド達の様子は、その答えを見ている側に教えてくれた。

 

「正直なところ、私も驚いていますよ」

 

 まさか、ここまで違うのか、と。

 

「戦乱の中にいた鬼と、おそらくは太平だったのだろう外の鬼が、ここまで違うだなんて」

 

 ――――風の呼吸・壱ノ型『塵旋風・削ぎ』。

 瑠衣の剣速は、100年前――()()()()()の、そのままだった。

 それは、炭彦達も、そしてサドでさえ見たことが無いものだった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 井の中の蛙、大海を知らず。

 これは狭い世界にいる者は、世界の広さを知らないという意味の言葉だ。

 しかし逆に、こうも受け取れないだろうか。

 大海にいる者は、井戸の中を知らない。

 

「この国の鬼は、あるいは鬼狩りは、常に命懸けのやり取りをしていました」

 

 数百年、いや千年。

 鬼は人間を喰らい、人間は鬼を狩って来た。

 その争いの中で、血鬼術も呼吸の技術も進化を続けて来た。

 これは、実は瑠衣にとっても誤算でもあった。

 

 おそらく国外にも、鬼はいるのだろう。

 しかし先に読んだ通り、個体数が少ない。

 個体数が少ない一方で、世界は広い。日本の何十倍も広大な空間だ。

 つまり彼らは、それだけ外敵と遭遇する確率が低い、ということだ。

 

「貴女達が何百年生きて来たのかは知りませんし、興味もありません。でもこれで得心しました」

 

 サリアとの戦いの時から、ずっと違和感を感じてはいた。

 強力な能力を有する割に、切迫した脅威感が無い。

 クアドなど攻撃を直撃するチャンスまで得ておきながら、仕留め損なっている。

 要するに、()()()()()

 

「貴女達が今まで何故、この国への侵攻に失敗してきたのか」

 

 跳躍は、いつしか止まっていた。

 四方には朱に塗れた骨の欠片が散らばっているが、その血に瑠衣の物は含まれていない。

 そのすべては、サドの血だった。

 

「ゴフッ」

 

 地に倒れたサドは、有り体に言って死にかけていた。

 壱ノ型(塵旋風)の一撃のどれをも、サドはかわすことが出来なかった。

 それは、サリアとクアドとやはり同じだった。

 彼女達は、自分達の実力以上の攻撃を受けた経験がほとんど無かった。

 だから対処の仕方もわからず、ただ攻撃を受けることになっている。

 

「さて、もう何度目かわからない質問をしますね」

 

 頚に刃をかけながら、瑠衣は言った。

 

「仲間はあと2人ですか。3人ですか?」

「――――ハ」

 

 もはや動くことさえ出来ないサドが、口の端を歪めた。

 後には、ハハハ、と乾いた嗤い声が響く。

 それは、きっかり十秒も続いた。

 嗤い声が止まる。

 そして。

 

「危ない!」

 

 炭彦の声よりも先に、瑠衣は動いていた。

 倒れたサドより距離を取って、全身から伸びた骨の針から逃れた。

 それはほとんど、爆発と言って良かっただろう。

 サドの肉体の全てから、全ての骨が急激に膨れ上がった。

 文字通り、それは自分自身でさえ制御できない程の術だった。

 

「……自死を選ぶとは」

 

 滅茶苦茶に伸びた骨の塊が、崩れた廃倉庫の地面に横たわっていた。

 まるで、骨の花だ。

 (もっと)もその花を美しいとは、瑠衣は思わなかったが。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 実を言うと、クアドやサドとの戦闘はそこまで長い時間はかかっていない。

 それぞれほんの数分の攻防だっただろう。

 だがそのほんの数分の間に、炭彦は重い疲労を感じるようになっていた。

 

「疲れましたか?」

 

 瑠衣に声をかけられると、一層疲労感が強くなった。

 

「自分で動いた方が楽でしょう?」

 

 怪我をしているはずだが、そんな様子は露とも感じさせなかった。

 そして瑠衣の言う通り、自分で戦った時の方が不思議と疲れは感じなかった。

 ほんの数分見ていた方が疲労が重いのは、それだけ炭彦と桃寿郎が真剣に「視て」いたからだ。

 

 ここまで来ると、瑠衣が2人を連れて来た理由もはっきりした。

 つまり瑠衣は、炭彦と桃寿郎に見取り稽古をさせたかったのだ。

 ただ鍛錬を続けるよりも、実戦を見た方がずっと身になることがある。

 瑠衣自身、自分より優れた剣士達を見て育ったのだから。

 

「凄かった」

 

 桃寿郎が、呟くようにそう言った。

 彼は瑠衣を見上げるようにしていて、真っ直ぐな視線を瑠衣に向けていた。

 その表情は、素直な感嘆の色に染まっていた。

 

 そんな桃寿郎に、瑠衣は一度目を閉じた。

 (まばた)きと言うには、(いささ)か長い瞑目(めいもく)だった。

 そして次に目を開いた時、その顔にはいつもの微笑みがあった。

 

「それなら良かったです」

 

 そんな瑠衣に、炭彦は言い様の無い気持ちを感じた。

 瑠衣の眼差しが、桃寿郎ではなく、どこか遠くを見ているような気がしたからだ。

 

「炭彦くん?」

「あ、いえ……何でもないです」

 

 何でも無いわけは無かったが、それを言葉にすることが、今の炭彦には出来なかった。

 もっと自分が大人になったら、何か言うことが出来たのだろうか。

 そんなことを言えるはずもなく、炭彦はただ瑠衣を見上げるしか出来なかった。

 それが瑠衣との距離をそのまま表したかのようで、胸がちくりと痛んだ。

 

「疲れたでしょう。今日のところは帰りましょうか」

「……はい」

「おう!」

 

 だから今は、ただ頷いた。

 ふと気が付けば、廃倉庫の外で車の音がしていることに気付いた。

 迎えが来ていたのだろう。炭彦は、そんなことにも気がつけなかった。

 

(強くなろう)

 

 強く、そう思った。

 そしてそれが、きっと瑠衣の望みでもあのだと、そう思った。

 瑠衣の望みを叶えてあげたいと、炭彦は思ったのだった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 吸血鬼討伐の報告は、瑠衣が自分で伝えに来た。

 情報を渡したその日の内に、しかも散歩帰りか何かの調子で言って来たのだ。

 正直なところ、流石だと思った。

 

「流石だね、瑠衣さんは」

 

 思ったので、そのまま言葉にした。

 ただ産屋敷(自分)に感嘆などされても、瑠衣は少しも嬉しくないだろう、とも思った。

 だから産屋敷もそれ以上は称賛の言葉を発することは無かった。

 

 しかし瑠衣がやったことは、控え目に言って偉業だった。

 並の人間、いや軍隊が相手でも、鬼を殺すことは出来ない。

 まして異能持ちの鬼となればなおさらだ。

 彼らの力は文字通り人智を越えており、銃や爆弾でどうにか出来る相手では無い。

 

(極端に聞こえるかもしれないが、日本という国を守った、と言うことになるね)

 

 煉獄瑠衣という()()()()が無ければ、吸血鬼達は無人の野を行くが如く、この国を侵略しただろう。

 そしてかつての鬼舞辻無惨のように、力と恐怖で全てを支配したに違いない。

 それを避け得たのは、煉獄瑠衣がいたと言うただ1つの幸運があったからに他ならない。

 本当に、運が良かったのだ。

 

 

「貴女がいてくれて本当に良かった」

「お世辞は結構です」

 

 本心からの言葉だったのだが、当の瑠衣はそうは受け取らなかったらしかった。

 まあ、元より心が通っている間柄というわけでは無い。

 主従でも無ければ仲間でも無い。単に利害が一致しているだけ。

 それ以上の物は、それこそ100年前に置いて来た。

 

「他の吸血鬼の情報は?」

「今はまだ何も」

 

 まだと言うよりは、そもそも人外を探索すること自体が困難を極めることだった。

 現代の情報収集は概ね衛星やカメラによる分析や、通信の傍受、地道な聞き込みを手段とする。

 ただしこれが、(はなは)だ手間も時間もコストもかかる。

 かつての隠や鎹鴉の情報ネットワークの方が、よほど効率的だっただろう。

 

 今回の廃倉庫の発見も、実はほとんど偶然に近い。

 豪華客船の事件の後に、それまで放置されていた場所で目立つ動きがあったので、調べたら当たりだったというだけの話だ。

 もしもクアドやサドよりも慎重か、あるいは巧妙な相手がいた場合、発見はかなり難しい。

 

「まあ、問題ないでしょう」

 

 それでも、瑠衣は言った。

 

「待っていれば、向こうから来るでしょうから」

 

 サリアに続き、クアドとサドを(たお)した。

 そんな瑠衣の存在を、無視できるとは思えない。

 仇討ちにせよ何にせよ、何らかの()()()をつけさせようとするはずだ。

 産屋敷家の調査で発見できれば御の字で、最悪は迎撃でも構わない。

 二段構え、というやつだ。

 

「有難う、瑠衣さん」

「先程のお世辞もそうですが、お礼はもっと不要です」

 

 形式か、あるいは実が伴っているのかもわからない産屋敷の言葉に、瑠衣は心底つまらなそうな表情を向けた。

 

「だって、私は別に産屋敷家(あなたたち)のために戦ったわけではないのですから」

 

 だからお世辞も、お礼も、むしろ筋違いと言うものだった。

 

「あの子達のためですから」

「……それで構いません。それでも、有難うございます」

「真面目ですね」

 

 お互いが、お互いの言葉をその通りに受け取ろうとはしない。

 会話はキャッチボールだというが、この2人の場合、横に並んで壁にボールを投げているだけだった。

 平行線、ですらない。ただ単純に、交わらないというだけのことだった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 翌朝。炭彦は普通に寝坊した。

 尤も、これは夜更かしが原因ではなく、元々の彼の悪癖――まあ、本人は悪癖と思っているのか定かではないが――なだけだった。

 そしていつもの通り、彼は近所の子ども達から「ランニングマン」と呼ばれることになった。

 なお、カナタもまたいつも通り、弟を置いてさっさと登校していた。

 

「炭彦!」

 

 登校の途中で、桃寿郎と出会った。

 これもまた、いつも通りと言えばいつも通りだった。

 

「昨夜は興奮してしまって、なかなか寝付けなかった!」

「うん」

 

 全力で走りながら、会話が出来る。

 これは以前からそうだったが、今はさらに楽にそれが出来ている。

 全集中の呼吸を意識して仕えているからだと、今ならわかる。

 

「凄かったな」

「うん」

 

 一晩経ったが、昨日のことはまだはっきりと目に浮かぶ。

 吸血鬼を圧倒した、瑠衣の戦い。

 1年前の戦いの時は、あそこまでじっくりと観戦することは無かった。

 見取り稽古。見本を見ると言うのは、思っていた以上に効果があるのだと知った。

 

 正直なことを言えば、今すぐにでも訓練をしたかった。

 ただ、瑠衣は学校を休んで訓練をすることには良い顔をしなかった。

 意外というか何というか、学校にはきちんと通うように、というのが瑠衣の言だった。

 

『学校に行ける環境にいるのなら、行った方が良いですよ』

 

 それはその通りかもしれないが、今は非常時ではないのか、という思いもあった。

 

『良く勉学に励んで、立派な人間になってくださいね』

 

 ただ、微笑みと共にそう言われてしまえば、炭彦は瑠衣に対して何も言えなかった。

 確かに、理由はどうあれズル休みは良くない。やはり皆勤賞も欲しい。

 だからこうして、炭彦と桃寿郎は普通に通学しているわけだ。

 

「む? 何だアレは」

 

 止まることなく駆けて行くと、そう時間もかからずに学校に着いた。

 脚も速くなっているのか、遅刻寸前ということも無く、ちらほらと他の生徒の姿も見えた。

 だがその日は、いつもと様子が違った。

 校門の前に、小さな人だかりが出来ていたのだ。

 

 見れば、何やらいかにもな黒塗りの車が校門の前に停まっていた。

 産屋敷があんな車に乗っていたような気もするが、それでも学校に乗り入れるようなことは無かった。

 そんな車が何故と思った矢先、車のドアが開いた。

 

「わあ、キレイな子だなあ」

 

 車の中から出て来たのは、炭彦がそう言ってしまう程に美しい少女だった。

 日本人では無い。西洋人だった。

 金色の髪に蒼い瞳。白磁の肌。ヨーロッパ人形のように整った顔立ち。

 そんな少女が、キメツ学園の制服を着て、そこに立っていた。

 

「――――ごきげんよう」

 

 鈴を転がしたような声が、静かなその声は、不思議と頭の中に響いた。




最後までお読みいただき有難うございます。

割と中編的な意識でいるので、サクサク行きます(え)

それでは、また次回。
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