十数人の生徒達が折り重なり、嫌な音を立てながら体育館の床に倒れた。
文字通りの人柱。
合わせて数百キロの重量が、中心にいた2人の頭上に落ちて来た形だ。
当然、無事で済むはずが無い。
「…………ッ」
咄嗟の判断だった。
右手の小太刀から手を放し、左手の小太刀を両手で握った。
その上で、左手の小太刀を力づくで振り切り、セッカの右手首を斬り飛ばした。
しかしそのために、二手は遅れた。
押し潰される、という事態は何とか回避した。
ただし、ノーダメージとまでは行かなかった。
挟まれたか掴まれたか、脱出する際に右腕に異常を感じた。
そして着地と同時に右腕を確認すると、
「瑠衣さんッ!」
炭彦の悲痛な声にも、今度ばかりは応じなかった。
大丈夫と返したところで、安堵させることは出来ないだろう。
何しろ瑠衣の右腕は、あり得ない方向に曲がってぶら下がっていたのだから。
「カカカ、良い姿になったではないか」
愉快そうなセッカの声。
彼女は瑠衣と違って、脱出することが出来なかった。
最後まで瑠衣の腕を掴み、動きを封じていたからだ。
そのために、瑠衣が腕を犠牲に脱出した一方で、彼女は
「あ、あいつもやられているぞ……!?」
それは目を背けたい程に
セッカはもちろん、折り重なって倒れた生徒達も無事では無い。
血が、肉が、骨が、飛び散っていた。
同じ年頃の、中には顔を合わせたこともあるだろう生徒達の変わり果てた姿は、衝撃的に過ぎた。
しかしそれ以上に桃寿郎達を困惑させたのは、セッカだった。
「カカカ……」
セッカは、下半身を潰されていた。
下半身は折り重なった生徒達の中にあり、どうなっているかもわからない。
しかし唇から下は
自分で仕掛けた攻撃に巻き込まれて、瑠衣よりも甚大なダメージを被っている。
「……何も、不思議なことはありませんよ」
動かなくなった右腕を
ふう、と息を吐くその顔には、汗の一筋が流れている。
「
そして、そんな瑠衣の言葉に、セッカは朱に塗れた顔で嗤ったのだった。
◆ ◆ ◆
至極単純な理屈だ。
本体では無い。だから平気で切り捨てられる。
言ってしまえば、それだけのこと。
「本体じゃない、って……」
「偽物……ってこと?」
「ええ」
そもそも、瑠衣には最初から違和感があった。
大量の操り人形を作って隠れ潜むような相手が、瑠衣が現れた瞬間にすぐに姿を見せた。
この時点でおかしい。性質としても戦術としても矛盾している。
「じゃあ、本物のセッカさんがどこかに……!?」
「いや、だが本人にしか見えなかったぞ?」
一方の炭彦達から見て、体育館にいたセッカは本人そのものだった。
瑠衣が蹴り飛ばすその瞬間まで、
「私はその人のことを知らないので、それについては何とも言えません」
ただ瑠衣の経験上、わかっていることもあった。
この手の血鬼術の場合、術者は人形の側にいることが多い。
長距離からの遠隔では、これだけの数を操ることは難しいからだ。
仮に出来たとしても、相手と正確に会話できる程のリアルタイムの操作は困難になる。
「ただ、偽物というわけではありません。目の前にいるこの
どちらも
ただ本体では無い、というだけで、本物には違いが無い。
そして繰り返すが、術者は近くにいる。
どこにいるのか?
本当に近くだ。
今、目の前にいる。
「しのぶさんの……中っ!?」
セッカは途中から、明らかにしのぶを庇っていた。
そしてセッカは負傷しても、傷が再生しなかった。
それが意味するところは、1つしかない。
「あら、バレてしまいましたか」
潰れた生徒達の間から、するりとしのぶが姿を現した。
ただしその表情は、先程と違って、悪意に満ちていた。
口の端を吊り上げるような、目が狐のように細く歪むような、そんな邪悪な笑みだ。
しのぶ程の美貌でそんな顔をすると、一層妖しく見えてしまう。
「では、改めて名乗っておきましょうか」
「
どうすれば良い。と、炭彦は思った。
このままでは、自分達も、瑠衣も、きっと殺されてしまう。
しかし相手は、しのぶ――の身体――なのである。
しのぶを倒す? そんなことが果たして出来るだろうか。
出来るはずがない。しのぶを傷つけるなど、自分達には出来ない。
しかし、それが意味するところは。
――――自分達の、死だ。
◆ ◆ ◆
カナエは、ゆっくりとした動作で弓に矢をつがえた。
すでに生徒達の姿は2階には無い。
セッカの最優先の標的が瑠衣であって、他は餌かおまけくらいにしか考えていないからだろう。
だから今、2階にいるカナエには脅威は無い。
「……しのぶ……」
カナエは、炭彦達よりも先に学校に来ていた。
それは、炭彦達より先にしのぶのメッセージを見つけたためだ。
自宅にカナエ宛てのメッセージが残されていて、それを見てカナエは動いた。
内容は、炭彦達が見たものとほぼ同じだ。
ただ1つ違う点があるとすれば、カナエ宛ての明確なメッセージがあったことだ。
もしも自分の身に、何かがあった時。
「……!」
不意に、カナエは矢じりを上げた。
階下の瑠衣が、自分のことを見た気がしたからだ。
その視線の圧力に押されるようにして、つがえた弦を緩めてしまった。
そして緩めたその手に、ふわふわとした感触があった。
視線を下げれば、茶々丸がカナエの手に肉球を当てていた。
猫の眼差しは、カナエに何かを訴えかけているように見えた。
「何もするな……ってこと?」
猫は、茶々丸は、当たり前だが言葉を発することはない。
ただ100年を生きた猫は、カナエよりも遥かに多くのことを見て来たし、経験してきた。
それ故に、小動物でありながら、その肉球はずしりとした重みをカナエに与えてくるのだった。
「……そうだろうよ。貴様ならば、そうするであろうよ」
そして、階下にも動きがあった。
瑠衣は左手に握った日輪刀の切っ先を、しのぶに向けていた。
意思は明確だった。
すなわち―――見鬼滅殺。
「本当に、人の心がない奴だ」
そしてそれを、もはやセッカも疑っていない。
瑠衣であれば、たとえしのぶが相手でも頚を刎ねるだろう。
それを、もはや誰も疑っていない。
「流石にこの状態で頚を斬られれば、無傷ではいられぬ。よって、
セッカは、指先で銃のような形を作った。
すると制服のシャツの袖から、何かが
それは蛇ようにも、ミミズのようにも見えた。
「貴様のことだ、ただの種子では効かぬかもしれぬ。だが……
メキメキと音を立ててしのぶの指先を這い出る
◆ ◆ ◆
煉獄瑠花という怪物とも、船で視た不可視の怪物とも、違う。
余りにも小さく、惨めな程に小さく、それでいて
それを何と呼べば良いのか、炭彦にはわからなかった。
「まるで、虫けらのようだ」
そう言ったのは、カナタだった。
彼はこういう時、容赦なく毒を吐く。
普通ならそれを聞いて怒り出すだろうに、しかしセッカはそうはしなかった。
「ああ、そうだな。まさに虫けらのような存在よ」
しかし、セッカはそれを否定しなかった。
それどころか、嗤いさえしていた。
「だがそんな虫けらに、貴様は殺される」
その瞬間に、その場にいる誰もが理解した。
セッカの狙い、その策略を理解した。
すべては瑠衣を誘き寄せるため。
しかもただ誘き寄せるだけではなく、
「サリア達と同じ轍は踏まぬ」
煉獄瑠衣は、全集中の呼吸がほぼ絶えた現代において、地上最強の存在と言って良かった。
それは相手が鬼や吸血鬼のような超常の存在でも、である。
もはや絶技の位置にある呼吸術と剣技に加えて、100年間の経験という
あるいはかつての上弦の鬼でさえ、今の瑠衣を倒すのは容易ではないかもしれない。
それほどまでに、煉獄瑠衣という剣士は、鬼狩りは強かった。
だから、待った。
慎重に姿を隠しながら、瑠衣を誘き寄せる。
人間を盾にしたところで、瑠衣が躊躇しないことは織り込み済みだ。
だから純粋な物量で攻め、負傷するまで待った。
確実だと確信できるまで、けして前には出ず、ひたすらに。
「
すべては。
「
すべては、この瞬間のための布石だった。
セッカは最初から、瑠衣を倒すつもりは無かった。
誘き出し、弱らせ、その肉体を奪うこと。
そのために、ここまで時間をかけ、仕掛け、嵌めたのだ。
「…………」
瑠衣が一瞬、頭の位置を下げた。
それは加速の前兆だったが、今のこの瞬間に限っては、セッカの方が一手早かった。
瑠衣が跳躍に入るよりも、セッカが撃つ方が早い。
◆ ◆ ◆
止めようとして伸ばした手は、届かなかった。
カナタの制止を振り切って、炭彦は駆けた。
何か考えがあったわけでは無い。
身体が勝手に動いた。それだけだった。
「なにぃ――――?」
不快気なセッカの声。
不思議なことに、傷は無かった。
ただ、胸の中央当たりの服に穴が開いていた。
それだけが、悍ましいミミズの如き肉塊が、そこに飛び込んだという証拠だった。
しのぶの指先から飛んだ肉塊の前に、炭彦は身を晒した。
ほとんど無意識だった。
瑠衣を守らなければ、という意識で、炭彦の身体は動いた。
(速い)
と、瑠衣が思ってしまう程の速度だった。
瑠衣が反応しきれない程の速度で、炭彦は瑠衣の壁となった。
そしてその壁に、セッカは自らを撃ち込んだのだった。
「…………」
炭彦は、何かを喋ろうとした。
口を動かして、何かを言おうとした。
あるいは手を動かそうとした。足を動かそうともした。
だがそのいずれも、果たすことは出来なかった。
「
だが、
「無駄よ。小僧。貴様の肉体はすでに我が支配下に置かれつつある」
自分の声だが、別の声もダブって聞こえる。
正直に言って、気味が悪かった。気持ちが悪かった。
だがそれ以上に、自分の肉体が思い通りにならないことの方が、恐ろしかった。
頭の奥の、深いところを、撫で回されているかのような感覚に、吐き気を覚えた。
「自ら飛び込んで来るとは、まったく愚かな小僧よな」
抵抗しなければ、と頭のどこかで声がした。
自分の思考。それだけが、まだ自分の自由になるものだった。
「だがそれも、もうすぐ消える」
そして炭彦自身も、自分の意識に指をかけれているのを感じていた。
言葉の表現としておかしいが、そうとしか言いようのない感覚だった。
「お前の意識はもう消える。せいぜい、最期の言葉を……いや、最期に何かを思うのだな」
お前が庇った
そして次の一瞬で、自分の意識は消えるのだろう。
恐怖はあった。死への恐怖は、拭いようが無かった。
だが、後悔は無かった。
瑠衣を守れた。それだけで良かった。
この後のことは心配していない。
瑠衣ならばきっと、自分ごとセッカを斬ってくれるはずだから。
しのぶやカナタを殺させたくは無かった。だから、自分で良かったのだ、と。
(後は頼みます。瑠衣さん)
それが、炭彦の最期の
そして、そんな炭彦を。
「駄目ですよ、炭彦くん」
瑠衣は、抱き締めた。
◆ ◆ ◆
「炭彦ッ!?」
炭彦の腕が、炭彦自身の意思に反して動いた。
炭彦を抱き締めた瑠衣の細い首に、炭彦の手がかけられていた。
爪先が皮膚に食い込み、ギリギリと頸動脈を絞め上げている。
炭彦は悲鳴を上げたかったが、声帯を奪われていて無理だった。
必死で腕を外そうとしても、腕は自分の自由には出来なかった。
どうしたら良いのかと、心が絶望に沈みかけた時だった。
「炭彦君」
首を絞められていても、不思議と瑠衣の声には澱みが無かった。
そして、彼女は言った。
いつものように。
「
その瞬間、炭彦の
呼吸。
全集中の、呼吸。
全集中の呼吸を、しなければ。
「カカカ、何が呼吸じゃ。馬鹿馬鹿しい」
「……随分と悠長なのですね」
「何じゃと?」
「それで?」
首を絞められたまま、瑠衣は言った。
「
セッカは確かに、炭彦の意識に指先をかけていた。
しかしそこから、意識を刈り取るところまでは行っていなかった。
そしてその事実に、瑠衣に指摘されるまで気が付くことが出来ていなかった。
「――――深く」
炭彦を抱き締める力を強くしながら、瑠衣は囁くように言った。
「深く、深く、深く――――呼吸を、もっと、深く」
炭彦の掌に、瑠衣の鼓動音が伝わって来る。
こんな状況でも変わらず、一定のリズムを刻むそれが、それだけが、炭彦の道標だった。
それ以外の何もかもが、意識から抜け落ちて行った。
呼吸をすることだけに、すべての意識が向かって行く。
普段の訓練の、賜物と言えるだろう。
それはもはや、習慣というか、習性とさえ言えてしまうかもしれない。
瑠衣に呼吸をしろと言われれば、自然とそうしてしまう。
「深く」
呼吸を、深く。
「――――熱く」
呼吸を、熱く。
少しずつ、速く、呼吸を繰り返す。
深く、長く、速く、すなわち――
「――――何じゃ」
呼吸の隙間を縫うように、セッカが困惑の声を上げる。
炭彦の意識に指をかけている、すなわち
自分が触れている
◆ ◆ ◆
セッカの血鬼術は、人間の脳を支配するものだ。
脳内部のある神経を、セッカの体内で生成した疑似神経と繋ぐことで、肉体を奪う。
人間の思考、いや人格そのものを司るとも言える脳の神経を弄られるために、宿主は意識そのものを奪われる。
肉体的には生きている。しかし、脳は別物になってしまっている。
だからそれは、死んでしまったのと同じことだった。
そして体内に入った異物を取り出すことは、人間には出来ない。
だからセッカに寄生された時点で、宿主の人間は死んだも同然だった。
「何じゃ、これは」
セッカは数百年を生きた吸血鬼だ。
今まで何百人もの人間を傀儡人形に変え、乗っ取って来た。
だから人間の脳や肉体の構造は誰よりも理解していたし、肉体を奪うことも容易だった。
そのはずだった。そのはずだったのに。
「何じゃ、この……
セッカの入り込んでいる炭彦の肉体が、急激に熱を持ち始めたのだ。
体温が、異常と思える程に上昇している。
それは体内にいるセッカからすれば、まるで沸騰しているかのように感じられた。
「いかん。もうすぐにでも、この小僧を」
数百年生きて来て、初めて出会う異常事態だ。
だからセッカは、すぐにも炭彦の意識を刈り取ろうとした。
そのために炭彦の脳神経に触れる。そのまま自分の疑似神経に繋ごうとして。
「――――ッ!?」
炭彦の脳神経に触れた指先――この形態で指先というのも奇妙だが――が、
ぎゃっ、と悲鳴が口をついて出た。
何事が起こったのか、セッカは理解できなかった。
何故ならば、彼女は知らなかったからだ。
全集中の呼吸というものを、知らなかったからだ。
その真髄を、
「何じゃ、何が……何なのじゃ、この体はあッ!?」
音がする。炭彦の身体中に響くその音は、
最初はただの呼吸音だったはずのその音は、段々と、別の音のように聞こえて来た。
ゴオオ、という、まるでジェット気流のような、激しい音だ。
その音が強まって、長く、激しくなっていくにつれて、熱量も上がっていく。
セッカを灼く。焼く。燃やす。
灼熱の輝きに、セッカは悲鳴を上げた。
「ギャアアアアアアアアアアアアアッッ!!??」
たまらず、セッカは炭彦の意識から手を放した。
◆ ◆ ◆
自分の身体から何かが抜け出ていくのを、炭彦は感じた。
身体の自由も、戻って来た。
「ギャアアアアアアアアアアアアアッッ!!??」
悲鳴を上げて、セッカーーその小さくも悍ましい、ミミズのような本体が、体育館の床に落ちた。
いざ床のうちで蠢いているそれを見ると、何て小さいのだろうと思った。
その小さなものが、つい先ほどまで自分の中にいたのだと思うと、ぞっとした。
そして、その小さなものを。
「グエエッ!?」
瑠衣が、踏みつけた。
彼女の足の下で、セッカの本体が苦痛に身を歪ませる。
「バーーーーバカなっ、こんな、ことがっ!?」
信じられない。
文字通り全身で、セッカはそう訴えていた。
瑠衣の足の下で
「し――しもべ達! こいつを殺せ!!」
だが、傀儡人形は動かなかった。
しのぶも、他の生徒達も、微動だにしなかった。
「忘れないでくださいね。炭彦君」
「え……?」
喚き散らすセッカを無視して、瑠衣は炭彦に言った。
「
だが、他の人間が見れば、炭彦の顔をこそ凝視していただろう。
その、
炭彦自身もまだ認識していない、肉体の変化を。
「その感覚を忘れない限り、どんな鬼にも勝てますよ」
究極にして始まりの呼吸。今やその遣い手は歴史の彼方に消えた。
しかし今こうして、ここに、その呼吸を発現せしめた者が現れた。
奇しくもその少年は、また、
「感謝していますよ。貴女には」
踏みつける力は一切緩めずに、瑠衣は言った。
「貴女のおかげで、炭彦君がさらに成長することが出来たのですから」
「き、貴様、まさか」
「
「今、言いましたよ」
不意に、全身を押さえ込んでいた圧迫感が消える。
足先で、器用に中空に蹴り上げられる。1メートルと少しほどの高さに。
ふわりと、潰れたミミズのようなものが、浮かび上がった。
(大丈夫だ)
それでも、セッカは油断しなかった。
瑠衣の日輪刀は片腕の1振りだけ。それを凌げば、他の人形に逃げ込める。
弱って遠隔操作は出来なくなってしまったが、直接入り込めば操れるはずだ。
だから、まだ大丈夫――――。
「――――バウッ」
「は……?」
正面の瑠衣にばかり目を向けていたから、気が付くのが遅れた。
横から跳んで来たコロが、その口に咥えた牙の日輪刀で、セッカを胴体から真っ二つに両断してしまった。
「そんな、バカ、な」
この私が。
この私が、この私を討つのが、こんな。
こんな、犬畜生だ、などと。
そんなこと。
「みと、めら、れ、ぬ」
そうして、セッカの意識は消えていく。
それまで彼女が数多の生命に対してそうしてきたように。
彼女の同意なく、理不尽に、一方的に、顔に布を被せられるかのように。
◆ ◆ ◆
「炭彦!」
「炭彦、大丈夫か!?」
セッカの消滅を呆然と見ていると、カナタと桃寿郎が飛びついて来た。
そして彼らは炭彦の身体に触れると、顔色を変えた。
「お前、凄い熱じゃないか!」
「え?」
「え? じゃない。自覚がないのか?」
カナタにペタペタと額や首筋を触られて、くすぐったそうに身をよじった。
ただ、本当に熱が出ているという意識は無かった。
炭彦も風邪を引いたことくらいはある。だから発熱時の辛さも知っている。
だが今は辛いどころか、むしろ身体が軽くて仕方が無かった。
今ならば何でも出来てしまいそうな、そんな風に思えてしまう程に。
「と言うか、何この……痣?」
「痣?」
鏡が無いので、炭彦は自分の顔がわからない。
だから自分の顔にくっきりと浮かび上がった痣を、自覚することが出来なかった。
「大丈夫ですよ」
落としたもう一振りの日輪刀を拾い上げながら、瑠衣は言った。
「今はまだ、
「……随分と詳しいね」
「ええ、まあ、
専門という言葉を、瑠衣はあえて使った。
実際、今の世にあっては瑠衣こそが呼吸の専門家と言っても過言ではない。
ただ「専門」という言葉を使う際、瑠衣はどこか遠くを見るような目をした。
そしてすぐに、自嘲気味に笑ったのだった。
「しのぶっ!!」
視界の端で、カナエが倒れたしのぶを抱き起こしているのが見えた。
しのぶは、無事だろうか。
セッカに身体を奪われかけた炭彦だからこそ、深刻さがわかる。
無事だろうか。治るだろうか。それがまず先に来た。
「…………」
瑠衣は、もちろんそちらも見ていた。
見ていたが、しかし今度は「大丈夫」という言葉を言わなかった。
言って、くれなかった。
「カナタ君」
その代わりに、カナタに声をかけた。
思えば、瑠衣がカナタの名前を呼んだのはこれが初めてではないだろうか。
警戒心を隠さずに目を向けて来るカナタに、しかし瑠衣は微笑んで言った。
「茶々丸さんの鞄の中に、すまーとふぉん、が入っているので。すみませんが、産屋敷家に連絡してくれませんか」
私はアレの操作が出来なくて、と、瑠衣は笑った。
ここに来て酷く日常的なことを言う瑠衣に、カナタは実に嫌そうな顔をして。
「…………はあ」
と、深く溜息を吐いたのだった。
◆ ◆ ◆
紅い水晶はすべて砕け散り、もはや机の上で輝く物は無い。
全滅。壊滅。殲滅。
その事実だけが、場に残っていた。
「我が
「言うな。わかっている」
鬼にも、いわば血統がある。
たとえば源氏や平氏、藤原氏と言った、一党ともいうべき血脈がある。
日本の鬼は、ほぼ鬼舞辻無惨系統の鬼だった。
言ってしまえば、鬼舞辻氏とでも言うべき鬼の血統だ。
もっとも、その血統は絶滅してしまったわけだが。
「存外、役に立たない奴らだったな」
そして今、彼女らの血統も絶えようとしていた。
そもそも不老不死である鬼は、子孫や仲間を増やす必要が無い。
鬼舞辻無惨が鬼を増やしていたのは、単に太陽を克服する手段とするためだった。
そういう理由でも無ければ、無惨とてあれ程の数の鬼を作りはしなかっただろう。
彼女達もまた、その例に漏れない。
そして彼女達は、鬼舞辻無惨のように同胞を増やしたりはしなかった。
と言うより、それが
極めて小さなコミュニティを形成し、けして大きくはならない。
「それとも、あの
そして、一度傾けば、元に戻すことは出来ない。
そのまま、滅び行くのみ、だ。
「どうなさいますか」
「どうもこうもあるまい。こうなれば、潔く
嗚呼、だが、滅びるならば。
そうとも。滅びるならば、いっそのこと。
いっそのこと、盛大に、美しく――――だ。
「ファス」
「はい、我が
それならば、
相応しい場を用意しなければならない。
そして、舞台を整えたのならば、役者が必要だ。
いや、この場合は、
どちらでも構わない。どちらでも同じことだからだ。
いずれにせよ、やることは変わらない。
く、と口の端を歪めて、傍らの従者に対して言う。
「招待状を出してくれ。あの
「かしこまりました」
そうして、王と呼ばれた吸血鬼は、再び宙に浮かび始めた。
ふわふわと、遊ぶように、床に足が届かない子どもがそうするように、ぶらぶらと足を揺らして。
黒い羽根を、揺らしていた。
「招待しよう。我が居城に――――我が、
こうして、最後の2人は、
それはこの物語の最後の場所。
鬼退治の物語。最終局面である。
最後までお読みいただき有難うございます。
中編のつもりが何故か長編になりつつある今日この頃。
しかしこの編もあと少し。最後まで書き切りたいですね。
それでは、また次回。