鬼滅の刃―鬼眼の少女―   作:竜華零

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第103話:「出航」

 1週間後。約束の夜がやって来た。

 夜19時、10分前。 

 いつか来た埠頭(ふとう)に、炭彦と桃寿郎、そしてカナタは再び足を踏み入れていた。

 

 当然のことだが、3人とも、健康状態に問題は無い。

 大きな怪我をしているとか、不調ということは無い。

 むしろ――特に炭彦と桃寿郎は――おそらく今までにない程に絶好調だろう。

 しかし、何というか、ズタボロだった。

 

「…………大丈夫なの?」

「うん! 何かね、身体の調子は凄く良いんだよ」

「うむ! 絶好調だ! 今ならフルマラソンを息を切らせず走り切れる気がするぞ!」

「そ、そうなんだ」

 

 実際、外見はズタボロだが、炭彦も桃寿郎も顔はどこかツヤツヤとしていた。

 血色も良く、溌剌とさえしている。

 特に炭彦においては、かつての眠たげな様子など微塵(みじん)も見せていない。 

 文字通り人が変わったかのようだった。

 

(これが、呼吸ってやるの効果……いや、効能ってわけ?)

 

 この1週間、炭彦と桃寿郎は寝る時以外――寝る時も呼吸は続けているが――ずっと修行漬けだった。

 カナタもずっと2人についていたわけではないから、変化をつぶさに見ていたわけではない。

 しかし、1週間前と後で、大きく変わった。それは感じ取らざるを得なかった。 

 

「で、実際のところ特訓って何をしてたの……って、大丈夫?」

 

 特訓の話題を振ると、炭彦も桃寿郎も急に顔色が変わった。

 青褪めた顔で汗をダラダラと流し、さらにはガタガタと震え始めた。

 

「え、何。怖いんだけど」

「あれは、ヤバかったな……」

「うん、ヤバかったね……」

 

 繰り返すが、炭彦と桃寿郎はこの1週間、瑠衣の下でずっと訓練していた。

 内容は、コロと茶々丸との()()()()()()だった。

 一言で追いかけっこと言っても、それは瑠衣が言ったように「出来るまで頑張れば大丈夫」な追いかけっこなわけで。

 そして瑠衣は、自分の言を一切曲げなかった。つまり。

 

『炭彦君には、()()()()()()()()()()()()()()()()()

『桃寿郎君には、そんな炭彦君を()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 実際に瑠衣は、()()()()ために必要なことを全てやった。

 それはそれは、今から思い返しても、情け容赦のないものだった。

 そして炭彦は、その一部始終を脳裏に思い返した。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 一鳴きするれば姿が消え、もう一鳴きすれば姿が現れる。

 茶々丸の血鬼術は、つまるところその一行で説明が済んでしまうようなものだ。

 そして奇しくもそれは、かつてある鬼(同胞)が彼にかけた術と同じものだった。

 

 先にも述べたが、彼の能力自体は至ってシンプルなものだ。

 消えたり現れたりする。それだけである。

 しかしその「それだけ」のことが、捕まえるという課題の前には甚だ厄介だった。

 

「ぜ――――」

 

 両膝に手をついて、炭彦は言った。

 ()()()、茶々丸を追いかけた後のことである。

 

「ぜんぜん、捕まえられない……!」

 

 呼吸の基礎が出来ているだけあって、一日中駆け回る体力は十分にあった。

 しかしこの場合、肉体的な疲労よりも精神的な疲労の方が影響は大きい。

 呼吸で体力を底上げしているはずなのに、炭彦と桃寿郎の肉体は鉛でも背負ったかのように重くなっていた。

 

 茶々丸は、1メートルほどの位置に佇んでいる。

 構えるでも力むでもなく、自然体でそこにいる。

 しかしこの訓練が始まって以来、炭彦も桃寿郎も彼に一切触れられないのだった。

 

「う……!」

 

 手を伸ばすと、茶々丸の姿がすうっと消えてしまう。 

 茶々丸はじっとこちらを見ていて、ゆっくりにせよ素早くにせよ、初動を認めた次の瞬間には消えてしまうのだ。

 そして消えた後には、茶々丸がどこに行ったのかを追うことも出来ない。

 

 これが跳んだり走ったりであれば、追うことも出来るだろう。

 だが()()となると、打つ手はないように思えてしまう。

 なので炭彦は、すぐ側で訓練を見守っている女性へと窺うように視線を向けた。

 

「そんな目で見つめても駄目ですよ」

 

 視線を向けられた相手は、苦笑を浮かべてそう言った。

 

「桃寿郎君と相談するのは良いですけど、きちんと観察して、自分で攻略法を見つけてくださいね」

 

 まあ、正論ではある。

 何しろこれは炭彦達の訓練なのだから、答えを聞いてしまっては訓練にはならない。

 

「ちなみに、コロさんの場合は逃げるだけではなく反撃もありますからね?」

 

 ばうっ、と、やけに鋭い刃物――日輪刀らしい――を咥えたコロが元気よく吠えた。

 え、見えない上にあれで斬り付けられるとかマジですか?

 と思ったが、瑠衣の表情が本気だったので聞くのはやめておいた。

 

「集中です。炭彦君」

 

 穏やかな口調で、瑠衣は言った。

 

「良く視て、良く聴いてください。そうすれば、(おの)ずと道は開けます」

 

 瑠衣にそう言われたから、茶々丸が消えた場所を、炭彦はじっと視た。

 視つめて、それから、考えた。

 そして。

 

  ◆  ◆  ◆

 

「…………で?」

 

 訓練を思い出してガタガタと震え続ける2人をよそに、カナタは言った。

 

「どうして僕まで?」

「あら、炭彦君のことが心配かと思ったのですが。余計なことでしたか?」

「そういうわけじゃ、無いけど」

 

 瑠衣が手ずから訓練した炭彦と桃寿郎はともかく、カナタは自分がどうしてここに呼ばれたのか、理解していなかった。

 もちろん、炭彦と桃寿郎のことは心配だった。

 しかしカナタ自身は呼吸も会得していない、ほぼ一般人だ。

 

 それなのに、瑠衣は彼もここに呼んだ。

 炭彦達はカナタがいることに何の違和感も覚えていないようだが、当のカナタはとんだ場違い感を感じ続けていた。

 自分がここにいたとして、何かの役に立てるのか。

 そういう思いを込めて瑠衣を見やるが、瑠衣はただ微笑むだけだった。

 

「そういう貴方だからこそ、この場にいてほしいと思ったのですよ」

「はあ……?」

 

 相も変わらず、考えの読めない女だった。

 とは言え、炭彦達を置いて帰ると言うのが論外だというのは、その通りでもあった。

 あの2人は前しか見ない。それは美点だが、危険に跳び込む場合は逆効果だ。

 

 危険。そう、危険だった。

 何しろ彼らはこれから、敵の根拠地に乗り込もうとしているのだ。

 しかも、また船である。海上に出れば逃げ場などない。

 そういう状況を、瑠衣も炭彦達も恐れていない。それがカナタには問題に見えた。

 

「……理解できないね」

 

 ああ、そうか、と不意に思った。

 ()()()、瑠衣はカナタにいて欲しいと思ったのかもしれない。

 明らかに人間の常識を置き去りにしている瑠衣と違って、炭彦も桃寿郎も人間だから。

 だから、カナタだったのかもしれない。

 単なる思い付きだが、あながち外れていない気もした。

 

(実際……)

 

 その時、突然、瑠衣が動いた。

 動いたと言っても、海の方に数歩、進んだだけだ。

 

「あ」

 

 と、続いて声を上げたのは炭彦だった。

 桃寿郎もいつの間にか静かになっていて、他の2人と同じ方向に目を向けていた。

 ()()()()()()()()()()()()

 

「何だ、この霧……?」

 

 その霧は徐々に濃くなっており、そして濃くなっていくにつれて、音がするようになった。

 音は、海の方から聞こえる。

 何か巨大なものが海をかき分けるような、そんな音だった。

 そして不意に、カナタの視界の中で、霧の中に黒い大きな影が浮かび上がったのだった。

 ――――それは、船だった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 最初、()()が船だとカナタは理解できなかった。

 何故ならその船は、()()()だったからだ。

 大きな岩の内部をくり抜いて作ったと言われれば、納得してしまいそうな造形だった。

 そしてその石船は、巨大だった。

 

 全長、幅、共に大きさだけならば先日の豪華客船を上回るだろう。

 こんな巨大な岩の塊がどうやって浮かんでいるのか、そしてこの狭い港にどうやって誰にも悟られずに入って来たのか、わからなかった。

 こうして目の前に出現するまで、カナタは気が付くことが出来なかったのだ。

 

「でかいな!」

「ええ、そうですね」

 

 率直な感想を述べる桃寿郎に微笑みつつ、瑠衣も石船を見上げた。

 表面は粗いが、頑丈そうな船体だ。

 水面より上の位置にところどころ四角い穴が開いているが、あれは窓か排水のための物だろうか。

 武装らしき物は、見えなかった。軍艦というわけでは無いらしい。

 

(船舶について詳しいわけではありませんが)

 

 あの吸血鬼達は、大陸から来たと言っていた。

 海を越えて、鬼舞辻無惨の滅亡によって空白地帯となった日本にやって来た、と。

 ただ、遠く大海を越えて来た船という割には。

 

(とても、そうは見えませんね)

 

 船体こそ産屋敷の豪華客船よりも大きいが、造りが余りにも粗い。

 そもそも、機関らしいものも見えない。

 帆を張っているわけでも、エンジン音を響かせているわけでも無い。

 

(何か仕掛けがありそうです……が)

 

 石船が、止まった。

 霧の港で、どこにも衝突することなく、するりと入り込んで来た。

 港の作業員はいない――産屋敷家が人払いをしている――ため、橋がかかることは無い。

 

「まあ、まずは()()()ですね」

 

 石船のことをとやかく考える前に、先に姿()()()()()()()のことを考えるべきだろう。

 

「炭彦」

「うん」

 

 石船の壁面の一部が()()()

 開閉したわけでもスライドしたわけでもなく、一畳分ほどの四角い穴がいきなり出現した。

 それを目の当たりにした炭彦と桃寿郎が、一気に集中する。

 そんな2人を横目に、瑠衣は穴の奥――おそらくは出入口――に姿を見せた人物に目を向けた。

 

「さて、これを聞くのも何度目かわかりませんが」

 

 その人物に対して、瑠衣は言った。

 

吸血鬼(貴女達)は、あと何体いますか?」

 

 吸血鬼の女は、瑠衣に問いに目を(しばたた)かせると、ゆっくりと口を開いた。

 

2()()()()

「答えるのかよ」

 

 呆れたようなカナタの声は、波の音で掻き消されて、誰の耳にも届かなかった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

「皆様、本日は我が主のお招きに応じていただき、有難うございます。主に代わり御礼を申し上げます」

 

 その吸血鬼の女は、流暢(りゅうちょう)な日本語でそう言った。

 一目見た印象は、銀色、だった。

 髪も、瞳も、銀色。明らかに自然な色では無い。

 そして、従者(メイド)

 

 彼女はいわゆる黒と白のメイド服を身に纏っていて、主という言葉からも、誰かに仕えている存在だということが窺えた。

 先ほど残りの吸血鬼は2体と――実に素直に――答えていた。

 それが本当だとすれば、彼女と主人が最後の吸血鬼なのだろう。

 

(あと、2体)

 

 つまり、最終局面というわけだ。

 ここで2体の吸血鬼を屠ってしまえば、一連の事件も終わる。

 再び平和と平穏の時期がやって来ると、そういうことだ。

 

「それでは、皆様。どうぞ船内に」

 

 銀色のメイドがお腹に両手を当てて頭を下げると、不思議なことが起こった。

 霧の一部が彼女の足元に、いや、足元から岸壁に向かって、小さく固まり始めたのだ。

 やがてそれは形を成し、階段のようになった。

 

(なるほど、この霧も血鬼術……)

 

 このメイドの術なのかはわからないが、これで船に上がることが出来る。

 

「コロさん? 茶々丸さん?」

 

 相変わらずいつの間にか足元にいたコロと茶々丸が、奇妙な反応を示していた。

 ふんふんと鼻を鳴らして、妙に周囲を警戒していたのだ。

 霧が血鬼術だとすれば、鬼の気配が周囲に拡散してしまっているとも言える。

 だから、コロも茶々丸も警戒しているのかもしれない。

 

「……ええ、大丈夫ですよ」

 

 足元から見上げて来る2匹の頭を指先で撫でて、それから瑠衣は後ろを振り向いた。

 カナタ、桃寿郎、炭彦の順番に、子ども達の顔を見た。

 3人とも緊張しているし、何なら怯えの色も見えた。

 だがそれ以上に、自信に満ちた顔をしていた。

 だから瑠衣は微笑んで、正面の銀色のメイドへと視線を戻して、言った。

 

「さあ、行きましょうか」

 

 瑠衣は、先頭を歩いた。

 鼓舞の目的もないではなかったが、罠にしろ奇襲にしろ、瑠衣の方が対処できると考えたからだ。

 それに、霧の階段に乗るのも不安だろう。

 だから、まず瑠衣が霧の階段を上がった。

 

「最後の吸血鬼とやらの、お顔を拝見しに行きましょう」

 

 霧の階段を上がって来た瑠衣に対して、銀色のメイドがゆっくりと頭を下げたのだった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 少し離れた場所で、産屋敷とその配下も石船の入港を確認していた。

 あれだけ巨大な船体だ。気が付かないわけもない。

 ただ、()()()()()()()()()()()()()

 

「どうだい?」

「はい、やはり()()()()()()()

 

 港の管制所では、港への船舶の入出港を監視・管理している。

 その中には目視だけでなく、計器(レーダー)によるものも含まれる。

 しかしあの石船は、管制所が集める計器類や信号所から得られる情報に、一切映っていなかった。

 もしも肉眼で確認していなければ、船の入港に気付くことさえ出来なかっただろう。

 

 不思議な現象だった。

 明らかに波を割いて進んでいるのに、計器はその波を感知していない。

 センサーも、重量も、何もかもがあの石船を()()()()()()()として扱っている。

 ちょうど、霧が出て来たあたりからだ。

 

「あの船は、()()()()()()()()()()()()

「物理的に、と言うと?」

「も、申し訳ございません。それ以上のことは、その」

「ああ、大丈夫。わかっているよ。ありがとう」

 

 困ったような顔をする部下に柔らかくそう言って、産屋敷は視線を管制所の窓に戻した。

 実際、部下も他に言葉を探そうにも探せずに、そう言っているのだろうと理解していた。

 しかしそれだけに、事態はより深刻であるとも言えた。

 

「センサーやレーダーに反応しないとすると、まさか衛星にも……?」

 

 望遠レンズにも、映らない可能性もあった。

 すると機械的な物では、あの石船は捕捉できないと言うことだろう。

 つまり、やはりこういう言い方になってしまう。

 あの石船は、物理的に存在していない。

 この世に存在していない船なのだ、あれは。

 

「対象、出港していきます。計器には……やはり、映っていません」

「そうか……」

 

 瑠衣達は、あの船に乗り込んだのだろう。

 存在しない船に乗り込んで、海へと進むことになる。

 産屋敷家の船やヘリコプターで追跡することも考えたが、おそらく無意味だろう。

 確証は無いが、途中で見失うような気がした。

 

「どうか、無事で」

 

 これも産屋敷家の宿命なのだろう。

 今も昔も変わらない。

 自分では刀を振ることも、事態を解決することも出来ない。

 

 こうして、誰かに託すことしか出来ない。

 ご先祖様達も、このようなもどかしい気持ちだったのだろうか。

 不意に、産屋敷はそんな風に思った。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 中に乗り込むと、船はすぐに動き出した。

 ただ、船舶特有の()()()がまったく感じられなかった。

 浮いているというより、まるで滑っているかのような、そんな感覚だった。

 

(まあ、普通の船だとは思っていませんでしたが)

 

 内装は、瀟洒(しょうしゃ)ではあるが豪奢では無かった。

 白い石材がふんだんに使われており、カーペットや調度品はどこか控えめだ。

 照明だけは多いが、電気というわけではない。

 ふわふわとした、不思議な光源が燭台の上を漂っていた。

 

(それと、奇妙な気配がしますね)

 

 誰かが潜んでいる、という気配では無い。

 石船内部の全体から、濃厚な鬼の気配を感じる。

 おそらく、船の主の気配だろう、と推察した。

 これだけの範囲にこれだけの濃厚な存在感を残すとなると。

 

(流石に、親玉……というところでしょうか)

 

 脳裏に浮かぶのは姉であり、鬼舞辻無惨だ。

 今まで戦って来た感覚からすれば、そこまででは無いだろう。

 とは言え、油断は出来ない。

 鬼としての能力自体は日本の鬼ほどではないが、血鬼術次第では脅威になり得るからだ。

 実際、セッカの能力は最終的にかなりの脅威になった。

 

(そして、こちらは……)

 

 ちらと後ろに視線を向ければ、緊張した様子の子ども達がいた。

 ただ、3人とも怯えている様子は無かった。

 炭彦と桃寿郎は良く集中していて、何かあればすぐに動けるように脚に力を入れていた。

 カナタは自身のことより、2人のことを気にかけているようで、やはり恐怖で身が(すく)んでいる様子は無かった。

 

「こちらへどうぞ」

 

 そして、この銀色のメイドだ。

 (うやうや)しく頭を下げて、両開きの重々しい扉の側で控えている。

 気配は、()()

 こうして目の前に存在しているのに、恐ろしい程に存在感が無い。

 周囲に漂う強烈な存在感のせいか、完全に埋没してしまっている。

 

「どうぞ」

 

 しかも、本人の自己主張の薄さがそれに拍車をかけていた。

 必要以上のことは、一切口を開こうとしない。

 自分の名前さえ、未だのこの少女――見た目が少女というだけだが――は言っていない。

 

「どうぞ」

 

 そして、扉の向こう側だ。

 まだ閉ざされたその先から、これまで以上に濃厚な鬼の気配を感じる。

 はたして、鬼が出るか蛇が出るか。

 ああ、いや。

 

「ここには鬼しかいませんでしたね」

 

 そう言って、瑠衣は扉を潜った。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 そこは、これまでとは色合いの異なる部屋だった。

 まず、空間が広い。

 通路より部屋の方が広いのは当然だが、産屋敷の船のホールよりも広い空間だった。

 天井が高い。入口も会談を降りる形になっている。

 

 それらを総合して考えると、もしかすると、船体の中央部に大きな空間を作っているのかもしれない。

 船体構造学としてどうなのかと思わなくも無いが、鬼の船だった。

 すると、普通の船舶と同じに考えない方が良いのかもしれない。

 霧。気配。そして構造。いずれも異常だ。警戒レベルは最大に上げねばならない。

 

「ええと……何て言うか、ここって」

 

 きょろきょろと広大な室内を見渡して、炭彦は言った。

 

「何だか、待合室みたいな場所ですね」

「みたいと言うか、そうとしか見えないんだけど」

「うむ! 俺にもそう見えるな!」

 

 珍しく素直に、カナタも炭彦の見解に同意した。

 部屋の中央には紅いカーペットが敷かれており、中央には4人程が座れる椅子とテーブルがあった。

 おまけにテーブルにはお茶菓子まで――見た限りは人間用のケーキやクッキー置いてあった。

 なお、他には何も無い。

 

 空間の無駄遣いにも程があるが、元々は無かったものなのかもしれない。

 瑠衣達を招待するので、急遽用意したというところか。

 椅子が4つという点も、こちらの情報をある程度は掴んでいることがわかる。

 ただ、ここまで仰々しく招待しておきながら、準備がこれだけと言うのは。

 そう思っていると、疑問を解消するように、銀色のメイドがさらに奥を示して。

 

「煉獄瑠衣様は、こちらへどうぞ。お進みください」

「…………私だけですか?」

「はい」

 

 それきり、銀色のメイドはまた喋らなくなった。

 カーペットのちょうど一歩分だけ外に立ち、お腹に両手を当てる姿勢で不動の体勢を取った。

 それ以上は動きもしなければ話もしない。という強い意思だけは感じ取れた。

 

「ふむ」

 

 戦力分断、というわけでは無さそうだった。

 ただ単に、瑠衣だけに用があると言うことだろう。

 その間、()()()はここで歓待しておくと、そういうことか。

 銀色のメイドが指し示した先には、入口よりもなお大きな扉があった。

 すると、瑠衣の下に炭彦が駆け寄って来た。

 

「瑠衣さん、僕も行きます!」

「俺もだ!」

「2人とも来てしまったら、カナタ君が1人になってしまいますよ」

「う、それは」

 

 苦笑して言うと、炭彦は言葉に詰まった。

 気持ちは嬉しいが、戦力比的にも炭彦達は一緒にいた方が良い。

 それに、だ。

 

()()は許さない、という目つきでしたね)

 

 炭彦が一緒に行く意思を示した時、銀色のメイドがこちらを見つめていた。

 もしも瑠衣が炭彦達を連れて行くと言っていれば、攻撃してきたかもしれない。

 戦力も能力も未知数の相手と、いきなり戦闘になるのは出来れば避けたいところだ。

 少なくとも、親玉が()便()()話をしようとしている段階では。

 

「皆さんはここで待っていてください。私は大丈夫です」

 

 良いだろう。乗ってやる。

 同じく視線に意思を乗せて、瑠衣は銀色のメイドを見つめた。

 それを受けて安心でもしたのか、銀色のメイドは再び不動の体勢に戻った。

 どこまでも、不思議な存在だった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

「それでは、行ってきますね」

 

 そう言って、瑠衣の背中は奥の扉の向こう側へと消えて行った。

 それを、炭彦は見送った。

 見送ることしか出来ない自分が、情けなかった。

 

(強くなった、と思う)

 

 自分の掌を見下ろして、そう思った。

 実際、最初の頃に比べれば、炭彦は遥かに強くなっていた。

 元々生まれ持った天性の呼吸だけで、ランニングマンとあだ名される程の身体能力を持っていた少年だ。

 

 それが正式な呼吸の訓練を受けたことで洗練され、常中の域にまで到達した。

 さらに持ち前の実直さで基礎訓練を毎日たゆまず続けた結果、今ではほとんど意識することなく自然に全集中の呼吸を維持している。

 この時点で、過去の鬼殺隊士のほとんどを抜き去ってしまっている。

 

(それでも、僕はまだあの人と一緒には歩けない)

 

 ただ炭彦にとって、本当のところ、誰かよりも強いということには意味が無かった。

 炭彦にとっての強さとは、あるいは炭彦が欲してやまない強さとは、つまるところ「瑠衣の隣に立てるかどうか」なのだった。

 それが出来ないのであれば、結局のとこ「うまい!」――――うん?

 

「うまい! うまい! うまい!」

「って、お菓子全部食べたの!?」

 

 先程からバリバリと音がすると思って振り向いてみれば、桃寿郎がテーブルに用意されたお茶菓子を口いっぱいに頬張っていた。

 

「悔しいな、炭彦!」

 

 だから頑張ろう、と、桃寿郎は言った。

 

「頑張ろう! 炭彦!」

 

 今までも頑張ってきたけれど、もっともっと頑張ろう。

 そう言って、桃寿郎は炭彦にもお菓子を突き出して来た。

 その燃えるような両の瞳は、口ほどに物を言っていた。

 

 足りないことを、嘆いても仕方がない。

 足りない自分を抱え込んで、進んで行くしかないのだから。

 頑張れ、頑張れ竈門炭彦。

 

「はい! 頑張ります!」

 

 言って、炭彦もお菓子を頬張った。

 控えめだが仄かな甘みが口内に広がり、炭彦の頬に赤みが差した。

 そのあたりは、まだ子どもらしいと言えた。

 

「いや、食べるなよ」

「ばうっ」

「にゃあん」

 

 そんな炭彦と桃寿郎に心底から呆れたような呟いてから、カナタは嘆息した。

 カナタに同意でもしているつもりなのか、コロと茶々丸が鳴いた。

 ちらりと視線を向ければ、銀色のメイドは変わらず何も言わず、カーペットの一歩外に不動の体勢で直立していた。

 敵意は、感じられない。

 何か頼めばやってくれるだろう、と思える程には、自然体の様子だった。

 

(待っていろ、と言われてもね)

 

 敵との同席。楽にしていろと言われて出来るものではない。

 そういう意味では、お菓子を食べている炭彦と桃寿郎は器が大きいのかもしれなかった。

 ――――いや、単に神経が図太いだけだろう。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 通路は、不自然に長かった。

 船に乗り、大きな広間からさらに内部深くへ。

 歩き出した方向を思えば、そういう動きになるはずだ。

 

「……血鬼術、にしてはやや奇妙ですね」

 

 呟いて、通路の燭台の上にたゆたっている()()のような光源に視線を向けた。

 次いで後ろへと目を向ければ、そこには細い通路が――自分が今まで歩いて来たはずの――延々と続ている。

 炭彦達と別れる際に潜った扉など、もはや視界にさえ映らない。

 

 いくら巨大な船体だと言っても、これは異常だった。

 可能性として、方向感覚を狂わせる血鬼術をまず疑った。

 しかし瑠衣の()には、そういった兆候は無い。

 至って正常。何ならこの通路には罠1つ無い、と断言できてしまう程だった。

 

「視覚を広げるというのも、手ではありますが」

 

 透き通る世界。

 全集中の呼吸と極限にまで集中力を高めることで、文字通り世界を()()()()視る技術だ。

 とは言え瑠衣のそれは、かつての継国縁壱や竈門炭治郎とはやや違う。

 彼らと違って、天性・自然体と言うよりは、偶然(鬼化)に誘発されたものだ。

 そういう意味では、どちらかと言えば黒死牟に近い。

 

「以前なら、調子が良ければ40メートル程は視えたものですが」

 

 流石に、()()そこまででは無い。

 それに、考えている内にそれは必要なくなってしまった。

 あるいは、瑠衣が何かをしようとする気配を察しでもしたのだろうか?

 そう思ってしまう程ぴったりのタイミングで、()()が目の前に現れたのだ。

 

「ふむ。また扉、ですか」

 

 つい先ほどまで、通路は果てがないのではないかと思えるほど、何も無かった。

 にも関わらず、今の瑠衣の眼の前には扉がある。

 視界に()()がかかるとほぼ同時に、出現したのだった。

 両開きの、石造りの扉。重厚感があるが、それでいて誘うようでもある。

 

 実際、手で軽く押すと、その扉は何の抵抗もなく奥へと向けて開かれた。

 そしてそこには、再び大きな部屋が――――というわけでは無かった。

 いや、広いは広いのだが、暗さのせいか狭く感じた。

 石の円卓と、石の椅子。

 

(何でしょう。宝石……いえ、水晶?)

 

 円卓上には、何故か水晶の破片のような物が散らばっていた。

 ただ、それが何かと瑠衣が志向するよりも前に。

 

「――――良く来たね、瑠衣」

 

 瑠衣に、声をかける者がいた。

 ()()顔を見た瞬間、瑠衣は目を見開いた。

 炭彦が見れば驚いただろう。それ程に瑠衣の感情の変化は急だった。

 瑠衣は、その人物を知っていた。

 

「久しぶり」

 

 自分と良く似た黒髪。自分と良く似た顔立ち。自分と良く似た姿形。

 しかし、瑠衣よりも少しだけ勝気な細い瞳。

 どこか意地の悪そうな、笑み。

 その顔を、その容貌を、その少女を、瑠衣は誰よりも良く知っていた。

 

「――――――――()()()

 

 ()()()()

 ()()()()()()()()()()

 瑠衣に名を呼ばれて、瑠花は目を細めて笑みを浮かべた。

 視界の端で、もやがたゆたっていた――――。




最後までお読みいただき有難うございます。

リアルが忙しく、やや遅れ気味。

それでも投稿は続けますので、どうかお見捨てにならずにいてくれれば…。

それでは、また次回。
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