鬼滅の刃―鬼眼の少女―   作:竜華零

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※クトゥルフ神話要素注意。


第105話:「正体」

 ――――()()は最初、海の上を漂っていた。

 朝となく、夜となく、ただ海流に身を任せていた。

 海藻のように、あるいは木の枝のように、何日も、何年もの間。

 意思のようなものは、あった。

 

 ただそれは、他の生物とは少し違うものだった。

 生存への本能。安全への本能。

 他の生物が当たり前に持っているものを、それは持っていなかった。

 代わりにも持っていたのは、渇望にも似た、本能。

 強迫観念にも似た、強い欲求だった。

 

()()()()

 

 生まれ落ちたその時から、自然とそう思っていた。

 

()()()()()()()()()()()()()()

 

 ()()()()

 誰かに仕えなければならない。

 何者かに、奉仕しなければならない。

 それは常に、自分の奥底から溢れて来るその声に背を押されていた。

 まあ、それに背中という器官は存在しなかったのだが。

 

(だれか、いないのか)

 

 広大な海には、自分以外の生き物は存在していない。

 たまに生物が傍を通ることもあったが、意思疎通の出来ない哺乳類や魚類ばかりだった。

 そして彼らは、()()に関心を向けることが無かった。

 動物や魚ではない。求めているものは、もっと他のものだった。

 

(だれか、いないのか。わたしが仕えるべき存在は、いないのか)

 

 長い年月を海の上で過ごしていく中で、それは自分が弱っていることも理解していた。

 海水が浸透しているのか、あるいは本能を満たせないことから来る精神的な衰弱か。

 いずれにしても、徐々に意識が希薄になっていくことを実感していた。

 それは、自分が死につつあることを理解していた。

 

(ああ、いやだ)

 

 死ぬことは、恐ろしくはなかった。

 元よりそれに、死への恐怖などというものはない。

 ただ、()よりも、何よりも、耐え難い程の欲求がある。

 

(このまま終わるなんて、いやだ)

 

 誰か、誰でも良い。()()()()()

 わたしを、見つけて。

 

「―――り、り」

 

 だから、声を上げた。

 誰もいない、何者も聞くことのない海の上で、虚しい抵抗を、した。

 

「て……り。てけ、り、り。テケリ・リ」

 

 テケリ・リ。テケリ・リ。テケリ・リ。

 テケリ・リ。テケリ・リ。テケリ・リ。

 テケリ・リ。テケリ・リ。テケリ・リ。

 テケリ・リ――――。

 

「うん? 何だ、お前は?」

 

 ――――テケリ・リ。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 1人を複数人で攻め立てるなんて、気が引ける。

 最初は、もしかしたならば、そんな考えが脳裏にあったかもしれない。

 しかしそんな甘い考えは、ファスと戦う内にすぐに消え去っていた。

 

「そっちに行ったぞ炭彦!」

「わわわっ!?」

 

 ナイフの数は、もはや数え切れない程になっていた。

 片手に持てるナイフの数には限界があるはずだが、ファスはそれを数秒に一度の速度で射出してくる。

 結果として、炭彦の目前に飛来するナイフは、もはや弾幕と言った方が良いレベルの物量になっていた。

 しかも、微妙な時間差がついてくるのである。

 

 ごう、と、激しい炎のような呼吸音が炭彦の口から漏れる。

 そうして振るわれた日輪刀もまた、太陽の如き熱を持った斬撃になる。

 しかし一度二度と斬り払ってもなお、ファスの攻撃は終わりが見えなかった。

 

「こっちだ!」

 

 ――――炎の呼吸・壱ノ型『不知火』!

 一息に跳躍し、桃寿郎がファスに肉薄する。

 傍らを跳び過ぎ、その背に向かって日輪刀を振るう。

 その剣速と威力は、炭彦と比べても遜色のないものだった。

 

「ぬ、またか!」

 

 しかしその刃が、ファスに届くことは無かった。

 いや、それでは表現が正確ではないだろう。

 桃寿郎の攻撃は、確かにファスを捉えていた。

 だがその攻撃を、ファスは体を()()()()と歪ませて回避してしまったのだ。

 

「失礼いたします」

 

 バサッ、と、ファスがスカートを広げた。

 白い太腿が露になるが、煽情的というにはいささか()()()に過ぎた。

 何しろ肌色よりも、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

()()()()()()()()()()()

 

 実際に千本あるのではないか、と思える程の量のナイフが射出された。

 

「桃寿郎君!」

 

 攻撃を捌いたばかりの炭彦は、桃寿郎の援護に動くには動作が2つほど足りなかった。

 

「……!」

 

 視界を覆い尽くす程のナイフの弾幕の中で、しかし桃寿郎は目を閉じなかった。

 透き通る世界。

 だがその視覚をもってしても、右にも左にも上にも下にも逃げ場を見つけることは出来なかった。

 

(もしも、助かる道があるのならば)

 

 それは、《《ここ》にしかない。

 そう決断すると、桃寿郎はけして目を閉ざさず、そのまま日輪刀を構えて深く身を沈めた。

 桃寿郎が選んだのは、正面だった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 ――――炎の呼吸・伍ノ型『炎虎』!

 正面に向かって、桃寿郎は跳んだ。

 そして偶然にも、そここそが()()()()()()()()()()()()

 

 腕を振るってナイフを投擲する関係上、ナイフの軌跡は外から内に向かう。

 故にファスに近ければ近い程、ナイフの密度は薄い――気がする!

 そう思うことにして、桃寿郎は跳び込んだ。

 頬や肌にナイフが擦過するのを感じたが、桃寿郎は怯まなかった。

 

「驚きました。少しだけですが」

 

 実際に本当に驚いている様子で、ファスはそう言った。

 それに対して、桃寿郎はうむと頷いた後。

 

「有難う!」

「いや、有難うじゃないよ」

 

 すっかりツッコミ役になってしまったなと思いつつ、カナタは状況の変化を敏感に感じ取っていた。

 先程まではファスに一方的に攻撃されていただけだったが、偶然にしろ何にせよ、こちらの反撃が通った形だ。

 振り下ろされる桃寿郎の剣先が、ファスのメイド服を斬り裂いていた。

 

 しかし、お世辞にもダメージが通ったとは言えない。

 斬り裂かれた衣服の隙間から素肌が見えているが、傷一つあるようには見えない。

 文字通りノーダメージだった。

 

(……いや、待て)

 

 ダメージが無いのは良い。

 だが刀で素肌が覗ける程に衣服を斬り裂かれていて、肌に痕さえ残っていないのはどういうことだ。

 まるで。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「桃寿郎君、()()!?」

「ああ、視たし()()()()!」

 

 そして肉眼のカナタ以上に、炭彦と桃寿郎の眼は()()をはっきりと視た。

 先程は、ぐにゃりと歪んで攻撃を回避した。

 今は逆に、鋼のように硬質化して攻撃を防いだ。

 そのいずれも、ファスの体内に潜む何かが関係している。

 

「体の中に何かがいるな!」

 

 ゴムのように柔軟になり、金属のように硬くもなる。

 余りにも対照的な性質だが、ファスの肉体はそれを可能にしている。

 そしてその事実は、ある1つの事柄を証明してしまっていた。

 

「本当に驚きました。素晴らしい洞察力です。まるで身体を透かして見ているかのようです」

 

 今度はそれほど驚いていない表情で、ファスは言った。

 

「では、おわかりになられたことでしょう。()()()()()()()()()()

 

 攻撃は回避される。攻撃は弾かれる。

 つまり、()()()()

 

僭越(せんえつ)ながら、諦められることをお勧め致します」

 

 苦しめることは本意ではありません。

 そう言って、ファスは再び両手いっぱいのナイフを構えたのだった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 どうやら、独特な身体構造を持つ相手らしい。

 炭彦達の戦いの様子を見つめながら、瑠衣はファスを観察していた。

 もちろん直接戦っているわけではないので、予測ということにはなる。

 

「お前ならどうやって戦う?」

 

 面白がっているのか、ラーフの声は明るかった。

 それに対して、瑠衣は表情を変えなかった。

 そもそも論として、ラーフの問いには意味が無かった。

 

()()()()

 

 それだけのことだったからだ。

 鬼がいれば斬る。何としても斬る。

 それは鬼狩りがまず最初に学ぶことだ。

 斬るという最終目的さえ見失わなければ、後はシンプルだ。

 

 ()()()()()()、ということだ。

 どうやって斬るか。考えることはそれだけだ。

 どんなに無敵に見える能力でも、どこかに突破口はあるものだ。

 この手ならどうか。駄目なら次の手はどうか。それを試し続ける。

 鬼の頚を斬るまで。

 

「ほう、豪気なことだ」

 

 思ってもいないことをと、瑠衣は思った。

 ただそれは裏を返せば、彼女のファスへの信頼の高さを示してもいた。

 この()()とやらも、その実は賭けにはならないと思っているのだろう。

 

「そうでもないですよ」

 

 ただ、それは瑠衣も同じだった。

 賭けを受けた形ではあるが、瑠衣もまた自分が負けるとは思っていない。

 勝つのは子ども達だと、そう確信している。

 

(とは言え)

 

 そうとは言っても、子ども達はまだまだ経験不足だ。

 特に知識だ。

 瑠衣と違って、前提条件としての鬼の知識量が足りない。

 

 あるいは経験が足りないと言っても良いだろう。

 過去にどんな鬼がいたのか?

 どんな血鬼術があるのか?

 それらに対しては、どうやって対処するべきなのか。

 

(苦しいでしょう。辛いでしょう)

 

 その気持ちを、おそらく瑠衣はこの世の誰よりも理解できる。

 目の前の鬼が絶対に倒せない相手なのではないかという、どうしようも無い不安。

 心が折れそうになる絶望を、何度も突き付けられる。

 

 けれど、それを乗り越えて行くしかない。

 炭彦にとっての幸運は、彼が1人ではない、ということだった。

 1人では、人は強くいられない。

 本来は究極の個人主義である鬼と、そこが最大の違いだった。

 

(でも、信じています)

 

 炭彦ならば、子ども達ならばきっと、(くじ)けずに乗り越えて行けるはずだと。

 瑠衣は、信じていた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 見た目の細腕に反して、ファスは力も強かった。

 しかも炭彦達のような、大きな日本刀ではない。

 ナイフかメスかというような、小さく頼りない刃物だ。

 その一撃が、()()()()()()

 

「~~~~ッ!」

 

 振り下ろした日輪刀を、涼しい顔で弾かれる。

 その時、鈍い痺れがジンジンと腕に伝わって来る。

 何という馬鹿力。しかもどんどん強くなっているような気さえする。

 

「うおおおおおっ!」

 

 ファスの意識が炭彦に向いている隙に、桃寿郎が斬りかかる。

 しかしファスは意識の死角にあるはずのその攻撃にも、適切に対応した。

 上半身を()()()と回転させて、炭彦と同じように桃寿郎の日輪刀を弾き飛ばしてしまう。

 その様は、背中に目でもついているのか、と言いたくなってしまう程だった。

 

「……これでも、放しませんか」

 

 一方のファスも、少しばかり驚いていた。

 先程までの一撃。彼女は日輪刀を炭彦達の手から奪うつもりで放っていた。

 人外の膂力(りょりょく)でもって、弾き飛ばすつもりで攻撃したのだ。

 しかし炭彦も桃寿郎も、日輪刀を手放すことなく耐えていた。

 

「握力は死ぬほど鍛えられたからな!」

 

 瑠衣は2人にいくつかのことを教えたが、最も念を押したのが()()だった。

 すなわち、()()()()()()()()()()()()

 日輪刀は人間が鬼に対抗できるほとんど唯一の武器だ。

 これを失うことは、文字通り鬼への対抗手段の喪失を意味する。

 だから、どんなことがあっても日輪刀の柄から手を放してはならない、と、瑠衣は彼らに教えた。

 

(けど、そうは言っても)

 

 そうは言っても、それだけでは事態を好転させることは出来ない。

 実際問題として、炭彦と桃寿郎の攻撃が通じないという点は変わらないのだ。

 さらに鬼狩りの剣士の宿命として、その戦闘力は時間と共に落ちていく。

 今は日輪刀を弾かれないように耐えていられるが、それがいつまで続くかはわからない。

 

(何か、何か無いのか)

 

 それまでに、何か事態を好転させる突破口を見つける必要があった。

 ファスの体質に対処し、炭彦達の体力が尽きる前に決着をつける突破口を。

 

(何か)

 

 だが、それもまた至難の業だった。

 観察して考えるよりも先に、目の前に迫るナイフの群れに対応しなければならない。

 一瞬でも気を抜けば、すぐに死が肩を叩いてくるだろう。

 文字通り絶体絶命の状況の中、いつしか炭彦達は唇を固く引き結んでいた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 硬質化して桃寿郎の刀を弾き、逆に柔らかくなって炭彦の攻撃をかわす。

 ファスのその防御と回避はまさに鉄壁で、打ち崩すことが出来なかった。

 対して、ファスの攻撃は徐々に炭彦と桃寿郎を削りつつあった。

 

(あの守りを何とかしないと、どうにもならない)

 

 カナタの目から見ても、それは明らかだった。

 時間的な余裕は無い。

 だからカナタは、観察した。必死だった。

 

 何しろ実際に戦闘している炭彦と桃寿郎は、そういう思考をしている余裕が無い。

 戦えない自分が、考えなければならない。

 自分が何か、突破口を見つけなければ。

 

「硬くなって……柔らかくなる……」

 

 それが、炭彦と桃寿郎が攻撃する際に起こるファスの肉体変化だ。

 日輪刀よりも硬質化されれば、これはどうしようもない。

 だからもしも、突破口があるとすれば、柔らかくなった時ではないか。

 一瞬、カナタはそう考えた。

 

「炭彦! 続けて攻撃するんだ!」

 

 声を上げる。

 そうして、カナタは叫んだ。

 

()()()()()()()()()!」

 

 叫んだのは、何故か逆の言葉だった。

 何故なのかは、カナタにもわからなかった。

 ただ気が付いた時、そう叫んでいた。

 

「……!」

 

 一方の炭彦にも、カナタの意図まではわからない。

 わからないが、しかし。

 

「わかった!」

 

 しかし、炭彦はカナタのことを信じていた。

 カナタが自分よりもずっと賢いことを、炭彦は誰よりも理解していた。

 いや、賢いとか賢くないとか、そういうことでもない。

 ただカナタがそう言ったから、炭彦は信じたのだ。

 

 轟、と、炭彦の身体から激しい呼吸音が発せられた。

 弾かれないように日輪刀を強く握り締め、そのまま跳んだ。

 当然、ファスはそれに気付く。

 勢いよく振り下ろされる――今までになく大振り――を見てとって、腕を上げた。

 

「はあああああっ!」

 

 呼吸を乗せた日輪刀の一撃。

 しかしそれは、ファスの硬質化した腕によって防がれてしまった。

 だが防がれることを予想していた攻撃は、弾かれることなく――削れた。

 金属が擦れる嫌な音が響き、()()()散った。

 

「まだだあああああああっ!」

「――――ッ!?」

 

 そこへ、桃寿郎が打ち込んで来た。

 それは予想外だったのか、ファスの反応も一瞬だけ遅れた。

 とは言え、ファスの肉体変化の速度を思えば、致命的な遅れという程では無かった。

 だが桃寿郎の攻撃は、ファスの思わぬ場所に打ち込まれた。

 炭彦が打ち込んだその場所に、寸分(たが)わぬ正確さで打ち込まれたのだった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

「刀とは、実はとても脆いものです」

 

 瑠衣は、炭彦にそう教えてくれた。

 

「とても強靭なように見えて、正しい方向に正しい力を向けなければ、簡単に折れてしまいます」

 

 逆に言えば。

 正しい方向に、正しい力で斬り付ければ、()()()()()()()()()()()()()()()

 そう言って、瑠衣は炭彦や桃寿郎の前で分厚い石材を斬って見せたことがある。

 

 その時は、瑠衣の言うことが余り理解できなかった。

 だが今は、少しだけ理解できたような気がした。

 刀だけではないのだ。

 どんなに硬い鋼のような物体でも、()()()()()()()()()()()()()

 

「――――!」

 

 ファスの両目が、驚愕に見開かれる。

 それはこれまでの彼女が見せた中で、最大限の感情の発露だった。

 

「お……」

 

 ()()()

 とは言え、それは傷というには、余りにも小さな物ではあった。

 人間に例えれば、薄皮の一枚二枚を抉ったか、というところだ。血さえ出ない。

 だが、それは確かに傷だった。

 

「おおおおおおおおっ! 効いたぞ炭彦!」

「うん! 視たよ!」

 

 ファスの防御は確かに鉄壁だった。

 しかし鉄と言えども、正しい受け方をしなければ脆い。

 鉄製の武器が、鎧が、盾が、戦場で砕けるのと同じ道理だ。

 

 一撃目の炭彦の攻撃を、ファスはまさしく正しく受けた。

 しかし二撃目の桃寿郎の攻撃は、正しく()()()()()

 一方で炭彦も桃寿郎も、透き通る世界のサポートを受けて、正しく刀を振るった。

 正しい側とそうではない側、その優劣がはっきりと表れた形だった。

 

「――――だからどうしたというのです」

 

 理屈がわかってしまえば、対応は容易い。

 要は二撃目をも、正しく受ければ良いだけのこと。

 そう思い直して、ファスはすぐに体勢を立て直した。

 それは、ファスの戦闘対応力の高さを証明していた。

 しかし、彼女は知らなかった。

 

「ようし、行くぞ炭彦!」

「うん!」

 

 この時代の、現代の子ども達の、調()()()()()()()()()()()()()()()

 

「――――なっ!?」

 

 一撃目、確かにファスは桃寿郎のそれを受け止めた。

 完璧に、受け止めた。

 そして続いてくるだろう二撃目、炭彦の攻撃に備えた。

 

「こっちだ――――!」

 

 だが、炭彦の攻撃は、()()()()()()()()()()()()

 

  ◆  ◆  ◆

 

 カナタは言った。確かに言った。

 ()()()()()()()、と。

 桃寿郎は文字通り同じ場所を続けて攻撃したが、カナタの指示は必ずしもそうでは無い。

 ()()()()()()()()()()()、ということだ。

 

「――――ッ!」

 

 もちろん、ただ二か所を攻撃するだけであれば、ファスは問題なく対応しただろう。

 それだけの戦闘対応力が、ファスにはある。

 しかしそれは、相手が普通の存在であれば、の話だ。

 

 全集中の呼吸の鍛錬を積んだ剣士が2人、タイミングを合わせて攻撃を重ねて来る。

 右を防いだかと思えば左に打ち込んで来る。

 上を弾いたかと思えば、下に打ち込んで来る。

 そして別々に打ち込んで来るかと思えば、同じ場所を打って来る。

 

(良し、いいぞ……!)

 

 無意識の内に、カナタは拳を握り締めていた。

 それほど、状況は()()()()いたからだ。

 カナタの目には、炭彦と桃寿郎が絶えずファスに打ち込んでいるように見える。

 それだけの速度で、攻撃し続けている、ということだった。

 

(このまま、行け!)

 

 このまま攻めきれれば、と、カナタは思った。

 そして実際、ファスにとってこの状況は好ましいものでは無かった。

 

(この、攻撃、は……!)

 

 別々の場所を()()()狙ってくるのか、同じ場所を狙ってくるのか。

 もちろん、フェイントもある。

 それを全集中の呼吸で、透き通る世界の状態で、全速力で行っている。

 狙いを絞らせないという意味において、極めて厄介な戦術だった。

 

 一撃で受けるダメージは、大したことが無い。

 大したことは無いが、着実に蓄積していく。

 ()()()

 ()()()()()()()()()()

 

(不味い……!)

 

 状況が、ひっくり返されてしまった。

 硬質化による防御が、かえって自身を不利にしてしまっている。

 そんな状況に、ファスの胸中に、確かな焦燥感が芽生えていた。

 これだけの攻勢だ。炭彦や桃寿郎が、遠からず限界を迎えることはわかっていた。

 わかっていたが、しかし、それよりも先に。

 

(このままでは)

 

 それよりも先に、()()()()()()()()()()()()()()()

 

(このままでは、()()()()()()……!)

 

 その時、炭彦の放った一撃が、ファスの頚に届いた。

 衝撃が、ファスの体内を揺らす。

 ()()()と、ファスの視界が崩れた――――。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 不意の空振りに、炭彦はたたらを踏んだ。

 予想外に攻撃が外されたために、集中が一時途切れてしまった。

 攻撃の勢いのままに床を滑り、すぐに振り向いて状況を確認した。

 幸い、ファスが追撃をかけてくることは無かった。

 

 彼女は、()()()()()

 それは文字通りの意味で、()()()、とその場で形が崩れていた。

 ただそれは、とても人間の肉体が溶けた物には見えなかった。

 ()()を、いったい何と表現すべきだろうか。

 

「何、だ……あれ……は……」

 

 カナタも、言葉を失っていた。

 失わざるを得ない。

 それ程に、ファスの変化が急激だったからだ。

 

「……み……」

 

 ファスの身体は、個体と液体の中間のような状態で、その場に()()()を作っていた。

 どろどろとした、不定形の塊だ。

 色は緑色に見えるが、それさえも所々で濃淡が変化していて、別の色にも見える。

 気のせいでなければ、半透明にさえなっているように見えた。

 

 ファスの姿形も、いや衣服でさえも、どこかへと消え失せていた。

 あの不定形の塊の中に、溶けて消えてしまったと考えるべきなのだろう。

 状況的にはそうとしか考えられない。だが、脳がすぐにへ受け入れられなかった。

 

()()()()()()()姿()()

 

 口は無い。見えない。

 しかし、ファスの声がはっきりと聞こえた。

 当然ながら、それはあの塊の中から聞こえて来た。

 

「……て」

 

 ()()()()()()()

 いくつも、いくつも。

 何重にも重なって、ファスの声が耳に届いて来る。

 

「て……り。てけ、り、り。テケリ・リ」

 

 いや、それをはたして声と言って良いのかさえもわからない。

 もはや合唱のような、それほどの声が、いや音が、重なって聞こえていた。

 目の前から聞こえているはずなのに、何故か周囲のすべてから聞こえているような気がする。

 まるで、見えない何かに取り囲まれているような、そんな気配を感じた。

 

「テケリ・リ。テケリ・リ。テケリ・リ

 テケリ・リ。テケリ・リ。テケリ・リ。

 テケリ・リ。テケリ・リ。テケリ・リ。

 テケリ・リ――――!」

 

 背筋に、冷たいものが触れて来る。

 そんな感覚に、カナタも炭彦も、顔色を青褪(あおざ)めさせていた。

 鬼や吸血鬼とはまた別種の恐怖が、彼らの中にすっと入り込もうとしていた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 恐怖が入り込み、胸中を占めようとした、その時だった。

 

「――――大丈夫だ!」

 

 相変わらずの大音量。

 桃寿郎の声が、炭彦達の意識を()()()へと引き戻した。

 ぎょっとした顔で桃寿郎の横顔を見れば、そこにはいつも通りの快活な笑みがあった。

 

「確かに面妖で驚いたが、それでもだ!」

 

 桃寿郎とて、ファスの変化に驚いていないわけではない。

 (おぞ)ましさを感じないわけでも、恐れを感じないわけでもない。

 ただそれ以上に、彼の眼は()()を見ていた。

 ひたすらに真っ直ぐに、愚直に、目の前の道だけを見ていたのだった。

 

()()()()()()!」

 

 そして実際、その通りだった。

 ファスは正体を明かしたのではない、()()()()のだ。

 炭彦達の猛攻に耐え切れずに、人間の形を保つことが出来なくなったのだ。

 その事実は、さらにもう1つの事実をも教えてくれる。

 

 すなわち、無敵に見えたファスも、無敵ではなかったということだ。

 人間の形をしているかどうかは、この際は重要ではない。

 より重要な点は、攻め続ければ、斬り続ければ、倒せるということだ。

 

「鬼の弱点は頚だと聞いた!」

「……頚があるようには見えないけど」

「いいやカナタ。頚はある! 頚の形をしていないだけだ!」

 

 鬼である以上、頚は存在する。

 それを意識してさえいれば、敵の変化にいちいち衝撃を受けることも無い。

 何故ならば、頚を斬るという条件は変わらないからだ。

 

「炭彦! お前もヤツの頚を探せ! 俺も探りながら戦う!」

 

 それを改めて再認識して、炭彦の腹も決まった。

 

「――――うん!」

 

 戦闘再開。

 それが、見ているだけでわかる。

 炭彦と桃寿郎の戦意を確認したファスもまた、()()を猛らせた。

 ()()()()とスライム状の体の表面が悍ましく蠢き、無数の目玉がギョロギョロと生え出した。

 

「うおっ、何だあれは気持ち悪いな!」

 

 左右に別れた炭彦と桃寿郎は、先程と同じように攻撃を重ねるつもりだった。

 あの無数の目は、全方位に視界を向けて、死角なく炭彦達の攻撃を見抜こうというつもりなのだろう。

 すなわち、ファスの意思もまた強固だった。

 迎撃。それ以外にない。そもそもこの戦いはそういう()()()だった。

 

(そうだ。倒すんだ、この鬼を……!)

 

 そうしなければ、瑠衣が殺されてしまうのだから。

 それは炭彦にとって、何を置いても阻止しなければならないことだった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 ――――場が、無言になっていた。

 瑠衣とラーフがいる、最奥の間のことだ。

 先ほどまではラーフが絡む形で会話もあったのだが、今は2人とも何も会話を交わしていない。 

 ただ、炭彦達の戦いの様子を見つめているだけだ。

 

 そう言えば、港を出港してからどれだけの時間が経ったのだろうか。

 それほどの時間は経過していないはずだ。

 つまり炭彦達の戦いも、まだ数分程の出来事に過ぎない。

 だが内容が濃密なために、すでに何時間も過ごしているかのような気分になってくる。

 

(あれは、もしや……?)

 

 真の姿を現したファスを見て、瑠衣は疑問を得た。

 これまで戦って来た吸血鬼と称する鬼とは、どこか違うと感じたからだ。

 ()()()()()

 ラーフを始祖とする他の鬼とは、決定的に何かが違う。

 

(……ラーフも静かになりましたし)

 

 あれだけ饒舌だったラーフが、今は一言も喋らない。

 その視線はじっとファスに注がれている。

 どうやら彼女にとっても、ファスの変貌は予想外だったのかもしれない。

 もしもそうだとすれば、状況は()()()()()()()()()()()()

 

 とは言え、今は動くことが出来ない。

 自分が動けば、目の前にいるラーフが座視するはずもない。

 追随して動くだろう。そうなれば、状況がより複雑になりかねない。

 ファスのことは、子ども達に任せるしかない。

 

(私は、こいつを)

 

 この鬼(ラーフ)に、対応し続けなければならない。

 こうして見つめ合っているだけだが、瑠衣は一瞬とて気を抜きはしなかった。

 そしてそれはラーフも同様で、相変わらず一分の隙も見せていなかった。

 だが今、ほんの(かす)かにだが、ラーフが動揺しているようにも見えた。

 

(あのファスという鬼が変化したことと、無関係とは思えない)

 

 やはりラーフにとっても、ファスの変化は想定外だったのだろう。

 それ自体は、良いことだった。

 相手が思いもしないことをするというのが、状況を動かす上で最上の手の1つだからだ。

 それだけ、炭彦達がラーフの――そしてもちろん、ファスの――予測の上を行った、ということだ。

 

 だが、それがこちらにとって優位に働くかどうかは、また別の話だ。

 仮に優位に働いたとしても、それがそのまま勝利に繋がるとも限らない。

 つまりこの勝負の先は、まだわからない。 

 誰にも、それこそ神や仏でさえも、この先の展開はわからないのだった。




最後までお読みいただき有難うございます。

最近リアルが忙しく思ったように更新できておりませんが、何としても完結までは持って行きますので、どうぞ気長にお待ちいただけますようお願いいたします。

それでは、また次回。
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