鬼滅の刃―鬼眼の少女―   作:竜華零

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第108話:「鬼狩りとして」

 そこからの瑠衣の行動は迅速だった。

 その場で身を低く沈めると、ミシ、と足の骨が軋む音が体内で響いた。

 次の瞬間、瑠衣は跳んだ。

 弾丸か砲弾のように、一直線に跳躍したのである。

 

「なるほど……」

 

 床や壁に触れれば、先程のように()()()にされてしまう。

 だから呼吸で足に力を溜めて、長距離の跳躍を行うことでそのリスクを避けている。

 その判断は流石だ、が。

 

「さっきも言ったが、直線的過ぎるなあ」

 

 跳ぶ方向がわかっているのだから、狙い撃ちである。

 ラーフが手を(かざ)せば、その動きに沿うようにして、床から霧の錐が伸びてくる。

 まるで騎馬を迎え撃つ槍兵のように、飛来する(瑠衣)を迎撃する。

 次の瞬間には、瑠衣は自分自身の跳躍の勢いのままに串刺しになっている。

 

 ――――瑠衣は跳躍しながら、そのまま横に回転した。

 腕を振り、跳んでいながらにして身体を回したのである。

 その結果、日輪刀が錐にぶつかり、火花を散らした。

 ()()()。回転の勢いのままに、何度も、高速で打ち合った。

 

「……確かに、跳んでいる最中に方向を変えることは出来ません」

 

 ()()沿()()()()()()()()()

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 先程も言ったように、錐はラーフの動きに合わせて瑠衣を迎撃した。

 錐はラーフの手元から、瑠衣に向かって伸びている。

 つまりこの錐は、言い替えれば。

 ()()()()()()()()()()()()()()

 

「とんでもないな……!」

 

 改めて、ラーフは煉獄瑠衣という少女の思い切りの良さ――異常さと言っても良い――に舌を巻いた。

 瑠衣が採った戦い方は、たとえ思い付いても普通はやらない。そんな手段だ。

 しかし必要とあれば、躊躇なくそれをやる。失敗したらどうするなどと考えない。

 ()()()()()()()。その踏み込みが出来ない者の方が遥かに多いというのに。

 

「ぬお……!」

 

 擦れ違い様、首元に文字通り熱を感じる。

 瑠衣の日輪刀が、ラーフの頚を捉えたためだ。

 日輪刀の刃は、まるで豆腐でも切断するかのように、肉も骨も斬り砕いた。

 しかし、ラーフの表情から笑みが消えることは無かった。

 

「面倒ですね、本当に」

 

 ()()()()()()()()()、瑠衣が後ろ向きに着地する。

 何が起こったのか理解していないカナタを尻目に、瑠衣はその場に立ち上がった。

 自分自身の手の中で、ラーフの頚が嗤っていた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

「まあ、死にませんよね。頚を斬っても」

 

 抱えて救ったカナタを立たせながら、瑠衣は嘆息した。

 その表情は、面倒な作業を前にした職人のようだった。

 

「おい、鬼は頚を斬れば死ぬんじゃないのか!?」

「ええ、まあ。基本はそうなのですけどね」

 

 日輪刀で頚を斬れば鬼は死ぬ。これは基本だ。

 

「稀に頚が弱点ではない鬼もいます」

「そんなのどうやって……って、大丈夫か、その怪我!?」

「怪我……? ああ」

 

 カナタに言われて初めて気が付いたかのように、瑠衣は(まぶた)を手の甲で(ぬぐ)った。

 すると、瑠衣の手にはべったりと血が付着していた。

 拭った瞼も、すぐに新たな出血で朱に染まってしまう。

 

 と言うより、瑠衣の全身は血で汚れている場所が無いと言って良かった。

 手足はもちろん、全身の至る所に刺し傷が見える。

 身に着けていた衣服が黒基調なので目立たないだけで、大量に出血していることがわかる。

 炭彦や桃寿郎と比べても、負傷の度合いが酷い。

 

「大丈夫ですよ。大きな出血は止めていますので」

 

 むしろ平然として、瑠衣はそう言った。

 これ程の負傷、常人であれば気を失っている。

 いや、すでに出血多量でショック死していてもおかしくない。

 だがカナタの目から見て、瑠衣はふらつくでもなく、しっかりと立っている。

 

「本当に大丈夫か?」

「ええ。この程度、怪我の内にも入りませんよ。眼球が潰れたわけでも、内臓がまろび出たわけでもありませんし」

「そこまで行ったらもう戦うとかそれ以前の話だろう……!」

「え……?」

「え?」

 

 ひとまず、瑠衣はラーフを観察した。

 

「さて、どうしたものですか……」

 

 カナタとの会話の間に、ラーフは頚を繋げていた。

 随分と余裕がある。実際、余裕を感じているのだろう。

 

(今の手は、おそらく二度と通じないでしょうね)

 

 同じ攻撃が二度も通じるような相手でないことは、ここまでの戦いですでにわかっている。

 そして頚を刎ねても死なないことは、すでに確認した。

 厳密に言えば、()()()()()()()()()()()()()()、ということを確認した。

 つまり、こうだ。

 

「その顔。もう気付いているな? わたしは不死身だと」

「ええ、まあ。多少()()()()()()、と」

 

 ラーフを殺すには、何らかの条件を満たさなければならない。

 その条件は何か?

 それを探らなければならない。そう思う一方で。

 すでに答えは、()()()()()()()()()()()

 そんな気が、瑠衣はしていたのだった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 100年も生きていると、記憶というものは曖昧になって来る。

 対して鬼という生き物は、記憶が薄れることは無い。

 鬼は人間だった頃のことは忘れる傾向にあるが、これは()()()()()()()()()()()()()()()()()

 かつて鬼舞辻無惨は「人間の部分を多く残した者から負けていく」と嘆いたが、そこには一定の真理があったのである。

 

 人間は、()()()()()()()

 曖昧になっても、薄れても、消えてなくなったりはしない。()()()()()()()()()()()

 パソコンを使用する際に、目的のフォルダが見つからないことがあっても、フォルダ自体は存在する。

 ただ見つけられなくなるだけだ。

 人間の記憶も、それと同じなのである。

 

「人間はいつか死ぬ。永遠には生きられない。それは当然のことだ」

 

 だから、いつか聞いたその言葉を、誰から聞いたのか。

 瑠衣はもう、はっきりと思い出すことが出来ない。

 記憶というものは曖昧で、違うと指摘されれば「そうだったかもしれない」とすぐに揺らいでしまう。

 けれど、()()()()()()()()()()()()

 

「だからこそ儚く、だからこそ尊い」

 

 鬼狩りの剣士が、どうあるべきなのか。その()は教えてくれた。

 いや、言葉で教えられたわけではない。

 ()()()()、教えられたのだ。

 そういうことだけは、()()()()()()()()()()()()()

 

「柱であれば、先輩であれば」

 

 ――――後輩の盾になるのは、当然のこと。

 自分は鬼殺隊の柱ではない。

 先輩面をするつもりもない。

 けれど自分がそうだったように、せめて彼らにも同じ()()を遺してあげるべきだ。

 

「それくらいのことはしても、(バチ)は当たらないでしょう」

 

 自分は鬼では無い。

 鬼ではないが、100年を生きている。

 100年前の()()()には、何も遺してあげることが出来なかった。

 だからせめて、()()()、100年後の後輩達に何かを遺してあげたい。

 それが実のところ、今の瑠衣のモチベーションのすべてだった。

 

「まあ、私の背中なんかで見せられるかわかりませんが」

 

 呼吸を深めて、瑠衣は笑った。

 自然なようにも、強がりのようにも、自嘲のように見えるが。

 とにかく、笑った。

 

「さあ、精一杯やって見せましょうか……!」

 

 自分の背中で、鬼狩りとしての生き様を見せること。

 それだけのために、瑠衣は跳んだ。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 戦いの気配と剣戟の音で、炭彦は目を覚ました。

 

(いけない、気を失って……)

 

 血を流し過ぎたのだろう。

 ファスとの最後の交錯の後、暫く気を失っていたらしい。

 幸い、記憶もしっかりしている。

 そのため、状況を掴めずに呆けるということも無かった。

 

 そして同時に、激しい剣戟の音がすぐ近くでしていることにも気が付いた。

 視界を上げると、頬に何かがかかった。

 炭彦の目にはそれが何かわからなかったが、生温く感じるそれが、すぐ目の前から飛んで来たことはわかった。

 

(戦ってる……)

 

 誰が、と思うよりも先に、砕けた床石の破片が転がった。

 そして、再びの剣戟の音。

 連続で小刻みで、それでいて重い音が何度も響く。

 その背中は、桃寿郎ではない。カナタでもない。

 

「……瑠衣……さん……」

 

 ()()()()、と、炭彦の目の前で瑠衣が小さく跳ねていた。

 そしてその姿がブレると、瑠衣は別の場所に着地している。

 だがそれも一瞬のことで、瑠衣の姿はまたすぐにブレて消えてしまう。

 その直後、瑠衣がいた床や壁から鋭い錐が飛び出していた。

 瑠衣の(はや)さは、それらよりも遥かに上だった。

 

(嗚呼、結局……追いつけなかった……)

 

 瑠衣が跳ぶ度に、紅い血煙のような物がその周囲に舞うのが見えた。

 負傷している。

 しかし、決して軽くはない負傷をしていても、瑠衣はその足を止めることは無い。

 その足が止まる時は、一つしかない。

 鬼の頚を斬った時、初めて瑠衣は止まるのだろう。

 

「……いや……まだ……」

 

 何を諦めているんだ、と、自分を叱咤する。

 諦めるには、まだ何もかも早すぎる。

 震える足に力を込めて、落ちていた日輪刀を掴んで、それを杖にして、立ち上がる。

 

「まだ、何も、終わってなんかない……!」

 

 気持ちは前に、熱く。熱のままに前へ。

 しかし呼吸は静かに。深く。より深く。

 そう教えてくれたのは瑠衣だった。

 自分は瑠衣の()()()()だ。その自分が、それを忘れて、早々に諦めて良いわけがない。

 

「炭彦、大丈夫か!」

 

 その時だった。カナタがコロと茶々丸を抱えてやって来た。

 彼は炭彦の状態を見て顔を(しか)めた。どうやら良い状態では無いらしい。

 だが今の炭彦にとって、自分の状態は二の次だった。

 

「ゴホッ」

「おい、無理するなっ」

「だ、大丈夫。それより……」

 

 肩に伸びて来たカナタの手を、炭彦は掴んだ。

 その力が存外に強く、カナタは驚いた顔をした。

 

「それより、お願いがあるんだ……!」

 

 炭彦の顔を見て、カナタは猛烈に嫌な予感がした。

 弟がこういう顔をした時、碌なことにならないあことを彼は知っていたからだ。

 そして、こういう時の炭彦が普段では考えられない程に頑固になることも。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 ラーフは、己の奥底に(かす)かな苛立ちを感じ始めていた。

 瑠衣に追いつかれただけでなく、肉薄されているという事実に、当惑を覚えていたのだ。

 自分は確かにこの少女を百の針で刺したはずなのに、この少女はなぜ平然としているのだろうか。

 

 いや、確かに血を流してはいる。

 負傷が浅かろうはずもない。

 吸血鬼たる自分の嗅覚は、鮮烈な乙女の血の匂いを()ぎ取っている。

 ()()()()()()()()()

 

「貴様、本当に人間か……?」

 

 人間は自分達にとって食糧に過ぎない。

 良くて暇潰しの遊び相手。

 人間だって、家畜の牛や豚が牙を剥いて逆襲してきたら戸惑うだろう。

 もちろん、たまには()()()()()個体もいるだろう。

 だが、この少女は――――()()()

 

「……さあ、どうなのでしょうね」

 

 走りながら、瑠衣は頭の片隅で思考した。

 100年を生きて若い肉体を維持している自分は、普通の人間の尺度で測れば「人間」の範疇を超えるだろう。

 そもそも人間とは、文字通り()()()()いる者のことだ。

 今の自分がはたして人の間にいる者かどうか、実のところ瑠衣には自信が無かった。

 

「ただ、1つだけ言えることがあるとすれば」

 

 身体の内側で、鈍い音がした。

 それは足元からで、視線だけを向けると、床から伸びた錐が左足の甲を貫いていた。

 痛みは、今さら気にはしなかった。

 だが、この足でどこまで駆けられるか、それだけを考えた。

 

()()()()()

 

 通常の一歩と変わらない速度で、左足を錐から引き抜いた。

 そしてそのまま、次の一歩を踏み込む。

 どこまでも、ただ一つもの物を目指して。

 

(お前)の頚を、取るまで」

 

 目の前の鬼を討ち果たすまで、決して止まることは無い。

 足を貫かれようが、腕を捥がれようが、鬼の頚を目指して前進する。

 それが、鬼狩り。

 ――――()()()()()()

 

「これが、鬼狩り(私たち)です」

 

 背中を大きく見せるように、瑠衣は両手を左右に広げた。

 くるりと日輪刀の小太刀を回して、両方の小太刀を逆手に持ち替えた。

 霧の錐による刺し傷は、すでに数えるのをやめてしまった。

 瑠衣の眼には、ラーフの頚以外のものは見えていない。

 

「その頚、貰い受けます……!」

 

 錐による刺突を無視して、瑠衣は再び跳んだ。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 ()()()()()()

 ラーフは今、数百年ぶりの脅威を感じていた。

 相手が()()であれば、あるいはこれ程までに脅威を感じたりはしなかっただろう。

 鬼同士であれば、あるいは理解も出来たのかもしれない。 

 

 鬼であれば、錐に貫かれようと血を流そうと再生する。攻撃自体に意味が無い。

 だが瑠衣は違う。人間だ。人間の、はずだ。

 人間だから、怪我は治らない。

 手足を穴だらけにされれば、すぐに塞がることは無い。むしろ後遺症が残りかねない。

 だと言うのに、この瑠衣という少女はそうしたことをまるで考慮していないように見える。

 

「この、異常者め!」

 

 床から錐が伸びる。

 それは騎兵を貫く槍の如く屹立(きつりつ)し、跳び込んで来る瑠衣を迎撃した。

 しかしそれは、瑠衣に対しては悪手だった。

 何故ならば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「わざわざ道を作ってくれるとは有り難いことです」

 

 錐の先端を踏み砕き、一気にラーフの下まで踏み込んだ。

 そしてそのまま、下から上へと日輪刀を斬り上げた。

 その切っ先は、寸分の狂いなくラーフの頚を刎ねた。

 

(……やはり)

 

 そしてここに来て瑠衣は確信、いや()()した。

 

()()()()()()()()

 

 すでに何度目かの頚の切断。

 だがそのいずれでも、ラーフは防御する様子を見せなかった。

 というより、その素振りさえ見せていなかった。

 つまり、頚はラーフの弱点ではないのだ。

 

(いえ。弱点ではない、というより)

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 いや、それも表現が違うような気がする。

 ラーフの様子を見るに、不死身だが不滅ではない。

 それは他の鬼と同じだ。(弱点)を斬れば死ぬのは間違いが無いだろう。

 

 弱点はある。しかし弱点は無い。

 矛盾するこの表現。

 だがそれが最も正しい考えのような気がする。

 そこまで思考が進んだところで、瑠衣はある1つの考えに至った。

 それは、これまでの戦闘経験値から、つまり鬼の知識からの結論だった。

 

()()()()()()()()()()()

 

 薄々勘付いてはいたが、ここに来て確信に変わった。

 目の前のラーフは、それ自体が上弦以上の個体でありながらも、しかし本体ではない。

 本体は、別にいる。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 この時、瑠衣にとって予想外のことが1つ起こった。

 いや、起こってしまった、と言った方が正しいだろう。

 

「…………!」

 

 目の前のラーフに集中していた瑠衣は、()()に気付くのが遅れた。

 それは、()()()()()()()

 より具体的に言うのであれば、茶々丸を背に乗せた炭彦だった。

 彼は茶々丸の血鬼術で姿を隠して、近付いて来たのだった。

 

「いけない……!」

 

 炭彦は、頚を再生したラーフに攻撃しようとしていた。

 瑠衣の援護に来たのだろう。その考え自体は間違いではない。

 問題は、タイミングが余りにも悪いと言うことだった。

 

(役に立て! 少しでも……!)

 

 空回り。

 しかしそれは、炭彦の罪ではない。

 罪と呼ぶには余りにも純粋で、()()()()()()からだ。

 だが彼が攻撃しようとしている相手は、本体では無いのだ。

 透き通る世界を持つ炭彦の眼を欺く程に、目の前のラーフの肉体は完璧な造りをしていた。

 

 おそらく過去にラーフと敵対し、そして打ち倒されてきた相手は、死ぬまで目の前のラーフを本物と思い込んでいただろう。

 瑠衣が目の前のラーフを「本体ではない」と判断できたのは、瑠衣自身の鬼に対する知識量が圧倒的だったからだ。

 数百年に及ぶ()()の鬼に対する蓄積された知識と、100年を超える戦闘経験。

 それらがあって初めて、その答えに辿り着くことが出来る。

 

「炭彦く……」

 

 だから瑠衣は、口頭で炭彦にその情報を伝達しようとした。

 しかしそうしようとした次の瞬間、瑠衣は自分の肌が粟立つのを感じた。

 それは知識ではなく直感。

 ()()()()()()()()()()()()という、直感だった。

 

「……ッ!」

 

 ――――風の呼吸・壱ノ型『塵旋風・削ぎ』!

 ラーフの脇を抜けるようにして、炭彦の腹を抱え込んだ。

 突進(タックル)の容量で、炭彦を抱え込んだ状態で跳ぶ。

 

 そして瑠衣が炭彦を抱え込む一秒前に、()()は起きた。

 船の床がと盛り上がり、閉ざされる扉のように、あるいは獣の顎のように、()()()と閉じた。

 その瞬間、瑠衣は己の身体に予期せぬ()()がかかるのを感じた。

 ガクン、と、後ろに大きく引っ張られる。

 

「瑠衣さんッ!?」

 

 しかし瑠衣は、それを物ともせずに跳んだ。

 ()()()()と、何かが潰れるような音がした。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 迂闊(うかつ)と言えば、迂闊なのかもしれない。

 たった一手の誤りで取り返しのつかない結果になることもある。

 それでも、こういうと奇妙かもしれないが、それでも。

 瑠衣は、嬉しかったのだ。

 

「さて……」

 

 想定外のことは2つ。

 まず1つ。ラーフの()()に気付くのが遅れたこと。

 今にして思えば、霧の錐が我が身を穿った時点で気が付くべきだった。

 攻撃と言うには、あれは()()()()()

 

 そして今回の攻撃で、瑠衣はラーフの正体を確信する。

 鬼の中には無機物と一体化する者もいるが、()()はそれ以上だ。

 ()()()()()()()()()()()()()()

 すなわち、ラーフの本体は。

 

()()()()()()()()()()()()()()……!」

「――――()()()

 

 瑠衣の言葉に、ラーフは嗤った。

 

「驚いたよ。今まで、我が秘密を見抜いた者はいない」

 

 自分自身を霧状に変化させて、別の形に再構築する。

 それがラーフの血鬼術だった。

 だがここで疑問が生じる。鬼であれ真なる肉体は人間大であるはずだ。

 いくらか巨大化するとしても、大型船舶規模の大きさになることは無い。

 だから、過去にラーフと戦った相手はラーフの本体に気が付くことが出来なかった。

 

 しかし瑠衣は知っていた。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 例えば鬼舞辻無惨であれば、自身の肉体を何倍にも大きくすることが出来ただろう。

 それに準する存在であるラーフもまた、それだけの実力を有していたのだった。

 

「流石は最強の狩人(ハンター)と褒めてやりたいところだが」

 

 ふむ、と息を一つ吐いて、ラーフは言った。

 

「その様ではな」

 

 そして、想定外の2つ目。

 実のところ、こちらの方が致命的かもしれなかった。

 

「……何のこれしき、ですよ」

 

 言いつつ、自分の左足の状態を確認する。

 幸いなことに、千切れてはいなかった。

 だが霧の床に(スタンプ)されたことで、完全に骨が砕けていた。

 骨だけではなく、筋繊維や神経に至るまで、潰れてしまっている。

 

 この足では、もう跳べない。

 それは瑠衣の戦闘スタイルからすれば、まさに致命的だった。

 鬼だった頃の再生力は、もはや無い。

 そういう意味において、剣士としての瑠衣は死んだとさえ言えた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 失敗した。もう何度目だろう。

 呼吸が嫌でも荒くなるのを感じた。ともすれば常中が途切れてしまいそうだ。

 潰れた瑠衣の左足を見て、炭彦は明らかに動揺していた。

 

「大丈夫ですよ。炭彦君」

「で、でも」

 

 何か役に立たなければ、と思った。

 いつもそうだった。それが自分の原動力だった。

 この人(瑠衣)の力になりたいと、それを力に変えて来たのだ。

 その力を背景に、血の滲むような鍛錬でさえ乗り越えて、ファスとも戦った。

 

 だって、瑠衣が余りにも寂しそうだったから。

 どれほど同じ時間を過ごしても、瑠衣が纏う孤高の空気が薄れることは無かった。

 瑠衣が抱えている物を共有できる相手は、もうこの世のどこにもいないのだから。

 それでも、少しでもと、そう思って。

 

「大丈夫です」

 

 いつものように微笑んで、瑠衣は立ち上がろうとした。

 左足から血が噴き出して、ガクリとバランスを崩しそうになるのを、炭彦は咄嗟(とっさ)に支えた。

 それでも炭彦の肩に添えられた瑠衣の手からは、実に細やかな力しかかけられていなかった。

 

「それで良いんですよ、炭彦君。ただ、まだ貴方の順番では無かった、というだけなんです」

 

 ()()は誰にでも来る。

 その順番を守れるということが、どれ程の幸福か、あるいは幸運か。

 瑠衣は良く知っていた。知り過ぎる程に、知っていた。

 そして炭彦の立場では、まだそれを理解できないことも、わかっていた。

 だから瑠衣は、額に汗を滲ませながらも、いつものように微笑んだ。

 

「実に残念だ。狩人(ハンター)よ」

 

 ぐ、と、瑠衣は炭彦の肩に添えた手に力を込めた。

 炭彦が何か言いたげに視線を向けてきたが、指先で肩を叩くだけに留めた。

 そんな2人の前に、ラーフが歩み寄って来た。

 

「このような形で決着となろうとはな。興覚(きょうざ)め、とはあえて言うまいが」

 

 ラーフの顔には表情が無かった。

 だから実際のところ、彼女が何を考えているのかを読み取ることは出来ない。

 言葉の通り興覚めと考えているのかもしれないし、他のことを考えているのかもしれない。

 わかっているのは、()()に来ている、ということだけだった。

 

「だが、これで終幕だ。我が同胞の仇を――――」

 

 ラーフの周囲、いや、この場の全てから圧迫感が増した。

 瑠衣は、炭彦の肩に添えた手に力を込めて。

 ()()、と叩いた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 確かに、左足は潰された。

 この足の状態では、もはや跳べない。

 ――――と、誰もが思うだろう。

 

「なっ……」

 

 実のところ、一瞬前まで瑠衣自身もそう思っていた。

 ()()を思いついたのは、炭彦が肩を貸してくれた時だった。

 とん、と、その場でやや大きく跳躍する。

 ()()()()()で、瑠衣は跳んだ。

 

 そこから先は、瑠衣にとっても賭けだった。

 何しろ言葉で伝えている暇も隙も無い。

 ぶっつけ本番だ。だが不思議と瑠衣に疑心は無かった。

 きっと伝わるという、何の根拠もない信頼だけがあった。

 

()()()()()()()

 

 瑠衣が跳ぶと同時に、炭彦が屈んだ。

 炭彦は屈んだ体勢で両手を重ねて、それを瑠衣の右足の下に添えた。

 当然、重力のままに瑠衣の足は炭彦の手に乗ることになる。

 瑠衣の体重くらい、今の炭彦であれば容易く持ち上げることが出来る。

 

「――――炭彦君ッ!」

「はいッッ!!」

 

 鍛え上げた呼吸と膂力でもって、炭彦が瑠衣の身体を()()()()()

 さしものラーフも虚を突かれたのか、瑠衣が高々と跳躍するのをただ見送ってしまった。

 その数秒で、瑠衣は日輪刀を大きく振り被っている。

 

(何のつもりだ?)

 

 この身(ラーフ)を斬ったところで意味が無いことは、もう理解したはずだ。

 

(まして我が本体を傷つけることなど出来ぬ)

 

 ラーフがそう考えている間に、瑠衣は両腕を振り下ろしていた。

 だが距離がある。跳躍は上に高く跳んだだけだ。

 高さを生かして斬り下ろしてくるのかと思えば、そうでは無かったらしい。

 

 おそらく近付いても、錐によって迎撃されると踏んだのだろう。

 それ自体は賢明な判断と言えなくもない。だが、無意味な賢明さだった。

 しかも。

 

「ふん、どこを狙っている」

 

 投擲(とうてき)された日輪刀は、方向こそ合っているものの、ラーフの頚を掠りさえしなかった。

 いや、頚はおろか、ラーフの肉体から1メートル以上は離れた位置を通り過ぎていった。

 やはり無理な跳び方をしてバランスを崩したのか、あるいは焦りから手元が狂ったのか。

 いずれにせよ、これまでの精緻(せいち)な剣技は見る影もなく、ラーフは若干の失望をも感じていた。

 

「虚しい行為であったな――――」

 

 まさに虚しく空中から落ちて来る瑠衣に、ラーフは手を向けた。

 瑠衣が床に落ちると同時に無数の錐で炭彦もろとも串刺しにする。

 それで、この戦いは終わりだ。

 しかし、である。

 

 空中から落ちて来る瑠衣の顔を見て、ラーフは動きを止めた。

 後から考えてみれば、これは悪手であった。

 この時ラーフは手を止めてしまったが、そのまま初志を貫徹するべきだったのだ。

 そうすれば、この後に訪れることになる()()だけは避けることが出来た。

 もっとも、それも最悪よりはマシ、という意味合いでしか無かったが。

 

「――――貴女が言ったことですよ」

 

 瑠衣の目は、ラーフを見ていなかった。

 彼女の()は、ラーフの()()を見ていた。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「これは私と貴女の戦いではなく、()()()()()()()()()()()()()

「――――しま……ッ!」

 

 ラーフが振り向いた、その先には。

 

「ファス……ッ!」

 

 再生しようと固まっていた不定形の存在――ファスがいた。

 そして瑠衣の投擲した日輪刀が、その胸に、炭彦達との戦いで罅割れた核の中心に、深々と突き立っていた――――。




最後までお読みいただきありがとうございます。

最近なんだかまた風邪気味。
季節の変わり目ですので、皆様も体調にはお気を付けて。

それでは、また次回。
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