鬼滅の刃―鬼眼の少女―   作:竜華零

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第112話:「焔」

 ――――あれは、いつの記憶だっただろう。

 幼い自分が、こう言うのが聞こえた。

 

「〇〇の刀は、どうして赤いの?」

 

 それは、〇〇の膝の上、顔を見上げながらのことだった、かもしれない。

 幼い自分には、刀の色が変わるということが不思議で仕方なかった。

 だから素直に、どうして、と聞いていたのだった。

 

「そうだなあ。きっと、お日さまの色になりたかったんじゃないかな」

「ええ~?」

 

 〇〇は、笑いながらそう答えた。

 その答えが気に入らなくて、幼い自分はこう言った。

 

「全然違うよお。お日さまは赤くないもん!」

 

 嗚呼、何て残酷なことを言ってしまったのだろう。

 お日さまと全然違う。なんてことは。

 〇〇の方がずっと、ずっとずっと、わかっていたことなのに。

 

 それでも〇〇は、そんな幼い自分の頭を撫でて、笑ってくれた。

 馬鹿な子どもだった自分を、慈しんでくれた。

 そして、言った。

 

「そうだな。俺の刀の色は、お日さまには程遠い」

 

 嗚呼、どうか。どうか、そんなことを言わないで。

 貴方の日輪刀は、最も澄んだ赤色だった。

 炎の剣士の誰もが、その赤色を目指した程に。

 だからどうか、そんな顔をしないで。

 

「けれども、〇〇。覚えていてくれ」

「んん~」

 

 喋りたいことを喋って疲れたのか。

 あるいは、自分を抱き締める腕の温もりのせいか。

 幼い自分は、ウトウトと船を漕ぎ始めていた。

 〇〇は、そんな自分に気付いているのかいないのか、それでも頭を撫でる手は止めずに。

 

「この赤色は、()()()が太陽を目指してきた証なんだ」

「みんなって……?」

 

 何百年と、太陽を見上げ続けて来た。

 しかし人は、地面の上でしか生きられない。

 いくら太陽を見上げたところで、空を飛べない人間は、太陽には決して手が届かない。

 ()()()()()()()()()()()()

 

「すー……すー……」

 

 穏やかな眠りに落ちてしまった幼い自分を抱いたまま、〇〇は上を見上げた。

 まるで、太陽を見上げようとするかのように。

 届くことのない()()に、手を伸ばすかのように。

 

「……()()()()を目指して、|赤色()()まで来たんだ」

 

 嗚呼。そして、そして()は。

 私は、太陽ではなく。

 貴方の赤色をこそ、目指して、走っていたのに――――。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 目を開けると、そこは元の場所だった。

 つい先程までラーフと戦闘を繰り広げていた、あの大広間だ。

 違いがあるとすれば、天井にぽっかりと大穴が開いていることだろうか。

 

「う……」

 

 ほんの僅か身動(みじろ)ぎしただけで、激痛が走った。

 常中のおかげで、止血が解けずに済んだのは幸いだった。

 そうでなければ、目覚めることさえ無かっただろう。

 

(……右腕……動く。左腕……駄目)

 

 呼吸を整えつつ、身体の状態を確認していく。

 

(……両足……少しなら動く。でも……)

 

 ()()()()()()()()()()()

 

(……肺は、問題ない。喉も……大丈夫)

 

 ふう、と深く息を吸った。

 胸元が膨らむのが見えて、肺に異常が無いことを確認する。

 喉も同じく問題なさそうだ。

 喉と肺が無事なら、全集中の呼吸は維持できる。

 

(……けど、何本か壊れ(イッ)てる、な……)

 

 ただ、脇から胸下のあたりに鈍痛があった。

 肋骨が2本か3本、折れているようだった。

 無理に動けば、肺か、それ以外の内臓に突き刺さりかねない。

 それは呼吸遣いにとって、極めて危険な状態だと言えた。

 

 瑠衣は、冷静に自分の身体の状態を把握していった。

 唯一まともに動くのは、右腕一本という有様だった。

 血も流し過ぎたのか、視界が狭窄(きょうさく)し始めていた。

 つまり、今の瑠衣の状態を一言で言い表すのならば、こうだ。

 瑠衣は、とても――――。

 

「――――きわめて(ベスト)絶好調(コンディション)、ですね」

 

 痛みは、激甚そのものだ。

 だが瑠衣は、日輪刀を杖に、瓦礫を掴みながら立ち上がった。

 緩慢な動きではあったが、不思議と弱々しくは見えなかった。

 

「やはり、生きていたな。稀有な人間よ」

 

 どこからか、もはや聞き慣れた声が落ちて来た。

 船体が、また揺れた。

 天井の大穴から、()()()と這い降りてくる存在があった。

 巨大な白蛇の姿をしたそれは、器用に――あの巨体で――壁を這いながら、瑠衣がいる底へと降りて来た。

 鎌首をもたげて、瑠衣を見下ろして来る。

 

「……()()が、貴女の本当の姿、というわけですか?」

 

 蛇の頭にあたる部分に、先程まで人間サイズで相対していた鬼の顔があった。

 腰から下が蛇の体。蛇の体から上には、裸の上半身。背には蝙蝠の羽根。

 長い、長すぎる髪。その一房一房もまた、蛇の姿をしていた。

 それはまるで、神話や伝承に登場する{異形の怪物《キメラ》のような姿だった。

 怪物の姿をしたラーフは、瑠衣の言葉に嗤った。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 これが自分の真の姿なのか。

 改めて問われてみると、笑いがこみ上げてくる。

 何故ならば、この姿になったのは()()()()()()()()()()()()

 だが、あえてラーフはこう言った。

 

()()()()()()()()()()()()()()

 

 鎌首を――あえて表現するのであれば、()()()を持ち上げて、ラーフは瑠衣を見下ろしていた。

 その巨体は船内の空間にさえ収まり切らずに、船体の外にまで巻き付いている。

 元々の人間サイズの質量から考えれば、明らかに異常な膨張と言えた。

 

「…………なるほど」

 

 蛇体の表面が船体の壁や床を滑ると、白い鱗の隙間から霧状の何かが吸い込まれているのが見えた。

 それを見て、いや視て、瑠衣は理解する。

 霧を吸い込んだ箇所の内部が、活性化する様子がわかったからだ。

 

「この船は貴女の血鬼術。そういうことですか」

「ご明察だ。煉獄瑠衣」

 

 この船体を構成する人間の魂。

 ラーフが血鬼術で縫い留めていたそれを、吸収したのだ。

 あるいは、これが彼女にとっての()()なのかもしれなかった。

 血を飲むのではなく、本当に、鬼としての捕食行為。

 

 船体の崩壊が早まっているのは、その代償なのだろう。

 捕食のために、ラーフは血鬼術を解いている。

 その結果、鬼としての力は格段に増し、肉体さえ大きく変化させた。

 

(……つまりこの船は、奴にとって食糧庫でもあったわけですね)

 

 そしてそのストックを、一気に使った。

 これが意味するところは、決して小さくは無かった。

 時間が経過すればするだけ、ラーフは力を増していくということだからだ。

 

(やれやれ……)

 

 最初からわかっていたことだが、時間は瑠衣の見方では無い。

 もっとも、それは今に始まったことでも無い。

 人間はいつだって、鬼に対して圧倒的に不利な環境で戦う。

 百年、千年。そうだった。

 

(とはいえ、()()の頚を斬るのは、流石に少し疲れる。と言ったところでしょうか)

 

 何しろ、船内の大広間いっぱいに場所を占拠してしまうような巨体だ。

 的は大きくなったと言えるが、()以外は狙う意味がないとなると、巨体は不利な要素には違いなかった。

 何よりも重要な問題は、まず()はどこか、という話なのだが。

 

「…………」

 

 そんな瑠衣の思考を読んだわけでもないだろうが、ラーフは己の額を指差して見せた。

 まるで、()はここだ、とでも言うように。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 何のつもりだ。

 とは、もはや言わなかった。

 ラーフという鬼がそういう鬼だというのは、これまでの戦いで十分に理解している。

 だから今さら、行動を疑うこともなければ、理由を問う必要もない。

 

「皮肉なものだな」

「……何がです?」

 

 とは言え、会話に付き合う気は無かった。

 なかったのだが、少しでも体力の回復を図るために、時間を稼ぐ必要があった。

 瑠衣はすでに満身創痍(まんしんそうい)の状態で、すでに長時間の戦闘は厳しい。

 攻撃は、できてあと一撃というところだろう。

 

「誰も我を理解すること能わず」

「……?」

 

 首を傾げて見せると、ラーフは嗤った。

 

「我が配下共も、あるいは敵も。わたしを理解することはできなかった」

「……まあ、そうですね。鬼は基本的に個人主義ですから」

 

 鬼は、一個で完成した生命体だ。

 人間のように、生存のために群れる必要は本来は無い。

 だから、それこそ鬼舞辻無惨やラーフのような上位者は別だが、基本的に個人主義になりがちだ。

 かつての上弦の鬼も、一部の例外を除けば、他の鬼のことは気にしていなかっただろう。

 

「だが今、お前はわたしのことを理解してくれた。そんな気がするよ」

「…………」

「そこまで嫌そうな顔をすることはないだろう」

 

 実際、嫌なのだから仕方が無かった。

 それに、理解、と来たか。

 それはまた、何というか、願い下げだった。

 

「まあ、良かろう」

 

 頭――上半身を瑠衣に近付けて、ラーフは言った。

 

「さて、それで、どうする?」

 

 当然だが、ラーフの肉体に傷らしい傷はない。

 鱗一つ、髪の毛一つ、傷んでいない。

 先程までの戦闘のダメージなど、元から無いかのようだった。

 

「私の核はここだ」

 

 そう言って、もう一度自らの額を指差した。

 良く見ると、そこには紅い宝石のような物が埋め込まれていた。

 まるで血のような。まるで、心臓のような。そんな色をしていた。

 

「今の我が玉体は、文字通り金剛石の如き守り()に覆われているぞ」

 

 船体を構成するエネルギーを取り込んだことで、ラーフの肉体強度は先程までの比ではない。

 それは、瑠衣も予測していた。

 先の戦闘での攻撃は、どれも全力で放ったものだ。それであの程度のダメージだった。

 つまり今のラーフの守りを抜くには、それ以上の攻撃でもってするしかない。

 

「さあ、どうする?」

「……そんなことは」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 そう言って、瑠衣は日輪刀を握り締めた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 日輪刀を両手で握り、上体を大きく捻じる。

 両足は地につけ、身体全体を前傾に持って行く。

 そして、気力は雄々しく。

 敵を、射殺さんばかりに睨みつける。

 

「おお……!」

 

 受けるラーフは、肌――あるいは鱗――に、瑠衣の気迫を感じ取っていた。

 それはまるで大炎の側で感じる熱のような、ヒリヒリとした感覚。

 実際の攻撃が放たれる前に、攻撃する()()が先に飛んできている。

 敵を打倒するという意思。それが実を伴っている。

 非現実的な表現だが、今の瑠衣を見れば、そう思えなくなってくる。

 

「素晴らしい気迫……! そして素晴らしい剣気だ……!」

 

 未だかつて、ラーフは出会ったことがなかった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 大陸は広い。あまりにも広い。

 同種同士が出会って争いになることがない程に広い。

 復讐を誓った相手を、探そうとしても見つけられない程に広い。

 

「これが、鬼狩りか」

 

 ラーフの配下が敗れたのも、結局はそれが理由だった。

 瑠衣はラーフ達に戦闘経験が無いと看破したが、本当はもっと深い。

 もっと深い部分で、ラーフ達は欠落した存在だった。

 ラーフ達には、《生存の経験が》》()()()()

 

 ()()()()()()()()()()

 そういう考えに至ったことが、ラーフ達には無かった。

 何百年。千年を生きてもなお、そう思えなかった。

 種として完成してしまったが故に、生きることをしなかった。

 

「これが」

 

 あの男、鬼舞辻無惨とは、真逆の存在だ。

 鬼舞辻無惨は、とにかく生きたがっていた。

 自分が生き残るために、何でもやっていた。

 死を恐れ遠ざけようとする。まるで人間のような鬼だった。

 

()()、が」

 

 それが、当時のラーフには理解できなかった。

 あの執念が、ラーフには理解できなかった。

 死にたくないという気持ちが、生きたいという気持ちが、わからなかった。

 どうしても、わからなかった。

 ()()()()()()()

 

()()()()()()()()()()()()

 

 自分だけに向けられる敵意、殺意。

 肌を焼くようなその感情に晒されて、ラーフは初めて理解した。

 ()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 

  ◆  ◆  ◆

 

 ――――死を克服したいと、その鬼は言った。

 

「……ムザンは、死ぬのが怖いの?」

 

 言葉を覚えるのは、さほど難しいことでは無かった。

 元より優れた頭脳の持ち主であるし、何より()()()()()()()()()()()ある程度の情報を得ることが出来る。

 広大な大陸には無数の言語がある。その手の能力は()()の過程で必要とされたのだろう。

 

 そんなラーフにとっても、同種()と遭遇した経験はほとんどない。

 まして、こんな極東の島国に鬼が一大コミュニティを築いているなど、想像もしていなかった。

 そしてそれは、鬼舞辻無惨にとっても同じだった。

 無惨にとっても、自分が増やした鬼以外の鬼を見るのは初めての経験だった。

 彼にとっても、その経験は無二のものだった。

 

「違う」

 

 本能、とでも言うべきか。

 無惨は、ラーフを殺そうとはしなかった。

 攻撃しても意味が無い、と直感的に理解していたのかもしれない。

 あるいは、単なる()()だったのかもしれない。

 ラーフは自分以外に初めて出会った、()()()()()()()()だった。

 

「私は、死を超越した存在になる、と言っているのだ」

 

 実際、無惨の口調は、どこか穏やかなものだった。

 

「死を超越した存在になって、どうするの?」

 

 ラーフの口調は、純朴だった。

 自分自身の好奇心を満たすためにただ質問している、という風だったのである。

 

「お前は、違うのか」

 

 だから、逆に問われた時、ラーフは文字通り目を点にした。

 何かを言おうと、形の良い唇が何度か動いたが、言葉が発されることは無かった。

 

「私に何故と問うお前は、自分が死ぬ存在ということを、不完全な存在であるということを、どう感じているのだ」

 

 ()()()()()

 ラーフには、無惨の言葉がわからなかった。

 死という概念も、それを恐れるということも、またそれを克服するということも、ラーフには理解が出来なかった。

 だから、この時のラーフには、何も答えることができなかった。

 

「でも、やっとわかったよ。ムザン」

 

 そう、ラーフはやっと理解した。

 鬼舞辻無惨のいないこの国で、ラーフは鬼舞辻無惨の言葉を理解した。

 けれど、ラーフは無惨とは別のことを考えた。

 彼女は、やっと巡り合った死を遠ざけようとはしなかった。

 愛おしいものにそうするように、抱き締めようとしたのだった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 身体を捻じったことで、折れた肋骨が悲鳴を上げていた。

 腕を大きく振り上げただけで、全身の筋肉が千切れそうな程の激痛が走った。

 そもそも全身の血が足りない。酸素が行き渡らない。十分な力が出ない。

 それでも、瑠衣はそれを表情に出すことはしなかった。

 

「……ごほっ……」

 

 だが、蓄積したダメージを消せるわけでは無い。

 唇の端から、赤い血が溢れて流れていく。

 それが顎の先を伝い、ポタポタと床に落ちていく。

 そして床に落ちた瑠衣の血は、すう、と音もなく消えて行った。

 

 この船体はラーフそのものだ。

 床に落ちた血は、ラーフに吸収されているのだ。

 ほう、と、ラーフの唇から熱を孕んだ吐息が漏れた。

 味の余韻を確かめるように、舌先で唇を舐めていた。

 

「美味いな。お前の血は」

 

 ()()()()()()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()

 それは、今までラーフが味わったことのない珍味、美味であった。

 もしも生まれたての鬼であれば、はしたなく噛み付いて啜っていたかもしれない。

 

「その構え……我が玉体を貫こうと言うのだな」

 

 むしろ、それ以外に目的はない。

 瑠衣は今、残された最後の力を使って、突撃を仕掛けようとしている。

 それはもう、全身から発される気迫と殺意からも明確だった。

 その目標はラーフの核だ。核を潰すために、瑠衣は他のすべてを投げ打っている。

 

「――――()()()()

 

 不意に、再び振動が始まった。

 ずるりと、船体の外に伸びていた蛇の尾が船内に入り込んできていた。

 いや、正確には、()()()()()

 船よりも巨大なのではないかと思えた巨体が、徐々にだが小さくなっていく。

 

「…………」

 

 瑠衣の目の前で、ラーフは室内に収まるほどのサイズにまで縮小して見せた。

 肉が潰れるような不快な音が響き、圧縮されていく様を、瑠衣は見つめていた。

 その間も、全身に力を込めることをやめていない。

 隙あらば撃つ。そして討つ。その姿勢を変えない。

 

「――――わが()は、ここだ」

 

 自らの額を指差して、ラーフは言った。

 血のような紅い宝石を、瑠衣は睨みつけた。

 その眼前に、蛇の尾の先端が突き付けられた。

 

()()()()()()

 

 ()()()()()()()()()()()()()

 ラーフは、そう言った。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 それは、いわばラーフからの挑戦状だった。

 沈みゆく船の中で、たった2人。

 他に見ている者はいない。

 口に出したわけでも無い。

 

 それでも、瑠衣はラーフの意思を正しく汲み取った。

 受ける義理は、無い。

 しかし、受けるしか、無い。

 ()()()()()()()、勝敗は明らかだったからだ。

 

「…………良いでしょう」

 

 しかし、それ以前の話として。

 鬼に挑まれて退くような剣士は、鬼殺隊にいない。

 目の前の勝機を掴み損ねるような鬼狩りは、鬼殺隊にいない。

 たとえどれだけ不利でも、どれだけ危険でも、勝機が見えたのであれば。

 そこに跳び込むことに、躊躇など無い。

 

「コオオオォォォ……」

 

 とは言え、今のラーフの肉体を砕くには、生半可な攻撃では無理だ。

 だから瑠衣は、集中した。

 全集中の呼吸。その呼吸を、意識して大きくした。

 大量の酸素を肺の限界まで取り込み、全身に行き渡らせる。

 全身が、沸騰したかのように、一気に熱くなった。

 

 メキ、と、日輪刀の柄が軋んだ。

 赤い刃の先が震えている。

 まるで、噴火直前の火山のように、内部に力を溜めているかのように。

 瑠衣の顔には、広がる羽根のような痣が浮かび上がっていた。

 

「受けて立って差し上げます。その勝負」

 

 ――――炎の呼吸・玖ノ型『煉獄』。

 瑠衣の構えは、それだった。

 何故ならこの技は、瑠衣が知る型の中で最も破壊力があり、()()()()()()()()

 この技に勝る技を、瑠衣は他に知らない。

 

 この世で最も、()()()()()()

 自分が放つ『煉獄』は()()()()()()だが、それでも、他には考えられない。

 この()でもって、ラーフを、異国の鬼の始祖を貫き、打ち砕くしかない。

 この世のものとは思えぬ硬度の肉体であれ、関係ない。

 

(……祈りは、しません)

 

 今さら、力を借りる相手もいない。

 その資格もない。

 でも、やり遂げて見せる。

 何故ならば、それが。

 それが、最後の鬼狩りとして残されたことの、意味!

 

「―――――――行きますッ!!」

「来るが良い! これがわたしとお前の、()()となるだろうッ!!」

 

 瑠衣の気迫のためか、あるいは強度が脆くなっていただけなのか、瑠衣の足元の床が剥がれて弾けた。

 そしてその音が自身の耳に届くよりも早く、瑠衣は跳んだ。

 およそ跳躍の音とは思えない轟音が、あたりに響き渡った。

 

 ――――――――『煉獄』!!

 

  ◆  ◆  ◆

 

 炎の呼吸・玖ノ型『煉獄』。

 玖ノ型と言いつつ、この型を使用できるのは煉獄家の人間だけだ。

 破壊力に特化した炎の呼吸の中でも、この型を使用するためには強靭な肉体が必要だ。

 言い換えれば、『煉獄』を会得するための鍛錬に耐え得る頑健さが必要だ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()

 煉獄家の過酷な鍛錬に、並の剣士は耐えることができないからだ。

 後に鬼殺隊の柱となる伊黒小芭内や甘露寺蜜璃でさえ、『煉獄』を会得することはできなかった。

 それほどまでに会得難易度が高く、そしてそれ故に最強の奥義なのだ。

 

(――――()()()()

 

 その最も信頼する奥義を放った瞬間、瑠衣は直感した。

 時間にすれば、ほんの刹那。まさに一秒にも満たない一瞬。

 瑠衣は()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

(距離があり過ぎる)

 

 『煉獄』は、瞬間的な破壊力に優れた技だ。

 一方で、()()()()()()()

 ラーフの尾の先端から抉り進んだとして、その破壊力を持続させることができない。

 

 尾の長さは、目測でおおよそ20メートルほどはある。

 このまま攻撃を続けたとして、半分も進めれば良い方だろう。

 そこで攻撃の威力は減衰し、脚が止まる。止まれば、そこで終わりだ。

 尾に殴り倒されるか、押し潰されるか。死に方の違いしかない。

 

(どうする)

 

 攻撃は止められない。『煉獄』は始まっている。

 最強の威力を持つが故に、その勢いを途中で止めることはできない。

 だが、このまま攻撃を続行すれば、失敗する。

 失敗するとわかっていて、そうするしかないのか。

 

「――――どうしたっ!?」

 

 その時だった。

 

()()()()()()()()、人間!!」

 

 ――――何のつもりかは、わからない。

 だがこの時の瑠衣の脳裏に浮かんだ感情は、あるいは言葉は、1つだけだった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そしてその反感が力になったのだろうか。

 攻撃が直撃する瞬間に、瑠衣の身体はある一つの動作をした。

 日輪刀の柄を握っていた――といっても、左手は力が入っていない――手の位置を、変えたのだ。

 ()()()()()()()()()()()

 

「おおっ!?」

 

 ラーフが驚いたような声を上げる。

 その次の瞬間、とうとう、瑠衣の刃がラーフの尾に届いた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 ()()()()()()()()()

 ラーフの肉体と『煉獄』の衝突は、起こらなかった。

 その代わりに聞こえてきたのは、()()()()と何かを引っ掻くような音だ。

 

「お……?」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 両脚がほぼ潰れている瑠衣は、もはや駆けることも跳ぶことも困難だ。

 だから、そのままの勢いで尾に着地することにした。

 炎の呼吸の、そしておそらく全集中の呼吸の型の中でも最高レベルの突進力を誇る、『煉獄』の勢いのままに、である。

 

「おおおおおおおおおおおおおおおッッ!?」

 

 ラーフは驚愕した。

 直前まで、瑠衣は正面から突撃するつもりだったはずだ。

 だが攻撃が決まるまさに寸前で、軌道修正した。してみせた。

 

 もちろん、ラーフは『煉獄』の攻撃の理屈などは知らない。知る由もない。

 だが、大技がそれだけで使用者の肉体に与える反動については理解していた。

 そして『煉獄』の反動の大きさは、瑠衣の全身から発せられていた気迫の大きさで察していた。

 それを、瑠衣は軌道修正した。技の最終段階に入っていたにも関わらず。

 

()()()()()()()()()()()()!」

 

 事実である。

 ラーフの尾を滑り()()()くれば、なるほどラーフの頸に到達できるだろう。

 だがそれは、ラーフが漫然と瑠衣の到着を待っていれば、の話だ。

 そしてもちろんのこと、ラーフはじっと待っているつもりはなかった。

 

「どういうつもりかは知らないが……」

 

 巨体を動かし、()()()

 ただそれだけで、瑠衣は安定した足場を失ってしまう。

 ぐらり、と瑠衣の身体が揺れた。

 元々、踏ん張りのきく状態ではなかったのだから、当然の帰結だった。

 

「容赦はせんぞ!」

 

 言葉通り、ラーフには容赦するつもりはない。

 瑠衣がミスをしたというのであれば、そのミスにつけ込み、叩き潰す。

 それをしないという選択肢はあり得ない。

 

「煉獄瑠衣! 我が生涯()()()最後の敵よ! 今、この瞬間の邂逅だけが……」

 

 跳ね上げた尾を、そのまま瑠衣を目掛けて振り下ろす。

 直撃すれば、当然、瑠衣の命そのものを押し潰してしまうだろう。

 

「今、この場において、それだけが重要なのだァッ!!」

 

 二度(ふたたび)、ラーフの尾が瑠衣の眼前に迫る。

 それに対して、瑠衣は身を屈めた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 身を屈めた瑠衣は、そのまま身を回転させた。

 赤い日輪刀が閃き、ラーフの尾を打った。

 

「む……」

 

 ラーフの尾の先端が、切断された。

 瑠衣の『煉獄』の威力が乗った日輪刀は、ラーフの尾を切断する十分な威力を持っている。

 だが、それでは。

 

(わが頸には届かぬ……!)

 

 それでは、結果は変わらない。

 20メートルもの尾を、切断し続けて進むことはできない。

 だが、瑠衣はあえてそれをした。

 意味のないことをする人間ではない。

 

「む、う?」

 

 瑠衣が、また回転した。

 当然、日輪刀もその動きに追随する。

 そしてまた、ラーフの尾を切断した。

 

「う、お、お」

 

 ()()()()

 ()()()()

 それが、何度も繰り返されていく。

 

 切断される度に、ラーフの肉体が揺れる。

 ラーフの尾の周囲を回るようにして、瑠衣は回転を続けている。

 尾の表面を滑るようにして、日輪刀が尾を輪切りにしていく。

 

(そ、そうか)

 

 自らの身に起きていることを理解して、ラーフは瑠衣の狙いを理解した。

 尾の先端から斬り進むのではなく、()()()というのが重要なのだ。

 威力の減衰を最小限にして、攻撃を持続させようとしている。

 ラーフはそれを理解した。

 理解したが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

(こうも肉薄されては……いや!)

 

 凄まじい速度で近づいてくる瑠衣に、巨体となったラーフはどうすることもできない。

 

(――――()()!)

 

 ()()()()()()()()()()

 元々、これはそういう勝負だった。

 ラーフの鋼の防御力が瑠衣の攻撃を止めるか。

 それとも、瑠衣の刃がラーフの()にまで到達するのか。

 それだけだ。それだけを見たくて、見届けたくて、ラーフは今、それだけだった。

 

「オオ……!」

 

 瑠衣が進む。

 尾が輪切りにされていく。

 ()()()()()()()()()()

 ()()()()()()()()

 

「オオオオォ……!」

 

 最後の一刹那。

 ラーフは、瑠衣と目が合った。

 自分を、自分の()を睨む瑠衣の眼を、見た。

 

「オオオオオオオオオオオオオオォォォッッ!!」

 

 その瞬間、ラーフは理解した。

 今日この日に、初めて「生」を理解した鬼種の女は、同じ日に、また理解した。

 ああ。

 ――――――――()()()()()()()

 

  ◆  ◆  ◆

 

 体内で、かなり嫌な音がしていた。

 それは筋繊維が千切れる音であり、骨が折れる音でもあった。

 口の中に至っては、もはや血の味しかしていない。

 

(『煉獄』の勢いのまま……回転するのは……さすがに……)

 

 無理は承知だった。

 だが、攻撃を縦にまっすぐに当て続けると保たないことはわかりきっていた。

 だから、横だった。

 横の回転斬りとすることで、攻撃の持続力を向上させる必要があった。

 

 とはいえ、これほどの変化は、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 炎の呼吸では、こうした横回転による斬撃はしないからだ。

 実戦でも鍛錬でも想定されていない。

 だが、瑠衣にはそれができた。瑠衣自身にも勝算があった。なぜか。

 

()()()()……!)

 

 鎌鼬(かまいたち)の如き、回転しながらの斬撃。

 それは炎の呼吸というよりは、風の呼吸の領分だった。 

 風の呼吸遣いとして鍛え上げられた過去が、瑠衣にこの変化を可能にさせたのだった。

 脳裏に浮かんだのは、傷跡だらけの柱の青年の背中。

 

「この、技に、名は、ありません」

 

 高速で横滑りする視界の中、身体にかかる軋みに耐えながら、瑠衣は言った。

 最後の一回転。

 わざわざ言葉をかけるタイミングではない。しかし言った。

 その刹那に、ラーフが自分を見つめていることに気付いていたから、かもしれない。

 

 そして実際、この技に名前はない。

 炎を、風で煽るかのようなこの技は、たった今、見出したものだからだ。

 それでも。

 それでも、あえて名を付けるとすれば。

 

「炎の呼吸…………いえ」

 

 炎の呼吸の型は、九つだ。玖ノ型で完成している。

 それにこれは、炎の呼吸に風の呼吸を足したもの。

 だからこれを、炎の呼吸と呼ぶのは正しくない。

 

()()()()()()()()()』」

 

 我ながら、おこがましい名前だと思う。

 そして炎の呼吸の最強の技を基とするこの型は、壱ノ型で完成である。

 型が一つしかない呼吸は、やはり、派生とさえ呼べはしない代物だ。

 ただ、いずれにしても。

 

「今度こそ、決着です」

 

 気が付けば、瑠衣は()()に達していた。

 ラーフの肉体は、尾から顔に至る随所が切断され、バラバラになっていた。

 そしてそれらの傷口からは、血がほとんど流れていない。

 『炎竜』の威力と速さに、結果がついてこれていなかった。

 

 そして、思い出したかのように、後になってから血が流れている。

 それはまるで、自分が負傷できる存在だと思い出したかのように。

 まるで、自分が死ぬことができることを、思い出したかのように。

 死は自分を忘れずに、常に傍にいたのだと、ラーフは思い出したのだった。




最後までお読みいただきありがとうございます。

いよいよ吸血鬼襲撃事件も終わりを迎える時が。

長かった。月一更新なので余計にそう感じます(え)

それでは、また次回。
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