――――理不尽だ。
キメツ病院の病室のベッド――もちろん、産屋敷家が手配した物だ――の上で、カナタはこの世の理不尽を嘆いていた。
いわゆる病院着を着てベッドに寝ている彼は、誰がどう見ても入院中の患者だった。
言うまでもなく、ラーフの船に乗り込んだ際の戦闘によるものだ。
と言っても、彼自身は外傷もほとんどなく、検査入院に近い形ではある。
むしろ負傷の度合いで言えば、他の2人――炭彦と桃寿郎の方が遥かに酷かった。
それでも心理的な物か、発熱してしまって、点滴を受けている状態だった。
「さあ、リンゴが剥けましたよ」
――――理不尽だ。
もう一度、噛み締めるように、カナタは思った。
そこにはもちろん、今の自分の状況に対する不満もあった。
だが、それ以上に彼が理不尽を感じているのは。
「カナタ君はいくつ食べますか?」
と、微笑を浮かべて切り分けたリンゴ――ウサギ形に切っているのがさらに腹立たしい――を小皿に取り分けている女性、瑠衣に対してだった。
瑠衣はベッドに寝るどころか、病院着さえも来ておらず、いつもの着物姿だった。
ベッド脇のパイプ椅子に腰かけるその姿は、どこからどう見ても「お見舞いに来たお姉さん」である。
(いやいやいや、何でだよ!)
口には出さなかったが、カナタは心の中で突っ込まずにはいられなかった。
瑠衣は誰よりも、それこそカナタや炭彦や桃寿郎と比べても、いや比べ物にならない程に深い負傷を負っていたはずだ。
というか、死にかけていたはずだ。半死半生の状態だったのだ。
医者も「どうして生きているのかわからない」とまで言っていたのだ。
それなのに、どういうわけか誰よりも早く回復して、こうしてピンピンしている。
一方でカナタは入院したままだ。
これを理不尽と呼ばずして、何だというのか。
さらにもう1つ、加えて言うのであれば。
「炭彦君。病室内では激しい運動は控えましょうね」
「あ、すみません!」
炭彦である。
彼もまだ入院中の身なのだが、カナタの隣のベッドで片手腕立て伏せなどをやっている。
もう退院間近というか、むしろ退院すべきなのではないかという風だった。
「でも僕も早く瑠衣さんみたいに退院したくて!」
(近づいているんだよ……お前もその化け物の領域に……!)
それは、今回の事件で嫌という程にわかったことでもあった。
弟は、炭彦は、普通の人間の領域をまさに越えようとしている。
元からそういうところは――ランニングマンの登校風景の頃から――あったが、拍車がかかった。
それが、祝福されるべきことなのかどうか、カナタにはわからない。
わからないが、カナタは自分がすべきことだけは理解していた。
それは、兄弟として炭彦の傍にいることだ。
(俺くらいしかいないからね)
炭彦を、けして独りにはしないこと。
それがきっと、自分がこの世に生を受けた理由なのだろう。
根拠はないが、カナタはそう思っていた。
そしてそんなカナタの様子を見て、瑠衣はまた微笑んでいた。
◆ ◆ ◆
自分はきっと、地獄に行くだろう。
目の前で戯れる――少なくとも瑠衣の目には、そう見えている――子ども達を見て、瑠衣はそう思っていた。
それは、最初に炭彦を見出した時から変わらずに持っている思いでもあった。
今回の戦いで、炭彦達は幹部クラスの鬼を打ち倒す程の活躍を見せてくれた。
あの時はラーフの前で、感情を表に出すことは無かったが。
炭彦達が独力でファスを退けた時、瑠衣は内心で狂喜していた。
そこまでの力を炭彦達が会得してくれたことに、大いに喜んだのだ。
高揚を覚えた、とさえ言っても良いかもしれない。
(今のこの時代に、それ程の力を持つ剣士が育ってくれた)
それは、瑠衣が望んでいたこと。
炭彦達が、それを叶えてくれた。
彼らが、瑠衣の望みをかなえてくれたのだ。
その事実に、瑠衣は嬉しさを覚えずにはいられなかった。
だがそれは同時に、
(……今の、この平和の時代に)
目の前で戯れている子ども達は、本当なら平和の中で、戦いとは無縁の生活を送っていたはずだった。
それが、
何か。
言うまでもなく、
100年前の自分の選択のせいで、産屋敷家は現代まで「最後の鬼」を探すために存続せざるを得なかった。
あの選択が、間違いだったとは思わない。
けれど今にして思えば、手違いではあったのだろう、と思う。
本当は終わっていたはずの物語が、その後も続いてしまったという、
「……瑠衣さん?」
けれど、炭彦は優しい少年だから、そんな相手を心配してくれる。
かつて隣にいた仲間達――特に同期の黒いのと遊女の彼女――が見れば、明後日の方向を向いて胸焼けを押さえる仕草をしただろうか。
そんなことを思いながら、しかし瑠衣は微笑む。
「大丈夫ですよ、炭彦君」
それが、自分にできるせめてものことだろうから。
だから瑠衣は、炭彦の前では、微笑んでいようと思った。
そうしながら、瑠衣は思うのだった。
(私はきっと、地獄に落ちるのでしょう)
あの世なんてものが本当にあるのかどうか、実のところはわからないが。
もしもあるのなら、自分の行き先は地獄以外にあり得ない。
嗚呼。けれど、何故だろう。
自分は地獄に落ちる。
そう思う度に、少し、救われるような気がする。
◆ ◆ ◆
外に出ると、抜けるような青空が広がっていた。
「ん……っ」
柄にもなく、身体を伸ばした。
病院の屋上には、そういう時間なのか、無数の
風に靡いて広がるそれらを横目に、瑠衣は息を吐いた。
負傷は、癒えていた。
全集中の呼吸を極めていけば、肉体の治癒能力は格段に高まる。
欠損や内臓喪失まで行くと流石に無理だが、それ以外の負傷はある程度はカバーできる。
できてしまう、と言った方が正しいのかもしれない。
「……とはいえ」
太陽に、手を
どこかの歌のように、透けて見えるということは、もちろん無かった。
だが、瑠衣は
「…………
何が、と説明することは難しい。
だが確かに
それはひどく感覚的で、そしてだからこそ確信できる。そういう類のものだった。
広げていた掌を、そっと閉じた。
「大丈夫ですよ」
足元に気配を感じて、視線を下ろしながら、瑠衣は微笑んだ。
茶々丸とコロが、瑠衣を見上げていた。
その真ん丸な目に、瑠衣も目を細めてしゃがみ、2匹の背中を撫でた。
2匹の犬猫は、静かに瑠衣の手を受け入れていた。
「瑠衣さん」
そうしていると、産屋敷がシーツの陰から姿を見せた。
瑠衣はそちらには顔を向けなかったが、コロと茶々丸を撫でる手を止めた。
その視線はまた、抜けるような青空に向けられた。
「また、鬼と思われる情報が――――」
――――結局。
結局のところ、自分はこうやって生きていくのだろう。
生きていくしか、ないのだろう。
それを不幸だなどとは、今さら思うことはない。
この生き方以外に、生きるすべを知らないのだから。
(それが、
空の向こう。あの人達はきっと、そこにいるだろう。
それで良い、と思う。
あの人達は、ずっと辛い思いをしていたから。
だから、良いのだ。
もう、地上のことなど気にしなくて良い。
「それでは、今日も――――鬼を斬りましょう」
私は鬼狩り。
この地上で、人に仇なす鬼を狩る者。
鬼を斬ることで、人々の安寧を守らんとする者。
見鬼必滅。
鬼に対して、一切の容赦はしない。
一匹残らず討ち滅ぼす。
これは。
これは、
◆ ◆ ◆
鬼、と呼ばれる存在がいる。
人間よりも遥かに強い力を持ち、時として人間に害をなす存在として、古くから恐れられてきた存在である。
しかし時は令和。
鬼は多くの神や妖怪同様、子供騙しのお伽噺に過ぎなくなっていた。
今や大人も子供も「そんなものいるわけがない」と笑い飛ばしてしまう。
しかし、鬼は実在する。
彼らは今も闇に潜み、人を襲い、喰らっていた。
神隠し。未解決の誘拐事件。その多くは鬼の手によるものである。
そんな鬼の魔の手から、人々を守るべく戦う者達がいた。
背に「滅」の一字を背負い、日輪の刀で鬼を斬る。
彼らの存在を知る人々は、畏敬の念を込めて彼らをこう呼んでいた。
――――鬼狩り、と。
◆ ◆ ◆
――――そして。
――――――――そして、いつの日か、
安寧の中ではなく、戦いの中で。
「瑠衣さんッッ!!」
悲鳴のような声が耳に届く。
それに何か答えようと口を開けば、生温かい鉄の味に喉を塞がれてしまった。
身体の内側から、生存に必要な何かが失われていくのを感じる。
急速に。否応なく。容赦もなく。
けれど、そういうものだろう、と思う。
皆もきっと、そうだっただろう、と思う。
思うことしか、それも僅かな時間しか、許されない。
これは、
(ああ……でも、きっと大丈夫)
死を前にしても、不思議と気持ちは落ち着いていた。
それは、自分の死を嘆いてくれる少年達の存在があっただろう。
悲しませてしまうことは、申し訳ないと思うけれど。
たとえ自分がいなくなっても、きっと大丈夫だと、そう思える。
そう思えることが、どれだけの幸福か。
「――――きっと」
瑠衣の目の前には、光があった。
白い、ただ白い。輝きがあった。
どうしてか、声も出るようになっていた。
「
光の向こう側に、幻影を視た。
それは、かつて瑠衣が同志と信じて疑わなかった人たち。
そして、自分自身の選択で
「……大丈夫です」
鬼狩りの柱たち。その背の偉大さを、自分はついに理解することはなかったけれど。
けれど、子ども達に、貴方達の偉大さの片鱗くらいは見せられただろうか。
それでも、自分の果たした役割など、ほんのきっかけに過ぎない。
何故なら、人材は育てるものではなく、勝手に育つものだからだ。
だって、あの子達は、かつて見た貴方達にとても良く似ているから。
日の呼吸を見た時は、本当に驚いたものだけれど。
あの子達なら、きっと、貴方達と同じように、大切なものを後に繋いで行けるでしょう。
そういえば、あの花札の耳飾りは、今はどうしてしまったのだろう。
あの子は、最後まで身に着けなかったから。
「あの子達はきっと、貴方達が繋いできた物を、後に繋いでくれます」
光の中で、懐かしい人達が何かを言った気がした。
瑠衣は、微笑んだ。
光に背を向けると、そこには暗闇が広がっていた。
暗く冷たいそこは、死そのものが広がっているかのようだった。
けれど何故か、不思議と肌になじむと、そんなことを思った。
「――――
待ってなどいない。
そんな返事が簡単に予想できて、瑠衣は笑った。
彼ら彼女らは、そういう人達だったから。
黒髪の少年が、心底イヤそうに顔を
まあまあと、金髪の青年がそれを宥める。
チョーつまんない、と着物の少女が頭の後ろで腕を組む。
喧嘩は駄目よと、おっとりした口調の少女が頬に手を当てる。
それを、眼帯を着けた女性が穏やかに見守っている。
(……さあ)
どんなに暗くとも。どんなに冷たくとも。
瑠衣は、それで良かった。それが自分の終わりで、良かった。
この暗闇が、冷たさが、自分が求めた結果なのだから。
(さあ、姉さんを探しに行きましょうか)
暗闇の、その先へ――――。
最後までお読みいただき有難うございます。
このエピローグ②を持ちまして、本作完結となります。
5年半近くに渡ってお付き合いくださり、有難うございました。
いやー…長かった(笑)
途中、何度「この話終わらねええええ」と思ったかわかりませんが、とにかく完結までお届けせねばと自分なりに奮闘したつもりです。
ただそれも、感想や評価、読者投稿を通じて応援してくれた皆さまのおかげです。
本作はこれで完結となりますが、またどこかでお会いできれば嬉しく思います。
それでは皆さま、改めまして、本当に有難うございました!