鬼滅の刃―鬼眼の少女―   作:竜華零

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第11話:「幸福な夢」

 ――――目の前で、火が燃えていた。

 (かまど)の火だ。

 汁物の鍋がぐつぐつと音を立てていて、瑠衣は火掻き棒で火を調節していた。

 片手には竹の火吹き棒も持っていて、割烹着姿で、炊事の最中のようだ。

 

「ふうー」

 

 暑いのだろう。額に滲んだ汗を手の甲で拭っていた。

 しかし瑠衣は、疲れを感じさせない笑顔を浮かべていた。

 炊事が、というより、単純に家事が好きなのだろう。

 調理台の上には大量のさつま芋があり、大きな米櫃がいくつも置かれていた。

 

 窓から外を見ると、夕方なのか、赤焼けた空が見えた。

 ただ空の半分程はすでに夜闇の気配を漂わせており、そう時間の経たない内に夜になるだろう。

 まさに夕飯時だ。

 そう思って、瑠衣が火炊き道具を置いて立ち上がった時だ。

 

「瑠衣」

 

 炊事場に、瑠衣と同じく割烹着姿の女性がやって来た。

 長い黒髪を一束ねにして、右肩の前に垂らしている。

 細い面に切れ長の瞳。凛とした美しさを備えた女性だ。

 

「ここはもう良いですから、道場に行って槇寿郎さん達を呼んで来て頂戴」

「わかりました、母様」

 

 瑠衣の母、煉獄瑠火だった。

 彼女は笑顔で返事をする瑠衣に表情を綻ばせると、お願いね、と言った。

 はい、としっかりとした声で返事をして、瑠衣は割烹着を脱ぎながら母の脇を擦り抜けた。

 母の匂い。仄かに香るそれが、何故か胸に染みた。

 

 住み慣れた煉獄邸の廊下を歩いていると、ふと柱が目に入った。

 何でもないただの柱だが、所々に切り付けたような傷があった。

 背比べの後だ。目の前近くまでの物もあって、つい最近まで続いていたとわかる。

 ふと笑って、通り過ぎた。

 

「父様、兄様、千寿郎。食事の支度が出来ましたよ」

 

 そのまま、煉獄家の道場に向かった。

 竹刀を打ち合う音が外にまで響いていて、威勢の良い掛け声も聞こえる。

 戸を潜り、瑠衣は道場の中に呼びかけた。

 するとそこには、燃えるような髪色の男性が3人いた。

 年齢の差こそあれ、そっくりだった。父子だから、当たり前なのかもしれない。

 

「おお、もうそんな刻限か」

 

 父・槇寿郎。

 

「うむ! 今日の献立は何であろうか!」

 

 兄・杏寿郎。

 

「お腹が空きましたね、兄上!」

 

 弟・千寿郎。

 振り向き方までそっくりで、瑠衣はくすりと笑った。

 道着姿の3人は汗まみれで、でも、瑠衣はそれを不快には感じなかった。

 むしろ、何か尊いもののように思えた。

 

「今、何か汗を拭くものをお持ちしますね」

 

 ぱたぱたと、手拭いを取りに行く足取りも軽い。

 瑠衣は今、幸福だった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 ――――人間の心は、この世で最も強靭なものである。

 魘夢(えんむ)という名のその鬼は、そう思っていた。

 身体能力で圧倒的に劣る人間が鬼を討つ。

 そういう()()は、心の力なくしてあり得ないことだと。

 

 しかし同時に、彼はこうも思っていた。

 人間の心ほどに脆く、硝子細工のように繊細なものも存在しない、と。

 心の力を得て強くなる人間は、心の力を失うと途端に弱くなる。

 そして夢とは、人の心を最も露わにする。

 

「ねんねんころり、こんころり」

 

 そして魘夢の血鬼術は、まさにその夢を操る力だった。

 どれだけ強い人間でも、寝込みを襲われればひとたまりもない。

 ただ鬼狩りの中には、鬼の気配や殺気で目を覚まし反撃してくる者もいる。

 だから魘夢は、あの哀れな車掌のように人間を使って術に嵌めたりとどめを刺させたりするのだ。

 

(参ったなあ)

 

 そんな魘夢にとって、想定外のことが起きた。

 もちろんそれでみっともなく取り乱したりはしないが、やはり困りはする。

 そして、腹立たしい。

 わざわざ愚図な人間共を宥めすかして手駒にして、回りくどい手段で眠らせようとしたのに。

 

「お前が本体か! なかなかの鬼気だ……十二鬼月だな?」

 

 それなのに、もう見つかってしまった。

 石炭を積み、濛々と蒸気を吐き出しながら走る先頭車両。

 屋根の上に、魘夢は立っていた。

 右の瞳に「下壱」の文字。十二鬼月が「下弦の壱」だ。

 その刻印は、彼が上弦を除けば最強の鬼であることを示すものだった。

 

(流石に想定外だ)

 

 やはり人間など当てにするものではない。

 まあ、最初から当てになどしていなかったが。

 しかし、それにしてもだ。

 

「そういうお前は、今までの鬼狩りとは気配が違うね」

 

 まさか、ここまで強い気配を漂わせる鬼狩りに見つかるとは。

 まるで燃え立つような、激しさを孕んだ気だ。

 

「柱かな?」

「いいや! 俺は柱ではない」

 

 おまけに、柱ではないと言う。

 鬼狩りの人材の層は魘夢が思っているよりも、実は厚いのかもしれない。

 

「だが俺は、柱を継ぐ者だ。次代の柱として、十二鬼月よ! 無辜の者達を悪しき術に落とすお前の頚を斬る。そのためにここに来た!」

「良いね。嫌いじゃないよ、お前みたいな()()()()()()()()

 

 鬼狩り――杏寿郎が、刀を振るう。

 鬼――魘夢が、腕を掲げる。

 そして次の瞬間、2つの影が交錯した。

 

 

 ――――血鬼術『強制昏倒睡眠・眼』。

 ――――炎の呼吸・伍ノ型『炎虎』。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 始まった。

 列車全体が揺れる程の衝撃に、炭治郎はそう思った。

 先頭車両で、杏寿郎が鬼と戦い始めたのだ。

 炭治郎は背中の箱――禰豆子が入っている――の背負い紐を握り締めると、後ろの2人に顔だけ向けて。

 

「良し、俺達も行こう」

 

 炭治郎達は、まだ最初の車両にいた。

 本当は杏寿郎と共に鬼の下へ向かいたかったのだが、列車では幅が狭く、戦う空間が少なすぎた。

 要するに多人数で戦うには向かない。

 そのため、最高戦力である杏寿郎自身が鬼を抑えに行ったのだ。

 

 ちなみに、鬼の居場所を探り当てたのは伊之助だった。

 彼は肌感覚、簡単に言えば触覚に優れていて、呼吸を使えば遠くの敵の位置も察知することができる。

 そして炭治郎の鼻と善逸の耳も、索敵面で非常に有用だった。

 

「開けるぞ」

「おいコラ! 親分は俺だぞ!」

 

 そして炭治郎達の役割は、鬼の術で眠らされた人々の救出だった。

 血鬼術に嵌まっているということは、人質に取られているも同然だ。

 今のところその兆候はないが、鬼が眠らされた人々を何かに利用するかもしれない。

 それを防ぐために、炭治郎達は血鬼術の最中にある隣の車両に向かおうとしたのだが……。

 

「待て!」

 

 その時だった。善逸が2人を呼び止めたのだ。

 伊之助の肩と炭治郎の羽織の裾を掴んだ彼は、真剣な表情でもう一度「待ってくれ」と言った。

 

「あ? 何だよ」

「怖い」

「は?」

「怖いんだよ! わかるだろ!?」

 

 何でわからないんだ、と言わんばかりに、善逸は手を振った。

 

「だってお前、この扉の向こうは鬼の術がかかってるんだぞ!? そんなところに飛び込んで、本当に大丈夫なのかよ!」

「そんなもん、行ってみなけりゃわかんねえだろ」

「わかった時点で手遅れなんだよ! お前らはいいよ強いから! でも俺はな、弱いんだ。もうすげー弱い! 入った瞬間に死ぬ気がする!」

「何を言ってんだお前。気持ち悪いやつだな」

「はあ――――あっ!? そんな被り物したやつに言われたくないね!」

 

 そんな2人を尻目に、炭治郎は扉を開けた。

 伊之助は怒り、善逸は悲鳴を上げた。

 だが、こうしている間にも杏寿郎は鬼と戦っているし、乗客は鬼の術の中にいる。

 だから炭治郎は扉を開けて、先に隣の車両へと足を踏み入れた。

 

「うっ、酷い臭いだ」

 

 鬼の気配が濃い。鼻が曲がりそうな臭いに、炭治郎は顔を顰める。

 しかしそれを我慢して、車両の中を見渡す。

 炭治郎達の車両と構造は一緒で、当然、そこまで広くない。

 だから、すぐに見つける。

 

「いた……!」

 

 座席に座ったまま、隊服を着た女性が眠っていた。

 瑠衣だ。周りを警戒しながら近づくと、炭治郎は妙なことに気付いた。

 腕に、縄の輪が。それは瑠衣の隣に座る女性の腕にも結ばれていた。

 これは何だ、と、炭治郎は首を傾げたのだった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 父と兄弟達が、庭で鍛錬をしていた。

 それを、瑠衣は母と共に縁側に座って眺めていた。

 槇寿郎が炎の呼吸の型を見せて、杏寿郎と千寿郎が実践して見せる。

 千寿郎はまだ身体が小さいので、父や兄のようにはいかないようだ。

 

「千寿郎、頑張って!」

「はい! 見ていてください、姉上!」

 

 瑠衣が応援の声をかければ、千寿郎は汗に濡れた笑顔を返してくれた。

 そうやって竹刀を振り始める千寿郎を、家族皆が見守っている。

 こういう時間が、瑠衣はたまらなく好きだった。

 穏やかだった。本当に、心が穏やかだ。

 

 こんなにも穏やかに過ごせるなんて、()()()()()()()()

 ……うん?

 瑠衣はふと、内心で首を傾げた。

 何か今、妙なことを考えたような気がする。

 

「瑠衣」

 

 母に呼ばれて、瑠衣は沈みかけた思考から顔を上げた。

 瑠火が、瑠衣のことを見つめていた。

 

「もう少ししたら、お夕飯の買い出しに行きましょう」

「はい。母様、今日の献立は何にしましょう」

「そうですね……」

 

 父達の鍛錬を眺めながら、母と夕食の献立を考える。

 これ以上の幸福を、瑠衣は思い描くことが出来なかった。

 先ほど感じた違和感は、きっと何かの勘違いだろう。

 

「農家の方から頂いたさつま芋がまだまだありますし」

「む!」

「集中を切らすな、馬鹿者」

 

 さつま芋の名前に気を引かれたのか、杏寿郎が父に面を打たれていた。

 それに、瑠衣や他の面々が思わず笑い声を漏らした。

 杏寿郎が「よもや」と気恥ずかしさに頭を掻いている。

 夕飯の一品は、さつま芋料理で決まりのようだった。

 

 そうと決まれば、早速、夕食の準備に取り掛からなければ。

 瑠衣がそう思って立ち上がった時、こつん、と足先に何かが当たるのを感じた。

 何だろうと思い足元を見ると、長い棒状の物が落ちていた。

 それは、刀だった。

 鞘に納められた日輪刀がそこにあって、瑠衣は一瞬、驚きの色を浮かべた。

 

「……あれ?」

 

 しかし(まばたき)きの後、それは消えていた。

 代わりにあったのは、踏石だ。足先を軽くぶつけただけだ。

 何度も目を(しばたた)かせて、それを見つめる。

 どうして、こんな物を刀と見間違えたのだろう?

 刀など、()()()()()()()()()()

 

「瑠衣、行きますよ」

「あっ……はい、母様!」

 

 瑠火に呼ばれて、瑠衣は慌てて母を追いかけた。

 変な見間違いだと、内心で首を傾げながら。

 自分を見つめている()()に、気付くこともないまま――……。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 その女性は、列車の車両で瑠衣と縄で自分を結んだあの娘だった。

 煉獄邸の敷地を小走りに駆けて、どこかへと向かっている。

 

「危なかった。本体(瑠衣)から離れないと……」

 

 何故、この娘がこんな場所にいるのか。

 それは、彼女が――そして瑠衣がいるこの世界が、現実ではないからだ。

 下弦の壱・魘夢が見せる夢だからだ。

 そしてこの娘は、魘夢の力で瑠衣の夢の中に忍び込んでいるのだ。

 

 瑠衣は、そのことに気付いていない。

 というより、胡蝶の夢に気付ける人間など存在しない、と言っても良い。

 魘夢の作り出す夢の世界は、それだけ強力で精緻なのだ。

 術に落ちてしまえば、まず浮上できない。

 

「あった、()()()

 

 ある地点まで進むと、()に突き当たった。

 風景はさらに向こう側まで続いているのに、それ以上は壁があるかのように進むことが出来ない。

 魘夢の夢の世界は無限ではなく、本体――この場合は瑠衣――を中心に円形に広がっている。

 それは一定の範囲に限られていて、その外側には無意識の領域と呼ばれる場所がある。

 この娘が目指しているのは、そこだった。

 

「早くコイツの()()()()を壊して、私も幸せな夢を見せて貰うんだ……!」

 

 懐から千枚通し――眠り鬼・魘夢の骨を削って作ったものだ――を、振り上げた。

 振り下ろす。

 障子紙が破れるかのように、空間が()()()

 縦に音を立てて引き裂かれると、煉獄邸とはまるで違う光景が広がっていた。

 

「これが、コイツの無意識領域……」

 

 無意識の領域とは、いわば夢の主の内面世界である。

 その人物の、本質が現れる世界だと言っても良い。

 すなわち、煉獄瑠衣という人間を象徴している場所なのだ。

 それを見て、娘は。

 

「……な、に……よ。これ……これ、こんな……」

 

 瑠衣の無意識領域に一歩足を踏み入れた後、その場に立ち(すく)んでしまった。

 無意識領域の中には、多くはないが、他者を圧倒してしまうものもある。

 例えば心の清らかな者の無意識領域は、どこまでも広がる青空の世界を現したりもする。

 そのような無意識領域を前にして、逆に影響を受けてしまうこともある。

 

 だがこの娘の反応は、そういう美しいものに対する圧倒感とは全く違った。

 顔中に、いや身体中に汗をかいて、両手を胸の前で握り、唇を半開きにしたまま、忙しなく上下左右を見渡している。

 今にも叫び出しそうな、そんな様子の娘の顔は、ありありとこう告げていた。

 ()()()()()()()()、と。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 その門に刻まれた藤の花の家紋にどんな意味があるのか、青年には知りようもなかった。

 いや、そもそもとして、夢の主の女性の名が榛名であることも知らない。

 彼はただ魘夢という鬼の指示通り、榛名の夢に侵入し、()()()()を破壊するだけだ。

 それ以外のことに、関心はなかった。

 

 千枚通しを使って、目の前の空間を引き裂く。

 藤の花が描かれた門より少し前が破れて、向こう側の世界が見えてくる。

 榛名の無意識領域だった。

 すっとするような花の匂いが、青年の鼻腔をくすぐった。

 

「何だこりゃ、花弁?」

 

 夜のように暗い空間。しかし月も星もない。

 ただ紫色の花弁が、ひらひらと舞い続けている。

 儚く美しい光景だ。

 だが青年の目的は、美しい光景にはない。

 

 むしろ延々と降り注ぐ花弁を鬱陶しそうに振り払いながら、周囲を見渡す。

 そうしている内に、どうやら目的のものを発見したらしい。

 それは、宙に浮いていた。

 どうやらその地点が、無意識領域の中心なのだろう。

 

「あった。精神の核だ……!」

 

 人の頭よりも少し小さい、それくらいの大きさだ。

 水晶玉というのが最もわかりやすい例えだろう。

 薄い青色の光が内側から明滅していて、どこか神秘的だ。

 それは、精神の核と呼ばれるものだった。

 

「こいつをぶっ壊せば……」

 

 この精神の核を破壊されると、夢の主は廃人になる。

 心を失い、ただの肉の塊になる。

 殺される時ですら、何の抵抗も見せなくなるのだ。

 それが眠り鬼・魘夢の鬼狩り()()のやり方だった。

 

 そうして、青年が精神の核を破壊しようと千枚通しを振り上げた時だ。

 彼は、背筋に何か冷たいものを感じた。

 背後の空気が揺らいだような。いや、もっと有体に言えば。

 すぐ後ろに、()()()()()()()()()()()……!

 

「えっ!?」

 

 そこに立っていたのは、藤柄の着物を着た女性――榛名だった。

 表情がない。真顔だ。感情の色すら読み取ることが出来ない。

 青年は驚いた。無意識領域には通常、誰もいないはずだからだ。

 驚いて、反射的に千枚通しを榛名へと向けてしまった。

 

 それが不味かった。

 

 榛名の手には、日輪刀が握られていた。赤い刃の日輪刀が。

 青年があっと声を上げた時には、もう遅かった。

 壱の太刀で千枚通しを弾き飛ばし。

 そして弐の太刀で、青年の頚が宙を舞っていた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 外出着に着替えて、煉獄邸の門を潜ろうとした時だ。

 瑠衣は、不意に誰かに手を引かれたように感じた。

 余りにも不意の出来事だったので、えっ、と声に出してしまった。

 

「瑠衣、どうしました?」

「あ、いえ」

 

 (つまず)くというのはまだわかるが、手を引かれると言うのは何なのだろう。

 首を傾げながら後ろを振り向いても、誰もいない。

 当たり前だった。と言うか、誰かいたら怖すぎる。

 それでも、腕には引かれた感覚が残っていた。

 

 何だか気味が悪かったが、母を待たせていた。

 だから瑠衣は引かれた腕を擦りながら、瑠火の下へ行こうとした。

 しかし、擦った手首に違和感を覚えてた。

 視線を落とすと、手首に縄が巻かれていたのだ。

 

「え……?」

 

 縄で作った輪だ。

 もちろん、瑠衣はそんなものを手首に巻いた覚えなどなかった。

 しかし確かに、瑠衣の手首には縄が巻かれていた。

 いや、待て。そもそもだ、この縄はいったい。

 

 ()()()()()()()()()()()()()

 

 と、瑠衣がぞっと背筋を凍らせた瞬間だった。

 熱が来た。

 手首の縄から、()()()()

 轟、と炎が噴き上がり、瑠衣の全身に瞬く間に燃え広がった。

 

「瑠衣っ!?」

 

 母の悲鳴が聞こえる。

 だが、それだけでは無かった。

 母の声に重なるように、何か、別の声が聞こえた気がした。

 誰の声だろうか。知らない声だ。

 

『…………!』

 

 炎は、不思議と熱いと感じなかった。

 揺らめく炎の向こうで、母が火を消そうと父を呼んでいる。

 その姿に、別の光景が重なって見える。

 いや、炎の中に何かが見えている。

 そして声。やはり知らない――いや、聞いたことがあるような、気もする。

 

『……んっ! ……いさんっ!』

 

 ゆらり、と、誰かの姿が見えた。

 黒髪。市松模様の羽織。年下の、男の子。

 表情は、必死だ。

 何をそんなに必死になっているのかと、思った瞬間。

 

『瑠衣さんっ!!』

 

 頭を、殴られたかのような。そんな気がした。

 その衝撃は瑠衣の意識を一息に駆け抜けて、貫いてしまった。

 吐き気が、こみ上げて来た。

 ()()()の瞬間の、一瞬の混乱。

 

 ばしゃん、と、頭から水を被った。

 母が、瑠衣の火を消そうと水をかけたのだ。

 反射的に、目を閉じてしまった。

 そして、次に目を開けると。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 お湯、だ。

 ふと視線を下ろすと、自分は裸で、そして手桶を持っていた。

 風呂場だ。髪を洗い、湯を被った直後のようだった。

 もちろん、そんなことをした()()()()()

 

「瑠衣」

 

 びくっ、と、肩を震わせた。

 脱衣所の方から、母の声がした。

 

「お湯加減はどうですか? 着替えはここの置いておきます」

「はい」

 

 返事をしたのは、ほとんど反射だった。

 口をついて出た。

 ただ、それだけのことだった。

 手桶を足元に取り落とし、そのまま両手で顔を覆った。

 

 畜生、と、唇の中で呟いた。

 何というのだったか、こういう現象を。

 気付くのは本当に一瞬だ。そして気付いた瞬間に、ああ、と思ってしまう。

 明晰夢(めいせきむ)。すなわち。

 

「これは、夢だ」

 

 ここは煉獄邸(我が家)ではない。

 汽車だ。汽車の中だ。自分は座席に座っているはずだ。

 さっき自分を呼んでいたのは、炭治郎だ。

 どうして汽車に乗っているのかはわからないが、現実の自分の傍にいるのだろう。

 そして、呼びかけてくれていた。

 

「さっきの火は」

 

 いや、今はそれも良い。

 気が付けば、瑠衣は自分の腿に爪を立てていた。

 引っ掻き傷。唇も噛んでいて、こちらも切れているようだった。

 瑠衣の胸中を覆っていたのは、屈辱感だった。

 

 この夢は普通の夢ではない。おそらく鬼の血鬼術だろう。

 自分はまんまと術に嵌まり、あまつさえ後輩の隊士――それもなりたての新人に――に助けられようとしていると。

 それは瑠衣にとって、これ以上ない程の屈辱だった。

 何という、情けなさか。

 

(恥を知れ。こんな様で、何が煉獄家の剣士だ……!)

 

 穴があったら、入りたい。

 だが今は穴を探している場合ではない。一刻も早くこの夢から覚めなければ。

 醒めなければならない、のだが。

 問題は、その方法だった。

 

 普段なら、朝になれば目覚める。当然、夢もそこで終わりだ。

 しかしこれは血鬼術だ。

 鬼の力で夢の世界に繋ぎ留められている以上、通常の方法では目覚めることは出来ないだろう。

 つまり、術を抜け出す何らかの条件があるはずだった。

 

「そう言えば、さっき……」

 

 玄関から風呂場へ移った時、水をかけられた。

 もしかしたらと手桶を拾い、浴槽からお湯を入れる。

 それを両手で持ち、瑠衣は目を閉じた。

 音を立てて、お湯を頭から被った。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 結論から言うと、駄目だった。

 確かに風呂場は消えた。だがその代わりに……。

 

「うまい! うまい! わっしょい!」

 

 杏寿郎の声が聞こえて、はっとした。

 汽車ではない。煉獄邸のままだ。

 そこには家族が揃っていて、いつの間にか夕食を取っているようだった。

 さつま芋のお味噌汁を片手に、杏寿郎がうまいうまいと料理を絶賛していた。

 

「やはり母上と瑠衣の作る料理は天下一品だな!」

 

 兄に褒められて嬉しいという感情を、瑠衣は気力で抑え込んだ。

 これは夢だ。脱出できていない。

 夢だと気付けていても、目覚められなければ意味がない。

 いったい、どうすれば目を覚ますことができるのか。

 この血鬼術を破る条件とは、いったい何だ。

 

「姉上」

 

 その時だ、千寿郎が不思議そうな顔でこちらを見てきた。

 米粒を頬につけたままの弟は、次にこう言った。

 

「どうしてそんな格好をしているんですか?」

「え?」

 

 言われて、瑠衣は自分の身体を見下ろした。

 そこにあったのは、着物に包まれた自分の身体ではなかった。

 黒い隊服、見慣れた羽織、そして腰に刀――日輪刀。

 手に持った箸とお椀の方が、浮いている程だった。

 

 確信する。

 夢という自覚を持ったことで、自分は確実に覚醒しつつある。

 あと少しだ。

 あとほんの少し、何かのきっかけがあれば目覚める。そんな確信があった。

 

「瑠衣、どうしたのです。食事中ですよ」

 

 母の咎める声。幼い頃は、この声に逆らうことなど出来なかった。

 逆らおうとすら、思わなかった。

 しかし今、瑠衣は瑠火の言葉を聞かずに立ち上がっていた。

 食事中に立ち上がるなど、現実では絶対にしなかっただろう。

 

「何かあったのか、瑠衣」

 

 父と、目を合わせた。

 夢の中でも威厳がある。ただ、身嗜みの隙が見えなかった。

 母が生きていれば、きっと、()()だったのだろう。

 そして現実の槇寿郎よりも、ほんの少しだけ、表情が柔らかい。

 

「瑠衣!」

「姉上!」

 

 膳を蹴倒すようにして、瑠衣は部屋を飛び出した。

 障子を開けて縁側に出て、庭に降りて、駆け出していく。

 杏寿郎と千寿郎の驚く声が背中を打つ、そして。

 

「瑠衣!」

 

 母の声に、後ろ髪を引かれた。

 

「行ってはなりません! 戻りなさい!」

 

 ――――畜生。

 霞む視界の中で、呻くように呟いた。

 今すぐに立ち止まって、振り向いて、戻って。

 そして母の腕の中に飛び込めたなら、そうできたのなら、どれほど幸せだろう。

 

 どれほど、どれほど――――どれほど!!

 まだ見ぬ鬼に対して、瑠衣は思った。

 お前が土足で踏みつけにしたものが、()()()()のものか。

 ()()()()()()()()

 

  ◆  ◆  ◆

 

 反応が変わった。

 粘り強く呼びかけた甲斐があったのか、瑠衣が反応を見せたのだ。

 

「う……夢……覚める……」

 

 ただ、まだほとんど寝言に近い。

 やはり血鬼術、普通に眠っている人間とは勝手が違うのか、外部からの刺激ではこれ以上のことは期待できないのかもしれなかった。

 ぶつぶつと苦し気に呻く瑠衣の顔を、炭治郎は固唾を呑んで見つめていた。

 

「だあっ、鬱陶しい! ぶん殴れば起きるだろ!!」

「いやいやいや! 女の人にそんなことしたら駄目だろ!? というか静かにしろよ鬼が来たらどうするんだよ!?」

 

 伊之助と善逸は、榛名の方を見ている。

 だが、あまり芳しくない様子だった。

 瑠衣と榛名に違いがあるとすれば、やはり()()だろうか。

 

「むー!」

 

 禰豆子だ。

 先程から炭治郎の手を掴み、自分の頭に置いている。

 撫でろ褒めろと雰囲気でわかる。

 苦笑して、炭治郎は禰豆子の頭を撫でた。

 

 視線を落とすと、瑠衣の腕が見える。

 その腕には縄が巻かれていたのだが、今は切れていた。

 正確には、()()切れていた。

 燃やしたのは禰豆子だ。禰豆子の血鬼術で焼いたのだ。

 

(日輪刀で切るのは何となく嫌な予感がしたから……)

 

 結果的には、その直感が正しかったのだろう。

 縄を焼き切った瞬間から、明らかに瑠衣の反応が変わったからだ。

 今にも目を覚ましそうだ。そう思える程に、瑠衣の意識を感じる。

 

「禰豆子、もう一本の縄も……」

「うわっ!?」

 

 榛名の縄も焼き切ろうとした時だ。

 善逸が声を上げて尻もちついていた。

 ただ、転んだわけではない。

 通路側に倒れた青年を受け止めていた。

 

「おいっ、こいつ大丈夫か? 泡吹いてんぞ!?」」

 

 その青年は白目を剥き、口からぶくぶくと泡を吹いていた。

 生きてはいるようだが、医者に見せた方が良さそうな状態だった。

 そして、手首の縄。

 縄の先には当然……。

 

「う、何だこの音……」

 

 青年を受け止めたまま、善逸が呻いた。

 彼は耳が人並外れて優れている。

 その聴覚は周囲の音はもちろん、心音でさえ聞き分ける程だ。

 自らを「弱い」と称する善逸がここまで生き残れた理由の1つには、この耳の良さがある。

 その善逸が、顔を顰める程の音。しかもそれは間近に存在した。

 

「お……」

 

 そして、伊之助の目の前で立ち上がった彼女。

 榛名だ。

 目を閉じたまま――いや、半ば目を開けている。

 倒れた青年と未だに縄で繋がるその手で、榛名は日輪刀をゆっくりと抜いた。

 

 鬼の匂いはしない。しかし、炭治郎は異様な雰囲気を感じ取っていた。

 何か、どこかおかしい。

 泡を吹いて倒れた青年。鬼の気配はしないのに刀を抜く榛名。

 何か、不味いことが起きているような気がする。

 

「うおおおおおおおっ!?」

 

 突然、伊之助が声を上げた。

 その眼前に、刃が迫っている。

 榛名が、日輪刀を振るったのだ。

 よもやの事態に、炭治郎は2人の間に割って入るべく飛び出した。

 

「伊之助――――っ!!」

 

 列車は、轟音を上げて走り続けていた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 煉獄邸の外に出ることができない。

 家族の制止を振り切って飛び出したは良いものの、状況が改善したわけではなかった。

 不思議と家族が追いかけてくることはなかったが、外に出れなければ、いや夢から覚めなければ意味がないのだ。

 

「参ったなあ……」

 

 門の外に出ようとすると、見えない壁に遮られてしまう。

 おそらく瑠衣が夢を自覚したことと無関係ではないだろう。

 気持ち悪い。まるで薄い膜の中にいるようだ。

 

 夢から目覚める方法。真面目に考えると意外と難しい。

 普段眠りから覚める時はどうだったかと考えてみても、意識したことがなかった。

 これは血鬼術。鬼の力で生み出されたものだ。

 ならば、鬼の力が失われれば解けると思うのだが……。

 

「と言っても、外の鬼が倒されるのを待つわけにもいかないし」

 

 もし兄がいるなら、倒してくれるだろう。

 だが杏寿郎の足を引っ張りたくはないし、何より助けを待つだけというのは首肯し難い。

 何とかしなければ。

 気持ちばかり焦るが、落ち着かなければ……。

 

 ()()()()()()()()

 

 日輪刀に手をかけた。

 一瞬、家族かもしれないと思った。

 だから抜くまでは出来なかったが、それが良かったのかどうかはわからない。

 しかし視界を覆った誰かの手指は、家族のものではないとすぐにわかった。

 

「瑠衣」

 

 女の声。知らない声だった。

 両目を覆った手つきは、どこか優しかった。

 声音も穏やかで、敵意は感じなかった。

 

「鬼の倒し方は、わかっているでしょう?」

 

 目から、頬。そして頬から、頚へ。するりと動く女の手。

 瑠衣はその手を振り払うようにして、後ろを振り向いた。

 誰も、いなかった。

 あの声はいったい、誰のものだったのだろう。

 

(鬼の、倒し方)

 

 無意識に、首元を撫でていた。

 先程の手指の感触は、まだ残っている。

 鬼の倒し方。

 鬼の力を失わせる方法。血鬼術を解く方法。

 

「…………」

 

 日輪刀を、抜いた。

 鬼の倒し方。知り過ぎている程に知っている、その方法。

 確証はない。鬼が見せた罠かもしれない。

 だが、どうしてだろう。

 あの声は、信じられると思った。

 

「そう言えば、落ちる夢とか見ると起きるよね……」

 

 自嘲気味に呟いてみたが、笑えなかった。

 頚に、冷たい刃の感触。

 額に汗が滲み、呼吸が緊張に引き攣る。

 今まで色々な修羅場を潜ってきたつもりだが、()()は流石に初めてだ。

 鬼の倒し方を、()()()()()()()

 

「――――ッ!」

 

 鬼の倒し方、それは。

 ――――()()()()、だ。




最後までお読み頂きありがとうございます。

また今回も多くのキャラクター投稿ありがとうございました。
おかげでまたプロット(予定)が狂いました。
何ということをしてくれたのでしょう(え)

原作映画の無限列車編は10月ということですが、今から楽しみですね。
とりあえず、本作の無限列車編を何か…こう…いい感じに終わらせたいです(目逸らし)。

それでは、また次回。
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