鬼滅の刃―鬼眼の少女―   作:竜華零

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第13話:「ヒノカミ」

 炭治郎は、自分がどう行動するべきなのか判断がつかずにいた。

 目の前には、列車の座席に座った――床に寝かせるのもどうかと思って、座らせた――瑠衣と榛名がいる。

 2人の手はあの縄で結ばれており、瑠衣が榛名の夢に入って数分が経っていた。

 

 列車はまだ高速で走っていて、時折、巨人が足踏みするかのような衝撃が来る。

 杏寿郎が戦っているのだ。

 早く加勢に行かなければという焦燥感と、瑠衣達をこのまま置いていくわけにはいかないという義務感の間で、炭治郎は揺れていた。

 

「おい」

 

 杏寿郎からは、乗客を守りつつ、後は瑠衣の指示に従うようにとしか言われていない。

 炭治郎は鬼殺隊士としては下位の階級だから、先輩に当たる杏寿郎や瑠衣、あるいは榛名の指示というのは優先しなければならない。

 一方で、それだけが絶対だと思える程に思考停止しているわけでもない。

 

「おい……おい、三太郎」

 

 このまま瑠衣達が目覚めるのを待つだけで良いのか?

 床に正座したまま、膝の上で拳を固く握り締める。

 このままで良いのか。

 この事態の元凶である鬼を討つために、杏寿郎に加勢に行くべきではないのか。

 何か自分に、他に出来ることがあるのではないのか。

 

「おいっ!」

「……っ」

 

 不意に、肩を掴まれた。

 驚いて振り向くと、猪の顔があった。

 伊之助だった。

 彼は瑠衣達を指差すと、言った。

 

「こいつら本当に大丈夫か!? 何か唸ってんぞ!?」

 

 ほんの数瞬の間、炭治郎は伊之助を見つめた。

 この伊之助、前にも述べたが野生児である。猪に育てられたとも。

 初めて出会った時には、子供を踏みつけにし、無抵抗な善逸を殴ったりもした。

 その伊之助が他人を心配している様子に、炭治郎はあっけに取られたのだった。

 

 そして、同時に自分を恥じた。

 しっかりしろと、自分を叱咤した。

 傍らを見れば、当たり前の顔をして禰豆子が自分に貼り付いていた。

 長男として鬼殺隊士として、しっかりしなければ。

 

「大丈夫だ」

 

 気が付けば、言葉は自然に口をついて出ていた。

 見れば確かに、瑠衣も榛名も苦しそうに眉根を寄せていた。

 だがそれは、2人が戦っている証でもある。

 

「この人達は強い人だ。きっと鬼の夢に勝つ、信じよう」

「お、おう」

 

 信じて待つ。それも戦いだ。

 自分はその戦いに負けかけたのだと、炭治郎は思った。

 心の中で、炭治郎は伊之助に感謝した。

 

「そうだ、信じよう伊之助……ふがっ。むにゃむにゃ」

 

 善逸も同じ気持ちのようだった。

 ……たぶん。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 ――――他に方法は無かった。

 こちらは鬼に触れられない。鬼はこちらに触れられる。

 そんな、いわば一方的に不利な条件の下では、他に方法は何も思い付けなかった。

 己が身体を、盾とする以外には。

 

「あ……あ……」

 

 榛名が大きく目を見開いている。

 瑠衣は今、榛名に半ば覆い被さるような体勢になっていた。

 片膝を床につけて、両腕を広げている。

 顔中に汗を滲ませていて、唇からは少なくない量の血が溢れている。

 それでも、瑠衣は笑顔のような表情を浮かべていた。 

 

「……っ」

 

 表情を引き攣らせながらも、立ち上がった。

 日輪刀は、放していない。

 鬼に向かって、構えた。

 夢だというのに、激痛と脱力感は現実そのものだった。

 

「う、あ」

 

 そして瑠衣が鬼に身を向けたために、榛名は見た。

 瑠衣の背中に刻まれた、鬼の3本爪の傷を。

 隊服が、いや肉が裂けて骨まで覗き、とめどなく流れる血が羽織を深紅に染めていた。

 足元の畳に、血の水溜まりが出来ている。

 

 瑠衣の背中と、足元の血。

 それらを何度も交互に見て、榛名は唇を震わせた。

 どうして、と、その瞳は問うていた。

 

「い……」

 

 気が付けば、想いは言葉になっていた。

 

「痛くないの?」

()()()()()()()

「怖くないの?」

()()()()()()()

「そんなの嘘だわぁ」

()()()()()()()()

 

 痛くないわけがない。

 怖くないわけがない。

 嘘ばっかりだ。

 それでも、瑠衣は刀を手に立ち続けている。

 

「どうして」

 

 いつしか、榛名の両目からは涙が零れていた。

 

「どうして、わたしを」

「共に、同じ任務を受けたからです」

「任務」

「この任務を、一緒に、生きて終えたいからです」

 

 任務、鬼殺の任務。

 はあ、と吐く息が、違ってきた気がする。

 肺が、胸が、熱くなってきたような気がした。

 

「どうして」

 

 胸を押さえながら、榛名は言った。

 目の前の、瑠衣の背中の傷を見つめながら。

 

「どうして、そんなに強いの?」

「強くなんて、ありません」

 

 振り向いて、そして、瑠衣は笑った。

 ああ、と、どこか安堵したような表情だった。

 

「貴女の方がずっと強いです、榛名さん」

 

 気が付いた時、榛名は自分の視点がぐっと上がっていることに気付いた。

 藤の花柄の着物の上に、黒い詰襟の隊服。背中と腰に、懐かしい重み。日輪刀。

 嗚呼、と、榛名は息を吐いた。

 ()()()()()

 

  ◆  ◆  ◆

 

 心を無にせよ。

 自分の育手(師匠)は、良くそう言っていた。

 曰く「お前は雑念が多すぎる」。

 雑念は動きを鈍らせ、力みを生み、剣筋を乱す。

 

 心を(から)にせよ。

 散歩するように踏み込み、挨拶を交わすように刀を振れ。

 相手を見るな。ただ歩け。

 それだけで、その一振りは最強となる。

 

「本当だったわねぇ」

 

 ()()()()()()ボロボロと塵になっていく鬼を見もせずに、榛名は笑った。

 

「ここでは、わたしは何にだってなれるんだわぁ」

「はい、そうですよ。ここは榛名さんの夢ですから」

 

 良かった、と、瑠衣は思った。

 一時はどうなることかと思ったが、何とかなったようだ。

 榛名は自分を取り戻した。恐怖を乗り越えたのだ。

 それは、あんなにも無敵に近かった鬼が塵となって消えたことからもわかる。 

 とは言え、喜んでばかりもいられなかった。

 

「榛名さん、まだ外に鬼が……」

「わかってるわぁ。けど、少し待ってねぇ」

 

 一刻も早く現実に戻らなければならない。

 しかし榛名は、鬼の残骸を踏み越えて、少し歩いた。

 そして、立ち止まる。

 ()()()()()()

 

 姉さん、と呟くあさひに、榛名は両腕を回した。

 あさひの頭を、胸に抱きしめる。

 榛名は、あさひのことをしっかりと認識していた。

 それが榛名の変化を表しているのだろうと、瑠衣には思えた。

 

「やっと、見つけたわぁ」

 

 本当のところ、その言葉の意味は瑠衣にはわからない。

 ただ悪夢に落ちようとも、榛名が弟を探していたことは知っている。

 そこは、少しだけわかる気がした。

 同じ立場ならば、自分もきっと弟を探しただろうから。

 

「姉さん……!」

 

 あさひもまた、榛名の背中に手を回した。

 顔をくしゃくしゃにして榛名にしがみつくその姿は、なるほど、弟だと納得した。

 何だか、千寿郎に会いたくなった。

 次に家に戻った時、出会い頭に抱き締めてみようか。

 

(それにしても……)

 

 何故、榛名の夢はこんな悪夢だったのだろうか。

 瑠衣が記憶している限り、彼女が鬼に見せられたのは「幸福な」夢だった。

 思い返しても最悪な夢ではあったが、悪夢ではない、と思う。

 対象によって見せる夢を変えている、ということだろうか……。

 

「いや、姉さんも元々は家族と過ごす幸福な夢を見ていた」

 

 瑠衣の考えを察したのか、あるいは声に出ていたのか。

 榛名に抱き締められた体勢のまま、彼は言った。

 

「ああ、やっぱりそうなんですか」

「ただ、途中で変な奴が入り込んできた」

「変な奴?」

「ああ、そいつが来てから夢が変わったんだ」

 

 瑠衣は知らない。

 それが眠り鬼・魘夢に(そそのか)された人間ということを。

 そして彼が榛名の「精神の核」の破壊を目論んでいたことを、知らなかった。

 知らなかったのだが……。

 

「その変な奴というのは、どうしたのですか?」

「斬った」

「はい?」

「首を刎ねてやった」

 

 また随分と過激なことだが、今までのあさひの反応を思うと、不思議ではなかった。

 あさひならそういう対処をするかもしれない。

 

「姉さんも見ていたから、間違いない」

「はあ、なるほど……はい? 見ていたとは?」

「だから、そいつを姉さんの前で斬ったんだ。ちゃんと始末しないと姉さんも安心できないだろう」

「いや、それって……」

 

 ……それが原因なのでは?

 夢から覚める直前の言葉は、きちんと相手の耳に届いたかどうか。

 確かめる術はなかった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 下弦の壱。

 鬼の首魁・鬼舞辻無惨が、眠り鬼・魘夢に与えた位階だ。

 無数の鬼の中から選りすぐられた12体の鬼「十二鬼月」の、上から数えて7番目がそれだ。

 7番目――この数字をどう考えるべきだろうか。

 

 上から7番目、または下から6番目。何とも中途半端な数字だ。

 高いと見るべきか低いと見るべきか。

 あるいは、強いと見るべきか弱いと見るべきか。

 魘夢と対峙する杏寿郎の評価は、「厄介」というものだった。

 

(うむ、あの眠りの血鬼術は厄介極まりないな!)

 

 列車の屋根の上、目に見える光景が高速で後方に流れていく。

 そんな不安定な足場にあってなお、杏寿郎の構えには一部の隙もなかった。

 炎のように赤い日輪刀を両手で持ち、足を肩幅に広げ、腰を落とす。

 どっしりとした重厚な構えで、対峙した者は言い知れぬ圧力を感じるだろう。

 

(不甲斐ない! 未だ有効打を与えられないとは!)

 

 しかし、戦況は芳しくはない様子だった。

 対峙する魘夢には傷一つなく、杏寿郎の日輪刀に脅威を感じている風でもなかった。

 悠然と片手を杏寿郎に向けて、彼の動きを牽制している。

 杏寿郎が斬り込めば血鬼術で眠らせる、その繰り返しだった。

 炎の刃は、未だ一度も魘夢の身体に届いてはいなかった。

 

(うーん……参ったな)

 

 一方の魘夢。

 表面上は一切の揺らぎを見ていない彼だが、内心は苛立っていた。

 ()()が台無しにされたからである。

 

(こいつ、思ったよりも強い)

 

 元々の計画は、切符に仕込んだ血鬼術で鬼狩りを眠らせた上で、列車と一体化するというものだった。

 人間の(しもべ)が精神の核を破壊して廃人に出来ればよし、そうでなくとも、列車と一体化すれば車両は全て魘夢の()()()だ。

 200人からなる乗客諸共(もろとも)、喰ってしまえばそれで終わりだ。

 

 そうやって自身を強化している内に、より強力な鬼狩りが派遣されてくるだろう。

 柱だ。

 そしてもう1つの獲物までやって来れば、魘夢の目的は達成される――――はずだった。

 しかし現実には、杏寿郎のせいで列車との一体化さえ出来ていない。

 

(鬱陶しいなぁ)

 

 柱でもない癖に、と、静かな殺気を杏寿郎に向ける。

 杏寿郎も負けじと気迫を返し、2人の間の空気は震えんばかりに緊張していた。

 と、その時だった。

 

(む?)

 

 先に気付いたのは杏寿郎だった。

 魘夢に悟られぬよう、視線も動かさず気持ちさえ向けない。

 だが杏寿郎は、確かに気付いていた。

 客室車両と炭水車の間から顔を出した炭治郎が屋根によじ登り、魘夢の背後に立ったことに――――。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 奇襲でも仕掛けるのかと、杏寿郎は思った。

 魘夢は今も自分に集中しており、背後の炭治郎には気が付いていない。

 今ならば、反撃を受けずに頚を斬ることも――――。

 

「俺は鬼殺隊、階級・癸! 竈門炭治郎だ!! 今からお前の頚を斬る!!」

「……へぇえ?」

(よもや! 正直に名乗りを上げるとは!)

 

 ――――水の呼吸・肆ノ型『打ち潮』。

 杏寿郎が驚きと好ましさの入り混じった表情で見ている前で、炭治郎が魘夢に斬りかかった。

 炎や風とはまた違う、流れるような足運び。

 流麗だ。真面目に鍛錬に励んでいるのだろう。

 その刃が、魘夢の頚に届こうとした時。

 

『お眠りィィ』

 

 ――――血鬼術・『強制昏倒催眠の囁き』。

 眠りの血鬼術だ。

 杏寿郎は()()()を知っている。

 だが炭治郎は知らないだろう。だから杏寿郎は身を低くして駆けようとした。

 

 しかし、炭治郎は眠りに倒れることなく持ち堪えた。

 強く踏み込み、そのまま魘夢を斬ろうとする。

 よもや、と今度は純粋に驚いた。

 炭治郎は一瞬、確かに眠りに落ちた。しかし次の瞬間に()()()()

 

「おかしいなあ」

 

 炭治郎の流水の如き滑らかな斬撃を、魘夢は高く跳んでかわした。

 列車との速度差で着地が狂ってもよさそうなものだが、流石は超常の身体能力を持つ鬼。

 寸分違わずに、炭治郎が最初に立っていた位置に着地した。

 

「どうして、お前()には術が効かないのかな?」

 

 ――――獣の呼吸・弐ノ牙『切り裂き』。

 ――――雷の呼吸・壱ノ型『霹靂一閃』。

 伊之助が頚を、善逸が足を狙っていた。

 しかし2人もまた、魘夢の血鬼術によって眠らされ、そして覚醒する。

 

(いや、おかしい)

 

 伊之助はそうだった。

 一瞬眠りに落ちたが故に狙いが逸れ、屋根に身体を打ち付けて転がり落ちた。

 下の方で「だあああっ、バレてんじゃねーか!」と叫び声が聞こえるので、どこかに掴まっているのだろう。

 いや、今はそれはどうでも良かった。

 

 問題はもう1人の方、善逸だ。

 善逸の狙いは全く逸れない。伊之助と違い眠りに落ちた様子がない。

 虚を突かれた形で、魘夢は驚きを持って善逸を見つめた。

 そして気付く。善逸が最初から目を閉じていることに気付く。

 

(こいつ!)

 

 そして気付いた時には、遅かった。

 次の瞬間、善逸の高速の居合いが魘夢の右足を斬り飛ばしていた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 宙を舞う自分の足を、魘夢は他人事のように眺めていた。

 ぐらり、とバランスを崩しながら、善逸へと視線を向けた。

 眠りながら動く人間なんて、初めて見た。

 己の血鬼術が効かない、いや効いているが意味を成していない。

 

(術も解けていないくせに)

 

 雷鳴の如き居合切り。油断していた。回避できなかった。

 こんな子供に。

 こんな、術も解けていない奴に。

 腸が煮えくり返るような怒りに表情を歪ませながら、魘夢は足を再生させた。

 

「うおおおおおぉぉぉ――――っ!!」

 

 ――――水の呼吸・壱ノ型『水面斬り』。

 そこへ、炭治郎が正面から斬りかかって来た。

 さらに伊之助が屋根の上に戻ってきているのが見えて、善逸も再び構えを見せていた。

 自分の生命が脅かされているという事実に、魘夢は衝撃を受けていた。

 

 何だ、これは。何の悪夢だ?

 まさか、負けるのか?

 死ぬのか? この自分が?

 こんな、柱でもない小僧に頚を斬られるのか?

 そんな考えが頭の中を掠めた瞬間、魘夢の脳裏に去来したのはある場面だった。

 

『気に入った。私の血をふんだんに分けてやろう』

 

 ()()()()()()()()()()()()()()

 自分を除く下弦――肆と伍が鬼狩りに討たれた直後だった――の弐、参、陸は、下弦の弱さに失望した彼の主人、鬼舞辻無惨の手によって解体された。

 もちろん魘夢は他の鬼の死など気にもしなかったし、むしろ断末魔が聞けて幸福さえ感じていたが、まあ自分も殺されるのだろうとワクワクしていた。

 

『鬼狩りの柱を殺せ。私の役に立て』

 

 しかし、殺されなかった。認められたのだ。

 むしろ大量の血を与えられて、魘夢はより大きな力を得た。

 始祖の血の力は凄まじく、魘夢は大いなる全能感を友としてここへ来たのだ。

 主人の期待に応えて鬼狩りの柱を殺し、そして。

 

『耳に花札のような飾りをつけた鬼狩りを殺せば、もっと血を分けてやる』

 

 ああ、今まさに自分に斬りかかっている子供。

 花札の飾りを、日輪の耳飾りを揺らすこの子供こそ、主人の言っていた鬼狩りだ。

 この子供を殺せば、また大量の血を分けて貰える。

 

 そうしてもっと強くなれば、上弦の鬼に「入れ替わりの血戦」を挑める。

 自分はまだまだ上に行ける。強くなれる。

 それは希望であり、確信だった。

 しかしそれが今、否定されようとしていた。

 ――――そんなことは、許されない。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 悲鳴が、上がった。

 だがそれはその場にいる誰のものでもなかった。

 

「うっ……!」

 

 一瞬、腐臭がした。

 それはすぐに風に流れてしまって、炭治郎でなければ嗅ぎ漏らしていたかもしれない。

 そして炭治郎は、その臭いに覚えがあった。

 車掌が漂わせていた、微かな鬼の匂いに似ている。

 

 また、悲鳴が聞こえた。

 今度は、はっきりとわかった。足元だ。下の車両から聞こえて来た。

 まるで地響きのように、足裏から車両内の騒動を感じ取ることが出来た。

 魘夢の血鬼術で眠らされていたはずの人々が、起き出している。

 だが、明らかに様子がおかしかった。

 

「うふふふふ……」

「お前! 何をした!?」

「何をしただって? 起こしてあげたのさ、悪夢からね。親切だろう?」

 

 硝子の割れる音がした。

 車両の窓が、内側から割られたのだ。

 そしてそれは足元の車両だけでなく、他の車両にも広がっていっている。

 

「乗客達には同じ悪夢を見せてある。()()()()()()()()()()()()()()

 

 現実ではほんの一瞬でも、夢の中では時間は無限にも等しい。

 魘夢は乗客達に繰り返し繰り返し、隣席の乗客に惨殺される悪夢を見せたのだ。

 そして一斉に、解放した。

 目を覚ました乗客は、その時どんな反応をするだろうか。

 そこに思い至って、炭治郎は表情を青褪めさせた。

 

「うふふ、素敵だねその顔。いいねいいね、わかってきたかな?」

 

 夢と、悪夢と同じ状況で目が覚める。

 それも「目を覚ます」という状況も全く同じはずで、次の瞬間に襲われることが()()()()()()

 車両内は、混乱の坩堝(るつぼ)と化すだろう。

 今頃は、阿鼻叫喚の地獄絵図が展開されようとしているはずだ。

 

「禰豆子――――ッ!」

 

 まず、禰豆子のことを思った。

 危険だからと下に置いて来てしまった。

 だが、その次の言葉が出て来なかった。

 逃げろと叫ぶべきか、乗客を助けろと言うべきなのか、一瞬迷ったのだ。

 

「迷う必要などないぞ、竈門少年!」

 

 その時、ずい、と杏寿郎が炭治郎の前に出て来た。

 魘夢の策略を聞いても、その表情は露とも揺らいでいなかった。

 

「例えどのような状況に陥ろうとも、我々のすべきことは何も変わらない!」

 

 目的を定めたのなら、立ち止まらず、振り返らないことだ。

 脇道に逸れず、真っ直ぐに走ることだ。

 そして鬼殺隊士の目的は、いつだって1つだ。

 

「鬼の頚を斬ることだ!」

「ふうん。そのためなら、乗客200人がどうなっても良いってことかな? うふふ、まあ、嫌いじゃないけどね。そういう」

「いいや、そうはならない」

 

 自信に満ち溢れた表情で、杏寿郎は断言する。

 そうはならない、と。

 

「200人の乗客に犠牲が出る前に、お前の頚を斬ればいい」

 

 それに、と、杏寿郎は言った。

 

「お前は忘れているようだが」

 

 その時だ、何かを引っ掻くような甲高い音がした。

 同時に大きく列車が揺れ、その場にいる全員が膝をつくか踏ん張る体勢を取った。

 そして、見る間に後方へと流れていく景色の速度が落ちていく。

 これは……。

 

「俺達の仲間は、なかなかに強かだぞ」

 

 そして次の瞬間、列車は極めて危険な勢いで急停止を始めたのだった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 すみません。

 そう言って、瑠衣は機関士の体を床に横たえた。

 機関室の後頭部には大きなこぶが出来ており、気絶させられたことが想像できた。

 そして今の状況で起きているということは、鬼に協力していたことも意味していた。

 

 だが、それを責める気はなかった。

 辛い現実と幸福な夢を天秤にかけられて、迷わない人間がいるはずがないからだ。

 誰だって、不満の1つや絶望の1つはあるのだ。

 責めるべきは、そんな人の心に付け込む鬼の方だった。

 

「榛名さん、どうですか?」

「う~ん、そうねぇ」

 

 後ろを振り仰ぐと榛名が運転台に立っていて、色々な機器を前に難しい顔をしていた。

 何をしているのかと言うと、列車を止めようとしているのだ。

 当然のことだが、瑠衣と榛名に蒸気機関車の知識などあろうはずもない。

 というか、機械というものにはとんと縁がない。

 

 実際、瑠衣は運転台に備えられている機器や計器のどれ1つとして知らない。

 だが、それでもこの列車を止めなければならない。

 鬼と200人の乗客を乗せたまま走り続けるというのは、余りにも危険だった。

 戦場にするにも、足場が悪すぎる。

 

「子供の頃、見せて貰ったことがあるのぉ」

 

 と、榛名はおもむろに何らかの握りに触り始めた。

 ちょうど石炭の火を横目に見る位置にあるそれは、どうやら左右に動く構造になっているようだった。

 かなり固そうだが、呼吸で身体強化している榛名には苦ではなさそうだ。

 

「ええっとぉ。確かここを……こうだったかしらぁ?」

 

 ガキッ、ガキッ、という金属音と共に、握り(ハンドル)が右へと動いていく。

 激しく空気の抜ける音が幾度もして、しかもこれが余りにも甲高いものだから、端から見ているしかない瑠衣は気が気でない様子だった。

 だが榛名の行動の結果か、独特の引っ掻き音と共に車両に制動がかかっている感覚があった。

 外を見てみれば、なるほど後方へ流れていく景色が先程よりゆっくりになっている気がした。

 

「榛名さん、何だか列車が遅くなってる気がします!」

「あら! じゃあ、やっぱりこれで良かったのかしらぁ?」

 

 それがいけなかった。

 瑠衣の言葉に喜々として応じた榛名。

 彼女はそれまで慎重に押し込んでいた握りを、一気に押し込んだ。

 一気に、である。

 

「あ、あらぁ?」

 

 一瞬の静寂。

 しかる後、来るべき衝撃がやって来る。

 高速で走っている最中、非常ブレーキが作動したのだ。

 その衝撃に、瑠衣と榛名は悲鳴を上げる嵌めになった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 己の呻き声で、炭治郎は目を覚ました。

 うう、と呻いたところで、はっとした。

 いけない、と身を起こす。気を失っていた自分を叱咤した。

 

「……っ。伊之助、無事だったのか!」

 

 ふと横を見ると、伊之助が刀を両手に持ったまま立っていた。

 見れば善逸が足元で倒れ()ている。伊之助が助けてくれたのかもしれない。

 禰豆子は、と周囲を見渡すと、止まった列車が見えた。

 止まったというより、機関車と最初の2両が脱線しているようで、それで止まったようだ。

 その衝撃のおかげなのか、あの異様な混乱は一時鎮まっているようにも見える。

 

 ――――炎の呼吸・壱ノ型『不知火』。

 地面が揺れた。そう思える程の踏み込みの衝撃に、炭治郎はそちらへと顔を向けた。

 杏寿郎が、魘夢と戦っていた。

 炭治郎を驚かせたのは、杏寿郎もだが、魘夢の強さだった。

 

「お前達のおかげで、俺の計画は台無しだよ。こんな気分になったのはいつぶりかな」

 

 杏寿郎の斬撃を、魘夢は腕で止める。

 もちろん振り下ろされた日輪刀は魘夢の腕を裂くのだが、肘まで切り裂いたあたりで、魘夢がもう片方の手で杏寿郎の腕を掴む。

 骨が軋む程の握力に、杏寿郎が顔を顰めた。

 

「む……!」

「捕まえた」

 

 回りくどい戦術と眠りの血鬼術のせいで勘違いしてしまうが、魘夢は「下弦の壱」だ。

 上から7番目と言えば中途半端に聞こえるが、鬼舞辻無惨と上弦の鬼を除けば、最強の鬼なのだ。

 普通に戦って、並の鬼に後れを取るはずもない。

 あの下弦の肆でさえ、魘夢に「入れ替わりの血戦」を挑もうとすらしなかったのだ。

 

「お前にはとびきりの幸福な夢を見せてやるよ。その後で悪夢を見せて、歪んだ表情になったお前を食べてあげる」

「そうか、それは恐ろしいな!」

 

 杏寿郎は刀から手を放さない。引く様子もない。

 鬼と伍する驚異的な膂力でもって、全力で押し込んでいる。

 このまま魘夢が血鬼術を使えば、彼の宣言通り、眠らされた上で喰われてしまうだろう。

 だが、杏寿郎に焦った様子はなかった。

 

「だが、そうはならない」

「強がりかな?」

「いいや、何度でも言おう! 俺達の仲間は強い!」

 

 魘夢を()()()()()()まま、杏寿郎は叫んだ。

 

「そうだな、瑠衣!」

「――――はい!」

 

 ――――風の呼吸・伍ノ型『木枯(こが)らし(おろし)』。

 一陣の風が、2人を包むように吹き荒れた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 両手で持った日輪刀を、頚に叩き付けた。

 金属に金属を打ち付けたような、固い音が響き渡る。

 

(――――硬いっ!)

 

 完全に不意を突いたはずだが、頚の切断には至っていない。

 瑠衣の刀は魘夢の頚を捉えてはいるものの、刃がそれ以上進まなかった。

 何という強靭な頚だ。

 だが、チャンスは今しかなかった。

 

 杏寿郎が押さえつけている今が最大の好機なのだ。

 今、斬らなければ。

 そう思い、瑠衣は両腕に満身の力を込めた。

 絶対に斬るのだという強い意思が、魘夢の頚に刃を押し込んでいく。

 

「うああああああああああぁぁぁっ!!」

「グゥウウウオオオオオアァァァッ!!」

 

 瑠衣の口から裂帛の叫びが出て、魘夢の口からは抵抗の叫びが出た。

 斬れろと念じる瑠衣に、そうはさせじと身を固める魘夢。

 杏寿郎は血管が浮き上がる程の腕力でもって、魘夢を押さえ込み続ける。

 

 しばしの拮抗。

 だが飛び込みの勢いの分だけ、瑠衣の斬撃の方が優位だった。

 ぎし、と何かが軋む音と共に、瑠衣の刃が魘夢の頚に半ばまで喰い込む。

 行ける、そう思った時だ。

 

「……ッ!」

 

 魘夢の頬のあたりに、目玉が開いたのだ。夢の一字を刻まれた目だ。

 血鬼術だ。しまったと気付いた時には、すでに遅い。

 眠らされる、と、頭の中で血の気が引く音がした。

 起き方は承知しているが、それでも一瞬の隙が出来ることは免れないだろう。

 魘夢が今の状況から逃れるのには、十分な隙だ。

 

(駄目、逃げられる……!)

 

 せっかく、杏寿郎がチャンスを作ってくれたのに。

 

(……いいや! 諦めない!)

 

 頚は半ばまで斬れている。

 眠らされる前に、振り抜いてしまえ。

 何としても、何としても……!

 

『眠れェェ!』

(眠るなあああああああっ!!)

 

 急速に訪れる眠気に抵抗しようと、目を見開いた。

 すると、あるものが目に入った。

 

(――――え?)

 

 魘夢の向こう側、ちょうど瑠衣の反対側だ。

 そこに、1人の少年がいた。

 炭治郎だ。

 彼は日輪刀――刃が黒い。黒刀とは珍しいと思った――を両手で握り、腰を回して振り上げていた。

 それは剣技の型というよりは、舞のように思えた。

 軽やかで、堂々としていて、目を引く。

 

「おい! 今からお前の頚を斬るぞ!」

(な、何で自分から……?)

 

 馬鹿正直すぎる。不意打ちのチャンスを自ら不意にした。

 魘夢の意識がそちらへと向いて、瑠衣への血鬼術の圧力が弱まった。

 それによって、聞こえた。

 最初は何の音かわからなかったが、それが炭治郎が発している音だと気付くと、わかった。

 これは、炭治郎の呼吸音だ。

 

(水の……え、でも、この音は)

 

 この、燃え盛る()()()()()呼吸音は何だ。

 瑠衣が困惑した次の瞬間、炭治郎は刀を振るった。

 まるで円を描くように振るわれた刀は、魘夢の頚、まさに瑠衣と反対の位置に打ち込まれた。

 そして、まるで高熱で鉄を溶かすかのように。

 

 ――――ヒノカミ神楽『円舞』。

 

 魘夢の頚が、切断された。

 余りにもあっけなく、頚が胴から離れてしまった。

 宙を舞う魘夢の顔は、信じられないものを見るような目で炭治郎を見ていた。

 そして奇しくも、瑠衣もまた同じような表情で炭治郎を見つめていたのだった。




最後までお読みいただき有難うございます。

ようやく出せたヒノカミ神楽。
何か響きが良いですよね、ヒノカミ神楽。
やはり原作主人公こそ最強…!(え)

というわけで、無限列車編もクライマックスです。
劇場版より先に出来てよかった(え)

それでは、また次回。
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