鬼滅の刃―鬼眼の少女―   作:竜華零

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第14話:「上弦の参」

 ――――は?

 己の身に何が起きたのか、魘夢は咄嗟に判断が出来なかった。

 視界が一回転した。

 そして視界の中に、頚の無い燕尾服の男が立っているのが見えた。

 

 何だ、あれは?

 頭がないなんて変なやつだと、馬鹿みたいなことを考えた。

 しかしその直後に、気付いた。

 地面に強かに顔を打ち付けながら、魘夢はそれが己の胴体なのだと理解した。

 

「……………………は?」

 

 地面に顔を打ち付けた程度、気にもならない。

 それどころではない。

 自分の胴体が倒れているのが見えた。

 だが、その「倒れる」という感覚が魘夢に訪れることはなかった。

 それはすなわち、感覚の全てを失っていることを意味した。

 

(体が崩壊する……! 再生できない……!)

 

 敗北。

 死。

 その2つの言葉が心中に浮かぶや、魘夢の顔に浮かんだのは憤怒の色だった。

 頭が赤黒く膨れ上がって、血管が浮かび上がった。

 

(こんな、こんなことが、こんなはずじゃ……!)

 

 計画の(ことごと)くを潰されて、上弦に挑むことも叶わなかった。

 どうしてこうなった。

 誰がこんなことをと、魘夢は思った。

 

(あいつら……!)

 

 まず杏寿郎、あの男がいたために汽車と一体化する計画が台無しになった。

 それから伊之助と善逸、あの2人も鬱陶しかった。

 あの鬼の娘、禰豆子。鬼狩りに与する鬼。どうして()()されない。

 列車を止めた榛名に瑠衣、術をどうやって破った。

 

 何より、炭治郎。あの子供。

 杏寿郎と榛名、年長の鬼狩りが斬れなかった頚をあっさりと斬った。

 しかも頚の切断面の傷口が、焼けるような痛みを訴えている。

 それがまた魘夢を苛立たせる。

 何もかもが思い通りにならない不条理に、魘夢は歯ぎしりした。 

 

(畜生、ちくしょう……!)

 

 誰か1人でも殺してやれたなら。

 そう思うが、ついに視界がバラけ始めた。

 頭が崩壊する。死がやって来る。

 どうすることも出来ない。鬼狩りの刀で斬られた者の末路は良く知っていた。

 

 自分は選ばれた存在だと思っていた。

 あの方に、鬼舞辻無惨に不死を与えられて、血まで受けて、選ばれた鬼になった。

 いずれは鬼としての頂へ。その資格があると信じていた。

 それなのにこの様、ああ、ああ情けない。

 

(最期に見るのが鬼狩りの顔なんて)

 

 もはや閉じることすら出来ない視界の中、最期に見たのは己を斬った鬼狩りの子供だった。

 蔑むのか、勝ち誇るのか。

 そのどちらかなら、ずっと()()()()()

 鬼狩りの子供、炭治郎が浮かべていた表情に、魘夢は呻いた。

 

(鬼狩りに、()()()()()()()()

 

 ああ、何という悪夢か――――……。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 力なく地面に落ちた燕尾服に、炭治郎は手を添えた。

 鬼は、死体も残さずに消える。

 こうして手を置いても、さらさらとした灰の感触が僅かにあるだけだ。

 何度経験しても、炭治郎はそれが哀しく思えてならないのだった。

 

「竈門少年」

 

 そんな炭治郎に、杏寿郎が声をかけた。

 地面に膝をついて、炭治郎の目を見つめた。

 

「竈門少年、鬼にあまり入れ込まない方が良い」

 

 見た目が人間に近かろうが、鬼は人間ではない。

 何人も何十人も、あるいは何百人も何千人もの人間を喰い、あるいは殺している。

 下弦の壱ともなれば、何十年何百年と生きていてもおかしくはない。

 人間の天敵。怪物、化物だ。

 

 化物に同情心など持つべきではない。

 そんなものを持てば、いざという時に剣先が鈍りかねない。

 それは自分の命を、ひいては守るべき命を危険に晒すことになる。

 だから、鬼に憐れみのような感情を持つべきではないのだ。

 

「殺された人達のため、これ以上の被害を出さないため……もちろん俺は鬼の頚に刃を振るいます」

 

 炭治郎は、鬼を憐れんではいなかった。

 ただ、人間だった()()を憐れんでいた。

 

「でも鬼は人間だったから。俺と同じ、人間だったはずだから」

 

 鬼は哀しく、虚しい生き物だ。

 何かを求めて鬼になったはずなのに、何を求めていたかを忘れてしまった。

 けして手に入らない何かを求め続けるその姿は、あまりにも哀しく、そして虚しい。

 

「だから俺は、鬼を斬るんです」

 

 むう、と、杏寿郎は唸った。

 彼が炭治郎個人に関心を持とうと思う瞬間があるとしたら、この時であっただろう。

 杏寿郎はこの時、初めて竈門炭治郎という人間に興味を持った。

 妹を鬼にされてなお、真っ直ぐな瞳で自分を見つめる少年に。

 

「あの野郎……やりやがった……」

 

 伊之助は、最初の位置に立ったままだった。

 切っ先こそ下ろしているがまだ刀は握ったままで、その拳が震えていた。

 猪頭で見えないが、伊之助は今、怒りと悔しさで震えていた。

 

 杏寿郎と魘夢の近接戦闘に入り込む余地が見えなかった、というのが1つ。

 彼は優れた肌感覚でもって、杏寿郎が己よりも遥かに高みにいること、そして下手に手を出せば邪魔にしかならないことを理解していた。

 だから手を出せなかった。だが……。

 

「くそ、俺は山の王だぞ……! それがビビって情けねえ、くそっくそっ!」

 

 だが炭治郎が果敢に斬りかかり、鬼の頚を取ってしまったではないか。

 子分なのに。親分なのに。

 地団駄を踏み、全身で悔しさを表す伊之助。

 もし猪の被り物をしていなかったら、真っ赤に膨れ上がった顔が見えたことだろう。

 

「…………」

 

 そして、もう1人。

 日輪刀を握ったまま、炭治郎から目を離さずにいる者がいた。

 

「……今のは……」

 

 瑠衣だった。

 彼女は目を真ん丸に見開いて、額に汗さえ滲ませて、下弦の頸を斬った後輩を見つめていたのだった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 形の上では、共同討伐と言える。

 瑠衣が半ばまで斬っていた鬼の頚を、炭治郎が反対側からもう半分を斬ったのだ。

 もちろん魘夢を押さえ込んでいた杏寿郎の功績でもある。

 しかし、実態は違う。

 

(やられていた。確実に)

 

 炭治郎が斬りかかるあの瞬間、魘夢の血鬼術は瑠衣を捉えていた。

 魘夢は逃亡に成功しつつあったのだ。

 瑠衣は、魘夢の頚を斬れなかった。

 仮に共同討伐だったとしても、そこに自分は入らないのだ。

 

 そして何よりも、炭治郎の剣技だ。

 炭治郎の呼吸は水だったはずだが、水の型にあんな技はなかったはずだ。

 呼吸の音も全く違っていた。

 あれは、何だ。瑠衣の知るいずれの呼吸とも違う。

 

「竈門君」

「あ、はい!」

 

 気が付けば、瑠衣は炭治郎に声をかけていた。

 炭治郎は素直に返事をして、純真な顔で瑠衣を見上げてきた。

 そんな様に、瑠衣は一瞬言葉に詰まって。

 

「あ……いえ。怪我はありませんか?」

 

 と、別の言葉を口にした。

 

「はい! 大丈夫です。ありがとうございます!」

 

 炭治郎の返事は快活だった。

 心配してくれたことに心から感謝をしている、ということが、声音と表情ではっきりと伝わって来た。

 子供らしいというよりは、これは炭治郎の生来の気質なのだろうと思えた。

 

「い……」

「え?」

「妹さんを、探しましょう。榛名さんと、列車の乗客の無事も確認しないと」

「あ、そうですね! 善逸……は寝てるな。伊之助、列車の方を見てこよう!」

「うるせえ! 子分のくせに指図すんじゃねえ!」

「ごめん! ……っと」

 

 駆け出そうとした炭治郎だが、不意に足がもつれてしまった。

 瑠衣があっと思った時には、伊之助が横から腕を出して炭治郎を支えていた。

 

「おい、何やってんだよ」

「ご、ごめん。ヒノカミ神楽を使うと凄く疲れるんだ」

「ったく、仕方ねえな。俺様は親分だからな、子分の面倒を見るのも親分の仕事だからな」

 

 ヒノカミ神楽?

 炭治郎を助けようと伸ばしかけた手をそのままに、瑠衣は遠ざかっていく炭治郎と伊之助の背中を見つめ続けていた。

 あの剣技は何。あの呼吸は何。ヒノカミ神楽って、何のこと?

 その目は、千の言葉よりも瑠衣の気持ちを語っていた。

 

「いや! しかし大したものだ、竈門少年は!」

 

 杏寿郎も炭治郎や伊之助のことを見送っていたが、言葉通り感心の色しか見えなかった。

 自分とは違う。

 そう思うと、心臓を掴まれたかのように胸が締め付けられた。

 

「実に見事な剣技だった。あの若さで、行く末が楽しみだ!」

「そう、ですね」

 

 ああ、()()だ。

 過去にも、似たような()()があった。

 何と表現すべきか、言葉にするのは難しい。

 すると、黙り込んだ妹の様子をどう解釈したのか、杏寿郎が手を瑠衣の頭に乗せた。

 そのまま、ぽんぽんと軽く叩いた。

 

 瞬間、瑠衣の顔がかっと紅潮した。

 

 何か言われたわけではない。

 ただ何か、自分の未熟で邪まな部分を見透かされたような気がした。

 杏寿郎の手が髪に触れたのはほんの僅かな時間のことだったが、それだけで瑠衣の心は千々に乱れた。

 何という未熟。浅ましい。瑠衣の胸中に、己を罵倒する言葉が浮かんでは消えていった。

 それを聞く者が自分以外には誰もいないということだけが、唯一の救いだった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 鬼殺隊士にとって、深夜こそ1日の始まりと言える。

 故に、深夜に鎹鴉の召喚命令が届いたとしてもおかしくはない。

 だから槇寿郎は慌てずに身支度を整えたし、眠る千寿郎に気取られることなく屋敷を出た。

 

「――――柱稽古、ですと?」

 

 槇寿郎が通されたのは、会議の間ではなく、産屋敷の私室だった。

 産屋敷は加減が悪い様子で、布団に臥せっていた。

 病によって焼け爛れた顔は、いつにも増して青白く見える。

 しかしそれでも槇寿郎の顔を見ると、妻である産屋敷あまねに支えられながらだが、身を起こした。

 

 ふとあまねと目が合い、目礼した。

 あまねは白樺の木の精と見紛うばかりに美しい女性で、しかし当主の妻としての気構えと器を感じさせる女性でもあった。

 そのあたりは、今は亡き妻に少し似ていると槇寿郎は思っていた。

 いや、今はそれよりも産屋敷の話だ。

 

「最近、剣士(こども)たちを鍛えた方が良いという声が上がっているだろう?」

 

 産屋敷は、隊士のことを「こども」と呼ぶ。

 槇寿郎のような年上の隊士も例外なく「こどもたち」の1人として扱う。

 それは鬼殺隊の父として剣士達を守り導くという意思表明であり、ほとんどの隊士はそのように接する産屋敷のことを実の父か兄のように慕っていた。

 

「柱に隊士の訓練をさせようというお話でしょうか?」

 

 以前からそういう構想は何度か持ち上がっていた。

 特に最近は隊士の質の低下を指摘する声が柱からも出ていて、放置できない問題になりつつあった。

 ただ広範囲の鬼狩りを担当する柱は忙しく、継子以外の鍛錬までしている暇はなかなか作れない。

 他の隊士にしても、常時それぞれの任務に就いている。

 

「槇寿郎は杏寿郎に炎柱を譲った後はどうするのかな」

「は……」

 

 槇寿郎の頭にあるのは、引退の2文字だった。

 第一線を退き、後進の育成に。

 後進の育成。

 槇寿郎は、産屋敷の微笑を見つめた。

 

「……元()に稽古をさせるおつもりですか」

「流石は槇寿郎、鋭いね」

 

 育手。各地で隊士候補生を育てる元隊士達だ。

 しかし育手によって質には当然バラつきがあり、育てた候補生も最終選別で命を落とす者がほとんどというのが現状だ。

 そんな中でも、元柱が育てた隊士は比較的に実力のある者が多い傾向にある。

 おそらく、ほとんど継子と同じような扱いになるからだろう。

 

「何人かの育手を組織化して、隊士の育成と訓練をと思っていてね」

 

 育手個人ではなく、集団体制での育成と訓練。

 これもまた、過去に何度か出た構想ではある。

 ただ個々の育手は極めて職人気質が強く、いわゆる教育者とは違う。

 そのため、これも実際には実現したことはない。

 

「杏寿郎に炎柱を継承した後、槇寿郎にはその統括を任せたいんだ」

 

 だが、中心となるべき存在がいたとしたらどうだろうか。

 槇寿郎に対しては、職人気質の育手達も一目置くだろう。 

 それならば、もしかしたら上手くいくのかもしれない。

 ただ……。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 実のところ、槇寿郎は自分が安穏とした隠居生活を送れるとは思っていなかった。

 柱を辞しても煉獄家の当主であることに違いはなく、鬼殺隊への貢献が求められる。

 だが、それはあくまで裏方としての意味だった。

 まさか公的な役職を持って何かをしろとは、思っていなかった。

 

 槇寿郎は、1人の剣士でありたかった。

 剣士として生き、剣士として死にたかった。

 一方で、それが難しいことも理解していた。

 何もかもを投げ出すことが出来たなら、どれほど楽だろうか。

 

「……瑠火が聞いたら、怒るだろうな」

 

 産屋敷邸の廊下を歩きながら、月を見上げた。

 嗚呼、妻が死んだ時もこんな夜だった。

 月は妖しい美しさを湛えてそこにあり、鬼の啼く声が木霊する。

 喪失感と無力感に沈んだ夜。

 

『――――父様』

 

 ああ、そう言えばそうだった。

 あの娘が、自分のことを「父様」などと畏まって呼ぶようになったのは、あの時からだった。

 瑠火の、母の髪留めで髪を結い始めたのもあの時からだ。

 槇寿郎にとっては、あまり良い記憶とは言えない。

 

 だが()()がなければ、おそらく自分は駄目になっていたと思う。

 千寿郎は幼すぎたし、杏寿郎はきっと物分かりが良すぎた。

 つくづく自分は駄目な父親だったと、そう思った。

 たぶん、今もそれほど変わってはいないと思うが……。

 

「え、炎柱様!」

「お疲れ様です!」

 

 考え事をしながら歩いていたせいか、気が付けば産屋敷邸の門を潜っていた。

 その時、たまたま通りがかったらしい若い隊士を見かけた。

 緊張した表情で挨拶をしてきた彼らに、槇寿郎は答えた。

 

「ああ、山田君に増山君。これから任務かね?」

「あ、は、ははい!」

「そうか、良く務めるように。戦果を期待しているよ」

「は、はいっ!」

 

 特別なやり取りではない。

 少なくとも槇寿郎にとってはそうだった。

 

「す、すっげー。炎柱様と話ちゃったよ~」

「しかも俺達の名前を覚えててくれてるなんてな!」

 

 だが、角を曲がった後に聞こえて来た会話に、思わず嘆息を零した。

 もう一度、月を見上げた。

 剣士として鬼を狩っていた時は、あの妖しくも美しい月が鬼を呼んでいるようで、忌々しく思うこともあったものだが。

 今は、それが何故か懐かしく思えてしまうのだった。

 

(杏寿郎と瑠衣は、どうしているだろうか)

 

 槇寿郎は、剣士のままでありたかった。

 叶わぬからこそ、焦がれるのだろうかと。

 そんなことを、思った。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 思いのほか、怪我人も少ないようだった。

 最悪の場合を覚悟していただけの、その事実は炭治郎を安堵させた。

 

「禰豆子!」

「ムー!」

 

 脱線した列車のそばにいた禰豆子は、炭治郎の姿を認めるとトコトコと走り寄って来た。

 禰豆子の無事な姿に――日輪刀と太陽の光以外で死ぬことはないと頭ではわかっているが――ほっとした炭治郎は、飛び込んで来た妹を抱き留めた。

 見た目からは想像できない力強さに、内心で「うっ」と息を漏らした。

 

 周囲を見渡すと、乗客達がそれぞれに車両の外に出ているのが見えた。

 元気なものは、怪我をした乗客を助けていた。

 魘夢の血鬼術の効果は、完全に失われている様子だった。

 ただもしかしたら心に傷を負ってしまった者もいるかもしれず、それは心配だった。

 例えば……。

 

「大丈夫かしらぁ?」

 

 榛名が、列車のそばに座り込んでいる男女に声をかけているのが見えた。

 あの瑠衣達の夢の中に侵入した、魘夢に協力していた者達だ。

 鬼に協力した彼らは、今後どうなるのだろうか。

 

「……首を斬られて大丈夫なわけないだろ……」

 

 男の方は、顔色は悪いが喋れる程度には快復しているようだった。

 炭治郎は知る由もないが、彼は夢の中であさひに斬られたのである。

 ただ、鬼に唆されたからとは言え精神の核を破壊しようと――要は殺そうと――したのだから、首を刎ねられたことについて文句の言いようもないだろう。

 むしろ問題は、娘の方だった。

 

「……………………」

 

 青褪めた顔。乾いた唇。震える身体。肩を抱きしめる手指。

 膝を抱えたまま震える娘は、明らかに何かに怯えていた。

 榛名の言葉も聞こえていない様子だった。

 ただ榛名が膝をついて手を伸ばした時には、流石に存在に気付いたようだ。

 

「見ないで……!」

 

 その手を叩き払って、叫んだ。

 次いで炭治郎達のことにも気付いたのか、ひっと息を呑んだ。

 

「私を見るなあっ!」

「はあ? 何を言ってんだこの女」

「うううるさいっ、うるさい! 見るな、見ないでったらあっ!」

 

 恐怖の匂いがした。

 炭治郎や伊之助の視線を遮るように腕を振り回した後、娘は己の膝に顔を埋めた。

 そのまま頭を抱えて、こちらに対して完全な明確な拒絶を示してくる。

 

「……見ないで……」

 

 ――他人の夢に入るというのは、非常に危険な行為だ。

 夢は本人の意識が強く、侵入した側に強い心理的影響を与えてしまうことがある。

 あの魘夢でさえ、自ら他人の夢に入ろうとはしなかった。

 ただこの娘は、そうした警告は受けていなかった。

 

 当たり前と言えば当たり前だった。

 魘夢は娘を利用していただけで、リスクについて警告する義理などないからだ。

 結果として、娘は心に深い傷(トラウマ)を受けることになってしまった。

 

「目……目が、いっぱいあって……ああ、見ないで……みない、でえ……」

 

 人の視線が、恐ろしいのか。

 何と声をかけて良いのかわからず、炭治郎は立ち尽くしていた。

 例えば医学的な知識があるしのぶがこの場にいれば、効果的な対処ができたのかもしれない。

 人を救うということは、こんなにも難しい。

 わかってはいたつもりだが、炭治郎は改めてそう感じた。

 

「ん……?」

 

 その時だ、炭治郎は鼻先をひくつかせた。

 風上から、何か、良くないものの匂いを感じたのだ。

 何だろうと、より深く息をしようとした時。

 ――――身体が浮き上がるような衝撃が、音が、来た。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 大砲でも撃ち込まれたのかと、そう思った。

 

「……え?」

 

 炭治郎達の目の前に、()()は空から落ちて来た。

 紅梅色の短髪に、袖なしの羽織から細身だが筋肉質の身体が覗いている。

 一目で鍛え上げているとわかる肉体。

 その肌には、藍色の刺青のような紋様が幾重にも刻み込まれていた。

 

 一見すると、人間のように見えた。

 しかしすぐに違うとわかった。

 両の瞳に「上弦」「参」と刻まれていたからだ。

 鬼だ。

 ()()()()()

 

「――――お前か」

「え?」

 

 突然、話しかけられた。

 炭治郎は、間の抜けたような声を上げてしまった。

 そして次の瞬間、鬼の顔が目の前にあった。

 凄絶な笑みを浮かべたその鬼は、右拳を大きく振り上げていて。

 

 ――――空の呼吸・参ノ型『空割』。

 不可避と思われた一撃に対して、横から斬りかかった者がいた。

 榛名だった。

 しかし、彼女が上段から振り下ろした斬撃に対して、鬼の反応は素早かった。

 

「邪魔だ、女」

 

 炭治郎への攻撃のために突き出された拳を解き、掌を上にした。

 そこへ日輪刀を乗せたかと思うと、指の先で握った。刃を掴んだのだ。

 そして、刀の側面に膝を叩き込んだ。

 呆気ない音を立てて、榛名の刀が折れるのを炭治郎は見た。

 榛名の目が、驚きに見開かれる。

 

「な」

 

 声を発する間もなかった。

 鬼の足が榛名の胸元を捉え、遥か後方へ吹き飛ばした。

 列車の壁にぶつかっても止まることはなく、榛名の姿は列車を破壊しながら消えていった。

 そばに座り込んでいた、魘夢の協力者だった2人が、もつれあうように逃げていくのが見えた。

 

「榛名さん!!」

「安心しろ、殺してはいない」

 

 炭治郎は、鬼を見た。

 怒りを浮かべていたその表情は、しかしすぐに青褪めた。

 凄まじい()()()()がした。これまでに出会ったどの鬼よりも()()

 鬼舞辻の、血の臭い。

 

「弱い」

 

 言葉が落ちて来た。

 上位者が下位の者を見る時の、侮蔑の色に満ちた声だ。

 

「あの方が直接「殺せ」と命じられたから、どんな強者かと思えば……」

 

 何を勝手なことをと、言い返すことができない。

 巨大な手に肩を押さえ付けられているかのように、身体が重い。

 鼻の奥がツンと痛み、知らず、呼吸が乱れていた。

 本能が逃亡を訴えるのを、必死に押さえ込んだ。

 

「ウ――――ッ!」

「禰豆子ッ!?」

 

 炭治郎を守ろうとしたのだろう、禰豆子が飛び出した。

 爪を伸ばし、鬼に打ちかかった。

 しかし相手はそれを歯牙にもかけずに、ただ腕を伸ばし、当たり前のことのように禰豆子の頚を掴んでいた。

 宙に浮かんだ禰豆子の足が、じたばたと藻掻(もが)く。

 

「禰……」

「う、おおおおおおおおおおおおおおおぉぉっっ!!」

「……ッ。い、伊之助!」

 

 さらに、伊之助。

 何かを堪え切れなかったのか、あるいは振り払おうとしたのか。

 一直線に鬼に向かっていく伊之助の背中に、炭治郎は手を伸ばしかけたが。

 それ以上に、血の臭いが濃くなる感覚にぞっとした。

 

 鬼の目が、伊之助を見ていた。

 まるで羽虫が近付いてくるのを見るかのような、冷たい目だった。

 片手で禰豆子を掴みながら、もう一方の腕を伊之助に向ける。

 血の臭いが、むっと強くなる。榛名を攻撃した時にはなかったものだ。

 それは、恐ろしい程に明確な――――殺意だった。

 

「やめろおおおおおおおおおおっ!!」

 

 ようやく、炭治郎の身体が動いた。

 しかし、遅い。

 ヒノカミ神楽を使った影響がまだ残っているのか、手足に十分な力が入らない。

 鬼の攻撃は、炭治郎よりも遥かに速い。

 間に合わないと表情を歪ませた、その時。

 

 ――――風の呼吸・伍ノ型『木枯らし颪』。

 ――――炎の呼吸・壱ノ型『不知火』。

 

 頭上からの突進が禰豆子を掴む腕を捉え、直線に放たれた斬撃が伊之助を狙う腕を切断した。

 僅かに驚いた顔を見せて、鬼が後ろへと跳ぶ。

 両腕の傷は一秒と満たずに再生するが、血はまだ肌を伝っていた。

 その血の雫を舌先で弄びながら、鬼はにやりと笑った。

 

「少しは楽しめそうだ」

 

 その視線の先には、2人の男女。

 ほっとした表情を浮かべて、炭治郎は彼らの名を呼んだ。

 

「杏寿郎さん! 瑠衣さん……!」

 

 煉獄の兄妹はふと後ろを振り向くと、小さく笑った。

 そっくりだなと、炭治郎はそう思った。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 上弦の参。

 以前に遭遇した上弦の肆よりも、階級が上の鬼だ。

 上弦の肆(アイツ)よりも、強い鬼だ。

 日輪刀を握る掌に、知らず力が籠った。

 

「そこのお前」

 

 こちらを見て、上弦の参が声をかけてきた。

 だがその相手は自分ではなく、杏寿郎のようだった。

 

「柱か?」

「……いや、違う」

「そうか。柱でもないのに、それほどの闘気。見事なものだ」

「俺は煉獄杏寿郎。炎柱の継子だ」

「なるほど次期柱というわけか。どうりで鍛え上げられているわけだ。俺は猗窩座(あかざ)

 

 杏寿郎の一撃は、瑠衣のそれよりも深く鬼を、猗窩座を斬ったはずだ。

 しかし今や傷痕さえなく、再生してしまっている。

 やはり上弦の鬼の再生速度は、他の鬼とは比較にならない程に速い。

 

「しかし解せないな杏寿郎。それ程の力がありながら、なぜ今の攻撃で俺の頚を狙わなかった?」

 

 その答えは、杏寿郎の足元と瑠衣の腕の中にある。

 伊之助と禰豆子だ。

 彼らを無視して頚を狙っていたら、2人は殺されていた。

 禰豆子は鬼だから再生するとしても、伊之助は助からなかっただろう。

 

「惜しいな杏寿郎。お前のその甘さが強さを鈍らせる。強さに不純物は不要なものだ」

「不純物?」

「弱者だ。弱者に構う甘さこそが不純物。そんな不純物を取り除く素晴らしい提案をしてやろう」

 

 猗窩座は、杏寿郎に対して誘うように掌を向けた。

 

「鬼になれ、杏寿郎」

 

 …………数瞬の間が、あった。

 それは、猗窩座の言葉の意味を理解するための数瞬でもあった。

 瑠衣は猗窩座を睨んだ。

 今、この鬼は何を言ったか。言うに事欠いて「鬼になれ」だと?

 

 そして、杏寿郎を見た。

 兄の背中は何も語らないが、それでも()()()

 杏寿郎の答えが、感情の動きが、瑠衣には良くわかった。

 

「鬼になれば永遠を生きられる。老いることも衰えることもなくなる。お前の甘さも消える。強さの純度を高めることができる――――素晴らしいことだとは思わないか?」

「思わない」

「なぜ?」

「老いることも死ぬことも、人間という儚くも逞しい生き物の美しさだからだ」

 

 人は死ぬ。老いる。いずれ必ず衰える。

 だが、だからこそ一瞬の生が煌めくのだ。

 刻まれていく時間が、たまらなく愛おしくなっていくのだ。

 共に歩んでいく時間が、尊いものになっていくのだ。

 

 強さとは、肉体の強度や剣技の腕前だけを指す言葉ではない。

 不純物などない。

 そんなものは、どこにも存在しない。

 まして。

 

「ここにいる者で、不純物と呼ばれて良い者は1人もいない。侮辱するな」

「つまり、答えは?」

「俺は如何なる理由があろうとも鬼にはならない」

「…………そうか」

 

 ――――術式展開『破壊殺・羅針』。

 空気が、一気に張り詰めるのを感じた。

 猗窩座が何か、武術の構えらしきものを取っていく。

 何の武術かはわからない。だが、何かが切り替わったのは感じた。

 

「鬼にならないなら、殺すしかないな」

 

 鬼の牙を覗かせながら、笑みと共にそう告げた。

 直接当てられたわけでもないのに、明確な闘志と害意が瑠衣の肌を粟立たせる。

 

「瑠衣」

 

 そして真っ直ぐに猗窩座を見据えたまま、杏寿郎は言った。

 

「援護を頼む。どちらかが奴を止められたら、もう一方が頚を斬るんだ」

 

 ぎゅっ、と、日輪刀を握る手に力を込めた。

 自信は、正直なところあるとは言えなかった。

 けれど杏寿郎は、先程の()()を見ていながら、それでも瑠衣を信じてくれている。

 その信頼に、応えたいと思った。どうしても、そう思った。

 

「失望だな、杏寿郎。弱者を頼るとは」

「……鬼には理解できないことかもしれないが」

 

 嘲弄する猗窩座に、杏寿郎は力強い笑みと共にこう言い切った。

 

「誰かに背中を預けることが出来るというのは、幸福なことだ」

 

 杏寿郎と猗窩座は、ほぼ同時に地面を蹴った。

 月が、両者を妖しく、そして美しく照らし出していた。




最後までお読みいただき有難うございます。

いよいよ猗窩座戦です。
正直、猗窩座殿を出さない展開もあり得ました。でも私が我慢できなかった(え)

原作の雰囲気が出せているといいな……。

それでは、また次回。
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