鬼滅の刃―鬼眼の少女―   作:竜華零

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第15話:「責務」

 伊之助は、強さというものに誰よりも敏感だった。

 厳しい自然の中で――まさに野生児として――過ごして来た彼にとって、相手の強さを計るということは、まさに「生き残る」と同義語だったからだ。

 その彼だからこそ、思う。

 あの空間は、()()()だと。

 

 ――――『破壊殺・空式』。

 ――――炎の呼吸・肆ノ型『盛炎のうねり』。

 

 猗窩座が虚空に拳を乱れ打つと、拳圧が形を伴って杏寿郎に襲いかかった。

 杏寿郎は前面に刀を振るい、拳圧の嵐を薙ぎ払う。

 一撃の音が重い。まるで金槌で大木を殴りつけたかのような音が響く。

 そして伊之助には、猗窩座の放った拳圧のどれ一つとして目で追うことすら出来なかった。

 

(入り込む隙がねえ……)

 

 魘夢の時、動けなかった自分が許せなかった。

 だから猗窩座に対して、本能の警告を無視する形で斬りかかったのだ。

 しかし結果は、無様に庇われる始末だった。

 そして今、自分はまた戦いを眺めているだけだ。

 

(悔しいなあ)

 

 炭治郎もまた、禰豆子を抱えた状態で戦いを眺めていた。

 鍛錬を積んできたはずだった。

 それこそ、血反吐を吐くような思いだって何度もした。

 全集中の常中だって、必死に会得した。

 それなのに。

 

(俺はまた、見ているだけだ)

 

 その時、不意に炭治郎の視界を誰かが横切っていった。

 誰か、いや、わかりきっている。瑠衣だ。

 瑠衣が、駆けていた。

 

(瑠衣さん)

 

 凄い、と思った。

 炭治郎は知る由もないが、それは瑠衣が下弦の肆との戦いで見せた動きだ。

 地面を砕きながらひたすらに駆ける。

 善逸の壱ノ型に似ているが、あれよりも小刻みで、そして不規則だった。

 

 杏寿郎と猗窩座が戦い始めてから、瑠衣はああして駆け続けている。

 2人を中心に円を描くようにだ。

 蝶屋敷でやった追いかけっこは、当たり前だが、まるで本気ではなかったのだと改めて思った。

 そして、再びの衝撃。

 

「やはり素晴らしい強さだ、杏寿郎!」

 

 猗窩座の声。愉し気な気配を隠そうともしていなかった。

 

「だからこそ鬼にならないことが理解できない。この素晴らしい才能が醜く衰えていくことが耐えられない」

 

 衝撃は、猗窩座の踏み込みの音だった。

 炭治郎が声を追って姿を捉えた時には、猗窩座はすでに杏寿郎の目前で拳を振るうところだった。

 金属を弾く音。それは猗窩座が杏寿郎の日輪刀を打った音だ。

 榛名の時の光景が脳裏をよぎったが、折られはしなかったようだ。だが。

 

「死んでくれ杏寿郎、若く強いままで」

 

 ――――『破壊殺・乱式』。

 そして次の一瞬で、猗窩座はすでに攻撃を()()()()()

 至近距離での拳の乱打。刀を弾かれた直後で、杏寿郎は体勢が崩れていた。

 回避し切れない。炭治郎は青ざめた。

 

「杏寿郎さ」

 

 ――――風の呼吸・壱ノ型『塵旋風・削ぎ』。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 瑠衣のその突撃は、猗窩座を不快にさせた。

 まず杏寿郎との戦いの最中、()()に対応しなければならない。

 そして、女と戦うこと自体が彼を不愉快にさせる。

 だが自身の感情とは関係なく、無意識かつ正確に、猗窩座は腕を振るっていた。

 

「――――ッ!」

 

 回転切りの最中、瑠衣は猗窩座の左拳が自分を狙うのを見た。

 羽虫でも払うかのように、拳の裏で瑠衣を打ち払おうとしている。

 それで良かった。

 瑠衣の狙いは()()だったからだ。

 

(今……!)

 

 猗窩座の射程圏――瑠衣自身の射程圏でもある――に入る直前、強く踏み込んだ。

 全力の突撃を片足で止め、制動をかける。ミシミシと骨と筋肉が軋む音が体内で聞こえた。

 そのまま、瑠衣は跳ねた。まるで伸びきったゴムが反発で戻るような、そんな動きだった。

 当然、標的を失った猗窩座の拳は空を切ることになる。

 逃げたか。やはり弱者――と、猗窩座が頭の片隅で思考した時。

 

 ――――炎の呼吸・弐ノ型『昇り炎天』。

 やや崩れた体勢ながら、それでも鋭い斬り上げの斬撃が来た。

 だが斬撃の気配を感じた瞬間には、猗窩座はすでに回避行動を取っていた。

 胸を反らして身体を後ろに倒し、そのまま縦に回転しながら後方へと跳ぶ。

 

「…………」

 

 着地した後、猗窩座は顎先に触れた。

 僅かに切っ先が触れたのか、指先に血が付着していた。

 もちろん、そんな傷はすぐに治る。

 不意に、猗窩座に影が差した。

 

 杏寿郎が、日輪刀を振り下ろしていた。

 猗窩座の口元に、凄絶な笑みが浮かび上がった。

 ――――『破壊殺・鬼芯(きしん)八重芯(やえしん)』。

 

(何て速度。拳が見えない……!)

 

 一瞬の内に四発。左右で八発。常人では不可能な速度だ。

 距離を取っている瑠衣には、猗窩座の腕が僅かにブレたようにしか見えなかった。

 そしてその全てを、杏寿郎は迎撃した。

 その剣閃は、猗窩座の拳速に勝るとも劣らないものだった。

 

「素晴らしい反応速度! 素晴らしい剣技!」

 

 そこからの数秒間、杏寿郎の視界には猗窩座の拳だけが映っていた。

 右拳を、半身を捻ってかわした。耳元で空気が割れるような音が響いた。

 その腕を狙って、斬り上げる。肘を狙い、捉えた。

 肉を裂き、骨を断つ確かな手応えを感じた。猗窩座の右腕が宙を舞った。

 

 だが、猗窩座はそれを物ともしなかった。

 切断したはずの腕は宙を舞う間に猗窩座が傷口同士を合わせてしまい、そして即座に接着して見せたのだ。

 何事もなかったかのように元通りに動く腕を見て、さしもの杏寿郎も驚愕した。

 驚愕を浮かべるその顔に、猗窩座が再び右拳を叩き込みに行く。

 

「だが所詮は人の域! 人間のままでは鬼には勝てないぞ、杏寿郎!」

 

 ――――風の呼吸・弐ノ型『爪々・科戸風』。

 風を纏った斬撃が飛んできた。

 もちろん猗窩座はそれを察知していたが、今回は無視した。

 瑠衣は自分に対して踏み込んで来ないという判断からだ。

 

「鬼になれ、杏寿郎!」

 

 瑠衣の放った風の斬撃は猗窩座の右半身を打った。

 しかし、浅い。猗窩座にとっては蚊が刺したようなものだった。

 

(ああ……!)

 

 炭治郎が内心で悲鳴を上げた、次の瞬間。

 猗窩座の右拳が、杏寿郎の頭を撃ち抜いた――――。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 打ち下ろしの一撃。今度は確実に入った。

 猗窩座の右拳が、杏寿郎の頭を真っ直ぐに捉えた。

 完璧だ。だからこそ猗窩座はその()()()にすぐに気付いた。

 

(手応えがない)

 

 ()()()()()()()()()()()()

 拳で殴るというのは、見た目ほどに簡単ではない。

 踏み込み、腰の落とし方、胴体の筋肉の連動、腕への力の伝え方。

 それら全てが揃って、初めて必殺の一撃と呼ぶことが出来る。

 

 しかるに、どうだ。

 猗窩座の右拳は杏寿郎の顔面に届かず、彼が咄嗟に振り上げた刀の柄に当たっていた。

 刀の鍔が額を打ち、のけ反る杏寿郎。

 だがその目は野猪(やちょ)の如き鋭さで猗窩座を捉えている。

 ダメージがない。何故か。先に言った、力が腕に伝わっていないからだ。

 

「何……!」

 

 一瞬。猗窩座の右腕が、だらり、と脱力した。

 肩の後ろと、肘の上。

 2つ――いや、2つの斬撃を十字に重ねて二撃、合わせて4つの裂傷が猗窩座の肉体に刻まれていた。

 筋肉と靭帯。拳の先へ力を伝える箇所を、的確に斬っていた。

 

 瑠衣が、間合いの中にいた。

 踏み込みの足は猗窩座の足に触れそうな程に近く、手を伸ばせば羽織の端を容易に掴めるだろう。

 そんな距離で、瑠衣が刀を返すのが見えた。

 猗窩座が右腕の傷を再生させるのと、瑠衣が刀を振るったのは、ほぼ同時だった。

 

「ぐ、うぅあ……っ!?」

 

 ――――風の呼吸・参ノ型『晴嵐風樹』。

 ――――『破壊殺・乱式』。

 竜巻を思わせる縦の連撃を、猗窩座は瞬時に撃ち抜いて来た。

 日輪刀を通じて伝わって来る()()に腕が痺れ、瑠衣の唇から呻き声が漏れた。

 

 ――――風の呼吸・陸ノ型『黒風烟嵐』。

 下がらされた一歩を逆に踏み込みとして、斬り上げの斬撃を放つ。

 それを、猗窩座は掴み止めた。

 片腕で、瑠衣が両手で、しかも渾身の力で振り上げた刀をあっさりと止めてしまった。

 

(化物にも程がある……!)

 

 ――――炎の呼吸・弐ノ型『昇り炎天』。

 その瑠衣の刀に、杏寿郎が己の刀を打ち込んだ。

 金属同士が打ち合う不快な音が、響き渡った。

 

(全集中、漆ノ、型!)

 

 ぞぶ、という音と立てて、兄妹の刀が猗窩座の手を斬った。

 猗窩座の指と血が宙を舞う。

 そして、瑠衣が跳び、杏寿郎が刀を振り上げる。

 

 ――――炎の呼吸・伍ノ型『炎虎』!

 ――――風の呼吸・漆ノ型『勁風(けいふう)・天狗風』!

 

 杏寿郎の轟撃に、暴力的な風の刃が重なる。

 それは猗窩座の肩に直撃し、袈裟切りに振り下ろされた。

 さらに形を伴った鋭利な風刃が、耳を、頬を、腕を、脇腹を、足を切り裂いていった。

 縦に回転する視界の中、瑠衣は猗窩座がその場に膝をつくのを見た。

 

「油断するな! 攻撃を続ける!」

 

 杏寿郎の声に、緩みかけた腕に力を込めた。

 

「はいっ!!」

 

 着地と同時に、壱ノ型で突っ込んだ。

 その時には、すでに兄も斬りかかっている。

 頚を、と。そう思った。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 ――――あれ?

 気が付いた時、瑠衣の視界は横に倒れていた。

 頬に土の感触があり、身体の前面に圧迫感がある。

 地面にうつ伏せに倒れている。そのことに気付くのに、少しかかった。

 

(頚を……)

 

 猗窩座の頚を、と、直前までの思考が追い付いて来た。

 思考が現実を認識できていない。

 頭が、混乱している。

 いったい何が起こった。自分はどうして倒れているのか。

 

 這うように頭を動かすと、炭治郎達が視界に入った。

 青褪めた顔で目を見開いていて、何とも、情けない顔をさせてしまっていた。

 立て。早く。と、己の身体を叱咤した。

 先輩として、煉獄家の娘として、情けない姿を見せるわけにはいかない。

 

「か……ぎっ」

 

 つっかえ棒にしようと地面についた左腕に、激痛が走った。

 折れていた。

 そしてそれを契機として、やって来た。

 痛み。それも全身の至るところから。

 

「う、が、ああああぁぁ……っ!?」

 

 喉、胸、背中に鳩尾。およそ呼吸に関係する部分すべてに、そして四肢。

 無数の打撃が今まさに襲ってきたかのような激痛に、瑠衣は悶えた。

 そして、思い出した。

 先の一瞬、杏寿郎と共に、膝をついた斬りかかった刹那の瞬間。

 

 数十……いや、100発以上か。わからない。数え切れなかった。

 数える前に、全身を打撃されていた。

 瞬間的に意識を失い、地面に倒れた衝撃で覚醒した。

 だから感覚が鈍り、痛みを感じるのが遅れたのだ。

 

「ぐ、う……あ」

 

 何という、恐るべき鬼。

 上弦の肆との戦いで上弦の鬼は別次元と学んだはずだが、それ以上だ。

 そして猗窩座は、上弦の肆よりも、単純に強い。

 肉体的な強さが異次元だ。あれに打撃されて生きている方が不思議とすら言える。

 

(兄様は)

 

 痛む身体に鞭打って、杏寿郎の姿を探した。

 幸いなことに、そう時間を置かずに見つけることが出来た。

 思ったよりも離れていない位置に、2人はいた。

 

「兄……」

 

 声を上げかけて、思わず止まった。

 杏寿郎の背中が、見えた。

 辛うじて、立っている。日輪刀を持っている。

 しかしそれが形ばかりのものであることが、普段の杏寿郎を知る瑠衣には良くわかった。

 

(動け……!)

 

 折れた腕で、瑠衣は半身を起こした。

 杏寿郎のところへ、行かなければ。

 兄は言った。誰かに背中を任せることが出来るのは幸福だと。

 ならば、ならば。その背中を守って死ぬことが、せめてもの自分の役割のはずだった。

 

「杏寿郎」

 

 杏寿郎の目の前に、猗窩座が立っていた。

 立ち上がる。そして、前へ。刀を取り、駆ける。

 己の死に場所(兄の背中)へ向けて、飛び込め――――。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 見事だ、と、猗窩座は思った。

 目の前で日輪刀を構える杏寿郎は、すでに満身創痍だ。

 全身の打撲、骨折、出血――どれ1つを取っても、立っているのが不思議な程だ。

 それがどうだ。構えには一部の隙もなく、呼吸には僅かな乱れもない。

 

 素晴らしい精神力。素晴らしい闘気。

 やはり、この男は鬼になるべきだ。

 永遠という()()を得るにふさわしい、選ばれた強者だ。

 嗚呼、だが猗窩座は同時に理解してもいた。

 

()()()()

 

 この男の精神(こころ)を折ることは、出来ないだろう。

 自分の誘いに頷くことはない。

 躊躇(ためら)いを覚える程に惜しいと思う。

 

 ――――術式展開『破壊殺』。

 

 だが、誘いに乗らないのなら殺さなければならない。

 今まで自分が認めた強者達も、そうして来た。

 誰も自分の誘いに頷くことは無かった。

 本当に哀しい。辛いと、そう思いながら。

 

 ――――『破壊殺・滅式』。

 

 杏寿郎は、自身に迫りくる猗窩座の拳から目を逸らさなかった。

 おそらくは一撃で自分を(ほふ)るだろうその技は、防ごうとして防げるものでは無かった。

 そして、杏寿郎は本能的に理解していた。

 もしも助かる(すべ)があるとするなら、それは、防御ではない。

 

 ――――炎の呼吸、奥義。

 

 一瞬で、頚ごと猗窩座の肉体を粉砕する。

 日輪刀を両手で構え、身体を捩じり、大きく振り被る。

 それだけのことで、己が身体が悲鳴を上げるのが良くわかった。

 不甲斐ないと、それだけを思った。

 

 ――――玖ノ型『煉獄』。

 

 猗窩座の拳を、迎撃する。

 必殺の一撃と、全霊の一閃が交錯する一瞬。

 両者が己の一撃が相手に届き得ると確信する、その瞬間。

 すべての時間が停まるような、そんな刹那に滑り込むように。

 

「やああああああぁっ!!」

 

 瑠衣が、その驚異的な脚力でもって、両者の間に割り込んだ。

 伍ノ型(木枯らし颪)。しかし狙いは頚では無かった。

 瑠衣の狙いは。

 

(こいつ、腕を……!)

 

 猗窩座の腕だ。

 技の出がかり、振り上げの瞬間を狙った。

 斬るのではなく、刺突。片腕が折れていて斬撃が出来ないのだ。

 切っ先から鍔まで押し込み、そのまま身体を押し付ける。

 一瞬だが、猗窩座の動きを止めた。

 

「兄様……!」

 

 猗窩座の、上弦の頚を斬る。

 そのためになら、命だって惜しくはなかった。

 だから瑠衣は、杏寿郎に呼びかけた。

 自分ごと斬ってくれ、と。

 

(よもや……!)

 

 そして、煉獄杏寿郎は自問する!

 はたしてこのまま、この刃を振り下ろすべきなのかどうか。

 

(このまま俺の『煉獄』が完成すれば、猗窩座の頚を斬れるかもしれん)

 

 ただしその場合、瑠衣も無事ではすまない。

 飾らずに言えば、真っ二つになるだろう。

 妹の身体を両断して、猗窩座の頚を斬る。

 はたして、それを是とするべきかどうか。

 

 最悪の場合は、もちろんあり得ることだ。

 上弦の鬼を斬れば何百人、いや何千何万という人間を守ることが出来る。

 杏寿郎も含め鬼殺隊士は皆、鬼狩りの中で死ぬ覚悟くらいはとうの昔に出来ている。

 今さら命を惜しむ者などいるはずもない。

 

(俺は)

 

 家族の1人1人の顔が思い浮かんだ。

 父上、千寿郎。そして今は亡き母上。

 あるいは、炭治郎ら後に続く者達の顔が浮かんだ。

 

(俺は、俺の責務を全うする!)

 

 この場にいる最年長の隊士として、正しい判断をする。

 だから杏寿郎は、両手で握った日輪刀を。

 ――――振り下ろした。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 あ、と声を上げたのは、誰だっただろうか。

 最も驚いたのは、瑠衣であっただろう。

 瑠衣の目の前では、猗窩座が頚から血を流していた。

 

「な……」

 

 しかし、()()

 切っ先が喉笛を傷つけた――それでも人間であれば大きな傷だが――だけで、猗窩座が身をのけ反らせて攻撃を回避してしまっていた。

 瑠衣の知る『煉獄』であれば、あり得ないことだった。

 

 玖ノ型『煉獄』は、家名を冠した炎の呼吸の奥義だ。

 他の炎の剣士には伝授されない、煉獄家一家相伝の秘奥義なのだ。

 けして、喉を僅かに斬り付ける程度の威力ではない。

 ならば、どうして猗窩座の頚を斬れなかったのか。

 

「なんで!?」

 

 杏寿郎が、途中で『煉獄』を止めたからだ。

 瑠衣に当たらないように、攻撃の軌道を変えたのだ。

 だから瑠衣は無事だ、が、それは瑠衣が望んだことではなかった。

 珍しく兄に非難の気持ちを持った瑠衣だったが、杏寿郎の目を見た時に息を呑んだ。

 

 杏寿郎は日輪刀を振り下ろしたが、むしろその眼光は苛烈さを増していた。

 刀を返し、足腰に力を溜めている。

 兄の意図を本能的に察し、猗窩座の腕を押さえ続けた。

 振り下ろした刀を、跳ね上げるように振り上げた。

 

「カッ……!」

 

 ――――炎の呼吸・参ノ型『烈火の連なり』。

 その一撃は、猗窩座の頚に届いた。

 鋼が打ち合うような鈍い音が響き、赫い日輪刀が頚に喰い込む。

 腕に、足に、全身に力を込めて、杏寿郎は刀を振るった。

 

「オオオオオオオォッ!!」

 

 大木に鋸を打ち込むように、刃が猗窩座の頚に埋まっていく。

 斬れる、と、瑠衣は直感した。

 杏寿郎の一撃は、確実に鬼の急所を捉えている。

 今までの攻撃とは違う。効いている。

 

 一方で、猗窩座は愕然としていた。

 上弦である自分が、鬼狩りに頚を斬られかけているという事実にだ。

 この100年余り、敵に生命を脅かされたことは無かった。

 それが今、20年そこらしか生きていない若造に頚を斬られそうになっている。

 それは、猗窩座の誇りを大きく傷つけた。

 

「う」「お」

 

 その時、猗窩座の()()に気付く者が少なくとも2人いた。

 炭治郎と伊之助だ。

 前者は鬼舞辻の血の臭いが増すのを感じ取り、後者は肌を刺すような鬼気に慄いた。

 そして次の瞬間、杏寿郎と瑠衣は猗窩座が上弦たる所以(ゆえん)を知ることになった。

 

(何?)

 

 その時、瑠衣は足元で何かが輝くのを見た。

 それは雪の結晶にも似た紋様で、地面に――いや、猗窩座の足元に浮かび上がっていた。

 これは何だと、思ったさらに次の瞬間。

 瑠衣の視界を、青と銀の光が埋め尽くした。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 その技は、破壊殺・終式『青銀(あおぎん)(らん)残光(ざんこう)』という。

 全方向に100発の乱れ打ちを放つ技だ。

 上弦の重い一撃を100発と言えば、その破壊力は説明するまでもないだろう。

 そして実際、どちらが勝者でどちらが敗者かは一目瞭然だった。

 

「流石だな」

 

 それでも最後まで、猗窩座は杏寿郎への称賛を忘れなかった。

 しかし、その表情は晴れない。

 強者との戦いの高揚も、勝利の充実も、そこからは読み取れなかった。

 称賛の言葉も、自然と口をついて出たと言った風だった。

 

 ただ、それ以上の言葉は出てこなかった。

 何故かと問われれば、おそらく猗窩座には答えられなかっただろう。

 知っているはずの答えがわからない。そんな表情を浮かべていた。

 仰向けに倒れた杏寿郎の姿を見つめながら、猗窩座は奇妙な思考に陥っている自分自身に戸惑っていた。

 

(何だ。この感覚は)

 

 杏寿郎。強者だった。これ程の剣士と出会うのは数十年ぶりだろう。

 炎の剣士の中では、あるいは最強であったかもしれない。

 それを打ち倒し、勝利の雄叫びを上げるべきこの時に、どうしてこんな思考をするのか。

 

「俺の技を受けてなお、致命傷を避けるとは。そして……」

 

 わからない。ただ。

 

「妹を守ったか」

 

 仰向けに倒れた杏寿郎は、気を失っているのか、全く動かない。

 隊服は破れ、刀は粉々に砕けてしまっていた。

 頭から口から、身体中から血を流していて、すぐに手当てをしなければ危険な状態だった。

 そしてその頭の傍に、膝があった。

 

 瑠衣の膝だ。

 彼女は両膝を地面につき、俯いていた。

 裂傷と打撃の痕が全身の至るところに見えて、彼女もまた満身創痍であることがわかる。

 刀も、根元から折れている。

 しかし、生きていた。肩で息をしていて、乱れた呼吸の音が聞こえる。

 

「理解できないな、そんな弱者を庇うとは。弱者のために強者が死ぬ。お前は強いが、愚かだった」

 

 嘲弄。しかし、猗窩座の表情はやはり変わらない。

 強いて言えば、声音にどこか苛立っているような印象を受ける。 

 それは、強者らしからぬ行動をした杏寿郎への苛立ちなのか。

 あるいは、他の何かか。

 

「……が……」

 

 その時、猗窩座の耳に言葉が届いた。

 見れば、瑠衣が動いていた。

 それは非常に緩慢な動きだったが、何故か猗窩座はそれを止めなかった。

 そうしている間に、瑠衣の手が杏寿郎に触れた。

 

 杏寿郎の頭を、己の腹に抱き込んだ。

 おそらくは、それが精一杯の動きだったのだろう。

 ごほ、と、嫌な音の咳をしていた。

 それでも、瑠衣は下から猗窩座を()め上げてきた。

 

「お、まえ……が、兄様……を、語る……な……!」

 

 何故かは、わからない。

 しかしその行為は、猗窩座をどうしようもなく不快にさせた。

 

(う……)

 

 その光景を見ていた炭治郎は、2人が殺されると瞬時に理解した。

 だが、動けなかった。

 あたりに充満する鬼気に、そして本能的に察する猗窩座との実力差に、動けなかった。

 動いた瞬間に死ぬということが、炭治郎、そして伊之助には良くわかっていた。

 

(動け、動け、動け……!)

 

 それでも己を叱咤して、日輪刀を取った。

 2人を救うために動けと、身体に鞭打った。

 誰かが介入しなければ、あの2人が死んでしまう。

 また目の前で誰かが死んでしまう。それは嫌だった。

 誰かが、何とか、しなければ。

 

(動けェ――――っ!)

 

 と、炭治郎が全身に力を込めた時。

 ――――空の呼吸・参ノ型『空割』。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 当然のことだが、猗窩座はその一撃を察知していた。

 しかも、折れた刀での一撃である。

 頭上から振り下ろされた一閃を、猗窩座は半歩下がるだけでかわしてしまった。

 その目の前に着地したのは。

 

「本当に虫酸(むしず)が走る」

 

 榛名が、折れた刀を手に猗窩座に斬りかかったのだ。

 隊服の上着はほとんど千切れていて、藤の花の着物は鮮血に染まっている。

 着地の瞬間、着物の端から血が飛び散る程だった。

 頭が割れているのか、顔中が血に塗れていた。

 

 傷つき疲弊しきっていることは、見ただけでわかった。

 立っているだけで限界なのだろう、膝はガクガクと震え、今にも崩れ落ちそうだ。

 それでも、榛名は猗窩座の兄妹の間に割って入っていた。

 わ、わ、と掠れた音が唇から漏れて。

 

「わ、たし……が! 相手だぁ!!」

 

 文字通り、血を吐くような叫びだった。

 だが、まともに戦える状態でないことは明らかだった。

 全集中の呼吸でさえ、もうまともに出来ていないかもしれない。

 

「弱者め」

 

 猗窩座は不快な表情を隠さなかった。

 弱者。弱者。弱者。

 彼にとって、弱者にまとわりつかれることほど不快なことはない。

 弱者を庇った杏寿郎も、杏寿郎を語るなと言った瑠衣も、榛名も伊之助も炭治郎も、禰豆子も。

 

 理解できなかった。

 弱者が、弱いやつが、どうして戦おうとするのか理解できなかった。

 庇おうと、守ろうとするのか理解できなかった。

 そんなことをしたところで、

 

「はああ……っ!」

 

 ――――空の呼吸・壱ノ型『空裂』。

 横薙ぎの一閃に、鋭さも切れも見られなかった。

 猗窩座はただの一瞥で榛名の攻撃を見切ると、手首を掴んで止めてしまった。

 

(榛名さん)

 

 鈍い、本当に鈍い音が響いた。

 榛名の腕の骨が砕かれた音だ。

 そのまま猗窩座に打たれ、榛名が倒れる。

 

(榛名さん……!)

 

 打たれてもなお、榛名は猗窩座の足にしがみつき、髪を掴まれても行かせまいと放さなかった。

 無様だ。しかしその姿に、瑠衣は涙を流さずにはいられなかった。

 いや、泣いている場合ではない。

 

 立て。鬼に膝をつくな。

 刀は根本から折れてしまっている。だから、刀身の方を直に持った。

 握り込んだ指から血が流れて、刀身の端から地面に雫が滴った。

 構わなかった。歩くことでさえ困難を伴ったが、それも構わなかった。

 

(何だ、こいつらは)

 

 猗窩座は、もはや不快を越えた別のものを感じ始めていた。

 はっきり言って、この場に猗窩座にとって脅威となるものはもはや存在しない。

 唯一彼に一矢報いる存在と思われた杏寿郎が倒れたのだから、そうなる。

 だから後は、「耳飾りの少年」ごと全員を皆殺しにすれば済む話だった。

 

 にも関わらず、猗窩座は今、追い詰められていた。

 追い詰められている自分が、信じられなかった。

 こんな弱者に。

 こんな、やつらに。

 

「伊之助――――! 動いてくれ、皆のために動けェ――――ッ!」

 

 一瞬の自失。猗窩座すら自覚しないその一瞬、鬼気と圧力が弱まった。

 そして、3人の人間が動いた。

 びしゃっ、と、猗窩座の顔に何かが降りかかった。

 それは血だった。ただ、人間の血ではなかった。

 

 ――――血鬼術『爆血』。

 

 それは禰豆子の血だった。

 禰豆子の血鬼術。己の血を爆裂させ、鬼を焼く異能。

 上弦である猗窩座でさえ、目を焼かれれば怯む。

 その一瞬の隙に、炭治郎と伊之助が飛び込んだ。

 

「……ッ!」

 

 鬼気が、膨れ上がった。

 

「舐めるなアアアアァァァッ!」

 

 ――――破壊殺・砕式『万葉(まんよう)閃柳(せんやなぎ)』。

 猗窩座の拳が、地面を砕いた。

 その衝撃が炭治郎と伊之助の攻撃を弾き、瑠衣と榛名を引き剥がした。

 そして禰豆子の血によって目を潰されているにも関わらず、猗窩座の追撃は正確に炭治郎を追った。

 

 よけきれない、と炭治郎が顔色を変えた。

 その時、炭治郎の前に飛び込んで来たのは瑠衣だった。

 だがそれが精一杯で、それ以上のことは出来なかった。

 猗窩座の一撃は止まらない。防御は不可能。

 だから瑠衣は握った刀身を逆手に持って、迎撃の構えを見せた。

 

「瑠衣さ……っ!」

 

 これで良かった。自分は正しいことをした。

 正しいことをして死んで行ける。

 それは瑠衣にとって、命を懸けるに値することだった。

 

(煉獄家の、娘として……!)

 

 きっと弟も、兄も、母も、そして父も。

 良くやったと、そう言ってくれるはずだ。

 そう信じて、瑠衣は剥き出しの刀身を振り下ろした。

 そして。

 

 ――――肉が潰れるような音が、した。




最後までお読みいただきありがとうございます。

正直に申し上げると、今、かなり悩んでいます。

何に悩んでいるかと言うと、一言で言えば私が原作者様のように某辻無惨になれるかということです(意味不明)
あー、どうしよう原作的に言えばハッピーエンドはあり得ないわけで(え)
人の心を捨てなければ…(え)

それでは、また次回。
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