鬼滅の刃―鬼眼の少女―   作:竜華零

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2週間かけて書いたものを没にし、3日で書き直した。


第16話:「目覚め」

 ――――鮮血が、舞っていた。

 (おびただ)しい量のそれが、瑠衣の顔と身体に降り注ぐ。

 しかしそれは、瑠衣の身体から出たものではなかった。

 

「あ……う、あ」

 

 瑠衣は、尻餅をついていた。

 唇が戦慄いて、意味のない音だけが漏れている。

 何と間抜けで、無様なのだろう。

 目の前で。

 

「は……榛名、さん……」

 

 目の前で、仲間(榛名)がその身を貫かれているというのに。

 あの瞬間、禰豆子に目を潰された猗窩座が炭治郎を攻撃したあの瞬間。

 瑠衣は、炭治郎を守ろうとした。

 鬼殺隊の先輩として、後輩を守るのは当然の責務だった。

 だが現実には、庇われたのは瑠衣の方だった。榛名が瑠衣を突き飛ばしたのだ。

 

「貴、様……!」

 

 何故かはわからないが、猗窩座も衝撃を受けている様子だった。

 自分が貫いたモノを見て目を見開いた後、これ以上はない程の不快さを込めた表情を浮かべていた。

 榛名の身体を押しやるようにして、引き離した。

 嫌な――本当に嫌な音を立てて、榛名と猗窩座が離れた。

 

 ゆっくりと、榛名が仰向けに倒れる。

 瑠衣の、目の前に倒れる。

 受け身も何もない、本当に脱力した倒れ方だった。

 鈍い音を立てて跳ねた頭、力なく投げ出される四肢、花を咲かすように流れ広がる赤い血。

 

「――――――――なんで?」

 

 口を突いて出た言葉は、それだった。

 自分でも驚く程、冷えた、乾いた声だった。

 だが、だからこそ、それは本心だった。

 

「なんで、こうなるの?」

 

 わからなかった。

 何で、どうしてこうなるんだ。どうして、どうしてだ!?

 違うだろう。こんなはずじゃない。こんなのは違う!

 そこに倒れているのは、私でなければならなかった! 間違っても榛名じゃない!

 

 それとも、それ程までに、駄目なのか?

 煉獄家の内で剣士としての英才教育を受け、外で不死川の修練を受け、鬼狩りとして各地を転戦して、鍛錬にも耐え、屈辱にも耐え、ただただ走って。

 それでも、それでもなお、足りないのか。及ばないのか。

 兄に、父に――――父の教えを受けた者達に、追いつけないのか。

 

(何のために)

 

 何のための努力。何のための鍛錬。何のための、生。

 わからなくなってくる。

 叫び出したい衝動に、身を焼かれる思いだった。

 

(何のために、私はいるの……っ!?)

 

 もう嫌だ。耐えらない。

 自分自身の無能に耐えられない。

 ()()()()()()()()()()

 

『――――駄目ヨ』

 

 ――――いきなり。

 いきなり、身体が強張るのを感じた。

 頭が痛い。目が、熱かった。何かがこみ上げて、視界が酷く歪んでいた。

 

『貴女ニ死ナレルト、私ガ困ルノ』

 

 声が聞こえた。身体の内側から。

 とうとう駄目なのかもしれない、そう思った。

 幻聴まで聞こえて来た。

 

『私ガ何トカシテアゲル』

 

 五月蠅(うるさ)い。()()()()心の弱さに泣きたくなる。

 

(何とかできるなら、やって見せてよ……!)

 

 何だって良い。もう、何もかも。どうでも良い。

 身体? そんなもの。身体だって、命だっていらない。

 だから、だからせめて。

 せめて――――……!

 

  ◆  ◆  ◆

 

 猗窩座にも、異変が起こっていた。

 それは内面の話で、表向きは何の変化もないように見えた。

 しかし実際は、猗窩座の内側は本人でさえ意図しない()()()に陥っていた。

 

(何だ?)

 

 悪寒が、止まらなかった。

 身じろぎ一つ、いや表情筋さえ固めて、猗窩座は立ち尽くしていた。

 その筋の達人が一目彼を見れば、猗窩座の取っている構えが()()()()()()()()でしかないことを見抜いただろう。

 それ程に、猗窩座は衝撃を受けていた。

 

 特に、最後に榛名を打ち倒した片腕、その拳だ。

 軽く握っているように見えるが、その実、猗窩座の脳が発する命令に従っていない。

 その形から、動かせないのだ。

 むしろその拳は、どこか震えているようにすら見えた。

 

(どうした)

 

 女を攻撃――いや。

 女を、()()()()()()

 猗窩座は、殺す相手を選ぶ鬼だった。

 それ自体は珍しいことではない。()()に好き嫌いはつきものだ。

 しかし猗窩座のそれは、鬼の中でもかなり珍しい部類に入るだろう。

 

(俺が、女を)

 

 猗窩座は、女は殺さない。女は喰わない。

 人間の半分を喰わないというのは、他の鬼からすれば理解できないだろう。

 彼の()()などは、むしろ女を喰うことを推奨しているくらいだ。

 その彼が、自分が、女を殺してしまったのか。

 

「グゥ……オ……!」

 

 突如、針で刺されたような頭痛が猗窩座を襲った。

 こめかみを抑えて呻き声を上げた猗窩座に、今度は他の者も気付いた。

 

(何だ、急に苦しみ始めたぞ?)

 

 炭治郎は、猗窩座が苦しむ様子を見た。

 チャンスか。今、攻撃を仕掛けるべきなのか。

 そう思い、刀を握り込んだ時だ。

 もう1つに、気付いた。

 

「あ……」

 

 その人物は、ゆらり、とまるで幽霊か何かのように立ち上がった。

 猗窩座の目の前だ。苦しんでいても、彼も気付いた。

 身体中の至る所に痛々しい傷が覗き、出血もしている。刀は折れ、刀身を直接握る有様だった。

 しかし彼女は、瑠衣は、確かに立ち上がって来た。

 

(え?)

 

 炭治郎は、眉を(しか)めた。

 すんすん、と鼻先を動かしている。

 何かがおかしい。何かが違うと、炭治郎は匂いでそう感じた。

 自分はいったい何を嗅ぎ当てたのかと、そう思った、次の瞬間。

 

「――――ッ!」

 

 瑠衣が、猗窩座に飛び掛かったのだった。

 ただ、その咆哮は、とても。

 とても、人が発したものとは思えなかった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 猗窩座は、瑠衣の攻撃に対応しようとした。

 しかし瑠衣の動きは、猗窩座の想像を超えていた。

 

「シィッ!」

 

 繰り出された右拳は、瑠衣の顔面を確実に捉えていた。

 それを瑠衣は、身体を前に倒すようにして潜り抜けた。

 猗窩座の拳に触れたのは、前髪の一房だけだ。

 野生の獣のように身を低くした瑠衣が、猗窩座の懐に入り込む。

 

 突き出した右拳を回し、斧のように振り下ろした。

 体勢を無理やりに変えて別の攻撃に変化させる。

 並の人間には真似の出来ない芸当で、瑠衣の頭を割りに行った。

 視界の外からの攻撃。

 

「見エテル」

 

 瑠衣が、猗窩座の下で身体を横に回転させた。

 握った日輪刀の刀身で、猗窩座の肘を打ち付けた。

 瑠衣の掌と猗窩座の肘から、鮮血が散った。

 

「ぐあ……っ!?」

 

 猗窩座は、衝撃を受けた。

 自分自身の肉体の脆弱さに衝撃を受けたのだ。

 手で握った刀身で殴り付けられた程度で破壊される自分の肉体の脆さが、信じられなかった。

 

(馬鹿な、何故!? ……いや! 今は考えるな。対応しろ……!)

 

 猗窩座は己の力に絶対の自信を持っていた。

 100年鍛えた己の拳を、武術を、肉体を信じていた。

 どれほどの不測の事態だろうと、対応する力が自分にはある。

 瑠衣はまた、あの不規則な走りで周囲を駆け回っている。

 

 人間にしては確かに大した脚力だ。それもあの負傷で。

 しかし、猗窩座の前では無意味だ。

 いかなる攻撃であろうと、猗窩座には()()()()

 どれだけ駆けて隙を窺おうが、何の意味もないのだ。

 次に攻撃を仕掛けて来た時が。

 

「貴様の、死ぬ……時……だ」

 

 その時、猗窩座の全てが止まった。

 踏み込んだ軸足が地面を砕いていたが、酷く虚しく聞こえた。

 今までと同じであれば、次の瞬間には猗窩座の必殺の拳が繰り出されていただろう。

 しかし、違った。

 ()()()()()()()()()

 

(馬鹿な)

 

 何度試みても、結果は同じだった。

 

()()()()()()

 

 技が出ない。

 血鬼術が使えない。

 何よりも、身体が動かない。

 身体の内側から押さえつけられているような、矛盾した感覚。

 その感覚に、猗窩座は混乱した。

 

(戦え、殺せ)

 

 次の攻撃が来る。

 脳が対応を命じても、身体は言うことを聞かなかった。

 しかし、戦わなければならない。

 自分に牙を向けて来るのであれば、どんな相手だろうと叩き潰さなければならない。

 

(たとえ、女であっても)

 

 その瞬間、再び針を刺したかのような頭痛に襲われた。

 身体が強張り、集中が途切れる。

 そして、頚に衝撃が来た。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 目の前に、瑠衣の顔があった。

 その両手は剥き出しの刀身を握り込んでおり、刃が掌や指の肉に食い込んでいる。

 一方で、もはや短刀の長さしかない刀身は、猗窩座の喉仏に深く、握り込んだ瑠衣の手が肌に触れる程に深く突き刺さっていた。

 ごぼっ、と、濁った音が猗窩座の口から響いた。

 

 何という脆さか。

 

 鋼のようだった頚が、見る影もなかった。

 だが、実のところ猗窩座の意識はそこには向かっていなかった。

 彼の視線は、自身に飛びつく形になっている瑠衣に向けられていた。

 その顔、いや、その目に。

 

(この目、この気配)

 

 瑠衣の瞳が、金色に輝いていた。

 赤みがかった大きな瞳、その光彩が金色に波打ち、瞳孔が猫の目のように縦長になっていた。

 異常な変化。人の身体でそのような変化は起こらない。

 何よりも瑠衣の身から放たれる気配に、猗窩座は覚えがあった。

 

「弱イナァ」

 

 ビキ、と、猗窩座の額に青筋が立った。

 

「遅イナァ」

 

 外側から、両腕で瑠衣の頭を狙った。

 虹彩の光が、線を引いて下へと抜ける。

 瑠衣の頭があった場所で、猗窩座は自らの拳を打ち付ける形になった。

 肉と骨の打ち合う音が響き、両の拳が砕けるのを見た。

 自分自身の攻撃力に、肉体が追い付いていない。

 

「コンナ奴ニヤラレテ泣クダナンテ」

 

 おかしい、と、猗窩座は思った。

 瑠衣の動きは、明らかにおかしい。

 常人離れした反応速度のことではない。()()()()の問題だ。

 

「困ッタ()ダヨ」

 

 足。蹴った。 

 しかし猗窩座の蹴撃を、瑠衣は大きく後ろに身を反らして回避した。

 瑠衣の顎先を猗窩座の足の指が掠める。それ程のギリギリの回避だ。

 まるで、そこに蹴りが来るのをわかっていたかのように。

 

「良ク見テオイテネ、瑠衣」

 

 その時、猗窩座は気付いた。

 瑠衣の手に、もう一本、日輪刀の刀身が握られていることに。

 赤い刃のそれを、いつの間に拾っていたのか。

 普段の瑠衣が浮かべないだろう類の笑みを浮かべて、()()は言った。

 

「一瞬ダカラネ」

 

 猗窩座の軸足を打ち、揺らがせた。

 そこへ瑠衣が飛びかかり、逆手に持った刀身を振り下ろした。

 それは、再び猗窩座の喉へと突き立てられた。 

 

(やはり、コイツは)

 

 ふわり、と瑠衣の身体が浮かぶ。

 黄金の光彩が、宙に線を引く。

 次の瞬間、瑠衣の足が猗窩座の喉に突き立てられた2本の刀身を、踏みつけた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 『羅針』。

 猗窩座は、自分の技――血鬼術『破壊殺』の基本技術――をそう呼んでいた。

 それは読んで字の如く、己の周りを羅針盤で囲む陣だ。

 相手の闘気を感知し、それによって敵よりもいち早く攻防に入ることが出来る。

 

(馬鹿……な……!)

 

 それが発動しなかった。だから瑠衣の攻撃への対応が遅れた。

 たとえそうだとしても、言い訳は出来ない。戦いの場で言い訳は何の意味も成さない。

 数百年間で培ったきた力と技があれば、『羅針』があろうとなかろうと、対応できないはずがないからだ。

 しかし現実に、猗窩座は対応できなかった。そして。

 

「や……やった!?」

「うお、うおおおおおおおおおおっ!」

 

 炭治郎と伊之助が、声を上げていた。

 それもそうだろう。

 自分達がまるで歯が立たなかった鬼の頚が、胴から離れるのを見たのだから。

 猗窩座の頚が斬られるのを、見たのだから。

 

(馬鹿な……馬鹿なっ!!)

 

 地面をゴロゴロと――頚から上だけで――転がりながら、猗窩座は「頚を斬られた」という事実を受け入れることが出来ずにいた。

 100年不敗の上弦の鬼。その参。最強の鬼の1体。鬼舞辻無惨の忠実なる僕。

 それが、10年と少ししか生きていない小娘に、人間に、鬼狩りに頚を斬られたのだ。

 信じられなくて、むしろ当然とさえ言えた。

 

 その頚に、不意に影が差した。

 転がりながらそちらを見ると、膝を曲げて宙を舞う瑠衣の足が見えた。

 両足を揃えて、こちらへと落ちて来る。あの虹彩の描く縁が、はっきりと見えた。

 おのれ、と思う間もなかった。

 

「グシャリ」

 

 声に出して、結果を口にした。

 瑠衣の両足が、地面を転がる猗窩座の頚を捉え、踏み潰したのだ。

 ココ、と、喉の奥で嗤う音がした。

 それもまた、普段の瑠衣がしないことだった。

 

「オヤ……?」

 

 その瑠衣が、首を傾げた。

 踏み潰した猗窩座の頭は塵となって消えた。鬼が死ぬ時の崩壊現象だ。

 しかし鬼の気配はまだ残っていて、それを肌で感じた。

 いったい、これはどこから発されているものか。

 

 瑠衣が振り向くと、そこには頚を失った猗窩座の胴体が仰向けに倒れていた。

 頚の断面からは生々しい肉と骨が覗いていて、未だ血が流れ出ていた。

 しかし、()()()()()()()()()

 崩壊現象が起きずに、存在していた。

 

「コレハ……」

 

 ()()()()()()()()

 そして再び動き出した猗窩座の肉体に、瑠衣は唇の端を歪めるのだった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 日輪刀で頚を斬られた鬼は、身体が崩れて死ぬ。

 これは鬼狩りの常識であり、拠り所でもある。

 もし頚を斬っても死なない鬼が現れたなら、絶望だろう。

 それは鬼狩りが、人間が鬼に本当に勝てなくなるということだからだ。

 

「オイッ、どういうことだアイツ! 何で頚を斬られたのに死なねえんだ!?」

 

 伊之助の動揺が、そのことを端的に表していた。

 頚を斬れば死ぬという条件は、鬼殺隊士にとってそれほどに重要なのだ。

 倒す方法がなくなるというのは、それだけ大事なことなのだ。

 

(頚の断面が閉じてる! いや、というかあれって)

 

 頚から上を失った猗窩座だが、胴体の切断面が塞がっていた。

 それどころか、肉が盛り上がり始めているのが見える。

 まさか、と炭治郎は思った。

 

(頭を、頚を、()()()()()()()()()……!)

 

 あり得ないことだと思ったが、実際に目の前で起きている現実だった。

 猗窩座は、頚を斬っても死なない。

 死なない生き物に()()()()()()()()()()()、と。

 

「流石ニ驚イタナア」

 

 さして驚いた様子もなく、瑠衣はその様を見ていた。

 すでに顎のあたりまで再生している猗窩座の姿を見つめて、目を細める。

 武器を使い果たし丸腰だというのに、落ち着き払っていた。

 

「物凄イ執念ダ」

 

 執念。死さえ拒絶する猗窩座の粘りを、執念の一言で表現して良いものかはわからない。

 ただ、興味を抱いている。

 そんな風に、金色に輝く瞳は物語っていた。

 はたしてこの猗窩座なる鬼を、こうまでさせる執念の元とはどんなことか。

 しかし、その関心のすべてが明らかにされることはなかった。何故なら。

 

「あっ」

 

 と、声を上げたのは誰だったろう。

 いつの間にか空の端が白んでおり、さらにその向こう側に光の気配が見えた。

 オヤ、と、瑠衣が口の端を持ち上げていた。

 時間切れだ。

 

 夜明けだ。鬼の時間が終わる。

 まだ目までは再生しきっていなかったが、太陽の気配に気付いたのか、猗窩座が跳んだ。

 炭治郎があっと声を上げる。猗窩座が逃げる。

 しかし瑠衣は猗窩座を追わず、むしろ手で制して炭治郎を止めた。

 

「……貴様……」

 

 猗窩座は、木の上へと逃れていた。

 再生させたばかりの、罅割れた口。

 その口で、猗窩座は酷くしわがれた声で言った。

 

「貴様の顔、覚えたぞ小娘……! 次に会った時、貴様の脳髄をブチ撒けてやる……っ!」

 

 それを最後に、猗窩座は何処かへと姿を消した。

 場に充満していた鬼気が消えて、清浄な朝の空気が流れ込んできた。

 炭治郎は、緊張した面持ちで瑠衣の背中を見つめていた。

 

 トドメは刺せなかったものの、上弦の鬼を撃退した。

 頚を斬っても死なない鬼の出現は憂うべきことだが、しかし、これは凄いことだった。

 100年ぶりの快挙と言っても過言ではない。

 だが、当の瑠衣は明らかに様子がおかしかった。

 

「ネエ」

「え? あ、はい!」

 

 その瑠衣に不意に声をかけられて、炭治郎は思わず返事をしてしまった。

 振り向いた瑠衣の、金色に輝く目を見て息を呑んだ。

 朝日を背景に、光を放つ光彩が美しく映えていた。

 まるで、この世のものではないような。

 

「後ハヨロシク」

「え?」

 

 そう言って、瑠衣は目を閉じた。

 炭治郎はその瞬間に非常に嫌な予感を覚えたのだが、結論から言うと、間に合わなかった。

 次の瞬間、いきなり全身が脱力したかと思うと、瑠衣はその場に倒れてしまった。

 ごん、と、頭を地面にぶつける音が響き渡った。

 炭治郎は、慌てて駆け出した。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 ――――こんなにも酷い現場は久しぶりだった。

 無限列車である。

 脱線した列車の数百人の乗客を保護し、必要なら救護を行う。

 黒頭巾に背中に「隠」の文字が染め抜かれた隊服を着た人間達が、そこかしこを忙しそうに駆け回っていた。

 

 彼らは背中に刻まれた文字通り「(かくし)」と呼ばれる人間達だった。

 鬼殺隊の戦闘のサポートや、戦闘後の事後処理を行う部隊だ。

 隊士としての訓練は受けているが剣技の才に恵まれず、剣士になれなかった者達が多く所属している。

 後藤も、その1人だった。

 

「流石に200人の乗客相手に事後処理ってのはキツいよなあ」

 

 他の隠と同じく顔と身体を隠しているため、容貌については良くわからない。

 それでも隊服越しにもわかる鍛え上げられたがっしりとした身体つきに、どこか世を達観したような眼差しは、彼が()()()隠であることを示していた。

 そして彼がぼやいたように、列車事故は鬼殺隊の戦闘としても規模が大きい方だった。

 これが無人の山中での出来事なら、事後処理はもっと楽だったろう。

 

「後藤さん!」

「おお」

 

 そうやって後藤が負傷者の間を回っていると、列車の屋根の上から身軽に着地してくる者がいた。

 それは小柄な少女で、頭の右側で結ばれた黒髪が揺れていた。

 

沼慈司(ぬまじし)、後部車両の方はどうだった」

「はい! 後部車両の乗客には怪我人はほとんどいませんでした。ただ、精神的な問題を抱えている人が何人か……」

「まあ、それはそうだろうなあ」

 

 聞くところによれば、列車全体に鬼の血鬼術がかかっていたと言う。

 十二鬼月ということだが、那田蜘蛛山の時と言い高位の鬼はやることの規模が違う。

 運よく生き残ったとしても、何らかの後遺症に悩まされることになる。

 鬼に関わった人間に、幸福な結末というものはないのかもしれない。

 

「隊士の方々は? 手当ては済んだのか?」

「はい、そちらは滞りなく。それにしても奇跡ですよね。これだけの規模の戦いだったのに」

 

 沼慈司はどこか関心したような、あるいは安堵したように言った。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()

「……そうだなあ。だがよ、沼慈司」

 

 そんな隠の少女の頭を、後藤が軽く小突いた。

 あいたっ、と、可愛らしい声が上がった。

 

「頭巾はちゃんと被れ。あと、()()()はほどほどにしろ」

「はあい」

 

 舌を出して笑う少女に嘆息を零して、後藤はある方向を見やった。

 そちらには乗客は近寄らせていない。鬼の痕跡が根深く残っている場所だからだ。

 つまり、鬼と戦った隊士達がいる場所だ。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 杏寿郎は意識を取り戻すと、自分の手当てもそこそこに、他の面々の無事を確認しようとした。

 戦いの最中で気を失うとは不甲斐ないと思いつつ、妹や後輩達のことが気がかりだったからだ。

 幸いなことに、炭治郎達は無事だった。

 

「竈門少年」

「あ、杏寿郎さん! 良かった、目が覚めて……って、早く手当てをしないと」

「俺は後で良い。それより……」

 

 炭治郎と禰豆子、伊之助や善逸は無事のようだった。

 ただそれなりに負傷はしていて、杏寿郎がやって来た時には隠の救護班によって頭に包帯を巻かれているところだった。

 そして炭治郎の気遣わしげな視線を追いかければ、そこに、いた。

 

 杏寿郎は片手を挙げて隠に後のことを頼むと、そちらへと向かった。

 そこには2人の人間がいた。

 1人は、畳まれた毛布の上に寝かせられていた。

 もう1人は、その前に座り込んでいた。

 

「あ、剣士様」

 

 困ったような顔で立っていた隠に、杏寿郎は軽く頭を下げて見せた。

 慌てたように首を振る隠に、どうかしたのかと問うた。

 すると、手当てを受けてくれずに困っているのだと言う。

 かなりの重症なので手当てが必要なのだが、頑として受け入れて貰えないと。

 杏寿郎は、任せてほしい、と言った。

 

「瑠衣」

 

 そして、座り込んでいる少女に声をかけた。

 瑠衣はびくりと肩を震わせたものの、顔を向けることも、返事を返すこともなかった。

 片足を引きずりながら、杏寿郎は瑠衣の傍に近寄っていった。

 ゆっくりとした動作で、隣に座った。

 それに対して、瑠衣からは何もなかった。

 

 瑠衣の前に横たわっていたのは、榛名だった。

 かなりの重症のようだが、こちらは丁寧な手当てがすでにされていた。

 生きている。

 榛名は、生きていた。顔色は悪いが、息をしている。

 

「お前が、助けたのか?」

「違います」

 

 杏寿郎の言葉に重ねるように、返事が来た。

 しわがれた、酷い声だった。

 打ちひしがれている、と言っても良い。

 

「私を、助けてくれたんです」

 

 瑠衣の姿は、酷いものだった。

 怪我はもちろんのこと、羽織も隊服もところどころが破れたり、千切れたりしていた。

 それから、膝の上に折れた日輪刀を持っていた。

 

「この人が、榛名さんが……」

 

 それは、瑠衣の日輪刀ではなかった。

 

「…………()()()()()が」

 

 その日輪刀の刃の色は、赤色だった。 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 瑠衣は、比較的に早く意識を取り戻した。

 その時には隠たちがすでに活動を開始していたのだが、そちらには目もくれず、瑠衣は榛名の元へと向かった。

 這うようにして、榛名の傍に寄った。

 

 榛名は、隠により手当てされているところだった。

 ただ酷くぐったりとしていて、顔色は恐ろしく青白く、生気がまるで感じられなかった。

 瑠衣の気配を感じたのか、彼女は薄く目を開けた。

 まだ生きている。その「まだ」のいかに頼りないことか。

 

「……よ、かった、わぁ……」

 

 榛名は、瑠衣の顔を見てそう言った。

 いったい何が良かったというのか。

 少なくとも瑠衣にとっては、良いことなど何もなかった。

 けれど、榛名は安堵したように長く息を吐いた。

 

「……ごめん、なさい……ねぇ……」

 

 傷は、と思った。

 瑠衣と同じように傷は至るところに見えたが、一番まずいのは最後の一撃だった。

 猗窩座が放った一撃は、榛名の胸を貫いているように見えた。

 だから瑠衣は、榛名の胸元を確認しようとした。

 

 ところが、そこで瑠衣は違和感を覚えた。

 胸を貫かれる程の怪我をしている割に、胸からの出血が余りなかったのだ。

 違和感の正体は、榛名の手の中にあった。強く握っていて、今も手放さない()()

 赤い日輪刀。折れているが、間違いない。

 

「……()()()……」

 

 榛名の日輪刀ではなかった。()()()の日輪刀だった。

 彼女の左胸は隊服や着物の記事が千切れて露わになっていて、拳を打ち込まれたらしい場所が内出血を起こし、鎖骨のあたりが骨折のせいか僅かに陥没しているようにも見えた。

 表皮を裂かれて出血はしてたが、貫通ということにはなっていなかった。 

 

『謝らないで、姉さん。これでいいんだ』

 

 夢で繋がっていたためか、その声は瑠衣にも聞こえた。

 傍にいるようでもあり、遠くから聞こえてくるようでもあった。

 あさひの声は、どこまでも優しかった。

 

『僕はいつも、姉さんの傍にいるから……』

 

 あさひさん、と口に出してみても、その声が届いているかはわからない。

 そもそも彼がどのような存在であるのかさえ、瑠衣にはわからない。

 一つだけ確かなことは、彼が姉を想っていたということだけだ。

 そしてそれがきっと、すべてだったのだ。

 

 けれど、もうそれを問いかけることも出来ない。

 いなくなってしまったと、わかるからだ。

 彼はもう、どこにもいない。行ってしまった。

 たった1つ、姉の命だけを置いて。

 

「私は、また失敗した」

 

 あさひは、姉の命を守った。

 一方で、自分はどうだと瑠衣は思った。

 何も守れなかった。何も成し得なかった。

 何と情けなく、弱く、みじめなのだろう――――……。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 ……――――しばらく、沈黙が続いた。

 瑠衣が話した事のあらましに、杏寿郎は何も言わなかった。

 隠が、気遣わしそうな視線を交互に向けているだけだ。

 

「瑠衣」

 

 正面を向いたまま、杏寿郎は口を開いた。

 瑠衣は、俯いたままだった。

 

「なぜ泣く」

「……悔しいんです」

 

 何も出来なかった。

 煉獄家の娘なのに、誰を守ることも出来ず、逆に守られる始末。

 上弦の肆にも、上弦の参にも、()()()()()()()()()

 瑠衣は、自分の存在意義がわからなくなっていた。

 

 命など惜しくはないと、そう思っていた。

 任務を果たすためなら、責務を果たすためなら、命を懸けると。

 だが現実は、任務も責務も果たせていない。

 それなら自分は何のために存在しているのかと、瑠衣は苦悩した。

 

「瑠衣、泣いてはいけない」

「……はい」

「託された者は、泣いてはいけない」

 

 己の弱さや不甲斐なさに、(うずくま)りたくなってしまうこともある。

 しかし蹲って足を止めたところで、時の流れは止まらない。慰めてもくれない。

 己を、一振りの刀と見立てるのだ。

 何度も、何度も叩かれて、強靭な鋼へと変わっていく。

 

 どれだけ辛くとも、どれだけ悲しくても、どれだけ失っても。

 刀のように、鋼のように、打たれて叩かれて、強くなっていかなければならない。

 生きているから。生きて、歩いていくために。

 歯を食い縛って、前を向いて。生きていくために。

 

「心を燃やせ。託されたものを、繋いでいくために」

「……はい」

「頑張ろう、強くなろう……生きていこう! 辛くとも! 苦しくとも!」

「はい……っ」

 

 頭や肩を抱いて慰めるようなことを、杏寿郎はしなかった。

 それが、今の瑠衣にはむしろ有難かった。

 何か、自分よりも大きなものに包まれたい。そんな感情には逃げたくなかったからだ。

 

「燃えるような、情熱を胸に!」

 

 強くなりたいと、瑠衣は思った。

 任務を果たし、責務を果たす。そのための力が欲しいと思った。

 今の自分では、余りにも弱すぎる。

 とても、煉獄家の娘だと胸を張って言うことなど出来ない。

 

「強く、なります……!」

「ああ」

「強く! なります! 強くなって、きっと……きっと!」

「ああ!」

 

 妹の言葉に、杏寿郎は力強く頷いた。

 

「煉獄瑠衣を、兄は信じている!」

 

 そんな2人の会話を、炭治郎は遠目に見守っていた。

 声をかけたいが、今そうするべきなのかどうか、悩ましく思っていた。

 しかしその中でも、瑠衣の話を聞いていて違和感を覚えた。

 

(覚えていないのか……?)

 

 猗窩座の頚を斬ったことを、瑠衣は覚えていない。

 気を失ったまま動いていたのか?

 いったい、あれは何だったのか。

 わからないまま、炭治郎は煉獄の兄妹の背中を見つめ続けていた。

 

 ――――無限列車事件。

 鬼殺隊の中でそう呼ばれることになるこの戦いは、鬼殺隊の記録の中では死者はいないことになっている。

 ただ、それが正確な真実ではないことを数人の隊士は知っていた。

 それが多いのか、それとも少ないのか。

 それは、誰にも判断の出来ないことだった――――。




読者投稿キャラクター:
グニル様より「沼慈司李夢」。
ありがとうございました。

最後までお読みいただき有難うございます。

杏寿郎の兄貴は絶対に死なせない……!
映画は生存ルートがあると信じてる!(え)
きっと興行収入でルートが変わるんだ!(錯乱)

でも杏寿郎の兄貴が万が一やられたら、瑠衣ってどんな声で泣くのだろうか(ゲスぅ)。
それでは、また次回。
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