鬼滅の刃―鬼眼の少女―   作:竜華零

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第17話:「しきたり」

 その少年は、家族や女中に俊國(としくに)と呼ばれていた。

 年の頃は10歳ほどだろうか。

 しかし年齢相応の幼さはなく、知性を感じさせる面立ちをしていた。

 とある資産家の養子であり、勤勉で将来を嘱望された天才児。

 

 ()()()()

 

 資産家の養父に、自分の世話をさせているに過ぎない。

 それは世を忍ぶ仮初(かりそめ)の姿であり、演技に過ぎない。

 それも、数多くの演技の内の1つである。

 俊國などという少年は、この世のどこにも存在しない――――。

 

「……猗窩座」

 

 自分の肉体の軋む音を、猗窩座は確かに聞いた。

 自身を鬼たらしめている決定的な何かが、悲鳴を上げているのだ。

 砕ける寸前の硝子細工のようだ、と、どこか他人事のように考えた。

 

「先日のお前の戦いぶりには失望した」

 

 王に(かしず)く臣下のように、猗窩座は跪いていた。

 間違った表現ではなかった。

 彼は今、俊國という少年――に擬態した主人の前にいるのだから。

 すなわち、鬼の始祖・鬼舞辻無惨の前に。

 

「まさかあの場にいた鬼狩りを1人も始末できないとはな」

 

 養父の知人に「利発な子供」と評された少年の顔は、怒りに赤く染まり、醜く歪んでいた。

 主人は、無惨は、激怒していた。

 猗窩座が任務を果たさず、おめおめと逃げ帰ってきたからだ。

 しかし実のところ、無惨は配下に過度な期待はしていなかった。

 

 ただ自分の命令通りに働きさえすれば良く、それ以上もそれ以下も求めたことはない。

 それ故に、こう見えて無惨は配下に無理な命令を出すことはない。

 期待していないから。配下の能力を完璧に把握しているから。

 ()()()()()()()()()()()

 だから命令が完遂されなかった場合、烈火の如く怒りを見せるのだ。

 

「お前の()()にはほとほと呆れ果てた。上弦の参も堕ちたものだ」

 

 猗窩座は目から鼻から口から、全身から、血を垂れ流していた。

 身体の中で、無惨の血が暴れ回っているのだ。

 下手を打てば、鬼であっても死ぬだろう。

 無惨があのまま指を少し動かせば、そうなる。

 

「――――だが」

 

 不意に、無惨が放つ圧力が和らぐのを感じた。

 それでも顔を上げることはなかった。勝手な動きは死を招く。

 

「だが、お前は最低限の義務だけは果たしているようだ」

 

 猗窩座は、何も言わなかった。それどころか何も考えなかった。

 無惨は配下の思考を読む。

 だから無惨の前にいる時、猗窩座は己を無にする。

 

「より強くなり、私の役に立つという最低限の義務をな」

 

 ああ、そうだ。

 強さだ。強さが必要だった。

 誰にも負けない強さを求めて、猗窩座は修羅の道を選んだのだった。

 

「褒美をやろう」

 

 無惨が、片手を不気味に蠢かせていた。

 肉がうねり、血管が脈打つ。

 

「頭を出せ」

 

 メキ、と、不穏な音が響いた。

 強さが欲しいと、猗窩座は思った。

 強くなければ、()()を守れない――――。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 善逸には、記憶がない、ということが良くあった。

 別に記憶喪失を言い出すわけではなく、気が付いたら事が起こり、終わっているからだ。

 もっと簡単な言い方をすれば、寝ているために覚えていないのだ。

 

「蝶屋敷って蝶屋敷っていうだけあって、やけに蝶々が多いよな。庭も花壇も凄く手入れが行き届いているし」

 

 蝶屋敷の中庭をとぼとぼと散歩しながら、善逸は大きく伸びをした。

 こうして蝶屋敷で過ごしているものの、彼は今回の戦いでは大きな怪我は負っていない。

 だからいつでも蝶屋敷に滞在する必要はないのだが、次の指令が来るまではと留まっているのだ。

 炭治郎や伊之助もそうだが、何となく蝶屋敷が拠点というか、家のような感じになっていた。

 

「これはまた、禰豆子ちゃんを散歩に連れてきてあげないと」

 

 禰豆子、善逸の想い人だ。最初に見た時に一目惚れをした。

 まあ、善逸の恋路は一目惚れから始まることが常なので、それ自体は珍しいことではない。

 最もそれらの恋はすべて非常に残念な結果に終わったのだが。

 しかし今回は本当の本気だと善逸が思っているというのも、本当のことだった。

 

「おっ」

 

 その時だ、花壇の世話をしているらしい女性を見かけた。

 車椅子に座って水やりをしているその女性は、カナエだった。

 元柱という話だが、足が不自由になっているせいか、あるいは本人の穏やかな気性によるせいか、あまり強いという印象は受けなかった。

 そして何よりも、美しい。

 

(いや本当、めちゃくちゃに可愛いんだよなあ。もう顔だけで食べていけそうなくらい)

 

 正直なところ、善逸はカナエ程に美しい女性を――禰豆子は例外として――見たことがなかった。

 もしかしたらいたのかもしれないが、善逸が知る美人はほとんどが彼を騙した相手でもあるため、良い印象を持っていない。

 それに比べてカナエは優しい。こんな自分を含めて、誰にでも分け隔てなく接する。

 美しい上に人間が出来ている。完璧とはカナエのような人間のためにある言葉なのだろう。

 

「えへへ」

 

 今も声をかければ、カナエは笑顔で返事を返してくれるだろう。

 数秒後のことを想像して、善逸の顔は(やに)下がった。

 

「カ」

 

 カナエさーん、と、まさに声を上げようとした時だ。

 

「か……か……」

 

 声が続かなかった。息が詰まり、音を出せなかったからだ。

 突然、言葉に出来ない威圧感を感じた。

 その圧力は後ろから来ているようで、両肩に重しを置かれたが如く、動けなかった。

 善逸の頬に一筋の汗が流れる。それはまさに冷や汗だった。

 

「――――ああ、善逸君でしたか」

 

 いきなり張り詰めた空気は、風船から抜けるようにいきなり弛緩した。

 ゆっくりとした足取りで善逸の横を歩いて行ったのは、しのぶだった。

 彼女は姉に勝るとも劣らない美しい笑顔を浮かべて。

 

「こんにちは、良いお天気ですね」

 

 などと言って、そのまま姉の方へと歩いて行った。

 善逸は、青褪めた顔でその背中を見送った。

 まだ冷や汗が止まらない。

 ドッドッ、と、心臓が大きく脈打っているのが聞こえる程だ。

 

(き、気のせい……だよな……?)

 

 胸を押さえながら、姉と笑顔で話し始めたしのぶの横顔を見つめる。

 今は、普通だった。

 しかし先程の一瞬、善逸は確かに聞いていた。

 きっと気のせいだと思い込みたかったが、本能的に感じたものは消しようがなかった。

 

(あんな音、人間の出せる音じゃないよ……)

 

 善逸は耳が良い。心音や体の発する音を聞き分けてしまう程に。

 そんな善逸が聞いたのは、しのぶの音だ。しのぶの音のはずだった。

 だがその音は、余りにも――――。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 ――――鬼殺隊が分裂する。

 という()()()を聞いたのは、いわゆる「無限列車事件」から10日が過ぎた頃だった。

 

「あァ?」

 

 言ったのは宇髄だ。

 不死川が道場で鍛錬をしている時にふらりと現れて、茶飲み話でもするかのように、そんなことをのたまったのだ。

 手拭いで汗を拭きながら――気のせいか、また傷が増えている――不死川は、胡散臭そうな視線を宇髄へと向けた。

 

「鬼殺隊が何だってェ?」

「言葉の通りだ」

 

 ふう、と息を吐いて、宇髄は言った。

 どこか遠くを見るような目だった。

 

「煉獄家の名声が高すぎる」

 

 以前にも誰かから似たような話を聞いた気がする。

 何と表現するべきか。あまり関わり合いになりたくない話だ。

 しかし無関係を決め込める話でもなかった。

 

「上弦と戦って死人がゼロ。しかも妹の方は2度目だ」

「本人が聞いたら否定するだろうなァ」

「違いねえな」

 

 くく、と一瞬だけ笑った。

 だが、笑いごとではなかった。

 以前から槇寿郎の名声は並々ならぬものがあったが、その子供までとなると話はさらに複雑になる。

 煉獄槇寿郎という個人ではなく、煉獄家という一族そのものが力を持つことになる。

 

「それとまだ内々の話だが、お館様は槇寿郎殿を炎柱引退後も要職に就けるというし」

 

 鬼殺隊の当主まで槇寿郎に――煉獄家に()()()()()()()

 何も知らない一般の隊士はそういう風に受け取るだろう。

 ()()()()()

 そう、問題になっているのは一般の隊士なのだ。

 

 機密と体調の2点の問題で、産屋敷は一般の隊士と直接的に関わることが少ない。

 産屋敷と言葉を交わせば誰もが彼に惹かれるが、裏を返せば、言葉を交わし続けなければ忠誠を維持できないということだ。はたして数百人の隊士相手にそれが出来るものか。

 つまり産屋敷は、いわゆる「御簾(みす)の向こう側」の人間なのだ。

 有名人に話しかけられて高揚するようなもので、そして高揚はすぐに冷めるものだ。

 

「それで?」

 

 手拭いで目元を隠して、不死川は言った。

 

「黒幕は誰なんだいィ? お館様に歯向かおうって馬鹿は」

 

 黒幕。

 煉獄槇寿郎を、煉獄家を立てて、産屋敷の地位を脅かそうと企む者。

 鬼殺隊を分裂させ、鬼狩りという崇高な使命に邪念を持ち込む者。

 叛逆者は、逆賊は、誰か。

 

「黒幕は――――」

 

 ()()()の名を、宇髄が告げた。

 その名前を聞いた瞬間、不死川は動きを止めた。

 目を見開き、呼吸を止め、手拭いを取り落とし、そして。

 その日、風柱邸の道場から、凄まじい怒号が響き渡ったという。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 杏寿郎は、母が死んだ時のことを思い出した。

 時間が経てばどんなに大切な故人であっても記憶が薄れていくというが、杏寿郎は未だにはっきりと母の顔を思い出すことが出来た。

 母の仏壇に手を合わせている父も、きっと同じなのだろう。

 

「む……」

 

 杏寿郎の姿を認めると、槇寿郎は立ち上がった。

 視線で促す父について、縁側まで歩いた。

 今日は弟妹がいないため自分が茶でも淹れようかと思ったが、台所の物に触るとその弟妹がうるさいので、やめておいた。

 槇寿郎もそのあたりは弁えたもので、特に何か言ったりはしなかった。

 

「父上、良い日和ですね!」

「ああ、あたたかだな」

「……」

「…………」

 

 むう、と杏寿郎は内心で考え込んだ。

 会話が続かない。というか、思いつかなかった。

 そもそも最初の一言が天気に関するものというのは、もうその時点で会話に窮している証拠だった。

 弟妹がいれば何かしら会話の種もあったのだろうが、ここには自分と父とかいないのだった。

 無理に会話を弾ませる必要もないのかもしれないが、無言というのも不味いだろう。

 

「……千寿郎のことだが」

 

 などと杏寿郎が考え込んでいると、驚いたことに、槇寿郎の方が先に声を発してきた。

 数瞬の間、杏寿郎は目を瞬かせた。それからはっとして。

 

「千寿郎がいかがいたしましたか!」

「いや、いかがという程でもないが……最近、めきめきと腕を上げていてな」

「左様ですか! 千寿郎は近所の方々にも評判が良いので俺も兄として鼻が高いです」

 

 杏寿郎はふと、父は千寿郎に最終選別を受けさせても良いと考えているのかもしれない、と思った。

 少し早い気もするが、千寿郎の才は確かなものがあった。

 懸念があるとすれば、気性が穏やかなところだろうか。

 しかし煉獄家のことを考えるのであれば、杏寿郎に万一があった時のために、千寿郎が剣士として成長していることは大事なことだった。 

 

「立派になった」

「はい、千寿郎は立派な男になるでしょう」

「千寿郎もだが、お前も立派になった」

「いえ! まだまだ未熟者です!」

 

 実際、自分はまだ未熟だと杏寿郎は思っていた。

 先日も上弦の鬼との戦いに敗れたばかりだ。命が助かったのは僥倖というものだろう。

 思い出してみても、肌が粟立つ。上弦との戦いの緊張感は相当なものだった。

 しかし生き残った。生き残ったということは、まだ成すべきことがあるということだろう。

 例えば、杏寿郎の場合は。

 

「炎柱継承の日取りが決まった」

 

 先達が守り培ってきたものを、後に繋ぐという役目だ。

 炎柱。文字にすればたった二文字に過ぎない。

 しかしその二文字には、100年の重みがある。

 

 隣を見れば、父の背丈が自分よりも小さいことに気付いた。

 幼い頃は見上げていた父親を見下ろすようになったことに、杏寿郎の胸に何かがこみ上げて来た。

 もちろん、まだ多くの点で槇寿郎に及ばないことはわかっている。

 しかしこれも己が引き受けるべき責務だと、杏寿郎は理解していた。

 

「炎柱の継承に当たって、お前に伝えておかなければならないことがある」

 

 その時だ。槇寿郎がそう言って、杏寿郎の方に身体ごと向けてきた。

 雰囲気の変化を敏感に察して、杏寿郎も居住まいを正した。

 そうして杏寿郎が聞く体勢を整えたことを見て取ると、槇寿郎は一瞬、僅かにだが、言いよどむような仕草を見せた。

 それは槇寿郎には珍しいことで、杏寿郎は俄かに緊張した。

 

「――――瑠衣のことだ」

 

 瑠衣?

 杏寿郎は、父の言葉に首を傾げたのだった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

「退院おめでとう」

 

 禊が病棟に私物を取りに来ると、包帯塗れの化物(榛名)が声をかけてきた。

 退院したと思ったらすぐに出戻って来た榛名――鬼殺隊の特性上、これは別に珍しいことではないが――だったが、何故かまた寝台が禊の隣だった。

 何の嫌がらせだと禊は思ったが、仲良くお喋りするのも業腹なので、何も言わなかった。

 

「任務に行くの? 気を付けてねぇ」

「…………」

「ちゃんとご飯を食べてねぇ、柚羽ちゃんが心配してたわぁ」

「…………」

「でも、お豆腐は食べ過ぎちゃ駄目よぉ。あれっておむ……成長には効果がないからぁ」

「張り倒すわよアンタ……!」

 

 つい反応してしまった。

 前々から思っていたことだが、会話に引き込む誘因力が強すぎる。

 と言うより、どうしてそんなに絡んで来るのか。

 べたべたと鬱陶しいが、まあ、それも今日までと思えば我慢も出来た。

 

 それにしても、と、禊は改めて榛名を見た。

 榛名の状態は、文字通り「包帯の人」である。

 病衣から覗く肌よりも包帯の面積の方が明らかに多く、首と手足は骨折治療のために固定されている。

 もはやまともに身動きも出来ず、動かせるものはそれこそ口だけという状態だった。

 

「もう無いと思うけど、任務で会っても声をかけないでよね」

「それは大丈夫よぉ」

「あっそう。わかってるなら良いのよ」

「というより、しばらく任務には行けないからぁ」

「……は?」

 

 見つめると、榛名は笑っていた。

 

「骨折が酷くて、もしかしたら背骨にも異常があるかもしれないって、蟲柱(しのぶ)様に言われたわぁ。内臓も痛めてるみたいだし、どこまで回復できるかわからないって話でねぇ……」

 

 これもまた、珍しい話ではなかった。

 鬼殺隊士――呼吸の剣士は、不死身でも超人でもないのだ。

 普通の人間よりほんのちょっぴり優れているというだけで、生身の身体なのだ。

 鬼と違って再生もしない。失ったものは戻らない。

 命があるだけでも、死ななかっただけでも僥倖(ぎょうこう)なのだ。

 

「だから、もしかしたら、もう任務で会うことはないかもしれないわねぇ」

「……あっそう」

 

 自分が使っていた寝台の上に、私物をまとめた鞄があった。

 それと、日輪刀。やはり寝台に立てかけられていたそれを、引っ掴むようにして手に取った。

 

「あっそう!」

 

 するとそのまま、榛名には一瞥もくれずにズカズカと歩き出してしまった。

 榛名は手を振ろうと思ったが、できないので、結局は目線で見送るだけに留まった。

 肩をいからせた背中を見送ると、疲れたのか、大きく息を吐いた。

 それから首を巡らせて、枕元に置かれた日輪刀の鍔を見つめた。

 失われた()()()に、想いを馳せながら――――。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 当然のことだが、上弦の参――猗窩座との戦いで負傷した瑠衣も、蝶屋敷に入院していた。

 複数個所を骨折する大怪我だったのだから、当然と言えば当然だった。

 しかし瑠衣自身が戸惑う程に、怪我の治りは早かった。

 

「待ちやがれ! 俺様と勝負しろおおおぉっ!!」

 

 こうやって、伊之助と追いかけっこが出来る程度には。

 

(い、いったいどうしてこんなことに……?)

 

 瑠衣は今、蝶屋敷の屋根の上を駆けていた。

 病衣姿でちらりと後ろを見やれば、そこに猪頭の少年がいた。

 彼は刀こそ持っていなかったが、全身から「やる気」を漲らせて追いかけてきていた。

 

 瑠衣には知る由もないことだが、この時の伊之助の思考回路は極めて単純だった。

 自分は下弦の壱や上弦の参に勝てなかった。瑠衣はそのどちらよりも――結果だけを見るなら――強かった。

 ならばその瑠衣を勝てば、自分は下弦の壱にも上弦の参にも勝ったことになる。

 そう考えて、伊之助は瑠衣と勝負をしたがっているのだった。

 

「待て伊之助! 隊士同士の私闘はご法度だって知っているだろう!?」

「ガハハハハハッ! バカな紋次郎だな! 訓練なら良いんだぜ!」

(み、妙な知恵をつけてる……!)

 

 炭治郎の制止も聞かない。

 確かに訓練や組手なら私闘とはみなされない。

 なるほど、なかなかの理屈を考えたものだ。

 ただ一点、当の瑠衣が拒否しているという点に目を瞑れば、だが。

 

「姉上ー!」

 

 その時、不意に下から聞き覚えのある声が聞こえて来た。

 それは千寿郎の声で、見れば、あわあわとこちらを見上げている姿が見えた。

 お見舞いに来てくれていたのだが、伊之助がやって来たのでそれどころではなくなったのだ。

 

 せっかく来てくれたのにこんなことになっていて、姉として申し訳ない。

 と、そこまで考えた時だ。

 瑠衣はふと、不思議に思った。

 

「勝負勝負ゥッ!」

 

 いや、何で逃げる必要があるんだ、と。

 

「猪突ゥッ!」

 

 伊之助が屋根を蹴り、高く跳躍した。

 獣が獲物を狩る、まさにそんな風に瑠衣に飛び掛かる。

 対して瑠衣は最後の踏み込みで足を止めると、その場で回転した。

 

「――――猛進んんっ!」

 

 飛び込んできた伊之助の身体を巻き込み、腰帯を掴んだ。

 うおっ、と伊之助が声を上げる。

 しかしその時には、彼の視界は天地が逆になっていた。

 そして鋭い呼吸音と共に。

 

「う、うおおおおおおおおっっ!?」

 

 伊之助の身体が、宙に放り投げられていた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

「ヒノカミ神楽?」

 

 蝶屋敷の塀の上で伸びている伊之助を横目に、瑠衣は炭治郎の用向きを尋ねていた。

 すると、炎の呼吸について教えてほしいということだった。

 どういう意味かと思っていると、出て来たのが「ヒノカミ神楽」という単語だった。

 あの時、下弦の壱の頚を斬った剣技である。

 

 正直、気になっていなかったと言えば嘘になる。

 しかし、ヒノカミ神楽。

 改めて聞いてみても、思い当たる節のない単語だった。

 

「あと、火の呼吸とか……」

「いえ、火の呼吸というのは存在しません」

 

 そこは即答した。

 

「え、ないんですか!?」

「はい。と言うより、炎の呼吸を火の呼吸と呼んではいけないしきたりなのです」

「えっと、それってどう違うんですか?」

「まあ、そうなりますよね……」

 

 良くある話ではあるが、身内では通じても端から見ると「何故?」ということはある。

 炎の剣士にとって「炎の呼吸を火の呼吸と呼んではならない」というのは常識であって、改めて聞かれるような話ではないからだ。

 実際、火も炎も同じだろ? となる気持ちはわからなくもない。

 

 炭治郎の説明によると、彼の父親――というより、竈門家に代々伝わる神楽があるらしい。

 その神楽の呼吸法が何故か全集中の呼吸に対応しており、剣技として振るうと絶大な威力をもたらすのだと言う。

 それがあの時の、下弦の壱を斬った時の剣技かと瑠衣はようやく得心した。

 確かに奇妙な話ではある。神楽が何故、鬼を滅する剣技に変わるのか。

 

(ヒノカミ神楽……)

 

 思い返してみても、見事な剣技だったと思う。

 何よりも威力だ。炎や他の呼吸と比べて、鬼に対する攻撃力がまるで違っていた。

 まるで、鬼を斬るために生み出された力のようだとさえ思えた。

 しかも炭治郎は、まだ剣士になって日も浅い。

 だと言うのに、十二鬼月が絡む戦果を次々に上げている。

 

(天賦の才……ってやつなのかな)

 

 もちろん、霞柱――時透ほどではないだろう。あれは別格だ。

 しかしこの炭治郎も、間違いなく天才だった。

 いや、善逸も伊之助も選別を通ったばかりの新人とは思えない程だ。

 そう言えば、あのカナヲとも最終選別の同期なのだったか。

 

 黄金世代。

 そんな安易な単語が脳裏を掠めてしまう程に、優れた新人達だった。

 嗚呼、全く本当に嫌になってくる。

 ()()追い抜かれるのかと思うと、本当に嫌になってくる。

 そして、そんなことを考える自分自身が、嫌で堪らなかった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 結論から言うと、火の呼吸あるいはヒノカミ神楽について聞くことは出来なかった。

 

「そっかあ、残念だな」

「うん、でも仕方ないよ。全集中の呼吸の中にないってことがわかっただけでも十分だ」

「ふーん。あっ、伊之助! 人のおかず取るなよってかやっぱ汚いな食べ方が!」

「ガファファファッ」

 

 炭治郎たち3人は、蝶屋敷の食堂で夕食を食べていた。

 すみ達3人娘も一緒で、もはや当たり前の風景になりつつあるのは、それだけ彼らが蝶屋敷に滞在することが多いということだろう。

 と言うのも、炭治郎――厳密には禰豆子の方か――は一応、しのぶ預かりということになっているからだ。

 

 また彼らは――善逸は激しく嫌がるが――任務も積極的に受けているせいか怪我の頻度も多く、待機期間中はどのみち蝶屋敷にいることが多くなる。

 まあ、どうせ入院するから最初から病院にいよう、というのが健全かどうかはともかく。

 道場もあって修行もしやすいし、何より居心地が良いというのもあるだろう。

 しのぶやすみ達を含む蝶屋敷の人間は、本当に心根が優しい。

 

「おかわりですー」「お茶ですー」「お顔お拭きしますー」

「わあ、ありがとう」

 

 すみ達は働き者で、まだ小さいのに炭治郎達の世話まで焼いてくれる。

 そのせいか善逸は溶けて消えそうなくらいにデレデレ笑っている。

 正直に言えば、気持ち悪かった。

 

「え、酷くないっ!?」

 

 閑話休題。

 

「休題しないで!?」

 

 善逸達との団欒(だんらん)に笑顔を見せながらも、一方で炭治郎は考えていた。

 瑠衣のことを考えていた。

 ヒノカミ神楽や火の呼吸のことは、本当に知らなかったようだ。

 炭治郎は匂いで真偽の判別ができるので、嘘や誤魔化しがあれば見抜いていただろう。

 だから炭治郎が瑠衣を気にするのは、もっと別の「匂い」からだ。

 

(……怒らせちゃった、な)

 

 ヒノカミ神楽のこととは別のことだ。

 先の上弦の参との戦いで、終盤で瑠衣は確かに猗窩座の頚を斬っていた。

 その時の様子がどうにも変だったから、聞いたのだ。

 だが、瑠衣は戸惑った様子で。

 

「何のことですか?」

 

 と、固い声で応じたのだった。

 表には出さなかったが、匂いは怒っていた。

 侮辱されたというよりは、傷ついた、そんな風だった。

 だから炭治郎も、それ以上は話を続けることが出来なかった。

 

(うーん、何が不味かったんだろう)

 

 考えてみても、わからなかった。

 思えば瑠衣とはまだ何回か話しただけで、良く知らない。

 それで何かをわかろうというのが、無理な話ではあった。

 

(また、話しに行こう!)

 

 だから炭治郎は、また会いに行こうと思った。

 立ち止まっても仕方がない。わからないなら、わかるようになれば良い。

 そういう愚直さなら、炭治郎には自信があるのだった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

「――――ということがあったんですよ」

 

 夜、煉獄邸に戻った千寿郎は、父と兄に蝶屋敷での出来事を話していた。

 炭治郎が言っていた「ヒノカミ神楽」や「火の呼吸」についてだ。 

 夕飯時である。

 瑠衣がいない時は、家事は千寿郎の仕事だ。

 

 それはまだ戦いに出ない自分がすべきことだと思っていたし、何より槇寿郎と杏寿郎が家事をやると逆に仕事が増えるので、自然とそうなっていた。

 まあ、それは良い。

 千寿郎としては、蝶屋敷の瑠衣の様子を話すついでに、いわば話のネタとして炭治郎のことを話したつもりだった。

 

「そう言えば普段あまり気にしてなかったんですけど、炎の呼吸を火の呼吸って呼んじゃいけないのって、どうしてなんでしょう?」

 

 しきたりというのは、意外と本人達にも由来がわからないことが多い。

 わからないが、ずっとそうだったから続けている。そういう場合が大半だ。

 あるいは由来を理解していても、現代の価値観からすれば意味が失われている場合もある。

 炎の呼吸を火の呼吸と呼んではならない、というのも、そのどちらかだろうと千寿郎は思っていた。

 

「……兄上?」

 

 その時、ふと杏寿郎の様子が目に入った。

 箸が止まっていたからだ。

 いつもなら5杯や10杯はおかわりをしていてもおかしくはないのに、今日は大人しい。

 食の細さとは無縁の兄だ。

 いったい、どうしたのだろうか。まさか、どこか調子が悪いのだろうか。

 

「千寿郎」

 

 その時だ、槇寿郎が声をかけて来た。

 こちらはいつも通りの様子で、椀と箸を膳に置いているところだった。

 千寿郎は内心で疑問符を浮かべていたが、しかし何も言えなかった。

 いつもと変わらない様子のはずの父が、どこか、いつもと異なるように感じたからだ。

 

「膳を下げ終えたら、道場に来なさい」

 

 道場? こんな時間に?

 ますます疑問符を浮かべる千寿郎だが、父の次の言葉でさらに目を見開いた。

 それは、いつかは来ると思っていたこと。

 しかし、今日だとは思っていなかったこと。

 

「千寿郎」

 

 父の視線に、千寿郎は居住まいを正した。

 自然と、そうしてしまった。

 

「刀を取りなさい」

 

 刀を取る。

 煉獄家の人間にとって、それは重要な意味を持つ言葉だった。

 千寿郎の頬に朱が差すのを、杏寿郎は見た。

 数年前の自分を見ているようだと、そう思った。

 

(そう言えば)

 

 瑠衣の時はどうだったろうか、と。

 そんなことを、考えた。




最後までお読み頂きありがとうございます。

今回はちょっと筆休め回でした。
次回からまた瑠衣を酷い目に合わせます(え)

出来れば千寿郎を活躍させたい。
でも鬼滅って活躍=フラグだからな…(偏見)
というわけで、もしかしたら次回あたりで千寿郎に絡んだ募集をするかもしれません。

それでは、また次回。
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