これより上には柱しかない。ただ「柱」は称号であって、階級とは別の概念と言える。
だから階級としては、甲より上は存在しないということになる。
そういう意味では、甲の階級は柱と同等の地位にあるとも解釈が出来るだろう。
「ぞっとしないなあ」
己の手の甲に浮かび上がった「甲」の文字に、瑠衣はそう呟いた。
藤花彫りという特殊な刺青で、鬼殺隊士の証だ。
特定の言葉と筋肉の膨張によって、鬼殺隊士の階級を浮かび上がらせる。
そして瑠衣の手に刻まれた文字は甲。彼女が最高位の階級に達したことを示していた。
スピード出世、と言って差し支えないだろう。
ただ瑠衣の場合は煉獄家の出自であることも加味されているはずなので、一概に他の隊士と比較は出来ないかもしれない。
そしておそらく、ここ最近の十二鬼月との遭遇率の高さも考慮されているのだろう。
柱に空席がないことを考えれば、極端な話、瑠衣はこの年で出世の頂点を極めたとも言える。
(あんまり、上に立つって感じではないと思うんだけどなあ。私って)
甲ともなると、共同任務の際には下の階級の取りまとめも職務に入って来るようになる。
要は指揮官や部隊長のような役割を求められるわけで、瑠衣としては不安しかなかった。
自分の力量不足もさることながら、何しろ鬼殺隊士には個性的な人間が多い。
例えば、そう。
「…………」
「……えっと」
目の前で穏やかに、しかし物言わずに座っている1人の少女。
「とりあえず、任務の説明を始めても大丈夫ですか……ね?」
「…………」
何度かすれ違ったことはあるが、あまり話したことはなかった。
実際、瑠衣もカナヲが蟲柱・胡蝶しのぶの継子で、蝶屋敷の秘蔵っ子ということしか知らない。
実力は相当に高い。向かい合ってみれば嫌でもわかる。立ち姿にまるで隙がないのだ。
隙が無さ過ぎて、本当に人間と向かい合っているのか不安になるほどだ。
(いや、せめて何か喋ってよ……)
鬼殺隊士は個性派揃いとは言っても、最初の一歩から躓くとは。
前途の多難ぶりに、瑠衣は内心で大きな溜息を吐いた。
「…………」
そして当のカナヲはと言えば、そんな瑠衣を見つめて何を思ったのか。
にっこりと、笑顔を浮かべたのだった。
それはそれは、作り込まれた陶器人形のように完璧な笑顔だった。
◆ ◆ ◆
その時だった。
「おにぎりでも」
笹の葉に乗せたおにぎりが、ずい、と横から差し出されてきた。
艶々の白米で握られたそれは、確かに美味しそうだ。
しかしそれがカナヲの顔の横にあると、何ともミスマッチだった。
「お近づきの印に、おにぎりでもいかがですか」
柚羽だった。
薔薇の髪飾りが陽に照って美しく、眼帯に覆われていない右目が柔らかく笑んでいた。
今回の任務は、瑠衣とカナヲ、そしてこの柚羽の3人で当たることになっていた。
その顔合わせと打ち合わせのために、とある藤の家に集まったところだった。
「鮭と昆布、どちらがお好きですか?」
ちなみに瑠衣はおにぎりの具では梅干しが好きだった。
いや、今はそんなことは重要では無かった。
このカナヲという人形じみた天才は、どちらが好きなのか。
それが問題だった。
(いや、そんなこともないんだけどね?)
などと考えていると、カナヲが動いた。
羽織の下からそっと出した右手の平に、1枚の銅貨があった。
お金ではなく、表・裏と刻印されただけのものだ。
何だろうと思って黙って見ていると、キン、という音を立てて銅貨が宙を舞った。
カナヲが指先で弾いたのだ。くるくると回りながら落ちるそれを、手の甲を打って受け止めた。
何となく、緊張感が漂った。
結果は、表。
「…………ありがとう」
カナヲが、片方のおにぎりを手に取った。
具は鮭だった。
黙々とおにぎりを口にし始めたカナヲを前に、瑠衣はほうと息を吐いた。
……帰りたかった。割と切実に。
「……あ、ありがとうございます」
眼前の柚羽の笑顔に押されるようにして、昆布のおにぎりを手に取った。
まあ、腹が減っては戦は出来ぬと言うし。
何より柚羽のおにぎりは美味しい。塩加減と握り具合が絶妙なのだ。
瑠衣も料理は得意な方だと思っているが、自分でおにぎりを握ってみてもこうはならず、何が違うのか良くわからなかった。
「ちなみに柚羽さんの具は何ですか?」
「梅干しです」
梅干し……!
と、地味に衝撃を受けたことは巧妙に隠した。
梅干しのおにぎり欲しさに動揺するなど煉獄家の娘にあるまじき行為である。
いや、それよりもだ。
「まあ、食べながらでも結構です。任務の話をしましょう」
そう、任務だ。
甲昇進後の初任務。とは言え、いつもと変わるものではない。
隊士が数人で組んでやる任務など、いつも同じだ。
「ここから山一つ向こうの村が、
柚羽のおにぎり程に美味しい任務、とはなかなかいかないものだった。
◆ ◆ ◆
全滅と一言で言っても、色々とあるだろう。
1人残らず全てという意味と、単に多数の人間が犠牲になったという意味だ。
残念ながら、今回は前者だった。
「あ、鬼狩りの皆様。こっちでーす!」
「やめろ、観光じゃねえんだぞ」
「あだっ、何も叩くことないじゃないですか」
藤の家を出て、現場の麓についた時には夕方になっていた。
山に入るのは夜になってからだが、その前に現場の山を封鎖している隠の部隊と合流した。
もちろん彼らは山には入らないが、見張りをしたり、無関係な人間が山に入るのを防止したりしてくれる。
瑠衣達を山道の入口で出迎えたのは、後藤と沼慈司だった。
「お疲れ様です」
瑠衣が声をかけると、後藤達は背筋を伸ばした。
隠は鬼殺隊士の部下というわけではない。両者には実働部隊と後方部隊という違いしかない。
ただ隠の多くは、鬼殺隊士――そもそも隠も鬼殺隊士だ――つまり、剣士を尊敬している。
それは剣技の才がない彼らにとって、前線で命を張り続ける剣士達が眩しく見えるからなのかもしれない。
「近隣は我々が完璧に封鎖しています。この3日間、山に入った人間はいませんし、山を下りたやつもいません」
「つまり……」
夕焼けに赤く染まる山の斜面を見上げて、瑠衣は言った。
「鬼はまだ、この山にいるということですね」
大きく、高い山だった。
頂上付近は雪に覆われており、低い位置の雲がかかっている部分もある。
そんな山が2つ3つと隣接していて、まさに天然の要害と言った風だった。
鬼の情報も少ない。これは、探すのに手間がかかりそうだった。
「い――――や――――アッ!」
と瑠衣が考えていると、どこからともなく大きな声が聞こえた。
それは断続的に続き、最初は何だと思っていたが、よくよく聞いていると聞き覚えがある声だと気付いた。
声のする方を見やると、ある木の近くに2、3人の隠がいた。
隠達は一様に木を見上げていて、そしてどこか困った様子だった。
彼らは口々に「降りてきてください」だの「大丈夫ですから」だのと言っており、その度に木の上から悲鳴のような声が聞こえてくるのだ。
近付くと、はっきりと声の主が見えた。
彼は隠達の言葉に「ちょっと待って! ちょっとで良いから!」と叫び返していた。何故か泣き喚きながら。
「えっと……」
そんな彼の真下まで歩いて行って、瑠衣は遠慮がちに声をかけた。
「ごきげんよう、我妻君」
「え? うわっ、美女!」
我妻善逸が、太い木の枝に抱き着いてぶら下がっていた。
◆ ◆ ◆
善逸は、自己評価が非常に低かった。
(いや、だって高くなりようがないじゃん?)
今だって女子3人が前を歩いている。
鬼を探して、まず前情報のあった山村に向かっている。
流石に瑠衣達が山に入る段になると「い、いいいい行きますよよよよ」と言って、最後尾ながら山に入ることにした。
鎹鴉のチュン太郎――鴉というか雀――にも死ぬほど
(だって鬼がいるかもしれない山だよ? 迷わずに入っちゃう方がどうかしてるって)
炭治郎や伊之助もそうだったな、と、以前の任務で見送った2人の背中が脳裏を掠めた。
あの時に比べれば、一緒に山に入っているだけ成長したと褒めてほしいくらいだ。
いくら臆病者とは言っても、女性だけ行かせて麓で震えているだけ、というわけにはいかなかった。
……隠の目が痛かった、というのもあるが。
とは言え、ガタガタ震えながら最後尾を歩いている自分の姿というのは、客観的に見て情けないものだろうと思う。
特に同期のカナヲが全く怖じけた様子もなく――もっとも彼女については、普段から感情が読み取れないのだが――進んでいるのだから、嫌が応にも比較してしまう。
これで自己評価を上げろと言っても、難しいと言わざるを得ない。
(しかも俺ってめちゃくちゃ弱いからね? もう、ほんとすぐ死ぬからね?)
そんな自分が他の隊士と同じようにしていちゃいけない。
自分で言うのも何だが、もう少しこの「慎ましさ」を理解してくれて良いのではないかと常々。
「どうしました?」
「ひゅいっ!? 何何何何なにぐあっ!?」
不意の声に、善逸は全力で驚いた。
むしろそんな善逸に驚いた瑠衣だったが、彼女が見ていたのは善逸ではなくカナヲだった。
後ろを振り向いた時、カナヲが立ち止まっているのが見えたからだ。
カナヲは、地面を指差していた。
「……足、跡?」
ちょうど植物に隠れる場所に、爪先で踏み込んだような跡があった。
しゃがみ込んで確認して見れば、自然な土の盛り上がり方ではなかった。
しかも素足だったのか、足指の形がわかる程だった。
「そのようですね。隠の話では誰も出入りしていないはずですが」
柚羽が傍に来てそう言った。
確かに隠の話と違うが、瑠衣が気になったのはそこでは無かった。
「それもそうですが、普通……」
足跡は茂みの根元、しかも瑠衣達から見て反対側にあった。
しかも夜。
良く晴れて月が明るいとは言え、正直カナヲは良く見つけたなと思う。
しかも良く見てみると、雑ではあるが、周りの地面にならしたように跡がある。
「普通、こんなところに足跡なんて出来ますか?」
まるで、誰かがそこにしゃがみ込んでいたような。
ヒイ、と、善逸が息を呑む音が響いた。
◆ ◆ ◆
村に到着したのは、月が頭上高くに昇り切った頃だった。
2つの山に囲まれた山間部にあり、山の斜面には田んぼが広がっていた。
自然豊かでのどかな山村だったのだろう。
だが、今ではもう過去形でしか話すことが出来ない。
「酷い……」
そこには、凄惨な光景が広がっていた。
全滅という報告は受けていたから、覚悟はしていた。
隠は鬼が倒されるか、去ったという確信が得られるまでは、現場そのものには入れない。
だからこの村は、3日前に襲われた当時のままにされているということだ。
20人ほどの、人間の頭。積み上げられていた。
村人達だったのだろう。老若男女の区別なく、村の中心部に集められていた。
首から下は、見当たらなかった。一部の頭は、異臭を放ち始めている。
目を伏せて黙祷を捧げた後、村人達の首を見つめている柚羽に気が付いた。
「柚羽さん、どうかしましたか」
「……いえ」
顔は青褪めているのに、拳は血が流れんばかりに握り締められていた。
そして、答えは短かった。
言葉を重ねようとしたが、カナヲがふらりとどこかに行こうとしているのが見えて、さらに善逸が転んでいるのも見えて、それも出来なかった。
「栗花落さん、ちょっと! 我妻君、大丈夫ですか?」
柚羽はそれでも、村人達の首塚を眺め続けていた。
村人達の表情は、どれも恐怖に引き攣っている。
見ているだけで吐き気を催す光景だが、それを上回る感情がそれを押さえ込んでいる様子だった。
それが、ふと緩んだ。
「……アイツじゃない……」
その声は夜風に流れて、誰にも届くことは無かった。
そして瑠衣はと言えば、窪みに足を取られて転んだ善逸を助け起こしていた。
「我妻君、立てますか?」
「す、すみません。えへ、えへへ……うん?」
「どうしました?」
「いえ、その……」
瑠衣の手を握って助け起こされた善逸は、ニヤけていた顔を怪訝な表情に変えて、周囲を見渡した。
心なし、耳がピクピクと小さく動いているように見える。
「何か……いや、気のせいかな……」
何となく、瑠衣も周囲を見渡した。
善逸の耳の良さは知っていたから、彼が何かを聞いたというなら、何かあるかもしれなかったからだ。
しかし夜の山が風にざわめく様子が見て取れるだけで、瑠衣の目には何も見えなかった。
瑠衣がカナヲのことを思い出して、慌てて追いかけたのは10秒後のことだった。
◆ ◆ ◆
面倒を見るべき下が出来るだけで、こうも違うのか。
心身ともにぐったりとして、瑠衣は溜息を吐いた。
一晩かけて山村とその周辺を探索したが、村人の亡骸以外に見つかるものは無かった。
まあ、それ自体は珍しいことではない。むしろ鬼の探索が難航することは良くあることだ。
(それよりも、あの2人まったく言うことを聞いてくれないんだけど……!)
あの2人というのは、言わずもがな善逸とカナヲのことである。
善逸は一晩中泣いていたし、カナヲは1人でふらりと消えることが多々あった。
前者は性格の問題だとしても、後者は行動がコイン次第という博徒もびっくりなことをする。
100歩譲って性格は読めるので対処できるとしても、コインの出目まで読んで対処しろというのは余りにも酷というものだった。
と言って、まさか放っておくというわけにもいかない。
2人を追いかけて連れ戻すということを何度かやる羽目になった。
鬼殺隊士は個性派揃いとは言っても、ここまで来ると頭を抱えたくなった。
と、そこまで思ったところで、だ。
「……ふーっ」
手桶で、頭から水を被った。
水浴び。早朝の川の水だ。かなり冷たかった。しかし目は覚める。
(不甲斐ない)
確かに善逸とカナヲは個性的だ。しかし分別がないわけではない。
それは無限列車の件で知っているし、本当に無分別なら継子になどなれるはずが無い。
だからもし、2人が自分の言うことを聞かないのなら
(悪いのは私だ)
実際、杏寿郎やしのぶの指示には従っていた。
自分とは信頼関係を築けていないだけなのだ。
(まず、私が頑張れ……ですね)
水の雫が前髪の毛先から滴り落ちるのを見届けて、瑠衣は立ち上がった。
なお、瑠衣は隊服を岩にかけて肌着姿になっていた。
水浴びを――鬼殺隊の隊服は濡れにくい素材で出来ている――していたのだから、当然ではある。
白い肌着が水に濡れて、その下の肌さえも薄っすらと透けて見える状態だ。
「ちょ、ちょっとカナヲちゃんどこ行くのさ!? 勝手にどっか行っちゃ駄目だってさっきも言われてたでしょ!?」
そんな状態の時に、付近の茂みが揺れた。
まず顔を出したのはカナヲだった。
瑠衣と同じく水浴びに来たのか、洗顔か、用向きはわからない。
そしてそのカナヲを追いかけて来たのだろう、善逸が何も気付かずに茂みから出て来た。
当然、瑠衣とも鉢合わせることになる。
「あ」
声を発したのがどちらだったのかはわからないが、数瞬、時間が停まった。
善逸が、目を丸くしているのが見えた。見る見るうちに顔面が紅潮していく。
そして、瑠衣が手を動かそうとするのとほぼ同時に。
「ぶはっ」
善逸が、鮮血と共に倒れ伏したのだった。
◆ ◆ ◆
隠は、鬼殺隊士を支援する。
それは情報収集や戦闘の後始末に留まらず、怪我人の救助から隊士の精神ケアまで多岐に渡る。
鼻血を噴いて倒れた善逸も、すぐに適切な処置を施されて横にされた。
「我が一生に一片の悔いなし……」
そんな善逸を横目に――苦笑いを浮かべながら――瑠衣は、女性の隠達に背中を押されていた。
「さあさあさあ、女性の剣士様はこちらへどうぞ!」
「は、はあ」
目を白黒させながら押されるまま歩いて行くと、木の枝に布を引っかけて簡易の仕切りを作っている空間があった。
その前には隠の少女、沼慈司が立っていて、彼女は瑠衣の顔を認めると。
「お疲れ様です!」
「お、お疲れ様です……?」
と元気よく声を張り上げて来た。
余りの元気さと屈託のなさに、瑠衣は若干押され気味だった。
沼慈司は爛々と輝く大きな瞳で瑠衣を見つめて、手振りで後ろの布の仕切りを示して見せた。
「陽が昇っている間、お山は我々隠が見張ります! だからその間、剣士様にはこの中で休んで頂きます」
鬼は夜に活動する。だから鬼狩りの剣士の活動時間も夜だ。
いかに人間離れしていようと、人間は眠らなければならない。
夜に活動するなら昼間に眠る。当然と言えば当然の理屈だった。
そして眠っている間も隠が山を見張っていてくれるなら、こんなに有難いことは無かった。
寝ている間に鬼はいなくなりました、では話にならないのだ。
「というわけで」
うん?
「脱いでください」
――――うん?
気が付くと、両側から別の隠の女性に肩と腕を掴まれていた。
沼慈司は両手をわきわきと動かしながら、瑠衣に近寄って来ていた。
「え? え?」
「さあさあ脱いでください脱いでください」
「いや、え? え?」
何だ何だと両掌を前に向けて抵抗の意思を示していると、あることに気付いた。
それは仕切りが1つではなく、少なくともあと2つあるということだった。
冷静に考えるのであれば、おそらく柚羽とカナヲの分であろう。
先程、女性の剣士、と言っていたことからもそれは明らかだ。
問題は、その内の1つがもぞもぞと動いているということだ。
要するにすでに誰かが中にいるわけだが、カナヲの姿は先ほど見たので、柚羽だろう。
よくよく耳を
ただそれは、普段と調子が違っていた。
「ふあっ、ちょ、ちょっと待ってください、脱ぐってどこまで、そこまで? そこまで!? んあっ、ひゃっ、駄目だめ許してくださいおにぎりあげますからあああああああああ」
という、何だか妙に艶っぽい声が漏れ聞こえてきていて。
それを聞いているのかいないのか、沼慈司は「どやさ」という表情を浮かべていて。
「隠秘伝の疲労回復マッサージで、夜までに疲れのつの字も残さない勢いで回復させて頂きまっす!」
「い、いやっ、普通に仮眠を貰えれば十分というか……っ」
「まあまあ遠慮しないで! もう本当にスゴいんですから! 我々の支援なしでは戦えなくしてあげますから!」
「遠慮とかじゃ、うわ力強っ!? ちょ、ちょっと待って本気でいったん待ってえええええええええ」
抵抗虚しく、瑠衣の悲鳴は仕切りの向こう側へと消えていった。
――――なお、カナヲは逃げた。
◆ ◆ ◆
酷い辱めを受けた気がする。
早朝ならぬ早晩、隠の用意してくれた食事を口にしながら、瑠衣はそう思った。
身体はこれ以上ない程に回復していたが、代わりに失ったものは大きかった。
「おかわりはいかがですか?」
「頂きます」
とは言え、これから山に入って鬼を探し、見つければ戦うのだ。
どこぞの恋柱ではないが、食べないと体力が持たない。
沼慈司がよそってくれた粥を口の中に流し込みながら、瑠衣はふと正面の柚羽を見た。
2人は焚火を挟んで、向かい合って座っていた。
柚羽は何事かを考え込んでいる様子で、箸と茶碗を手にぼんやりしていた。
そう言えば、昨日も様子がおかしかった。
鬼に襲われた山村で、村人達の亡骸を目にしてからだ。
そうやって見つめていると、瑠衣の視線に気付いたのだろう。
「何でもありません」
と言って、笑うのだった。
とても「何でもない」とは思えなかったが、瑠衣は上手く言葉を作ることが出来なかった。
「……昨日の、村のことですが」
結局、口を突いて出たのは任務のことだった。
「人間の亡骸をああいう風に扱う鬼というのは、初めて見ました」
「そうですか。私は初めてではないですね。鬼の中には、人間から見ると妙なこだわりを持つ者もいます。人間だった頃の名残りなのか、何なのか……」
「人の頭を、集める鬼?」
「いえ、私が知っている鬼は……」
そこまで言ってから、柚羽は粥をかき込んだ。
あまり行儀が良いとは言えなかったが、会話を中断したいという意思表示だろう。
思えば瑠衣は、柚羽のことを良く知らない。料理が上手いということくらいだ。
榛名の時もそうだった。隊士は自分のことや過去を語りたがらない者が多い。
だがそれは、隊士の平均寿命の短さと無関係ではないだろう。
自分のことを話しても良いと思えるようになる前に、その僚友は死んでしまうからだ。
刹那の時を共にし、何も語り合うことなく、ただただ戦って死んで行く。
煉獄家のような鬼狩り一族は、例外中の例外なのだ。
(家族以外だと恋柱様と蛇柱様、あとは
脳裏に黒髪の同期が浮かんだ時、柚羽が箸を置く音が聞こえた。
出発の時間だ。
瑠衣は慌てて茶碗の中身を口の中に流し込み、自分もその場に立ち上がった。
口元を拭いながら空を見上げると、陽が沈み、まさに夜闇が広がらんとしていた。
側に立てかけてあった日輪刀を、手に取った。
◆ ◆ ◆
この山は広かった。
だから2日目は山村を境目として、2手に別れて鬼の探索を行うことにした。
上は柚羽、カナヲ。下は瑠衣と善逸である。
「うひい、どうして鬼って山にばっかり潜むんだよ~」
善逸は山というものに良い思い出が無かった。
今までの任務の経験からそうなってしまうのは無理もないが、一方で鬼が潜む場所が人里離れた場所になってしまうのは仕方がないことだった。
善逸だって、鬼の立場であれば人目を忍ぼうとするだろう。
耳が良すぎるというのも、この場合は考えものだった。
鬼を探すために耳を澄ますと言えば聞こえは良いが、裏を返せば木々の音や獣の吐息など、普通は聞かずに済むものが聞こえてくるということだ。
善逸だからこそ聞き分けられるそれらの音は、恐怖心を呼び起こすには十分なものだった。
「我妻君、大丈夫ですか?」
「だ、だだだだだだいじょじょじょぶです」
「とてもそうは見えないのですけど……」
炭治郎がいてくれたら、とこんな時に思う。
あの太陽のような少年は、不思議と何とかしてくれるという安心感がある。
もちろん禰豆子がいればもっと頑張れるが、それ以前に危険な目に合ってほしくはないので、禰豆子がこの場にいたら抱えて逃げる方を選ぶかもしれなかった。
いや、まあ、今もすぐに逃げ出したい気持ちではあるのだが。
(流石に女の子を置いて逃げるっていうのはないよねえぇ)
善逸は臆病者だが卑怯者ではない。
男としての矜持というものも、少しは持っているつもりだ。
むしろ、その「男としての矜持」のせいで騙されて借金を背負わされたことさえある。
それに、と前を歩く瑠衣の背中を見つめて、朝のことを思い出した。
水浴びに出くわした時だ。
余り鮮明に思い出すとまた鼻血を噴きかねないので、光景を思い浮かべることはしなかった。
綺麗だった、という印象がある。
そして同時に、こうも思った。
(綺麗だったけど、でも……傷だらけだった)
それはそうだよな、と思う。鬼と戦っているのだ。化物と殺し合っているのだ。
無傷でいられるはずがないし、傷痕の1つや2つが残るのはむしろ当然だ。
善逸だって、たった数回の任務を経ただけだが、それでも何度も深い傷を負った。
カナヲのように傷一つない、という方がおかしいのだ。
(頑張ってる人、なんだろうな。頑張り続けられる人。ひたむきって言うか……まるで、
もっとも、自分が知る人物は瑠衣のように優しくはないが――――。
「……え?」
善逸は、足を止めた。
彼の聴覚が何かを捉えた。それは自然が立てる音では無かった。
「我妻君?」
瑠衣が立ち止まって、こちらを振り向いているのが見えた。
駄目だ、と思った次の瞬間。
善逸の鼻先を掠めて、何かが物凄い速さで通り過ぎ、そして木の根元に突き刺さった。
深夜の山中に、善逸の悲鳴が響き渡った。
◆ ◆ ◆
木の根元に突き刺さったのがいわゆる竹槍だと気付いた瞬間、善逸は恐慌状態に陥った。
え、竹槍って何? 農民一揆? 大正時代だよ今!?
「え――――え?」
不意に大きな、否、
そこは急な斜面になっていて――瑠衣と善逸は斜面に沿って歩いているところだった――見上げても木々と茂みで碌に見渡せないのだが、そこにいくつも蠢くものがあった。
一見すると草葉が蠢いているようだが、良く見ればそれは植物や土の色の布を体に巻いた人間だった。
隠ではない。もちろん、村人という出で立ちでも無かった。
十数人はいそうだ。彼らは皆、手に持った竹槍をこちらに投げつけようとしていた。
そして善逸があっと叫ぶ間に、それは実行された。
あれ、もしかして死んだ? と善逸が考えた時、彼の前に細い背中が躍り出てきた。
――――風の呼吸・参ノ型『晴嵐風樹』。
「うわっ!」
轟、と風が舞い上がり、刃となって十数本の竹槍を斬り弾いた。
数秒の後、ぼとぼとと地面に落ちる竹槍に「敵」から動揺の音が聞こえた。
「……何者です?」
刀を振り抜いた体勢のまま、瑠衣が問いかけた。
目の前の集団は、明らかに害意を持って攻撃してきた。
善逸の聴覚をもってしても事前に察知できなかったところを見るに、ずっと地面や茂みに伏せて息を殺し、瑠衣達が来るのを待ち伏せていたということだろう。
彼らは瑠衣の問いかけに答えることは無かった、が。
「……どうする……」
「さっきの……やばい……」
「……けど、あの……黄色い頭……人だ……」
うん? と善逸は目を細くした。
今、何か聞き逃せない単語が聞こえた気がしたからだ。
確かに聞こえた。
黄色い頭。それはつまり。
(え、俺!? 狙われてるの俺ェ!? こういう時は普通は女の子でしょ!?」
「あの、我妻君? そうしがみつかれると動きにくいのですが……あと声に出ていますよ」
そうこうしている内に、「敵」に動きがあった。
その気配に瑠衣は両手で刀を握り直したが、しかし次にやって来たのは攻撃ではなかった。
むしろ逆で、波が引くように彼らは自然の中に再び姿を消そうとしていたのである。
風に乗って、言葉が一つ聞こえて来た。
「……鬼の……に……」
確かにそう聞こえた。
「待ちなさい!」
追うべきか。しかし位置が悪い。「敵」の正体もわからない。
この斜面を駆け上がって追いかける。容易いことだが、斜面の向こう側に何があるかわからない。
それに善逸と離れるのも得策ではない。何故かは不明だが、彼らは善逸を狙っている。
安易には動けなかった。
「な、何だったんですかあ、アイツら」
「……わかりません。ただ」
ただ、どうやら事態は瑠衣達が思っている以上に、厄介な方向に進んでいるようだった。
月が、中天で嗤っていた。
最後までお読み頂き有難うございます。
今年も残すところ3か月余りとなりました。
本当はサクサクと話を先に進めたいところですが、主人公と他のキャラクターの絡みを増やしたいなあという思いから、月2回という遅筆にも関わらずのんびりとしたテンポで話を進めております。
どうぞ長い目でお楽しみ頂ければ幸いです。
次の募集は色々と考えているところで、もうちょっとかかりそうです。
それでは、また次回。