鬼滅の刃―鬼眼の少女―   作:竜華零

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第1話:「臆病者の夜」

 久しぶりに会った部下のやつれ具合に、三郎は言葉を失った。

 彼は警察官となって日が浅いとは言え、真面目な性格で、三郎も自ら警察官としてのいろはを手ほどきする程に期待していた男だった。

 それが派出所に配属となって1か月と経たずに休職状態になったと聞き、驚きを隠せなかった。

 

 連絡を取っても返信がなく、いても立ってもいられなくなった三郎は直接会いに行くことにした。

 部下の下宿先を訪ね、10日粘って行きつけの店で会うことが出来た。

 しかし、その変わりようは三郎の想像を超えていた。

 三郎が記憶している限り、彼はがっちりとした身体つきの青年だった。

 

「まあ、思ったより元気そうじゃないか」

 

 白々しい言葉だった。

 頬は骸骨と見紛(みまが)う程に痩せこけて、目は落ち窪んで生きた屍のようだった。

 あの精悍な青年が、と三郎はショックを隠せなかった。

 手塩にかけて育てた部下の変貌(へんぼう)ぶりは、それ程のものだった。

 

「体調はどうだ。人生いろいろある。俺も若い頃は、仕事から離れたいと思った時もあった」

「…………」

「そういう時にはな、美味い酒を呑むもんだ。そうすりゃ、大抵の悩みはどうでもよくなる」

「…………」

 

 しかし何を話しかけても、部下はほとんど返事を返してこなかった。

 相槌すら打つこともない。

 以前の溌剌(はつらつ)とした姿を知っているだけに、三郎の戸惑いは増した。

 それどころか、彼は出てきた酒にも料理にも手をつける様子はなかった。

 

「……なあ、お前いったいどうしたっていうんだ」

 

 しばらくしても部下の様子が変わらないので、痺れを切らした三郎はついにそう切り出した。

 そもそも、酒や肉で吹き飛ばせるような悩みではないというのは最初からわかっていた。

 まさに、人が変わった、としか言いようがなかった。

 心配以上にショックだった。何故、という疑問の感情が強い。

 

「何があった。お前みたいな真面目な奴が1か月も休むなんて、普通じゃない」

「…………」

「頼む、話してくれ。俺で力になれることなら何でもする」

 

 そこで、初めて部下は反応を返した。

 酒や料理には相変わらず手をつけようとはしなかったが、じっと三郎のことを見つめてきたのだ。

 その目もやはり以前とは違う気がして、三郎は息を呑んだ。

 しかし、たじろぐわけにもいかない。やっと返ってきた反応なのだ。

 

「……信じて貰えないかも、しれないですけど……」

 

 そしてようやく、ぽつりぽつりとだが、部下は話し始めてくれた。

 1か月前、彼――鈴木武雄の身に起きた事件のことを。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 その日は朝一番に通報があり、武雄は彼が住む町でも有名な商家の屋敷に向かった。

 盗人(ぬすっと)でも入ったかと思っていたが、現場に通されて、そんな生易しいものではないとすぐに理解した。

 

「これは、酷いな……」

 

 武雄の四畳半の下宿とは比べ物にならない、十数畳もあるだろうその部屋は酷い有様だった。

 まず床はいくつも人の頭ほどの穴が開いている上に、畳そのものが吹っ飛んでいる部分もあった。

 それどころか天井や壁にも同じような穴が開いており、庭に面した襖や雨戸に至っては砕け散って外に散乱してしまっている。

 幕末の池田谷事件も、はたしてこれ程だったかと思える程だ。

 

「いったい何があったんですか?」

 

 天井にまで飛び散っている血痕にぞっとしながら、武雄は家人にそう聞いた。

 家人と言っても、この商家には年老いた母親と使用人数名しかいない。

 あとは店を実際に切り盛りしている息子2人がいるということだが、まだ出てきていなかった。

 

「奥さん」

「はい。はい……あれは、あれは本当に恐ろしい叫び声でした」

「叫び声? 悲鳴ということですか?」

 

 相当に恐ろしかったのだろう、母親の顔は青ざめていた。

 胸を押さえて、女中に身体を支えられている。

 よほどショックだったのだろう。

 あまり無理に話を聞きだすのも良くないかもしれないと、武雄は思った。

 

「いえ、いいえ。あれは、そう、まるで猛獣(けだもの)のような」

「猛獣、ですか」

「猛獣じゃないなら、化物、怪物よ。それこそ鬼のような……」

「はあ、そ「何だお前はっ!!」れって、は。じ、自分のことで」

「何で警官が私の屋敷にいる!?」

 

 その時だ。どかどかと現場の部屋に壮年の男性がやって来た。

 立派な着物を着込んだその男は、部屋に入るなり武雄を睨みつけてきた。

 顔を真っ赤にして、まさに烈火のごとく怒っている様子だった。

 

「誰が呼んだ!? 私はそんなことを許した覚えはないぞ!?」

「い、いや自分は」

「私が呼んだんです!」

「母さん! 私に任せておいてくれと言ったはずです!」

「あんなことがあって、黙っておれますか!」

「はっ、いやっ、お2人とも落ち着いて……」

 

 どうやら店を切り盛りしているという息子の1人のようだ。

 武雄を挟んで母子で口論を始めてしまった。

 使用人達も口を挟むことが出来ないのか、いつの間にか距離を取って様子を窺っている。

 逃げることも出来ない武雄としては、落ち着くように言うしかない。

 

 その時、ふと武雄は息子の首元に包帯が巻かれていることに気付いた。

 真新しい傷なのか、まだ血が滲んでいる。

 武雄が見ていることに気付いたのか、着物の襟をぐいと引き上げると、吐き捨てるように言った。

 

「とにかく出ていけ! 警官ができることは何もない!」

「何もないわけないでしょう! 私は見たんですよ!」

 

 母親も退かない。気のせいか顔色も良くなってきていた。

 激高して血の巡りが良くなっているのだろうと、武雄はそんなことを思った。

 

「刀を振り回した黒い服の女が、あの子を……正二を追いかけて行ったのを!」

「母さん!!」

 

 どうやら、厄介で深刻な事件に巻き込まれたようだ。

 武雄は、今後のことに何一つ安心材料がないことに溜息を吐いた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 結局、通報については有耶無耶になったまま、屋敷を追い出された。

 最低限の話は聞けた。総合すると、どうやら強盗事件ということらしいことはわかった。

 ただおかしな点もいくつかあった。

 

 まず強盗が狙ったのは弟の方――正二という名前らしい――だったということ。

 店を切り盛りしていると言っても、財産を持つのは長男である兄だ。

 どうして弟を狙ったのだろう。それに盗られたものもないという。

 そして何より弟がまだ家に戻っていない。これが1番のおかしな点だった。

 

「ダメだ。おかしなことばかりだ」

 

 普通に考えるなら、強盗から逃げて家の外に飛び出してまだ戻っていないなら、生存しているとは考えにくい。

 だがそれなら、それこそ警察に通報するだろう。しかし兄は警官である武雄を追い出した。

 母親が見たという強盗についても、よくわからない。

 

 廃刀令下のこのご時世で、刀など持っていれば目立つだろう。

 まして強盗は女だと言う。

 そして黒い服。話を聞いた限りは黒い詰襟らしい。

 刀を振り回す黒い詰襟の女?

 

「そんな見るからに怪しい奴、いないだろ……!」

 

 そう言って、武雄が頭を抱えていた時だ。

 

「あの、すみません」

 

 そんな武雄に、声をかけてくる人物がいた。

 派出所勤務の武雄は、市井の人々に声をかけられることも少なくない。

 だから武雄は「ああ、はい。何でしょう」と応じ、顔を上げた。

 すると、だ。少女が1人、武雄の前に立っていた。

 

「すみません。ちょっとお尋ねしたいことがあるのですが」

 

 奇妙な格好の少女だった。

 容姿の話ではない。むしろ武雄が知る女の誰よりも目鼻立ちが整っている。

 眉が少し太いのが気になるが、それも少女の美しさを損なうものではなかった。

 長い黒髪を一束ねにして右肩の前に垂らしているのも、清楚さを感じて好印象だった。

 

「……あの、もし?」

 

 問題は、服装の方だ。

 白地に臙脂(えんじ)色の風車をあしらった羽織、この時点で相当にヤバい。

 腰に竹の水筒、背中に被り笠。まるで「旅人」といった風だ。

 100歩譲って、ここまでは許容するとしても。

 ――――黒。

 

「このあたりで、昼間でも()の当たらない建物ってありますか?」

 

 ()()()()の少女が、武雄の前に立っていた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

(いた――――っ!?)

 

 現場の間近で、被害者の目撃談と合致する人物が現れたらどうするか?

 普通、その場で確保である。

 しかし武雄は躊躇した。

 彼は賢明にも、あるいは愚かにも、格好が合致しているからと即座に拘束するタイプの警官ではなかった。

 

(刀……も、持っていないし)

 

 さっと見た限り、少女は刀らしきものを持っていなかった。

 当たり前と言えば当たり前だった。

 廃刀令下で、帯刀して警官に話しかける馬鹿はいない。

 まして強盗犯が、警官の制服を着ている自分に一切の邪気なく話しかけてくるとも思えない。

 

「あのー」

「え、あっ。ああっ、いや無視したわけじゃないんだ。すまない」

 

 赤みがかった大きな瞳が、こちらを覗き込んできていた。

 年下の少女に対して、どぎまぎとしてしまった。

 手を振って1歩離れて、改めて少女を見つめる。

 少女は、邪気のない様子で首を傾げていた。

 

「ええと、どこに行きたいって」

「はい。昼間でも陽の光が当たらない場所、です」

「陽の光?」

「正確には陽が入る窓もなくて、この近辺で、夜までいても誰にも見咎められない。そんな場所です」

 

 普通、そんな道の尋ね方をするだろうか。

 決めつけて拘束するのも躊躇するが、しかし潔白と見逃すにはやはり怪しかった。

 昼間に太陽の光が射さない場所。

 はっきり言って、そんな物の考え方をしたことがなかった。

 

「どこかご存じですか?」

「いや……」

 

 したことがなかったが、ここで否と答えれば少女はどこかに消えてしまう気がした。

 尾行しようと思えばできるかもしれないが、年下の少女の後を尾けるというのも気が引けた。

 見逃すのは論外、となれば、(おの)ずから答えは決まっている。

 全て武雄の直感のようなものだが、この少女はあの商家の事件と何かの関係があるという、奇妙な自信があった。

 

「いや、わかった。俺で良ければ心当たりを案内する」

「わっ、やった。助かります。地図を読んでも良くわからなくて」

「あ、ああ」

 

 少女は、手を打って喜びを表現してきた。

 それがいかにも少女らしい仕草で、武雄の方が気恥ずかしさを覚えてしまう。

 この年齢まで、付き合いらしい付き合いを異性としたことがなかったのが不味かった。

 同僚からは硬派で通っているが、単に女慣れしていないだけだ。

 

「きみ、えっと……」

「……? ああ、はい」

 

 おかげで名前を聞こうとして失敗するという、余りにも格好の悪いことが起こった。

 しかし気にした様子もなく、少女は変わらぬ笑顔のまま、胸に手を当てて、鈴を転がすような声で告げた。

 

「私は煉獄(れんごく)瑠衣(るい)といいます。お気軽に瑠衣とお呼び下さい、警官さん」

 

 ――――ガアッ。

 どこかで、鴉が鳴いていた。

 少女の自己紹介と共に聞くには、いかにも不吉だと武雄は思った。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 とりあえず、商家の保有する倉庫が集まる地区を案内した。

 常に荷運びや警備がされている倉庫もあるが、中にはほとんど使われていないものもあり、いわゆる潜伏向けの場所だった。

 最も、そういうところも外から何らかの施錠がされているものがほとんどだが。

 

「この町にはいつ来たんだ?」

「一昨日です」

 

 倉庫の錠前を1つ1つ確認する瑠衣の背中に、武雄は問いかける。

 尋問の真似事のようなものだった。

 だが瑠衣は本当に邪気のなさそうな娘で、武雄のそうした問いの1つ1つにきちんとした答えを返してきた。

 例えば、1人で旅をしていること。

 

 年は17歳で、出身は東京であること。

 母親はすでに亡くしているが、父親と兄と弟がいるということ。

 この町に来たのは初めてで、人を探しているということ。

 それから、地図を読むのが苦手――何故か日本地図を所持していた――であること。

 

「昨日の夜はどこにいたんだ?」

「今日と同じですよ。人を探してました。一瞬だけ見つけたんですけど、捕まえられませんでした」

「夜に1人で?」

「危ないですよね、ごめんなさい。でも、どうしても」

 

 がちゃ、と、瑠衣の手にした錠前が音を立てた。

 開けられた形跡のないそれを指先で撫でて、小さく息を吐く。

 無駄足を嘆いている、というのとは違うように見えた。

 

「どうしても、見つけないといけない人なんです」

 

 その横顔の真剣さに迫力のようなものを感じて、武雄は言葉に詰まった。

 どうして詰まったのか、わからなかった。

 

「このあたりではなさそうですね」

 

 はっと顔を上げると、瑠衣が申し訳なさそうな表情を浮かべていた。

 どうやら話している間に、大方の倉庫は確認してしまったらしい。

 

「ごめんなさい。わざわざ案内までして頂いたのに」

「あ、いや」

 

 大きな瞳が、真っ直ぐに自分を見つめている。

 声をかけてきた時もそうだったが、瑠衣は話す時に人の目をきちんと見る。

 人間、意外と「目を見て話す」ができていないものだ。

 武雄もそうで、いざ目を見て話をされるとどぎまぎしてしまうのだ。

 

「じゃあ、その、別の場所に行ってみるか」

「いいんですか? 私が言うのもおかしいですけど、お仕事の途中だったんじゃ」

「ま、まあ、どうせ見回らなきゃならないからな」

「うわあ、本当に助かります。ありがとうございます、警官さん!」

 

 どうかしている、と武雄は思った。

 自分はこの少女を疑わしく思って、行動を共にしているはずだ。

 それが、こんなわずかな時間で離れ(がた)い気持ちにさせられている。

 にこにこと笑う瑠衣の顔を見ながら、武雄は自分自身に戸惑っていた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 はあ、と、大きな溜息が漏れた。

 警官――武雄が帰った後の、あの商家の屋敷である。

 母親が、廊下を歩きながら額を押さえていた。

 

「まったくあの子ったら、何を考えているのやら……」

 

 あの子というのは、兄のことだ。

 弟が強盗に襲われたというのに、警察を呼ばないなど信じられなかった。

 もちろん母親も、家や店の名誉は大事にしたい。

 しかし、それにも限度というものがあるだろうと思っていた。

 

 それにしても、昨夜は本当に恐ろしかった。

 今も耳に残っている、あのおぞましい声。

 思い出しただけで、身も心も震えが止まらなくなる。

 しかも、弟――正二は強盗に追われて未だに行方知らずなのだ。

 あの強盗、黒い服の女。本当に許せないと思った。

 

「……あら?」

 

 自然と足が向いていたのだろう、いつの間にか正二の私室のあたりに来ていたようだ。

 普段から過保護、というわけではないと思うが、こういう時だ。

 母親の本能というものであろうか、などと考えていると。

 

「……?」

 

 私室の扉が、僅かに開いていた。

 正二が行方知れずなのに、誰かが入ったとも思えない。

 使用人が掃除でもしたのだろうか?

 まさか、こんな時にまで。

 それに、我が家の使用人が扉を開けっ放しにしていたことなど今までなかった。

 

「何かしら、これ」

 

 扉の縁に、何かがこびり付いていた。

 恐る恐る指先で触れてみると、ぬめりのある液体で、母親は「いやだ」と顔を(しか)めた。

 触ったことをすぐに後悔しつつ、指先を目の前にまで持って来る。

 それは、赤く、鼻につく臭いを放っていて……。

 

「……正二……?」

 

 その時、室内に気配を感じた。

 息遣いのようなものが聞こえた気がして、ゆっくりと扉を開ける。

 大きくなった隙間から中を覗き込むと、明かりがついておらず、暗かった。

 しかし、室内からも扉を開けた母親の存在に気が付いたのだろう。

 

「かあ、さん……?」

 

 聞き慣れた息子の――正二の声に、母親が甲高い声を上げた。

 

「正二! 正二、あんた戻って来てたのかい!?」

 

 そう叫んで、母親が室内に飛び込んでいった。

 しばらく、部屋からは物音が続いた。

 やがて、静かになった。

 何の音も、聞こえなくなった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 結局、夕方まで瑠衣に付き合うことになった。

 派出所に戻れば先輩警官にどやされるだろうが、何となく別れるタイミングを逃し続けてしまった。

 

「うーん。どこにもそれらしき場所はありませんでしたね」

「あ、ああ。そうだな……」

 

 瑠衣は、表情がころころと変わる少女だった。

 と言って自己主張が強いわけでもなく、笑う時も口元に手を添えて小さく笑う。

 武雄の知る女性は、家族以外では「そういう」仕事の女性がほとんどだ。

 男所帯の職場であるし、付き合いというのもある。

 

 正直、この頃になると瑠衣への疑いの気持ちというのはかなり薄れていた。

 服装こそ奇妙――これは本当に庇いようがない程に奇妙――だが、悪事を、それこそ強盗のようなことを働くような人間だとは思えなかった。

 むしろ瑠衣の言う「見つけなければならない人」という存在こそが、怪しく思えてきた。

 犯人ではないが、犯人を庇っているのではないかと。

 

「煉獄……さんは」

「瑠衣で構いませんよ」

「あ、ああ」

 

 やはり格好がつかなかったが、ごほんと咳払いをしてごまかした。

 

「瑠衣さんは、その探し人を見つけたらどうするつもりなんだ」

 

 もう陽も沈みかけてきているというのに、ガアガアと鴉が鳴いている。

 今日はやけに鴉が多いなと、そんなことを思った。

 だがこちらを振り向いた瑠衣の顔を見て、そんなことは気にならなくなった。

 

「う……」

 

 思わず、妙な声が出てしまった。

 瑠衣は夕陽を背に、こちらを振り向いている。

 身体の輪郭が赤い輝きを放っているように見えるのは、おそらく錯覚だろう。

 それでも一瞬、あのこちらを真っ直ぐに見つめる瞳に、何かが揺らいだような気がした。

 

「もし、私が探している人が見つかったら……」

 

 これは、何なのだろうか。

 2人のいる通りは、夜を前に家路を急いだり、あるいはこれから夜の町に出ようという人間で溢れ返っている。

 だがその喧噪も、どこか遠い。

 

「その時は――――……」

 

 そして、瑠衣が言葉を発そうとした、その時だった。

 

 

 

「ガアァ――――――――ッッ!!」

 

 

 

 突然だった。

 鴉の大きな鳴き声が、空から降ってきたのだ。

 それは通りの人間達がざわつく程で、町中に響き渡ったのではないかと思える程だ。

 今日はやけに鴉が多いと思っていたが、気も立っているのだろうか。

 ――――陽が、沈もうとしていた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 鴉の鳴き声を聞いた瞬間、瑠衣の様子が変わった。

 と言うのも、(きびす)を返して駆け出してしまったのだ。

 それは少女のものとは思えない程の速さで、武雄はついて行くのがやっとだった。

 人込みの中、人々を押しのけるように瑠衣の背中を追いかける。

 

「おい! どうした!?」

 

 返事はなかった。

 それにしても速すぎる。

 人込みの中をジグザグに走って、どうしてあんな風に駆けることが出来るのか。

 

 ガアッ! ガアッ! ガアッ!

 

 ああ、鴉がうるさい。

 今日に限って、どうして行く先々で鴉に会うのか。

 まさか、同じ鴉がついて回っているわけでもないだろうに。

 

「ここは……」

 

 見失うかと思った時、ある屋敷の前で瑠衣に追いついた。

 そこがあの商家の屋敷だということには、すぐに気付くことが出来た。

 そのことに落胆する気持ちがあって、自分で驚いた。

 やはり、瑠衣は商家の事件と何らかの関係があったのだ。

 

「あっ、け……朝に来てた警察の人だろ! この子を何とかして下さい!」

 

 門前にいた使用人が、困惑し切った顔で武雄に助けを求めてきた。

 気を取り直して、瑠衣の肩を掴んだ。

 

「瑠衣さん! 何をしているんだ!」

「すみません警官さん! 火急につき、お話している時間がないんです!」

 

 かなり強い力で掴んだはずだったが、いつの間にか瑠衣は武雄の背後にいた。

 どうやって抜けたのか、どうやって動いたのか、わからなかった。

 わかっているのは、瑠衣が相当に焦っているということだ。

 一刹那の後、武雄の視界に影が差した。

 

「長治郎! 刀を!」

 

 1つは、瑠衣の身がふわりと宙を舞い、屋敷の塀に飛び乗ったもの。

 そしてもう1つは、甲高さと濁りを同居させたような鳴き声を発して、鴉が飛来したものだ。

 鴉――瑠衣の言葉通りなら長治郎という名前らしい――は細長い何かを投げ落としてきた。

 2尺ほどの長さのものを、鴉などが良く運べるものだと感心しそうだった。

 刀だった。

 

「警官さん!」

 

 黒い詰襟、女、そして刀。

 それら全てを持った少女は、塀の上から武雄に言った。

 額に汗を滲ませ、焦りの表情のままに。

 

「屋敷には誰も入れないで下さい!」

 

 次の瞬間、瑠衣は塀を飛び降りて屋敷の敷地に入っていった。

 武雄の視界から、少女の姿が消えた。

 使用人が「どうする」と言わんばかりに自分を見ているが、そんなことは武雄にもわからなかった。

 それでも、瑠衣から悪意は感じ取れなかったから。

 

 最後に武雄を見た瑠衣の瞳が、あの真っ直ぐだった目が、罪悪感の色を浮かべていたから。

 だから武雄は、使用人を押しのけて、自分も屋敷の中に駆け込んだのだった。

 陽はとっくに沈み、夜になっていた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 ()()()()()()()()

 男は、食事をしていた。

 一心不乱に何かを口元に運び、咀嚼(そしゃく)していた。

 座り込んだ床に水溜まりができていたが、気にした様子もない。

 

 何かよほど硬いものを食べているのだろうか?

 咀嚼の度に何かを噛み砕き、にちゃにちゃとすり潰す不快な音がする。

 お世辞にも行儀が良いとは言えないが、しかし男の手元を見れば、それも納得だった。

 何故なら、男が喰い付いているそれは。

 

「――――私の責任、ですね」

 

 ぴた、と、男が動きを止めた。

 顔を上げると、私室の扉が開いていた。

 すでに夜になっているのだろう、廊下に明かりが灯っていて、逆光で相手の顔が見えにくかった。

 しかし男は視覚に頼らずに、それが誰なのかを正確に理解した。

 

「私が昨夜、貴方を斬れていれば。その人は死なずに済みました」

 

 人、と言った。

 人が死んだのかと、男は思った。

 それは悲しいことだなと、そう思った。

 けれど今は腹が減って、腹が減って喉が渇いて仕方がないから、食事をさせてくれと言った。

 

「……貴方は今、何を食べているのですか?」

 

 ボリボリと咀嚼を続けながら、男は首を傾げた。

 返って来たのは、どこか悲し気な溜息だった。

 

「それすらも、わからなくなってしまったのですね」

 

 キン、と、何かの金属音がした。

 

「ならば」

 

 逆光の中、腰のあたりから、鋭く煌めく何かを抜くのが見えた。

 あれは何だろう。とても嫌な感じがする。

 今の自分が最も忌避するものと、似た気配を感じる。

 そうして、ぞわりとした何かを感じた時だ。

 

「待ってくれ!」

 

 別の誰かが、扉のところに立っていた誰かを押しのけて、部屋に入って来た。

 その人物は両手を広げて、自分の前に立った。

 視界に、どこかで見た気がする背中が広がった。

 あれは、誰だっただろうか。

 

「待ってくれ! 頼む、見逃してくれ!」

「どいてください。昨日、貴方がその人を逃がさなければこんなことにはならなかった」

「腹を満たせば落ち着くんだ。大丈夫なんだ!」

「その人が何を食べているのか、わからないわけがないでしょう」

「母は……母は、知らなかったんだ。仕方なかったんだ」

 

 母?

 ごくんと、嚥下しながら、首を傾げた。

 母がどうかしたのだろうか。心配だった。

 しかし、母親とは誰のことだろう。

 そもそも、母親とは何だったのだろうか。思い出せない。わからない。

 

「…………」

 

 それよりも、良い匂いがした。

 あれだ、目の前で背中を晒している()()()

 首元の包帯。その下から、良い匂いが――――。

 

「――――逃げてッ!!」

「え?」

 

 ()()()

 

  ◆  ◆  ◆

 

 悲鳴が聞こえた。

 武雄がそちらの方へ駆け込んだ時、すでに事は起こっていた。

 まず見えたのは、商家の兄の姿だった。

 そして次に、男――兄が悲鳴の間に正二と呼んでいて、弟とわかった――が、兄に馬乗りになって、首に噛み付いていた。

 

「え、え……ええ?」

 

 何だ、何が起こっているんだと混乱している間に、事態がさらに動いた。

 瑠衣だ。

 刀を手に持った瑠衣が、正二を蹴り飛ばした。

 あの細い体躯(たいく)のどこにそんな力があるのか、正二の身体が床を転がっていった。

 

「大丈夫ですか!?」

「ぐ、うう……っ」

 

 瑠衣が引き起こした兄は、首の後ろを手で押さえて呻き声を上げていた。

 血がぼたぼたと床に零れていて、素人目にも医者が必要だとわかる。

 そうして武雄が動けずにいると、別の呻き声が聞こえた。

 いや、呻き声というより、唸り声だ。

 そう、まるで猛獣のような。

 

「え……」

 

 正二だ。正二が手足を獣のように床につけて、武雄を見ていた。

 猛獣がそうするように「ううう」と唸り、口からは(よだれ)をとめどなく滴らせている。

 ぞっとした。

 何故なら正二の顔は真っ赤な血で染まっていて、にちゃにちゃと何かを咀嚼していたからだ。

 兄を見る。首の血。まさか、そんな、喰――――。

 

「う、うわあああああああああっ!?」

 

 視線を戻した時、悲鳴を上げた。

 正二が、自分へ飛び掛かって来ていたのだ。

 人間離れした跳躍で、対処できず、その場に尻もちをついてしまう。

 正二の顔は、愉悦に歪んでいた。獲物を前にした猛獣のように。

 血走った目、飛び散る涎、口の端にちらつく歯は鋭く尖っていて。

 

「警官さんっ!!」

 

 次の一刹那、武雄はさらに現実離れした光景を見た。

 瑠衣が、跳んだ。

 そして次の瞬間には、自分の目の前で背中を晒していた。

 遅れて、壁と天井が頭大に爆ぜたのを視界の端で捉えた。

 

(ああ、現場で見た穴はこれか)

 

 死の間際だというのに、そんな馬鹿なことを考えた。

 すると、不思議な音が耳朶を打った。

 突風が耳元を掠めているような、大きく、長く、深い、そんな音だ。

 そして、その音が瑠衣から聞こえているのだと気が付いた時。

 

 

 ――――全集中・風の呼吸――――

 

 

 あ? と声を上げたのは、誰だっただろうか。

 瑠衣が刀を振り上げたと思った瞬間、室内にも関わらず強烈な風が渦を巻いた。

 それは数秒で収まり、突風に閉じた目を開けた時、武雄の視界に入ったのは。

 

「ごめんなさい、警官さん。私、1つだけ嘘を吐きました」

 

 どたりと、床に落ちる正二の身体。首から上がなかった。

 あるべき頭部は、別の場所に転がっていた。

 それと、瑠衣の背中。ふわりと待った羽織の奥に、「滅」の一字。

 明かりの下、瑠衣の持つ刀は深緑に煌めいていた。

 

「私が探していたのは、人じゃありません」

 

 正二、と兄が声を上げていた。

 床を這うように弟へと近付き、頚を失った身体に縋りつく。

 だがその身体も、ぼろぼろと()()()()()

 あまりにも現実離れした光景に、武雄は自分の呼吸が荒くなっていくのを感じた。

 

 これはいったい、何なのだ。

 自分はいったい、何を見ているのか。

 嫌な汗が止まらない。

 こんなことが、現実だというのなら。

 

「この人殺し! よくも私の弟を……! 誰か、誰か来てくれ――ッ!」

 

 兄が、何事かを叫んでいる。

 人殺しと。

 瑠衣が、あの真っ直ぐな目の少女が人を殺したのか。頚を刎ねて殺したのか。

 だがあれは、あの時の正二は、人だったのか。

 

「……私が、探していたのは……」

 

 哀しそうに笑って、瑠衣は()()()を告げた。

 そして、武雄は――――……。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 武雄は全てを話し合えた後、すっかり温くなった酒を一息に飲み干した。

 それでも刺激が強かったのか、顔を顰めている。

 

「……あの後すぐに妙な連中が来て、他言しないように言われたんです」

 

 武雄の証言を聞く者もいなかった。

 書き上げた報告書はそもそも受理されなかったし、商家は屋敷ごとどこかへ消えた。

 休職扱いになったのも彼自身の意思ではなく、周囲が荒唐無稽な証言を続ける彼を煙たがったせいだった。

 武雄にはもう、戻る場所もなかったのだ。

 

「虚しくなりました」

 

 頭を抱えるようにして、武雄は言った。

 

「俺は警官として、人々を守っているつもりでした。それなのに……」

 

 正直、三郎は武雄の話の全てを信じたわけではなかった。

 だが、彼が強い挫折感を感じているのはわかった。 

 何か言葉をかけてやりたかったが、上手い言葉が見つからなかった。

 

「本当に守っていたのは、彼女のような存在だったんです」

 

 無力感、というやつだろうか。

 この世には自分が思っている以上の悪意があって、自分はそれを何も知らず、警官として市民を守っていくのだと調子の良いことを考えていた。

 しかもそれは、自分にはどうすることもできないことだった。

 

「だから、警官でいたくなくなったのか?」

 

 ぽん、と肩を叩いた。

 

「だがな、お前のやってきたことだって……」

「……違うんです」

「なに?」

「いえ、それもあります。でも俺が許せなかったのは……」

「許せなかったのは?」

「何も、言えなかったんです」

 

 言ってあげられなかった、と武雄は震える声で言った。

 

「あの時、商家が彼女を人殺しと罵った時……俺、何も言ってあげられなかったんです。正直、何が起こったのかわからなかったけど。でも彼女が俺を救ってくれたのは間違いがなかったはずなんです」

 

 商家の兄が瑠衣を罵った時の、彼女の哀しそうな顔が忘れられない。

 あの時、武雄はあまりの恐怖に震えていることしかできなかった。

 どうして言えなかったのだろう。

 きみは人殺しなんかじゃない。助けてくれてありがとう。

 

 今、外は夜だ。

 彼女は今も、どこかで正二のような存在から人々を守っているのだろうか。

 あの、「鬼」という化け物と、戦っているのだろうか。

 願わくば、願わくば彼女に救われた人々が、自分のような臆病な人間ではありませんように。

 彼はせめて、それだけを祈ったのだった。

 

 ――――どこかで、鴉が鳴いたような気がした。




最後までお読み頂きありがとうございます。
早速ですが、今作の読者投稿キャラクターを募集します。

名付けて「お館様の剣士募集」及び「無惨様の鬼募集!」(違)
皆さんはお館様と無惨様のどっちが好きですか!?

共通項目:性別・容姿・年齢。
※性格・背景もあればイメージがしやすく助かります。

剣士の場合:使用する呼吸。

鬼の場合:血鬼術の有無。その内容。

また「死に方」の希望があれば教えて下さい。

条件:
・投稿はメッセージのみでお願い致します、それ以外は受け付けませんのでご了承ください。
・締切は2020年1月17日の正午きっかりです。それ以降は受け付けませんのでご了承ください。
・ユーザーお1人につき剣士・鬼は1人ずつ(合計2人)迄です。

注意事項:
・投稿キャラクターは必ず採用されるとは限りません。採用・不採用のご連絡も致しません。
・原作的に投稿キャラクターも死ぬ可能性があります。
・投稿・相談は全てメッセージにて受け付け致します、それ以外は受け付けませんのでご了承くださいませ。
・私の描写力により「あれ? 自分のイメージと違う」的なことも起こり得ますが、予めご了承下さい。
以上の点につきまして、予めご了承下さい。

それでは、今作でも皆様の応募をお待ち致しております。
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