鬼滅の刃―鬼眼の少女―   作:竜華零

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第27話:「死闘」

 ――――奇妙な音で、目が覚めた。

 鬼殺隊士だからか、あるいは生来の眠りの浅さか、音や気配には敏感な方だった。

 柚羽が目を開けると、病室はまだ薄暗かった。

 窓の外へ視線を向けると、まだ月が高い。深夜だった。

 

「…………?」

 

 喉は、まだ声が出せる程には完治していない。

 だから寝台の上で頭だけを動かして、隣の寝台へと視線を向けた。

 するとそこにいるはずの姿が見えなかった。

 その代わりに、寝台の足元で何かが蠢いているのが見えた。

 

 柚羽は静かに寝台から下りると、床に倒れている榛名の肩に手を置いた。

 窓から射し込む月明かりが、榛名の額に滲む汗を浮かぶ上がらせる。

 それでも、榛名は柚羽の存在に気が付くと、笑顔を向けて来た。

 

「あ、あら、起こしちゃったかしらぁ。ごめんなさいねぇ。ちょっと、そのう、お手洗いに行きたくて……」

「…………」

 

 榛名の身体は、本人の自由にならなくなっていた。

 鬼との戦いで、背骨に深刻なダメージを負ったせいだった。

 負傷自体は治っても、後遺症は残る。柚羽の喉と同じだ。

 たとえ生き残っても何かを失う。それが鬼狩りだった。

 

「きゃっ」

 

 無言で、榛名を背負った。

 片腕では難しかったが、気付いた榛名も腕を回してきた。

 重み――本人に言ったら怒るかもしれないが――と温もりが、薄い入院着越しに感じられた。

 生きているのだから、当然と言えば当然だった。

 

「ふふ、温かいわねぇ」

 

 そして自分も生きている。だから温もりを感じるし、与えることが出来る。

 生きている実感というのは、人と触れ合うと良くわかるものなのかもしれない。

 そんなことを思いながら、厠に向かうために病室を出た。

 通路は、というより蝶屋敷は、静かだった。

 皆が寝静まっているのだから、それ自体は何の不思議もない。

 

(あの子は、大丈夫だろうか)

 

 ふと窓から外を見ると、変わらず月が天高くこちらを見下ろしていた。

 柚羽が今こうしているように、死のうとしていた自分を背負った彼女。

 今もこの月明かりの下、刀を振るっているのだろう。

 だが次の瞬間には、自分達のようにならない保証はない。

 

「きっと、大丈夫よ~」

 

 榛名が、まるでこちらの心を読んだようなことを言って来た。

 それに口元だけで笑んで、柚羽は歩いた。

 きっと大丈夫なんて、何の根拠もないけれど。

 そう信じたいと、思いながら。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 段々と、腕の感覚がなくなって来た。

 血の刃や帯と無数に打ち合い、時に鎌や爪と直接鎬を削った。

 刀を握る掌から出血しているのが感覚でわかる。マメが潰れたのだろう。

 

「ああっ、もう! しつこいのよ、不細工共!」

 

 視界のあらゆる方向、そして死角から帯が迫って来る。

 正面だけでなく、小さく頭を左右に動かした。

 可能な限り広い視界をカバーするためだが、瞬きすら出来ず、目が痛みを訴えている。

 下手に瞬きなどすれば、次の瞬間に死んでいる。

 

 上段から、下段。日輪刀を斜めに角度をつけて幾度も振るった。

 帯の硬度は鋼並みで、特別な鋼で打たれた日輪刀でさえ、斬り方を間違えれば瞬く間に刃毀れしてしまうだろう。

 刀は正しい方向に斬らなければ脆い。

 そしてこの状況においてそれは、極度の集中を要求されるということだった。

 

「させん!」

 

 頭の後ろで何かが擦過するのを感じた。

 杏寿郎が瑠衣の後頭部に迫っていた帯を斬り弾いたのだ。

 瑠衣の頭を豆腐のように細切れにしようとした帯が、視界の端で地面に落ちるのが見えた。

 そしてそのまま脇腹に衝撃が来た。杏寿郎が後ろから瑠衣を引っ張ったのだ。

 

「兄様……っ」

「んんん? お前ら、兄妹かあぁ?」

 

 鼻先を、血色の鎌が通り過ぎた。

 兄に身を引かれながらも、瑠衣は刀を振り上げた。

 その斬撃は妓夫太郎の顎を掠めたが、当然、そんな掠り傷に怯む相手ではなかった。

 

 手足を蟷螂(カマキリ)のように振り回して、妓夫太郎の斬撃が迫って来た。

 一撃一撃が速く、全てが瑠衣の急所を狙っていた。

 捌き切れない。すぐにそう悟った。

 妓夫太郎の攻撃は堕姫のそれより遥かに正確で、鋭かった。

 

「どけ、煉獄!」

 

 この場合の「煉獄」はどちらを指すのか。もちろん両方だった。

 極限状況の中で、いちいち呼び方を気にしてはいられなかった。

 妓夫太郎の斬撃に被さるようにして、宇髄の爆ぜる斬撃が来た。

 

「ドンドンドンドン騒がしい奴だなあぁ」

 

 血の斬撃と爆発する斬撃の衝突は、それだけで周囲の物を吹き飛ばしてしまう。

 鋼が打ち合う音の代わりに、花火を間近で聞くような轟音が周囲を揺らし続ける。

 味方でさえも近づき難いその空間に、しかしあえて飛び込む者もいた。

 宇髄の大きな体を盾に、禊が己が矮躯を斬撃の隙間に潜り込ませた。

 

 ――――欺の呼吸・弐ノ型『面子』。

 二つに分割した槍を短く持ち、無数の突きを繰り出す。

 しかしその突きの全てを、妓夫太郎は的確に迎撃してきた。

 僅かな隙を突いても、人間ではあり得ない角度に手足が曲がって防いでしまう。

 

「……っ」

 

 そして上弦と斬り結ぶ者の宿命として、それにかかりきりになる。

 僅かでも気を抜けば死ぬ。他を気にしていられない。

 それでなくとも上弦の凄まじい鬼気の前に立ち続けること自体、精神(こころ)を削る。

 不意に、両側から迫る帯に気付いた。

 

「気を抜くんじゃねえ!」

「……誰がっ」

 

 半ば禊に覆い被さるようになりながら、宇髄の日輪刀が両側に壁を作った。

 爆発が帯を吹き飛ばし、そしてそのまま宇髄も妓夫太郎との攻防に加わった。

 それを見た妓夫太郎が、大きく両手の鎌を振るった。

 

「そんな風にやる気を出してもなあ、やる気だけで勝てるわけじゃねえんだよなああ」

 

 ――――血鬼術『飛び血鎌』。

 放たれた後、自在に血の刃が宇髄の背後に回る。

 内に禊を庇い、外に妓夫太郎と斬り合っている宇髄は身動きが取れない。

 逃げ道がない、と、宇髄がそう思った時。

 

「はあああっ!」

 

 ――――風の呼吸・陸ノ型『黒風烟嵐』!

 血の刃の下から、風を纏った斬り上げの斬撃を放つ。

 正面から斬り払うには血鬼術が強すぎる。まともに打ち合えば負ける。

 だから軌道を逸らすだけだ。宇髄の背から攻撃を外せばそれで良い。そうすれば。

 

 ――――炎の呼吸・伍ノ型『炎虎』。

 そうすれば、炎の剛剣が血の刃を断ち切ってくれる。

 杏寿郎の渾身の一撃が血の刃を散らしたことで、僅かな間が出来た。

 その間を使って宇髄と禊は妓夫太郎から離脱し、瑠衣と杏寿郎が入れ替わりで前に出た。

 

「やるじゃねえかよ」

「不細工のくせに」

 

 それに対して、上弦の陸の鬼気はより大きく膨れ上がった。

 肌刺す鬼気の中で、瑠衣は再び瞬きの出来ない時間へと飛び込んだのだった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 やべえな、と宇髄は思った。

 一見、宇髄達が上弦の陸と互角以上に渡り合っているように見える。

 実際、杏寿郎はもちろん、瑠衣も禊も彼の予想以上に奮闘している。

 しかしそれでもなお、未だ肝心の妓夫太郎に対して有効打を一撃も与えていない。

 

 鬼と人間ではそもそもの体力が違う。

 いつまでも全力疾走が続かないように、人間は疲弊する。

 消耗戦になれば、人間は鬼に絶対に勝てない。

 体力の続く内に、何としても決着をつけなければならなかった。

 

「お前ら、違うなあ。今まで殺してきた柱や鬼狩り達と違う」

 

 その時、妓夫太郎が言った。

 相変わらず、ボリボリと自らの体を掻き毟りながら、だ。

 

「お前らはきっと生まれた時から特別だったんだろうなあ。選ばれた奴なんだなあ。妬ましいなぁ、一刻も早く死んでくれねえかなぁ」

 

 特別な才能。選ばれた人間。妓夫太郎はそう言った。

 おそらく、彼とここまで戦い続けた鬼狩りがいなかったのだろう。

 ほとんどの鬼狩りは堕姫すら突破できず、堕姫の手に負えない鬼狩りも妓夫太郎の前にあっけなく戦死してしまったのだろう。

 そういう意味では、なるほど、宇髄達は特別なのかもしれない。

 

「なあ、煉獄」

「何だ」

「お前、自分が特別だって思ったことあるか?」

「いや! ないな!」

「だよなあ」

 

 くっと笑って、宇髄は妓夫太郎に冷ややかな視線を向けた。

 眉根を寄せる妓夫太郎に、宇髄は言った。

 

「恵まれたやつだな、お前」

「あぁ?」

「この程度で「特別」なんて言葉を使う時点で、お前がどれだけ狭い世界で生きて来たのかがわかるぜ。だから言ったんだ。()()()()()ってな」

 

 宇髄は、自分が特別だなどと思ったことはなかった。

 というより、鬼殺隊士の中で自分が特別だなどと思っている人間はいないだろう。

 戦っても、努力しても、仲間を、人を守れずに命が零れ落ちていく。

 そんな中で、自分が特別だとどうして思えるだろう。

 

「そうね、わたしは特別なんかじゃないわ」

 

 ただ、禊のその言葉は意外だった。

 

「何よ」

「あ、いえ」

 

 じろりと見つめられて、瑠衣は目を泳がせた。

 しかし禊は気にした風もなく、むしろ顎を上げて堕姫の方を見やった。

 

「わたしは特別じゃないわ」

 

 口元は、実に厭らしく笑んでいた。

 

「じゃあ、特別じゃないわたしに勝てないあんたは何なのかしらねえ。ねえ、蕨姫?」

 

 挑発が的確すぎる。

 堕姫は文字通り鬼の形相を浮かべている。もう禊のことしか見えていなそうだった。

 こういうやり方は、瑠衣にはできない。

 

 宇髄も杏寿郎も、堕姫よりも明らかに強力な妓夫太郎を相手に一歩も引けを取っていない。

 自分だけだ。自分だけが、何の役にも立てていない。

 役に立て。煉獄家の娘として、戦いに貢献しろ。

 そのためになら、死をも(いと)わない。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 禊への怒りに駆られた堕姫の攻撃と同時に、瑠衣も動いた。

 帯を足場に、呼吸による超人的な脚力で空中を駆ける。

 禊への攻撃を防ぎながら、帯伝いに堕姫への距離を縮めていく。

 

「こいつ、また!? どういう足してるのよ!」

 

 根だ帯だと、普通は足場になることはない。

 足場にこちらの力が伝わるよりも先に次の動きをすることで、普通は足場になることのない場所を足場にすることができる。

 この走法を会得するために、瑠衣はそれこそ足を血塗れにしながら修練を積んだのだ。

 

(潜れ、る……!)

 

 堕姫の帯の攻撃。厄介だが、慣れて来た。

 というより、知っていた。同じではないが、似た()()()を。

 ずっと違和感を感じていたが、ようやくわかった。

 刃のように鋭い布地。そして、()()()()()()()()()()

 目に、脳裏に焼き付いて離れない、あの()()

 

(コイツなんかより、あの人の剣の方がずっと凄い……!)

 

 攻撃の速度も、追い込み方も、全然違う。

 瞬きはしなかった。一瞬でも視界が切れれば動きが鈍るからだ。

 潜れ、と己に念じた。あの人の剣に及ばぬこの程度、潜ってみせろと。

 目の前、帯が最も密集している場所に飛び込んだ。

 

 一見密集しているように見えるが、その実、帯同士の接触を避けるために間が空いている。

 攻撃の間にだけ出来るその僅かな空隙に、突っ込む。

 帯が隊服と、そして肌を裂く感触を感じながら、抜けた。

 瞬間、体を回転。帯を半ばから全て斬り払った。

 

「上等。来なさいよ、帯なんかなくたって直接殺してあげるわ!」

 

 ――――風の呼吸・捌ノ型『初烈風斬り』。

 踏み込みの音が辺りに響く。それ程の力で、瑠衣は地面を蹴った。

 そして出し得る最高速度で、斬りかかった。

 ()()()()()

 

「おぉお?」

 

 妓夫太郎にとっても予想外だったのか、瑠衣の方向転換に驚いていた。

 しかしそこは上弦の鬼。瑠衣の攻撃にしっかりと反応してくる。

 瑠衣の渾身の一撃を、両手の禍々しい鎌で受け止めた。

 だが、受け止められることは織り込み済みだった。

 

 瑠衣は手首を捻って刃の向きを変えると、柄込み――鎌が柄に差し込まれている部分――まで日輪刀の刃を滑らせた。

 そのまま鎌を引っかけて、振り下ろしの要領で地面に叩き付けた。

 妓夫太郎の血の鎌が、瑠衣の刀によって地面に押さえつけられる形になった。

 

「おおっ……?」

「ちょっと、お兄ちゃん!?」

 

 まさに、大きな隙だった。

 宇髄や杏寿郎が見逃すはずがない程の隙だ。

 次の瞬間、誰かの刃が妓夫太郎の頚を落とす。

 瑠衣はそう思った。

 

「まあぁ、無理なんだけどなああぁ」

 

 鼻が触れ合いそうな距離で、妓夫太郎が嗤っていた。

 その顔が血の刃に遮られて見えなくなったのは、一呼吸後のことだった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 瑠衣はここで、致命的なミスを1つ犯した。

 

(予備動作なしで、斬撃が! しかも範囲が広い!)

 

 それは妓夫太郎の血鬼術が、鎌から放たれていると誤認したことだ。

 これまでは、確かに鎌から血の刃が放たれていた。

 しかし「鎌からしか放てない」わけではなく、「鎌から()()放てる」というだけだった。

 鬼を見た目通りに判断してはならない。

 

 妓夫太郎の腕の血管から、血が直接噴き出した。

 それが渦を巻きながら瑠衣に迫り、襲い掛かった。

 妓夫太郎の両腕を鎌ごと押さえている瑠衣には、回避の方法がなかった。

 迫る殺意の塊に全身の産毛が逆立った。

 

(――――いや! 避ける必要なんてない!)

 

 それでも、妓夫太郎の両腕を拘束する。

 自分は死ぬだろうが、それで杏寿郎達が頚を斬れる。

 血の渦が振れる直前まで、瑠衣はそう考えた。そして次の瞬間。

 

「――――うぐっ!?」

 

 不意に襟元を掴まれて、呻いた。同時に刀が何かに打たれて、腕が跳ね上がった。

 そして、物凄い力で後ろに放り投げられる。

 何だと思って一瞬混乱したが、回転する視界の中、見覚えのある後ろ姿が2つ見えた。

 

 ――――炎の呼吸・肆ノ型『盛炎のうねり』。

 ――――音の呼吸・肆ノ型『響斬無間』。

 

 宇髄が刀を蹴り、杏寿郎が瑠衣を放り投げていた。

 そして妓夫太郎の血鬼術を、斬撃で壁を作ることで迎撃していた。

 普段の2人であれば、それで十分に受け切れただろう。

 しかし、そうはならなかった。 

 

「……一手。いやあ、二手かあ? 遅れたなあぁ」

 

 瑠衣が情けなく地面に落ちて、顔を上げた時だ。

 瑠衣は、杏寿郎の足と宇髄の肩から、鮮血が舞うのを見た。

 血を失っていないというのに、瑠衣は自分の血の気が引くのを感じた。

 ひゅっ、と、確かにそんな音が聞こえた気さえした。

 

「ひひっ、間抜けだなあ。弱いやつを庇ってなあ。俺の血鎌は猛毒がある。掠り傷でも死ぬぜ」

 

 猛毒という単語に、瑠衣は棍棒で頭を殴られたような衝撃を受けた。

 

「ひ、ひひっ。いい顔するなあ、お前。心配するな。お前もすぐ」

 

 に…と、妓夫太郎は二の句が告げなかった。

 何故なら彼が瑠衣の方を向いた次の瞬間、杏寿郎の刀が頚に叩き込まれたからだ。

 無警戒のところに突然の衝撃が来て、さしもの妓夫太郎も表情を歪ませた。

 

(どういうことだ!? 俺の血鎌で確実に斬ったはずだぞ!?)

 

 妓夫太郎の血鎌の毒は、ほんの数ミリで象さえ泡を噴いて倒れる程の猛毒だ。

 掠り傷でも死ぬというのは、けして誇張ではない。

 にも関わらず、杏寿郎は動いている。

 いや動くどころか、こうして妓夫太郎の頚に刃を突き立てている。

 あり得ない事態だった。それこそ過去に戦った鬼狩りならすでに終わっている。

 

「……ッ!」

 

 もう1人、宇髄も動いていた。

 こちらも確実に猛毒の血鎌で斬りつけた。本当なら死んでいるべきだ。

 しかし宇髄も信じられない速度で動き、二刀の日輪刀を妓夫太郎目掛けて振り下ろしていた。

 狙いは杏寿郎が打ち込んだ側と反対側、つまりは頚だった。

 

(何だ、こいつら)

 

 そんなことはあり得ないのだが、一瞬、妓夫太郎は杏寿郎と宇髄が同じ顔をしているように見えた。

 猛毒に青褪め脂汗を流しながら、歯を食い縛り、ギラギラした眼光で自分を睨み、頚を斬ろうと迫ってきている。

 

(毒が回っているんだぞ! それなのに動きやがる! どうしてだ!? ふざけんなよなああ!)

 

 妓夫太郎は鬼でありながら、しかも上弦でありながら、しかし確かに宇髄と杏寿郎に対してたじろいだのだった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 ――――血鬼術『輻輳(ふくそう)魍魎(もうりょう)』!

 妓夫太郎の口から、凄まじい咆哮が放たれた。

 それは鼓膜どころか、空気を、いや周囲の空間ごと震わせる程のものだった。

 

(――――不覚! この好機を逃すとは!)

 

 妓夫太郎の体中の血管から放たれた血の刃が、杏寿郎の全身を引き裂いた。

 本当なら踏ん張らなければならない場面だが、妓夫太郎の毒が予測以上に強力だった。

 呼吸で毒の進行を遅らせると同時に、一方で身体能力は高め続ける。

 この矛盾する2つを同時に行うことは、例え柱であっても難易度が高い。

 

(畜生、近付けねえ! 俺の方が煉獄より毒に耐性があるってのに……!)

 

 毒のせいで踏ん張りが効かずに、杏寿郎の刀が妓夫太郎から抜けてしまった。

 半ばまで斬れていたらしく、頸動脈のあたりから血が噴いていた。

 しかしその噴き出した血が、新たな攻撃となって宇髄に襲い掛かって来る。

 

 宇髄は忍の一族だ。ただそれを誇りに思ったことはない。

 自分の子供達を殺し合わせた父親、唯一生き残りながらそれを何とも思わない弟。

 同じような存在になることが嫌で、宇髄は家を出たのだ。

 しかしそこで得た耐性が、毒を受けながら戦うことを可能にしているのもまた事実だった。

 

(円斬旋回を全て弾きやがった! 毒が効いてるくせになああ!)

 

 妓夫太郎は胸中で毒吐いたが、同時に自分がじわじわと勝利に近付いていることも気付いていた。

 いかに耐性や呼吸があろうとも、限界はある。

 あるいは毒の遅延だけに集中すれば、朝までは体を保たせることも可能かもしれない。

 宇髄、そして杏寿郎にはそれだけの実力と技術がある。

 

「くそったれが……!」

 

 宇髄の呻き声に、ほらな、と妓夫太郎はほくそ笑んだ。

 いくら頑張ったところで所詮は人間。この程度だ、と。

 とどめのために鎌を振り上げる。

 しかし振り下ろしの瞬間、腕が消えた。文字通り、肘から先がなかった。

 

 ――――風の呼吸・伍ノ型『木枯らし颪』。

 瑠衣だった。妓夫太郎の腕を斬り飛ばし、着地と同時に返す刀を振るってきた。

 それは妓夫太郎の注意を引くには十分で、斬られていない方の腕が瑠衣へと向かった。

 

(これで……!)

 

 瑠衣は、視界の端で宇髄が動くのを見ていた。

 妓夫太郎の腕を落とし、もう1本の腕が自分を攻撃しようとしている。

 噴き出した血の刃も、大半が瑠衣に向けられていた。

 このまま自分が妓夫太郎の攻撃を引き付けておけば、宇髄が頚を狙える。杏寿郎も戻って来る。

 問題は、瑠衣がいつまで妓夫太郎の攻撃を捌けるか、ということだった。

 

「弱いくせに邪魔すんじゃねえよなあ!」

 

 ――――風の呼吸・参ノ型『晴嵐風樹』!

 連続の斬撃。鋼の刃と風の刃でもって血の刃を迎え撃った。

 一撃を斬り払う度に、痺れるような感覚が両腕を襲った。

 

 ――――風の呼吸・壱ノ型『塵旋風・削ぎ』!

 刀ごと自身を回転させて、突撃した。

 血の刃の隙間を縫い、跳んで、妓夫太郎の鎌を掻い潜った。

 ばさっ、と、音を立てたのは、瑠衣の隊服の上着だ。

 

「なあっ?」

 

 それが、妓夫太郎の顔の右側にかけられていた。

 妓夫太郎は左眼を閉じていた。堕姫の額に第三の目が開いてからだ。

 鬼と言えど視界はある。瑠衣の上着は、その視界を一瞬奪った。

 しかし、そこが限界だった。

 

 空中で、帯のような足場もない。

 身動きが出来ないその状況で、妓夫太郎の背中から血の刃が噴き出すのを見た。

 それでも、瑠衣は抵抗を続けようとした。

 妓夫太郎の気を引き続けることが重要なのだ。それ以外は自分の命も含めて二の次だった。

 

「あぐっ!?」

 

 だから、宇髄に蹴りを入れられた時、一瞬何が起こったかわからなかった。

 

「地味なことしてんじゃねえぞ」

 

 耳に届いた宇髄の言葉の意味も、わからなかった。

 わからないままに吹き飛ばされて――宇髄にも余裕がなく、肋骨に罅が入る程の蹴りだった――瑠衣は、背中でどこかしらの建物の戸を破壊して、その中に転がったのだった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 上弦の参、猗窩座との戦いでもそうだった。

 あの時、兄は猗窩座の頚を斬るチャンスだったにも関わらず、『煉獄』を止めた。

 そして今、宇髄までもが同じことをした。

 それが何故なのか、瑠衣は今この瞬間も理解できずにいた。

 

「う……」

 

 肩から戸や桶の破片をパラパラと落としながら、瑠衣は頭を振った。

 軽い眩暈を感じたが、これは戦闘の反動だ。激しい運動の後に似ている。

 それでも日輪刀を放さなかったのは、体に染み込んだ鬼狩りとしての本能だろう。

 

「……音柱様。兄様!」

 

 戦いの気配がして、顔を上げた。

 外、それから上だ。

 

「禊さん……!」

 

 屋根の上でも戦いの気配がある。そちらは禊と堕姫だろう。

 一瞬、どちらの助勢へ行くべきか迷った。 

 禊1人で堕姫と戦うのは厳しい。しかし杏寿郎と宇髄は毒に犯されている。

 

 そう、逡巡した時だ。

 カタン、と、音がした。

 反射的に日輪刀を握り、そちらを振り向いた。

 

「え……」

 

 すると、そこに男がいた。

 若い男で、襟元に豪奢な刺繍の入った黒い洋装(ジャケット)を着ていた。

 室内だというのに洋物の帽子を被っていたが、不思議と奇妙には思わなかった。

 見るからに上流階級といった風で、花街の人間らしくはなかった。

 

 そしてそれ以上に、纏っている雰囲気が独特だった。

 静かだった。静すぎる程に。まるで男の周りだけ時間が停まっているかのようだった。

 それから、目だろうか。こちらを観察しているような目。

 まるで、蛇に睨まれているような心地だ。

 

「……どうしました?」

 

 男が、声をかけて来た。

 はっとする程に白い顔が、自分の方を向いていた。

 そこで、瑠衣は自分が極度に緊張していたことに気付いた。

 上弦との戦いで、気が立っていたのかもしれない。

 

「外が騒がしいようですが、何かあったのですか?」

「あ……外は今、危険なんです。だから避難を」

 

 男に避難するよう言おうとした時、頭上で何かが砕ける音がした。

 何だと思って視線を上に向けるのと、無数の帯が屋根を貫いて来るのはほとんど同時だった。

 瑠衣を狙ったものではなかった。禊を狙ったのだろう。

 その証拠に、帯は瑠衣に届く前に四方八方に動き、屋根を、梁を、柱を切断していった。

 

(崩れ……っ、倒壊するっ!)

 

 ――――風の呼吸・肆ノ型『昇上砂塵嵐』!

 男の前に飛び出し、瑠衣は崩れ落ちて来る瓦礫に対して刀を振るった。

 男は、そんな瑠衣の背中をじっと見つめていた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 降り注ぐ瓦礫を、ひたすらに斬った。

 とは言え、全てを斬ることは出来ない。

 だから瑠衣は刀を振るいながら背後の男の腕を掴むと、そのまま建物の外へと跳んだ。

 

「ぐっ」

 

 肩をしたたかに地面に打ち付けて、顔を顰める。

 その直後、足の方――つまりはついさっきまでいた建物が倒れる音を聞いた。

 土埃が舞い、軽く咳き込んだ。

 

「だ、大丈夫ですか? すみません、乱暴で……」

 

 自分のことより、居合わせた一般人の方が気になった。

 だが瑠衣の手には、掴んだはずの腕がなかった。

 男が着ていた衣服の袖が、その切れ端が手の中にあるだけだった。

 混乱した。確かに男の手を掴んだはずだった。

 

 ばっと顔を上げて、土煙の収まりかけた倒壊現場を見やった。

 長屋だったそれが、いくつかの残骸の山と化していた。

 まさかと青褪めて、瑠衣は急いで立ち上がった。

 そうして瓦礫の山に駆け寄ろうとした瞬間、無数の帯が残骸に突き立ち、切り裂いていった。

 

「あ、ああ……っ!」

 

 瓦礫が細切れになって飛び散る様に、瑠衣は悲痛な声を上げた。

 それでも足は駆け寄ろうと動いたが、しかしそれさえも許されなかった。

 帯が、こちらへ矛先を向けて来たからだ。

 瓦礫に隠れながら進んで来るものもあり、足を斬られかけた。

 すぐに周囲を囲まれる。帯の全てが瑠衣を狙っていた。

 

「――――ッ!」

 

 歯を噛んで振り仰げば、崩れた屋根の先端に立ち、月を背にして嗤う鬼がいた。

 死も破壊も気にせず、ただ己が愉しむために全てがあると、そう主張しているかのようだった。

 何が楽しい。この瓦礫の山を、破壊された花街を見て何を笑う。

 

「ぼうっとしてんじゃないわよ!」

 

 帯。しなる槍が瑠衣の頭上からそれを打ち払った。

 禊だった。着物があちこち破れて朱に染まっている。

 傷は見えないが、負傷しているのだ。

 

「次は構わないわよ!」

「すみません!」

 

 ――――風の呼吸・壱ノ型『塵旋風・削ぎ』。

 帯を斬り弾きながら、瓦礫の山を駆け上った。

 堕姫に刃先が届く寸前、足元から帯が飛び出して来た。

 鋼を削る独特の音を響かせてそれも斬り払い、跳躍した。

 

 壱ノ型の回転のままに日輪刀を振るい、擦れ違い様、頚を狙った。

 堕姫は反射的に頚を押さえて、着地する瑠衣を睨んだ。

 堕姫の指の間から血が流れていて、瑠衣はその血を目掛けて突進した。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 堕姫は強力な鬼だった。

 しかし妓夫太郎に比べれば数段劣る。ここまでの戦いでそれは良くわかった。

 上弦の参や肆には、及ぶべくもない。

 

「わたしがこの街でまだ禿をやってた時なんだけどね」

 

 10歳、いや9歳の頃だったろうか。

 女衒(ぜげん)――少女を遊郭に売る業者――相手にスリをして、うっかりと掴まり、遊女になるはめになった。

 当時は自分ともあろうものがやらかしたものだと思ったが、やってみると遊女(これ)が意外と自分に合っていた。

 

 持ち前の利発さと美しさで引込禿に選ばれ、将来の花魁として教育を受けた。

 禊は物覚えが良く、一度教えられたことは教養でも芸事でもすぐに覚えた。

 路地裏でスリをしていた少女が、金持ちの娘でも受けられないような英才教育を受けることが出来たのだ。

 10歳を過ぎた頃には、まだ禿でありながらすでに客がついていたくらいだ。

 

「まあ、その時の客の1人が荻本屋の旦那さんなんだけれども」

 

 男というのは本当に馬鹿だと、禊は思う。

 遊女に入れ込む男というのは特にそうだ。馬鹿しかいない。

 あまつさえ数年ぶりに再会した女に何くれと世話を焼こうとする。便宜を図り、庇おうとする。

 嗚呼、何と愛すべき愚か者だろうか!

 

「わたしが禿をしていた時、鬼が来た。その時あんたはいなかったみたいだけど」

 

 後で知った話だが、その鬼は下弦の鬼だったらしい。

 討伐に来た男はあっさり死んだ。その男が鬼殺隊というのも後で知った。

 初めて鬼を見た時、素晴らしいと思った。永遠の生、不死身の肉体、強大な力。

 そして何よりも、そんな強い鬼を倒し、勝利する悦びに震えた。

 

 閨で男を()()()()時とは比べ物にならない。

 人間ごときに負けるはずがないと思っていた鬼が、自分のような非力な娘に頚を斬られた瞬間、信じられないものを見るような顔をする。

 自分が強者だと信じて疑っていない者が、死を自覚した瞬間のあの表情の変化。

 その時、禊は腹の下から脳天に突き抜ける程の快感を覚えるのだ。

 

「まあ、つまり何が言いたいかっていうと」

 

 帯の中に飛び込みながら、禊は言った。

 

「あんた、あんまり()くないって話」

「減らず口の尽きないやつ……!」

 

 帯の攻撃を受けて、禊の槍が砕けた。

 ――――欺の呼吸・壱ノ型。

 

「その技は何度も見たわよ!」

 

 しかし槍が砕けても堕姫は油断せず、攻撃を続行した。

 禊の槍が分割できることは何度も見ていて、いい加減に同じ手は喰わんとばかりに猛攻を重ねて来た。

 禊の手から槍の部品が次々に弾かれていき、ついには無手になってしまった。

 それを見て、堕姫はようやく踏み込んできた。

 

「死ね、玉鬘!!」

 

 嗚呼、と禊は思った。

 この()()()()が、自分は好きなのだ。

 

「壱ノ型」

 

 改め、()・壱ノ型。

 

「『器械人形』」

 

 禊が掌を握ると、帯に弾き飛ばされた日輪刀の部品が、何かに引き寄せられるように()()()()()

 それらはそれぞれ堕姫の肩や足に突き刺さり、刺された堕姫は驚愕に目を見開いた。

 槍が突き立った勢いで体が揺れ、それが糸に繋がれた人形のように見えた。

 

(い、糸!? いつの間に!)

 

 禊の日輪刀の部品には、全てに隠し刃が仕込まれている。

 そしてそれらを繋ぐのは極細で強靭な鋼糸。

 帯という立体的な攻撃の最中、糸というこれまた立体的な仕掛けを施せたのは、禊という少女の天性の器用さによる。

 そして、無防備になった堕姫の頚に。

 

「はあああああっ!」

 

 ――――風の呼吸・伍ノ型『木枯らし颪』。

 瑠衣の刀が、振り下ろされた。

 それは確実に堕姫の頚を捉え、瑠衣は刀を振り抜いた。

 しかし瑠衣の手に伝わって来たのは、肉と骨を断つ独特の手応えではなく、それこそ布を斬りつけたような不可思議な感覚だった。

 

「あ……アンタ達なんかに、アタシの頚、が」

 

 頚が、帯のように平たくなり、柔らかくしなっていた。

 斬撃の威力をしなって受け流し、切断を免れている。

 未だかつて、こんな方法で頚を守った鬼はいなかった。

 

「斬れるわけないでしょ……!!」

 

 堕姫の頚は切れることなく、()()()とぶら下がっていた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 頚の帯化は予想外だったが、しかし瑠衣は慌てなかった。

 一度は頚を斬り落としているからだ。

 しなるよりも速く、あるいはしなっても受け切れない斬り方をすれば良い。

 そして斬撃の速度という点において、風は呼吸の中でも一、二を争う型だ。

 

 ――――風の呼吸・壱ノ型『塵旋風・削ぎ』!

 堕姫の体にはまだ禊の日輪刀が突き立ったままだ。再生するには抜く必要がある。

 その(いとま)を与えない。連続で斬る。頚を斬り落とすまで。

 分厚い絨毯を斧で切断するように、帯化した頚を刃で何度も()()()()()

 

(き、斬られる)

 

 頚の筋肉の繊維が体内で悲鳴を上げていて、堕姫は背中に冷たい汗を流していた。

 頚が斬られても()()()()が、それでも日輪刀による頚の切断は鬼にとって本能的な恐怖だ。

 太陽の鉄が肌に触れる感触は、それだけでも不快なのだ。

 それが自分の急所を何度も斬りつけられるというのは、鬼の精神ですら擦り減らす。

 

「お、おに」

 

 ――――風の呼吸・捌ノ型『初烈風斬り』。

 堕姫の帯化した頚に微かに出来た裂け目、そこに両手で握り込んだ日輪刀を振り下ろす。

 渾身の力で振り下ろされる刃に肌を粟立たせて、堕姫は叫んだ。

 

「お兄ちゃあああああん助けてえええええええ!!」

 

 叫んだところで、妓夫太郎は来れはしない。

 宇髄と杏寿郎が押さえている。だから瑠衣は構わずに日輪刀を振り下ろした。

 しかしそれは、堕姫の頚に当たることはなく。

 

「俺の妹を泣かすんじゃねえよなああ」

 

 真っ赤な血鎌によって、受け止められてしまった。

 妓夫太郎。しかし何故と考える前に、瑠衣と禊は動いていた。

 先手を取る他に手がないからだ。だが妓夫太郎の速度は2人を遥かに凌いでいた。

 血の刃が目の前で渦を巻く。

 

 ――――炎の呼吸・壱ノ型『不知火』。

 その血の刃を、駆け付けた杏寿郎が斬った。

 彼は妹の腰を抱え込んで、技の勢いのままに妓夫太郎から離れた。

 

「兄様、すみません!」

「いや俺の方こそすまん! 奴を止めきれなかった!」

 

 杏寿郎の顔は、毒のせいか土気色になりつつあった。

 何度か血を吐いたのか、口元には拭った跡が見える。

 もう時間をかけてはいられなかった。

 そしてそれは、杏寿郎に続いて駆けつけて来た宇髄が一番よくわかっていた。

 

(くそったれ。毒が地味に効いてきていやがる……!)

 

 妓夫太郎と斬り合いながら、宇髄は自分の動きが少しずつ鈍ってきていることに気付いていた。

 口内にせり上がって来た血を、何度飲み込んだことか。

 指先の感覚がほとんど消えていて、技の精度が目に見えて落ちてきている。

 妓夫太郎の体から血が噴き出し、再び渦巻いて襲い掛かって来た。

 宇髄はそれらを全て迎撃したが、血の刃が消えた後、妓夫太郎の姿が消えていた。

 

「……!」

 

 妓夫太郎が向かったのは、禊だった。

 

「お前が俺の可愛い妹を泣かせたのかああ?」

「は? 何それキモい」

 

 言いつつ鋼糸を手繰ったが、日輪刀は戻らなかった。

 違和感に視線だけ向ければ、日輪刀の部品は堕姫の体に刺さったままだった。

 ()()()()。堕姫の肉が掴んで離さなかった。

 にやりと、堕姫が嗤っていた。

 

「死ね」

 

 ――――油断した。

 この時、禊が思ったのは「あーあ」だった。

 それ以上でもそれ以下でもなく、ただ「あーあ」と思った。

 

 これだから愚図と組むのは嫌なのだ、と。

 まあ、良い子ちゃんのあの子(瑠衣)と違って、杏寿郎や宇髄が自分を庇う義理もない。

 というか、自分が杏寿郎や宇髄の立場でも、自分のような者をあえて庇おうと思わないだろう。

 だから2人や瑠衣が必死そうな顔で動こうとしているのを見ても、やはり「あーあ」としか思わなかった。まして。

 

「玉鬘さんっ!!」

 

 まして、日輪刀を振り上げた千寿郎が飛び出して来た時などは。

 え、と思い。

 

「あんた何してんの!?」

 

 と、叫んだのだった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 ――――炎の呼吸・壱ノ型『不知火』。

 杏寿郎と全く同じ型。師も同じなら剣筋も同じ。

 違いがあるとすれば、練度だろう。

 

「何だあ、お前」

 

 杏寿郎の技でさえ物ともしない妓夫太郎に、通じるはずもなかった。

 千寿郎の斬撃は血鎌の一振りで弾かれ、返す刀でそのまま殴られた。

 ぎゃっ、と悲鳴を上げて、千寿郎が地面に打ち付けられる。

 

「ぐ……」

 

 それでも煉獄家の剣士、鍛え方が違う。気絶はしなかった。

 しかし手をついて顔を上げた途端、千寿郎は固まってしまった。

 妓夫太郎の発する鬼気に、全身を押さえ付けられるような錯覚を覚えたのだ。

 

 思えばこれ程の鬼気に、害意に、殺意に晒されたのは初めての経験だった。

 当然と言えば当然だ。千寿郎はまだ剣士になったばかりなのだ。

 いかに煉獄家で育ったとは言え、鬼狩りの経験は他の新人と大差がない。

 それなのに、いきなり上弦の前に出てしまった。金縛りに合うのも無理は無かった。

 

「千寿郎――――――――ッッ!!」

 

 瑠衣は悲鳴を上げた。

 血の気が引くとは、まさにこのことだった。

 このままでは千寿郎が死ぬ。しかし。

 

「千じゅ……ごほっ」

 

 動こうとした杏寿郎が、吐血して膝をついた。

 宇髄は攻撃を捌いた直後で体勢が悪い。禊は無手だ。

 自分しかいない。千寿郎を救えるとしたら自分しかいない。

 

 だが杏寿郎に救われたことによって、妓夫太郎のところまでは距離があった。

 壱ノ型をやるには回転が要る。伍ノ型をやるには高さが要る。最低でも二動作かかる。

 間に合わない。どう考えても妓夫太郎の方が一動作速い。

 一動作で、妓夫太郎のところまで行かなければ間に合わない。

 

(死ぬ! 千寿郎が死ぬ! 殺される! 駄目、駄目、駄目――――駄目ッ!!)

 

 最速が必要だ。

 妓夫太郎が血鎌を振り下ろすよりも、血鎌が千寿郎の頚を刎ねるよりも。

 その一動作よりもなお速く。だがそんな技を瑠衣は持っていない。

 どうすれば良い。どうすれば杏寿郎が自分を救ってくれたように、弟を。

 

 視界の中、妓夫太郎の腕が振り下ろされ始めたのを見た。

 

 その瞬間、瑠衣は己の中から感覚が消えるのを感じた。

 千寿郎、と、自分の口が発した音でさえ、聞こえなかった。

 思考も感覚も置き去りにして、肉体だけが突き動かされた。

 視界にいるのは千寿郎だけ、脳裏に浮かぶのは自分を救ってくれた杏寿郎の姿だけ。

 

 ――――風の呼吸。

 

(千寿郎、千寿郎千寿郎千寿郎――――千寿郎ッ! 助ける! 絶対に!)

 

 ――――壱ノ型。

 

(ああああああああああっっ!!)

 

()()()』。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 宇髄達が上弦の鬼と会敵。

 その報はすぐに鬼殺隊本部の産屋敷耀哉の下に届き、彼は病床よりすぐに指示を出した。

 それは、宇髄達への援軍の指示だった。

 上弦の鬼は柱でさえ倒せない。100年不敗はけして誇張ではないのだ。

 

 上弦の鬼との遭遇は、ほとんどが偶然だ。

 それ故に歴代の柱達は未知なる上弦の鬼に1人での対応を強いられ、敗れてきた。

 しかし今回は宇髄が入念に調査していたこと、それによって吉原という地域にまで絞り込めていたこと、隣接する地区を担当する柱を吉原側に()()()いたことで、援軍が可能となった。

 

「まったく、また上弦か。最近は鬼共の動きが目に余る。鬼に振り回されるなど不快極まりない」

 

 蛇柱である伊黒は、宇髄救援の命が出るやすぐに動き出した。

 というより、上弦との遭遇の可能性を聞いた段階で警備地区の境界線ぎりぎりまで出向いていた。

 最近はこういう役回りが多い。慣れたものだった。

 

「しかし杏寿郎も瑠衣も、よくよく上弦に縁があるのか。これも血の成せる業か。だとすれば因果なことだが」

 

 そんな伊黒の独白を聞くのは、ただ蛇の鏑丸だけだった。

 

「あら、伊黒さんはもう出発したのですか? それはそれは、随分とせっかちですねえ」

 

 そして今1人、産屋敷が援軍として送り込んだ柱がいた。

 蟲柱・胡蝶しのぶである。

 お館様の直命以外で蝶屋敷を離れることがない蟲柱。

 他の柱ではなく、その彼女が動くということは、単純な戦力とは別の面を期待されているということだろう。

 そしてそれは、しのぶ自身も良くわかっていた。

 

「それにしても、上弦ですか……上弦の鬼」

 

 吉原の花街を目指して駆けながら、しのぶは幾度か「上弦の鬼」という言葉を言の葉に乗せた。

 まるで年頃の娘が、舌の上で飴玉を転がしでもするかのように。

 何度も声に出して、上弦の鬼という言葉を繰り返した。

 その言葉が、しのぶにとっていかに重要な意味を持つのかが窺い知れた。

 

「私の探している鬼だと、良いのだけれど」

 

 しのぶは、ある上弦の鬼を探していた。

 探し出し、見つけ出して、そして頚を斬るために。

 だから今回の任務――宇髄の援護と上弦討伐――についても、冷静な見た目とは裏腹に、並々ならぬものを抱いていた。

 ただ表情だけは、いつも通りの柔らかな微笑に包まれていた。




最後までお読み頂き有難うございます。

上弦の陸戦はお気に入りのシーンなので、書いていてとても楽しいです。
そのせいでついつい長くなってしまうのですが、それもそろそろ終わりが近付いてきている感じです。
次回で決着させるつもりですが、どんな形にしようか悩むところです。

それでは、また次回。
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