ご注意下さい。
鬼、と呼ばれる存在がいる。
人間よりも遥かに強い力を持ち、時として人間に害をなす存在として、古くから恐れられてきた存在である。
しかし時は大正。
鬼は多くの神や妖怪同様、子供騙しのお伽噺に過ぎなくなっていた。
今や大人も子供も「そんなものいるわけがない」と笑い飛ばしてしまう。
しかし、鬼は実在する。
彼らは今も闇に潜み、人を襲い、喰らっていた。
神隠し。未解決の誘拐事件。その多くは鬼の手によるものである。
そんな鬼の魔の手から、人々を守るべく戦う者達がいた。
背に「滅」の一字を背負い、日輪の刀で鬼を斬る。
彼らの存在を知る人々は、畏敬の念を込めて彼らをこう呼んでいた。
――――鬼狩り、と。
◆ ◆ ◆
ちゅんちゅん、と、小鳥の鳴く声が聞こえる。
障子越しに柔らかな光が部屋に差し込んでいて、陽がすっかり昇り切っていることを教えてくれる。
8畳の広さの部屋には畳特有のい草の香りに加えて、部屋の主のものなのだろう花の香りが微かに漂っている。
桐箪笥や鏡台等の家具類の他、古びた市松人形と女性の色が見える一方で、刀掛けに置かれた日本刀が異彩を放っていた。
それから、布団だ。
こんもりと膨れたそれは中に誰かがいるのは明白で、しかもスースーという規則正しい寝息まで聞こえていた。
枕のあたりで長い黒髪が乱れ散っていて、女性らしいというのもわかった。
やがてそれはもぞもぞもと動き出し、ごろりと寝返りを打ったようだった。
「う――……ん」
寝返りの拍子に布団から顔を出し、眠たげに目を擦る。
すると障子越しの陽の光が顔にかかり、うっと小さく声を上げた。
そこで初めて薄目を開けて、自室の天井をぼんやりと眺め始める。
しかしそこまでだったようで、障子に背を向ける形で再び寝返りを打ち、目を閉じた。
いわゆる二度寝というやつで、すぐに規則正しい寝息が……。
「…………うわあっ!?」
聞こえたところで、掛け布団が跳ね上がった。
中から飛び出してきたのは、薄い花柄の襦袢を着た少女だった。
背中にかかる程の長い黒髪に、赤みがかった瞳。
瑠衣だった。
彼女は陽がすっかり高くなっていることに気が付くと、見るからにあわあわと慌て出した。
それでもこうしてはいられないと思い立ったのか、布団を畳み、部屋の隅へ運ぶ。
鏡台に座って櫛で髪を梳かして、襦袢を変えて着物を用意し、と大忙しだ。
驚きなのは、それらの動作を大した足音も立てずに行っていることだろうか。
「えーと……」
それまで手早く身支度を整えていた瑠衣だが、ふと手を止めた。
着替えを済ませて髪をまとめる段になって、小箱の前で人差し指を前後左右に揺らす。
どうやら、髪留めを選んでいるらしい。
細工はそれぞれに違うが、瑠璃色の髪留めというのは共通していた。
やがて1つを選び取ると、鏡の前で髪を一束ねにし、右肩の前に垂らした。
「よしっ」
胸の前で握り拳を作り、身嗜みが整ったことに満足げな表情を浮かべた。
そこから数歩移動して、刀掛けに置かれていた日本刀を手に取った。
それなりの重さのはずだが、そうは感じさせない手の動きだった。
僅かに抜くと、
刀身に映る自分の顔。
白い顔だ。大人びているようでもあり、幼いようでもある。
そこに何かを見るように目を細めて、刀身を鞘に戻した。
そして刀を持ったまま振り向いて――――ゴッ、と、足先を箪笥にぶつけた。
あっ、と思った時には、もう遅かった。
「~~~~~~~~ッッ!!」
声にならない悲鳴が、響き渡った。
◆ ◆ ◆
人喰いの鬼を狩る「鬼狩り」達の集団。
その原型は戦国の世には出来ていたともされる、政府非公認の組織。
数百人の隊士からなる巨大な組織だが、その存在を知る人間はほんの一握りである。
そして煉獄家は、その鬼殺隊における名門ともいうべき家である。
鬼殺隊の黎明期から現在まで「炎の呼吸法」を伝えており、その歴史の長さ、そして
隊の最高幹部を示す称号「柱」。その一席が煉獄家の指定席とすら言われるのはそのためだ。
瑠衣は、その煉獄家の一員として鬼殺隊に属しているのだった。
「おかわりだ!」
広々とした居間に、若い男の声が響いた。
獅子の鬣のように波打つ明るい色の髪に、相当に鍛えているのか胸板は厚く、身長も相まって威圧感さえ感じられる。
煉獄
笑顔で突き出されたお茶碗を受け取り、瑠衣はしゃもじ片手に笑った。
「兄様、もう8杯目です。朝から少し食べ過ぎですよ」
「そうか! だが瑠衣の作ってくれた飯が美味いからな!」
正座した瑠衣がお
瑠衣は口では食べ過ぎを心配して見せたが、8杯目のそれを嬉しそうに受け取る杏寿郎の顔を見ると、それ以上は止める気にならなかったようだ。
一口食べる事に「うまい!」と褒められるのも、満更ではない様子だった。
「でも姉上。昨日は遅くに任務から戻ったばかりなんですから、今日くらいは休まれていても良かったのに。食事の支度なら僕でもできますから」
瑠衣にそう言葉をかけたのは、杏寿郎をそのまま小さくしたかのような少年だった。
煉獄
こちらは顔立ちにまだあどけなさをはっきりと残していて、口元にご飯粒までつけていた。
米粒を指先で取ってやりながら、瑠衣は言った。
「そんなヤワな鍛え方はしていないから、大丈夫。それより、千寿郎はあと3杯は食べなきゃダメよ。小食じゃ立派な剣士になれないんだから」
「姉上だって1杯しか食べないじゃないですか」
「女子は小食でも立派な剣士になれます」
「それはちょっと理不尽なような……」
鬼殺隊には入隊する者はそれぞれに多様な事情を抱えているが、「家業だから」という理由で、生まれた時点で入隊が決まっている者は稀だ。
そして瑠衣達自身もまた、己が鬼狩りとして生きていくことを
「3人とも」
しかしだ。そうは言っても若造に小娘、そして子供だ。
剣士としても、人間としてもまだ未熟だ。
鬼狩りの名門・煉獄家の人間として、鬼殺隊の支柱となるにはまだまだ早い。
今はまだ、彼らの代ではなかった。今は……。
「仲が良いのは良いことだが、もう少し落ち着いて食べなさい」
「「「はい」」」
3人が素直に頷いた先、上座に1人の男が座っていた。
杏寿郎や千寿郎によく似た――というより、2人がこの男性に似ていると言うべきか――男で、2人が年を重ねればこうなるだろう、という容姿だった。
彼の名は煉獄
瑠衣達3人の父親にして、鬼殺隊において「
◆ ◆ ◆
柱とは、数百人いる鬼殺隊士の中で最も位の高い剣士である。
人数は最大で9人。まさに鬼殺隊を支える支柱ともいうべき存在だ。
炎の呼吸法を伝承する煉獄家は、代々炎の柱、すなわち「炎柱」を輩出している。
今の代の炎柱こそが、この槇寿郎というわけだ。
齢はすでに40を数え、さらに柱となって10年を超えている。
引退した隊士達を除けば、槇寿郎は鬼殺隊最古参の剣士と言っても過言ではなかった。
年齢を重ねても剣技に衰えの色は見えず、頸を狩った鬼も百や二百ではきかない。
全鬼殺隊士の尊敬を一身に集める父・槇寿郎のことを、3人の子供達も一様に尊敬していた。
特に瑠衣はそうだった。
「あの、父様。おかわりはいかがですか?」
「そうだな。貰おうか」
ほう、と、瑠衣は溜息を吐いた。
片手にしゃもじを持ったまま、もう片方の手で頬を押さえている。
気のせいか、微かに頬の赤みが増しているようだった。
(父様、今日もカッコ良いなぁ)
杏寿郎や千寿郎の親だけに、槇寿郎もまた整った顔立ちをしている方だ。
鍛えているせいもあるのか、肉体も年齢による衰えを感じさせない。
数年前に妻――瑠衣達にとっては母にあたる――に先立たれてから、再婚話も毎年のように持ち上がって来る程だ。最も、もちろん槇寿郎はその全てを断っていたが。
ただ、瑠衣が見ているのはそういうところではないようだった。
(またお
顎の下、その左右である。他は綺麗に剃られているのにそこだけ数本の剃り残しがあった。
見えにくい位置だ、不器用な人間には辛いところだろう。
そこにいるだけで空気が緊張する感すらある槇寿郎だが、よくよく見てみると、そういうところがちらほらと見えていた。着物の衿とか。
そんな父の
理解していない顔の父、生温かい目で見守る兄弟。
穏やかな時間。
こういう何でもない時間が、瑠衣は好きだった。
「父様、今日は」
手を打って、瑠衣が槇寿郎に話しかけた時だった。
「ガア――――――――ッ!」
外から、けたたましい鴉の鳴き声がした。
瞬間、その場にいる全員の表情が変わった。
杏寿郎が立ち上がり、勢いよく障子を開けると、廊下に1羽の鴉がいた。
「任務――ッ。杏寿郎! 瑠衣! 任務デアルッ。ソレゾレ指定ノ地ニ向カエッ」
鎹鴉。
鬼殺隊士の連絡手段であり、特別な教育を施された鴉だ。
中でも煉獄家の鴉は個々人につく一般の鴉と違い、いわば血統書付きの鴉だ。
同じ血統の鴉が連綿と煉獄家を担当していると言えば、わかりやすいだろうか。
そして鎹鴉の告げる任務とは当然、鬼狩りである。
鬼殺隊士はいついかなる時であろうと、鴉に任務を告げられれば従わなければならない。
鬼を野放しにすれば、人が死ぬ。それを防げるのは鬼殺隊士だけなのだから。
「任務か、承知した! 瑠衣、10杯目はまた今度にしよう!」
「はい兄様。それでは父様、行って参ります」
「うむ」
「あ、後片付けは僕がやっておきます。兄上も姉上もお気をつけて」
「ありがとう、千寿郎」
床に伏して父に礼をし、笑顔を浮かべて千寿郎に礼を述べて。
そして、杏寿郎の背を追った。
「瑠衣! 長治郎によると俺は南、お前は北のようだ!」
「はい、兄様」
「お前なら特に心配はしていないが」
「わかっています、兄様」
兄の言葉に、瑠衣はにっこりと笑って言った。
「見鬼必滅。鬼は見つけ次第に頚を斬ります」
鬼を逃がせば人が死ぬ。
そのことを、瑠衣は身をもって知っていた。
◆ ◆ ◆
鬼殺隊士の移動は、基本的に徒歩である。
理由としては、鬼殺隊が政府非公認の組織であることが大きい。
今は廃刀令の時代、帯刀して堂々と移動することは難しい。
なるべく目立たないよう、密かに移動するに越したことはないのだ。
「これはまた、自然豊かというか何というか」
もちろん、それだけが理由ではない。
鬼も普段は人の目を忍んで生きるので、都市部からは離れた場所に縄張りを持つことが多い。
要するに駅があるような大きな町は、食事には困らない代わりに見つかるリスクも高いのだ。
大勢の人間に見つかってしまうと、不死身の鬼と言えど色々と不都合が出てくる。
そうなると、鬼殺隊士の任務も地方でのものが多くなってくる。
例えば瑠衣が今いるような――数軒の人家と田んぼがあるのみの――寂れた農村だ。
こういう場所では、人が鬼に襲われても「野生の動物の仕業だろう」ということで済まされることが多く、鬼殺隊に情報が伝わらないということもままある。
当然、鉄道の駅などはない。
あるいは最寄りの町までは鉄道を使ったとしても、最後は結局徒歩になるのだ。
「カア――ッ! コノ村周辺ノ山ニ、鬼ガ潜ンデイル!」
すぐ頭上で、鎹鴉の長治郎が鳴いている。
この農村は四方を山に囲まれていて、人の往来も少ない。
木造の古びた家々以外には、のどかな自然が広がっているばかりだった。
「夜毎ニ鬼ガ啼ク! 村人達ガ怯エテイルッ、カア――!」
「鬼が啼く……? どういうこと?」
「不明! 不明! 調査ガ必要ッ!」
調査となると、まず聞き込みから始めなければならないだろう。
まあ、幸か不幸か小さな農村だ。
そう時間はかからないだろうと、そう思った時だった。
「うん?」
道を進んでいると、誰かの後ろ姿が見えた。
村人かと思ったが、すぐに違うとわかった。
瑠衣と同じ、背中に「滅」の一字を背負う黒い詰襟を着ていたからだ。
鬼狩りの刀を腰に差しているのも見える。
鬼殺隊士だ。
基本的には1人で行動することが多い鬼殺隊士だが、時として共同で任務に当たりことがある。
相手の鬼が強かったり、捜索範囲が広かったり、理由は色々だ。
そしてその後ろ姿は、瑠衣の知っている人間だった。
「――――
「ああ?」
こんな場所で呼び止められると思っていなかったのだろう、その青年は不審げに振り向いた。
ツンツンと跳ねが強い黒髪に、どこか皮肉そうな色を浮かべた瞳。
首元に勾玉の飾りをつけていて、陽の光を反射していた。
顔立ちは整っている方だと思うが、険しく立てられた眉のせいかキツい印象を受ける。
瑠衣が傍まで駆け寄ると、表情はさらに険しさを増した。
「お久しぶりです、獪岳さん。最終選別以来ですね」
最終選別というのは、隊士見習いの卒業試験のようなものだ。
鬼のいる山で7日7晩生き抜くというのがその内容で、突破率は良くて3割というところだ。
瑠衣はその最終選別の際、この獪岳という青年と一緒だった。
わかりやすい言い方をすれば、鬼殺隊の同期である。
「……獪岳さん?」
最も、同期だから任務まで一緒になるというわけではない。
会わない時は会わないもので、実際、瑠衣と獪岳は今日まで任務を共にしたことがなかった。
しかし再会を素直に喜んで見せる瑠衣に対して、獪岳は険しい表情のままだった。
そして、不思議そうに首を傾げる瑠衣にこう言った。
「気持ち
ビキッ、と、どこかから音が聞こえたような気がした。
◆ ◆ ◆
一瞬、空気が死にかけた。
しかしすぐに持ち直して、瑠衣は口元に手をやって微笑んだ。
「獪岳さんもお元気そうで何よりです」
どうやら聞かなかったことにしたらしい。
それはそれは完璧な微笑みで、大抵の者が今の瑠衣を見れば、悪い気にはならないだろう。
しかし、獪岳は違ったようだった。
「気持ち悪い」
二度目だった。
流石に繰り返されると思うところもあるのか、瑠衣の眉がピクリと動いた。
しかし微笑みは崩さない。
それを見て、獪岳はようやく振り向いた。
こちらの表情は皮肉そうな、どこか人を見下すようなそれだった。
「何だ、お前。その気持ち悪い喋り方はよ。そもそも俺に気安く話しかけてくるんじゃねえ」
「……
「ハッ、嗜みね。まあまあ良い
「同期同士にも礼儀は必要でしょう?」
「同期同士?」
上空で、2羽の鴉が飛んでいた。
瑠衣の鴉と、獪岳の鎹鴉だろう。
地上の2人とは違って、親し気な様子で鳴き合っている。
お互いの近況でも話し合っているのだろうか。のどかなことだ。
瑠衣は、目の前の獪岳をじっと見つめていた。
今の会話でも十分だったが、この同期の青年はどうも口が良くない。
昔からと言えばそうだが、これでは……。
「ハハッ。まさかお前、自分が俺と同格だとか思ってんのか?」
「……ッ」
突然、口元に当てていた手を掴まれた。
動きが速く、避ける間もなかった。
手首を強く握られて、流石に痛みに顔を
ぎりぎりと、骨が軋む程の力だった。
「こんなに弱いくせに?」
「……痛いです。手を放してください」
「痛い? この程度で痛がってる奴が鬼を狩れるのかよ。良い家のお嬢さんはそれでも出世できるんだからな、楽で羨ましいぜ。炎の呼吸の家に生まれて、でも
「…………獪岳さん」
「お? 怒ったのか?」
瑠衣の顔を覗き込むようにして、獪岳が哂った。
微かに、本当に微かにだが、腕が瑠衣の側に動いていた。
瑠衣が、腕を引いている。
「
「……
「ハハッ、怒ったのかよ? いいな、久しぶりに見せてみろよ。本性をよ」
「いい加減に」
互いの腕から、不穏な音がして。
――――その時、2人の間におにぎりが差し入れられた。
◆ ◆ ◆
おにぎりを差し入れて来たのは、瑠衣や獪岳と同じ詰襟を着た女性だった。
腰に刀もある。鬼殺隊士だ。
流石に3人目の隊士がいるとは、予想していなかった。
「まあまあ、2人とも落ち着いてください。おにぎりでも、どうぞ」
そして、おにぎりである。
竹の皮で包んだそれは、良いお米を使っているのだろう、白く輝いているように見えた。
その女性は、それを瑠衣と獪岳の間に差し出していた。
あまりにもいきなりだったので、瑠衣も獪岳も面食らっている様子だった。
毒気を抜かれたのか、獪岳が舌を打って瑠衣の手を放した。
おにぎりには手をつけず、そのまま背を向けてしまう。
女性隊士はそれに少し傷ついた様子で、瑠衣に縋るような目を向けてきた。
「おにぎり……」
「えーと……はい、いただきます」
断るのも忍びなくなって、瑠衣はおにぎりを1つ手に取った。
期待に満ちた
すると。
「あ、美味し……」
と、思わず口をついて出てしまった。
程よい固さに握られたお米に、口に含んだ途端に竹の風味が広がって、そして控えめな塩の味。
正直、自分よりも上手だと瑠衣は思った。
ちらりと女性隊士の顔を見ると、とても明るい笑顔を浮かべていた。
どやさ。
「初めまして。私の名前は
「こちらこそ、よろしくお願いいたします。煉獄瑠衣、お気軽に瑠衣とお呼びください」
おにぎりを食べ終えた後、改めて自己紹介を交わした。
なお、獪岳は背を向けたまま無視していた。
「村の皆さんへの聞き込みは私の方で終わらせてあります。私はお2人よりも1日早く到着したので、その間に」
柚羽は、左目に眼帯を着けていた。
見えないのか怪我なのかはわからないが、鬼殺隊士は互いの傷に触れないのが不文律だ。
だから瑠衣は聞かなかったし、柚羽も説明はしない。
ただ
それから、瑠衣と同じように羽織を着ていた。桜柄の可愛らしい羽織だ。
2つに分けられた長い髪は、髪先が陽に当たると蒼く透けて見える。
おにぎりには面食らったが、話しているとこちらまで優しい気分になる。
そんな女性だった。
「それによると、どうも鬼は複数体いるようなのです」
「複数?」
柚羽の言葉に、瑠衣は首を傾げた。
鬼は基本的に群れを作らない。
生き物としての習性なのか、縄張り意識が強いのか、鬼同士が同じ場所にいると争い始める。
だから複数の鬼が同じ場所にいるのは、非常に珍しいことだった。
「私も昨晩、確認しました。確かに複数の鬼の声が明け方まで断続的に聞こえてきました」
「ハッ、鬼がいるのをわかっていて狩りに行かなかったのか。カスだな」
「…………獪岳さん」
「ああ? 何だよ、本当のことを言って何が悪い?」
「いえ、ちゃんと話を聞いてたんですね」
「…………」
などというやり取りをよそに、柚羽は指を3本立てた。
3体。
それが、この地に巣食う鬼の数だった。
◆ ◆ ◆
山は思ったよりも険しく、森は深かった。
太い幹の木々がいくつも並び、道らしい道もない。獣道くらいだ。
幸い陽光は木々の隙間から十分に漏れていて、足元を確認しながら進むことができた。
邪魔な枝や蔓は、村で借りることができた鉈を振るって切り落としていく。
「長治郎のおかげで、帰り道の心配がないのだけは有難いけど」
ともすれば道に迷ってしまいそうだが、鎹鴉の支援があればまずそんなことは起こらない。
しかし鉈で道を切り開かなければならない程に、人が通った形跡がない山だ。
農村の者達も、鬼を恐れて近付かないのだろう。
まあ、村人達が言っているのは伝承や言い伝えとしての鬼だが。
あの後、3体の鬼を1人ずつ相手にしようということになった。
3人で1体ずつ相手すれば良いと思うかもしれないが、できない理由がいくつかあった。
まず、獪岳が瑠衣や柚羽と協力して鬼を狩ることを拒否したこと。
1体を狩れば他の2体が逃げてしまうことが考えられるので、なるべく同時に狩る必要があったこと。
「それにしても……人もだけど、鬼も通った形跡もないなんて」
鬼は基本的に人間と同じ姿をしている。
身体能力は比較にすらならない程に高いが、夜毎に啼き喚くような鬼が、痕跡を残さないように移動するような警戒心を持っているとは思えない。
というか、そもそもどうして夜に啼くのか? それも3体もだ。
「うーん……」
しばらく進んでいくと、瑠衣はあるものを見つけた。
山の岩肌に深い亀裂があり、中はどうも洞窟になっているようだった。
見上げると木々の間から青空が見える。まだ陽は高い。
鬼は陽の下を歩けないので、昼間はどこか陽光の射さない場所に籠る習性がある。
太陽の下に晒されれば死ぬ。それが鬼だ。
「絶好の隠れ場所、ですよねえ」
亀裂の端に、何かで引っ掻いたような傷もあった。
近付いて中を覗くと、思ったよりも深く、暗そうだった。
調べないわけにもいかないが、同時に背筋が冷たくなる程の危険も感じる。
幸いマツの枯れ枝には困らなかったので、火打袋――煉獄家の家紋つき――から道具を取り出して、松明を作った。
「さて……」
洞窟の中に光源はない。松明の光も頼りない。
正直、かなり入りたくない。
ふう、と息を吐いて、瑠衣はそれでも一歩を踏み出した。
陽が落ちればそれこそ危険だ。
洞窟は、奥に進む程に広くなっているようだった。
剥き出しの岩が四方にあり、圧迫感を強く感じる。
狭い場所が苦手な人間なら、ものの数分で発狂しかねなかった。
まあ、そういう人間はそもそも洞窟になど来ないだろうが。
「うわっ」
ばさばさと音がするから何かと思えば、天井のあたりに蝙蝠が張り付いていた。
山の洞窟なので当たり前と言えばそうだが、それでも気味が悪かった。
しかも洞窟はまだ先がありそうなのに、松明の火が揺らいできていた。
もう一本、作っておけばよかったかもしれない。
そんなことを考えた時だった。
「ん……」
また、ばさばさという音が聞こえた。
今度は先程よりも大きい、距離が近いというよりは、音の源が
瑠衣が
「――――ッ!」
バシンッ、と、松明を持つ手に衝撃が走った。
◆ ◆ ◆
そもそも、何故3体の鬼がこれほど近い3つの山に巣食っていたのか。
3体の鬼の1体――土の中に潜んでいたので土鬼と仮称しよう――が、相対した柚羽に対して、それはもうベラベラと話してくれた。
一言で言えば、縄張り争いだったらしい。
「ゲーゲッゲッ。あの村には俺が一番最初に目をつけたんだ! それを後から来たアイツらが邪魔しやがったんだ!」
土鬼は陽光を避けて地中に潜んでいるようで、話すのも地中からだ。
だから姿は見えないが、空腹だったのだろう、通りがかる形になった柚羽を狙った。
地中に穴を掘っており、柚羽を引きずり込んで喰うつもりなのだ。
まあ、生きるために獲物を必死に探すというのは生きとし生けるもの全ての共通事項だ。
これが狐や狼であったなら、あるいは柚羽も自然の摂理というものを感じたかもしれない。
しかし相手は鬼であり、そして柚羽は鬼殺隊士だった。
だから彼女は、刀を両手で振り被った。
その口から、風が逆巻くような独特の音が響いている。
次の瞬間、柚羽の足元が崩れた。土鬼が穴を掘り、土を崩したのだ。
「貴様も俺のエサになれえッ!!」
「馬鹿も休み休み言いなさい。誰が貴方のエサになどなるものですか」
――――水の呼吸・捌ノ型『
しかしその時には、すでに柚羽は斬撃を繰り出していた。
遥か高所より水流を叩き付けるような、まさに滝の如く重い一撃が、穴の底でぎょっとした顔をする鬼の顔面に叩き込まれる。
「貴方に食べさせる御飯はありませんよ」
地の底から、この世のものとは思えない断末魔が響き渡る。
柚羽の涼やかな顔に、鬼の血が飛び散った。
「手間をかけさせるんじゃねえよ、ゴミが」
――――雷の呼吸・弐ノ型『
一方で、獪岳は相手の言うことをごちゃごちゃと聞くつもりはなかったらしい。
山中の崩れたお堂に潜んでいた鬼を見つけるや、一言も発さずに刀を抜いた。
そして、抜いた時には鬼の四肢と頚がバラりと床に散らばった。
瞬きの間に連続の斬撃を繰り出し、鬼の身体をバラバラに切り裂いたのだ。
獪岳の刀身は黄色く、また稲妻のような独特の紋様が走っていた。
彼の刀と瑠衣の刀は「日輪刀」という括りでは同じ刀だが、持ち主の性質によって色や紋様が変わることがある。だから日輪刀は「色変わりの刀」とも呼ばれる。
太陽に最も近き山、陽光山の鉄で打たれた特別な刀だ。
超越生物である鬼を倒せる、ほとんど唯一の武器とされている。
「ちっ。こんな雑魚鬼じゃあ、いくら狩ったって意味がないぜ」
鬼は陽の光を浴びると溶けて消える。
日輪刀は陽の光を吸収する特殊な鉄で打たれているため、これで頚を斬られると、鬼は陽光を浴びたかのように消滅するのだ。
獪岳が斬り捨てた鬼も、ボロボロと崩れて消えていく。
「これで
超常の鬼を一蹴したというのに、喜んだ様子もなく。
むしろ不満そうに鼻を鳴らして、獪岳は刀を鞘に納めるのだった。
◆ ◆ ◆
(ケケケッ、馬鹿が! ノコノコ入って来やがった!)
その鬼は、両腕を蝙蝠の羽のように変形させていた。
そして暗闇の中でも周囲の様子を探れるようで、松明を叩き落とされて固まっている瑠衣の様子も、彼には手に取るようにわかっていた。
人間は本当の暗闇では、何もできないのだ。
彼――蝙蝠鬼と呼ぶが――は、瑠衣が洞窟に入った段階で彼女の存在に気付いていた。
年若い娘の肉は、鬼にとってご馳走である。幸運だと思った。
まさに垂涎の心地で待ち構えて、隙を見て松明を叩き落とした。
案の定、明かりを失った瑠衣はその場から動けずにいる。
(そのまま、死ねえッ!!)
油断か過信か、あるいは空腹のせいか、蝙蝠鬼は一拍も置かずにトドメを刺しに行った。
フェイントも何もなく、瑠衣の急所を狙う。
結果的には、それが不味かった。
(…………何だ?)
瑠衣との距離が縮まるにつれて、蝙蝠鬼の聴覚は奇妙な音を捉えた。
突風が吹き荒ぶような、長い音だ。
空気の
ならば、どこから聞こえるのか。
「
全集中の呼吸。
それは鬼殺隊士が習得する、特殊な呼吸術のことだ。
強靭な心肺により脈拍と血流を速め、鬼に匹敵する身体能力を得る技術である。
そこへ鬼を狩るための剣術を加えたものを、流派に合わせて炎の呼吸や水の呼吸と呼び分けている。
柚羽が使ったものが「水の呼吸」、獪岳が使ったものが「雷の呼吸」だ。
それぞれに特色があり、習得には何年にも渡る鍛錬が必要となる。
ただ人間が不死身の鬼と渡り合うためには、必要不可欠な技術だった。
そして瑠衣が使用する剣術と呼吸法は、その内の1つ――風の呼吸法。
(――――まず)
蝙蝠鬼が気付いた時には、何もかもが遅かった。
その時にはすでに、瑠衣は刀を抜いていた。
風の呼吸の適性を示す深緑の刀身、蝙蝠鬼の視界にそれが映る。
そして刀身が映った次の瞬間、蝙蝠鬼の視界がいくつにも
――――風の呼吸・肆ノ型『
瑠衣の足元から、不可視の斬撃が四方八方に吹き上げた。
風が触れたと蝙蝠鬼が感じた瞬間には、彼の顔と肉体は、
もちろん、頚と胴も離れている。
「次はもっと上手くやれるといいですね」
次などないとわかっている癖に。
何て嫌な女だ。
そしてそれが、蝙蝠鬼が感じた最後の思考だった。
◆ ◆ ◆
――――瑠衣が任務に出かけて10日後の正午、煉獄邸・門前。
門前を箒で掃き清めていた千寿郎は、酷くそわそわとしていた。
落ち着かない様子で道の向こうを眺めていたかと思えば、すでに掃き終えた門前をまた掃いたりしている。
そして鴉の鳴き声が聞こえると、ぱっと顔を上げて。
「姉上!」
箒を抱えたまま、駆け出した。
鎹鴉の長治郎がガアガアと鳴き声を上げる中、道の向こうから瑠衣の姿が見えたのだ。
瑠衣の方も、駆け寄ってくる千寿郎の姿を認めると、明るい表情を浮かべて手を上げた。
「姉上、おかえりなさい! お怪我はありませんか?」
「ただいま、千寿郎。大丈夫、この通りピンピンしてるよ」
むん、と腕を掲げて見せると、千寿郎は安心した表情を浮かべた。
実は蝙蝠鬼を斬った後、松明を失い、長治郎の鳴き声を頼りに洞窟の外へと這い出ることになった瑠衣。
蝙蝠のフンやらなにやらで色々と大変だったのだが、そこは姉として包み隠した。
できれば弟の前では格好をつけたいし、父や兄に格好の悪い話は聞かせたくない。
「兄様も帰ってきてる? 父様は?」
「あ……」
「千寿郎?」
槇寿郎と杏寿郎のことを聞くと、千寿郎は表情を暗くした。
悲壮なものは感じなかったので、万一のことがあったというわけではないのだろう。
ただ心配事というか、懸念というか、そういうものがあるという顔だった。
姉として何年も過ごしているのだ、それくらいはわかった。
身を屈め、千寿郎の頭に手を置いた。
「父様と兄様はどうしたの?」
「あ、その。父上は今日は半年に1度の
柱合会議というのは、鬼殺隊の最高意思決定機関である。
9人の最高位の剣士「柱」が集まって、
基本的には半年に1度だが、緊急の場合は臨時に開かれることもある。
ただそれ自体は別に変った話ではなく、瑠衣は先を促した。
「その時、父上と兄上の話をたまたま聞いてしまったんです。それが……」
自身も理解が追いついていない、という表情で、千寿郎は言った。
そしてそれは、瑠衣にもすぐには理解できない内容だった。
「鬼を連れた隊士がいるんだそうです――――」
読者投稿キャラクター:
祭音寺柚羽(才原輪廻様)
ありがとうございます。
最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
炎柱・煉獄槇寿郎いまだ現役!
タグもつけていますがひたすら煉獄家です!
煉獄家は槇寿郎さんが剣士をやめなければもっと凄かったはず!
何でやめてないかはその内に話中に出てくると思います!
そして善逸より先に獪岳、獪岳です!
実は私、彼がとても好きなキャラクターです。
正直、彼の妹を作って主人公にするか悩んだ程です。
それでは、また次回。
剣士・鬼の募集もまだ続けていますので、よろしければご参加下さい。