鬼滅の刃―鬼眼の少女―   作:竜華零

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第30話:「刀鍛冶の里」

 刀鍛冶の里。

 それは、日輪刀の刀鍛冶達の()()()である。

 彼らは唯一の鬼殺の武器「日輪刀」の製造技術を持つ()()の集団であるため、鬼から、そして世間からも隠す必要があるのだ。

 故に、隠れ里の正確な位置を知っているのは、彼らの長と鬼殺隊当主の2名だけである。

 

 もしそれ以外の隊士が隠れ里に入る場合、己の足では入れない。

 隠――そしてその隠を案内する鎹鴉――に運ばれて、入里する形をとる。

 この際は目隠しや耳栓などで外界の情報を遮断する措置が取られる上、運び役の隠も案内役の鎹鴉も頻繁に入れ替わる。加えて、道順さえも同じではない。

 

「どうもコンニチハ。ワシこの里の長の鉄地(てっち)河原(かわはら)鉄珍(てっちん)。……よろぴく!」

 

 小柄な老人が、剽軽(ひょうきん)な挨拶をしてきた。

 ひょっとこの面を被った、縦も幅も成人男性の半分もないような小さな男。

 まあ、ひょっとこの面は彼だけでなく刀鍛冶全員が着けているのだが。

 

「お久しぶりです、里長様。この度は里へ入ることをお許しいただき、有難うございます」

 

 そんな奇妙な老人――里長に対して、瑠衣は畳に手をついて頭を下げていた。

 見かけからは想像もできないが、鉄珍は現在の――いや、過去に遡っても、最も優れた技術を持つ刀鍛冶なのだ。

 今の柱の何人かの愛刀は彼にしか打てないと言えば、その凄さが伝わるだろうか。

 

「やー、瑠衣ちゃん。しばらく見んうちに別嬪さんになったな。おいで、かりんとうをあげよう」

「いえ、お気持ちだけで。職務中ですので」

「相変わらず真面目やねえ」

 

 鉄珍とは、家の関係で何度か会ったことがあった。

 ただ挨拶程度で、しかも親のついでだ。個人的な関係はほぼない。

 にも関わらずかりんとうを勧めてくるのは、鉄珍の気さくさなのだろう。

 

「で、そっちが」

「竈門炭治郎です! よろしくお願いします!」

 

 ごん、と畳に額を打ち付ける音がした。

 炭治郎が瑠衣を上回る角度と速度で頭を下げたためで、ともすれば畳が傷みそうだった。

 まあ、ここまでは良かった。

 瑠衣も炭治郎の性格を少しは知っているつもりだ。だから彼の態度に不自然な点はない。

 問題は。

 

「獪岳です! よろしくお願いします!」

 

 ()()()()()挨拶をする、獪岳だった。

 まるで爽やかな好青年のような顔をして、礼儀正しく背筋を伸ばしている。

 

(え、誰ですかこの人)

 

 口にしている台詞は炭治郎と同じなのだが、受ける印象は180度違う。

 そして異物を見るような目を向ける瑠衣を、獪岳は完璧に無視してみせたのだった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 ふう、と、虚空に向けて息を吐いた。

 視界の中で、白い湯気が吐息に押されて渦を巻いた。

 

「温泉なんて、久しぶり……」

 

 鉄珍への挨拶を済ませた後、瑠衣は温泉への入浴を勧められた。

 食事の前に、道中――隠に背負われていただけとはいえ――の疲れを癒してほしいという、鉄珍の好意に甘えた形だ。

 というより、好意に甘えるまで粘られた。

 年少の人間の遠慮や謙遜をまるで聞いてくれない人種というのはたまにいるが、鉄珍はまさにそういう人間だった。

 

「ふうううー……」

 

 呼吸の恩恵か、足の怪我はかなり良くなってはいた。

 とはいえ熱い温泉に浸かりきってしまうのは良くないだろうと、専用の台と湯の浅い場所を作ってくれた。

 あるいは鍛冶で怪我をした時に使っているものなのかもしれない。

 半身とはいえ露天風呂に()かっていると、身体の芯から解されていくような、心地いい感覚にまた息を漏らしてしまう。

 

 自分で認識していたよりも、自分の身体は疲れていたらしい。

 あるいは鉄珍はそれがわかっていて、温泉を勧めたのかもしれない。

 それに貸し切り状態なのも良かった。()()()がなくて良い。

 ちゃぷ、と、二の腕の湯の雫を掌で拭いながら、そう思った。

 恥ずかしいとは思わないが、()()()()()()を好んで見せたいわけでもない。

 と、二の腕を拭うために身体を傾かせた時だ。視界の端に、何かが映った気がした。

 

「うん……?」

 

 お湯から半身を伸ばして目を瞬かせていると、今度は見えた。

 何か白いものが、温泉に浮かんでいた。

 さらによく目を凝らして見ると、それは人だった。

 人が、うつ伏せにお湯に浮かんでいた。

 それがすいーっと、瑠衣のいるところまで流れて来たのだ。

 

「うわっ、ちょっ。だ、大丈夫ですか!?」

 

 足の怪我すら忘れる程に肝を潰して、瑠衣はその誰かを抱き起した。

 抱き起こすとちゃんと息をしていて、ほっとした。

 瑠衣と同じ年頃の少女で、ただ髪色がはっとする程に白く、そのせいですぐに人だと認識できなかったのだ。

 

「え……っと。もしかして、寝てます?」

 

 抱き起こして気が付いたのだが、その少女はすやすやと寝息を立てていた。

 のぼせたのかと思ったが、そうでもなさそうだった。

 お風呂で寝てしまうというのはまま聞くが、露天風呂でそれは流石に命に関わる。

 放っておくわけにもいかないので、どうしたものかと考えていると。

 

鈴音(すずね)ちゃ~ん、どこ行っちゃったの~?」

 

 と、そんな声が聞こえて来た。

 鈴音というのは、この少女の名前だろうか。

 

「あっ、こっちです……」

「え? ほんと……って、あら?」

 

 振り向いて、そしてお互いに見つめ合うことになった。

 何故なら、その相手が瑠衣の良く知る相手だったからだ。

 その相手は口元を手で押さえて、驚いた顔で言った。

 

「瑠衣ちゃん! 貴女も来ていたのね!」

 

 鬼殺隊の恋柱、甘露寺蜜璃である。

 甘露寺の顔を見た時、ずきん、と、瑠衣の胸が痛んだ。

 それはきっと、気のせいではなかった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

「本当に驚いたわ。まさか刀鍛冶の里(こんなところ)に瑠衣ちゃんがいるなんて」

「ええと、ある事情で刀を折ってしまって。次の任務までに打って貰わないといけないので、直接お願いに来たんです」

「そうなの。私もね、刀の調整に来たの。私の刀は鉄珍様以外には打てないらしくて」

 

 当然と言えば当然の流れなのかもしれないが、瑠衣は戸惑っていた。

 甘露寺と湯を共にしていて、お喋りに興じている、という現状に対してだ。

 てっきり、あの鈴音とかいう女の子を連れて上がるのかと思っていた。

 

「ああ! あの子はねえ、鈴音ちゃん! お友達なの。あの子の刀も難しいらしくて、刀鍛冶の人に打って貰えるのを待っているの」

「はあ……」

 

 瑠衣の視線をどう受け止めたのか、わざわざ鈴音のことを教えてくれた。

 名前は和泉(いずみ)鈴音。いつも寝ているらしい。

 今も瑠衣と同じように半身を湯に浸けたまま、すやすやと寝息を立てている。

 絶対に体調を崩すと思うのだが、これが普通なのだという。

 

(また独特な人が来たな……)

「あ、ちなみに階級は甲よ」

(しかも同格……!)

 

 ふと目を向けると、甘露寺が曖昧な笑顔を浮かべて瑠衣を見つめていた。

 その視線から逃げるように、掌に掬った湯で顔を打った。

 見てはいないが、甘露寺が寂し気な顔をしていることはわかった。

 しかし瑠衣には、その顔を見ることは出来なかった。

 

 というより、見たくなかったのかもしれない。

 この甘露寺という女性は、非の打ち所のない完璧な女性だ。

 少なくとも瑠衣はそう思っているし、他の多くの隊士もそう思っているだろう。

 そんな彼女から目を逸らしてしまう自分が、情けなかった。

 

「ねえ、瑠衣ちゃ「こらっ、待つんだ禰豆子!」ん……って、禰豆子ちゃん? きゃあっ」

「むー!」

「わっ」

 

 突然、小さな――比喩でなく物理的に――禰豆子が、湯船に飛び込んで来た。

 派手な湯の柱を立てたので、瑠衣達は頭から湯を被ることになってしまった。

 顔を手で拭って膝を立てると、ご機嫌な顔で泳いでいる禰豆子が視界に入った。

 湯に濡れた前髪をかき上げて何か言おうとして、はたと瑠衣は気付いた。

 さっき、禰豆子を呼び止めた声があったような。

 

「禰豆子! 1人で先に行かないでくれ!」

 

 やはりだ。炭治郎が岩陰から駆け出て来た。

 禰豆子を追いかけてきたのだろう彼は、しかし露天に瑠衣と甘露寺の姿を認めるや、あっと声を上げた。

 

「ごめんなさい!」

 

 と言って、自分の顔を掌で覆った。

 あんな勢いで打ったら目が潰れかねないと、こちらが心配になる程だった。

 

「あっ、こっちに来ないでください!」

 

 そんなことを言われて、え、と瑠衣は驚いた。

 しかし炭治郎が声をかけたのはこちらではないと、すぐに気付いた。

 炭治郎は顔を手で覆ったまま、どうすることも出来ずにじたばたとしつつ。

 

「獪岳さん!」

「っせえぞクソガキ。何で俺がお前の言うことをいちいち……」

 

 目が合った。

 整理するが、ここは露天風呂である。当然だが互いに着るものも着ていない。

 しかも瑠衣は半身を外に出していて、濁った湯に沈むことも出来ない。

 そんな状況で対面となると、流石に瑠衣も羞恥を覚える。

 だが一方の獪岳はこの状況でどうしたかというと。

 

「……ちっ」

 

 まさかの舌打ちである。

 曲がりなりにも年頃の、嫁入り前の娘の肌を見ておいての舌打ち。

 別に獪岳をどうとも思っているわけではないが、それにしたって舌打ちはないだろう。

 炭治郎を見習えと言いたい。

 

「き……」

 

 そして年頃かつ嫁入り前の娘として、最も()()()動きを見せたのは甘露寺だった。

 彼女は手拭いで身体の前面を隠すと、空いた片手を伸ばした。

 

「きゃああああ――――――――っ!」

 

 そのまま実に適切な行動に――いや、瑠衣はすぐにその考えを撤回した。

 何故なら彼女は風呂桶でも掴むように、露天風呂を形成する石組みの一部を()()()からだ。

 そして、何の溜めもなくそれ――人の頭2つはありそうな石材――を片手で持ち上げると、そのまま()()()

 

「いやっ、蜜璃ちゃん流石にそれは死ぬ――――!」

 

 ()()()()

 

  ◆  ◆  ◆

 

 ごんっ、と、何かを打ち付ける音がした。

 

「ほん……っ」

 

 それは、甘露寺が畳に額を打ち付けた音だった。

 どことなく、里長に挨拶をした時の炭治郎に似ている気がする。

 

「……っとうにごめんね! つい手が出ちゃって……!」

「いえ、俺の不注意なんで。気にしないでください」

 

 甘露寺の謝罪に、額を腫らした獪岳がそう応じた。

 その表情からは、彼が内心で何を考えているのか読み取ることは難しい。

 甘露寺の腰の低さに驚いているのかもしれないし、片手で岩を投げる腕力に怯えているのかもしれない。

 そうでなくとも、柱が平隊士に頭を下げるという状況は本来あり得ないのだ。

 

「あっ、甘露寺さん! 晩御飯ができたそうですよ。松茸ご飯だそうです!」

「えっ、ほんとォッ!?」

 

 しばらくメソメソとしていた甘露寺だが、気を遣った炭治郎が夕食の話を振ると、ぱあっと表情を輝かせた。

 何でも里長の鉄珍が甘露寺が来るということで、ご馳走を用意してくれたらしい。

 ……甘露寺に「ご馳走」を用意するというのは、なかなか剛毅なことだと瑠衣は思った。

 

「というか、獪岳さん。何ですかその喋り方。貴方、前に私の喋り方が気持ち悪いって言ってませんでしたか?」

「……ちっ」

 

 この野郎、と瑠衣は半ば本気で思った。

 前々から瑠衣に対して非友好的な男だったが、先日から特に酷い。

 刀が折れてしまったのは、己の不明というか、おそらく長く戦ってきたことが遠因なのだろうと思うので、まあ良しとしても、この態度はどうかと思う。

 しかも里長や甘露寺のような立場が上の人間には丁寧に接すると来ると、苛立ちが倍になるというものだった。

 

「そう言えば、甘露寺さんはどうして鬼殺隊に入ったんですか?」

 

 そこで、炭治郎がそんなことを言っているのが聞こえた。

 松茸ご飯にすっかり気を良くしたのか、甘露寺は禰豆子とじゃれていた。

 兄弟姉妹が多いと聞いているので、下の子の面倒を見るのが得意なのだ。

 それは、かつて甘露寺が煉獄家で修業していた時に良くわかっていた。

 

 そして炭治郎が聞いたことは、だからこそ誰もが思うことだった。

 というのも、甘露寺は――柱であることは別として――()()なのだ。

 明るく、些細なことでころころと表情が変わり、鬼殺隊士特有の暗さがない。

 だから彼女と関わった者は、彼女がどうして鬼殺隊にいるのかと疑問を抱いてしまう。

 

「え、えー? そこ聞いちゃうの? 恥ずかしいなあ」

 

 見れば、獪岳も気になっている様子なのがわかった。

 まあ、いわば柱の「戦う理由」なのだ。気にならない方がおかしいだろう。

 しかしこの次に語られるだろうことを知っている瑠衣としては、何も言えなかった。

 何故なら、甘露寺が鬼殺隊に入隊した理由は――――。

 

「あのね……添い遂げる殿方を見つけるためなの!」

「は? 頭大丈夫か?……あ、やべ」

 

 獪岳が猫を被れなくなる程度には、衝撃的な理由だった。

 その後、ショックのあまり甘露寺が泣き喚いたことは言うまでもない。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 ――――疲れた。

 げんなりとした様子で、瑠衣は甘露寺と手を繋いで歩いていた。

 ちなみに甘露寺の反対側の手は禰豆子が握っている。

 禰豆子と――鬼と手を握るという行為に、甘露寺は嫌悪も緊張もしない。

 

 それは人間としては美徳だが、鬼殺隊士としてはやはり異質だった。

 そういう意味では、あるいは甘露寺は炭治郎に最も近いと言えるのかもしれない。

 聞くところによれば、炭治郎と禰豆子の裁判でも処罰に消極的だったという。

 そこだけ聞くと素晴らしい人格者なのだが、今はメソメソと泣いているただの女子だった。

 

「女の子だったら、やっぱり自分より強い人に守ってほしいじゃない? 男の子には難しいのかしら……」

「いや、まあ、そうかもしれないですね」

「う?」

 

 柱である甘露寺より強い男となると、一生結婚など出来ないのではないだろうか。

 そんな素朴な疑問を感じた瑠衣だったが、口に出すほど愚かではなかった。

 

「あのー」

 

 3人の後ろを歩いていた炭治郎が、遠慮がちに声をかけて来た。

 

「瑠衣さんは、その、さっきの……獪岳さんと仲が良くないんですか?」

「どうしてそう思うんですか?」

「匂いが、緊張していたというか」

「ああ……」

 

 炭治郎には嘘やごまかしは効かない。鼻でわかってしまうからだ。

 とは言え、何でも口に出せば良いというものではないのだが。

 

「私と獪岳さんは、同期なんです。なので、色々と張り合ってしまうのでしょう」

「そうなんですか」

 

 だが、察しが悪いわけではない。

 今も瑠衣の説明に納得していない様子だったが、それ以上は追及して来ない。

 若いのだろうと、そう思った。

 まあ、言う程に年が離れているわけではないので「若い」という感想もどうかと思うが。

 

「えっと、俺の同期はそんな感じではなくて」

「ああ」

 

 善逸やカナヲの顔が浮かんで、瑠衣は頷いた。

 カナヲはちょっとわかりにくいが、善逸や伊之助といった面々と炭治郎が仲が良いのは知っている。

 鬼殺隊でも、凸凹トリオとして少しばかり有名になっている。

 あそこまで仲の良い世代というのも、珍しいだろう。

 

「あっ!」

 

 その時、炭治郎が不意に声を上げた。

 何だと思って視線を負えば、廊下の向こうからこちらへと歩いて来る人間がいた。

 背が高い。しかも筋肉質で、そもそも身体自体が大きかった。

 その風貌は、どことなく悲鳴嶼を思わせた。

 

不死川(しなずがわ)玄弥(げんや)!」

「死ね!!」

 

 目つきの鋭さもさることながら、顔面に刻まれた横一文字の傷に、頭の両側面を刈り上げた猛々しくも独特の髪が、見る相手を威圧しているようだ。

 そしてそんな印象通りに性格もキツいのか、炭治郎に対する最初の言葉が「死ね」である。

 

「……っ」

 

 しかし瑠衣や甘露寺、禰豆子に気付くと、顔を赤らめて固まってしまった。

 そのまま会釈1つを残すと、そそくさと角を曲がってどこかへ消えてしまった。

 妙な子だと思ったが、1つ気になった。

 

「……不死川?」

 

 偶然、というには珍し過ぎる名前だ。

 まあ、気にし過ぎても仕方ないことではあるが……。

 

「あ、そうだ。瑠衣ちゃん」

「はい、何でしょう」

「ちょっと、お願いがあるんだけど~」

 

 小首を傾げて、甘露寺が片目を閉じて来た。

 そんな甘露寺を見て、瑠衣は、率直に言って嫌な予感を覚えたのだった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 日輪刀には、様々な形がある。

 日本刀の形をした正統派なものから、槍や鉄球のようなおよそ「刀」とは呼べないような物まである。

 そして、鬼殺隊の恋柱・甘露寺蜜璃の日輪刀は後者だった。

 

(何だ、あの刀は。布……いや、鋼だ。ちゃんと刀なんだ)

 

 客人用の屋敷の庭で、炭治郎は甘露寺の刀を見た。

 甘露寺の刀は布のように薄く、一見すると刀のようには見えない。

 しかしその正体は極限まで薄く打たれた鋼であって、あれでどうやって刀としての機能を維持できているのかわからなかった。

 

 ――――恋の呼吸・壱ノ型『初恋のわななき』。

 その薄刃が、まるで鞭のようにしなりながら襲いかかって来る。

 刃先が微妙に重くなっており、甘露寺の手首の()()に反応して斬撃を繰り出すのだ。

 目の前でしなり、輪を描きながら迫って来る薄刃に対して、瑠衣は刀を斜め後ろに振りかぶった。

 

「はあっ!」

 

 ――――風の呼吸・弐ノ型『爪々・科戸風』。

 風の刃が、その薄刃を打ち払った。

 そしてそのまま身を低くすると、瑠衣は甘露寺に向かって駆け出した。

 甘露寺は一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐに手首を返した。

 

 ――――恋の呼吸・弐ノ型『懊悩(おうのう)巡る恋』。

 ――――風の呼吸・壱ノ型『塵旋風・削ぎ』。

 自分を包囲すべく放たれた薄刃を、回転と突進の力で斬り弾く。

 片足を庇いながらのことだが、屋敷の庭程度の距離ならそれで十分だった。

 そうして、瑠衣は甘露寺に半歩の距離にまで近付くことが出来た。

 

「わっわっ、速い!」

 

 ――――風の呼吸・弐ノ型『昇り炎天』。

 そこから、瑠衣の持つ技の中で最速の攻撃を放った。

 甘露寺の刀は射程が長い。長いが故に、超近距離の接近戦には向かない。

 瑠衣の放った技に、甘露寺は驚いた顔をした。当然だろう、これは炎の型の技だ。

 煉獄家で修業をした甘露寺が、知らないはずのない技だ。

 

(行ける……!)

 

 と、瑠衣は思った。

 甘露寺の不得手な距離、対して自分は得意の距離だ。

 そして風の呼吸での炎の型。意表を突いただろう。

 これで攻撃が通らないはずがない、と、思った次の瞬間だった。

 

 甘露寺の手が、瑠衣の腕を掴んだ。

 

 斬り上げに行った瑠衣の手首を、甘露寺の左手が掴んだのである。

 それで、()()()()()()()()

 瑠衣は渾身の力で刀を振り上げていたのだが、甘露寺に掴まれた瞬間、微動だに出来なくなった。

 例えて言うのなら、百貫の鉄塊を腕に落とされたような、そんな()()を感じた。

 

「ぐ……っ!」

 

 ()()()()

 両手で押し上げてみたところで、ほんの一寸も動けなかった。

 片足で踏ん張りが効かないとか、そういうことではない。

 ただ、純粋に片手の()()で押さえ付けられてしまっていた。

 そして。

 

「えへへ、私の勝ちい~」

 

 首に、ひんやりとした刃が当てられた。

 甘露寺の日輪刀だった。

 そして目の前には、嬉しそうな甘露寺の顔があった。

 負けた。その事実を認識すると、瑠衣はうなだれた。

 

「うん! 刀は大丈夫みたい、流石は鉄珍様だわ。瑠衣ちゃんに最後の調整に付き合って貰えて助かっちゃった」

「……力になれて、良かったです」

「本当に有難う! 無理を言っちゃってごめんねえ。足もだけれど、瑠衣ちゃんは借り物の刀でやりにくかったでしょう」

 

 それはきっと、悪気のない、気遣いのようなものだったのかもしれない。

 甘露寺蜜璃という少女は、そういう性格だ。

 しかしだからこそ、瑠衣はうなだれたまま顔を上げることが出来なかった。

 今、甘露寺に顔を見られたくなかった。

 けれど今は、うなだれるだけでは不十分だった。

 

(……匂いって、どうやって隠せば良いのかな)

 

 心配そうな炭治郎の様子に気付いて、そんなことを思った。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 いっそ、勝ち誇ってくれたら良かった。

 いつもそう思うが、しかし甘露寺は過去に一度もそんなことをしたことはない。

 誰かを見下すとか、優越感に浸るとか、そういう感情とは無縁の人間なのだ。

 尊敬している。本当に。ただ、それが辛かった。

 

「竈門君」

 

 縁側で何となく夜空を――憎らしい程に綺麗な満月だった――見上げながら、瑠衣は口を開いた。

 ぽつりと、呟くような声だった。

 すると、柱の陰から心配そうに炭治郎が顔を出してきた。

 

「もう夜も遅いんです。早く休まないと」

 

 本当に優しい子だと、そう思う。

 ただいかんせん、器用ではない。

 

「……恋柱様は、もう発たれましたか?」

「あ、はい。さっき……」

「そうですか」

 

 日輪刀の調整を押せて、甘露寺は朝を待たずに出立していた。

 柱なのだ。一所に留まり続けることは難しい。

 見送ろうとは思ったのだが、足の怪我を気遣われて遠慮された。

 そういうところも、非の打ちどころがない人だった。

 

 そして、炭治郎はそんな瑠衣の複雑な心境を匂いとして嗅ぎ取っていた。

 匂いで感情を読み取る彼でさえも、瑠衣の心境をどう表現すれば良いのかわからなかった。

 だから、どう声をかけるべきか決めかねてしまっている。

 だがこの場を去る気持ちにもなれず、結果としてまごまごするだけとなってしまっていた。

 

「ダッセェなぁ、おい」

 

 そんな時に現れたのが、獪岳だった。

 瑠衣の同期だというこの男は、わかりやすい男と思った。

 ()()()()()

 何に対してかはわからないが、ずっと不満の匂いを漂わせている。

 最初は刀がすぐに用意されないことへの不満かと思っていたが、瑠衣に話しかける時にもその匂いがしていて、そうではないことがわかった。

 

「見てたぜ。お前みたいな弱いやつと同期と思われるなんて本当に恥ずかしいぜ、情けないやつ」

 

 だが、吐いた毒は聞き捨てならなかった。

 

「柱ってのはな、鬼殺隊最強の称号なんだよ。お前みたいな才能のない雑魚が敵うわけがねーだろ」

「……ちょっと!」

「そもそも何だよ、あれは。風の呼吸の癖に別の型の技だ? はっ、そんな真似事をしたってなァ……本物にはなれねぇんだよ!」

「ちょっと、やめてください! あまりにも酷い言い方だ!」

「ああ~?」

 

 じろり、と獪岳が炭治郎を睨んだ。

 すると不満の匂いが炭治郎に向けられるが、構わなかった。

 それよりも、獪岳の言葉の方が問題だった。

 

「瑠衣さんは、凄い人だ! 強い鬼と……上弦とだって戦って、たくさんの人を助けて来たんだ!」

 

 さっきのように心配になることもある。けれど、努力の匂いは本物だった。

 無限列車の時も、カナヲや善逸と共にした任務でも、常に前線にいて逃げなかった。

 そんな瑠衣が()()でないなんて、炭治郎にはどうしても思えなかった。

 不当な評価だと、そう思った。

 

「瑠衣さんは、情けなくなんかない! 取り消してください!」

「お前、俺は先輩だぞ。口の利き方を」

「たとえ先輩でも、言って良いことと悪いことがある! 取り消してください!」

「こ、の……クソガキッ!」

 

 激昂した獪岳が、裏拳を炭治郎に向けて振り下ろした。

 突っかかってきた炭治郎を払おうとした動きだが、しかし炭治郎はその獪岳の拳を受け止めてしまった。

 さらに憤怒に表情を歪める獪岳だが、一方で内心に動揺を得ていた。

 

(なっ、止めやがっただと。しかも……)

 

 拳を引こうとしても、抜けなかった。

 炭治郎の力が想像以上に強く、逆に獪岳の拳から骨の軋む音がする程だった。

 プライドが傷つけられたのだろう、獪岳の額に血管が浮かび上がった。

 そして、炭治郎と獪岳の間の空気がいよいよ剣呑なものになった時。

 

「竈門君」

 

 瑠衣が立ち上がっていて、炭治郎の手に触れた。

 驚いた顔をする炭治郎に、瑠衣は微笑した。

 

「有難う。でも隊員同士の揉め事はご法度だから。手を放して」

「……はい」

 

 そうして炭治郎が力を緩めると、2人の弾くようにして獪岳が腕を引いた。

 掴まれていた拳を擦りながら、炭治郎を睨む。

 

「てめえ」

「獪岳」

「……ッ!」

 

 炭治郎と手を重ねたまま、顔は向けず、目だけを獪岳に向けて瑠衣は言った。

 

「聞こえませんでしたか? 隊員同士の揉め事はご法度です」

「俺に指図するんじゃねえ!」

「……それでも続けると言うのなら」

 

 炭治郎の前に立って、身体ごと獪岳の方に向いた。

 その間、目は逸らさなかった。

 視線はそのままに、身体だけを動かした形だ。

 

「気が済むまで、私が相手をしますよ」

 

 そもそも、獪岳が突っかかって来たのは瑠衣だ。

 だから瑠衣の言っていることは、話を元に戻しただけのことだ。

 むしろ、炭治郎をこんなことに巻き込んでしまって申し訳ないとすら思う。

 

「どうしますか」

 

 しばらくの間、瑠衣と獪岳は睨み合っていた。

 数秒か、数十秒か、数分か。それ以上にも感じられた。

 その間、どちらも何も言葉を発さなかった。

 どこかから鴉の鳴き声が聞こえて、それをきっかけに、獪岳が舌打ちした。

 

「……クソがっ」

 

 不機嫌そうにそう吐き捨てて、踵を返した。

 そのまま歩き去っていく獪岳の背中を見つめながら、瑠衣は嘆息した。

 それから炭治郎の方を振り向き、小さく笑いかけた。

 

「すみませんでした、竈門君。私の揉め事に巻き込んでしまって」

「いえ、そんな。瑠衣さんは悪くないです」

「それでも、ごめんなさい。それから……」

 

 その後の瑠衣の表情を見て、炭治郎は顔を赤らめた。

 

「……ありがとう」

 

 するとわたわたと慌て始めた炭治郎を見て、瑠衣はクスリと笑みを零したのだった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

「はあああ~……」

 

 ぱしゃっ、と湯で顔を叩いて、瑠衣は大きな溜息を吐いた。

 獪岳と揉めた翌朝のことである。

 正直なところ、昨夜はあまり寝付けなかった。

 無意識の内に、感情の昂りを制御できていなかったのかもしれない。

 

 まあ、寝不足はともかくとして、炭治郎のことだ。

 炭治郎にはまたもや情けない姿を見せてしまったし、瑠衣のせいで獪岳との間に溝を作らせてしまった。

 いや、獪岳は誰とでも溝を作るのだが、だから良いという話でもないだろう。

 刀鍛冶の里にいる間は、炭治郎と獪岳が接触しないよう良く見ておくべきかもしれない。

 

「……本物にはなれない、か」

 

 昨夜は炭治郎の手前、ああ言ったものの、獪岳の言葉は結構()()ものがあった。

 風の呼吸での炎の型の使用である。

 実際、瑠衣が舞い上がっていたことは確かだ。

 これなら自分にも炎の型が使えると、喜びを感じていなかったと言えば嘘になる。

 

 瑠衣の身体は幼少期から炎の型を叩き込まれている。

 だから他の呼吸でも、炎の剣技の技は十分以上の威力が出せる。

 不死川に教えられた風の剣技も、幼少期の鍛錬が基礎になければ習得は難しかったろう。

 だから、風の剣技でも不死川を越えられずにいる。炎の気配が抜けないのだ。

 どこまで行っても自分は炎の家の子なのだと、思い知らされる――いや。

 

(そう、思いたいだけか……)

 

 だから「真似事」という獪岳の指摘は、実はかなり鋭かった。

 痛いところを突かれたとは、まさにああいうことを言うのだろう。

 

「うーん……痛みはもう無いけれど」

 

 骨折していた足を擦ってみると、腫れも痛みもなかった。

 全集中の呼吸は身体機能を強化するが、自然治癒力もその1つだ。

 呼吸を極めれば極める程に怪我の治りは早くなる。

 例えば柱ともなると、簡単な骨折程度なら2、3日で復活してしまう程だ。

 瑠衣はまだそこまでの域には達していないが、今回は綺麗に折れていたのもあって、快復まで思ったより時間はかかりそうではなかった。

 

「ばうっ」

 

 ――――うん?

 木製の風呂椅子に座ったまま足を擦っていると、いきなり、妙な声が聞こえた。

 声というか、鳴き声である。

 え? と顔を向けると。

 

「ばうっばうっ」

 

 犬がいた。犬だと思う。

 「思う」という表現は、その犬が瑠衣の見たことがない犬種だったからだ。

 体毛は短く、黒毛で、細身で筋肉質だ。

 その犬が瑠衣に()()()()()()()()

 

「わっ、ちょっ……いったあっ」

 

 そのまま床に尻餅をついてしまい、痛みに呻いた。

 しかし犬はお構いなしに瑠衣の肩に前足を置くと――そちらも地味に痛い――瑠衣の顔をベロベロと舐めにかかってきた。

 やけに人懐っこい、で片付けて良いのかは不明だが、人慣れした犬だ。

 どこから来たのかと思っていると。

 

「おーい、コロ~。どこや~」

 

 湯煙の向こうから、ぬっと人間が姿を現したのだった。

 おそらくこの犬の飼い主なのだろう。

 それは良い。別に良かった。ただ問題は、その声が明らかに()()ということだ。

 そして、現れたのが()()だ、ということだった。

 

「あら」

 

 おそらく年上だろう。金髪碧眼の、異人にも見える男。

 浅黒い肌に無精髭。ボサボサの髪。お世辞にも身嗜みを気にしているとは言えなかった。

 もちろんのこと、瑠衣の知らない男だった。

 目が合い、瑠衣の頬にさっと朱が差した。

 

 そして瑠衣の対応は、甘露寺の対応に比べれば実に()()()()()だった。

 倒れた風呂椅子を掴み、そのまま――――。

 ()()()




読者投稿キャラクター:
日向ヒノデ様:和泉鈴音
ありがとうございます。

最後までお読みいただきた有難うございます。

サービス回です(え)
とりあえず瑠衣を温泉に入れたかっただけです(え)

ただちょっとキャラクター詰め込み過ぎたかな、と思わなくもないです。
だが後悔はしていない(え)

それでは、また次回。
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