鬼滅の刃―鬼眼の少女―   作:竜華零

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今回は後書きにて募集があります。


第31話:「縁壱零式」

 刀鍛冶の里というより、どこかの温泉旅館にでもいるような気分だ。

 来客用の屋敷の大広間で朝食のお膳を前に、浴衣姿でいれば嫌でもそうなる。

 強いて言えば、広さに対して人数が少ないということくらいだろうか。

 

「竈門君、ちょっと食べ過ぎじゃないですか?」

「いえ! 俺も甘露寺さんのようにたくさん食べて強くならないと!」

「恋柱様のあれはそういうのとは違いますから」

 

 瑠衣の隣で、炭治郎が山ほどのお(ひつ)と格闘していた。

 おそらくは甘露寺のために用意していたのだろうが、彼女は昨夜の内に任務で出立してしまった。

 そのため、炭治郎が甘露寺に変わって食べ切ろうと頑張っているのだ。

 ……おそらく余ったら刀鍛冶達の食事に回されるだけだと思うので、無理して食べ切る必要は全くないのだが。

 

「いやー、剣士様って良く食べるんですねえ。あ、ご相伴に預かってますう」

 

 当番の隠だったのか、たまたま顔を出した沼慈司がちゃっかり朝食をせしめていた。

 この後で先輩隠にどやされることになるのだが、この時点で彼女がそれに気づくことは無かった。

 

「おはようござい……うおっ!?」

 

 その時、空になったお櫃を回収に来た刀鍛冶らしきひょっとこ面の男が、瑠衣の隣を見てぎょっとした声を上げた。

 炭治郎ではなく、瑠衣を挟んで反対側だ。

 ただ、そちらには誰もいなかったがずだが……。

 

「うわっ」

 

 と、瑠衣も似たような声を上げてしまった。

 何故ならひょっとこの目を負って横を向くと、そこに昨夜見たあの少女がいたのだ。

 存在感の希薄さにまず驚かされる。

 はっとするような白い髪と相まって。まるでこの世の者ではないかのようだ。

 

(いつの間に……)

 

 名前は、確か和泉鈴音。

 ただ昨夜の温泉と違って、鈴音は起きていた。

 しかし目を開いていてもなお、瑠衣には鈴音がそこにいるという実感が湧かなかった。

 目の前にいるのに、奇妙な感覚だ。

 

 瑠衣がそうして見つめていると、不意に鈴音が瑠衣の方を向いた。

 かくん、と頭を落とした拍子のことで、見たというよりは、まさに「向いた」という風だった。

 しかしその目は、目の前を見ているのか、あるいはどこか遠くを見つめているのか、判然としなかった。

 

「あら、可愛らしいわね」

 

 はたして、これは自分が声をかけられているのか?

 たったそれだけのことでさえ、瑠衣には確信が持てなかった。

 何とも不思議な娘だと、そう思った。

 

「いやあ~。こんなに賑やかな朝飯は、おじさん久しぶりだなあ」

 

 そして、今1人。

 だらしなくよれた浴衣を直そうともしない、無精髭の男。

 瑠衣が早朝に、やはり露天風呂で出会った男だ。

 

「なあ、コロ?」

 

 男の傍らに寝そべり、緩やかに尻尾を揺らしていた犬は、主人の声に。

 

「ばうっ」

 

 とだけ、答えたのだった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 鬼殺隊には、ベテランが少ない。

 と言うのも、まず平均寿命が短い。鬼との戦いで若い隊士がどんどん戦死していくからだ。

 柱でさえ上弦を含む十二鬼月と遭遇すれば戦死を免れず、生き残ったとしても重傷を負って引退を余儀なくされる者もいる。

 槇寿郎や悲鳴嶼のような人間は、例外中の例外なのだ。

 

「いやあ、今朝はごめんね。おじさんここには男しかいないって思いこんでたもんだから」

「いえ、こちらこそ。お見苦しいものをお見せした上に椅子まで……」

「あーやや、ややや。こういうのはね、男が悪いって話だから。そーやってもの分かりが良くなっちゃあ、だめだって」

「はあ……それで、あのう」

 

 ()()()()と顔中を舐められながら、瑠衣は言った。

 

「これは、いったい?」

 

 自分を「おじさん」と呼称する――おじさんと言うほどに年齢は高くなさそうだが――その男は、犬井(いぬい)(とおる)と名乗っていた。

 そして今、尻尾を振りながら瑠衣の顔を舐めているのは、彼の愛犬である「コロ」だった。

 犬井によると、今年11歳になるらしい。なかなかの老犬だ。しかし元気だ。

 

「ここまででいやらしいことを考えたやつは並ぶっす! 隠流格闘術で端からぶっ飛ばしてやるっす!」

 

 沼慈司はいったいどこに向かって喋っているのだろうか。

 それはそれとして、コロだ。

 温泉の時からそうだが、何故か瑠衣に懐いている。

 

「あー、コロは女の子が好きでねえ」

「その発言は誤解を生むと思うのですけど……」

 

 はっはっはっ、と、犬井は笑った。

 その間も瑠衣の顔はコロの唾液でべとべとにされていたのだが、その点は気にしていないらしい。

 それにしても、と、瑠衣は改めて犬井を見た。

 やはり、どこかだらしがない。髪も髭も整えていないし、浴衣もよれたままで直そうともしない。

 

 ただ、槇寿郎のだらしなさとは違うと感じた。

 槇寿郎のは単なる()()だが、犬井にそういう部分は見えない。

 単に直感でそう思っただけなので、言葉にはしなかった。

 まあ、女子受けはしなさそうな身嗜みである。

 

「犬井さんは隊士の方ですよね。ここにいるということは、貴方も刀を?」

「あー、いや。おじさんじゃなくて、コロのね。日輪刀待ちなのよ」

「コロって……え? この子に日輪刀を?」

「あ、やっぱりそう思うよねえ。でもねえ、そいつね、鬼50体斬ってるからね。俺と違って」

「……ええ?」

 

 どうにか引き離して、コロへ視線を向けた。

 舌を出してはっはっと呼気を漏らしているその姿からは、ただの犬という印象しか受けない。

 この犬が鬼50体。つまり柱級だ。犬柱とでも言うべきなのか。

 何の冗談かと思ったが、瑠衣のそういう視線を感じたのか、犬井はボリボリと頭を掻いていた。

 

「おじさんはお館様に戦力外通告されちゃってるから。いやあ、恥ずかしいねえ」

 

 それを聞いて首を傾げた者がいる。炭治郎だ。

 もう何度も言及していることだが、彼は鼻が利く。

 人の感情さえ嗅ぎ取れる彼にとって、嗅覚で相手の強さを計ることは造作もないことだ。

 そんな彼が犬井に会って思ったのは、犬井自身の発言とは真逆のことだった。

 

(この人、強いぞ)

 

 戦力外なんて()()()()()()

 そう思うのだが、一方で嘘の匂いもしない。だから反応に困った。

 しかしそんな時、待っているのに飽きたのか、禰豆子が炭治郎の膝にじゃれつき始めた。

 禰豆子に配慮してくれているのか、大広間は陽光が遮られている。

 

 その時、犬井の匂いが微妙に変わるのを感じた。

 炭治郎を、いや禰豆子を見ているようだった。

 嫌悪、とは違った匂いだった。

 それはすぐに消えたが、しかし炭治郎はその匂いがどんな感情から来るものなのか、酷く気になった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 朝食の後、瑠衣は里長である鉄珍に呼ばれた。

 

「合ってないと思うんよ」

「え?」

 

 そして開口一番に言われたのが、合っていない、の一言だった。

 何の話かと言えば、1つしかない。

 瑠衣の新たな日輪刀の話だ。

 

「合っていない、というのは。えっと……」

「ああ、すまんすまん。話を端折(はしょ)り過ぎたわな」

 

 口の長いひょっとこの面を揺らしながら、鉄珍はからからと笑った。

 しかし実際、意味が良くわからなかった。

 鉄珍直々の呼び出しということで、急いで隊服に着替えてやった来たのだ。

 てっきり日輪刀が打てたので、別れの挨拶でもということだと思ったのだが。

 

「瑠衣ちゃんね。刀、合ってないと思うんよ」

 

 つまりな、と、鉄珍は言葉を続けた。

 

「瑠衣ちゃんの戦い方やと、()()は合ってないと思うんよ」

 

 瑠衣は戦う時、鬼の周囲を跳び回る。

 それは「常に動く」という目標を追及した結果だった。

 しかし脚力でもって駆け回るという関係上、太刀のように「長く」「重い」ものは不向きではないか。

 まとめると、鉄珍の話はそういうことだった。

 

 言われた瑠衣は、得心半分、不承知半分というような顔をしていた。

 得心した部分は、今まで戦って来た高位の鬼の頚を斬りきれなかった、という点だ。

 駆けながらの斬撃は重心が定めにくく、十二鬼月級になると頚を斬りきれない。

 本当は炎の呼吸のように足を止めて、剛力で斬り刎ねる方が良いのだ。

 

 不承知の部分は、どちらかと言えば感情の問題だった。

 煉獄家は皆、日輪刀――正統派の太刀を使う。

 槇寿郎もそうだし、ご先祖様もそうだった。

 宇髄や甘露寺の戦い方を否定するつもりはないが、いわゆる変異刀の類は煉獄家では暗黙の内に使用しないものなのだ。

 

「まあ、この機会にいろいろ考えてみたらどうかな」

 

 刀鍛冶が刀を打つのは、剣士を死なせないためだ。

 より強い武器を作ることで、少しでも隊士の生存率を上げるためだ。

 悪鬼を滅ぼすために命と肉体を差し出す若者達を、生き残らせたいのだ。

 だから鉄珍がこう言うということは、()()()()ことなのだ。

 

(……本物になれない、か)

 

 本当に、つくづくあの同期は的確なことを言ってくる。

 おそらくお互いに誰よりも嫌っているだろうに、不思議なことだ。

 あるいは、嫌っているからこそ、色眼鏡なく本質が見えてしまうのかもしれない。

 鉄珍の話を聞きながら、瑠衣はそんな風に思った。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 昔からだ。

 ずっと昔から、満たされるということから無縁だった。

 獪岳の人生は、その一言に尽きると言って良かった。

 だからだろうか、誰も彼の傍に寄ろうとはしなかった。

 

「あ、では私はこれで……」

 

 今も、山中で修練を――1人で――積んでいた獪岳のところに、隠が来ていた。

 鎹鴉と隠は隊士の様子を窺っているので、居場所は常に把握されている。

 だから食堂に現れない獪岳のために、笹の葉に包んだ弁当を届けてくれるのだ。

 だが当の獪岳が睨むので、ほどほどの距離に置いて行く。

 

「ちっ」

 

 舌打ち。いつからかすっかり癖になってしまった。

 幼少期からそういうところはあったが、鬼殺の修行の途中から酷くなった。

 修行自体は問題なかったが、それ以外の面が最悪だった。

 今ではもう、思い出したくもない。

 

 適当な岩に腰かけて、竹筒の水を呷った。

 程よい温度の水が喉を過ぎていく。その心地よさに、ようやく息を吐いた。

 弁当の握り飯に齧りつくと、白米と塩の味がして、次いで梅干しの風味が広がった。

 美味い。だが、それだけだった。

 

「あ? 何の音だ」

 

 そんな時、金属が打ち合う音が聞こえた。

 音から、刀が打ち合う音だとすぐにわかった。

 こんなところで誰だと思って覗きに行くと、彼が想像していたのとは違う光景が目に飛び込んで来た。

 

「あれは、柱の……」

 

 そこにいたのは、長髪の少年だった。

 袴のような独特の隊服は、小柄な体躯と相まって少女のようにも見えた。

 音の通り、刀を握って打ち合っている。しかし汗一つかかず、表情も動いていない。

 鬼殺隊でも有名人だ。他人に関心の薄い獪岳でさえ、その名を知っている程だ。

 

「時透無一郎、だったか。確か」

 

 曰く、天才少年。刀を握って2か月で柱になったという話だった。

 もちろん歴代最年少の柱だ。

 その時透が、奇妙な存在と刀を打ちあっていた。

 人間の形をしているが、腕が()()あった。

 

 異形の鬼かと思ったが、どうも違うようだ。

 生き物ではなく、人形――絡繰人形だ。

 顔の左半分が割れていて、陶器のようなもので出来た偽物だとわかる。

 着物に武者鎧の袖まで着ているから、一瞬本物の人間と見紛う程だった。

 

「何だ、あれは」

 

 時透もそうだが、人形の方も凄い。

 獪岳でもついていくのがやっとの速度で、しかも六本の腕で刀を振り回している。

 一本一本の剣筋がまた鋭く、常人に見切れるものではないと思った。

 そしてその全てを、獪岳よりも明らかに年下の時透が無表情に捌いている。

 獪岳の口元から、またいつもの音が響いた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 温泉旅館のようだとは言っても、もちろん観光地のような娯楽があるわけではない。

 里長の屋敷を辞してあてもなく里を彷徨っていた瑠衣だが、早々に自分の居場所がないことに気付いた。

 当然のことながら刀鍛冶達は己の仕事に忙しく、瑠衣に構っている暇はないのだった。

 

「そして思いつくのが走り込みというのも、我ながらどうなんだろう」

 

 山があるので、走る場所には困らない。

 自然の山は修行場としては適しているから、鍛錬をしながら考え事をするにはうってつけだった。

 だがら鉄珍の話したことをゆっくり考えようと、そう思っていた。

 しかし瑠衣がそう考えているということは、他の隊士も同じように考えているというわけで。

 

 山の中を走っていると、屋敷ですれ違った背の高い少年を見かけた。

 不死川玄弥という名前だったか、確か。

 彼は大きな岩の前に立っていて、何やら俯いている様子だった。

 どうしたのだろうかと近付いてみたが、集中しているのか、瑠衣には気付いていないようだった。

 

「……舎衛国。祈樹給孤独園……」

 

 何かを呟いているようだ。

 

「南無、阿弥陀仏」

 

 呟いていたのは、お経のようだった。

 しかし次の瞬間、俯いていた体勢からいきなり岩に抱き着いた。

 違った。抱き着いたというのは正しくないだろう。

 彼はそのまま、大岩を押し始めたのだ。

 いや、それは無理だろうと思った矢先。

 

「オラアアアァ……!」

 

 ほんの少しだが、岩が動いた。

 一寸ほどしか進まなかったが、確かに動いた。

 岩は偶然で動かせるほど小さなものではなかったので、玄弥が自分の力で押したということになる。

 そこまで来て、ようやく瑠衣は得心した。

 

「反復動作ですね」

「えっ!?」

 

 反復動作。集中力を一瞬で極限まで高めるための技術だ。

 あらかじめ決めておいた動作等をすることで、肉体の力を瞬時に最大まで引き出すことが出来る。

 先程の念仏は、玄弥にとっての反復動作だったのだろう。

 これは呼吸とはまた別の技術なので、習得にはまた別の素質が必要になる。

 例えば雑念を払えない者は、反復動作には向いていない。

 

「上手ですね。集中に入ってから動くまでが滑らかで。誰かに教わったんですか?」

「お、あ、や」

「え?」

「……っ」

「え、ちょっと」

 

 瑠衣が話しかけると、何故か顔を真っ赤にして頭を下げて来た。

 かと思えば、背を向けて一目散にどこかへて駆けて行った。

 

「……流石にちょっと傷つきます……」

 

 自分の頬に手を当てて、瑠衣は首を傾げた。

 もしかして、自分は顔が怖かったりするのだろうか。

 

  ◆  ◆  ◆

 

「やー。おじさん、それはちょっと不味いと思うなあ」

 

 そんなとぼけた声がかけられたのは、獪岳がひょっとこの面を被った子供――小鉄という名前の、里の子供――の襟元を掴み、締め上げた時だった。

 彼の腕にはもう1人別に、炭治郎が彼を止めようと絡まって来ていたが、獪岳はそれは気にしていなかった。

 獪岳は、時透が使っていた絡繰人形を自分にも使わせろと言いに来たのだ。

 

 その絡繰人形は時透によって腕が一本破壊されてしまっていたが、まだ動くようだった。

 この人形は隊士の修行用らしい。だったら自分にも使う資格はあるはずだ。

 そう言ったのだが、持ち主らしき小鉄という子供は首を縦に振らなかった。

 それに激高して襟首を掴んで吊り上げたところで、すっとぼけた声が聞こえて来たのだ。

 

「なんだ、おっさん。失せろ」

「やーやー。元気があって良いねえ。でもさ、里の子供をいじめるのは不味いんじゃないかなあ。ほら、隊律的にさ」

 

 犬井が、ボサボサの髪を掻きながらそんなことを言った。

 それに対する獪岳の答えは、実に簡潔だった。

 

「知るか。消えろ」

 

 あららと肩を竦める犬井から視線を外すと、獪岳は吊り上げた小鉄を前後に揺らした。

 苦しいのだろう。小鉄が「ぐえ」と蛙が潰れるような声を上げた。

 それを見た炭治郎が、やめろと叫んで獪岳の手首を掴んだ。

 その、次の瞬間だった。

 

「はーい、そこまで~」

 

 え、と声を上げたのは誰だっただろう。

 いつの間にか、炭治郎と小鉄が犬井の小脇に抱えられていたのだ。

 獪岳は、己の手から小鉄が擦り抜けたことを数秒経ってから自覚した。

 奪われたのだと認識したのは、そこからさらに数秒後のことだった。

 

「まー、落ち着けや兄ちゃん」

 

 炭治郎は、今の犬井の動きが何かわかった。

 というより、この場では炭治郎にしかわからなかったかもしれない。

 今の犬井の足運びは、間違いなく水の呼吸のものだったからだ。

 炭治郎の知る限り、水の呼吸でこれ程の動きが出来るのは彼の師と兄弟子くらいだ。

 

(この人、やっぱり強い)

 

 炭治郎が自分の嗅覚の判断に確信を持つのと、獪岳の顔に朱が走るのはほぼ同時だった。

 

「てめ……!」

 

 その時、がさがさと茂みが揺れた。

 誰かが来る。獪岳は舌打ちした。

 相変わらずとぼけた表情を浮かべる犬井を睨み、それから踵を返した。

 どいつもこいつも、と、その目は口ほどに物を言っていた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

「小鉄くん、大丈夫!?」

 

 顔を出した瞬間、瑠衣の目に飛び込んで来たのは、ひょっとこの面を被った子供を助け起こす炭治郎の姿だった。

 犬井の姿があったので目で尋ねてみたが、いやあ、と頭を掻くばかりで説明はしてくれなかった。

 

「ばうっ、ばうっ」

 

 コロは積極的に説明したがっていたが、残念ながら犬の言葉はわからなかった。

 足元にじゃれついてくるコロには曖昧な微笑を向けて、瑠衣は炭治郎の方を見た。

 あのひょっとこの面の子供は、小鉄という名前だったか。

 

「あ、瑠衣さん」

 

 2人の傍に膝を下ろすと、小鉄が「うーん」と唸りながら頭を起こしたところだった。

 何故かコロが瑠衣の脇腹のあたりに顔を突っ込もうとしてきていたが、それは犬井が首根っこを掴んで引き剥がしていた。

 それに内心で礼を言いつつ、炭治郎の手に重ねるように腕を小鉄の背中に回した。

 

 ひょっとこの面のせいで目線を合わせにくいが、なるべく目を合わせた。

 しばらく小さく唸っていた小鉄だが、目の前に炭治郎以外の顔があることに気付いたのだろう、緩慢な動きではあったが、瑠衣の方を見た。

 すると、今度は「うわっ」と身体を跳ねさせた。

 

「大丈夫ですか?」

「え、あ、あやっ、だ、大丈夫!」

「顔が赤いですけど……」

「うわっ、近い!」

 

 そして顔を覗き込んだ途端、わたわたと暴れて瑠衣から離れてしまった。

 玄弥に続いて本日二度目。

 表には出さなかったが、瑠衣は内心で少々傷ついていた。

 無視って。近いって。

 

「た、炭治郎さん……炭治郎さん! ちょっと!」

 

 一方で、小鉄は泡を食った様子で炭治郎の腕を掴んでいた。

 

「どうしたんだ小鉄くん。ちょっと痛いぞ」

「そんなこと良いんですよ!」

「ええ……」

「そんなことより、あの人っ、あの人は誰ですか!?」

「あの人って、俺たちを助けてくれた人なら犬井さんという人だよ」

「違いますよ!」

 

 どうして怒られたのだろう。実に心外だ。

 そんな顔をする炭治郎に拉致があかないと思ったのか、小鉄はわざとらしいぐらいに咳払いなどしつつ、不思議そうにこちらを見ている瑠衣の方をちらちらと見ていた。

 最初は何のつもりかと訝っていた炭治郎だったが。

 

「……か、かわいい……」

 

 その一言と、不意に迫って来た匂いに、ああ、と得心したような気持ちになった。

 人が()()()瞬間を、初めて見てしまった。

 何となく自分も気恥ずかしい気持ちになりながら、炭治郎はそんなことを思った。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 その後に一雨きたので、雨宿りの間に色々と教えてもらった。

 まず、霞柱の時透が来て――この里に来ていたのか――六本腕の絡繰人形の鍵を持っていったこと。

 またその際、小鉄と炭治郎と揉めたことも聞いた。

 炭治郎はそこまで気にしていない様子だったが、小鉄は時透をかなり嫌っている様子だった。

 

(何というか、目に浮かぶようだ)

 

 おそらく、例の悪意なき最悪な態度で接したのだろう。

 しかしあれはあれで、鬼殺隊内では一定の支持者がいたりするのだった。

 力への信奉。

 鬼という強大な存在と戦う組織である以上、力こそ全てという主張はある程度受け入れられやすい。

 実力主義という意味では、時透無一郎という存在は絶対的な存在なのだ。

 

「あー! 駄目です炭治郎さん! そこで下がったら……ああああ~」

「いや! 無理! 死ぬ、死んでしまう。腕六本はきつい!」

 

 そしてその時透が「修行」のために求めたのが、炭治郎が今戦っている相手だった。

 六本腕の絡繰人形、その名も『縁壱(よりいち)零式(ぜろしき)』。

 小鉄が言うには、何でも戦国時代に実在した剣士を模しているらしく、現在の技術でも再現できない程に複雑な絡繰という話だった。

 ちなみに腕が六本あるのは、そうしないと剣士の動きを再現できなかったからだそうだ。

 

 小鉄には言わなかったが、その話は流石に誇張だろうと瑠衣は思っていた。

 腕が六本ないと再現できないということは、その剣士は常人の6倍の動きをしていたということだ。

 そして実際、人形の動きは尋常ではない。炭治郎がほぼ一方的に打たれている。

 いくら何でも、そんな人間がいるわけがない。

 

「あー、もう駄目駄目ですよ炭治郎さん。そんなんじゃあの昆布頭には勝てません!」

 

 不謹慎だが、昆布頭の部分で吹き出しそうになった。

 確かに時透の髪は長い。長いが、まさか昆布とは。

 もっとも、本人はそんな風に言われても表情ひとつ変えないのだろうが。

 

「やー、若い子は元気があっていいねー」

「貴方の犬も相当だと思います」

「あ、ごめんねえ。でも、そんな丁寧に接してくれなくてもいいよお。おじさん、そんな大したやつじゃないからさ」

 

 それにしても、コロのこの瑠衣への懐きようは何なのだろう。

 今も瑠衣に両手を掴ませての二足立ちを披露している。

 瑠衣も犬は嫌いではないので構わないが、顔を涎塗れにされるのは勘弁してほしかった。

 視界の端で、炭治郎が絡繰人形に打たれて宙を舞っていた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 嗚呼、と、物悲しい嘆息が聞こえた。

 いや、その男の両目からは涙さえはらはらと零れ落ちており、真っ二つに折れた日輪刀に滴り落ちていた。

 

「ああ、いくら一生懸命に打ったところで、俺の刀なんて所詮は消耗品なんだ……。戦う度に使い捨てにされる消耗品なんだ……儚い。余りにも儚い……消耗品。ううっ」

「おい一本丸のおっさん! いつまで拗ねてんだ、今日の分まだ打ち終えてねえんだぞ!」

「まあまあ鉄美(としみ)の姐さん。あんなに頻繁(ひんぱん)に折られてたら誰だってああなりますよ」

「うるせえぞ清彦(きよひこ)! お前も喋ってないで手を動かせ! というか何だその面は。ひょっとこ(こっち)を着けろっていつも言ってんだろ」

「面くらい好きなのを着けさせてくださいよ」

「うう……雑多な……消耗品……」

 

 炉の赤色と、鋼を打つ音に満たされた工房。

 会話など掻き消されてしまいそうなものだが、そこで働く刀鍛冶達には慣れたものなのか、普通に声が届いているようだった。

 その中でも、ある一角は特に賑やかだった。

 

 多々羅(たたら)一本丸。筋骨隆々だが気が弱く、髪がところどころ硬貨大の禿げがある。

 鐵穴口(かんなぐち)鉄美。男物の着物を着た赤毛の女性。口元のないひょっとこの半面を被っている。

 妙蓮寺(みょうれんじ)清彦。男だが長い髪を桜の簪で留めており、何故か狐の面を被っていた。

 

「それより聞いたか? 長のじじいが新しい刀を打つらしい」

「長が? 今来ている霞柱のですか? でもあの方の刀は……」

「それが違うらしい。だから噂になってる。長のじじいが柱以外の刀を打つなんて前代未聞だってな」

「へえ、それは確かに珍しいですね」

「どんな刀も……いずれ折れる……ふふふふふふ」

 

 刀鍛冶の里を治める長老達は、刀鍛冶として非常に優れた技術を持っている。

 中でも鉄珍は特別だ。その二本の腕はまさしく国の宝であり、失うべからざるものだ。

 だからこそ普通の隊士の刀は打たない。特別な剣士、つまり柱の刀を打つ。

 その鉄珍が柱以外の刀を打つ。噂にならない方がおかしい。

 

「いったいどんなやつなんだろうな。長の刀を貰う剣士って」

 

 刀鍛冶は、刀を打つ。

 鬼を倒し、剣士を守るために、文字通り血と汗を流して刀を打つのだ。

 だからこそ、刀を持つ人間がどんな人物なのか気になってしまうのだ。

 はたして彼ないし彼女は、刀を渡すに足る人物なのか、と。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 炎柱の書、というものがある。

 それは煉獄家に収められている、歴代の炎柱が遺した手記だ。

 煉獄家の嫡男は、炎柱の座と共にそれらの手記も引き継ぐことになる。

 

「……うむ」

 

 杏寿郎は、煉獄邸で上弦の陸戦で負った傷の療養を続けていた。

 するとこの機会にと父・槇寿郎に譲られたのが、その歴代炎柱の書だった。

 それはまさに煉獄家の歴史そのものとも言って差し支えない物であり、つまるところ。

 

「多いな!」

 

 多かった。

 当然だろう。戦国の時代から、いやそれ以前から続く炎柱の手記なのだ。

 10冊や20冊では足りない。しかもどれも達筆な上、古くて字が掠れているものもある。

 これを読み込んで行こうと思えば、幾夜も費やさなければならないだろう。

 

 しかし、読まないという選択肢はなかった。

 父の期待に応えねばならない。

 それに今こうしている間も鬼と戦い命を懸けている者と比べれば、書物を読むくらい楽なものだと思えた。

 

「うむ! しかし静かな夜だ「オラアアアァッ!」ったな! 何だ何事だ!」

 

 庭の方が急に賑やかになり、杏寿郎は障子を開け放った。

 するとそこで、隊服を着た2人の少年が揉み合っていた。

 猪頭、そして黄色い髪の少年。伊之助と善逸だった。

 杏寿郎の出現に驚いたのか、善逸がぎょっとした顔をした。

 

「ひいいいいいっ! ほら見ろお前が騒ぐから出て来たじゃん! すみませんすみません! すぐに帰りまあすっ!」

「帰らねえよボケが! 三太郎がここで修業してるのは間違いねえんだ!」

 

 むう!と杏寿郎は頷いた。

 三太郎とは誰のことだ。

 

「うむ! 元気があって大変よろしい! だが今は深夜だ! 少し声を落とした方が良いな!」

「ごめんなさい! でもそちらの声の方が大きいと思います!」

 

 よもや!

 と、そんな杏寿郎に伊之助が指を向けて来た。行儀が悪い。

 

「おいお前!」

「何だ!」

「俺もここで修業するぞ!」

 

 杏寿郎は考えた。

 煉獄家(ここ)で修業するとはどういうことだろうか、と。

 ここには道場はあるが、門下生を募集しているわけではない。

 しかし、こうも思った。

 

 若い隊士が修行をしたいという。素晴らしい心がけと言える。

 そんな若者を門前払いすることは、鬼殺隊を支える煉獄家として、炎柱とその一門として、いやそもそも人間として男として、あって良いことだろうか。

 だから杏寿郎は、うむ!と頷いた。

 

「良かろう! 2人とも面倒を見てやろう!」

「ガハハハハッ、おうよ!」

「いやおかしいでしょ? この流れはおかしいでしょ? 俺がおかしいの!?」

 

 笑う伊之助に嘆く善逸。

 この2人は、やはりどこまでも対照的だった。




読者投稿キャラクター:
車椅子ニート(レモン)様:犬井透、コロ。
日向ヒノデ様:多々羅一本丸。
才原輪廻様:妙蓮寺清彦。
グニル様:鐵穴口鉄美。
ありがとうございます。


最後までお読みいただきありがとうございます。
今回は以前から触れていたかもしれない募集を行います。

今回の募集はずばり、瑠衣の新しい日輪刀についてです。

締め切りは4月25日午後18時です。
投稿は全てメッセージにてお願いいたします。

今回は特に細かい規定は作りません。
ただ私の方でもいくつか考えているので、そちらになったり、あるいは「やっぱり普通が1番だよね」と元の日本刀になることもあり得るので、その点は予めご了承ください。

それでは、皆様の多様な提案をお待ちしております~。

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