鬼滅の刃―鬼眼の少女―   作:竜華零

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第32話:「襲撃」

 入れ替わりの血戦。

 それは一言で言えば「下剋上」のシステムだ。

 下位の鬼が上位の鬼に戦いを挑み、勝利すれば階級を奪い取れるというものだ。

 まさしく「入れ替わり」のためのシステム。

 

 ただし、鬼の才能は鬼に変化した時におおよそ決まってしまっている。

 人間を喰えば喰う程に強くなれるのはその通りだが、鬼ごとに()()がある。

 一定量を超えると、体が受け付けなくなってくるのだ。

 才能の総量が決まってしまっているが故に、一度抜かれてしまうと、追いつくことはかなり困難なのだ。

 

(うーん)

 

 童磨(どうま)という鬼がいる。

 左眼に「上弦」右眼に「弐」の数字が刻まれた、上弦の鬼である。

 金の髪に虹色に煌めく瞳と常人離れした容姿をしているが、驚くべきことに、人間だった頃と容姿はほとんど変化していないという。

 その彼が今、思案気な表情を浮かべていた。

 

(猗窩座殿に入れ替わりの血戦を挑まれた時は、どうして無駄なことをするんだろうと思ったけれど)

 

 ()()()()()()

 童磨は今、頚から上だけの状態だった。

 もちろん鬼であるのでその状態でも死ぬことはないが、上弦の弐たる彼がそんな状態に陥っているということ自体、驚異的なことだった。

 何故ならば、肉体を再生させる力が残っていないということだからだ。

 

「いやあ、凄かったねえ。以前の猗窩座殿とはまるで別人のようだったよ」

 

 その童磨の頭を手で掴んでいる鬼がいた。

 上弦の参、猗窩座。童磨に入れ替わりの血戦を挑み、今まさに勝利した鬼だ。

 童磨は猗窩座より後に鬼になり、そして猗窩座より先に上の階級に上った。

 つまり鬼になった時点の才能で童磨は猗窩座を上回っており、だからこそ猗窩座よりも上の階級にいたのだ。

 

「と、いうか……」

 

 しかし、童磨に動じた様子はなかった。

 敗北や降格に心が動いた様子はなく、そもそも最初から固執していたのかどうかさえ疑わしかった。

 

「きみ、本当に猗窩座殿かい?」

 

 虹色の瞳を――すでに数字が「参」に変わりつつある――自分()を持つ相手に向けて、そう言った。

 

「きみは、いったい誰なのかな?」

 

 童磨の言葉に、猗窩座は答えなかった。

 もっともこれは今に始まったわけではなく、猗窩座の童磨への態度は元々こんなものだった。

 だから童磨は、このつれなさは猗窩座殿っぽいなと、そんなことを思ったのだった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 ――――刀鍛冶の里に逗留(とうりゅう)して、はや2週間が経とうとしていた。

 その間、瑠衣は足の治療を――まさに()()だ――続けながら、刀の完成を待ちつつ、炭治郎の修行に付き合っていた。

 具体的には、縁壱零式との訓練である。

 

「綺麗だ……」

 

 と、小鉄が呟くのを、炭治郎はお握りを頬張りながら聞いていた。

 実はほぼ4日ぶりの食事だったのだが、炭治郎も()()から目を離すことはなかった。

 もっとも、感想は小鉄とは違うものだったが。

 

(凄いなあ)

 

 縁壱零式の5本の腕――1本は時透が折った――にが繰り出す斬撃は、凄まじいの一言だ。

 息つく間もなく攻撃してくる。

 あまりにも隙がなさ過ぎて、反撃することが出来ない。

 時透がどうやって縁壱零式の腕を折ったのか、炭治郎にはまるでわからなかった。

 

 その縁壱零式と、瑠衣は互角以上に斬り合っていた。

 圧倒的な脚力による、全方位立体攻撃によってである。

 縁壱零式とただ正面から打ち合うのではなく、瞬間的に射程の外に出て、僅かな攻撃の間隙を突くという戦い方だ。

 蝶のように舞い、蜂のように刺す。まさにこのことだろう。

 

(あそこまで脚を鍛えるのに、どれだけ鍛錬したんだろう)

 

 善逸の足も凄いものだが、持久力という点では瑠衣が圧倒している。

 体幹と()()の鍛え方が尋常ではないのだろう。あと足腰もか。

 そう言えば、炭治郎の師も足腰は特に鍛えておけと言っていた。

 

「あ、危ない!」

 

 小鉄の声が飛んだ。

 攻撃をかわした瑠衣に対して、縁壱零式が関節を()()させて切り返したからだ。

 人間であれば不可能な動き。

 あれは実在の剣士を元にしたと聞いたが、まさかその剣士はあんな動きも出来たのだろうか。

 

「跳んだ!?」

 

 縁壱零式に対して、瑠衣はその場で跳んでみせた。

 空中で身体を横に倒したかと思うと、そのまま回転した。

 縦回転の斬撃が、縁壱〇式の腕数本を弾き飛ばした。

 いくつかの腕が瑠衣の反撃を擦り抜けるが、一番遠い腕だった。

 

 瑠衣は身を捻り、弾き切れなかった斬撃を紙一重でかわした。

 刃が掠めた前髪が、ぱっと宙に散った。

 結果として、瑠衣は縁壱零式の懐に飛び込んでしまったのだ。

 縁壱零式の攻撃を利用して、返しをやったのだ。

 

(俺も、あんな風にできたら)

 

 あと一歩だと、炭治郎は思う。

 あと少し何かが足りない。そんな気がする。

 そしてその何かが見えた時、自分はさらに一段強くなれるはずだ。

 縁壱零式に対して一本を取った瑠衣を見ながら、炭治郎はそう思った。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 小鉄は毒舌だった。そしてスパルタだった。

 頭は良いのだが、如何せん経験不足のせいで、手加減というものを知らなかった。

 要するに、炭治郎に対する修行は苛烈を極めた。

 具体的には、縁壱零式に一本当てるまで飲まず食わずというものだ。

 

 実際、今日までの4日間、炭治郎は雨水以外を口にしていない。

 普通なら死んでもおかしくないのだが、哀しいかな全集中の呼吸は着実に炭治郎の肉体を強靭にしているのだった。

 まあ、その甲斐あってか縁壱零式に対して、直前に匂いで攻撃を察知できるまでになっていた。

 まさに命を懸けた特訓。一般人なら止めるところかもしれないが。

 

(うちの訓練よりは優しいかな)

 

 残念ながら、瑠衣の感性はやや一般人から外れていた。

 ちなみにここでいう「うち」とは煉獄家であり、師である不死川のことだ。

 何しろ小鉄と縁壱零式は、こう見えて本当に危ない時は手を止めるのだ。

 しかし父や不死川は本当に危ない時でも手を止めずに打ち込んでくるので、まだ優しい。

 

「むー」

 

 気が付くと、禰豆子が瑠衣の膝に頭を擦り付けてきていた。

 すでに夕方とは言え、まだ日もある。林の中は陽光が遮られるが、危なくはないのだろうか。

 ふとそんなことを思ったのだが、そう思ったこと自体に、瑠衣は驚いた。

 相手は鬼だというのに。

 

「む?」

 

 しかし無垢な目で首を傾げているのを見ると、どうにも敵愾心を持ちようがない。

 その気になれば、この頭で瑠衣の膝を割ることなど造作もないというのに。

 

「ばうっ!」

「わっ」

 

 と、どこからかコロが飛び込んで来た。

 どうもコロも瑠衣の膝を狙っているらしいのだが、禰豆子が譲らなかった。

 膝の上で押し合い()し合いする禰豆子とコロを見て、思わず笑ってしまった。

 

「あーらら、駄目だろコロ。そんなところに頭突っ込んじゃあ」

 

 ひょい、と、首根っこを掴まれてコロが持ち上がった。

 気配も感じさせずに近付いて来た犬井が、コロを持ち上げたのだ。

 あれだけ瑠衣の顔を舐めても放置していたというのに、どういう風の吹き回しか。

 顔を上げると、軽薄そうな笑みが返ってくるだけだった。

 

「わあああああ――――っ!!」

 

 その時、炭治郎達が悲鳴のような大声を上げていた。

 あまりにも大きな声だったので、瑠衣も思わず肩を震わせてしまった。

 いったい何事が生じたのかと視線を向ける。

 すると、縁壱零式に異変が生じていた。

 あの恐るべき絡繰人形の、頭が砕け散っていたのだ――――。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 炭治郎と小鉄が歓声を上げている。

 というのも、炭治郎の一撃で砕けた縁壱零式の頭から、一本の古い刀が出て来たからだ。

 縁壱零式は内部を検められたことがないというので、その刀はずっとそこにあったのだろう。

 

「ひゃあ、そりゃあびっくりだねえ」

 

 小鉄が縁壱零式が300年以上前から存在していたと聞くと、犬井はさほど驚いていない顔でそう言った。

 しかし、もし本当に戦国時代の刀だとすれば国宝級に貴重な品と言える。

 

「ぬ、ぬぬぬ抜いちゃいます? ちょっと抜いちゃいます炭治郎さん!?」

「いいの!? 抜いちゃっていいの俺なんかが!?」

「持ち主の俺が言うんだから良いんですよ! 抜いちゃいますしょう!」

 

 ただ、そこでふと瑠衣は「うん?」と疑問を得た。

 

「あ、ちょっと待って……」

 

 次の瞬間、抜いた刀が錆びに錆びていて、炭治郎と小鉄は地に沈んだ。

 あー、と、犬井の呑気な声が響いた。

 

「そりゃあねえ。戦国時代から放置されてればねえ。錆びるよねえ」

 

 刀に限らないが、金属というのは意外と繊細なものだ。

 常日頃から使用して、さらにきちんと手入れをしなければ簡単に駄目になってしまう。

 絶対に錆びない金属など、この世には存在しないのだ。

 

 期待が大きかった分、残念さも大きかったのだろう。

 見るからにしょんぼりしている炭治郎に、小鉄が珍しく素直に平謝りしていた。

 苦笑しつつ、地面に落ちた刀を拾った。

 拾った瞬間に思ったのは、奇妙な柄だ、ということだった。

 

「柄巻きがへこんでる……?」

 

 刀の柄には柄巻きと呼ばれる皮革部分があるのだが、その中央あたりが奇妙にへこんでいた。

 通常、こんな形で柄は作らない。

 触れて見ると、さらに細かなへこみがあることに気付いた。

 なだらかな段差があって、まるで人の手指の形だと思った。

 

「……握り潰した?」

 

 口に出して、まさか、と自分で笑った。

 柄を握り潰すなど、常人の握力で出来ることではない。

 大方、長い年月の間に劣化しただけだろう。

 そう思った時だった、視界の端から、分厚い腕が刀を掴んできた。

 

「え?」

 

 その腕を追っていくと、自分のすぐそばに上半身が裸の男が立っていた。

 ひょっとこの面を被っているので、刀鍛冶というのはすぐにわかった。

 それでも、筋骨隆々の汗に濡れた上半身裸の男がいきなり現れて。

 

「俺に……任せろ……!」

 

 瑠衣は思った。

 世の中にまともな男は、自分の家族以外にはいないのだろうか、と。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 ――――暗闇の中で、蠢く者達がいる。

 平穏な世界にいると忘れてしまいそうになるが、それらは今も確実に妄動している。

 人とは異なる理の中にいる彼らは、暗闇の中からじっとこちらを窺っているのだ。

 

「ヒイイイィ……急がねば、急がねば……」

 

 ある者は、卑屈そうな声音で嘆いている。

 だがその卑屈さと嘆きは見かけだけで、その内心は邪悪に満ちていた。

 何故ならば彼は、己のことしか考えていないのだから。

 

「あの御方はお怒りじゃ……皆殺しにせねば。あの御方に楯突(たてつ)く者どもを。(はよ)う、早う……!」

 

 悪臭がする。鉄錆のような臭いだ。

 (おびただ)しい人間の血を固めて押し込めたかのような悪臭が、彼らからは常にしている。

 ある者は、しかしそれを何とも思っていない。

 むしろ自分の一部になれる方が無為に生きるよりもずっと良いことなのだと、本気でそう考えているのだ。

 

「ヒョヒョッ、しかしここを潰せば鬼狩り達を確実に弱体化させられる。あの御方にもお喜びいただけるとも」

 

 嗚呼、何とおぞましいことだろうか。

 暗闇から、陽光の当たる世界をじっと見つめる彼らの目は余りにも冷たく、そしてやはりおぞましい。

 闇が広がる。陽が落ちて彼らの世界がやって来る。

 

 世界が夜の闇に落ちるのを、今か今かと待っている。

 夜は自分達の世界だと、確信している。

 夜の暗闇の中で自分達に及ぶものがあるはずがないと、そう思っているのだ。

 嗚呼、陽が落ちる。彼らの、鬼の世界がやって来る。

 

「そんなことより玉壺さあ、こんなシケた里にマシな()()があるわけ? 汚らしい刀鍛冶ばっかじゃない」

「ヒョヒョッ、それもまた良い……」

 

 鬼に狙われる。

 これは、この世で最も不運なことの1つに数えられるだろう。

 しかし、最大の不運ではない。

 では何が最大の不運なのかと言えば、それは()()することだ。

 そう、例えば、鬼が刀鍛冶の里を狙っているまさにその場に、居合わせてしまうとか。

 

(な、何だよアイツら……)

 

 獪岳である。

 彼は大きな木の根元に身を潜めて、息を殺していた。

 獪岳の視線は、特に、ある一体の鬼に向けられていた。

 

(あ、アイツは……あの時の……!)

 

 思い出すのは、恐怖と屈辱の記憶だ。

 脳裏に去来したその記憶に、獪岳は唇を噛み締めたのだった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 昔からだ。

 自分には運がなかった。

 チャンスはほとんど巡って来ないくせに、不運だけが列をなしてやって来る。

 どうして自分だけがと、いつも神を呪っていた。

 

(あの時の、上弦の鬼! どうしてこんなところに……!)

 

 小さな老人の姿をした鬼が、刀鍛冶の里の山中にいた。

 通りがかったのは、たまたまだ。気配を察して急行したというわけではない。

 ただ、遭遇してしまったのだ。

 ()()にも、見つけてしまったのだ。

 

 以前、もう数か月前のことになるか、下弦の肆討伐時に遭遇した上弦の鬼に。

 刀鍛冶の里は巧妙に隠されているはずなのに、見つかってしまったのか。

 もちろん、物理的に存在している以上、発見される可能性は0には出来ない。

 しかし、よりにもよって自分が滞在している今でなくても良いだろうと、そう思わずにはいられなかった。

 

(どうする……?)

 

 幸い、あの鬼はまだ獪岳の存在に気付いていない。

 だが時間の問題だろう。

 気配を消すにも限界はあるし、風向きが変われば匂いで見つかるかもしれない。

 このまま身を潜めて息を殺していても、事態は何も改善しないのだ。

 

(しかも、一体じゃねえ)

 

 話し声は、あの鬼だけではなかった。

 

「それで、陽が落ち切ったらどうするのさ」

「ヒョヒョッ、そう慌てるな。まずはやつが騒動を起こすはず」

 

 姿は確認できないが、少なくとも別に2体いる。

 いや、今の口ぶりからすると、まだ他にもいるのかもしれない。

 鬼は群れないはずではなかったのか。話が違うじゃないか。

 

(逃げるしかない)

 

 逃亡。それしかないと思った。

 あの上弦の鬼だけでも対処しきれないのに、他に何体も鬼がいるならなおさら無理だった。

 問題は、その後どうするかということだった。

 里に駆け戻って知らせるか。しかし、直後にあの鬼達が襲ってくるだろう。

 それでは、逃げ切れないかもしれない。

 

 ()()()()()()()

 

 ――――移動しなければ。

 いずれにせよ、この場にいては命がない。

 だから獪岳は膝を立てて、その場から離れようとした。

 しかし足を下げた時、パキ、と、枝が折れる音がした。

 血の気が引いた。

 

「……ッ!」

 

 慌てて鬼の方を確認すると、あの上弦の鬼は変わらずそこにいた。

 気付かれなかったのか。ほっと安堵した。

 しかし、後ろから。

 

「――――残念。お前の人生はここで終わりだよ」

 

 知っていた。

 自分には幸運は訪れない。神様が微笑んでくれることなんてない。

 それでも獪岳は、畜生、と悪態を吐かずにはいられなかった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

「というわけで、小鉄君の絡繰人形も壊れちゃうし、出て来た刀も鋼鐵塚さんに持って行かれちゃうしで、色々あったんだ」

 

 縁壱零式の頭が砕けてしまったため、炭治郎の修行も一時中断を余儀なくされていた。

 さしもの小鉄も理由もなく絶食を命じる程に鬼ではないわけで――逆に言えば、理由があれば水も食べ物も禁じるということだが――炭治郎は、普通に夕食をとっていた。

 白米の甘さに感動しつつも、炭治郎は目の前に()()に声をかけ続けた。

 

「それで、その錆びた刀を鋼鐵塚さんの家に伝わる研磨術で磨いてくれるみたいなんだけど、とても過酷な研ぎ方らしいんだ。死んじゃった人もいるって話だし……こっそり見に行っても大丈夫かなあ?」

「……さあな」

「絶対覗きに来るなって言われてるけど、やっぱり心配だよ」

「……というかよ」

 

 頑として背中を向けていた玄弥だが、気にせずに話しかけ続ける炭治郎に根負けしたのか、ついに声を上げた。

 

「知らねえよそんなこと! 友達みたいな顔して話しかけてくるんじゃねえよ!」

「ええ!? 俺たち友達じゃないの!?」

「どういう思考回路すればそうなるんだよ。友達じゃねえよ! お前、俺の腕折っただろうが!」

「いや、あれは玄弥が全面的に悪いから仕方がない」

「お前マジで殺すぞ……!」

 

 炭治郎と玄弥は同期なのだが、確執が――玄弥の方がほぼ一方的にそう思っているだけだが――あった。

 最終選抜の直後、日輪刀の説明をしていた女の子を玄弥が殴ったのだ。

 それに怒った炭治郎が、玄弥の腕を折ったのだ。

 

 それ以来、玄弥は炭治郎を毛嫌いしている。

 しかし炭治郎の方はそう感じてはいないようで、今も「心外!」という顔をしていた。

 この2人に友情が芽生えるかは、将来に期待するしかないのだろう。

 

「2人とも、騒がし過ぎると思う」

 

 そして、その場には時透もいた。

 良く誤解されるが、時透は別に人を避けているわけではない。

 人が彼を避けているだけだ。

 なので普通に食事には出て来るし、一緒に食べることを拒否するわけではない。

 

「というか、きみはどうして食べないの?」

「それは俺も思っていたぞ! 玄弥はいつも食べないけど、もしかしてどこか具合が悪いのか?」

「どうだって良いだろそんなこと! 頼むからもう放っておいてくれよ!」

 

 男でも、3人集まれば姦しいというところか。

 いや、男の場合は単に騒がしいというべきなのだろうか。

 しかし、いずれにせよ。

 そんな時間は、残念ながら、長くは続かなかった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 空を見上げると、雲ひとつない月夜だった。

 そんな美しい月の下で、多々羅一本丸は深々と溜息を吐いた。

 

「ああ……明日も早朝から作業だ。どうせ折られる刀を作るんだ……はあああ……」

 

 肩に手拭いがかかっている。髪も湿気ていた。温泉に入ったのだろう。

 普通なら温泉ですっきりして気分が変わっても良いはずだが、彼には効果がないようだった。

 心なしか、ひょっとこの面もしょぼくれているように見える。

 

 温泉から居住地区へと続く石階段を、カラコロと下駄の音を響かせながら降りていく。

 すると、途中で奇妙な物を見つけた。

 壺だ。

 どこにでもある普通の壺だ。取り立てて言及するような特徴もない。

 

「何でこんなところに? 危ないじゃないか……」

 

 道の真ん中にでんと置かれているものだから、避けて通るというわけにもいかなかった。

 里には子供もいる。ぶつかったり、転んだりでもしたら大変だ。

 そう思って、一本丸は壺に手を伸ばした。

 そして指先が、壺の縁に触れようとした時。

 

(え?)

 

 全身の毛が、産毛に至るまで逆立った。

 それが何故なのか理解するよりも先に、壺の底で何かが蠢くのが見えた。

 そして、彼がそれが何なのか理解できたのは、()()()が終わった後だった。

 ()()()、だ。

 

「えあ?」

 

 視界が、真っ白に染まっていた。

 そう思ってしまう程に、その()は白く、美しく広がっていた。

 次に見えたのは、()()が着込んだ黒の詰襟だった。隊服だ。思考が追い付いて来た。

 一本丸は、壺に潜む何かが腕を掴む前に、彼女が一本丸を抱えて跳び退(ずさ)ってくれたのだと気付いた。

 

「あ、あんたは……」

 

 ゆらり、と、一本丸を地面に置いて立ち上がった。

 どういう構造なのか、隊服の胸部分の下側が大きく切れており、足元から見上げると()()見えてしまっていた。

 慌てて目を逸らすと、あの壺の異変に気付いた。

 

「ヒョッヒョッ。まあ、そんな汚らしい刀鍛冶の肉など喰いたいとは思わぬが」

 

 肉の塊が、壺から伸びていた。

 そうとしか思えない造形の化物がそこにいた。

 白い、人の上半身のような形をしている。両腕がない。代わりに無数の小さな腕がある。

 下半身は壺の中のようだが、根本は赤黒く変色していて異臭を放っていた。

 そして何より、顔だ。

 

「この私の邪魔をして、生きていられると思うのか?」

 

 目があるべき位置に口があり、額と口に目があった。

 それが、笑みのようなものを浮かべているのだ。

 なまじ形だけは人に近い分、余計に不気味だった。

 そしてその不気味な化物は、一本丸を、いや一本丸を救った少女を見つめていた。

 

「嗚呼、今夜の」

 

 ゆらり、と、今にも倒れそうな足取りで、両手をだらんと下げたままで。

 

「今夜の悪夢は、格別ですね」

 

 鈴音は、眠た気な目で悪鬼を見つめ返していた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 里の温泉に入るのも、もう慣れてしまった。

 そのおかげか、足の怪我はすっかり良くなっていた。

 お湯の中で足を動かせば、違和感なく曲げ伸ばしをすることが出来た。

 

「ばうっばうっ」

「あなたとお風呂に入るのも、当たり前になってきましたね」

 

 そして、コロである。

 この老犬は、何故か瑠衣のところにやって来るのだ。

 最初は随分と懐かれたものだと思っていたが、それにしては来るタイミングがおかしいとも思った。

 例えば、温泉に入っている時。コロは必ず瑠衣についていた。

 それから…。

 

「いや~、ごめんねえ。コロが面倒をかけて」

 

 犬井だ。彼がいる時、コロは必ず瑠衣に寄って来る。

 まあ、コロは犬井の愛犬なので彼の傍にいるのは当然なのだが、今は別だ。

 何故なら犬井は男女を分ける衝立の向こうにいるのに、コロはこちらにいるからだ。

 今日だけなら疑問にも思わないだろうが、これが毎日なのである。

 

 動物は嫌いではないし、懐かれて嫌というわけではない。

 しかし、どこか引っかかるのだった。 

 もっともコロ自身は、無垢な顔で瑠衣を見つめているだけだ。

 そして顔を舐め回してくる。これはやめてほしい。

 

「いえ、コロは可愛いので。私も楽しいです」

「そう言って貰えて有難いねえ。コロは昔から女の子と風呂に入るのが好きでね」

「それはまた。何というか、語弊(ごへい)のある言い方ですね……」

 

 女好きの犬。

 誰がどう聞いても良い印象にはならないだろう。

 

「特に……」

 

 犬井が何か言葉を続けていたようだが、それは瑠衣の耳まで届かなかった。

 手を伸ばせば、コロは瑠衣の手に顎を乗せて来た。

 ほんわかとした気分になりつつ、湯船から立ち上がった。

 温泉の熱で赤くなった肌から、湯の雫が温泉に吸い込まれていった。

 

「うん?」

 

 何となく、揺れる湯面を見つめていた時だ。

 足を伝って雫が吸い込まれたお湯に、何かが揺らめいた気がした。

 片足だけ湯から外へ出した状態で、身を屈めた。

 

 濁った湯が、ゆらゆらと揺らめいている。

 いつも通りだ。特に変わったところはない。

 気のせいかと思い、湯の外に出ようと足を上げた。

 足を上げると、当然、お湯が大きく揺れる。

 

「ばうっ!」

 

 その瞬間、コロが吠えた。

 これまでのじゃれるような吠え方ではなく、本気のそれだった。

 コロは、()()()()()()()吠えていた。

 背中を向けてしまった瑠衣には、コロが何に吠えているのか確認することが出来ない。

 だから瑠衣は、そこで判断を迫られることになった。

 

「コロさん!」

 

 コロの判断を、信じるか否か。

 瑠衣は即座に判断した。コロを脇に抱えて、跳ぶ。

 足先を何かが掠めたのを感じた。あと少し遅ければ、捕らわれていた。

 着地した時、瑠衣がそれを見た。

 

(子供……!?)

 

 金髪の、子供だ。10歳か、それよりも少し大きい。それくらいの背丈。

 温泉の中にいるが、服を着ていた。洋装。青と白のエプロンドレス。

 実に可憐な、可愛らしい女の子だった。

 だが碧眼の瞳は射殺さんばかりに瑠衣を睨み、食い縛られた歯からはギリギリという音が響いていた。

 

「……な」

 

 容姿に似合わぬ、低い声。

 湯が、暴風雨に晒される海のように逆巻いていた。

 それはまるで、その少女の感情の激しさを表しているかのようだった。

 

亜理栖(アリス)のお兄ちゃんに――――近付くなアアアァッッ!!」

 

 次の瞬間、温泉の湯が意思を持っているかのように押し寄せて来た。

 明確な害意を持つ波に、瑠衣はなす術もなく打たれたのだった。




読者投稿キャラクター:
車椅子ニート(レモン)様:亜理栖
ありがとうございます。

最後までお読みいただきありがとうございます。
日輪刀募集もありがとうございました。

次回から刀鍛冶の里編、戦闘パートです。
それでは、また次回。
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