鬼滅の刃―鬼眼の少女―   作:竜華零

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第33話:「悪夢を断ち切る刃」

 ――――子供の頃の話だ。

 すごく小さかった時のこと、一度だけお風呂で溺れたことがある。

 その時は母が気付いてくれたので大事には至らなかったらしいが、小さかったせいか、瑠衣自身はあまり良く覚えていなかった。

 

『――――イ』

 

 兄から聞いた話では、母は瑠衣を湯船から引き上げた後、起きるまで何度も呼びかけていたらしい。

 ご近所に冷静沈着で知られた母が取り乱すところを初めて見たと、杏寿郎は感慨深そうに語っていた。

 

『――――瑠衣!』

 

 自分は溺れた記憶がなかったから、取り乱した母を自分も見てみたかったと、子供心にそんな酷いことを思ったものだ。

 そんな母が今の自分を見たら、どう思うだろう。

 温泉のお湯が追いかけてきたなんて、はたして信じて貰えるだろうか。

 

『馬鹿ナコト言ッテナイデ――――起キロ!』

 

 頭に衝撃が来た。

 いや、いくら何でも頭を蹴ったりはしないだろう。

 ……たぶん。

 

(いった)い!」

 

 叫んで、跳ね起きた。

 視界に入って来たのは見慣れた温泉だ。お湯も普通に張っている。

 直前の記憶と変わるところがなくて、一瞬、何も起こらなかったのかと思った。

 しかし足元に衝立の残骸らしき破片が散らばっていたことと。

 

「ばうっ!」

「コロさん。良かった、無事だったんですね」

 

 コロが傍にいて、状況を確信した。

 温泉に入っていた時に、何者かの襲撃を受けたのだ。

 不覚にもそこで気を失ってしまったのだろう。

 

 だが、あの女の子――明らかに異能の鬼だった――は姿が見えなかった。

 自分にとどめを刺すこともなく、姿を消したのは解せなかった。

 とは言え、だから安全というわけではない。

 里の方も気がかりだ。一刻も早く戦える態勢を整える必要がある。

 

「いやあ~、それ以上はおじさんちょっと待ってほしいなあ」

 

 不意に声をかけられて、振り向くと犬井がいた。衣服を着ていなかった。

 面食らったが、ここは温泉だ。腰に手拭いを巻いているだけまだマシだろう。

 それに、おかげで気を失っていた時間がさほど長くなさそうだと気付くことが出来た。

 その犬井だが、膝をついて両手を前に出していた。

 まさしく、「動くな」の姿勢だった。

 

「おじさんの名誉のために言っておくと、その手拭いはコロが持ってきたんだ。だからおじさんは何も見ていないよ。ただね、そのままね、起き上がられるとね、流石に不味いかなあってね」

「……? 何の話……あ」

 

 繰り返すが、ここは温泉である。直前まで入浴していた。

 瑠衣は思った。

 あの鬼、絶対に許さない、と。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 老人の姿をした鬼の頚を斬ると、4体に増えた。

 眼球に刻印された数字から、その鬼が上弦の肆であることはわかった。

 炭治郎だけでなく時透も玄弥も即座に戦闘態勢に入っていたが、4対3の状況だ。

 苦しい戦いになりそうだと、そう思った。

 

(瑠衣さんが言っていた鬼……!)

 

 数か月前に瑠衣が遭遇した鬼の情報は鬼殺隊内でも知られている。

 上弦の鬼の能力に関する情報は貴重だ。

 特に炭治郎は瑠衣と親しい。直接話を聞いていたから、正確な情報を知っていた。

 

「時透君、玄弥! この鬼は1体ごとに能力が違う、気を付けて!」

「気を付ける? カカカッ。おお、大いに気を付けてくれ」

 

 可楽が、八つ手の団扇を振り上げていた。

 

「突風が来る!」

 

 すかさず、炭治郎が叫んだ。

 可楽の団扇が振り下ろされると、強烈な風が吹き(すさ)んだ。

 炭治郎達は全身に力を込めてそれに耐えた。

 来るとわかっていれば、耐えることも難しくはない。

 問題は、可楽の能力の影響を受けない他の3体はその間も自由に動けるということだった。

 

「耐えても意味はないというのに、哀しいな」

「カカッ、長く楽しめる方が良かろうが!」

 

 十文字槍を持つ哀絶に、半人半鳥の空喜。

 この2体は能力が直接攻撃系統のため、まだ対処しやすい。

 問題はもう1体の方だった。

 

「馬鹿なことを言うな。耐えられることも、時間がかかることも腹立たしくて仕方がない。夜明けまでに里の者どもを皆殺しにせねばならんのだぞ」

 

 積怒。怒りの鬼。おそらく4体の中で司令塔の役割を果たしている鬼だ。

 それを一目で見抜いたのだろう。気が付いた時、時透がすでに積怒の間合いに入り込んでいた。

 

「このような小童(こわっぱ)にまで侮られる。腹立たしい腹立たしい」

 

 積怒の掌の中央から、錫杖が伸びてきた。

 それがバチバチと雷を帯び始めるのと、錫杖が積怒の片腕ごと斬り飛ばされるのはほとんど同時だった。

 

「おのれ……!」

 

 ――――霞の呼吸・肆ノ型『移流斬り』。

 間合いに滑り込み、斬り上げの一撃が積怒を斬ったのだ。

 その一連の動きの滑らかさにも驚いたが、炭治郎は時透から緊張の匂いが何もしないことに驚いた。

 

 上弦を前にして、時透は気負いの1つもないのだ。

 最年少で柱にまで上り詰めた天才少年は、自然体で上弦と対峙していた。

 凄いことだ。だが。

 

「時透君、玄弥! 里に来てる鬼はこいつだけじゃない! 他にも複数の匂いがする!」

「なっ……上弦(こいつ)の他ってどういうことだよ。鬼はつるまないはずだろ!?」

 

 そう。鬼は群れない。

 しかし炭治郎の嗅覚は、上弦の肆以外の鬼の匂いを嗅ぎ取っていた。

 鬼の陣営でも、何か事情があるのかもしれない。

 だが、その事実は炭治郎に別の焦りを産んでもいた。

 

(禰豆子を)

 

 タイミングの悪いことに、禰豆子は部屋で寝ている。

 感覚の鋭い子だから、襲撃の気配には気が付くはずだ。

 何より鬼だから、強いし不死身だ。

 本当なら、心配の必要などないのかもしれない。

 

(禰豆子を、迎えにいかないと……!)

 

 それでも炭治郎は、禰豆子のことを案じた。

 兄だから、たった1人の妹だから。

 それは、理屈ではなかった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 魚。いや、金魚だ。

 巨大な金魚――筋骨隆々の人間の手足が生えている――が、襲いかかって来た。

 恥ずかしい話だが、一本丸はそれを前にした時、腰を抜かす以外のことが出来なかった。

 

「一本丸のおっさん、大丈夫か!?」

「あ、あわわわ……」

 

 腰を抜かしている一本丸の元に、茂みから姿を現した鉄美と清彦が身を低くしながら駆けよって来た。

 一本丸が2人に両側から支えられながら立ち上がると、それを目にした金魚の化物が気味の悪い咆哮を上げた。

 ビリビリと空気を震わせる咆哮に、3人が耳を押さえて蹲る。

 

「うわああっ!」

 

 その3人に対して、金魚の化物が丸太のように太い腕を振り下ろしてきた。

 あの腕に掴まれれば、人間など簡単に引き千切られてしまうだろう。

 死を肌で感じたその時、鉄美は見た。

 金魚の化物の足元に、ゆらり、と、いつの間にか鈴音が立っていた。

 身構えているわけでも日輪刀を構えているわけでもない。ただ、普通に歩き近付いた。

 

「ちょちょちょ、危な……」

 

 ()()()

 返って来た無垢な微笑に、鉄美は言葉を失った。

 繰り返すが、あの金魚の腕は人間の胴を簡単に捻じ切ることが出来る。

 少女の細腰など、ひとたまりもないだろう。

 

 ()()()()()()()()()()

 

 は?、と、鉄美は間の抜けた声を発してしまった。

 今、鉄美は鈴音の腰が折られることを心配していたはずだ。

 それが何故、金魚の腕の方が落ちているのか、すぐには理解できなかったのだ。

 鈴音が斬ったのだいう当たり前のことを、視覚と頭が理解できなかったのだ。

 

「ズモオオオオオォッ!!」

 

 凄まじい咆哮と共に、斬られた腕がすぐに再生した。

 あの金魚は何なのだ。刀鍛冶達にはわからなかった。

 金魚の腕が再び鈴音を掴もうと襲いかかる。

 

「どうぞ、ごめんあそばせ」

 

 ――――夢の呼吸・壱ノ型『白昼の幻夢』。

 鈴音は背面跳びのような格好で、金魚を跳び越えていた。

 そのまま横回転し、金魚の頭と背中を斬った。

 その拍子に背中に生えていた壺が砕けて、直後、金魚が濁った断末魔を上げて塵になっていった。

 

「すげえ……」

 

 鉄美は感嘆の吐息を吐いた。

 自分達が怯えてなす術もなかった化物を、鈴音は一振りの刀で倒してしまうのだ。

 実際に鬼殺の戦いを見たのは初めてだが、こんな剣士達が日夜戦っているのなら、いつか鬼だって滅ぼせると思った。

 だが……。

 

「ヒョヒョッ」

 

 だが()()()を前にすると、そんな思いはすぐに萎んでしまうのだった。

 上弦の伍。100年を生きる鬼を前に、人間は余りにも非力だった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 上弦の伍――名を玉壺(ぎょっこ)という。

 壺からおぞましい造形の上半身が伸びているという、わかりやすい化物だ。

 余りにもわかりやすい、死の形だった。

 

「ヒョヒョッ、まったくもって理解できない」

 

 壺の上でうねうねと体を揺らしながら、玉壺がそう言った。

 気のせいでなければ、彼が喋る度に生臭い臭気が漂ってくるようだ。

 ぶよぶよとした肌は時折、何かが蠢くように波打っている。

 

「せっかく私が至高の芸術の一部にしてやろうというのに、それを拒むとは」

 

 至高の芸術?

 刀鍛冶達は首を傾げたが、玉壺が砕けた壺――金魚の背中にあったもの――の破片を拾うのを見て、あの金魚の化物のことだと理解した。

 あの趣味の悪い金魚は、この鬼が血鬼術で生み出したものだったのだ。

 

「まあ、それも良い。貴様らのような蛆虫に私の芸術が理解できるはずもない」

 

 理解できてたまるか、と思った。

 それを声に出して言わないのは、言えなかったからだ。

 このおぞましい鬼の発する鬼気に、体が竦んで何も言うことが出来なかったのだ。

 蛇に睨まれた蛙のように、冷や汗を流して固まることしか出来なかった。

 

 先程あの金魚の化物を鮮やかに倒した鈴音でさえ、何の声も発さない。

 それが面白いのか、玉壺が不気味な笑い声を上げていた。

 俯いた鈴音の顔を覗き込むように、体を傾かせている。

 

「ヒョヒョッ、どうした? 恐怖の余り声も……むうん?」

 

 鈴音の顔を覗き込んだ玉壺が、怪訝そうな表情を浮かべた。

 恐怖で俯いていると思われた鈴音だが、良く見ると、規則正しく肩を上下させていた。

 目は閉じていて、船を漕いでいた。つまり。

 

(ね……寝ている……!?)

 

 寝ていた。気持ちよさそうにすやすやと。

 玉壺は驚愕した。

 自分という死の体現者を前に、どういう神経だったら寝ることが出来るのか。

 そして驚愕以上に、無視されたような気分になり、激しい怒りを感じた。

 

「この私の高尚な話を前に居眠りとは……! ふん! ならば、そのまま死ね!!」

 

 ――――血鬼術『千本針・魚殺』!

 玉壺が取り出した壺から2匹の金魚が飛び出し、口から無数の針が放たれた。

 その数は10や100では効かず、あるいは千にまで届いていたかもしれない。

 立ったまま寝ている鈴音に、回避する(すべ)は無い。

 

 ……はずだったが、突然、鈴音が動いた。

 顔は俯いたままで、起きているのか寝ているのか判然としない。

 彼女の隊服の袖は振袖のような形になっているのだが、そこからストンと手に落ちて来るものが見えた。

 

(何だ、あの刀)

 

 鉄美の目には、それは小さな刃が無数に連なっているような形をしていた。

 刀、というには余りにも奇妙な形状だ。

 日本刀ではない。異形の刀。その無数の小さな刃が、不意に()()()

 

 ――――夢の呼吸・参ノ型『胡蝶の迷夢』。

 小さな刃が、鞭のようにしなった。

 しかしそれらは鋼糸で繋がれており、通常の刀ではあり得ない範囲での斬撃を可能にしていた。

 刃の鞭が、甲高い金属音を立てて無数の針を打ち払っていく。

 

「あ、ああああ……!」

 

 突然、一本丸が頭を抱えた。

 

「あ、あの刀は……あれは……」

「え、何です? 何か不味いんですか!?」

「あれは……あの蛇腹剣は……」

 

 固唾を呑んで見守る鉄美と清彦の前で、彼は言った。

 

「物凄く……壊れやすいんだああ……!」

「「そこかよ(ですか)!?」

 

 しかし、そう騒いでもいれらなかった。

 何故なら、一部の針が鈴音の斬撃範囲から逃れて――つまり、流れ()が飛んで来ていたからだ。

 流れ針とは言え、1本1本の威力は他と変わらない。要するに当たれば死ぬ。

 鈴音は下がれない。下がれば今弾いている針も全て後ろに行く。

 

 ――――風の呼吸・壱ノ型『塵旋風・削ぎ』。

 今度こそ死ぬと思ったその時、横から竜巻が飛び込んで来た。

 それが刀鍛冶達に迫った流れ針を全て斬り払い、彼らを守った。

 ふう、と、瑠衣が息を吐いた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 見鬼必殺。

 父と師に骨の髄まで叩き込まれたその信条は、瑠衣に逡巡というものを与えなかった。

 ましてや、玉壺の如き醜悪な見た目の鬼に対してはそうだった。

 

(ぶよぶよしてて、気持ち悪い……!)

 

 ――――風の呼吸・伍ノ型『木枯らし颪』。

 玉壺の頚を目掛けて、突撃した。

 しかし瑠衣の刃が頚に届く前に、玉壺の姿が消えた。

 空を斬り、そのまま地面に着地した。

 振り向くと、ただの壺が1個転がっているだけだった。

 

「ヒョッ! 眠ってしまいそうな程に遅い!」

 

 声を追うと、木の上に壺があった。

 その壺から、ずるりと玉壺の体が這い出て来た。

 

「もっとも、そんな(なまくら)で斬られたところで、私の体には傷一つ」

「つけられないかなあ」

 

 その頚に、犬井が日輪刀を振り下ろしていた。

 必殺のタイミングだったはずだが、玉壺はそれも回避した。

 足元――というより、下半身そのものか――の壺に、瞬時に消えてしまうのだ。

 そして気が付くと、また別の場所に壺が出現しているのだ。

 

(空間移動系の血鬼術……!)

 

 あの壺が、いわば玉壺にとっての扉なのだろう。

 問題は気が付いた時には壺がすでに存在しているということだ。

 壺自体にも術がかけてあるのか、防ぎようがなかった。

 

「厄介だねえ」

 

 太い枝の上で顎を撫でながら、犬井も唸った。

 壺を破壊すれば良いのかもしれないが、壺の最大数がわからない以上、焼け石に水だった。

 逃げる前に頚を斬るのも、今の移動速度を見る限りは難しそうだ。

 

「……人の話を最後まで聞くことも出来ないのか! まあ、それもまた良し! 脳みそまで筋肉で出来ているような低能なのだろう!」

 

 別の場所に出現した壺から、玉壺が顔を出した。

 瑠衣からも犬井からも、微妙に間合いの外に出現している。

 こちらの間合いを一目で見抜いている証拠だ。

 ふざけた見た目だが、やはり上弦の鬼。実力は相当のものなのだろう。

 

「そんな低能には、私が殺して芸術作品に昇華させてやろう! ヒョヒョッ、有難く思うことだ!」

 

 玉壺の背中が波打ったかと思うと、腕が8本、新たに伸びた。

 その全てに小さな壺を持っていて、何らかの攻撃に出ようとしていることは明らかだった。

 いかなる攻撃であろうと、刀鍛冶達を守らなければ、と瑠衣は思った。

 

 トスッ。

 

 軽い音がした。

 己の肉体に()()()()()()いるからか、あるいは反応速度の速さ故か、玉壺がまず気付く。

 頚の左側に、刃が刺し込まれていた。

 

「な……何だとぉ!?」

 

 即座に血鬼術を発動し、その場から逃れた。

 移動した後も、傷口が再生するまで、左の頸動脈から血が噴き出していた。

 それを頚から生やした小さな腕で覆いつつ、玉壺は自分を刺した相手を睨んだ。

 

「鈴音さん……?」

 

 玉壺を刺したのは、鈴音だった。

 もちろん、玉壺のように空間移動しているわけではない。

 気が付いた時、鈴音は玉壺に肉薄していて、頚に刃を立てていた。

 しかし当の本人は、はたして周囲のことを認識できているのか、怪しかった。

 

「あー、噂で聞いたことはあったかなあ」

「噂、ですか?」

()()()()戦う剣士がいるって話。おじさんもただの噂だと思ってたんだけど。つまり、あの子はねえ」

 

 瑠衣の隣に降りてきた犬井が、そう言った。

 

「……夢遊(スリープ)病者(ウォーカー)なのさ」

 

  ◆  ◆  ◆

 

 夢遊病、睡眠時遊行症とも言われる、いわゆる睡眠障害の1種だ。

 通常の発症時間は長くて30分程とも言われるが、稀に日常生活と一体化するまでに悪化する場合がある。

 原因は疲労・ストレスなど様々なものが挙げられるが、もう1つ、有力とされる説がある。

 曰く、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()場合に発症する――――。

 

「――――夢遊病! ヒョヒョッ、くだらん! 狂人の戯言に付き合っていられる程、私も暇ではない! そろそろ死ね!」

 

 ――――血鬼術『蛸壺地獄』!

 玉壺の持つ壺の中から、巨大な蛸の足が這い出た。

 1本1本が巨木の幹ほどもあるそれらが、目にも止まらぬ速度で鈴音に襲いかかった。

 

「……ええ、確かに。私は狂っているのでしょう」

 

 地面に背中を向けて跳躍し、蛸足の群れを受け流した。

 右手に蛇腹剣、左手に通常の日輪刀を持ち、胸の前で交差させる。

 その間にも跳躍は続いている。長く白い髪が慣性に従って流れていく。

 

「周囲の方からすれば、異常者と思われても仕方ないのでしょう。警察のお世話になった剣士などそうはいないものです」

 

 ――――夢の呼吸・伍ノ型『邯鄲(かんたん)の酔夢』。

 日輪刀を蛸足に突き立て、急制動をかけた。

 そのままの勢いで着地し、なお迫る蛸足に対して蛇腹剣を振るう。

 蛸足のぶにぶにとした肉質は容易に切断することは出来ない。

 

 しかし蛇腹剣によって巻き取り、削り、千切った。

 今にも倒れそうなふらふらとした足取りはしかし、紙一重で蛸足の攻撃の軌道から外れていた。

 その足取りと蛇腹剣の不規則な剣筋と相まって、全方位から迫る蛸足に対しては凶悪なまでに有効な技となっていた。

 

「ですが、そんな私だからこそ、果たすべき役割があると信じます」

 

 蛸足の群れを斬り払って、大きく上半身を捻った。

 右手の蛇腹剣を大きく掲げる体勢で、意図は明白だった。

 

「ヒョッ! その剣の射程はさっき見た! 長いがそこまででは……」

 

 ――――夢の呼吸・弐ノ型『華胥(かしょ)の夢想・永眠』。

 ごきん、と嫌な音がした。右肩の関節が外れた音だった。

 だから、直後に放たれた一撃は、玉壺の想定よりもさらに()()伸びた。

 その切っ先が、頚にまで。

 

「華胥の国に遊ぶ皆々様の安眠を守るために、私という異常者が貴方という悪夢を殺すのだと」

 

 ――――血鬼術『水獄鉢(すいごくばち)』。

 鈴音の斬撃が届くよりも一瞬早く、玉壺の持つ壺から大量の水が吐き出された。

 水が自身を包み込む前に、頚に剣が届くか。

 鈴音はそんな思考はしなかった。

 ただ夢見るように、否、夢見るままに、悪夢を断ち切るだけだ。

 

 ――――風の呼吸・漆ノ型『勁風・天狗風』!

 水の檻を、斬り弾く風の刃。

 そして、めくれた羽織の下に覗いた「滅」の一文字。

 それが見えたタイミングで、右肘の関節をさらに外した。

 

「ヒョッ……!」

 

 伸びた刀身。その切っ先が、悪鬼の喉元に届こうとしていた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 ――――敵襲!

 その一報は、瞬く間に刀鍛冶の里全体に知れ渡った。

 

「鬼だ――――ッ! みんな起きろ――――ッ!」

 

 各所の物見櫓に上った里の人間は、鐘を打って里の人々に緊急事態を知らせると共に、全員が異口同音に同じことを叫んだ。

 各一族の当主を守れ。

 柱の刀を持ち出せ。

 里長を逃がせ。

 

 それは、彼らが何を最優先にしているかを如実に物語っていた。

 自分達の命などではない。

 ()()だ。

 里で最も優れた者達の腕と、彼らだけが打てる高位の剣士の刀が何よりも優先される。

 何故ならば、それさえ残れば、刀鍛冶達は()()()()ことが出来るからだ。

 

「鬼だ、鬼だ――――ッ! 敵襲! 敵襲――――ッ!」

 

 そして、里に常駐している隠もまた、各所に危険を知らせて回っていた。

 沼慈司もその1人だった。

 右結び(サイドテール)にした髪を跳ねさせながら、息せき切らせて家々の戸を叩いては鬼の襲来を知らせる。

 

(敵襲なんて、そんな馬鹿な……!)

 

 しかし、やはり動揺は隠せない。

 この刀鍛冶の里は巧妙に隠されていたし、万が一鬼に見つかったとしても、隠が厳重に監視している。

 その隠の監視網に全く気付かれることなく、襲撃されるなどあり得ないはずだった。

 

「うわああああ!」

 

 その時、悲鳴が聞こえた。

 見ると、刀鍛冶の男が襲われているのが見えた。

 例の金魚の化物かと思ったが、違った。犬だった。

 2匹の犬が刀鍛冶の男に襲いかかっていた。

 野犬、にしては様子がおかしかったが、とにかく助けなければ。

 

「このっ、離れろ!」

 

 護身用に持っていた小刀で、切り付けた。

 本当に傷つけるつもりはなかった。脅かすだけのつもりだった。

 しかし犬の方が全く怯まずに、むしろ自ら小刀を受けに来た。

 肉を切る感触。しかしそれを顔を顰める前に、異常に気付く。

 

「なっ」

 

 異様な犬だった。

 体中がボロボロで、頚に大きな裂傷があり、足など1本足りなかった。

 明らかに、()()()()()()

 ()()()、これは。犬の死体が動いている。そうとしか表現できなかった。

 

 それが、ヴヴヴ、と唸り声を上げて、沼慈司に飛び掛かった。

 小刀は意味を成さなかった。切り付けても怯みさえしないのだ。

 沼慈司は成す術なく、異形の犬に噛み殺される――――。

 

「――――ッ!」

 

 直前、犬の頭が爆ぜた。

 竹筒を噛んだ少女が、沼慈司が噛み殺されるよりも速く、犬を蹴ったのだ。

 着地と同時に半身を回し、もう1匹の犬も蹴り飛ばした。

 ギャインッ、と妙に可愛らしい悲鳴を上げるのが、何ともミスマッチだった。

 

「え……ええ?」

 

 竈門禰豆子だ、と認識するのに少しかかった。

 それだけ、目の前の出来事が衝撃的だったのだ。

 

「ムー?」

「あ、ありがとう」

 

 無害そうな顔でこちらを見つめられると、余計にそう思った。

 しかし助かったのはその通りだし、刀鍛冶の男も無事だった。

 

「――――おい」

 

 異臭がした。

 それは沼慈司が嗅いだこれまでのどんな臭いをも上回る、吐き気を催す程の臭気だった。

 キュウン、と、犬の甘えたような鳴き声が聞こえた。

 先程の、頭を潰されなかった方の犬が、()()()の足に擦り寄っていた。

 

 明らかに、人間ではなかった。

 ()()ぎだらけの肌が、そう教えてくれている。

 人の形をしている。一応。

 その鬼は童女のような体躯で、サラシを巻いた体に奇抜な色柄の着物を羽織っていた。

 

「私のかわいい動物(イヌ)を、貴様ら」

 

 禰豆子に頭を潰された犬を見て、その鬼の顔面に血管の筋が立っていった。

 

「貴様ら、易々と死ねると思うなよ……!!」

 

 はっきりとした害意が、沼慈司の肌を刺した。

 同じ鬼でもこうも違うのか。

 自分を庇って前に出る禰豆子の背中を見て、沼慈司はそう思った。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 鉄穴森(かなもり)は焦っていた。

 今や里全体が戦場だ。安全な場所など存在しない。

 一刻も早く避難しなければならないが、鉄穴森は避難先とは逆方向に走っていた。

 言うまでもなく危険だが、そうしなければならない理由があった。

 

「小鉄少年、きみは避難しなさい!」

「いえ、あの刀は俺の絡繰人形から出て来たものだから……それに、鋼鐵塚さんを放っておけない!」

「しかし……」

 

 鉄穴森と小鉄が向かっているのは、鋼鐵塚が炭治郎の刀を研磨している山小屋だった。

 そこは普段は誰も寄り付かない場所にあるので、誰かが報せに行かない限り、鋼鐵塚は里の異変に気付くことが出来ない。

 つまり2人は、鋼鐵塚を救いに行くために走っているのだった。

 

 とは言え、鉄穴森は小鉄まで付き合う必要はないと思っていた。

 悔しいが、あの金魚の化物に襲われたら鉄穴森では小鉄を守り切れない。

 里を警護していた常駐の鬼殺隊士でさえ敵わない化物に、鉄穴森だけではどうしようもない。

 だから今からでも小鉄を避難させたかったが、一方で1人にするのも躊躇(ためら)われた。

 

「あっ」

 

 鋼鐵塚のいる小屋までもう少しというところで、鉄穴森は声を上げた。

 と言うのも、隊服を着た剣士を見つけたからだ。

 鉄穴森は安堵した。これで小鉄を保護して貰えると思ったからだ。

 一方で、小鉄はその男の顔を見て「げっ」と露骨に嫌そうな声を上げていた。

 

「ああ? ってお前はこの間の……」

 

 そこにいたのは、獪岳だった。

 日輪刀を背負っていて、小鉄の顔を見て眉を顰めた。

 

「すみません! この子を安全なところまで連れて行って貰えないでしょうか!?」

「ええ!? 嫌ですよ、こんな奴に助けられるくらいなら死んだ方がマシですって!」

「何なんだ、お前ら……」

 

 小鉄は嫌がったが、鉄穴森は獪岳に事情を説明した。

 この先で刀鍛冶――もちろん鋼鐵塚のことだ――が重要な作業を行っていること、自分達が危険を知らせに走っていることだ。

 その話を聞いた時、獪岳は大した関心を持った様子ではなかった。

 

「何で俺がそんな刀鍛冶なんぞのために……」

 

 しかし。

 

「……案内しろよ」

「え?」

「そいつのことも助けてやるって言ってるんだ。さっさとしろノロマ」

「はああ!?」

「こら、小鉄少年!」

 

 異常事態に焦っていた2人には、気付くことが出来なかった。

 獪岳の顔が青ざめていたこと。

 そして、彼が2人を見ていなかったこと。

 その視線の先に、奇妙な壺が落ちていたことに――――。




最後までお読みいただき有難うございます。

いつものことですが、一度に詰め込んだが故に収拾が不可能になっています(え)
こうなったら敵味方全滅エンドにもって行くしか……(え)

それでは、また次回。
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