鬼滅の刃―鬼眼の少女―   作:竜華零

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第34話:「鬼と人形と人間と」

 ――――恋の呼吸・壱ノ型『初恋のわななき』!

 甘露寺蜜璃が鎹鴉による急報を受けて、刀鍛冶の里に戻って来た時、すでに里は最奥部まで敵の侵攻を許している状態だった。

 甘露寺は道々の敵――金魚の化物――を斬りながら、長の屋敷へと急行した。

 

「鉄珍様、大丈夫ですか!?」

 

 そして、間一髪のところで鉄珍を救出することに成功した。

 鉄珍は甘露寺が駆け付ける直前、金魚の化物に襲われてしまった。

 そのため肋骨を折り内臓を傷めてしまったが、一命は取り留めたようだった。

 

 この時点で、甘露寺には2つの選択肢があった。

 まず第1の選択肢は、このまま鉄珍を保護して脱出することだ。

 里で最も優れた技術を持つ長を守れば、日輪刀の秘伝は守ることができる。

 すでに最奥部まで侵攻されている以上、猶予はないと言って良い。

 

「み、蜜璃ちゃん……」

「鉄珍様! 喋らないでください!」

 

 そして、第2の選択肢。

 

「か、刀を……あの子達の、刀を」

 

 鉄珍が伸ばした手を、甘露寺は握った。

 節くれだった、皺の多い手だった。数多の刀を生み出してきた手だ。

 そう思うと、甘露寺の胸はキュンと高鳴るのだった。

 

「若くて可愛い娘に手を握って貰えて幸せ……」

「やだもう鉄珍様ったら!」

 

 いや、今はそんな場合ではなかった。

 

「蜜璃ちゃん。ここはええからあの子らを助けに行ったってや」

「でも……」

 

 決断とは、常に重く残酷なものだ。

 ここでもし鉄珍達から離れて、甘露寺の手の届かないところで彼らが襲われてしまったなら、最高の日輪刀を打てる者がこの世から永遠に失われる。

 それはつまり、鬼殺隊の弱体化を意味する。取り返しがつかない。

 

「あの子らの刀を、守ったらなあかん」

 

 しかし、鉄珍の言葉には否と言い難い力があった。

 

「あの子らを見た時、わかった。あの子らは……」

 

 鉄珍の言葉を聞いて、甘露寺はその手を強く握り締めた。

 決意に満ちた表情で、彼女は言った。

 

「わかりました」

 

 甘露寺は、真っ直ぐな娘だった。

 回り道をすることもあるが、背を向けることは性に合わない。

 そして彼女が知る剣士達もまた、皆がそうだった。

 心に燃ゆる感情のままに。

 

「任せてください。みんな私が守ってみせます!」

 

 正道を行く。

 それは、誰にでもできることではない。

 しかし甘露寺は、それが出来る人間を何人も知っていた。

 そして彼女は、自身もそう在りたいと、そう願っているのだった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 幸いなことに、一本丸達は大きな怪我を負っていなかった。

 とは言え、未だ危険な状況であることは変わっていない。

 

「まさか、上弦の鬼に里がバレるとはねえ」

 

 顎の下を撫でながら、犬井がそう言った。

 偶然の通りがかりではなく、敵はここに里があるとわかって攻めて来たということだからだ。

 それは、非常に危険な意味をも含んでいる。

 

 しかし、今は襲撃への対応が先だった。

 こうしている間にも、里のあらゆる場所から戦いの音が聞こえる。

 すぐに急行し、刀鍛冶達を救わなければならない。

 

「良いですか、助けが来るまでここに身を隠していて下さい。助けが来なくても、朝までは隠れていてください。鈴音さんの傍にいれば安全です」

「いや、隠れるのは良いけどさ……こいつ寝てるんだけど」

 

 鉄美の言う通り、鈴音は木の根元に寄りかかるようにして眠りに落ちていた。

 先程まで激しい戦闘を繰り広げていたとは思えないほど、安らかな寝息を立てていた。

 瑠衣は医者ではないので、夢遊病の症状について詳しいわけではない。

 ただ敵が近付けば、鈴音は――というより、鈴音の体が――刀鍛冶達を守るだろう。

 なので。

 

「――――大丈夫です!」

「何が?」

「安全です!」

「だから何が!?」

 

 そして、玉壺だ。

 あの上弦の鬼は、鈴音の最後の攻撃が届く前に姿を消していた。

 残されていた壺は砕いたが、余り意味のある行為とも思えなかった。

 

 まさか上弦の鬼が、柱でもない数人の剣士の攻撃に耐えかねて逃げ出したはずもない。

 何か目的があって、移動したと見るべきだろう。

 刀鍛冶の里を襲撃する目的なら、2つしかない。

 技術と、刀。この2つを潰しに来た。それ以外にない。

 

「長が危ない、だろうねえ」

「しかし上弦の伍も放ってはおけません。ただ、どうやって追えば良いのか……」

 

 血鬼術で移動した鬼を追うのは、簡単なことではない。

 空間を渡る異能は、足跡を追うのとはわけが違う。

 

「そっちはオレ達に任せて貰おうかな」

「バウッ」

 

 瑠衣の足元で、コロが鼻息荒くこちらを見上げていた。

 それが何とも「任せろ!」と言わんばかりなので、場違いにもおかしく感じてしまった。

 

「コロがあいつの臭いを覚えてる。こいつならどこまでも追跡できる」

「竈門君みたいですね」

「いや、それはたぶん逆じゃないかなあ」

 

 言われてみればそうだと、瑠衣は思った。

 どうやら感覚が麻痺していたらしい。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 積怒は、怒っていた。

 彼は()()の怒りの感情を司る鬼なので、そもそも普段から怒っているのだが、輪をかけて怒っていた。

 というのも、目の前の剣士達に手こずってしまっているからだ。

 

「たかが2人や3人の人間ごときに、何という(ザマ)か!」

 

 ――――霞の呼吸・肆ノ型『移流斬り』。

 雷の錫杖を振り上げた腕を、時透の滑り込むような斬撃が斬り飛ばした。

 積怒は舌打ちして距離を取るが、時透はやはり滑るような足運びで追い縋って来る。

 そのせいで、積怒は他の3体を統率することが出来ずにいた。

 

(可楽……可楽!)

 

 それでも、()()を同じくする鬼だ。

 わざわざ声をかけずとも、思念で意思疎通は出来る。

 突風の扇を持つ可楽ならば、この鬱陶しい時透()を吹き飛ばすことが出来る。

 

 ――――ヒノカミ神楽『炎舞』。

 しかしその可楽は、炭治郎によって頚を斬られていた。

 もちろんそれで死ぬことはない。

 が、炭治郎の刀で斬られると、再生が異常に遅い。

 

「カカカッ! 面白い技を使うのう!」

 

 加えて、空喜はその炭治郎に構っている。

 可楽もそうだが、あの2体は全体の戦況などお構いなしに、己の興味が引かれるところにしか行かない。

 それがまた積怒を苛立たせた。何をやっているという苛立ちで満ちていた。

 そして、何よりも気に入らないのが。

 

「……いったい何度刺し殺せば死ぬのか。いい加減に哀しくなってくる」

 

 哀絶が相手をしている、玄弥だった。

 玄弥は哀絶の槍によって、身体中に穴が開けられていた。

 肉が削げ、血が溢れ出ている。

 当然だが、人間が生きていることも、まして立って動くことなど不可能な程の損傷だった。

 

「玄弥! それ大丈夫なのか!? お腹に穴が開いているぞ!」

「お腹だけじゃなくて胸にも足にも開いているけど」

「うるせえ! いちいち構うな、大丈夫だ!」

 

 積怒は、苛立っていた。

 柱に、妙な剣技に、不死の人間。

 そして、じりじりと削られていく()

 

(……()()を出すしか……)

 

 む、と積怒は視線を時透から外した。

 大きな隙になる。

 しかし時透はその隙に打ち込むことはしなかった。

 何故ならば、彼の直感が他の危険を察知していたからだ。

 

「ぐあっ」

 

 炭治郎は思わず、鼻を押さえた。

 

(な、何だこの臭いは。鼻が曲がりそうだ……!)

 

 風向きが変わったせいか、突然、鮮明に臭うようになった。

 しかし、風向きだけではない。

 臭いの元が、すぐ近くに存在しているからだ。

 

「オイオイ半天狗ゥ。まさかお前さぁ、人間なんかに手こずってるわけ?」

 

 体中継ぎ接ぎだらけの、おぞましい容姿をした鬼だ。

 形だけは童女のような姿をしたその鬼が、半壊した家屋の屋根からこちらを見下ろしていた。

 

「だっさぁ~い」

 

 コココ、と、喉奥から響く笑い声が不気味だった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 その鬼が屋根から飛び降りると、着地の衝撃で地面が罅割れた。

 そんな彼女に対して、積怒はいつも通り不機嫌な目を向けた。

 

「儂に気安く話しかけるな、八重垣童女。殺されたいのか」

「アハッ。なに? 殺すって? 無理無理。そもそもお前、私に触れんの?」

 

 顔も手も足も、肌が継ぎ接ぎだらけの異形の鬼だった。

 しかもほとんど裸――サラシに虎の毛皮の褌に、着物を肩に羽織っただけ――だから、彼女の()()()肌がいかに少ないか、目に見えてしまう。

 あえて晒しているのではないか。そうとしか思えなかった。

 

 そして、やはり凄まじい臭いだ。炭治郎は激しい頭痛を感じていた。

 腐った肉の臭い、と言えばわかるだろうか。それを臭い袋にでもしているような。

 しかし八重垣童女が着地した一瞬、炭治郎は臭気も頭痛も忘れた。

 

「お前、それ」

 

 ()()()()()()()()()()()

 見間違えるはずがない。

 炭治郎だけは、それを絶対に見間違ない。

 

「その着物を、どうしてお前が着ているんだ?」

「この着物? さっき()()()のさ。少し古いけれど、なかなか良い柄だったから」

「そういうことを言っているんじゃない!」

 

 日輪刀の切っ先を向けて、炭治郎は言った。

 

「それは、妹の――――()()()()着物だ!!」

「妹? 妹だって。これが?」

 

 ()()()、と。それは八重垣童女の腹から出て来た。

 頭だ。人の、いや人ではない。

 

「禰豆子……!」

 

 禰豆子だった。今は頭だけが八重垣童女の腹から覗いている状態だ。

 気を失っているのか、あるいは血鬼術なのか。目は開いていなかった。

 苦しそうに眉を寄せているから、生きてはいる様子だった。

 

「何じゃ、その娘は。鬼のようだが」

「私の作品を壊した愚か者よ。朝になったら陽に当てて殺す」

 

 ――――落ち着け。

 炭治郎は、己の激情を押さえなければならなかった。

 呼吸が乱れている。強く噛み締めた奥歯が今にも欠けそうだ。

 しかし、感情的になってはならない場面だった。

 

 炭治郎が感情的になっても禰豆子は救えない。むしろ時透や玄弥をも危険に晒す。

 上弦の肆、あの喜怒哀楽の鬼も健在なのだ。

 つまり敵に援軍が――仲が良さそうには見えないが――来た形だ。

 こちらは上弦との戦いで消耗もしている。危機的状況と言って良かった。

 

(落ち着け、感情的になるな。呼吸を整えろ。修行を思い出せ)

 

 頭を冷やせ。しかし、()()()()()

 そう決意する炭治郎の額で、火傷の赤い痕が、僅かに動いたように見えた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 ――――血鬼術『人柱・狗神』。

 地面の下から現れたそれは、一見すると犬の姿をしていた。

 しかし形は犬でも、肉は削げ皮は剥げており、歩く死骸としか表現できない物体だった。

 

「げっ、何だよアレは!」

「ふふん、私の可愛い作品(イヌ)を見られて光栄に思うと良い」

 

 玄弥には特異体質があった。

 それは人並み外れた咬合力と特殊な消化器官による「鬼化」だ。

 鬼殺隊の中では「鬼喰い」と呼ばれる能力で、呼んで字の如く鬼を喰うことで力を得る。

 喰う対象は血鬼術でも構わない。

 とは言え、流石に腐った死骸を喰うのは抵抗があった。

 

「まだ何かいる」

「そっちのお前は柱か。良い勘をしているじゃないか」

 

 ――――血鬼術『人柱・人垣』。

 周囲の地面から、犬以外のものも現れた。

 犬と同じく肉は削げ皮は剥げているが、今度は、人間だった。

 混乱の中で犠牲になったのだろう。ほとんどは、ひょっとこの面をつけていた。

 

「美しいだろう? 香しいだろう?」

 

 両頬に手を当てて、八重垣童女はうっとりとした表情を浮かべていた。

 

「こいつらは一度死んで、そして生まれ変わったのさ。神仏に与えられた命を捨て、この私の作品として新しい命を得たんだ。混じり気のない完全な命だ。玉壺みたいに、むやみやたらに変貌させたり混ぜ合わせたりするような品のないものとは格が」

「――――五月蠅いよ、クズ野郎」

 

 霞の如く、時透の姿がブレた。

 かと思えば、彼の姿は八重垣童女の懐にあった。

 日輪刀に至っては、頚に届いていた。

 

「光栄に思うと良い、柱よ」

 

 時透の日輪刀は、本来の彼の刀ではない。

 刃毀れの酷い、元々は縁壱零式が持っていた刀だ。

 しかしそれを計算に入れても、八重垣童女の防御もまた速かった。

 時透の刀が打ち込まれた場所の肌を骨が突き破り、攻撃を受け止めていた。

 

「お前達のような()()()()()()も、私が一度(ひとたび)触れば、至高の作品に生まれ変わることが出来るのだから」

 

 そしてその時、時透は剣士として致命的なことに、意識を飛ばしていた。

 八重垣童女の口にした言葉が、頭のどこかに引っかかったからだ。

 つまらない命。

 どこかで同じような言葉を聞いたような気がして、一瞬、時透は動きを止めてしまった。

 

「時透君!」

 

 八重垣童女の手が時透に触れるよりも一瞬速く、炭治郎が間に割り込んだ。

 特に慌てた様子もなく、八重垣童女は後ろに跳んでそれをかわした。

 わざとなのかどうなのか、禰豆子の頭が半分ほど彼女の腹に沈んでいった。

 

「大丈――――」

 

 次の瞬間、雷撃が炭治郎達の身を打った。

 しまった。そう思った。

 忘れていたわけではないが、上弦の肆への意識が薄れていた。

 

「オイ半天狗! 私の作品に当てやがったらブチ殺すぞ!」

「喚くな、苛々する」

 

 回転する視界の中で、炭治郎は見た。

 怒りの鬼、積怒が、他の3体の頭を握り潰しているのを――――。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 人口の多い方に近付いていくにつれて、戦いの音は大きく、そして近くに感じられるようになっていった。

 だから道々で金魚の化物を斬りながらも、瑠衣は足を止めなかった。

 しかし、刀鍛冶達の居住地の端に差し掛かった時だ。

 ()()を目にした時には、さしもの瑠衣も足を止めてしまった。

 

「がふっがふっ」

 

 それは、獣のように見えた。犬か、狼のような。

 それが何かに喰らい付いていて、ぐちゃぐちゃという咀嚼音があたりに響いていた。

 喰われている側は、獣の動きに合わせて手足を小さく揺らしていた。

 抵抗の様子はなく、獣が屍肉に喰らい付いているという風だった。

 

 不意に、瑠衣に気付いたらしい。

 ぴたりと動きを止めたかと思うと、血肉と内臓の一部でべっとりと汚れた口を拭おうともせずに、こちらを振り向いて来た。

 グルル、という唸り声が耳に届いた。

 月が雲の陰から姿を現したのは、そんな時だった。

 

「あ……」

 

 間の抜けた音が、瑠衣の唇から零れた。

 その一瞬で、相手はすでに駆け出していた。

 人の動きではない。四肢で地面を蹴っていた。

 それこそ、四足獣の速度だった。

 

 躊躇いはしなかった。

 

 相手が駆け出した時には、すでに瑠衣は手首を返していた。

 剣閃が、ひとつ。

 そして、気が付いた時にはすべてが終わっていた。

 それだけ、瑠衣にとっては自然な動きだったのだ。

 

「…………」

 

 ぼとりと二つに分かれて地面に落ちたそれには目もくれずに、それに近付いて、膝をついた。

 手を伸ばして見ても、瞳はガラス玉のようで生気がなく、瑠衣を見つめることもなかった。

 

「沼慈司、さん」

 

 呼んでみても、返事はなかった。

 当たり前だ。もう死んでいる。(はらわた)を喰い千切られているのだ。

 死んでしまったら、返事など出来るはずが無い。

 羽織の裾で、顔を拭ってやった。汚れが広がっただけで、意味はなかったかもしれない。

 グルル、と、また獣の唸り声がした。

 

「…………」

 

 見れば、胴体から真っ二つになった犬が地面でもがいていた。

 斬っても死なないらしい。

 しかも他にもいたようで、しゃがんだ瑠衣を取り囲むようにして、唸り声を上げながらにじり寄って来る。

 ()()への攻撃に反応したのか、操っている者が別にいるのかはわからない。

 どうでも良かった。

 

『剣士様っ!』

 

 彼女がもう自分を呼んではくれないのだと、その事実に比べれば、大した問題ではなかった。

 その証拠に、見てみるといい。

 瑠衣を取り囲んでおきながら、周りの畜生共は一匹として、それ以上近付くことが出来ずにいる。

 

「――――貴様ら」

 

 畜生に、人の言葉がわかるはずもない。

 だが、それらは明らかに怯えた様子を見せ始めていた。

 

「生かして帰さない」

 

 言葉の通りになるのに、そう時間はかからなかった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 犬が日輪刀を使う場面を見ると、大体みんなが同じ反応をする。

 それは言葉にするのなら、「ええー」とでも言いたげな顔だ。

 そして次に犬井を見上げて、ぽっと顔を赤らめるのだ。

 まあ、後半は女性に限った――たまに男も――話だが。

 

「大丈夫かい、お嬢さん」

「は、はい……」

 

 当たり前の話だが、刀鍛冶の里とはいえ、刀鍛冶だけが住んでいるわけではない。

 刀鍛冶の家族もいるし、鍛冶以外の技能を持った者達もいる。

 そうした者達は、刀鍛冶以上に戦う力を持たない。

 だから犬井が上弦の伍を追う道中で、金魚の化物に襲われた女性を助けたのもそうした事情からだった。

 

 そして犬井が襲われていた女性を抱いて退がった隙に、専用の日輪刀を装備したコロが背後から金魚の背にある壺を砕いた。

 逆じゃない?、という意見もあるかもしれないが、これが犬井達の戦闘スタイルなのだ。

 犬井自身が言ったように、コロの討伐数が柱に匹敵するというのはこういうことだった。

 

「この先に臨時の避難所がある。1人で行けるかい? 一緒に行ってあげたいけど、おじさんも鬼を追っている最中でねえ」

「は、はい。大丈夫です」

 

 犬井は身嗜みこそズボラだが、素材はかなり良い方だ。

 外国の血が入っているせいか、外人慣れしていない日本人女性には神秘的でさえあっただろう。

 細身に見えるが鍛え上げた身体はがっしりとしており、力強い。

 そんな腕に抱かれて、しかも危機から救われたとなれば、たとえ男でも心揺れただろう。

 

「じゃあねえ。このあたりの敵は粗方(あらかた)倒したけど、気を付けて」

「はい! あの、本当にありがとうございました……!」

「気にしないでいいよお」

「ばうっ!」

 

 ひらひらと手を振りながら、犬井とコロは去って行った。

 女性は犬井達の姿が見えなくなるまで手を振っていたが、姿が見えなくなると、周囲の静けさに襲われた恐怖を思い出したのか、不安気に周囲に視線を彷徨(さまよ)わせた。

 しかし同時に犬井の言葉を思い出して、少し安堵した様子を見せた。

 

「痛っ」

 

 安堵には、痛みを伴った。

 深刻なものではなく、例えば紙で指を切った時のような、気付いた途端に小さな傷が痛むようなものだった。

 頬のあたり、金魚の化物に襲われた時に爪先が掠めたのかもしれない。

 反射的に、頬に手を当てた。

 

「やだ……」

 

 見られていたかもしれないと思うと、急に羞恥を覚えたらしい。

 彼女は袂から小さな手鏡を取り出すと、割れていないことを確認して、頬の怪我を見ようとした。

 すると、傷一つない綺麗な肌が見えて、ほっと息を吐いた。

 したが、頬に触れた手を見ると、僅かだが――――血が、ついていた。

 

「え?」

 

 鏡を見た。

 傷はない。綺麗な肌。しかし指には血。混乱した。

 疑問は、すぐに氷解する。

 鏡に映ったのは、()()()()()()()()()()

 

「ひ」

 

 悲鳴を。

 助けを、求めようとした。しかし出来なかった。

 手鏡から、細く白く小さな手が伸びて、顔の下半分を鷲掴みにしてきたからだ。

 顎の骨が砕ける音に、女性は両目を見開いた。

 

()()()

 

 鏡の中から声がした。

 幼い、しかし殺意に満ちた声だった。

 

「亜理栖のお兄ちゃんとお喋りするなんて、ずるい」

 

 ()()()()()()()()()()()

 抗弁の機会は、永遠に与えられなかった。

 鼻腔から下を骨と肉ごと抉り取られてしまっては、抗弁など出来るはずもなかった。

 声なき断末魔は、誰にも聞こえることはなかった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

「ここかよ?」

「ええ、そうです」

 

 鉄穴森に肯定されても、獪岳は疑わしそうな表情を消さなかった。

 刀鍛冶の里は存在からして隠されているが、鉄穴森が連れて来た場所は、その中でもさらに山奥に位置していたからだ。

 一方で大事な物を隠すという意味では、なるほど持ってこいの立地とも言えた。

 

 剣士の助けを求めておいて、当の鉄穴森がわざわざ嘘を吐く必要もない。

 もっとも、獪岳は鋼鐵塚とかいう刀鍛冶に関心はなかった。

 彼が関心があるのは、別の話だった。

 

「ここに柱の刀があるんだな?」

「ええ! 全部ではありませんが、今は霞柱の時透殿の刀などが」

 

 柱の刀。

 いくら鬼殺隊最強の柱とは言え、日輪刀がなければちょっと優れた人間というだけだ。

 もちろん彼らは並の日輪刀を使っても十分に強いが、専用の刀には及ばない。

 弘法筆を選ばずとは言っても、筆の善し悪しや相性が結果に影響しないわけではない。

 

「どうしてそんなこと聞くんですか?」

「あ?」

 

 足元から()め上げて来た小鉄に、獪岳も睨め()()()

 これは道中でも何度かあり、その度に大人な鉄穴森が「まあまあ」と間に入るのだった。

 

「と、とにかく中に入りましょう! 鋼鐵塚さんもいますし、時透殿達の刀も持ち出さなければ!」

 

 そう言って、鉄穴森は小鉄の肩を押すようにして小屋の戸を開けた。

 さほど広くない空間に、筋肉質の男の背が見えた。鋼鐵塚だ。

 一心不乱に、刀を研いでいる様子だった。

 他にも刀の研磨や鍛冶に必要な道具等も見える。刀もあった。

 

「鋼鐵塚さん、ほら逃げますよ!」

「…………」

「鋼鐵塚さん! ほら……って動かねえなコイツ! 頑として動かねえ!」

「そんなんだから嫁の来手がないんですよ」

 

 本当に集中しているのか、鋼鐵塚は鉄穴森達がやって来たことにも気付いていない様子だった。

 そのせいで刀鍛冶達が揉めているが、それを獪岳は()()()()()眺めていた。

 獪岳が小屋に入って来ないことに気付いたのは小鉄だった。

 鉄穴森は鋼鐵塚の方を向いていたし、小鉄は周囲に目を配れる子供だった。

 

「何……」

 

 獪岳が、戸を閉めた。

 ()()()()

 

「してんだテメエエエッ!」

「小鉄少年!?」

 

 戸を叩いて開けようとしたが、開かなかった。

 外から何かで押さえられているのか、びくともしなかった。

 

「な、何だ!?」

 

 不意に、小屋の周りがざわざわと騒がしい気配で包まれるのを感じた。

 そして魚のような獣のような、そんな鳴き声が聞こえた。

 その正体を察した鉄穴森と小鉄は、さあ、と青褪めた。

 

「や、やばいんじゃ――――」

 

 その数秒の後、小屋の四方の壁が何かに突き破られたのだった。

 鋼鐵塚は、それでも刀を研ぎ続けていた――――。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 何て力だ、と獪岳は地面に伏したまま冷や汗を掻いていた。

 鋼鐵塚達がいる小屋を、あの金魚の化物達が取り囲んでいた。

 全部で5匹。それが四方から小屋に襲い掛かり、壁を突き破って崩落させたのだ。

 勝ち誇っているかのような金魚の咆哮に、獪岳は身を震わせた。

 

(これが、上弦の力か……!)

 

 100年不敗の、まさしく生ける伝説。

 その伝説の存在は今、獪岳の目の前で「ヒョヒョヒョ」と気味の悪い笑い声を上げていた。

 

「ヒョヒョッ、これで柱の刀は全滅。さらにこのまま刀鍛冶共も殲滅すれば、あの御方もお喜びになるだろう」

 

 獪岳は、息を殺していた。

 まるで、肉食の獣から身を隠す草食動物のようだった。

 鬼は人を喰らうから、あながち間違いとも言えない。

 音を一つでも立てれば死ぬ。獪岳がそう考えていることが良くわかった。

 もっとも、仮に音一つ立てなかったとしても、おそらく結果は変わらなかっただろうが。

 

「さて……」

 

 ビクッ、と、獪岳は身を震わせた。

 あの上弦の鬼、玉壺からねっとりとした嫌な気配を感じたからだ。

 感覚に矢印がついていたなら、それはきっと獪岳を向いていただろう。そんな風に。

 

「む? 何だ?」

 

 しかしその矢印も、玉壺が別のものに――否、音に気を取られたために消え去った。

 それは、どん、という強い音だった。僅かに地面が揺れてもいた。

 どこから来る音だと視界を巡らせて、それがすぐ近くだと気付いた。

 その音は、倒壊した小屋から聞こえていた。

 

 疑問の鳴き声を発して、2匹の金魚が音がする方へと顔を近づけた。

 小屋の残骸が折り重なっている場所で、音は繰り返し聞こえて来た。

 2匹の金魚が顔を見合わて、再び音がする場所を見た。

 そして2匹の金魚が威嚇するように咆哮を上げた。その時だ。

 

「――――!」

 

 ()()()は、声を発したりはしなかった。

 しかし崩れた瓦礫を()()()()()、返す刀で2匹の金魚を細切れにした。

 獪岳が見た剣閃は5つ。瞬きの間にそれが金魚の骨と肉を切断したのだ。

 

「な、何イッ!? 何者だ貴さ……まァ?」

 

 玉壺がぎょっと――されることはあっても彼がするのは稀だった――した顔で、瓦礫の下から現れた男を見た。

 いや、体の形が男だったからそう判断したが、しかしその体には血も流れていなければ肉も骨もなかった。

 というより、そもそも()()()()()()

 キリキリキリ……と、歯車が噛み合う音を立てながら5本の腕と刀を振り上げた、その存在の名は。

 

「行け――ッ! 縁壱零式――――ッ!!」

 

 瓦礫の中から這い出して来た小鉄が、握り拳でそう叫んでいた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 玉壺は、己が一瞬呆然自失としていたことを認めた。

 それはそうだろう。

 自分の作品たる美しい――あくまで彼自身の感覚の話だが――金魚達が、突如現れた絡繰人形によって()されてしまったのだ。

 

「よーし、行けー! そこだ! ぶっ殺せ――!」

「ちょ、小鉄少年! 頭を下げて、頭を!」

 

 小屋を崩して押し潰したはずの小鉄達が生きていた。

 おそらく潰される寸前、あの絡繰人形を動かしたのだろう。

 縁壱零式と言ったか。その動きは凄まじかった。

 頭と腕が1本壊れていたが、それでもなお5本の腕で刀を振るっている。

 

 普通、腕が5本もあればまともに動けないはずだ。

 それがどうだ。それぞれの腕が干渉することもなく、見事に動いている。

 5本の腕が滑らかに動き、残りの金魚の頚を全て刎ねてしまった。

 丁寧なことに急所である背中の壺まで斬られていて、再生できなかった。

 

(う……)

 

 その動きに、一切の無駄は無かった。

 余りにも自然に行われたために、斬られた金魚が倒れるまで斬られたことに気付かなかった程だ。

 そして玉壺は、それを呆然と見ているしかなかった。

 何故かはわからないが、体が硬直して動けなかった。

 

(な、何だ? なぜ動けん……!?)

 

 確かに驚異的な絡繰だ。

 誰が作ったのか知らないが、芸術家として嫉妬すら感じる程だ。

 しかし、体が硬直するほど衝撃を受けたわけではない。

 

(あの太刀筋。どこかで見た? 馬鹿な、ここに来たのもあの絡繰を見たのも今日が初めてだ)

 

 ただあの絡繰――縁壱零式の動きに、既視感を覚えた。

 あり得ないはずの既視感に、玉壺の肉体が動きを止めたのだ。

 

『お前は、存在してはいけない生き物だ』

 

 既視感、記憶。玉壺の物ではない記憶。

 頭に、いや細胞に刻まれた記憶。

 絡繰ではない。人間の、鬼狩りの。

 あれは、誰だ?

 

「――――ハッ!?」

 

 頚に、肌に冷たいものを感じて、反射的に身を退いた。

 いつの間にか縁壱零式が目の前にいて、頚に刃が届きかけていたのだ。

 幸い皮膚1枚を斬られただけで終わったが、ひやりとした。

 いつもなら楽しむ程度の危機だ。だが、今はそんな余裕がなかった。

 

「この……人形風情が! この私の、玉壺様の頚に!」

 

 ――――血鬼術『蛸壺地獄』!

 取り出した壺から巨大な蛸足が湧き出し、縁壱零式の全身を覆い尽くした。

 いくら高性能でも、縁壱零式は対人用の訓練絡繰だ。

 人外の攻撃手段には対抗し切れない。金属が軋み、破損する音が響いた。

 

「あ、ああっ! 壊れる……!」

 

 小鉄は直感的に、玉壺の攻撃が縁壱零式の耐久力を上回っていることに気付いた。

 元々限界だった上、()()とも言うべき刀を失っている。

 応急処置とも言えない状態で、無理矢理に起動させた状態だった。

 先祖代々受け継いできた絡繰が破壊される。その事実に、小鉄は面の下で目を潤ませた。

 

 次の瞬間、爆ぜた。

 縁壱零式が、ではない。蛸足の方が爆ぜた。

 内部から縁壱零式が斬ったのであない。外部から蛸足を切断したのだ。

 

「キャ――――ッ、何アレ何アレ! 気持ち悪くて思わず斬っちゃったわ!」

 

 玉壺の蛸足を斬った彼女は、縁壱零式を背負ってその場から離れた。

 そして、小鉄達の目の間に着地した。

 小鉄の目に飛び込んで来たのは、胸元が大きく開いた隊服。太ももが露になった丈。

 

「ぶはっ」

「キャッ。ちょっときみ大丈夫!?」

「ああっ、小鉄君には刺激が強すぎたんです!」

「えっ、やっぱり私の力が強いから!?」

「いや、そこじゃないです」

「ええ!?」

 

 恋柱・甘露寺蜜璃。

 彼女は自分が背負っているのが頭のない絡繰人形であることにぎょっとした後、さらに玉壺へと視線を向けた。

 一方の玉壺は、動きから甘露寺が柱であることを推察していたので、無数の腕を生やして壺を構えて警戒していた。

 そんな玉壺を見て、甘露寺は口を開いた。

 

「ギャアアアアァッ!? おば、おっ……お化けええええええっ!!」

「誰がお化けだこのアバズレがああああああっ!!」

 

 両者の叫び声は、刀鍛冶の里中に響き渡ったという。




読者投稿キャラクター:
八重垣童女:日向ヒノデ様
ありがとうございます。

最後までお読みいただき有難うございます。

沼慈司さんは隠で前線に出張ってくれるので書きやすいキャラクターでしたが、それだけに私自身も書いていていつか死にかねないとハラハラしていました。
ここでついに退場となりました。おのれ八重垣童女…絶対に許さないぞ…!(え)

それでは、また次回。
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