鬼滅の刃―鬼眼の少女―   作:竜華零

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第35話:「熾烈」

 玉壺は、驚愕していた。

 当初こそ甘露寺を口汚く罵った彼であったが、2度ほど彼女と切り結んだ後、その評価を180度改めることになった。

 それは、甘露寺の()()()()によるものだ。

 

(……陸。いや漆……捌だな。肉の密度が常人ではない……!)

 

 甘露寺の身体は女性らしく柔らかで曲線的だが、筋力が常人の8倍はあった。

 要は彼女の細腕一本で、筋骨隆々の刀鍛冶8人分の腕力があるということだ。

 100年を生きる上弦の鬼も初めて出会う、()()()()()だ。

 

「……良い……」

 

 質の良い肉を喰らうことは鬼としての強さに直結する。

 甘露寺のような特異体質の人間の場合、1人で何十人、いや何百人分の栄養になる。

 普通の鬼であれば、涎を垂らして彼女に襲い掛かったことだろう。

 しかし幸か不幸か、玉壺は普通の鬼では無かった。

 

「ヒョ、ヒョヒョヒョッ! 良い! 実に良い、素晴らしい!」

「え、いきなり何!?」

 

 玉壺は歓喜に震えた。

 今まで無数の人間を作品へと()()させて来たが、今回はとびきりだった。

 

「素晴らしい素材だ! ヒョヒョッ、頭を愛くるしい鮮魚に()げ替えようか、余計な肉を削ぎ落して剥製にしようか。悩む、この私が創作に悩むなど滅多にないことだ! だがそれもまた良い!!」

「ヒィ――――ッ、気持ち悪いわ!」

 

 ――――恋の呼吸・弐ノ型『懊悩巡る恋』。

 傍目には、手首を少し捻っただけだ。

 しかしそれだけの動きで、甘露寺の日輪刀は螺旋状に玉壺の肉体を包囲した。

 布か紐のように自分を取り囲んだ刃を見て、玉壺は「おおっ」と声を上げた。

 

「ヒョヒョヒョッ、初めて見る剣筋だ。それに何という柔軟な肉体! ますます欲しい!」

 

 ――――血鬼術『一万滑空粘魚』!

 別の壺に異動して攻撃を回避すると同時に、無数の壺を取り出した。

 玉壺の壺から飛び出したのは、まさしく一万匹の魚だった。

 見た目は普通の魚だが、口元からサメのような鋭い歯が覗いており、肉食魚のようだった。

 そして鬼の放つ肉食魚など、碌なものであるはずがなかった。

 

 甘露寺は魚料理は大好物だったが、流石に自分が食べられる側に回るわけにはいかない。

 一万匹の「お魚さん」は彼女の眼前に広がり、口を開けて襲い掛かって来た。

 広範囲。逃げ場はどこにもない。

 もっとも、当の甘露寺の頭に「逃げ」という選択肢は最初から無かったのだが。

 

「なっ!?」

 

 ――――恋の呼吸・伍ノ型『揺らめく恋情・乱れ爪』!

 より広範囲。そしてより激しい。そんな攻撃だった。

 後方に宙返り、そこから長くしなる刀身を四方八方に()()()()、迫りくる一万匹の肉食魚を斬り払ってしまった。

 燃えるような呼吸音が、後から耳に届いて来た。

 

(何という速度と斬撃範囲! しかし構わん! 粘魚の体液は経皮毒、皮膚に触れただけでも効く)

 

 切断した魚の体液が、粘り気のある雨となって降り注いできた。

 もちろん、致死毒ではない。しかし肉体の自由は確実に奪う。

 ()()()()()だから、扱いには細心の注意が必要だった。

 

(キャ――――ッ! どうしよう、次の跳躍までに間に合わない……!)

 

 甘露寺も本能的にその体液の危険に気付いていたが、攻撃直後で反応が追い付かなかった。

 あるいは彼女1人ならば、対処のしようもあったかもしれない。

 

「うわ気持ち悪っ、何だあの魚!」

「小鉄少年、そんなことより鋼鐵塚さんを……ってマジで動かねえなこいつ!」

 

 しかし、後ろに小鉄達がいた。

 つまり自分だけ逃げるわけにもいかず、攻撃は基本的に受けるしかない。

 呼吸でどこまで耐えられるかと、そう考えた時だ。

 キリキリという音と共に、頭のない絡繰人形が割り込んできた。

 

「な、何いいいいっ!?」

 

 縁壱零式だった。

 5本の腕を360度回転させて、粘魚の体液を全て吹き飛ばしてしまった。

 しかし腕が1本足りないせいか――本来は存在する斬撃が存在しない――防ぎ切らなかった体液が左半身に降りかかり、焼けるような音がした。

 

(くそおっ、何なのだあの絡繰人形は、忌々しい!)

 

 ――――水の呼吸・参ノ型『流流舞い』。

 玉壺が縁壱零式に視線を向けた時、喉元にひやりとした感触が走った。

 僅かに皮膚にめり込んだ刃。頚から血が噴き出す。

 その段階に至って、ようやく玉壺は別の壺へと回避することが出来た。

 

「ありゃりゃ、今度は行けると思ったんだけどな」

「貴様はさっきの! どうやって追って来た!」

「さて、どうやってだろうねえ」

 

 とぼけたような犬井の言葉に、玉壺は額に青筋を浮かべて壺を構えた。

 その背後で、日輪刀を構えたコロが飛び掛かっていた――――。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 玄弥は、積怒が他の3体の鬼を喰うのを見ていた。

 肉が捻り潰される音が響いて、一瞬、誰もが動きを止めた。

 そして瞬きの間に、積怒も姿を消した。

 代わりに現れたのは、「憎」と書かれた5つの太鼓を背負った少年鬼だった。

 

(5体目……! 4体が限界じゃなかったのか!)

 

 いや、数としては1体に減っている。分裂ではない、いわば合体だ。

 ならば、あれが真の姿ということか。

 あの姿こそが、上弦の肆の本来の姿。

 

 確かに喜怒哀楽の鬼達は強かった。

 だが、炭治郎達でも何とかなる強さだった。

 頚を斬っても死なないことだけが厄介だった。

 しかし、今は違う。かつて出会った上弦の鬼と同じ気配を感じる。

 

(何て威圧感だ。心臓が痛い)

 

 上弦の肆の全身から、凄まじい威圧感(プレッシャー)が放たれている。

 鼻の奥がツンと痛くなる。殺意と悪意の気配だ。

 こうして睨み合っているだけで、汗が噴き出して止まらなくなった。

 

「わかりやすくなった」

「時透君!?」

 

 誰もが動きを止める中で、時透だけが前に出た。

 その背中に声をかけた炭治郎に、時透は振り返りもせずに言った。

 

上弦(アイツ)は僕がやるよ」

 

 相変わらず、言葉が少ない。

 しかし炭治郎は言葉が少ない相手の意図を察するのは得意だった。

 

(上弦の肆を、1人で引き受けるつもりなのか……!)

 

 時透に限らないが、柱は1人で戦うことに慣れている。

 それは柱が強すぎて、並の隊士ではかえって足を引っ張ってしまうからだ。

 それでも今まで炭治郎や玄弥と共に戦っていたのは、相手の数が多かったからだ。

 しかし今、上弦の肆が1体になった。「わかりやすくなった」のだ。

 

 無茶だ、と炭治郎は思った。

 いくら時透でも、上弦の鬼と1人で戦うのは厳しい。殺されかねない。

 だが同時に、それが最善だということも理解していた。

 

「何をゴチャゴチャ考えてやがんだ」

「でも」

「だったらそこで黙って見てろ。柱になるのは、俺だ!」

 

 玄弥の言葉は、相変わらず荒い。

 けれど、言っていることは正しい。

 時透のことを案ずるなら、ゴチャゴチャ考えるのではなく、一刻も早く援護に向かえば良いのだ。

 もう1体の鬼を、自分と玄弥で倒すのだ。

 

「……可愛いねえ」

 

 己に対してはっきりとした戦意を見せる2人。

 そんな2人を見て、八重垣童女は頬に手を添えて笑うのだった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 まさに、人の道を外れた血鬼術だった。

 炭治郎も玄弥も隊士になって日が浅い方だが、それなりに場数を踏んでいる。

 だから鬼が欲に素直で身勝手な存在で、自分以外のことなど気にも留めないことを良く知っている。

 だが、八重垣童女という鬼は、2人が記憶する中でも最も醜悪な血鬼術を使う鬼だった。

 

「く……っ!」

 

 犬と、人。

 の、形をした何かだ。頭では理解していた。

 しかしそれでも、何の罪もない者達だった。

 

「馬鹿野郎! 割り切れ、こいつらはもう死んでるんだぞ!」

 

 そう言いつつも、玄弥自身も胸中に苦いものを感じざるを得なかった。

 それでも刀で直に斬る炭治郎よりは、銃――弾丸が日輪刀と同じ素材の特別な西洋銃――で頭を撃ち抜く玄弥の方が、まだ心理的な負担はマシだったかもしれない。

 しかし刀で斬っても銃で撃っても、操られた死骸が消滅することは無かった。

 

 おそらく、上弦の肆と同じ系統の血鬼術なのだろう。

 分裂こそしないが、日輪刀による切断は消滅の条件ではないのだ。

 もっと言えば、人や犬の形を取っているのは八重垣童女の趣向によるところが大きいのだろう。

 そして皮肉なことに、形を失った肉片となったことで、いくらか()()()()()()()()

 

(肉片を斬り払って、同時に踏み込む!)

 

 ――――水の呼吸・陸ノ型『ねじれ渦』。

 上半身を大きくねじり、その反動を利用した回転斬り。

 それはさながら渦巻きのように周囲に迫った肉塊を斬り裂き、炭治郎の目に敵の懐までの道を見せた。

 ゴウッ、と、水の呼吸とは異なる音が響いた。

 

 ――――ヒノカミ神楽『日暈(にちうん)の龍・頭舞(かぶりま)い』。

 足運びは、どことなく水の呼吸の『流流舞い』に近い。

 『流流舞い』の流麗さに荒々しさを加えた、より攻撃的な技だ。

 その速度は、鬼の目をもってしても、懐に飛び込まれるまで炭治郎の動きに気付かなかった程だ。

 

()った……!)

 

 水の呼吸からヒノカミ神楽への連動。

 ヒノカミ神楽を使い続けると体力の消耗が激しい。

 だから普段は水の呼吸で戦い、要所でヒノカミ神楽の呼吸へと切り替える。

 最初は上手く出来なかったが、槇寿郎との修行でかなりスムーズに切り替えが出来るようになっていた。

 

(何だ?)

 

 八重垣童女が、動きを見せていた。

 炭治郎の日輪刀はすでに八重垣童女の頚に届きつつある。

 頚を強化したとしても、切断する自信が炭治郎にはあった。

 しかし、()()()と八重垣童女の腹から顔を出した禰豆子の顔に、はたと思考が止まる。

 

 今の禰豆子は、いったいどんな状態なのか、と。

 もし、もしも仮に八重垣童女と一体化しているのだとしたら、その頚を刎ねた時、禰豆子は無事でいられるのだろうか。

 その考えに至った時、炭治郎の剣先が明らかに鈍った。

 

「炭治郎!」

 

 判断を誤った。

 今さら攻撃を引っ込めることも出来ない。しかし鈍った剣で鬼の頚は斬れない。

 そして攻撃に入っている炭治郎が邪魔で、玄弥も銃が撃てない。

 眼前に八重垣童女の掌が迫っていた。

 そこから漂ってくる()()に、本能的に「ヤバい」と感じた、次の瞬間だった。

 

「うあっ!?」

 

 不意に身体に衝撃が走り、次いで浮遊感が来た。

 視界がぐるりと回転して、止まった時、八重垣童女が離れた場所にいた。

 そこまで来て、炭治郎は自分が誰かの肩に担がれていることに気付いた。

 

「……遅くなりました! 間に合っていますよね!?」

「瑠衣さん!」

 

 ここまで全速力で駆けて来たのだろう瑠衣が、顎先から汗の雫を滴らせてそこにいた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

「これを」

 

 炭治郎は、瑠衣からある物を受け取った。

 それは竹の口枷だった。禰豆子の物だ。

 

「竈門君は少し休んで呼吸を整えてください。その間は私が」

「あっ。あ、あの鬼の血鬼術は」

「大丈夫です。わかっていますから」

 

 瑠衣は、笑顔を浮かべていた。

 それは炭治郎を安心させるためのものだったのだろうが、気配が余りにも()()だった。

 だから、炭治郎はそれ以上の言葉をかけることが出来なかった。

 

「ええと……不死川君、は個人的に色々と申し訳が立たないので、玄弥君と呼んでも構いませんか?」

「え? 申し訳? あ、いや。ああ、構わね……です」

「有難う。それでは玄弥君。回復するまでの間、竈門君のことをお願いします」

 

 若干首を傾げる玄弥に炭治郎を任せて、瑠衣は八重垣童女の前に出た。

 羽織はどこかに捨てて来たのか、滅一文字の隊服姿だった。

 しかしその分、その姿は夜に溶けて、月明かりで浮かび上がっているかのようだった。

 

「里に犬の化物を放ったのは貴女ですね」

「そうさ、素晴らしい作品だっただろう?」

「ええ、日輪刀で斬っても塵になりませんでした」

「ふふん。当然さ、そんな(なまくら)で斬ったところで何ともない。私の術で完璧に防護してある。壺を媒介にした不細工な金魚とは出来が……」

「ええ、だから()()()()()

 

 繰り返すが、瑠衣は笑顔を浮かべていた。

 しかしその口から吐かれたのは、鬼をも抉る毒だった。

 

「斬っても死にませんでしたので。細切れにした後、羽織で包んで焼きました。そうすると動かなくなりましたよ。死体だけに火葬すべきということでしょうかね」

 

 幸い、火には困らなかった。

 化物金魚の襲撃で火の手が上がっていて、その中に放り込めば済んだ。

 羽織が1つ無くなってしまったが、それよりも仲間達を殺した相手を地獄に送るのが先決だった。

 だから瑠衣は、師の教えに則った口上を述べた。

 

「宣言してやる、()()()

 

 日輪刀の切っ先を向けて。

 

「貴様も、貴様の醜い作品とやらも。全てまとめて、私が――――煉獄の刃が骨まで焼き尽くす、と」

「醜い……? 醜い!? 私の可愛い作品達が!?」

 

 ――――風の呼吸・壱ノ型。

 

「どこが醜いものか! 下等生物が、己の審美眼の無さを棚に上げて、言うに事を欠いて醜いだとおっ!? 許さぬ、許さぬ許さぬ許さぬ!! 貴様の方こそ、犬畜生以下の愚物……」

 

 ――――『不知火』!

 八重垣童女の視界で、己の手首から先が、くるくると回っていた。

 目玉だけが、視界の端に瑠衣の姿を捉えていた。

 

「さて、本体は何回刻めば殺せるのでしょうね」

 

 そう言って、瑠衣は加速した。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 ――――血鬼術『人柱・要石』!

 加速に入った瑠衣の眼前で、斬り飛ばされた両手首が爆ぜた。

 破裂した肉片は、当然、瑠衣にも迫る。

 

 ――――風の呼吸・参ノ型『晴嵐(せいらん)風樹(ふうじゅ)』!

 その肉片の全てを、瑠衣は風の刃で吹き飛ばした。

 他の呼吸にはない、風とその派生にのみ許された()()()()がそうさせる。

 この物理的な干渉力については、風の呼吸が他の追随を許さない部分だった。

 

「お前、()()()()()()()()()のか……!?」

「何の話でしょう?」

 

 斬られた両手首は、瞬きの間に再生した。

 その両手で、八重垣童女は瑠衣の顔を掴みに行った。

 しかし瑠衣は身体を地面に這わせるようにして、その姿勢のまま刀を横薙ぎに振るった。

 八重垣童女の両手首が、再び宙を舞った。

 

(こいつ、やっぱり……!)

 

 その両手首を再び破裂させる。しかし結果は同じだ。風の刃で吹き飛ばされる。

 もちろん、手首くらいの再生はいくらでも出来る。

 だが、問題はそこではなかった。

 八重垣童女は、彼女自身が気付かないままに、1つ致命的な失敗を犯していた。

 

(……禰豆子さん)

 

 それは、腹に取り込んだ禰豆子である。

 禰豆子の存在は、確かに炭治郎には効果的だっただろう。

 鬼の情報共有がどうなっているかはわからないが、炭治郎の剣――ヒノカミ神楽――には、十二鬼月の頚を斬る威力がある。

 その彼が剣を鈍らせるとしたら、唯一の肉親を盾に取られた時だろう。

 

 炭治郎の才能は群を抜いている。しかも正義感が強く、大変な努力家だ。

 杏寿郎()に似ていると、瑠衣は思っている。

 しかし惜しむらくは経験が浅く、また鬼に対する知識も豊富とは言えない。

 その点において、主家たる産屋敷一族を除けば、煉獄家は他の追随を許さない。

 わざわざ禰豆子を取り込んでいるという一事が、致命的になる程度には。

 

「貴女の血鬼術――――」

 

 瑠衣は、おおよそだが八重垣童女の血鬼術を見抜いていた。

 八重垣童女の血鬼術は、大きく分けて2つあるのだ。

 まず1つは生物の死骸を操る能力。これは刀鍛冶の死体や犬の死骸を操作したことで確定。

 しかし、それだけの能力で禰豆子が敗れるとは思えなかった。

 

「――――()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 先程から繰り返されている、掌で触れに来る動作で確定的だった。

 いや、取り込むことで()()続けている禰豆子の存在を見る限り、手である必要はないのかもしれない。

 しかし八重垣童女は()()()なのだ。その手指は、まさしく芸術家の命であり誇りなのだ。

 だから手で仕留めることに拘る。瑠衣はそこを突いているだけだ。

 

「こ、の……!」

 

 ――――血鬼術『人柱・人垣』!

 何度目かわからない手首の切断。その中で、次の血鬼術が発動した。

 周囲で動いていた刀鍛冶の死体、あるいは動いていない死体、それらが磁石で引き寄せられでもするかのように、瑠衣に向かって飛来したのだ。

 

「ぶっ潰れろ! 下等生物が!」

 

 瑠衣が鬼を知るように、八重垣童女もまた人間を知っていた。

 たとえ死体でも、人間は人間を攻撃することに躊躇する。

 この血鬼術は死体で対象を押し包み、圧殺する技だ。

 回避は不可能。潰れて死ぬしかない。

 

「瑠衣さん!」

「やべえ……!」

 

 炭治郎と玄弥から見ても、八重垣童女の術はかわしようがないように見えた。

 死体は全方位から迫っている。

 いかに瑠衣の脚力が優れているとは言え、包み込まれてしまえば逃げ場がない。

 

 ――――風の呼吸・肆ノ型『昇上砂塵嵐』!

 

 その死体のすべてを、風の刃が斬り飛ばした。

 一瞬、その場にいる全員が虚を突かれたような顔をした。

 術を仕掛けた八重垣童女ですら、言葉を失っていた。

 

「もし、私が彼らの立場なら」

 

 手首を返して、瑠衣は言った。

 

「同じようにしてほしいと、そう思ったでしょう」

 

 言葉を失う八重垣童女の顔に、刀を振り下ろした。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 そこからの展開は、炭治郎達の想像を超えるものだった。

 瑠衣は、八重垣童女への手を緩めなかった。

 しかしそれは、戦いと呼べるようなものでは無かった。

 

「ギャアッ」

 

 もう何度目になるだろうか。

 瑠衣の日輪刀が、八重垣童女の顔を斬る。

 斬るのは常に目か、舌だった。再生すると同時にどちらかを斬り付ける。

 それを嫌がって手を上げれば、今度は手首から斬り落とされる。

 

 一方的だった。余りにも一方的に過ぎた。

 足を斬られて膝をつき、膝をついたところに目を斬られる。

 炭治郎の目には、八重垣童女がすでに戦意を失っているように見えた。

 尻餅をついた体勢で、後ずさりさえしているのだ。

 

「へっ、ざまあねえぜ」

 

 炭治郎は、傍で玄弥がそう呟くのを聞いた。

 玄弥は八重垣童女の醜態をいい気味だと思っているのかもしれない。

 そうだとしても、それを責める気は炭治郎には無かった。

 それ程にあの鬼は道を踏み外していたし、他者の命を弄んでいた。

 だから逆に彼女自身がその立場になったとして、庇うべきだとは思わなかった。だが。

 

「あっ、おい! 炭治郎!」

 

 ――――何なんだ、この人間は。

 八重垣童女は、目の前に立つ瑠衣という人間が理解できなかった。

 眼球を斬られる熱さに呻きながら、刀を構える瑠衣を見上げる。

 

「……虚しいですね」

 

 何が虚しいと反論しようとして、口を斬られた。

 切断の熱に舌が焼ける。口の端から血とも唾とも取れぬ体液が流れた。

 

「沼慈司さんが、里の皆が死んだというのに。貴女のような屑が生きている。こんなに虚しいことはありません」

 

 だったらさっさと頚を刎ねれば良いものを、甚振(いたぶ)っている。

 何て趣味の悪いやつだ。

 自分のことを完全に棚に上げて、八重垣童女はそう思った。

 

 とは言え、打つ手が無かった。

 触れようとしても、あるいは死体を操っても、瑠衣は一切の躊躇なく斬ってしまう。

 いや、逃げに徹すれば、あるいは何とかなるかもしれない。

 しかしそれは、八重垣童女の完全なる敗北を意味する。

 

(できるか、そんなことが……っ!)

 

 下等な、真の芸術を欠片も理解しない畜生を相手に、そんなことは出来なかった。

 だからその場から動くことも出来ずに、瑠衣の振り上げた刀に怯えた。

 

「瑠衣さん!!」

 

 炭治郎が飛び込んで来たのは、そんな時だった。

 奇しくも、瑠衣も八重垣童女も、同じように驚いた表情を浮かべたのだった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 ――――水の呼吸・伍ノ型『干天(かんてん)慈雨(じう)』。

 自分のせいだと、炭治郎は思った。

 禰豆子のために剣を鈍らせた。

 そのために、瑠衣にこんなことをさせてしまっている。

 

『――――判断が遅い』

 

 剣の師(鱗滝)に、そう言われたことがある。

 その通りだった。しかも成長がない。いつまでも、いざという時に迷ってばかりだ。

 だから決断できない。だから大切なものを危険に晒す。

 だから、何も成し遂げることが出来ない。

 

 水の呼吸の伍ノ型は、慈悲の技だ。

 この技で頚を斬られた鬼は、ほとんど痛みを感じないという。

 だから万が一、八重垣童女の死が禰豆子に影響を与えるとしても、苦しまないと思う。

 禰豆子、顔が見えた。

 

(禰豆子……!)

 

 逆の立場なら、そうして欲しいと思う。

 確かにそうだと、炭治郎は思った。

 炭治郎が()()なったとしても、誰かが斬ってくれる。

 そう、信じているから。

 

「いえ、まだ早いです」

「えっ!?」

 

 だから、刀の柄で止められた時、本当に驚いた。

 止めた瑠衣も驚いた顔をしていて、炭治郎の行動が彼女にとっても想定外だったことを物語っていた。

 そしてそれを見逃す程、八重垣童女は甘くはなかった。

 再生した手首を瑠衣に向ける。すると次の瞬間、肘のあたりが()()した。

 

「…………っ!」

 

 手が飛んだ(ロケットパンチ)

 肘のあたりから離れた右手が真っ直ぐに飛び、瑠衣の首を掴んだ。

 流石に息が詰まり、表情を歪めた。

 

「ハッ……ハアアァ――――アッ! 掴んだ! 調子に乗りやがってこの下等生物が! ぎゃはっ、ねえどんな気分? お前はもうお終いだ! この愚図、愚図、愚図が! ギャハハハハッ!!」

 

 不味い。どうする。炭治郎は焦った。

 しかし今さらどうすることも出来ない。八重垣童女に触れられてしまった。

 まさか腕だけを飛ばしてくるとは。

 瑠衣が殺されてしまう。血の気が引く音を聞いた。

 

「よくもこの私をここまでコケにしやがって……決めた! お前は細切れにして、私の動物達のエサにしてやる! 完全なる生物の糧となれることを誇りに思って、死ねえ!!」

 

 残った左手を瑠衣に向ける。後は、掌を閉じるだけ。

 その時、八重垣童女は目の前が真っ暗になった。

 

「は?」

 

 否、視界がなくなったわけではない。

 掌だ。

 掌が、八重垣童女の顔を掴んでいた。

 そしてその腕は八重垣童女の胸から伸びていて、いや、もっと言えば。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……力を使い過ぎなんですよ、貴女」

 

 息苦しそうにしながらも、瑠衣は言った。

 

「無数の死骸を、それも里中を覆う程の広範囲で操作する。強力な血鬼術です。正直、私もお手上げでした。でもそれは裏を返せば、それだけ力の消費が激しいということ」

 

 その上で、戦闘に意識と再生力を奪われればどうなるか。

 血鬼術の力も、弱くならざるを得ない。

 そう、例えば、捕らえた者を押さえ込んでいられなくなる程に――――。

 

「ぎ……」

 

 ――――血鬼術『爆血』!!

 禰豆子と目が合った次の瞬間、八重垣童女の全身を紅の炎が包み込んだ。

 

「ギャアアアアッ!? 熱ッ……! 焼けるッ、私の身体がアアァッッ!」

 

 外からではない、体内からの鬼の炎だ。

 まさしく迦具土命(カグツチ)の火。

 原初の神でさえ焼き殺す激痛に、八重垣童女は悲鳴を上げた。

 

 血鬼術が弱まったためか、あるいは八重垣童女が耐えかねたのか、禰豆子の身体がずるりと出てきて、地面に落ちた。

 生まれたままの姿で、五体満足のようだった。

 対して八重垣童女は全身の肌が焼け爛れて、しかも禰豆子の力のせいか、再生すらままならない状態だった。

 グズグズに焼けた状態で、地面に倒れて藻掻(もが)いていた。

 

「ひっ……」

 

 その八重垣童女の傍に、瑠衣が立っていた。

 本体が焼かれた拍子に消えたのか、首を掴んでいた右手も消えていた。

 日輪刀を手に、こちらを冷然と見下ろしている。

 その目が、視線が、八重垣童女の内に怯え以上の感情を生み出した。

 

「私を見下すな、下等生物が!!」

 

 手首を再生し、掴みに行った。

 しかし次の瞬間、その腕を炭治郎の肆ノ型(打ち潮)が斬り落としてしまった。

 それを見て、瑠衣は言った。

 

「ああ、残念。彼は許してくれないそうですよ」

 

 ――――ヒノカミ神楽『碧羅の天』。

 燃え盛る斬撃が、八重垣童女の頚に打ち込まれた。

 八重垣童女は血鬼術で頚周りを固めた様子だったが、陽光の一撃の前には無意味だった。

 包丁で豆腐を切るかのように容易く、八重垣童女の頚が飛んだ。

 

 一度、二度。地面の上を跳ねた。

 ごろりと転がってこちらを向いた顔は、信じられないという表情を浮かべていた。

 頚を失った自分の肉体が塵と消えていくのを見て、ようやく事態を悟ったらしい。

 その口から、耳を(つんざく)くような金切り音が発せられた。

 

「お、お前ッ、お前! ふざけるなアアアアァァお前エエエエェェッ! 自分が何をしたのか、理解しているのかアアアァァッ!!」

 

 頚だけで喚き散らしている。

 切断面から塵になって行っているが、あの様子だとしばらくかかりそうだ。

 

「この世から、私が……偉大な芸術家が、偉大な才能が消えるんだぞ!? お前らなんかとは価値が違う。それをお前のような、下等な、下等な、下等な……! ふざけるなアアアァァァくそ、くそおおおおおっ!! ひっ。い、嫌だ。嫌だ、し、死にたくない! 死にたくない死にたくない、死にたくなイイイィッ!! 私はまぶ」

 

 口から下を瑠衣が斬って、ようやく静かになった。

 八重垣童女は、死ぬまで悶えていた。

 彼女の死を看取る者は、誰もしなかった。

 塵となって消えるまで、独りきりで、死の恐怖に涙を流し続けていた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

「禰豆子!」

「む」

 

 竈門兄妹が、ひしと抱き合っていた。

 いや、ほぼ兄が一方的に抱き締めに行っていて、妹の方は若干鬱陶しそうにしているようにも見える。

 まあ、そんなものかもしれない。などと考えながら。

 

「玄弥君、怪我はありませんか」

「……っス」

 

 何故か、玄弥は明後日の方向を向いていた。

 いくら何でも、背中を向けて来るのは失礼を通り越していささかショックだった。

 そんなに嫌われているのかと思っていると、ふと気づいた。

 

(ああ、なるほど)

 

 禰豆子が、まだ着物を着ていない。

 だから顔を――というか、全身を――背けているのだろう。

 そう思えば可愛らしくもあり、ここは年上のお姉さんとして振る舞うべきかとも思った。

 ただ、一つだけ問題があった。

 

「え、な、何スか?」

 

 瑠衣にとって、年下の男の子の基準は千寿郎である。

 だから玄弥に対しても同じように接しようとして、早い話が、ポンポンと頭を撫でようとした。

 しかし胸の前まで手を持って行った段階で、玄弥が自分よりずっと背が高いことに気付いた。

 その事実に固まった瑠衣だが、すぐに再起動して、結果として肩を叩くこととなった。

 

「良く頑張りましたね」

「え、あ、はあ。ども……」

 

 その時、地響きがした。

 それは少し離れた場所で起きた衝撃が原因で、断続的に続いていた。

 戦いはまだ続いている。それを思い出させるには十分すぎた。

 誰が戦っているのかなど、今さら言うまでもなかった。

 

 ――――()()()の戦いの音が止んだなと、時透は思った。

 炭治郎と玄弥が勝ったのか。よもや負けたのではあるまいな、と。

 まあ、どちらでも良いが、仮に敵が勝っていたら少し面倒になる。

 あくまで()()、だが。

 

「あー、もう。それ飽きたよ」

 

 時透の目は、目の前に仁王立ちしたまま動かない上弦の肆に向けられていた。

 その上弦の肆――喜怒哀楽の鬼が合体した少年鬼――の周囲を、木のトカゲとも言うべき化物が蠢ていていた。

 一匹一匹が樹齢何百年の巨木ほどに太く、しかも獰猛だった。

 

「いい加減に斬られてくれないかな? 面倒くさいからさ」

「……傲慢」

 

 怒りの鬼の要素が強いのだろうか、上弦の肆は憤怒の表情を見せていた。

 そしてその憤怒はすべて、時透に向けられていた。

 

「不愉快、極まれり」

 

 トカゲ達が、一斉に時透を見た。

 

「極悪人、めが」

 

 トカゲが動くのと、時透が動くのはほとんど同時だった。

 その直後、トカゲの一匹が頚を斬られた。

 そして、時透の持っていた刀が音を立てて折れるのも。

 ほとんど同時の出来事だった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 そしてもう1人の柱の戦いも、熾烈を極めていた。

 空中に放たれる無数の魚や針を、甘露寺の薄く鋭い刀が斬り、あるいは弾き落としている。

 甘露寺と玉壺の動きが余りにも速すぎるので、見ている小鉄達などは呼吸を忘れそうな程だった。

 

「コロ!」

 

 背後から頚を狙ったコロだったが、玉壺の放った壺の形をした水の塊に呑み込まれてしまった。

 それは犬井が斬ることで破壊したが、犬であるコロにとって水中は厳しかったのだろう。ゴホゴホと危険な咳を吐いていた。

 そこへ玉壺の放った針が飛んでくるが、それは横から飛び出して来た縁壱零式が弾き飛ばしていた。

 

「何とまあ、良く出来た絡繰だねえ」

「防御特化で設定していますからね……!」

 

 縁壱零式は、手首と指の回し方で動作を決めることができる。

 今は()()()()の攻撃を防ぐように設定してある。攻撃もするが、最小限だ。

 

「ただ、長くは保たない……!」

 

 持ち主であり、優れた観察眼を持つ小鉄だからこそ、今の縁壱零式が動いているだけで奇跡的な状況であることを理解していた。

 しかも上弦との戦いだ。剣士相手の訓練とは違う。頭も腕もない。今にも壊れそうだ。

 ただ、長くは保たないという意味では、人間も同じだった。

 

「ヒョヒョッ、どうした? だんだんと息が荒くなって来たぞ?」

「まだまだ……!」

 

 ――――恋の呼吸・参ノ型『恋猫しぐれ』。

 玉壺の攻撃の大半を撃ち落としながら、甘露寺は駆け続けていた。

 身体を柔軟に折り曲げて攻撃をかわし、隙を見れば打ち込む。

 いくつかの攻撃は玉壺本体に届く、届くが、頚を斬るには至らない。

 

 もどかしかった。

 なまじ実力があるが故に、「あと少し」がわかってしまう。

 あと少し踏み込みが速ければ、あと少し手を伸ばせれば、頚に届くのだ。

 それがわかるから、甘露寺は胸中の焦りを隠せなかった。

 

「……ッ!」

 

 焦りからか疲労からか、危うく針が刺さりかけた。

 咄嗟の反応で弾くことが出来たが、一度体勢を立て直す必要が出来た。

 それでまた少し、玉壺の頚が遠くなる。

 

(焦っちゃ駄目。落ち着くのよ蜜璃! 鉄珍様とも約束したじゃない!)

 

 みんなを守ると。そして。

 

(刀を届けるのよ、炭治郎君と無一郎君と……瑠衣ちゃんに!)

 

 刀は、鉄穴森が抱えていた。

 あの刀を、仲間に届けなければならないのだ。

 だからこんなところで、時間をかけるわけにはいかないのだ。

 

(ヒョヒョ、ここに来て集中力がさらに高まっているな)

 

 そしてその気迫は、玉壺にも伝わっていた。

 もちろん玉壺はそれでも甘露寺や絡繰人形、そして犬に自分が討てるとは思っていない。

 しかし一方で、玉壺にも夜明けという時間制限がある。

 時間をかけていられないのは、玉壺の側も同じだった。

 

(ヒョヒョ、そろそろ使()()()か……)

 

 ちらりと視線――目がある位置に口があるので、視線がわかり辛いが――を向けた先に、獪岳がいた。

 刀を構えてはいるが、攻撃してくる様子はない。

 青褪めた表情でこちらを見ている獪岳に、玉壺は「ヒョヒョ」と笑ったのだった。




最後までお読みいただきありがとうございます。

せっかくなので上弦と柱の組み合わせを変えてみました。
動かしてみると上弦って本当に強いんですけど、それ以上に柱が強いんですよね。何で上弦なんて化物と人間が戦えるんだろう(え)
もしかして岩柱なら上弦の肆以下なら単独で討てるのではとか思ったり(え)

それでは、また次回。
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