鬼滅の刃―鬼眼の少女―   作:竜華零

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第36話:「上弦の伍」

 ――――夢の呼吸・弐ノ型『華胥(かしょ)の夢想』。

 無造作に振るわれた横薙ぎの一閃が、金魚の上半分を肉片の変えた。

 そのままぐるぐると回転しながら着地し――片足を上げて地面を滑っていく様は、恋柱を彷彿とさせた――たかと思えば、次の瞬間にはがくんと脱力していた。

 どうやら、すうすうと寝息を立てて眠ってしまったようだ。

 

「いや、そうはならないだろう……」

「実際になってるじゃないですか」

「うっせ」

 

 鉄美と清彦がそんな会話を交わす傍ら、一本丸が地面に手を着いて項垂(うなだ)れていた。

 彼の前には、無惨にもバラバラになった鈴音の蛇腹剣の残骸が落ちていた。

 どうやら壊れてしまったらしい。一本丸はこの世の終わりかのようにさめざめと涙を流していた。

 

「しかし和泉(鈴音)殿のおかげで一安心です。妙な犬の姿もなくなったし、間もなく夜明け。このまま何事もなく夜が明けてくれれば」

 

 鬼の襲撃を受けた人間にとって、太陽はまさしく救世主だ。

 陽の光だけが、鬼を退けると信じている。

 だからこうして、ひたすらに太陽が早く昇ってくれるように祈るのだ。

 

「阿呆なことを言うなや」

 

 不意に立てられた声に、その場にいる皆が黙った。

 鉄珍だった。

 首元に包帯を覗かせてはいるが、鉄珍の声には力があった。

 

「こうしとる間にも、剣士の子らが(たたこ)うとる。命を燃やしとるんや」

 

 ()()()()()()

 そんなことは今することではない。

 今は戦時。奪うか奪われるかの時だ。

 蹲って時間が過ぎるのを待ち焦がれていて、凌げる時間ではないのだ。

 

 そもそも、隠も刀鍛冶も鬼殺隊の一員なのだ。

 刀を振って戦う剣士と、何ら異なるところはない。

 剣士が命を懸けて戦っている時に、安全圏でただ蹲っているだけでどうするのか。

 

「……あ! 長!」

 

 その時、茂みから新たな金魚の化物が顔を出した。

 金魚は刀鍛冶達を視界に収めるや、歯を剥き出しにして咆哮を上げた。

 その顔に、鈴音の一閃が走った。

 眠りながらの跳躍。しかも誰もが気が付いた時にはそこにいる。独特な歩法。

 

「ああっ!」

 

 誰かが悲鳴を上げた。

 鈴音の刀が金魚の牙に触れた際、金属音を上げて折れてしまった。

 金魚は顔を斬られただけで、すぐに再生を始めた。

 

「和泉殿!」

 

 誰が、というわけではなかった。

 気が付いた時、彼ら1人1人が抱えていた日輪刀を投げたのだ。

 とは言え、素人の投擲だ。正確ではない。

 

「ズモオオオオオォォッ!」

 

 また金魚の化物が咆哮を上げて、届いた日輪刀を振り払ってしまった。

 跳ね返って来た刀に、うわあ、と刀鍛冶達が身を屈める。

 ただ、刀鍛冶達は金魚を狙って刀を投げたわけでは無かった。

 

「感謝します」

 

 一振りで良い、届けば良かった。

 鈴音は手を伸ばして鞘の下げ緒を掴み、引き寄せた。

 そのまま抜刀し、金魚の頚と背中の粒を斬り、砕いた。

 おお、とやはり誰からともなく歓喜と安堵の声が漏れた。

 

「皆、良く考えや」

 

 そんな中で、鉄珍は問うた。

 

「どうして、日輪刀は()()()()()()()()()?」

 

 夜明けまで、あと少し。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 元々、時透の刀ではなかった。

 刃毀れも酷く、翌朝には正式な刀が届くはずだったのだ。

 だから鬼の、あるいは時透の力に耐え切れずに刀が折れてしまったとしても、不思議は無かった。

 しかしタイミングとしては、最悪と言えた。

 

 ――――血鬼術『無間(むけん)業樹(ごうじゅ)』!

 上弦の肆が生む出す無数の木の竜(トカゲ)が、時透の視界を埋め尽くしていた。

 樹齢何百年というような太いトカゲもいれば、そこから枝のように生えてくるトカゲもいる。

 しかもトカゲの口から新たなトカゲが生えることもあり、まさしく無限のように思えた。

 

『無一郎の「無」は――――』

 

 不意に、記憶が刺激された。

 それがいつの、誰の言葉だったかは思い出せない。

 いつもそうだ。

 時透の記憶はいつだって、霞の向こう側にある。

 

「ふうう……」

 

 ――――霞の呼吸・伍ノ型『霞雲(かうん)の海』。

 視界を埋め尽くすトカゲに対して、生き残る道は後方には無かった。

 それがわかるから、折れた刀で時透は前へと踏み込んだ。

 前へと踏み込んで、全身の筋肉の緩急で相手を幻惑しつつ、刀を振るった。

 

(――――! この童、儂の目を欺くとは)

 

 トカゲの顎をギリギリのところでかわし、胴を斬る。

 それを繰り返しながら、徐々に上弦の肆に近付いていく。

 柱に近付かれる。()()だ。

 だから上弦の肆は、背中の太鼓を叩いた。

 

「何? うるさいなあ」

 

 時透の眉が、不快そうに形を変えた。

 すると2体のトカゲが、時透に向けて口を開くのが見えた。

 食い千切る気か。いや、距離があった。

 

 ――――血鬼術『狂鳴(きょうめい)雷殺(らいさつ)』!

 雷撃と、音波。同時に襲い掛かって来たそれに、さしもの時透も目を見開いた。

 万全な状態なら捌けるだろう。が、今は刀が折れていた。

 捌き切れるか。そう目を細めた瞬間だ。

 

「伏せてください!」

 

 珍しいことに、時透はその声にすぐに従った。

 屈んだ彼の頭上を、飛び越えて行く者があった。

 

「……仲間か」

 

 ――――風の呼吸・伍ノ型『木枯らし颪』!

 回転しながら、斬り下ろしの斬撃。暴風が舞い降りた。

 トカゲの放った音波と雷撃を、風の斬撃で逸らした。

 飛び込んで来た瑠衣の背中――「滅」の一文字――を見て、時透は目を細めた。

 記憶も視界も、霞が勝ったままだった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 何だ、こいつは?

 それが上弦の肆の姿を見た時の、瑠衣の偽らざる気持ちだった。

 目に刻まれた数字から上弦の肆だとはわかるが、姿形がまるで違っていた。

 

「上弦の肆です! 喜怒哀楽の鬼が合体したんです!」

「合体……!」

 

 炭治郎の言葉に、瑠衣は改めて少年鬼を見た。

 対峙しているだけで掌に汗が滲んで来る。

 喉がひりつくような威圧感は、今まで出会ってきた上弦にひけを取らなかった。

 確かに、上弦の鬼だ。

 

(……不味い)

 

 この時点で、瑠衣には誤算が2つあった。

 まず1つは、時透だ。刀が折れている。

 悔しいが時透の実力は本物で、その彼が万全の状態でないというのは痛かった。

 

 そして第2に、上弦の肆だ。

 瑠衣にとっては因縁の相手でもある。だが、前の戦闘の情報は何も当てにならない。

 あの時はまるで本気では無かったのだと、一撃を捌いて理解した。

 両腕に残った衝撃が、嫌でもそれを教えてくれた。

 

「……どうして助けたの?」

 

 その時、時透がそんなことを言った。

 

「刀が折れた僕を助けるより、鬼の頚を斬りに行くべきだったと思うけど」

 

 これである。

 確かに時透に意識が向いている上弦の肆に、奇襲する手はあったかもしれない。

 あったかもしれないが、わざわざ言うのが時透無一郎という少年だった。

 

「仲間だからだよ!」

 

 そして答えにくいことでも、ずばっと素直に言えてしまうのが、炭治郎という少年だった。

 

「仲間は絶対に見捨てない。それに時透君が一番、やつを討つ可能性がある。時透君さえ生きていてくれたら、絶対に勝てる!」

「…………」

 

 あの時透が何の反論もできずに黙り込んでいる。これは珍しいことだ。

 玄弥は「すげえな、こいつ」とでも言いたげな顔で炭治郎を見ているが、瑠衣も同じ気持ちだった。

 この炭治郎という少年には、そういう不思議な何かがあった。

 

「不快、極まれり」

 

 その時、地の底から響くような声が聞こえた。

 不機嫌や不満という言葉に形があるのなら、まさに()()だろう。

 上弦の肆の全身から放たれる威圧感と害意は、そう思わせるには十分だった。

 

「極悪人どもめ。皆殺しにしてくれる」

 

 圧倒的な殺意に、全身の産毛が逆立った。

 柱である時透でさえ例外ではない。

 そんな中で、1人だけ声を上げる者がいた。

 

「……悪人……?」

 

 ぞわり、と。

 その時の炭治郎の表情を見て、また産毛が逆立った。

 本当に、杏寿郎()に似ている。

 瑠衣は、そう思った。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 鬼は、人を喰う。

 上弦ともなれば、その数は100や200ではきかない。

 上弦の肆からも、数多の人間の血の臭いが漂っていた。

 その鬼が、炭治郎達を「悪人」と呼ぶ。

 

「お前に喰われた人達が、お前に何をした? 何の罪もない人々を殺しておいて、他人を悪人呼ばわりするのはやめろ!」

 

 人は誰しも他人に厳しく自分に甘いものだが、度を越している。

 自分を絶対の善とし、他人を悪とする。何という捻じ曲がった性根か。

 そのような悪鬼を、許すことは出来なかった。

 

「竈門君……」

 

 ゴオ、と、炭治郎の体から炎が上がったように感じた。

 もちろんそれは目の錯覚だが、しかし呼吸音は燃え盛るように激しかった。

 火の神に捧げる、特別な呼吸だ。

 

 ――――ヒノカミ神楽『陽華突(ようかとつ)』。

 爆発するような、そんな突きだった。

 上弦の肆までの距離を一息で潰し、その喉元に日輪刀を向けた。

 それを見つめる上弦の肆はかわそうともしていなかったが、代わりに背中の太鼓を叩いていた。

 

(やつの攻撃の方が速い!)

 

 木のトカゲが、両側から炭治郎を包み込もうとしていた。

 明らかに、炭治郎の突きが上弦の肆に届くよりも速い。

 そこへ、2つの影が割り込んできた。

 

 ――――風の呼吸・壱ノ型『塵旋風・削ぎ』。

 ――――霞の呼吸・参ノ型『霞散(かさん)飛沫(しぶき)』。

 霞が風の呼吸の派生だというのが、良くわかった。

 時透が持っている刀は、あれは、玄弥が持っていたものだろう。

 

(咄嗟に俺に合わせてくれた)

 

 凄い人達だ、と思う。時透など自分より年下なのだ。

 箱の中で回復している禰豆子も、懸命に戦った。

 皆が、懸命だった。

 俺もやるんだ、と、炭治郎は強く願った。

 

(もっと早く)

 

 もう少しだけ速く。

 もう少しだけ先へ。

 もう少しだけ、呼吸を深いところへ。

 

 上弦の肆の頚に、刃が届いた。

 少年鬼は何の感情も見えない顔で炭治郎を見上げていた。

 炭治郎に頚が斬れるはずがないと、そう思っているのかもしれない。

 実際、上弦の肆の頚は鋼鉄のように硬かった。

 

「う……!」

 

 先ほど感じた怒りは、まだ胸中で渦を巻いていた。

 この悪鬼の頚は、今斬らなければ。この悪鬼を、今、仕留めなければ。

 また罪もない人々が殺される。

 ()()

 余りの血の熱さに、口から炎が噴き出してしまいそうだった。

 

「うおおおおおおおおおおぉっ!!」

 

 炭治郎の額の火傷が――いや。

 額の()が、炎のように大きく広がった。

 それと同時に、刃が()()()

 次の瞬間、上弦の肆の頚が、天高く刎ね上げられていた――――。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 正式に剣士になってからというもの、千寿郎は己の未熟に気付かされる毎日だった。

 まず、単純に実力が足りない。

 父を始めとする兄姉の薫陶を受けていると言っても、まだまだ剣は荒い。

 しかし、千寿郎は懸命だった。

 

「俺が来るまで良く耐えたなァ」

 

 強力な鬼だった。厄介な血鬼術を持っていて、しかも民間人が襲われていた。

 千寿郎は民間人を庇いながらの戦いを余儀なくされたが、ひたすらに我慢し続けた。

 結果として、柱――不死川の救援が間に合った。

 鬼は、不死川の一刀の下に頚を刎ねられた。

 

(やっぱり、柱は凄いなあ)

 

 自分が半夜に渡って戦った鬼を、たった一撃で斬り伏せてしまうのだ。

 いかに実力が足りないかを目の当たりにされたようで、どんよりとした気分になってしまう。

 

(もっともっと、頑張らなくちゃ)

 

 父のように、兄や姉のように、弱い人々を守る剣士になるのだ。

 隠による手当てを受けながら決意を新たにする千寿郎に、不死川はふっと表情を緩めた。

 

「お前は良い剣士になるさ。たぶんなァ」

「いえ、まだまだです。今日の鬼だって、僕1人では斬ることが出来ませんでした」

「それでも、民間人を守り切った。で、自分も生き残った。万々歳だろォが」

 

 そのどちらも、成し遂げたのは不死川だった。

 不死川が来なければ、千寿郎はそのどちらにも失敗していただろう。

 そんな今の自分では、おこがましいかもしれないが。

 

「俺も柱になったら、父上や不死川さんのようになれるでしょうか」

「どうかねェ」

「や、やっぱり無理でしょうか!?」

「別に槇寿郎殿や俺みたいな柱になる必要はねェだろ。お前はお前のやり方で柱になれば良いんだ」

 

 それに、と、不死川は言った。

 

「お前はちゃんと、柱が持ってなきゃならない物を持ってる」

 

 そしてそれは、千寿郎の姉――瑠衣、あの()鹿()()()が持っていないものでもある。

 明るい顔を見せる千寿郎を横目に、不死川はそんなことを思った。

 千寿郎は確かに実力的には未熟だ、柱候補とすら呼べない。

 

 けれど、それでも、瑠衣よりは()()()()

 実力では柱に手が届くと言って良い瑠衣だが、柱からはずっと遠い位置にいるのが彼女だった。

 そして本人はそれに気付いていない。気付こうとすらしていない。

 だから()鹿()()()なのだと、不死川は思った。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 柱とは、《家》を支えるものである。

 一家の大黒柱、などという言葉もある。()()()ものだ。

 では、柱はなぜ家を支えるのか。考えたことはあるだろうか。

 理由は、たった1つしかない。

 ――――家の中にいる者達を、守るためだ。

 

「ぎゃあああっ!」

 

 という悲鳴を、甘露寺は意識の端で捉えた。

 悲鳴を上げたのは、獪岳だった。

 獪岳の背中に、あの金魚の化物が()()()()()()()()()()()取り付いていた。

 蟹のような鋏が、獪岳の頸動脈に伸びるのが見えた。

 

 罠だ、と小鉄は思った。

 あからさまに罠だった。素人の小鉄が見てもわかるくらい、コテコテの罠だった。

 甘露寺の気を逸らして、隙を突こうというのだろう。

 無視すべきだ。

 獪岳を嫌っているという点を差し引いても、それが合理的な判断だと小鉄は思った。

 

「あっ……!」

 

 一瞬の出来事だった。

 甘露寺が一息で獪岳の下へ跳び、背中に取り付いていた金魚を斬った。

 馬鹿な、と小鉄が思うのと。

 玉壺が放った無数の針が甘露寺の身体に突き刺さるのは、ほぼ同時の出来事だった。

 

(こいつは、馬鹿か)

 

 救われた身でありながら、獪岳は甘露寺の行動を「馬鹿」と思った。

 普通、こんなあからさまな罠に引っかかるわけがない。

 自分だったら見捨てている。それなのにこの甘露寺という女は。

 

「だ、大丈夫だった!? 怪我はしてない!?」

 

 負傷の痛みで額に汗を浮かべながらも、獪岳の無事を問うてきた。

 

「ヒョヒョッ、まさか本当に助けに行くとは。愚かなことだ」

 

 玉壺も同じことを考えていたのだろう。甘露寺の行動を嘲笑っていた。

 

「本当に滑稽! 傑作だ。最も強い者が最もつまらない命を救って命を落とす。ん? そろそろ毒で聞こえなくなってきましたかな?」

 

 ――――水の呼吸・壱ノ型『水面斬り』。

 背後から、横薙ぎの剣撃。

 ヒョッ!、と笑って、玉壺は壺の空間移動によってその一撃を回避した。

 

「ヒョヒョッ。そういえば、犬畜生を連れた馬鹿な人間がいたか」

 

 ()()()と壺の中から這い出して、玉壺は目の前の人間を見つめた。

 何の脅威にも思っていない。そんな顔だ。

 玉壺のように数字を持つ鬼は、基本的に、柱以外の剣士を侮る傾向にある。

 それは長く生きてきた経験から来る結論で、間違ってはいない。

 

 その時点で、玉壺はようやく気付いた。

 自分の頚から、僅かに血が滲んでいることに。

 ()()()()()()いないから、気付くのが遅れた。

 小さな腕が生えて、傷口を塞いだ。

 

「いやあ、まあ、おじさんもね。あんまり褒められた人生を歩んじゃいないけどね」

 

 柱以外は雑魚。間違ってはいない。

 しかし玉壺は、1つ忘れていた。永遠の命を持つが故に見落としていた。

 それは、人が成長するということ。

 そして、最強の柱も――――最初の階級は癸だった、ということを。

 

「お前みたいなクズはね、嫌いだわ。()()もね」

 

 人は、()()()で成長するが。

 いつまでも柱の下にはいられないのだということを、玉壺は知らなかった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 そもそもだ、柱は人数が決まっている。

 空席が生まれない限り、いくら実力のある隊士がいても昇格することが出来ない。

 従来は頻繁に空席が発生する――同じ顔ぶれが半年と保つことはほぼ無い――のだが、今の世代の柱は例外的にそうなっていない。

 

「あ、あのオッサン……」

 

 小鉄は、己がもはや外野であることを自覚していた。

 鋼鐵塚は未だに刀を磨いているが、もう気にしている人間はいなかった。

 ともすれば前に出そうになる小鉄の小さな体を、鉄穴森が抱えて止めていた。

 

 しかし、鉄穴森も小鉄の気持ちは良くわかった。

 柱である甘露寺が負傷してしまい、状況は最悪だと思われた。

 縁壱零式もいい加減に限界だった。だから。

 

「あのオッサン、強エエエエエェェッ!?」

 

 だから、犬井の本気の戦いぶりに驚きを禁じ得なかった。

 犬井の呼吸は水ということだが、小鉄の知る水の剣士――要は炭治郎のことだが――とは違っていた。

 おそらく上背があり、体重の差から来る違いなのだろう。

 

 炭治郎の水の型は流麗といった風だが、犬井の型はそこにさらに力強さが加わっていた。

 技の初速がやや遅いが、それを補って余りあるパワーがある。

 豪、と瀑布の如く刀を振るい、針を弾き飛ばし、金魚を斬り()()

 

「とは言え、この手(空間)の鬼(移動)はおじさんも苦手でねえ」

 

 技の初速が遅いということは、上弦の鬼にとっては回避を容易にしているだろう。

 だから犬井の攻撃は玉壺の頚までは届かない。

 だがその代わり、移動した先々で。

 

「バウッ!」

 

 コロが先回りしている。

 空間移動していると言っても、出現する壺から漂う臭気は隠しようがない。

 もちろん人間には無理だが、犬であるコロならば追跡できる。

 そうしてコロの追撃と牽制が効いたところへ、犬井の()()攻撃が追い付いて来る。

 

 ――――水の呼吸・肆ノ型『打ち潮』。

 流れるような()剣が、玉壺の肌の上を滑る。

 刀の冷たさが筋肉にまで達したところで、ようやく玉壺は反応できた。

 囮の小さな腕を生やして刀を止めつつ、次の壺へと逃げ込んだ。

 

「っとお。木の上かい」

 

 次の転移先は、太い木の枝の上だった。

 どういうバランスで乗っているのか良くわからないが、とにかく上に移動した。

 

「ううん?」

 

 様子が、おかしかった。

 というのも、壺から這い出た玉壺が枝に倒れ込んだからだ。

 いや、倒れ込んだというより、引っかかったという方が正しい。

 玉壺は平べったい布のような姿になって、枝に引っかかっていた。

 

「あらら、これは……」

 

 皮だった。外皮。つまり()()した。

 それに気付いた刹那、犬井はコロを掴んで横に跳んだ。

 地面にしたたかに身体を打ち付けたが、すぐに起き上がった。

 ボトボトと、足元に何かが落ちた。

 

 魚だった。新鮮だ。無駄に。

 それから、隊服の腹部の部分が破れていた。

 鮮魚はそこから落ちていた。

 つまり、()()されたのだ。

 

「……ヒョヒョヒョッ。この玉壺様がここまでコケにされたのは初めてだ」

 

 筋肉がより引き締まり、頑健さと強靭さを増していた。

 そしてその肉体を守る鎧のように、透き通った鱗が全身を覆っている。

 壺から離れた下半身は魚のようにも蛇のようにも見えて、木の幹に絡みついていた。

 変身――いや、()()した。

 

「だがそれも、もうお終いだ。この玉壺様の完全なる美しき姿にひれ伏すが良い」

 

 姿も気配も変わった上弦の鬼を前に、犬井は苦笑いを浮かべた。

 どうやら相手を知らなかったのは、お互い様のようだった。

 しかし誰も脳裏に絶望が(よぎ)ったその瞬間、1人だけ両目に別の色を浮かべた者がいた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 この時、甘露寺は勝機を見た。

 確かに玉壺は変態によってより強力になった。肌で感じる鬼気も段違いになった。

 ()()()()()、甘露寺は勝ちの目に気付くことが出来た。

 

「ゲホッ」

 

 しかし、問題があった。毒が回ってきているのだ。

 呼吸を抑えれば毒の巡りも遅くなるが、それでは身体能力を維持できない。

 身体能力を高めれば、毒が巡る。

 呼吸の剣士ならば、誰でも知っていることだ。

 

(こ、この女、何を考えてやがんだ……!?)

 

 しかし、逆に甘露寺は呼吸を早くしていた。

 傍にいる獪岳にはそれが良く分かった。

 同時に、甘露寺の顔色がどんどん青褪めていく様も見ていた。

 呼吸を――心拍数を、早くしていく。

 

 すなわち、血の巡りを早く、強くしている。

 手足の先、毛細血管の一本に至るまで、血を送り込む。

 それによって毒は回るが、より強い力を得ることが出来る。

 身体が()()。燃えているようだ。

 

(師範、みんな)

 

 不意に思い出すのは、煉獄家での修行の日々だった。

 呼吸法に限らない。剣士として必要なすべてをそこで学んで来た。

 ついでに言うと、運命の人だ、とときめきを覚えたことも一度や二度では無かった。

 まあ、すぐに違うとわかったわけだが。

 

(全力で、行きます)

 

 自分より強い人に守ってほしいと、人には言ってきた。それが女の子の夢だ、と。

 それは本心だけれど、言っていないこともあった。

 自分よりも強い人の隣なら、「この人に比べたら私なんて」と言えるから。

 そうやって、自分のコンプレックスを払拭しようとしていた。

 

 だけどそれは、今日までだ。

 力が強いことも含めて、自分なのだ。

 この力を使って、守れるものがあるはずなのだ。

 だから女の子に見て貰えなくとも、人間じゃないと言われてしまったとしても。

 

(届けなきゃ)

 

 相手が上弦だろうと、何だろうと、関係ない。

 悪鬼、滅殺。

 柱として、この場にいるすべてを守る。殺させない。奪わせない。

 そして、何よりも。

 

(みんなに、瑠衣ちゃんに、刀を届けなきゃ)

 

 そのためには、あの鬼が、上弦の伍が――玉壺が、()()()

 

「…………」

 

 ()()甘露寺を間近で見ていた獪岳は、自分が知らず生唾を飲み込んでいることに気付いた。

 彼は今まで、この世に上弦の鬼よりも恐ろしいものなどないと思っていた。

 無理もない。上弦の鬼はまさしく恐怖と絶望の権化だ。

 しかし今、獪岳は確かにそれを上回る恐怖を感じていた。

 それは味方から覚えるにしては、余りにも剣呑な感情だった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 ――――血鬼術『陣殺(じんさつ)魚鱗(ぎょりん)』!

 玉壺の巨体が、凄まじい速度で四方八方を飛び跳ねていた。

 柔軟で強靭なバネと波打つ鱗により、まさしく縦横無尽。しかもだ。

 

「うおっとおっ!」

 

 玉壺の手が掠めた部分が鮮魚に変化する。

 地面におちてビチビチと跳ねる魚に犬井はぞっとした。

 魚になって死ぬなんて、冗談じゃない。

 

 参ノ型(流流舞い)で何とか動きについて行っているが、そこで不味いことが起きた。

 玉壺の打撃を刀で捌いた瞬間、日輪刀が鮮魚に変わってしまったのだ。

 正直、しまったと思った。

 拳で触れると発動する血鬼術。攻防も例外では無かった。

 

「来るな、コロ!!」

 

 助けに入ろうとしたコロを止めた。魚にされるからだ。

 

「お終いだ、死ねい!!」

 

 玉壺が両腕を振り上げ、そして振り下ろした。

 この間、実に数秒である。

 しかしその数秒の間に起こったことは、人智を超えていた。

 

「ああっ……!」

 

 悲鳴のような声を上げたのは、小鉄だった。

 それは縁壱零式が攻撃に割って入り、そして玉壺の「神の手」により刀と胴体を魚に変えられて、砕かれてしまったからだ。

 今度こそ致命的な損傷に、小鉄は悲嘆の声を上げたのだ。

 

「何だ……!?」

 

 胴体を砕かれた縁壱零式の手から、無事な刀が何本か宙を舞った。

 それは良い。問題はその刀を邪魔と言わんばかりに弾き飛ばそうとした時だ。

 刀の鏡面に、何かが映っていた。玉壺か犬井か。いや、違う。

 ()()()()()()()()()()()

 ――――()()()

 

「なっ、血鬼術だとお!?」

 

 ――――血鬼術『鏡写しのアナタ』。

 

「お兄ちゃんに、酷いことしないでっっ!!!!」

 

 ずるり、と、刀の鏡面から突如として何かが這い出して来た。

 それは血のように真っ赤――というより、充満する鉄錆の臭いから本物の血だとわかる――な液体で構成されたそれは、瞬時に上半身が人で下半身が魚のような形に変わった。

 というより、一回り小さいが、それは玉壺の形を模していた。

 

「~~~~ふん! 何だかわからんが、喰らえ! 我が神の手の前にひれ伏すが良いわ!」

 

 腕の一振りで、それは破壊された。

 血が飛び散り、刹那の後にはそれらは全て鮮魚へと姿を変えた。

 玉壺はニヤリと笑みを浮かべたが、次の瞬間に変化が起こった。

 

「グボォッ!?」

 

 玉壺の口――というか、目――から、血が噴き出した。

 肉体の内側から甚大なダメージを被り、吐血したのだ。

 いったい何事が生じたのかと、混乱した。

 今、自分は一度()()()

 

 血鬼術の能力か。いや、関係ない。問題ない。

 鬼なのだ。不死身。しかも上弦の伍。

 死からでさえも、一瞬で蘇る。

 しかし玉壺にとって不幸なことに、その一瞬がまた彼の運命を決定付けたのだった。

 

「むう!」

 

 玉壺の頚に、薄絹のような刃が幾重にも巻き付いた。

 甘露寺の日輪刀だった。

 刃が頚に触れる感覚に、しかし玉壺は慌てなかった。

 

(いや、問題ない! あの女の動きは私よりも遅い! しかも毒で弱っている。斬れるわけが)

 

 甘露寺の姿を視界に収めた瞬間、玉壺は全身の肌が粟立つのを感じた。

 

(斬れる、わけが)

 

 動きがさっきよりも少しだけ速い。力がさっきよりも少しだけ強い。

 同じ人間なのに、さっきよりも少しだけ強い。

 玉壺の失った()()。甘露寺の得た()()

 

(何だ)

 

 玉壺が()()に見たもの、それは花だった。

 甘露寺の首元に咲いた、花のような紋様。

 

(痣……!?)

 

 その()を玉壺が見た時、彼の頚はすでに胴から離れていた。

 地面に落ちるまで、玉壺はその事実に気付くことが出来なかった。

 え、と何事かを言おうとしたその口を、すかさず駆け寄って来たコロが日輪刀の牙で引き裂いてしまった。

 今際(いまわ)の言葉を遺すことすら、彼には許されなかった。

 

「……ッ。はっ、ハアアァ~~~~……!」

 

 甘露寺が大きく息を吐いてその場に膝をつくのと、歓声を上げて小鉄達が皆に駆け寄るのは、同時の出来事だった。




最後までお読みいただき有難うございます。

上弦と下弦の間には拭い難い差があるようですが、上弦も上位3人と下位3人でかなり差がありますよね。
千年かけても上弦6体しか作れなかったのは、当人達の才能のせいか指導者のせいなのか。

それでは、また次回。
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