鬼滅の刃―鬼眼の少女―   作:竜華零

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第38話:「逮捕」

 鬼を最も多く滅してきた組織は、鬼殺隊である。

 これは衆目の一致するところだが、では鬼を最も多く殺して来た()()は誰か。

 柱か? あるいは他の何者か。

 いいや答えは違う。鬼を最も多く殺して来たのは、()()()()だ。

 

「上弦の月も、もはや半分だ」

 

 ()()()()()

 闇の中に猛禽類のような両眼と、白い顔が浮かび上がっている。

 べべん、とどこからともなく聞こえる琵琶の音が、嫌に耳に残る。

 

 しかしそれ以上に耳に残るのは、無惨の声だった。

 重く低く、聞いているだけで腹の底から震え上がってしまいそうな程の声音。

 彼が強い怒りを覚えていることは明らかだった。

 ただそれは、彼が言う「上弦の鬼が減った」ことに起因する怒りでは無い。

 

「誰も彼も、役に立たぬ」

 

 配下の鬼達が、余りにも不甲斐ないことに対する怒りだった。

 鬼殺隊では「鬼舞辻無惨が鬼の首領」と言われているが、それは半分正しく、そして半分間違っている。

 何故ならば首領とは、何かしらの集団(仲間)のリーダーに対していうことだからだ。

 無惨は別に、自分が鬼という集団のリーダーだとは思っていない。

 

「しかし私が無能以上に許せないものがある」

 

 期待に添わない。役に立たない。思った能力を身に着けない。

 無惨はこれまでもそんな理由で多くの鬼を殺して来た。

 現代の十二鬼月、その下弦の鬼を解体したのも彼だ。

 彼にとって、配下の鬼はその程度の存在でしかなかった。

 

「裏切りだ」

 

 そして今また1人――否、1体の鬼が、無惨によって殺されようとしていた。

 形容しがたい肉の塊に逆さ(はりつけ)にされていたのは、金髪碧眼の西洋人形のような鬼だった。

 姿形は小さな少女だ。それは、刀鍛冶の里の温泉に姿を現したあの鬼だった。

 

「貴様は玉壺を攻撃したな」

 

 問うているわけではない。断定、いや断罪の口調だった。

 両手足は肉の中に沈んでいて、そこから先がどうなっているかはわからない。

 全身の皮膚に傷をつけられ、そこから止めどなく血が流れている。何故か再生しない。

 血の気が引いた顔は、鬼だとしても死を予感させるには十分だった。

 

「最期に言い残すことは?」

 

 いや、そうでなくとも死は決定されていた。

 配下の鬼の思考が読める無惨があえて最期の言葉を聞くのは、情けではなく、命乞いを求める嗜虐心からだった。

 肉が蠢き、四肢から()()進める。程なく全身を喰らうだろう。

 そして、まさしく死の際にある少女鬼が口にした最期の言葉は。

 

「……お兄ちゃん……」

 

 だった。

 

「お兄ちゃん、お兄ちゃん……お兄ちゃん、お兄ちゃんお兄ちゃんオニイチャンオニイチャンオニイチャンオニイチャンオニイチャンオニイチャンオニイチャンオニイチャンオニイチャンオニイチャンオニイチャンオニイチャンオニイチャンオニイチャンオニイチャンオニイチャンオニイチャンオニイチャンオニイチャンオニイチャンオニイチャンオニイチャンオニイチャンオニイ」

 

 ばしゃり、と、水音がした。

 それは頭が潰された音では無く、足元の血溜まりに落ちた音だった。

 動く気力もなく蹲って「お兄ちゃん」と連呼する少女鬼に対して、無惨は言った。

 

「気に入った。私の血をふんだんに分けてやろう」

 

 磔台になっていた肉壁に、大小無数の針が突き出した。

 その針先から、まるで注射針のように血が滴り落ちてきている。

 

「もしもお前が与える血の量に耐え切ることが出来たなら」

 

 赤黒い触手が少女の頚を捉え、引き寄せた。

 鈍い音と共に、悲鳴が上がった。

 それに、無惨は心地よさそうな表情を浮かべていた。

 

「その時は、お前を新たな月(上弦)にしてやろう」

 

 悲鳴は、しばらく止まなかった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 誰の言葉かはわからないが、なんだかんだで我が家が一番、という言葉がある。

 瑠衣はそれを、久しぶりに家族が揃った食卓で実感していた。

 

「うーん、おかわりだ!」

「あ、姉上。僕も……」

「はーい、ただいまー」

 

 割烹着姿で杏寿郎や千寿郎のお茶碗に白米をよそっている時が、瑠衣にとっては最も幸福を感じる時間だった。

 山盛りによそったお茶碗を手渡すと、兄や弟の表情が明るくなる。

 本人は隠しているつもりなのだろうが、口角が上がるので丸わかりなのである。

 そういうところが可愛いと、瑠衣は常々思っている。

 

「父様はどうですか、おかわりは」

「ん、貰おうか」

 

 もちろん、父もいた。

 差し出されるお茶碗を受け取りながら、こんな風に家族揃って朝食を摂るのはいつぶりだろうかと、そんなことを考えた。

 概ね任務で蝶屋敷に入院したりしていた自分のせいだと思い至って、不意に恥ずかしくなり、山盛りのご飯をしゃもじでペシペシと叩いた。

 

(あれは相当に硬いな……!)

 

 全集中・常中の状態で白米をペシペシペシペシと叩けば、表面が平たく固くなっていくのは自明の理だ。

 何やら顔を赤らめて俯いている瑠衣は気付いていないようだが、杏寿郎は気付いていた。

 そして父が何食わぬ顔で箸を白米に差し込んだので、よもや、と静かに驚愕した。

 

(幸せだなあ)

 

 自分の作った朝食を美味しそうに食べてくれる家族の前で、瑠衣は幸福を噛み締めていた。 

 鬼狩りなどは、明日の命も知れぬ家業だ。任務は常に死と隣り合わせだ。

 だからこそ、こんな風に何でもない日常がたまらなく愛おしく感じるのだろう。

 

「あれ、姉上はもう良いんですか?」

「ああ、うん。もうお腹いっぱい」

 

 千寿郎が言ったのは、瑠衣の食べる量についてだった。

 白米にしてお茶碗半分ほど。おかずも男衆に比べれば随分と控えめだった。

 他の3人が――千寿郎も剣士になってから食べる量が増えた――多く食べる分、余計に少なく見えるのだろう。

 

「前にも言わなかった? 女子は小食でも立派な剣士になれます」

「え、でも蜜璃さんは……」

「恋柱様は例外です」

 

 ただ、瑠衣も自分の食べる量が減ったとは思う。

 しかしそれで苦に思ったことはなく、体調が悪くなることも無かった。

 妙に痩せるということも無い。むしろ快調そのものだった。

 

「ほら、千寿郎はもっと食べなきゃ。お茶碗空けて!」

「わ、わ。ちょ、ちょっと待ってくださいよ」

 

 だから瑠衣は、あまり気にしていなかった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 ――――風の呼吸・壱ノ型『塵旋風・削ぎ』。

 例え木刀だったとしても、使い手の腕次第で刀と同じように斬ることが出来る。

 瑠衣の腕前はすでにその領域に入っているのだが、しかしあっさりと止められてしまった。

 

「剣筋は悪くないが、狙いが甘い」

 

 ぐん、と、腕力で剣先が振り回された。

 両腕が振り上げられたところに、胴に一撃、咄嗟に腰を引いてかわした。

 道着越しにも風圧を感じて、ひやりとした。

 

 ――――炎の呼吸・伍ノ型『炎虎』。

 瑠衣が下がるのと入れ替わりになるように、杏寿郎が木刀を振り下ろして来た。

 こちらも相当の風圧を放っていて、威力の程が窺い知れた。

 しかしその攻撃も、受け手は木刀で普通に受け止めてしまった。

 

「何と!」

「威力は申し分ないが、真っ直ぐすぎる。自分以上の腕力がある相手には通じんぞ」

 

 受け止めると同時に脇へと攻撃の威力を流し、すれ違いざまに弾き飛ばした。

 しかし杏寿郎は踏み止まり、そのまま弐ノ(昇り)(炎天)へと移行した。

 その斬り上げの攻撃は、逆方向から振り下ろされた一撃で地面に叩き付けられてしまった。

 

 ――――炎の呼吸・壱ノ型『不知火』。

 そのまま杏寿郎の襟元を掴む――「よもや!?」――と、突進をかけてきていた千寿郎にぶつけた。

 兄よりも遥かに体格で劣る千寿郎だ。「ぎゃんっ」と小さな悲鳴を上げて潰されてしまった。

 

(す、すごい)

 

 木刀を構えたまま、瑠衣は自分達を簡単にあしらってしまう相手を見つめていた。

 道着姿の槇寿郎だ。

 朝食の後、煉獄邸の庭で鍛錬をしていたのだが、3人束になってもまるで敵わないでいる。

 これでも命懸けの修羅場を潜り抜けて来たつもりでいる。強くなったと思う。

 それでも、槇寿郎に比べれば大人と赤子ほどの差があるのだろう。

 

「どうした、お前達。もう(しま)いか?」

「……いえ」

 

 瑠衣は特別、鍛錬や戦闘が好きというわけではない。

 しかし培ってきたものを思い切り使いたいという点では、人並みに積極的だった。

 だから全力を出させてくれる相手というのは、ましてそれが親ならば、つい嬉しくなってしまう。

 いうなれば、親に遊んで貰っている子供の心理とでも言うべきか。

 

「もう一本お願いします、父様!」

 

 と、瑠衣が言った時だ。

 

『モウチョット踏ミ込マナイト父様ニハ当タラナイヨ』

 

 という声が、瑠衣の頭の中に響き渡った。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 刀鍛冶の里の事件の後、瑠衣はあることに悩まされていた。

 それが、()()である。

 

『ネエネエ瑠衣。オ姉チャンノオ話、聞イテル?』

 

 自らを姉と名乗る、瑠衣の中にいる()()()の存在だ。

 以前は全くそんな兆候は無かったのだが、刀鍛冶の里の一件以降、こんな風に話しかけて来るようになったのだ。

 多くの場合は無視しているのだが。

 

(ちょ! っと! 今は! 話し! かけないで! くれます!?)

 

 今は、槇寿郎の打ち込みを捌いているところだ。

 ただでさえ集中が必要な時に、頭の中でガンガンと声を響かせられてはたまらない。

 そう思っているところで、頬を木刀の先が掠めた。

 ヂッ、という音が聞こえたから、髪の数本くらいは散ったかもしれない。

 

『ネエネエ』

 

 左右の上段からの振り下ろし、木刀を斜めに構えてそれぞれに対応した。

 さらに左右の胴。徹底的に左右に振って来る。しかも速い。重い。鋭い。

 

『ネエネエ』

 

 しかも、杏寿郎や千寿郎を相手にしながらだ。

 千寿郎はともかく、杏寿郎は柱級の実力者だ。

 稽古だからお互いに本気で打ち込んでいないにしても、槇寿郎の強さが際立っている。

 

 突きが来て、のけ反った。

 顎先を掠めて目の前を通った木刀だが、父が手首を返すのが見えた。

 直感的に振り下ろされることを悟った、次の瞬間だった。

 

『ネエッテバー!』

「ああっ、もう! 五月蠅いなあ、ちょっと黙っててくれます!?」

 

 と、()()()()()叫んでしまった。

 あっ、と思った時にはすでに遅く、その場にいる全員が瑠衣を驚いた顔で見つめていた。

 

「あ、あー……ははは……」

 

 誤魔化すように笑った瑠衣だったが、適当な言葉が思い浮かばなかったのだろう。

 あー、と視線を宙に彷徨わせた後。

 

「ちょ、ちょっとお花を摘みに……」

「あ、ああ」

 

 曖昧に頷く父を尻目に、瑠衣はそそくさと屋敷の中へと消えて行った。

 

「あ、姉上、どうしたんでしょう」

「むう、近くに花屋などあっただろうか!」

「え? ……え?」

 

 息子達の会話を聞き流しながら、槇寿郎は瑠衣の消えた先をじっと見つめていた。

 それから、空を見た。透き通るような青空の向こうに、何かを探すように目を細めた。

 ぼそ、と口の中で何かを呟いたが、それが息子達の耳に届くことはなかった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 瑠衣は、戸惑っていた。

 目の前――表現としては間違っているが、感覚としてはそうなる――の、この自分と同じ容姿をした少女は、いったい何なのだろうか、と。

 自称姉、だ。少なくとも自分ではそう言っている。

 それもちょっと受け止めきれていない面もあるが、今はとりあえず。

 

「父様達の前で話しかけるのはやめてください!」

『父様達ニハ聞コエテナイヨ?』

「そういう問題じゃありません!」

 

 (くりや)の端、いわば煉獄邸の中で瑠衣が主とも言うべき場所で、瑠衣は「姉」と話していた。

 話していると言っても、姉の姿は現実には存在しないので、端から見ると瑠衣の独り言だ。

 もしこの場面を父や兄に見られたら、瑠衣は包丁で喉を突いて死ぬかもしれない。

 

『マアマア、ソンナコトヨリサ。ソロソロオ昼ノ支度シタ方ガ良インジャナイ?』

「え? もうそんな時間ですか」

『私アレガ良イナア。オ米ヲ丸メルヤツ』

「もしかして、おむすびのこと言ってます?」

 

 おむすびと言えば柚羽を思い出す。

 榛名と一緒に、今は蝶屋敷にいる。

 禊は物凄く嫌そうな顔をしていたが、上弦の肆討伐の報告に行った時、喜んでくれた。

 鬼狩りという厳しい世界では、いろいろな意味で友人は得難い。

 そういう意味では、瑠衣は幸運なのだろう。

 

「とにかく、せめて外では話しかけないでください」

 

 先程のように、つい口に出してしまうかねない。

 1人でいる時には良いが、家族や同僚の前でそうなってしまうと、奇妙な目で見られてしまう。

 いや、瑠衣個人がそう見られるのは良い。瑠衣が自分で耐えて、払拭すれば良いからだ。

 しかし瑠衣は煉獄家の娘だ。瑠衣の()()で家名に傷をつけることは出来ない。

 

 瑠衣としては、それが一番怖かった。

 だから、この姉と外で会話することは避けなければならない。

 まかり間違っても、他人に知られるわけにはいかない。

 何としても、隠し通さなければ。

 

『エー、デモサア』

 

 瑠衣がそう考えていると、実に気軽な様子で、姉は言った。

 

『父様モ兄様モ、私ノコト知ッテルヨ?』

「え?」

 

 一瞬、何を言われたのか理解できなかった。

 今、この姉は何と言った?

 父と兄が、瑠衣の中にだけ存在する姉の存在を、知っている?

 それは、まさにこれまでの前提をひっくり返すほどのもので。

 

「…………え?」

 

 姉が放ったその言葉に、瑠衣は言葉を失ったのだった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 習慣というのは恐ろしいもので、気が付いた時には昼食の用意が済んでいた。

 そして大皿3つに山と積み上げられたお握りを持って行けば、何やら庭が賑やかだった。

 

「あっ、瑠衣さん! こんにちは!」

「……こんにちは」

 

 炭治郎がいた。隣に善逸もいて、ぺこりと頭を下げて来た。

 そう言えば、2人は蝶屋敷だけでなく煉獄邸でも鍛錬をしているのだった。

 どうやら、任務帰りにわざわざ挨拶に来てくれたらしい。

 瑠衣から見ても、出来た子供だと思う。

 

「竈門君、お昼ご飯は食べましたか? 良かったら……」

 

 振り向いた時、猪頭の少年が顔中に米粒をつけていた。

 両頬を大きく膨らませてモゴモゴしている。

 しばらく見つめ合っていたが、彼――伊之助が、ごくんと口の中の飲み込んだ。

 

「――――なかなか美味いな! アオイの次くらいにな!」

「えーと、どうもありがとう?」

「おう!」

「伊之助」

 

 ゴス、と、鈍い音がした。

 炭治郎が当て身を喰らわせた音で、伊之助が青い顔でその場に崩れ落ちた。

 それでも両手のお握りを放さないあたり、執念を感じる。

 

「人の食べ物を取っちゃダメだ」

「て、てめえ……」

「はっはっはっ! 瑠衣の料理は美味いからな、気持ちはわかるぞ猪頭少年!」

 

 杏寿郎が来て、ドキッとした。

 脳裏に浮かぶのは、先程の姉の言葉だ。

 本当に杏寿郎は、あの姉を名乗る誰かを知っているのだろうか。

 

 聞いてみたいと思うが、今はタイミングが悪かった。

 夜に聞こうと、そう思った。

 何しろ普段から賑やかなのに、炭治郎達まで加わると余計にだ。

 

「あー、もうメチャクチャだよ」

 

 その輪の外から一人外れて、善逸が毒吐いていた。

 彼は元々修行好きでもないし、伊之助のように食い意地が張っているわけでもない。

 それでも生来の付き合いの良さか、あるいは押しの弱さか、こうして一緒に煉獄邸に来ている。

 

「チュンッ、チュンッ!」

 

 その時だった。一羽の雀が飛び込んで来た。

 足には手紙を持っていて、報せを持ってきたらしかった。

 鎹鴉は通常、名前の通り鴉が行うが、善逸の鎹鴉は何故か雀だった。

 善逸自身それについてはかなりの疑問だったが、実際仕事はきっちりしてくれるので、その点では文句のつけようも無かった。

 

「獪岳が……!?」

「え?」

 

 そして手紙を見た善逸の口から発された名前は、瑠衣も良く知るものだった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 引退した剣士が鬼殺隊本部に来ることは珍しい。

 

「じーちゃん!」

「おお、善逸……ではない! 師範と呼べ!」

 

 理由は様々だ。

 自分の存在が現役の剣士達の邪魔になると考える者。多くの仲間が死んでいった中で自分だけ生き残ったことを恥じる者。遠方で弟子を育てていて時間が取れない者。

 元鳴柱である桑島――善逸の育手でもある――も、引退後は直接足を運ぶことが無かった1人だった。

 

 小柄で立派な口髭があり、頬に大きな傷があるので、一見すると厳格そうに見える。

 しかも右足は義足で、全身で「歴戦」を体現している人物だった。

 だが善逸が駆け寄ると、厳格そうな強面の顔が少し緩んだような気がした。

 最もそれは一瞬のことで、すぐに厳格さの中に消えてしまったが。

 

「そんなことより、じーちゃん! どういうことだよ、獪岳が……()()が逮捕されたなんて!」

「馬鹿者! 情けない声を出すな!」

「だ、だってさあ」

「だっても何もあるか! 獪岳は、大丈夫じゃ」

 

 あれが、善逸の先生か。

 急に走り出した善逸を心配して、炭治郎と伊之助も追いかけてきていた。

 まあ、伊之助は「別に心配とかしてねえ!」だの「親分だからな!」だのと言いそうだが、何だかんだついて来るのが彼らしいところだろう。

 

「あ、そうだじーちゃん。この2人は俺の同期で、こっちが炭治郎。こっちの変なのが伊之助あいたあっ!?」

「竈門炭治郎です。よろしくお願いします!」

 

 伊之助に噛み付かれている――猪の被り物をしていてどうやって噛んでいるのかは定かではないが――善逸を尻目に、炭治郎は礼儀正しく腰を直角に曲げて挨拶をした。

 その際、禰豆子の箱が桑島の目に留まった。

 

「そうか。キミが鱗滝の言っていた子か」

「鱗滝さんをご存じなんですか?」

「まあ、腐れ縁じゃな。あいつとは……」

 

 鱗滝は、炭治郎に剣技と呼吸を教えた元・水柱だ。

 現水柱の師でもあり、その意味では育手としても優れた成果を出していると言える。

 ここ数年は弟子のほとんどが最終選別を通過できないことが続いていたが、それは炭治郎が()()した。

 

 ただ、炭治郎の後に誰かを育てているという話もないので、もしかしたら育手としても引退を考えているのかもしれない。

 実のところ、それは桑島も同じようなものだった。

 善逸。そして善逸の兄弟子にあたる獪岳を育て終えたところで、桑島も弟子を取るのをやめている。

 それは、この2人で雷の呼吸の継承が()()()と判断したからだったのだが――――。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 逮捕と言っても、別に牢屋に入れられるわけではない。

 あの竈門兄妹でさえ、縛られはしたが幽閉されることは無かったのだ。

 もっともそれは、単純に逃げ場が無い、という現実的な理由もあるのだが……。

 

「…………」

 

 だから獪岳も、与えられた部屋の真ん中で正座した体勢のまま、動けずにいた。

 本能は「逃げるべき」だと言うのだが、理性は「どこへ? どうやって?」と冷静に告げて来る。

 そもそも何故、彼がここに拘束されているのかと言うと、刀鍛冶の里での行動が原因だった。

 

 獪岳の刀鍛冶の里での、特に鬼の襲撃があった後の行動が問題視されているのだ。

 具体的にいうと、小鉄達を小屋に閉じ込めた件だ。

 その直後に小鉄達は金魚の化物に襲われたが、外にいたはずの獪岳は無事だった。

 縁壱零式がなければ、小鉄達は死んでいただろう。

 

(……どうする……)

 

 そればかりが脳内を巡るが、妙案はない。

 弁明の機会が与えられれば、もちろん無実を訴えるが、それが通る保証はない。

 そしてもし、もし柱臨席の上での場だった場合。

 

(もしも、()()()がいたら……!)

 

 全身から、脂汗が引かない。

 悪い想像ばかりが先行してしまって、次から次へと止まらない。

 逃げ出したい。でも逃げられない。その事実が獪岳を追い詰めていた。

 

「失礼いたします」

「……ッ」

 

 その時だった。

 静かな声と共に襖が開いて、そこに白髪でおかっぱの和服美少女がいた。

 彼女は感情の読めない微笑を顔に貼り付かせたまま、獪岳をじっと見つめていた。

 居心地の悪さを感じていると、彼女は抑揚のない声音で、こう言った。

 

「面会の方がいらっしゃいました」

「面会だと?」

 

 面会と聞いてまず思い浮かんだのが、師である桑島の顔だった。

 ただあの老人が、不祥事を起こした弟子の顔を見に来るとも思えなかった。

 自分の性格を知っているなら、なおさら来ない。そう思った。

 では誰だろうかと訝しんでいる間に、襖がさらに大きく開いた。

 

「お前……」

 

 そこにいた面会者に、獪岳は露骨に顔を顰めた。

 というのも、そこにいたのは、考え得る限りいてほしくない()()の内の1人だったからだ。

 露骨に嫌そうな顔をする獪岳の、しかしその相手は表情を動かさなかった。

 

「……獪岳」

 

 そこにいたのは、瑠衣だった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 瑠衣と獪岳は、いわゆる同期だった。

 同じ最終選別を突破し、同時に鬼殺隊への入隊を果たした。

 ただ、仲はあまり良いとは――主に獪岳が攻撃的なために――言えない。

 

 というより、炭治郎達のように強く結びつく方が実は珍しいのだ。

 鬼殺隊士は基本的に孤軍奮闘を知られる上に、横の繋がりを深める前に死んでしまうことが多いからだ。

 そして長く生き残る剣士は自信が強くなる傾向があり、ますます他人を頼らなくなっていく。

 実力主義だからこその弊害だ。柱でさえ、意図はどうあれそういう傾向はある。

 

「何しに来たんだよ、()()()

 

 獪岳の特徴の1つとして、人の名前を呼ばないというのがある。

 これは相手を認めていないという意思表示であり、近付くなという威嚇でもある。

 わかってはいるが、心に波立つものを感じずにはいられない。

 瑠衣をして、そうだった。

 

「わざわざ笑いに来たのか? 暇なこったな」

「……思ったよりも、お元気そうで」

「はっ! まさかブルブル震えて泣いてるとでも思ったのか? そりゃあ残念だったな」

 

 言葉の全てに棘がある。

 まるでハリネズミだと、そう思った。

 

「お館様に呼ばれたんです」

 

 しかし瑠衣がそう言うと、獪岳は黙った。

 善逸の雀が獪岳のことを報せに来たのとほぼ同時に、瑠衣の下へも連絡が来た。

 この場合は瑠衣への報せが遅かったというより、善逸の雀が速かったと褒めるべきだろう。

 

「理由は、説明しなくともわかりますよね。貴方なら」

「……はっ」

 

 桑島と善逸は、獪岳に近すぎる。

 と言って、獪岳と親交のある隊士などほとんどいない。

 だから、瑠衣に()()()()が立った。

 

「俺の処分はお前次第ってわけかよ」

 

 それでも、獪岳の表情から攻撃的な色が抜けることはなかった。

 

「それで? 俺は何をすれば良いんだ。畳に額を擦り付けて拝めば良いのか。どうか俺を庇ってくださいって、靴でも舐めるか?」

「誰もそんなことは言っていませんよ」

「そういうことだろうが! 見下すんじゃねえ! 良いか、俺は……」

 

 瑠衣を指差して、憎々しさすら目に浮かべて、獪岳は言った。

 

「俺はお前に助けられるくらいなら、死んだ方がマシなんだ!!」

 

 思えば、最初からそうだった。

 最終選抜で初めて出会った、あの時から。

 瑠衣と獪岳の関係はこじれにこじれてしまっていて、解きようなど無かったのだ。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 ――――最終選別。

 1年中藤の花が咲いて枯れることが無いという藤襲(ふじかさね)山に入り、七日七晩生き残るというのがその内容だ。

 藤の花の牢獄には生け捕りにされた鬼が何匹も放たれており、まさに命を懸けた試練である。

 育手の下で鍛錬を積んだ剣士見習いの子供達でも、その多くはこの試練を突破できずに命を落とす。

 

「皆様、今宵は最終選別にお集まりくださって有難うございます」

 

 だから白髪の和服の女の子が提灯を手に現れた時、集まった子供達は一様に緊張していた。

 子供達の中には鬼に家族や友人を殺された者も少なくない。

 鬼の強さも怖さも知り尽くしている。

 

「ここより先には藤の花はございません。そのため鬼共がおります。どうかお気をつけ下さいませ」

 

 藤の花の牢獄は山の中腹まで。中腹から山頂にかけては鬼は自由に動ける。

 白髪の女の子2人の間を抜けて、刀を持った子供達が次々に山へと入っていく。

 誰も彼もが緊張に表情を固くし、2人に言葉をかけるどころか、目を向ける者もいない。

 

「ひなき様、にちか様。ごきげんよう」

 

 しかしその中で1人、平然とした様子で2人に声をかける者がいた。

 黒髪を一束ねにして片側に流した少女。顔立ちは、まだ美しさよりもあどけなさの方が強い。

 その少女を目に止めると、2人の女の子――産屋敷ひなきと産屋敷にちかの姉妹は、礼儀正しく会釈をした。

 

「ごきげんよう、瑠衣様」

「端午の節句の宴席でお会いして以来でしょうか。お元気そうで何よりです」

 

 煉獄瑠衣。この時、15歳になったばかりである。

 ひなきとにちかは瑠衣よりもずっと年下だが、2人が年齢不相応に落ち着いているためか、会話にも態度にも違和感が一切なかった。

 容姿と言動のギャップすら打ち消してしまうのだから、末恐ろしい子供だ。

 

「そうですか。瑠衣様も炎柱様の許可を得られたのですね」

「杏寿郎様が選別にいらしたのがつい先日のことのようです」

「しかし煉獄家の御方と言えども、選別においては条件は同じ」

「この山で七日間生き抜く。それが合格の条件でございます」

 

 わかっていると、瑠衣は頷いた。

 鬼殺隊は完全な実力主義だ。鬼狩りの名家だからと目をかけられることは無い。

 信じられるのは、己の腕だけなのだ。

 

「では、ひなき様。にちか様。行って参ります」

「「いってらっしゃいませ」」

 

 話している間に、ほとんどの子供が山に入ってしまっていた。

 だから瑠衣も2人の間を抜けて、後を追うように山に入ろうとした。

 その時だった。

 

「どけよ」

 

 道は広いというのに、後ろから肩をぶつけて来た。

 黒髪の、勾玉の首飾りをつけた少年だった。

 ぶつけられた肩を擦っていると、ふんと鼻を鳴らして先に山へと入って行った。

 見下すような視線からは、謝罪の意思など微塵も感じなかった。

 

「ええ、何あいつ。怖……」

 

 瑠衣の最終選別は、出だしから雲行きが怪しかった。




最後までお読みいただきありがとうございます。

というわけで、次回から回想です。
瑠衣の最終選別。獪岳との出会いを書いて行きたいですね。

それでは、また次回。
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