鬼殺隊士の死亡率は高い。
最終選別を突破した者の内、半分は最初の1年で鬼に殺される。
そして次の2年間で、さらに半分が死ぬ。
ばたばたと、死んでいく。
例えば隊士見習いが100人いたとして、最終選別の突破率が3割ならば新人隊士は30人。
そこから3年後まで生き残るのは、ほんの7~8人ということだ。
そしてこれはあくまで「良い方」の人数であって、最終選別の突破率が低かったり、例年より鬼の出没が増えればそれだけ死亡率も上がる。
気が付けば同期は
ただし、例外がいる。
一般の鬼殺隊士がばたばたと死んでいく中で、けして死なない者達がいる。
鬼に殺されず、鬼を殺す者達がいる。
鬼殺隊で最も高い位を9名の剣士。
炎柱・煉獄槇寿郎。
岩柱・
音柱・宇髄天元。
水柱・冨岡義勇。
風柱・
蟲柱・胡蝶しのぶ。
蛇柱・伊黒
霞柱・
恋柱・
彼らこそが、本当の意味で「鬼狩り」と呼ばれるべき存在だった。
◆ ◆ ◆
木刀と言えど、打たれれば痛い。
相手の実力が常人を遥かに超えていれば、なおのこと痛い。
今まさに、瑠衣はそれを実感していた。
「オラオラァどうしたァ! お
左の胴、脇腹を打たれた。
痛みを堪えていると続け様に怒声を浴びせられて、次の一撃が来た。
顔だった。
しかしそれは、2歩後退することで寸前でかわした。
鼻先を、比喩でなく木刀の切っ先が掠めていった。
「逃げてんじゃねえぞォ!」
ところが、避けたはずの木刀が
喉を目掛けて突き出されてくるそれに、意識よりも先に手が出た。
全集中の呼吸、深く長い呼吸音が瑠衣の口から響く。
――――風の呼吸・陸ノ型『
下方からの斬り上げ、相手の木刀を弾くことに成功する。
室内にも関わらず強い風が吹き上げる。それは瑠衣の斬撃の威力を物語っていた。
喉への圧力が消えて一息を吐いたその刹那、またも左脇腹に衝撃が来た。
「それで凌いだつもりかァ?」
無数の
本当に骨が軋む音が聞こえた。
視界が回転し、次の瞬間には道場の床を転がっていた。
体内の空気が蹴りの衝撃で全て外に出てしまったが、それでも咳き込み続けた。
唾と涙がとめどなく溢れ、正直、年頃の少女として見せたくはない醜態と言える。
「オラ立てェ、鬼は待っちゃくれねぇぞォ」
そして瑠衣をそんな目に合わせているのは、彼女の師だった。
性格を表すように跳ねの強い髪に、長身で、詰襟の隊服に「殺」の字が描かれた白い羽織を着ている。
何故か隊服の前を開けていて、首元から腹部までを露出させているのだが、顔も含めて目に入る場所の全てに大小の傷跡がついていた。
彼を見て、まともな人間だと思う者はいないだろう。
名前は、不死川実弥。風柱である。
瑠衣の父・槇寿郎と同じ、鬼殺隊最強の剣士の1人だ。
繰り返すが、彼は瑠衣の「風の呼吸」の師である。
それが今、木刀を肩に瑠衣を見下ろしている。
(お、鬼の方がマシ……っ!)
どうしてこんなことになっているのか。
それを説明するには、時を少しばかり遡らなければならない。
具体的には、千寿郎の話を聞いて、父と兄の姿を求めて鬼殺隊の本部――。
――産屋敷邸に、足を運んだ時のことだった。
◆ ◆ ◆
普段はさしたる混乱もなく行われるそれが、今日に限っては大荒れに荒れた。
もっとも、厳密に言えば柱合会議
「今日の柱合会議はなかなかに派手だったな」
「何が派手だァ。あんなガキの言うことを本気で信じてんのかァ?」
「信じちゃいないが、お前の顔に一発入れたな」
「……冨岡の野郎ォ」
柱合会議が行われていたその屋敷――
全員、鬼殺隊を代表する柱の地位にある人間だった。
先頭で出てきたのは不死川と、音柱の宇髄である。
宇髄は6尺を優に超える長身で、鍛え上げられた筋肉質な身体つきをしていた。
隊服を肩口で切り落としていて、分厚い二の腕が露になっている。
また煌びやかな装身具と左目の派手な化粧も相まって、見る側に酷く賑やかな印象を与えていた。
不死川もかなり個性的な見た目をしているが、宇髄もかなり個性的と言える。
「久しぶりに会ったんだ、今夜どうよ」
「嫁さん達はどうしたァ」
「
「店に迷惑がかかるだろうがァ」
「そういう意味じゃねえよ」
そして、彼ら2人の後をとぼとぼとした足取りで歩いているのは、霞柱の時透だった。
若い。
宇髄も不死川も若いが、輪をかけて若い。まだ少年だった。
女のような長い黒髪に茫洋とした表情、一回り大きな隊服を着ているためか、全体的にだぼっとした印象を受ける。
「……? どうしたァ?」
2人の後をついて歩いていた時透が不意に立ち止まったのを感じて、不死川が振り向いた。
しかし時透はそれに返事をするでもなく、ぼんやりと他所を向いていた。
自然、不死川達もそちらを向くことになる。
「おっ、あれは煉獄サンとこの」
片手を額のあたりにかざして、宇髄が道先を歩いてくる相手を見つけた。
その相手は不死川達が自分に気付いたことを知ったのか、その場に立ち止まり、深々と一礼した。
まとまった黒髪が、するりと地面の方に垂れるのが見えた。
それに対して、不死川が片眉を上げる。
「あんなところで何してんだァ、あいつは」
「任務帰りに、愛しの師匠に会いに来たんじゃねえの」
「馬鹿言ってんじゃねぇよ」
宇髄の軽口に、不死川はそう応じたのだった。
◆ ◆ ◆
何故かはわからないが、不死川が不機嫌そうだった。
本当に、何故だかわからない。
自分はただ、不死川達への挨拶を述べた後に。
「あの、父はまだ……?」
と、聞いただけなのだ。
それだけなのに、その瞬間に不死川の機嫌が急降下したのを瑠衣は感じた。
まるで、そこだけ温度が急激に下がったのではないかと錯覚する程だ。
ついでに言えば、宇髄が両手で口を押さえてプルプル震えているのも何故なのかわからない。
ちなみに槇寿郎はまだお館様との話し合いを続けているという。
槇寿郎は柱の中でも別格の存在だ。他の年若い柱達とは一線を画していると言っても良い。
時折、お館様と2人で何事かを話し合うこともある。
つまり、今回の柱合会議ではそれだけ重要な議題が出たということだろう。
(千寿郎の言っていた「鬼を連れた隊士」の件かな……)
とは言え、不死川達に聞く気にもならない。
柱に対して柱合会議の内容を尋ねるなど出来るはずもないし、まして不死川の機嫌は絶賛低空飛行中だ。
気にはなるが、やはり槇寿郎達が屋敷に戻ってくるのを待っていた方が良いだろう。
「じゃあ、僕もう行くから」
「おう、そうか」
その時だった、時透がふらりと歩き出した。
止める気もなかったのか、宇髄が気楽に道を譲る。
すると必然、時透は瑠衣の前に出てくることになる。
「ご無沙汰しております、霞柱様」
道を譲って頭を下げ、そう挨拶した。
瑠衣は一般隊士、柱との間には明確な地位の差が存在する。
とは言え、煉獄家の娘であるため他の隊士よりは柱と顔を合わせる機会も多い。
例えば毎年正月には、柱を含む高位の隊士が槇寿郎に新年の挨拶に来たりするのだ。
また、時透の扱う「霞の呼吸」は不死川や瑠衣の「風の呼吸」と関わりが深い。
霞の呼吸は、風の呼吸から派生した呼吸法なのだ。
鬼殺隊士が使う全集中の呼吸は、炎・水・風・岩・雷の5つが基本の呼吸で、他は全てこれらの呼吸から枝分かれしてできたものだ。
時透は他の隊士と交流の深い方ではないが、不死川とは比較的交流のある方だった。
要は、不死川の弟子にあたる瑠衣の顔くらいは。
「……誰だっけ?」
覚えているはずもなかった。
時透無一郎、
刀を握って僅か2か月で柱にまで上り詰めた天才剣士。
弱冠14歳にして、すでに鬼殺隊士始まって以来の才能と謳われている。
しかし天は二物を与えずと言うが、時透にも欠点はあった。
いわゆる、記憶障害である。
関心が低いのか、あるいは体質なのか、人や物事を長く覚えていられないのだ。
口さがない者は、やっかみも込めて「頭が霞がかってる」などと表現していた。
ただ一方で、お館様や同僚の柱のことなどは覚えているわけで。
「…………失礼致しました」
落ち着け、と瑠衣は自分に言い聞かせた。
ここで「前に会ってます……」と言う方が屈辱だと、自分に言い聞かせた。
別にこれが初めてのことではなく、毎度のことじゃないかと、さらに自分に言い聞かせた。
宇髄のプルプルがさらに大変なことになっているが、瑠衣は耐えた。
この程度のことに耐えられなくて、煉獄家の長女は名乗れない。
視界の端から時透の隊服の裾が消えるまで、瑠衣は礼をした姿勢のままでいた。
生温かい不死川の視線が、逆に辛かった。
「柱の方が十二鬼月を斬ったと耳にしました」
「お、流石に耳が早いな」
露骨な話題転換だったが、宇髄は乗ってくれた。
有難いやら恥ずかしいやらだが、しかし重要な話題ではあった。
この話題については特に隠されておらず、ここに来る途中で他の隊士達が噂しているのを聞いたのだ。
逆に、隊士の士気を上げるために積極的に情報を発信している節すら見える。
なお十二鬼月とは、鬼の首魁「鬼舞辻無惨」直属の配下である。
いわば鬼における柱のような存在であって、全部で12体いるとされる。
もちろん詳細はわかっていないし、瑠衣も実物を見たことはないが、目に
柱の就任条件の1つに、「十二鬼月を倒す」という項目がある程だ。
「斬ったのは冨岡の奴だ」
そして前言撤回、話題の選択を間違えた。
重ねて前言撤回、宇髄はまだプルプルしている。
冨岡とは、水柱の冨岡義勇のことだ。
では、何が問題なのか。
十二鬼月を、敵の幹部を斬ったのだから、冨岡は称賛されて然るべきだろう。
もちろん、そうに決まっている。
しかしこの場ではまずかった。この場で冨岡の名前は出てほしくなかった。
なぜならば。
「……まあなァ」
不死川の機嫌が、さらに急降下していた。
彼は、冨岡と犬猿の――というか、不死川が一方的に嫌っている――仲だ。
そんな彼の前で、冨岡を褒めるようなことを言うと。
「おい馬鹿弟子ィ、暇ならちょっと付き合えェ」
こういうことになる。
◆ ◆ ◆
杏寿郎は緊張していた。
端からは緊張とは程遠い人間と思われている杏寿郎だが、もちろんそんなことはない。
彼とて緊張する時は緊張する。
例えばそれが、鬼殺隊のトップ3と同席している時などはだ。
「炎柱の継承を行いたく存じます」
よもや、と杏寿郎は目を見開いた。
平伏したままだったため、他の者には顔色の変化を悟られずに済んだだろう。
しかし父の発した言葉は、杏寿郎にとってはまさに「よもや」であった。
炎柱の継承、すなわち槇寿郎が就いている地位を杏寿郎に譲ろうというのである。
「おお……また急なお話。あの少年の件と何か関係が……?」
「直接の関係はない、悲鳴嶼君。以前から考えていたことなのだ」
驚いた――外見は全く動じているようには見えないが――声を上げたのは、岩柱の悲鳴嶼だった。
額に大きな傷跡があり、まさしく筋骨隆々というべき巨体に、詰襟の隊服と阿弥陀経を描いた羽織を着込んでいる。
まるで高僧と言った居住まいだが、その強烈な威圧感は隠しようもなかった。
ちらり、と、杏寿郎は父の背中を見た。
襖が閉ざされた薄暗い空間に、4人の男がいる。
父と自分、悲鳴嶼、そして――――
「関係はないけれど、何か感じるものがあった……と、いうことかな。槇寿郎」
本名を、産屋敷
両側に日本人形のような娘2人を座らせて、黒い着物に白い羽織を肩にかけている。
容貌は、なかなかに独特だった。
元は美しい顔立ちだったのだろうが、何かの病なのか、顔の上半分に焼け爛れたようになってしまっていた。
「お館様のご慧眼には感服するばかりでございます」
あの父が、煉獄家当主が平伏している。
しかしそれも当然、相手は鬼殺隊の当主の家柄だ。
言うなれば、煉獄家は産屋敷家を主家とする家臣の家柄なのである。
このお方が、自分が生涯を通じてお仕えする方なのかと、杏寿郎は思った。
「槇寿郎が感じた通り、あの少年と
「……なるほど。お館様も煉獄殿も、その兆は無視すべきではないと……」
「私はお館様程に先を見通しているわけではない。ただ、準備はしておきたいと思う」
「そうだね。準備はしておくべきだね……杏寿郎」
「はっ……!」
急に呼ばれて、返事が引き攣ってしまった。
これは父から後で叱責を受けるやもしれぬなどと思いつつ、顔を上げた。
「そう緊張しなくても良いよ、杏寿郎」
産屋敷の顔は、優しかった。
彼の声は耳に心地よく、胸にすとんと落ちてくる。
他人の声にここまでの心地よさを感じるのは、家族を除けば初めてのことだった。
「でもそうだね、杏寿郎。私もそうだったけれど、親から地位を受け継ぐというのは、自分で何かを勝ち取るのとはまた違う難しさがある。君はこれから、それに立ち向かわなければならない」
「はい」
「できるかい、杏寿郎」
できるか、と問われれば、杏寿郎の答えは決まっていた。
自分は、父の全てを継ぐために鬼殺隊士となったのだから。
どん、と胸を叩き、杏寿郎は言った。
「はっ! 若輩ながらこの煉獄杏寿郎! お館様のため、鬼殺隊の同志達のため、鬼の脅威に怯える人々のため、己の責務を全うする所存です!!」
尊敬すべき人達にこう言えることが、どれだけの幸福か。
そしてだからこそ、杏寿郎は気になった。
尊敬すべき人達――産屋敷に、父に、悲鳴嶼に、こうまで気にかけられる
あの少年――竈門炭治郎という少年は。
◆ ◆ ◆
厳密に言えば、瑠衣の第1の師は父である槇寿郎だ。
煉獄家の当主は代々柱であるから、当主自身が子を鍛え育てるのが習わしだ。
槇寿郎も先祖の例に漏れず、3人の子供達を自ら鍛えている。
しかしそれでも、
色変わりの刀、日輪刀。
代々炎の呼吸を伝えてきた煉獄家の人間の刀の色は、赤色だ。
しかし瑠衣の刀は緑色に変わり、炎の呼吸の適性がないことがわかった。
それを見た父は、すぐに「不死川君に相談してみよう」と言った。
不死川と瑠衣の師弟関係は、そうして始まった。
「オイコラどしたァ、そんな様じゃ十二鬼月は斬れねぇぞォ!」
(誰も斬りたいとか言ってません!)
「軟弱なこと言ってんじゃねぇぞォ!」
声に出していないのに!
思いながら、瑠衣の身体は動き続けている。
その動きは不死川の攻撃から逃れるために、道場全体に及んでいた。
身を低くし、不死川の剣筋をよく見て避ける。できなければ打たれるだけだった。
「あのクソガキに先を越されやがったら承知しねぇぞォ!」
(何の話ですか!?)
――――風の呼吸・弐ノ型『
木刀を振り上げた体勢から、一息に振り下ろす。
連撃。
風を纏った鋭利な斬撃が、多方向から不死川に襲い掛かった。
――――風の呼吸・弐ノ型『爪々・科戸風』。
瑠衣は驚きに目を見開いた。不死川が全く同じ技を返してきたからだ。
しかも瑠衣の放った連撃の全てを、一方的に弾き返されてしまった。
同じ技のはずなのに、剣速も威力も比べ物にならなかった。
「遅ェんだよォッ!」
「――――――――ッ!?」
――――風の呼吸・陸ノ型『黒風烟嵐』。
やはり先に瑠衣が使った技、それをわざわざ選んでくる。
連撃を弾かれてのけ反ったところに、下からの斬り上げが来た。
(ヤバい――――ッ!!)
風の呼吸、というより不死川の剣速は異常だ。
いや剣に限らず、拳でも蹴りでも、触れたものを切れる程に速いのだ。
もちろん、ただの木刀でも例外ではない。
不死川がその気になって振った木刀は、ただ打つだけではなく、瑠衣の身体を斬れる。
女性の柔らかな喉など、いともたやすいだろう。
(上げ、ろ……!)
身体の部位を動かすのに、これほど明確な命令を送ることがあるだろうか。
出来なければ死ぬ、確信に近かった。
必死で、腕を上げた。
その甲斐あってか、不死川の剣が瑠衣の喉を打った時、その間に自分の木刀を差し込むことに成功した。
「きゃ」
しかし、それだけだった。
喉を打った木刀は離れることなく――むしろ、頸を刎ねかねない勢いで――そのまま振り抜かれる。
してはならない類の音――木刀に罅が入るのが、はっきりと見えた――が響き、瑠衣の身体が
とんでもない浮遊感が、瑠衣を襲った。
「おー、ド派手に吹っ飛ばされたなー」
見物の宇髄が、のんきなことを言っている。
しかし瑠衣はそれどころではなかった。
あり得ないことに、不死川に打ち上げられた瑠衣は、天井まで吹っ飛ばされていたのだ。
天井の木目がはっきりとわかる距離で、今から同じ距離を落ちるのかと思い、ぞっとした。
不死川との訓練は、いつもこんなものである。
基本的に実戦主義というか、ひたすらに打たれる。
痛い思いをしたくなければ勝て、と言わんばかりだが、不死川は柱だ。
基準が高すぎて泣きたくなってくる。
いっそ、このまま床に叩きつけられて気絶した方が楽になれるだろうか……。
「どうしたァ、そんなもんかァ?」
その時だ、不死川が声が聞こえた。
「煉獄っても、大したことねぇなァ」
――――身を、縦に回した。
打ち上げの威力のまま、
木刀を腰に添えて、抜刀の構え。
そして――――……。
◆ ◆ ◆
「いや、やり過ぎだろ」
「テメェにそう言われちゃおしまいだなァ」
折れた木刀を道場の端に放り捨てながら、不死川は言った。
それに対して宇髄は呆れたような、あるいは面白そうな視線を向けている。
彼らは道場の真ん中あたりにいて、不死川はしゃがみ、宇髄は腕を組んで立っていた。
すでに陽が傾き始めて、道場の内部は暗くなりつつあった。
瑠衣の姿はない。
ちょっとした――不死川の感覚で――打ち込み稽古だったので、時間自体はそれほどかかってもいない。
鬼を討ち漏らして被害を出したという話を聞いていたので、少し喝を入れてやった。
まあ、その程度のことだった。
「
「俺の一存じゃ決められねェだろォ」
継子とは柱の直弟子で、事実上の次期柱候補のことだ。
柱自身が才能を見込み鍛えるので、一般隊士とは比較にならない実力がある。
ただ今の柱には、1人を除いて継子を指名している者はいなかった。
理由はいろいろあるが、それに見合う人材自体が稀ということもある。
不死川も、弟子を取るような性分の人間ではなかった。
そもそも人が近寄って来ない。
面倒見は悪くないのだが、見た目と言動でほとんどの人間は逃げてしまうのである。
瑠衣のことは、
「つーことは、したいとは思ってるわけか」
「ほとんどの奴は、俺らの稽古について来れもしねェ」
「最近の隊士は質が悪すぎるからな」
「剣の腕前だけなら、今の風の呼吸の使い手の中で1番マシだろうなァ」
煉獄家で幼少期から訓練されていただけに、瑠衣の実力は継子として申し分ない。
それは不死川も認めるところで、瑠衣の剣捌きを見て流石と思うこともある。
不死川は手取り足取り教えるタイプではないので、先程のような打ち込み稽古の他は、キツい
これだけで大抵の者は逃げ出すが、瑠衣は違った。だから今も師弟を続けている。
「ただあの馬鹿は、なァ……」
それ以上は不死川は言葉にはしなかったが、宇髄も何となく察してはいた。
しかしそれに言及するのは出すぎのような気がしたし、何より自分のことではないので、黙っていた。
それから、稽古の激しさを表すように
天井、壁、床、人の頭ほどの大きさの穴がボコボコと開いている。
――――折れた木刀の数は、
◆ ◆ ◆
酷い目にあった。
胸中でそう毒吐きながら、瑠衣は帰路を急いでいた。
すでに陽が落ちかけて夕方になっており、足元の影は長く伸びている。
早く千寿郎の待っている家に戻り、父と兄が帰って来る前に夕食を作らなければならない。
「すっかり遅くなってしまいました……」
買い出しに出ていたのか、瑠衣は大きな荷物を背負っていた。
米俵一俵と、野菜等を詰めた籠を2つほど。
幸い母が生きていた頃から付き合いのある店があり、遅い時間でもまとまった量を買うことが出来た。
千寿郎は食事の支度はできるが、補充まではまだ気を回せない。
年若い少女が米俵を背負って歩くというのはなかなかの絵だが、当の瑠衣に苦しそうな様子はない。
全集中の呼吸は使用者の身体能力を飛躍的に高める。
瑠衣はその全集中の呼吸を常日頃から行っていて、筋力に関しても並の少女とは比較にならなくなっていた。
だから米俵も運べるし、自分よりも大きな体の鬼とも対等に渡り合えるのである。
「うう、身体中が痛い……」
それでも不死川との訓練では、ほぼ一方的に殴られることになる。
女だからという理由で不死川が手加減することはない。
鬼は手加減してくれないからだ。
だから、瑠衣も不死川のことを「師範」と呼んでいる。
「うん?」
ようやく煉獄邸の門が見えてきた時だった。
3人ばかり誰かが立っていて、1人は千寿郎だった。
ぺこりと頭を下げているところを見ると、どうやら見送りに出ているらしい。
来客か。しかし今日は来客の予定はないはずだった。父が不在なのだ。
「あ――――っ、帰って来たあ!」
きん、と耳に響く声だった。
瑠衣の存在に気が付くと、女性が子供のようにぶんぶんと手を振りながらこちらに駆けてくる。
そしてその女性を、瑠衣はよく知っていた。
「こ、恋柱様……」
鬼殺隊の恋柱――冗談ではなく、「恋の呼吸」の柱だから恋柱だ――甘露寺蜜璃だった。
長身、女性的魅力に溢れた豊満なスタイル、すれ違えば誰もが振り返るだろう整った顔立ち。
肩口までが桜色で毛先は草色という独特な髪の色をしていたが、彼女の美貌を補いこそすれ損なうものではなかった。
むしろ極端にスカート丈が短く、乳房を半ば露わにしたような前開きの隊服の方を気にするべきだろう。
着ている人間の正気を疑うし、この隊服を作った人間の正気はもっと疑う。
「瑠衣ちゃん、久しぶりー! 元気してた?」
「ええと、ご無沙汰しております。恋柱様」
途端、甘露寺が悲しそうな顔をした。
それはもうこの世の終わりかのような表情で、世の女性の理想を全て詰め込んだかのような美女がそんな顔をすると、言いようのない迫力があった。
それに対して、珍しいことに瑠衣は顔を
苦虫を嚙み潰したような顔というのは、まさにこのような顔のことを言うのだろう。
「み……蜜璃ちゃん……」
「うん!」
絞り出すような瑠衣の言葉に、甘露寺はそれはそれは明るい声で応じたのだった。
その時の笑顔は、同道していた男性隊士曰く「光り輝いていた」という。
◆ ◆ ◆
瑠衣には苦手な人間が2人いる。
1人は時透無一郎。
ただしこれは瑠衣に限らない。時透に対して苦手意識を持つ人間は少なくない。
むしろ、仲が良い人間がいるなら教えてほしい。
しかし、もう1人は違う。
彼女を嫌う人間がいたなら、「どこが嫌いなの?」と間違いなく聞くだろう。
瑠衣が苦手なもう1人は、そんな、誰にも好かれるような存在だった。
そう、鬼殺隊の恋柱・甘露寺蜜璃である。
「わあ、蜜璃さんは相変わらずたくさん食べるんですね。僕も見習わないと」
「え? そうかな、今日はそんなに食べてないけど。人様のお家だし……あっ、ご、ごめんねっ。私もしかして食べ過ぎちゃった!?」
「いや、大丈夫だ甘露寺。今日は確かに少なめだ」
弟である千寿郎と、甘露寺が楽しそうに瑠衣が作った夕食を食べていた。
凝った料理というわけではないが、大根たっぷりのお味噌汁は自信作だった。
それを美味しい美味しいと食べて貰えるのは悪い気はしないが、甘露寺の前にうず高く積み重ねられた皿や丼の数を考えると、そうも言っていられない。
五、十……いや、二十は重ねられているだろうか。全て甘露寺が1人で平らげたものだ。
今さら驚きはしないが、久しぶりに見ると圧倒される。
自分や千寿郎が一皿を食べている間に、甘露寺は十皿目に手を伸ばしている。
彼女は、鬼殺隊……いや、もしかしたらこの国一番の
それでいて不作法ではない。箸の持ち方も綺麗で、きちんとした所作で皿を空にしていた。
「蛇柱様、お茶のおかわりはいかがですか」
「ああ、有難う」
甘露寺の健啖ぶりを横目に、瑠衣はもう1人の客人に玉露のお茶を出していた。
おかっぱな黒髪の、見るからに線の細い青年だった。
不思議なことに彼は料理に手をつけておらず、口元を白い包帯で覆ってしまっていた。
ただその声音は優しく、色の違う――右が琥珀色で左が翡翠色――瞳を細めて瑠衣を見ていた。
彼もまた鬼殺隊の「柱」だ。蛇柱の伊黒小芭内。
「しかし甘露寺ではないが、どうにもその「蛇柱様」というのは他人行儀に聞こえるな。何とかならないのか」
ネチネチとした物言いに、瑠衣は苦笑を浮かべた。
するり、とそんな瑠衣の顔の近くに寄って来たのは、伊黒の首に巻き付いている白蛇だ。
彼は名前を鏑丸といって、常に伊黒と行動を共にしている。
シューシューと鳴いて、伊黒の代わりに不満を示しているようだった。
(拗ねてる伊黒さん、可愛いわ)
そのやり取りを見ていた甘露寺は、丼片手にそんなこを考えていた。
「でも会えてよかった。今夜にはまた
空にした丼を置いて、甘露寺がそう言った。
瑠衣もそうだが、柱である甘露寺や伊黒はそれ以上に多忙だ。
柱合会議でもなければ本部にいることも稀で、普段は各地を飛び回っている。
だから、食事を共にできるというのは貴重な機会だった。
「……千寿郎君も元気そうでよかった!」
「はい、僕も蜜璃さんに会えて嬉しいです!」
「きゃっ、そんなに喜ばれたらキュンてしちゃうわ!」
きゃっきゃっと喜び合う千寿郎と蜜璃の姿に、瑠衣は複雑そうな視線を向けた。
会えて嬉しいと言われて、喜びがないわけではない。
誰がどう見ても甘露寺は良い人間だし、そんな彼女を優し気に見つめる伊黒もまた悪人ではない。
そんなことは、十分すぎる程に知っている。
そっと胸元に手を添えて
「み、蜜璃ちゃん」
「え、あっ、なに? なになになにかしら!?」
瑠衣ちゃんが話しかけてくれた、と喜色を浮かべる甘露寺。
「わ、私も……」
そんな彼女に何事かを言おうとした、その時だった。
「やあ、随分と賑やかだと思えば……甘露寺君に伊黒君か。良く来てくれたな」
襖が開いて、槇寿郎が顔を出したのだった。
◆ ◆ ◆
実を言うと、伊黒と甘露寺は煉獄邸で過ごしていた時期がある。
伊黒は幼少期のほんの一部を、甘露寺はつい最近の1年余りを。
だから杏寿郎ら3人にとって――千寿郎は幼過ぎて伊黒のことは覚えていないかもしれないが――伊黒と甘露寺の2人は、家族に準じる存在だと言えた。
「よもやよもや、2人が来ていようとは。食事を共に出来なかったのが残念だ!」
「煉獄、お前までいたら妹の食事支度が間に合わないだろう。己の食う量を考えろ」
「や、やっぱり食べ過ぎちゃった……かしら……」
「いや甘露寺。今日は十分に遠慮していた。大丈夫だ」
「ははは、相変わらずだな小芭内は! 蜜璃も」
食事の後片付けを済ませて瑠衣がやって来た時には、父だけでなく杏寿郎も戻っていて、客間で談笑していた。
お盆――お茶を出してくれていたのだろう――を抱えて座っていた千寿郎が、瑠衣の姿を認めて席を空けてくれた。
杏寿郎と千寿郎の間に、瑠衣がちょこんと座った。
それを横目に、上座に座った槇寿郎が口を開いた。
「2人とも、今日の柱合会議はご苦労だった。それに2人の活躍は本部でも良く耳にしている、頑張っているようだな」
「恐縮です」
「いえっ、そんな私なんて。色んな人に迷惑かけてばかりだし……」
程度の差こそあれ、伊黒も甘露寺も、まるで親に褒められた子供のようだった。
特に伊黒は静かな分、むしろ甘露寺よりもそういう気配を感じさせた。
無理もないと、瑠衣は思う。
詳しいことは瑠衣も知らないが、伊黒は槇寿郎が鬼から救った子供だった。
鬼殺隊士にとって「鬼から救ってくれた相手」というのは、すなわち神に等しいのだ。
「いや、謙遜することはない。2人とも、私などより立派に柱の務めを果たしている」
2人は、槇寿郎が育てた鬼殺隊士だった。
伊黒は呼吸の違いから――瑠衣と同じように――最終的には先代の別の柱の下で修業をしたが、甘露寺は槇寿郎によって長く指導をされていた。
というか、甘露寺は杏寿郎と共に槇寿郎の継子だった。
強い炎の呼吸の適性を持っていたからだ。最も独自性が強すぎて独立してしまったが。
槇寿郎の下、杏寿郎の兄妹弟子として1年余りを切磋琢磨していたのだ。
瑠衣はそれを、ずっと見ていた。
ずっと。
「2人とも。そして杏寿郎も、私の自慢だ」
その時、瑠衣は自分が掌を握っていることに気付いた。
かなり強い力で握っていたらしく、服に皺ができてしまっていた。
隣の杏寿郎と千寿郎に気付かれなかっただろうか。
「瑠衣」
槇寿郎に呼ばれて、瑠衣は初めて自分が俯いていたことに気付いた。
「千寿郎も。杏寿郎や伊黒君達を見習って、精進しなさい」
「はい!」
千寿郎は、素直な返事を返していた。
父の視線に瑠衣は顔を上げて、微笑みを作った。
「はい、父様。兄様や蛇柱様、恋柱様のお目を汚さぬよう、これからも精進いたします」
その時、ふと甘露寺と目が合った。
すぐに朗らかな笑顔が返って来て、瑠衣もそうしようとした。
上手く微笑みを作れたかどうか、今度はわからなかった。
◆ ◆ ◆
――――深夜になった。
柱合会議に合わせて一時的に本部に集まっていた鬼殺隊士達も、方々に散っていく。
獪岳も、その1人だった。
「どけ、邪魔だ」
「あ、ああ……」
同僚と話をしていた他の隊士を押しのけるようにして、獪岳は歩いていた。
さっと道を譲った隊士を見下しながら、その横を通り抜ける。
整った顔立ちでそうされると、思わず視線を逸らしてしまうような迫力がある。
実際、獪岳に睨まれた隊士は、蛇に睨まれた蛙のように縮み上がってしまっていた。
愚図が。獪岳は本当にそう思っていた。
実際、彼は他の一般隊士と比べて遥かに強い力を持っていた。
同僚が次々に鬼に殺されていく中で、彼だけは鬼を狩っていく。
まるで、柱のようにだ。
「……なんだよ、アイツ……」
「……偉そうによ……」
後ろで、先程の隊士達がそう言っているのが聞こえて来た。
しかしそれも、不意に獪岳が振り向けば、怯えた表情を浮かべてどこかへ消えるのだ。
つまらない奴らだと、獪岳は思う。
自分の力だけではまともに鬼を斬ることはおろか、何を成すことも出来ない連中。
同じ「鬼殺隊士」だと呼ばれることが、獪岳には耐え難い程だった。
(俺は、テメェらとは違う)
柱になりたい。それは獪岳にとって、渇望にも似た想いだった。
何故なら、自分は他の隊士とは格が違う存在だから。
雷の呼吸の、
「……何の音だ?」
獪岳が夜道を歩いていると、奇妙な音が聞こえた。
何かが風を切る音、空気を叩く音。
どこかで聞き覚えがあるような音でもある。ただ、妙に不規則だった。
不審に思い音の方へ足を向け、しばらくすると広い空間に出た。
三方を山林に囲まれ、丘もあり、小さな窪地のようになっている。
丘には小さな花々が咲いており、月明かりの下で花弁を輝かせていた。
丘を登って窪地を覗いた時、獪岳は音の正体を知った。
「あれは……」
結論から言えば、それは素振りの音だった。
振っているのは日輪刀、つまり隊士だ。場所が場所だけに当たり前ではあるが。
しかしただの素振りではなく、動き回っている。音が不規則なのはそのためだろう。
刀を振るい、駆け、汗を散らせているのは――――瑠衣だった。
何のことはない。鍛錬だ。
煉獄邸に立派な道場のある彼女が、なぜ人目を忍ぶようにして鍛錬しているのかはわからないが、特に珍しいということはなかった。
時間を無駄にしたか、獪岳はそう思いかけたが。
(何をやっているんだ?)
瑠衣の動きに、疑問を覚えた。
風の呼吸の技かと思ったが、どうも違うようだ。
何というか、真剣、いや無様なのだ。
大きく跳躍したかと思えば、地面にごろごろと転がる。身を捻り、髪を振り乱す。
刀の振りも攻撃というよりは、襲い掛かる何かを捌いているような振りだった。
(……鬼か? いや、違うなアレは……)
何かと戦っている――想定を、している、ようだ。
ただ、何を想定しているのかがわからなかった。
回避のための跳躍の範囲が広く、やたらに身をよじったり反らしたり。
まるで鞭か何かが相手のようだ。
相手は剣士ではないのか、しかし攻撃の捌き方は刀のそれだった。
「ふん」
真剣に考え込み始めた自分に気が付いて、獪岳は誤魔化すように鼻を鳴らした。
瑠衣から視線を外さずに横を向いて、その場から離れる。
他人なんて、どうでもよかった。
しかしそれでも、気にはなった。
瑠衣は、はたして何と戦っていたのだろうか?
◆ ◆ ◆
月が、高く昇っていた。
「くそ、完全に迷っちまったな……」
隊服を着た1人の青年が、毒吐きながら辺りを見渡していた。
夜の危険性を知っている彼は、腰に差した刀の束に常に手を添えていた。
緑深いどこかの山中、鬼殺隊士ならありがちな任地だ。
しかし夜が更けてしまうと、明かり1つない山中は恐怖を増幅させる。
人は本能的に、闇を恐れるものだから。
「お……?」
だから建物を見つけた時、彼は心底ほっとした表情を浮かべた。
かなり古いのか、塀が半ば崩れかけていた。
それでも、人工物の存在はそれだけで安心材料だった。
特に山中で道に迷っている時などは、なおさらだろう。
ほどなくして、入口を見つけた。
やはり古く、石材の部分などは苔むしていた。
もしかしたら、今は使われていないのかもしれない。
それでも野宿よりはマシだと思ったのか、隊士の青年はそのまま門をくぐった。
「……くすくす……くすくす……」
嗚呼、どこからから嗤う声が落ちてくる。
夜闇から逃れて入り込んだのは、さらなる恐怖の胃袋。
それと知らずに迷い込んだエサに、嗤う声はさらに高くなる。
「また1人、エサが来た」
空に昇るは、
闇に光るは、血の色の眼。
その眼には、文字が2つ。
――――「下肆」。
最後までお読み頂き有難うございます。
改めまして、たくさんのキャラクターを投稿頂き有難うございます。
某三十七歳刀鍛冶の如くお礼を申し上げたいと思うます。
よくも折ったな俺のプロットを…!(え)
できるだけたくさん登場させたいので、プロットの再考を余儀なくされました。
嬉しい悲鳴とはまさにこのこと。一緒に物語を作っていって頂けたらなと思います。
ところで某下の四番目の鬼って、特に設定なかったですよね。
だから大丈夫ですよね、ね(何がだ)
それでは、また次回。