蝶屋敷を訪れた翌朝、瑠衣は
「あの、私が聞くのもおかしいかもしれませんが。……どうして私なのでしょう?」
「ごめんねえ。だっておじさん他に知り合いの隊士もいなくて。まさか炭治郎君を呼ぶわけにもいかないし」
「それはまあ、そうなんですけど……」
そこで瑠衣を待っていたのは、犬井だった。
まさかとは思うが、
万が一にもそうなっていないことを、祈るばかりだ。
(とはいえ、放ってはおけないというのもその通りなのですよね。何しろ……)
あの犬井が、
――――昨夜、いや早朝のことだ。蝶屋敷で
死んだのは、蝶屋敷で働く女性看護師だった。
そしてその女性看護師が最後に会った人間が犬井と思われたことから、彼が疑われたわけだ。
しかし実を言うと、鬼殺隊に「牢屋」というものは存在しない。
それは鬼殺隊が
獪岳の時も、あるいは炭治郎・禰豆子の時も、拘束はされても
だから、犬井もこうして本部の一室をあてがわれているわけだ。
「……ともあれ、話はわかりました」
獪岳と言い、最近は似たようなことが続く。
鬼を相手に剣を振っている方が、むしろ気楽で良かったかもしれない。
命を守ることより、命を
「今朝、兄に鴉を飛ばしました。その返事を待ってのことになりますが」
ふう、と息を吐いて、瑠衣は言った。
「犬井さんの身柄は、煉獄家預かりになります」
「助かるよ。迷惑かけてごめんね」
「いえ、私も犬井さんが
言いつつ、難しい問題になる、と思った。
槇寿郎の出奔で煉獄家に向けられる目は厳しい。
刀鍛冶の里を守った英雄とは言え、蝶屋敷で仲間殺しをした――と疑われている――者を預かるとなれば、痛くも無い腹を探られる可能性がある。
もっとも犬井に本部で他に頼れる者がいないのも確かで、多少の危険を犯しても預かるしか無かった。
(せめてお館様がご健在であれば……)
加えて、産屋敷家当主の病臥。
お館様の病状が回復すると思っている人間はいないだろう。
当主交代の文字が嫌でも頭に浮かぶ中で、誰もがピリピリとしていた。
そんな中で、今回の事件だ。
鬼殺隊は今、危機的なまでに動揺していた。
◆ ◆ ◆
――――事件が発覚したのは、陽も昇り切らない早朝のことだった。
アオイは3人のけたたましい悲鳴に気付いて、彼女達の名前を叫びながら駆け付けた。
そして彼女もまた、無惨な姿で倒れる看護師を見つけたのである。
「なほ達の様子は?」
「今は落ち着いています。ただショックが大きかったようで……」
「……そうでしょうね。アオイも、無理をしてはいけませんよ」
「私は大丈夫です」
と、アオイも気丈に振る舞ってはいる。だが彼女自身も心穏やかではあるまい。
近しい人の死というものについて、蝶屋敷の少女達は敏感だからだ。
実際しのぶが現場に駆け付けた時には、もう収拾がつかなくなっていた。
騒ぎを聞きつけた犬井が現場にやって来て、その場にいた誰かが死亡した看護師は昨晩彼と一緒にいたはずだと叫んだのだ。
集団心理。疑心暗鬼。もはやしのぶの一声でどうにかなる状況ではない。
だからしのぶはその場で、自分で犬井を拘束した。
犬井も事情を察したのだろう、抵抗することは無かった。
「アオイ、瑠衣さんに鴉を。申し訳ないけれど、コロちゃんを預かって貰いましょう」
「わかりました」
「今のなほ達にコロちゃんのお世話まで任せるのは難しいでしょう」
しのぶは犬井が瑠衣の――煉獄家の預かりとなるだろうと踏んでいた。
そうなってからだと、蝶屋敷の少女達は瑠衣に忌避感を感じてしまうかもしれない。
そうなる前に、という配慮だった。
(犬井さんの方は、申し訳ないけど瑠衣さんに任せるしかない。それよりも問題は……)
問題は、
犬井ではないことは、しのぶにはわかっている。
だからこそ、問題は深刻だった。
死んだ看護師は、頭の上半分を激しく損傷していた。
蝶屋敷の少女達は
あれは、例えば鈍器で一撃、というような損傷具合ではない。もっと強い力で砕かれたのだ。
すなわち、犯人は人ではない――――
(でも、どうやって。
遺体は、放置されていたのだ。
鬼ならば、なぜ
それも、どうして1人だけ殺すという中途半端なことをするのか。
食事もせず、己の存在を知られるだけ。鬼狩りの本部で、それは自殺行為に等しい。
「し、師範。アオイ」
その時、か細い声が聞こえて、しのぶは顔を上げた。
カナヲが部屋の扉から顔を覗かせていて、しかも珍しいことに、困ったような顔をしていた。
どうしたのかとアオイが問うと、あわあわした様子で。
「あの、和泉って人が病室にいなくて……」
「あの人! また抜け出したのッ!?」
――――守らなければ。
アオイとカナヲの背中を見つめながら、しのぶは思った。
自分自身に、しのぶは強くそう言い聞かせていた。
◆ ◆ ◆
奇妙な静けさだ。
不死川はそう思っていた。
鬼殺隊内部の
関わるつもりは無かった。
「何と、痣。そうなると、私はどうなるのか……南無」
だから、あまねから痣者の話を聞いた時も、大して気にはしなかった。
刀鍛冶の里での上弦との戦闘において、甘露寺に発現した
その効能と代償。始まりの剣士達の伝承。
今朝の事件の処理でしのぶは欠席していたが、不死川を含む他の柱はそれらの話を聞いた。
いずれも、不死川は関心を抱かなかった。
彼が気にしていたのは、刀鍛冶の里での事件以降、鬼の活動が緩やかになっていることだ。
たまに
上弦の半数が討たれたために、鬼舞辻無惨が慎重になっているのかもしれない。
(まさかとは思うが、こっちがくたばるまで雲隠れするつもりじゃねェだろうな)
実際、鬼舞辻無惨と遭遇した隊士はほとんどいない。
今の世代では、唯一あの竈門炭治郎だけだ。
遭遇できなければ、討つこともできない。
卑怯な奴だ。心の中でそう毒吐いた。
「話も終わったようなので失礼する」
「おい待てェ、失礼すんじゃねぇ。今後のことも話し合わねぇとならねぇだろうが」
「皆で話し合えば良い。俺には関係ない」
だがそれ以上に不死川を苛立たせたのは、今まさに部屋から出て行こうとしている柱だった。
お館様が倒れ、槇寿郎が出奔した。隊士達は明らかに動揺している。
こういう時こそ柱がしっかりすべきだというのに、関係ないなどと
水柱・冨岡義勇。
実力はある。それは見ればわかった。
例えば正面から戦ったとして、不死川でさえ打ち倒すのは容易ではないだろう。
しかし柱合会議でも発言することはほとんどなく、発言したと思えば「関係ない」だ。
「俺は、お前達とは違う」
「何だぁその言い様は。俺達のことを見下してんのかァ?」
冨岡にそんなつもりがないことは、不死川にもわかっていた。
彼の目は不死川達を見下している目ではない。
だが、それを不死川や他の者は言ってやることが出来ない。
苛立ちに、不死川は舌打ちした。
しっかりしろと胸中で呟いたその言葉は、いったい誰に向けてのものだったのだろうか。
◆ ◆ ◆
今日は本当に忙しい。
本部の犬井のところへ呼ばれたかと思えば、今度は蝶屋敷である。
まあ、忙しい方が色々と考えずに済むので、瑠衣としても助かる面もあるのだが。
「ありがとうございます。柚羽さん」
蝶屋敷の中庭で、コロを受け取った。
柚羽は相変わらず看護師姿だったが、腰に刀を差していた。
どうやらしのぶの指示らしい。
柚羽達でけでなく、入院している隊士達も
事件当日だから無理もないが、犬井という
ただ、しのぶの言うことに異を挟む者など
厳密には
(まあ、犬井さんは犯人じゃないですからね……)
犬井の拘束は、いわばその場を収拾させるための苦肉の策だったのだろう。
同時に、蝶屋敷の人間から犬井を守るためのもの。
ただ犬井が煉獄家預かりになったことは、遠からず話題になるだろう。
瑠衣自身も、しばらくは蝶屋敷には近付かない方が良いのかもしれない。
「あっ、コロさん!」
瑠衣の足元をぐるぐると駆け回っていたコロだが、不意に離れて行った。
「バウッ!」
吠えながら駆けるので、通りがかった人々が何事だという顔をしていた。
その1つ1つに謝りながら追いかけていると、コロは蝶屋敷の中に入って行った。
「コロさん、こらっ!」
中庭から足も拭かずに入ったので、廊下に点々と小さな足跡がついていた。
アオイあたりに見つかれば、激怒されるだろう。
「バウッ! バウッ!」
「ちょっ、ほらっ」
立ち止まったところを後ろから抱え上げて、動きを止めた。
それでも、どういうわけかコロは激しく吠えていた。
余りにも吠えるので、瑠衣も柚羽も困惑してしまった。
「もう、どうしたんですか? そんなに吠えて」
腕の中でもがくコロを懸命に押さえながら、瑠衣はコロが吠えている
「
「バウッ、バウバウッ」
それでも、コロは吠え続けていた。
それは瑠衣が困惑しながらも、その場から離れても続いた。
蝶屋敷を出るまで、コロの吠え声が止まることはなかった。
◆ ◆ ◆
「どうしたんだ、禰豆子?」
炭治郎が困惑混じりにそう言っても、禰豆子は彼の羽織の裾から手を放そうとはしなかった。
普段は箱の中で眠ってばかりだが、今日に限って外に出ている。
聞いてもふるふると首を振るばかりなので、炭治郎も妹の意図を読むことが出来なかった。
「うふふふふふふ禰豆子ちゃああああん」
1日中一緒に――炭治郎つきだが――いられるので、善逸などは始終ご機嫌だが、しかし控えめに言って。
「善逸、ちょっと気持ち悪いぞ」
「酷くない!? どうしてそんなこと言うのおおおお!?」
「五月蠅え!」
今のは炭治郎ではなく、伊之助だった。
ただ伊之助の場合はすぐに手が出るので、殴られた善逸が床に倒れ込んだ。
「伊之助、すぐに殴るのは駄目だ」
「だって何かうざかったから」
「それは俺もそう思うけど」
「2人とも酷すぎるよ! 何!? 今日は厄日なの俺!?」
そしてそんな騒動の中でも、禰豆子は炭治郎の傍を離れようとはしなかった。
これは、珍しいことだ。何かある。
ただ匂いから察するに、禰豆子自身も自分の行動に困惑している様子も見て取れた。
何か感覚的な部分で、炭治郎の傍にいるのだ。
それは、自分が不安だからそうしているのか。
あるいは、何かから炭治郎を守ろうとしてくれているのか。
いずれにしても、良い兆候とは思えなかった。
そもそもここは鬼殺隊の本部だ。危険などあるはずがない。
「うざいって言えばよ」
「うん?」
猪頭越しに頭を掻きながら、伊之助が周囲をキョロキョロと見渡した。
周りには、他の隊士達がいたのだが。
「何か、多くねえか?」
炭治郎達が色々な意味で目立つせい、というわけでもなく、そもそも本部に詰めている隊士がいつもより多い様子だった。
戦力の
柱も集結しているし、まさしく全戦力を集めていると言った風だった。
(何かが、起ころうとしている)
何が起ころうとしているのかはわからないが、そう感じた。
おそらく禰豆子も、そうした漠然とした雰囲気を感じて、炭治郎の傍にいるのだろう。
炭治郎が見つめると、禰豆子は彼の羽織の裾を掴んだまま、兄を見上げて首を傾げて来た。
その様は愛らしく――実際、また善逸が騒いで伊之助に殴られている――炭治郎は、そっと妹の髪を撫でた。
「大丈夫だよ、禰豆子。兄ちゃんが一緒だからな」
禰豆子は一瞬きょとんとした表情を浮かべていたが、兄の意図をさっしたのか、笑顔を見せた。
そのまま炭治郎の手に寄りかかるようにして、撫でられるままになる。
そんな妹を安心させようと、炭治郎はしばらく禰豆子の頭を撫で続けていた。
◆ ◆ ◆
何であれ、人は慣れる。
それは、死でさえも例外ではない。
8年もの間柱として鬼殺隊を支えて来た悲鳴嶼にとって、死とは余りにも身近な存在だった。
隊士も、柱も、何人も死んでいったからだ。
「……私の……命も……もう……長くない……だろう……」
お館様の死であっても、悲鳴嶼の心が動くことは無かった。
光の見えない目からいくら涙が零れようと、数珠を手に念仏を唱えようと、それは彼の心が動いたことを意味しない。
あるいは心が動かないからこそ、身体を涙や数珠という形で動かしているのかもしれない。
ただ心が動かないからと言って、何も感じていないわけではない。
悲鳴嶼はかつて寺で
その鬼は悲鳴嶼が――恐るべきことに素手で――倒したが、唯一の生き残った子供の証言によって、悲鳴嶼は大量殺人犯として逮捕されてしまった。
お館様が救ってくれなければ、死刑になっていただろう。
「だからだろうか……感じるんだ……
だからこそ悲鳴嶼は柱として、鬼殺隊を支え続けて来た。
お館様への恩義と忠義のためだ。
悲鳴嶼は、お館様が死ぬか、あるいは産屋敷一族の意思が絶えたと判断するまで、今の生き方を続けるだろう。
「……上弦の半数を……討たれた……やつの怒りを……感じるんだ……」
産屋敷は、布団に伏して起き上がれなくなっていた。
顔は、死人のそれだ。
声ですら喘ぎ混じりで、呼吸音は壊れた笛のように頼りない。
悲鳴嶼でなくとも、死が間近だということがわかる。
「……やつは……もうすぐ……来る……
「…………御意」
死を前にした人間は、生きていくのに必要のない感覚や力に目覚める。
鬼との戦いの中で、悲鳴嶼はそれを良く知っていた。
だがそれは、どうやら病による緩やかな死の中でも生まれるものであるらしい。
あるいは、産屋敷一族の執念のためか。
「すべてお館様のご意思のままに。ただ、1つお聞きしても宜しいでしょうか」
「……何かな……行冥……」
「…………槇寿郎殿は、今どこに?」
お館様が、一か八かの賭けに出ようとしている。
悲鳴嶼はそれを理解していた。
それに対して、今さら否など言わない。
彼は死ぬまで、お館様と産屋敷一族に誠実であり続けるだろう。
◆ ◆ ◆
鈴音は夢遊病者である。
しかも
「ああ、こんなところにいた」
どうやら今回は、蝶屋敷の外までは行かないでいてくれたらしい。
あるいは、単に掴まっただけかもしれない。
「ありがとうございます、姉さん」
鈴音は、カナエの膝ですやすやと眠りこけていた。
それはそれは心地よさそうな寝顔で、見ているこちらが羨ましくなる程だった。
だからしのぶはそっと鈴音に近付くと、その頬を指先でむにむにと
「心配させた罰ですよ。嫉妬なんかじゃありません。ええ、ありませんとも」
姉の苦笑にそう返して、むにむにと突いた。
実際、鈴音はしのぶが鬼殺隊で最も心配する
何しろ鬼殺隊には、
そして、心を病む者も、いる。
「それより、姉さんも気を付けてね。今、
不意に、鈴音が起き上がった。
危うく突き指になりかねない勢いだったので、さしものしのぶも驚いた顔をした。
しかし鈴奈はそこから動かない。覗き込むと、目はまんまるく見開かれていた。
起きてはいるが、意識は覚醒していない。夢遊病の症状が出ていた。
やれやれと、嘆息漏らした時だ。
「しのぶ」
先程とは比較にならない程に、しのぶは驚いた。
一瞬、誰が自分を呼んだのかわからなかった程だ。
しかしこの世界で自分を「しのぶ」と呼び捨てにする人間は、1人しかいない。
何故ならば、
顔を上げると、カナエの顔がそこにあった。
普段浮かべる柔和な微笑や困ったような表情はなく、青褪めていた。
身体の具合が悪いのかと思ったが、それとはまた別だった。
青褪めた顔で肩を押さえていて、額に汗を滲ませていた。
「悪夢が来るわ」
鈴音が、起きているのかと思う程にしっかりとした声で、そんなことを言った。
意味はわからないが、しかし、また別に聞こえてくる物があった。
何だ、と、しのぶは耳を澄ませた。
――――
「しのぶ」
音だ。
空間に、聴覚に反響する。音。いや音楽。
その最中、姉の命令が微かに聞こえて来た。
「アオイ達を守りなさい」
◆ ◆ ◆
栗花落カナヲは、天才だと言われる。
その頭角は最終選別を通過してすぐに現れ、階級は一足飛びに上がり、さらには蝶屋敷秘蔵の継子となった。
人によっては、霞柱・時透無一郎以来の逸材だと言われることもある。
「ア、アオイ」
「え? あ、あー! 噴き零れてるじゃない!」
しかし剣技以外のことになると途端に弱くなることは、蝶屋敷では良く知られたことだった。
今もアオイの手伝いで――なほ達が急な休みになったためだ――厨に立っているが、余り役に立っているとは言い難かった。
鍋ひとつまともに見ることも出来ない自分に、カナヲは内心で落ち込んだ。
「大丈夫? 火傷してない?」
「だ、大丈夫。ごめんね……」
「良いのよ。気にしないで」
それなのに、アオイは優しかった。
それで申し訳なさが増すが、忙しいアオイの手を止めるわけにもいかない。
カナヲとしては、棚から皿を出すくらいの手伝いしか出来なかった。
アオイは凄いと、カナヲは思った。
彼女の手の中で、単なる具材に過ぎない肉や野菜が美味しい料理に変わるのだ。
それも何十人もいる入院患者の分も含めてだから、量もある。
自分では、1人分だってまともに作れないだろう。
『貴女はそれで良いのですよ、カナヲ。人は1人では生きていけないのだから』
しのぶはそう言ってくれたが、だから気にするなというのも無理だろう。
しょんぼりしたまま、カナヲは皿を出そうと棚へと目を向けた。
「えっ……!?」
音に驚いたアオイが振り向いた時には、日輪刀を横薙ぎに斬り払い、棚を両断してしまっていた。
普通なら、驚くか叱るかするところだろう。
しかしアオイは、カナヲがそんな無意味なことをする娘だとは思っていない。
だから何か意味があるのだと思い、咄嗟に包丁を手に取った。
「何!? どうしたの!?」
カナヲは答えなかった。
代わりに、自分が斬ったものの残骸を見つめた。
掌ほどの大きさの目玉で、足のようなものが生えている。気色の悪い生き物だ。
目の中心に、「伍」と書かれている。
そこへ、不気味な音色が聞こえて来た。琵琶の音色。
音が聞こえた次の瞬間、カナヲは全身の産毛が逆立った。
通路に通じる扉を、凝視した。
そこに、誰かいる。隠す気もないのだろう。気配が突然現れた。
「アオイ、私のそばに」
「何? 何なの?」
「離れないで」
扉が、ゆっくりと開けられた。
そこから、姿を現したのは。
「わあっ、
金色の髪に、虹色の瞳。
「後で
頭から血を被ったような容姿の、美しい男だった。
瞳に、上弦の文字と数字が見えた。
上弦の鬼が、そこにいた。
◆ ◆ ◆
琵琶の音が、響き続けていた。
激しくも繊細なその音色は、音楽の心得がない者でも聞き入ることだろう。
しかしその琵琶奏者の
「間違いありません。鬼殺隊の本拠地です」
黒い着物を着た女が、琵琶を手にそう言った。
その黒髪は長く伸びて壁と融合しており、まるで木の根か血管のようだった。
そして何よりも異彩を放っているのは、その顔だ。
元は美しかったのだろうその顔の真ん中に、大きな目玉が1つ。1つ目の化物だ。
目玉の中央には「伍」の数字が刻まれていて、彼女が「上弦の伍」の鬼であることを示していた。
「素晴らしい」
そして、鬼舞辻無惨。
実業家が着るような黒い背広を着込んだ鬼の首領は、琵琶の鬼――
彼の足元には地図が落ちていて、多くの場所に印がついていた。
「鳴女、お前は私が思った以上に成長した」
「光栄です」
「そして、もう1人。
無惨は、上機嫌だった。
これはここ最近の彼にしてみれば、いや彼の千年に渡る人生もとい鬼生においても、かなり珍しいことだった。
彼自身、これほどまでに気分が良いのはいつぶりかと、つい考えてしまう程だ。
「何故ならばこれで、あの忌まわしい
千年。鬼舞辻無惨が生きて来た時間だ。
それはまさに悠久とも言える
無惨が平安の世に鬼の肉体を得て以降、すぐに鬼殺隊――正確にはその前身――が誕生したからだ。
ただ一度の例外を除いて、彼らの刃が無惨に届いたことは無い。
だが「追われている」という感覚を、常に背中に感じてはいた。
千年もの間、ずっとだ。それがどれほどに煩わしいことだったか。想像するのは難しい。
それが今日、終わろうというのだ。無惨の感激も
「上弦達は、鬼殺隊の本拠地に送れたのだな?」
確信を持ちながら、確認を行った。
実のところそれは、部下に事実を言わせて悦に浸りたいがための行為だった。
わかり切ったことを、あえて聞いたのだ。
「――――いえ」
しかし、鳴女の返答は彼の期待を裏切った。
「上弦の弐、参、肆のお三方は送れました。しかし上弦の壱様は、私の能力……」
それ以上、無惨は鳴女の言葉を聞かなかった。
代わりに、己の血を通して配下に念を飛ばした。
半ば動揺、半ば怒りをもって、彼は配下に呼びかけた。
(――――
(どうした。なぜ私の召喚に応じない!)
(聞こえているのか、黒死牟!)
(一刻も早く、鬼殺隊を根絶やしにしろ!)
無惨からの一方的かつ、絶対的な命令。
それを無視することは、鬼の生物学上、あり得ないことだった。
だから彼の配下も、返事をした。
そしてそれは、非常に簡潔だった。
『鬼殺隊なら…』
◆ ◆ ◆
上弦の壱・黒死牟。
十二鬼月の筆頭ともいうべきその鬼は、とある竹林にいた。
「鬼殺隊なら…今、目の前に…」
そして彼の前に立つのは、
当代最高の鬼狩りとも称される彼は、黒死牟を見つめて、こう言った。
「約束を、果たしに来た」
黒死牟と、煉獄槇寿郎。
鬼と、鬼狩り。
「――――
両陣営の頂点に立つ2人は、刀を手に向かい合っていた。
最後までお読みいただき有難うございます。
黒死牟 対 炎柱。
これを描きたくてここまで来たところがあります(極論)。
それでは、また次回!