――――轟音。
それは、およそ刀が衝突した音では無かった。
何か、より大きなものをぶつけ合っているような、そんな音だった。
(この男…)
幾度目かの衝突の後、黒死牟は相手の力量に驚嘆を覚えていた。
この数百年、黒死牟は多くの剣士――柱を
炎の柱とは直接戦ったことは無かったが、無惨を通じて他の上弦の戦闘記録は見ていた。
それを見ても、何ら思うところは無かった。
しかし今、槇寿郎と打ち合って見て、彼が過去に葬って来たどの柱とも違うと感じていた。
まず、強さだ。
過去の柱達は、黒死牟が刀を――己の肉で生成した異質な日本刀――振るだけで、首と胴を斬り離されていた。つまり勝負にすらならなかった。
だが槇寿郎は、幾度刀を振るおうと、その身に己の刃が届かないではないか。
「どこまでついて来れるか…楽しみだ…」
黒死牟は、ほんの少し速度を上げた。
言うなれば5割の力で動いていたのを、6割ほどに引き上げた。
それは槇寿郎にも伝わったのだろう。一旦、下がった。
「
一息で、間合いを詰めた。
袈裟切りに振り下ろした黒死牟の刀を、槇寿郎が切り上げの一閃で迎撃する。
再びの轟音。先程よりも大きく、そして重い。
互いに押し切れず、弾かれた。
しかし次の瞬間には手首を返して踏み込んでいる。
上下が逆になり、2人の中央で剣閃の応酬が続いた。
その間も足は止まっていない。踏み込みの度に自分の位置取りを調整している。
(ほう…まだついてくる…私の動きに…)
鬼の膂力と速度は、常人のそれではない。
ましてや黒死牟は上弦の壱。鬼の頂点だ。力も速さも他の鬼とは比べ物にならない。
黒死牟がまだ全力ではないとは言え、槇寿郎は互角以上に撃ち合っている。
(懐かしい感覚だ…高揚を感じる…いつぶりか…)
柱はおろか、自分に入れ替わりの血戦を挑む鬼もほとんどいない。
そんな黒死牟にとって、ここまでの
ふと、そんな思いに耽った。その一瞬だった。
「む…」
正面からの撃ち合いに終始していた槇寿郎が、身を捻るのが見えた。
互いの刀の側面を擦るようにして前に踏み込み、黒死牟の懐に潜り込んだのだ。
黒死牟の刀を弾き、半回転。切っ先で地面を斬るようにして、技を放って来た。
――――炎の呼吸・弐ノ型『昇り炎天』。
速度が上がった。それを察すると同時に後ろに身を反らした。
顎先に熱を感じるのと、後ろに跳んで着地したのはほぼ同時だった。
「これは…私の血か…」
顎を撫でると、指先に僅かに血が付着した。
もちろん鬼であるから、傷口は一瞬で消える。
「
黒死牟が全力ではなかったように、槇寿郎も全力ではなかった。
その事実に、黒死牟は改めて相手を見つめた。
六つの眼で、槇寿郎を見つめる。その容姿、血、声、そしてこの剣技。
「お前は…似ているな…
槇寿郎の姿に、黒死牟は強い既視感に捉われたのだった。
◆ ◆ ◆
――――戦国時代。人が血で血を洗う乱世の時代。
鬼には未だ十二の月がなく、人には未だ鬼殺の剣がなく。
大正の世にまで続くことになる、人と鬼の争いの構図。その雛型が出来た時代だ。
鬼においては始祖の絶頂期。そして人にとっては、
そして、ここでふと疑問に気付く。
鬼の始祖は千年を生きるというのに、鬼殺の剣士の
実際には鬼殺の、鬼狩りの――鬼
それでも、
(
槇寿郎との打ち合いの最中、黒死牟は幾十年かぶりに
鬼殺の剣士の黎明期にして全盛期。
あの時代の剣士達に比べれば、その後継達の何と惰弱なことか。
『やあ、また打ち負けてしまった』
尻餅をついて地面に倒れた相手を、
額に汗の玉を浮かばせた、燃えるような髪色の男だった。
目には人を引き付けるものがあり、一度見たら忘れない眼力があった。
『流石ですな、巌勝殿』
そう。そうだった。この男は当時の炎の柱だった。
懐かしい。そんな思いが胸中に去来する。
(私は…炎の柱とも…剣技を…高め合った…)
思い起こせば、
強かった。意思もさることながら、その剣も自分に匹敵する程の腕前だった。
だからだろう。槇寿郎の剣の1つ1つから懐かしさを感じるのは。
その事実に、黒死牟は率直に感嘆の念を覚えた。
鬼は永遠だ。だから、自分の剣技が当時のまま保管されているのは当然と言える。
しかし、人間にとっての四百年はどうか。
同じものを1年保つだけでも容易ではない。
しかも短命な鬼殺の剣士がそれを繋ごうと思えば、そこには想像を絶する困難があったはずだ。
(
四百年前の剣士の気配に、黒死牟は確かに感嘆した。
「そして、残念だ…」
しかしそれは、大いなる落胆と表裏であった。
ホオオオ、と、黒死牟の口元から独特の
その音を耳にした槇寿郎は、全身を一気に緊張させた。
(これは。いや、これが……!)
――――月の呼吸・参ノ型『
傍目には、それはただ刀を横薙ぎに振るっただけに見えた。
しかしこれまでほとんど傷を受けなかった槇寿郎が、その一撃を受け止めた瞬間、全身に裂傷が走ったのだ。
「技は繋げても…強さまでは…繋げなかったようだ…」
技の衝撃で後退し、膝をついた槇寿郎に、黒死牟は冷然と言い放った。
「お前は…
しかしそれも、栓無きこと。
姿形が似ていようとも、本人ではない。別人だ。
所詮、
金輪際、そんな人間が生まれ落ちるはずも無い。
そんなことはあり得ないのだと、この時、黒死牟は再確認した。
◆ ◆ ◆
お前は先祖に遠く及ばない。
そう言われた時、不思議と怒りも悔しさも湧いてこなかった。
何故ならばそれは、誰よりも槇寿郎自身が思っていたことだからだ。
「ほう…致命傷は
言葉ほどには、感心した様子は無い。
それはそうだろうと、槇寿郎は思う。
何故なら黒死牟という鬼は、自分を先祖と――始まりの呼吸の剣士の1人と比べているのだから。
そして、黒死牟自身が
煉獄家に伝わる手記の中に、始まりの呼吸の剣士達のことが書かれていた。
黒死牟のことも、書かれていた。正確には、人間だった時の彼のことだ。
人間の時の名は、
始まりの呼吸の剣士の中でも屈指の実力者であり、当時の鬼殺隊で
「確かに、私の剣など……貴方がたに比べれば、児戯に等しいものでしょう」
子供達には――杏寿郎はそもそも興味が無かったようだが――その部分は見せていない。
必要が無いと思ったからだ。
何故か。答えはすでに述べた。
「四百年の研鑽を経た貴方から見れば、私が重ねた鍛錬など、何もしていないも同然」
かつては、それが辛かった。
いくら努力しても、先祖に遠く及ばない自分に気付くばかりだった。
そして自分よりも優れた先祖が、鬼の始祖を討つことはおろか、下級の鬼から人々を守り切ることすら困難だという現実。
四百年繋いできた剣技。しかし、だから何だと自暴自棄になったこともある。
『わたしは』
『わたしは、ととさまみたいになりたかったのに……!』
「それでも私は、巌勝殿。貴方を討つ」
「できぬことを…言うものだ…」
「できるできないではない。やるのだ。何故ならそれが、約束だからだ」
「誰との約束か知らぬが…」
「
槇寿郎は、子供達にはそれを教えていない。
何度でも繰り返そう。必要が無いからだ。
黒死牟――継国巌勝のことも。一族の約束のことも、子供達に教える必要は無い。
自分の後に、繋げる必要は無い。
「不肖、煉獄槇寿郎。先祖に代わって、お相手いたす……!」
何故ならば、今日、ここで。自分が果たしてしまうからだ。
◆ ◆ ◆
――――炎の呼吸・壱ノ型『不知火』。
一足で、間合いを詰めた。
まさに目にも止まらぬ速度での突進だったが、受ける黒死牟の反応速度も尋常では無かった。
頚を狙った擦れ違い様の斬撃を、最小の動作で迎撃して見せた。
刀が打ち合い、槇寿郎はそのまま黒死牟の背後へと着地する。
そして今度は、黒死牟が追撃する形になった。
「遅い…」
――――月の呼吸・壱ノ型『
体を回転させて、抜刀術のように刀を横薙ぎに振るう。
攻撃は一閃。しかしそれに対して、槇寿郎は日輪刀を複数回振るった。
そしてその全てで――
「ほう…」
当然、黒死牟は正面から受け止める。わざわざ避けるような真似はしない。
甲高い音が響き、衝撃が互いの腕を痺れさせる。
鍔迫り合いになった。動きが止まる。
「……ッ!」
どちらかが押し切るまでは、次の攻撃は無い。
そう思ったが、しかし黒死牟の目はそう言っていなかった。
その視線に肌が粟立ち、槇寿郎は咄嗟に押し合いを放棄して後退した。
(いかん!)
――――月の呼吸・伍ノ型『
刀を振るうことなく、無数の斬撃が繰り出された。
しかし、それ自体は実は問題では無い。
(何という、恐るべき技か!)
黒死牟の放つ斬撃には、その他に無数の細かい斬撃が付属している。
だから振りの回数に対して、余分に多くの防御や回避を行う必要がある。
今のように振り無しで無数の斬撃を放たれるとなると、もはや合計の攻撃数さえわからない。
だから、大きく後退して回避に専念するしかない。しかし。
――――月の呼吸・陸ノ型『
――――炎の呼吸・肆ノ型『盛炎のうねり』。
後退して回避したところで、黒死牟は追撃してくる。しかも間合いが異常に長い。
咄嗟に型を放ち、最も危険な軌道の斬撃を逸らすので精一杯だった。
「ぐ……」
何とか踏み止まるも、ボタボタと足元に落ちる血の量は隠しようもない。
先祖の約束云々と威勢の良いことを言ってみたものの、実力の差は歴然。
(いや、煉獄槇寿郎。実力の差は最初からわかっていたことだろう)
ふう、と呼吸を整えながら、槇寿郎は自分に言い聞かせた。
相手は最強の剣士にして最強の鬼。一筋縄でいかないのは織り込み済み。
それがわかっているから、槇寿郎は逆に冷静でいられた。
だから日輪刀を強く握り、黒死牟と正面から向き合うことが出来た。
◆ ◆ ◆
「ふむ…どうやら…心を折ることは難しいようだ…」
肌を刺すような槇寿郎の闘志に、黒死牟はそう結論付けた。
純粋な実力では黒死牟に及ばない。
それを理解してなお闘志を向けて来るのであれば、戦意を削ぐ形での決着はあり得ない。
「このまま…続けても良いが…」
血を流すだけでも、槇寿郎は弱って行く。
しかし黒死牟は、そういう相手を嬲るやり方は好まない。
まして剣士同士の戦い。相手の消耗狙いというのは、いかにも
ミシ、と、己の肉で作った刀を握り締める。
するとまさしく肉が蠢くようにして、その刀身が倍近く
さらに途中で三又に枝分かれし、枝とも言うべき刀身が生えた。
とても人間には振れない。そんな異形の刀が出来上がった。
「せめて我が剣で首を刎ねるのが…礼儀というもの…」
「……ッ!」
――――月の呼吸・漆ノ型『
巨大な獣が地面を爪で引き裂くかのような、そんな斬撃だった。
幾閃も放たれたその斬撃には、当然、あの細かな不定形の刃が付属している。
目に見える攻撃だけが脅威ではない。縦横大小の斬撃を同時に捌かなければ即死だ。
――――月の呼吸・捌ノ型『
何よりも、射程が倍以上に伸びている。
広範囲を薙ぎ払う横の斬撃を、槇寿郎は地を這うようにしてかわした。
その背中を、無数の小さな斬撃が掠めていく。
(反撃の隙が無い……!)
――――月の呼吸・玖ノ型『降り月・
小さな斬撃に斬られたその背中に、本命の斬撃が飛んでくる。
頭上から降り注ぐ斬撃から逃れるために、
攻撃ではなく避けるために型を使う。つまり防戦一方ということだ。
(何とか、攻撃に転じねば……!)
守ってばかりでは、体力に劣る人間は勝てない。
攻撃は最大の防御。
着地と同時に、再び
そしてそのまま、日輪刀を振り上げて
その瞬間だった。黒死牟の六つ眼がじろりと槇寿郎を睨んだ。
「ふむ…強引にでも攻める他あるまい…だが…」
――――月の呼吸・拾陸ノ型『
先程よりも激しく、雨の如く降り注ぐ斬撃に技の出がかりを潰される。
そして攻撃に意識を割いていた分、今度は防御が薄い。受け切れなかった。
己の肉を斬られる感覚に、槇寿郎の身体がぐらりと傾いた。
◆ ◆ ◆
直撃した。手応えとしてそう感じた。
あえて次々に型を見せたのは、初見の技で、かつ圧倒的物量で押し潰すためだ。
いかに柱と言えど、あれだけの連撃を捌き切ることは不可能。
とは言え。
「1人を討つに際して…これ程の数の技を放ったのは久方ぶりだ…」
事実だった。
大抵の敵は、技を放つ前に死ぬ。
型を使うとしても、1つで事足りることがほとんどだ。
だからこうして立て続けに技を放つというのは、まさしく「久方ぶり」なのだった。
「力及ばずも…向かって来た気概は見事…」
実力は記憶の中の先祖には、遠く及ばない。
しかし当代の剣士の中では、間違いなく最強であろう。
そんな剣士と遭遇し戦えたことは、一定の満足感を黒死牟に与えた。
そして彼の目の前には、槇寿郎が
立っていたと言っても、顔を伏し、刀を下げている。
構えてはいない。足元には血の水溜まりが出来ていた。
いわゆる立ち往生というもので、死してなお、という気概は、黒死牟も認めざるを得なかった。
「さて…死体に鞭打つようだが…作法に則り頚を刎ねるのがせめてもの…」
情けか、と言おうとした時だ。
黒死牟は、自分の足が前に進もうとしないことに気付いた。
(何だ…)
そして黒死牟は、この手の肉体的直感が生死を分かつことを経験で知っていた。
だから、決して無視はしなかった。
しかし解せなかった。黒死牟の手には、肉を斬り骨にまで刃が達した手応えが残っている。
常人であれば、動くことなど出来はしない。
それでもなお、己の肉体は何かを警戒している。
この状況でそれは、目の前の槇寿郎以外にはない。
しかし、槇寿郎はもはや死に体。
そんなものに、何の脅威を感じるのか。
「む……」
その時、槇寿郎の頭が僅かに動いた。
脱力してよろめいたわけではなく、自発的に動かしたのだ。
とはいえ、だ。黒死牟は槇寿郎の全身を眺めるように目を細めた。
槇寿郎は、まさしく満身創痍。
先程の黒死牟の一撃は、やはり致命傷を与えている。
呼吸か精神力か。いずれにせよ、生きているだけで奇跡。
動くことはおろか、戦える状態では無い。
「立ったところで…」
だが槇寿郎の目を見た時、黒死牟の動きは止まった。
剣気でも殺気でもない。元より、そんなものに黒死牟は怯まない。
怯みではなく、もっと、胸中深くから感じる何かによって、黒死牟は止まったのだった。
(あの目…)
槇寿郎の目は、静かだった。いかなる激しさも無い。
穏やかであり、哀しみがあるようにも見える。ただ、目を離すことが出来ない。
そんな目に、黒死牟は見覚えがあった。
過去にも、同じような目で見つめられたことがあった気がする。
あれはいったい、いつのことだったろうか――――……。
◆ ◆ ◆
鬼になった者の多くは、
というのは、鬼というのは、まず鬼舞辻無惨の
たまたま視界に入ったとか、言動が気に入ったとか、そんな理由だ。
上弦の鬼でさえそうだ。たまたま無惨に出会い、たまたま鬼にして貰えたに過ぎない。
『それならば、鬼になれば良いではないか』
黒死牟は――継国巌勝の場合は、違う。
無惨の側から勧誘に来て、それを受け入れる形だった。
人を鬼に変貌させる無惨の血を、押し付けられるのではなく、進んで拝領したのだ。
『鬼となれば無限の刻を生きられる。永遠に鍛錬を続けられる』
永遠の鍛錬。
それこそ、人間・継国巌勝が求めたものだった。
永遠の命が欲しかったわけではない。時間が欲しかった。
生まれた時から目の前に立ちはだかっていた、大きな壁を越えるための時間が。
双子の弟・継国縁壱を越えるための時間が。
始まりの剣士
最初の剣士は1人だけだ。継国縁壱だけが始まりにして最強の剣士だ。
それ以外の剣士はすべて、猿真似に過ぎない。剣も、呼吸でさえもだ。
『お
鬼になった双子の兄を、弟は憐れんだ。
剣士達に呼吸を教え、剣を教え、数多の鬼を斬った弟。
それを越えんと人であることさえ捨てて、醜い姿となって同輩を裏切った兄を、憐れだと言った。
しかし、構わなかった。ただ1つの望みさえ叶うのであれば、と。
だが、勝てなかった。
自分に対して憐れみの言葉をかけた時、弟はすでに老齢に達していた。
にも関わらず、勝てなかった。いや勝負にさえならなかった。
一刀。ただの一合で、敗北した。頚を斬られかけた。
死ななかったのは、運が良かったに過ぎない――――否。
(……何故、今になって思い出すのだ)
それは、目の前に立つ槇寿郎の静かな目が、黒死牟に思い出させたからだ。
遠い過去の約束を果たしに来たという、かつての同輩の子孫が、弟と同じ目をしていたからだ。
そして自分の内からこみ上げてくる動揺に、黒死牟は動揺した。
自分が動揺していること自体に、動揺した。
「……!」
そして、その動揺の最中に。
槇寿郎が、動いた。
◆ ◆ ◆
先祖から、子孫へ。
言葉にすると簡単だが、実際にしようとすると、これ程の困難は無い。
9つある炎の呼吸の型でさえ、繋いでいくのは簡単では無かった。
どうしたって微妙な変化を伴う。派生の呼吸など最たるものだろう。
だが、煉獄家の炎の呼吸は変わらなかった。
そしてもう1つ、先祖が子孫に託した「約束」も変わらなかった。
そのまま、受け継いできた。
何故なら、煉獄家の子孫すべてが、先祖と気持ちを同じにしていたからだ。
(何故かは、わからないが……)
黒死牟が彼方へと思いを馳せたと見た時、槇寿郎は動いた。
深い傷を負い、多くの血を流していたが、それでも、何故だろう。
今が、最も素早く動けた気がする。
感覚は研ぎ澄まされ、視界の流れがゆっくりに見えた。
血を失い、寒気すら感じる。しかし心臓はこれ以上なく
(動く……!)
黒死牟が、急速に近付いてくる。
いや正確には槇寿郎が近付いている。黒死牟はまだ動かない。
今までにないチャンスだった。
このまま日輪刀を振るえば、あるいは頚に届くかもしれない。
「……ッ。巌勝殿――――ッ!!」
だが、槇寿郎は刀を振るわなかった。
勝機を捨てて、槇寿郎が選択したのは。
「
先祖から預かった、継国巌勝への
彼は刀ではなく、拳を握り、振り上げて。
「――――
黒死牟の顔面を、思い切り、殴ったのだった。
「……ッ!?」
当然、ダメージらしいダメージなど無い。
突撃の勢いで殴り抜いたため、多少たたらを踏みはした。
正直に言えば、虚を突かれた。
しかしそれだけだ。何の意味もない。
「貴様…」
それだけのことなのに、黒死牟はかわすことが出来なかった。
殴られたその一瞬、再び記憶を刺激されたからか。
それが、実力も何もかも及ばないこの男を、自分に届かせたのか。
「これで、
そう言って、槇寿郎はようやく刀を振り上げた。
大きく身体を捻り、刀を振り上げ、傾かせた顔から相手を睨み据える。
闘気と覇気が、ビリビリと黒死牟の肌を震わせた。
「その構えは…」
――――炎の呼吸・玖ノ型『煉獄』。
◆ ◆ ◆
先程は虚を突かれたものの、元に戻るというのならその限りではない。
日輪刀を構えた槇寿郎を見て、黒死牟は一気に落ち着いていた。
剣士としての戦いにおいては、黒死牟に一日の長がある。
「これが約束か…なるほど…」
懐かしい記憶の中、同胞が鬼になったらどうするかを話し合ったこともあった。
だが、しかし。やはり甘い。あの時、自分は。
「鬼になったら同胞がいれば頚を刎ねようと、そう言ったはずだがな…」
「わからないだろう。お前には」
ふと、疑問を覚えた。
槇寿郎の口ぶりが、先程までとは違うように感じられたからだ。
当然だ、と、槇寿郎は言った。
「これまでは、煉獄家当主としての戦い。そして、ここからは」
ぐ、と紅い日輪刀を振り被りながら、槇寿郎は言った。
「ここからは、1人の剣士として――――お前を討つ」
「先程も言った…二度も言わせぬことだ…」
黒死牟もまた、刀を構えた。
無数の目玉が浮き上がる異形の刀。その目玉のすべてが、槇寿郎を向いていた。
「できぬことを…言うものではない…」
言いつつも、一方で黒死牟は気付いてもいた。
気付いていたというより、戦い始めてからずっと感じていた。
槇寿郎が、本気で自分の頚をとりに来ていることに。
ここまでにしよう、と黒死牟は思った。
過去への郷愁で手心を加えてしまった形だが、それも、先程の殴打で吹き飛んだ。
だから、
遠い、遥かな遠く。人間だった頃の僅かな記憶。
目の前のこの男を、槇寿郎を殺して、訣別の証としよう。
(おそらく、次の一撃が本命だろうな)
その気配を、槇寿郎もまた敏感に感じ取っていた。
黒死牟から立ち昇る鬼気の質が変わり、明確な殺意となってこちらに向いているのを感じる。
これほどの距離がありながら、首筋に冷たい刃の感触をすでに感じている。
それはまさしく、黒死牟が槇寿郎に与える死のイメージだった。
「
その死のイメージを、槇寿郎は恐れなかった。
何故ならば、彼はすでに
『父上!』
炎柱も。
『父上』
炎の呼吸も。
『父様!』
――――煉獄家も!
すべてを!
すべてを、託して来た!
だから今日、ここで、煉獄槇寿郎はそのすべてを燃やし尽くすことが出来る!
この幸福が、鬼となった者にはわかるまい!
「炎の呼吸――――奥義っ!!」
巨大な炎の塊が、黒死牟に向けて突進した。
黒死牟は両手で刀を握り、それを迎え撃った。
そして熱風が黒死牟の髪を揺らした、次の瞬間。
爆発が、2人の剣士を包み込んだのだった。
最後までお読みいただき有難うございます。
というわけで、上弦の壱と煉獄パパの戦いでした。
思うにこれ以上の好カードはないと思います。
戦国時代からの因縁。片や本人、片や子孫。
これは燃える(炎だけに)。
それでは、また次回。