鬼滅の刃―鬼眼の少女―   作:竜華零

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第46話:「煉獄槇寿郎」

 炎の呼吸・玖ノ型『煉獄』。

 足に溜めた力を爆発させて突進し、身体のバネを利用して日輪刀を振り下ろす。

 まさに、相対する者を一撃で葬る剛剣だ。

 

「見事…まさに龍が炎を吐きながら迫ってくるようだ…」

 

 しかしそれは、あくまで人の剛剣に過ぎない。

 一瞬、黒死牟の二の腕が膨張したように見えた。

 猛然と迫る槇寿郎とは対照的な、緩慢にさえ見える動きで黒死牟は迎撃した。

 まるで吸い寄せられるように、両者の刀が衝突した。

 

 不思議なことに、衝突の音は聞こえなかった。

 しかしそれは音が無かったのではなく、直後に周囲に拡散した攻撃の()()が、聞こえるはずの音を掻き消してしまったのである。

 その証拠に、砕けた2人の足元が、どれほど凄まじい衝突かを物語っている。

 

(押し込めん……!)

 

 槇寿郎の全霊の一撃が、鬼の膂力によって押さえ込まれた形だった。

 

「悲しいな…人は結局鬼には勝てぬ…」

 

 これは、余りにもわかりやすい対比だった。

 人間として、槇寿郎はまさに超人の域にいると言って良い。

 しかし、鬼は生まれながらにその上を行く。

 ()()()な身体能力において、人は鬼には勝てない。

 

 とはいえ、槇寿郎は良くやった方だろう。

 黒死牟の所感としても、自分以外の上弦であれば、あるいは討てたかもしれないと思う。

 しかし一言で言えば、「相手が悪かった」。

 相手を間違えたがために、槇寿郎は敗死するのだ。

 

「終わりだ…」

 

 ――――月の呼吸・伍ノ型。

 綱ぜり合いを演じている槇寿郎は、その一撃をかわせない。 

 

「何…?」

 

 はず、だった。

 しかし黒死牟の技は発動しなかった。

 違和感があった。いや、技が発動しなかったことに対してではない。

 

「お、おお……!」

 

 ()()()()()()

 槇寿郎が、黒死牟を押し込んでいるのだった。

 全力で大地を踏み、前進のみを考えて、鬼気迫る表情で、体全体で押している。

 両腕にかかる負担が増してくる。黒死牟はそこに槇寿郎の強い意思を感じ取った。

 

「おおおおおお……!」

 

 まさか、と黒死牟は思った。

 まさかとは思うが、この男。

 ()()()()()()()()()

 

「おおおおおおおおおあああああああああああっっ!!」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

  ◆  ◆  ◆

 

 槇寿郎の目には、黒死牟の頚しか見えていなかった。

 今の槇寿郎は、()()()を投げ打っている。

 そのすべてには、己の命すらも含まれている。

 まさしく、全身全霊。

 

「オオアアアアアアアアアッッ!!」

 

 ギシリ、と、軋んだのは日輪刀か腕の骨か。

 こめかみに浮き出た血管は、今にも破裂しそうに見えた。

 しかし全身全霊の前進は、僅かだが黒死牟を押していった。

 

「ぬう…」

 

 それでも黒死牟は、その行為が無意味であることを知っていた。

 何故ならば、彼は全力では無かったからだ。

 手を抜いていたとかではない。

 単純に、筋力に割ける力の量が人間とは段違いだということだ。

 

 黒死牟の肩から手首にかけて、筋肉が盛り上がり、波打った。

 すると即座に槇寿郎を押し返し、逆に押し込んだ。

 己の刀の柄が眼前まで押されるのを見て、槇寿郎は奥歯を噛んだ。

 

「無駄だ…力で鬼を押し切ることはできぬ…」

 

 実のところ、黒死牟にはもっと楽に勝利する道があった。

 後ろに下がることだ。

 槇寿郎は前進に全力を傾注している。

 だからほんの少し下がって()()()、体勢を崩したところを両断すれば良い。

 

(しかし、無粋…)

 

 ()()()()()()()()()()()

 槇寿郎ほどの、それも後輩ともいうべき剣士の、おそらくは命を賭した攻撃。

 それを下がっていなすなど、黒死牟には出来なかった。

 否、そんな選択をする必要などもとより無い。

 

「む…まだ…」

 

 押し込んだ両腕に、抵抗の気配を感じた。

 言うまでもなく槇寿郎だ。雄叫びを上げ、押し返そうとしている。

 しかし微動だにしない。当然だ。

 叫んだところで力は増さない。むしろ持ち堪えている方が奇跡だ。

 だが、それもどうやら限界のようだった。

 

「諦めることだ…お前ほどの剣士に…見苦しい最期は相応しくあるまい…」

 

 最後の一押しにつもりで、黒死牟はさらに力を込めて押し込んだ。

 槇寿郎は、耐え切れない。

 膝が折れ、身体が後ろに倒れそうになる。

 それでも堪えようとしていたが、一度破れた拮抗は、二度とは元に戻らない。

 

「さらばだ…」

 

 この時、黒死牟の目にも槇寿郎の頚だけが見えていた。

 目の前の首を刎ね飛ばす。そこへ意識が向かった。

 だから、黒死牟はほんの僅か、気付くことが遅れてしまった。

 ジリジリと、何かが()()()。その音に。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 断言しておくが、狙ったわけではない。

 ()()()()だ。

 槇寿郎が黒死牟の刀の特性を理解していたわけではない。

 

(私の刀は…()()肉から作られた刀…)

 

 そう、黒死牟の刀は、刀に見えるが刀ではない。

 鬼の血肉で形成された()()なのだ。手足あるいは内臓と同じなのだ。

 だから、日輪刀に触れれば――――()()()

 

 槇寿郎の使う日輪刀は、煉獄家特注の最高純度を誇る鉄で打たれている。

 太陽光をふんだんに浴び、その内側に蓄えた鉄。

 黒死牟が人間として生きた時代、戦国時代でさえ、これ程の純度と技術で打たれた刀は無かった。

 

(この刀は、斬れぬ…!)

 

 これは、黒死牟にとっても想定外だった。無理もない。

 何故なら彼は鬼狩りの剣士と鍔迫り合いを演じた経験が――鬼になってからは――無いからだ。

 圧倒的に強すぎたがための、経験不足。

 槇寿郎の日輪刀が、黒死牟の刀に()()()()()いた。

 

「オオオオオオオオッッ!!」

 

 繰り返すが、槇寿郎は狙ってやったわけではない。

 黒死牟の刀の特性など、考えていたわけではない。

 もっと言えば、自分の攻撃が通じる通じないということも、考えていなかった。

 

 ただ、諦めなかった。

 前に進むこと。目の前の頚を斬り落とすことだけを考えていた。

 たとえ見苦しく見えようが、潔くなかろうが、それだけを考えていた。

 煉獄槇寿郎という男には、結局それしかなかった。愚直に前に進むことしか。

 

「オオオオオオオオッッ!!」

「……!」

 

 刃の半ばまで槇寿郎が押し込んだあたりで、黒死牟はこの後に訪れるだろう結果を悟った。

 本能が告げる。下がれ、と。

 たった一歩を下がるだけで形勢は逆転する。

 いなし、つんのめった槇寿郎の上から、改めて刀を振り下ろせば良い。

 それで勝利だ。しかし、黒死牟はそんな本能の囁きを振り払った。

 

(それは、出来ぬ…!)

 

 そんな勝利(敗北)に、何の意味があろうか。

 黒死牟がそう考えた、次の瞬間。

 彼の腕に、刀が――いや、肉が砕ける音が響いた。

 視界の中で回転し、何処かへと飛んでいったのは、折れた刃先だった。

 

「馬鹿な…!」

 

 信じられない光景に、黒死牟は呻くように言った。

 

「……ッ。覚悟――――ッ!」

 

 その黒死牟の目の前に、『煉獄』が迫っていた。

 瞬間の判断で、黒死牟は察していた。

 己の肉体に触れたその刃が、己が命を奪うに十分な威力を持っていることに。

 肉が灼かれる感覚に、黒死牟は目を見開いた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 我が弟、継国縁壱。

 この世で唯一、自分の頚を斬りかけた――斬られ損ねたと言うのが正しいが――男。

 最強の剣士。最初の呼吸使い。誰も彼と同じようには出来なかった。

 

『後継をどうするつもりだ?』

 

 ある日、弟に聞いたことがある。

 最強であるが故に、弟の呼吸――「日の呼吸」の継承者がいないと指摘した時のことだ。

 後継者の不在は自分の「月の呼吸」についても同じだったが、正直、重要視はしていなかった。

 所詮、日の呼吸の()()に過ぎない。真似事だ。

 

『兄上、何も案ずることはない』

 

 しかし縁壱は、そんな()()にまるで拘泥していなかった。

 自分が特別な存在ではないと言い、後に続く子供たちが自分達をいつか超えていくと言った。

 そんなはずが無いと、その時の自分は思った。

 それを慢心だと言わせるつもりは無い。

 

 事実、以来四百年に渡って自分は最強だった。

 上弦の壱の座を譲ったことは一度も無く、縁壱以外の鬼狩りに後れを取ったことなど無かった。

 自分達を超える「子供たち」など、どこにもいない。

 そう思っていた。思い込んでいた。

 

「オオオオオアアアアアアアッ!!」

 

 しかし今、その「子供たち」が目の前にいた。

 自分の頚に刃を突き立て、斬らんとしている。

 

「ヌウアアアアアアアアアアッ!!」

 

 頚を、肉を灼かれる感覚に、咆哮にも似た声を上げた。

 そんな声を上げるのは、何百年、いや初めてのことでは無かったか。

 

(そうか…そうだった…この男は…あの、男は…)

 

 忘れていた。いや、気にしていなかった。

 だがここに来てようやく、黒死牟は気付いた。

 炎の呼吸が、日の呼吸に続く()()()()であることを。

 

 後で知った話だが、縁壱が鬼狩りに加わったのは妻子を鬼に殺されたからだという。

 その話自体に意味はない。良くある話で、特別なことは何もない。

 肝心なのは、その時に縁壱の前に現れた鬼狩りが、煉獄の――槇寿郎の先祖だったことだ。

 そう、彼こそが縁壱の()()()()()だった。

 炎の呼吸は、この世に生まれた()()()()()だった。

 

「アアアアアアアアアァッッ!!」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 太陽に最も近い刃が、皮を破り肉を裂き、喉を裂いて骨を砕き、通り過ぎた。

 頚から下の感覚が消えた。

 馬鹿な、と、黒死牟はそれだけを思い続けていた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 信じられぬことが起きた。

 胴から離れた頚の視点で、黒死牟はそう思った。

 しかし、現実は受け入れざるを得ない。

 

(頚を、斬られた…)

 

 認めざるを得ない。

 槇寿郎のまさに渾身の一撃によって、黒死牟は頚を斬られたのだ。

 頭が地面に落ち、そのまま灰になって消える。

 しかし、意識は続いていた。

 

 敗北。

 

 その二文字が、胸中を駆け抜けた。

 数百年ぶりに感じる、苦々しい負けの味。

 あの縁壱以外に味わわされたことのない、屈辱。

 ――――()()()()()

 

「ぐあっ」

 

 頚を斬った勢いそのままに、槇寿郎は地面を転がった。

 受け身のことを一切考えていなかったからで、ごろごろと無様に転がる形になった。

 本音を言えば、そのまま倒れていたかった。肉体が、悲鳴を上げていたからだ。

 しかし背後から感じた禍々しい気配に、痛めた身体に鞭打って起き上がった。

 

「はあ、はあ」

 

 呼吸が乱れていた。身体が酷く重い。

 それでも、槇寿郎は刀を握る手にだけは、力を込め続けていた。

 

「敗れぬ…」

 

 ()()()()()()()()()()が、聞こえた。

 それは確かに黒死牟の口から放たれたもので、頚を刎ねられ、頭が灰となって消えた後で、余りにも不自然だった。

 しかし、答えは至って単純なものだった。

 

「縁壱以外に、決して敗れるわけにはいかぬ…!」

 

 黒死牟が、()()()()()()()()()

 今は鼻の下から顎までしかないが、メキメキと音を立てて上半分も再生しようとしている。

 それだけではない。

 まるで肉体の構造そのものが変化しているかのように、肩や背中の肉が蠢いていた。

 

 何かに、変わろうとしている。

 槇寿郎には、それが肌で感じられた。

 頚の切断で死なない。日輪刀で殺せない。

 鬼狩りの剣士にとって、それは絶望と同義だ。

 

「何という……何という、執念(本心)か」

 

 それは、死ぬべき時を誤った者の、生への執着そのものだった。

 だが、それは決して死への恐怖を意味しない。

 間違った人間に殺されるわけにはいかない。ただ、その一心だった。

 そしてその一心を垣間見てなお、槇寿郎は再び刀を構えた。

 足を開き、身体を捻る。奥義『煉獄』の構えを。

 

「お付き合いしよう。何度でも……!」

 

 人の、侍の姿を捨ててまで生きようとする相手に、槇寿郎は突撃した。

 もはや策も何もない。ただ、最大火力で灼き続けるだけだ。

 命が尽きるまで、何度でもだ。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 もはや、戦術など無かった。

 異形の姿と化した黒死牟に対して、槇寿郎はただ刀を振り続けた。

 玖ノ型『煉獄』を、ひたすらに繰り出し続けた。

 

「ぬゥアアアアアアアアッ!!」

「オォアアアアアアアアッ!!」

 

 奥義以外の攻撃は、もはや通用しない。

 最大火力の『煉獄』だけが、黒死牟の防御を砕くことが出来る。

 しかしそれは、同時に自分の防御を捨てるという意味でもあった。

 

 黒死牟の全身から、刃が飛び出していた。

 手足はもちろん胴や背中からも飛び出した無数の刀。

 その一本一本が攻撃を放ち、全方向に凶悪な攻撃を繰り出して来る。

 避ける(すべ)など、あるはずが無かった。

 

「ぐお……っ」

 

 それらの攻撃は全て、槇寿郎の動きの悉くを潰すように放たれていた。

 技の出がかり、踏み込みの瞬間。今一歩のところで身体を刻まれる。

 槇寿郎よりも、黒死牟の方が有効打を放つのが速く、かつ正確なのだ。

 

(そうか、()()がそうなのか……!)

 

 どうしてそうなるのか、槇寿郎は知っていた。

 槇寿郎には見抜けぬ隙を見抜き、尋常なる先読みで場を制する。

 先祖の手記で読んだ。

 まるで全てが止まって見えるかのような、()()()()()のことを。

 

 槇寿郎は、そこには行けない。辿り着けなかった。

 始まりの呼吸の剣士達の領域に、槇寿郎はついに到達することが出来なかった。

 才覚が及ばない。ただそれだけのことで。

 まったくもって、世界とは理不尽なものだった。

 

(それでも……)

 

 『煉獄』。

 左肩を深く斬られた。筋肉の筋が断たれ、力がなくなった。

 

(それでも……!)

 

 『煉獄』。

 使い物にならなくなった左腕を身代わりにした。

 視界の端で、左腕がぼとりと地面に落ちた。

 

(それでも、俺は)

 

 『煉獄』。

 片腕を盾としたことで、僅かな空隙が出来た。

 その空隙に、躊躇なく身を投げた。

 

 すなわち、攻撃が最も濃密な場所に入り込んだ。

 頸動脈の真横が斬られ血が噴き出し、肩甲骨から腰あたりまで大きな裂傷が走り、左足が膝から縦に斬り裂かれ、右目を失った。

 そして、『煉獄』。

 

「俺は、炎柱……煉獄槇寿郎、だ……ッ!」

 

 片腕片足。一手一足。最後の踏み込み。最後の斬り込み。

 槇寿郎は、不意に思った。

 この「最後」のために、煉獄家は――自分達は、才及ばずとも、何度も挫けながらも、()()()を晒し続けて来たのではないか、と。

 そんなことを、思ったのだった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 前のめりに倒れ伏した槇寿郎を、黒死牟は見つめていた。

 槇寿郎の刃は幾度も黒死牟を斬り、頚でさえ刎ね飛ばしもした。

 しかし黒死牟は再生した。

 人間の槇寿郎は、再生できなかった。

 

「見事だ…」

 

 黒死牟の口からは、槇寿郎への賛辞が漏れていた。

 実際、見事な男だった。

 弟・縁壱以外に頚を斬られるなど、想像すらしていなかった。

 

 それが、ここまで追いつめられるとは。

 そして、何よりも重要なことは、今の自分の姿だった。

 槇寿郎に頚を取られて、それでも滅ぶまいと自らの限界を超えた。

 頚の切断による死を克服した。それは、もはや究極の生命体と言っても良いはずだった。

 

「それに比べて…」

 

 刀に映った自分の姿を見て、黒死牟は呻いた。

 

「何だ、この姿は…」

 

 死を克服した反動なのか、黒死牟の姿はまさに異形の化物と化していた。

 余りにも醜い姿で、とても剣士の姿とは思えなかった。

 勝利だ。それは間違いない。だが、何と虚しい勝利だろうか。

 はたして自分は、こんな姿になってまで勝ちたかったのだろうか。

 

 何百年も生き永らえてきたのは、いったい何のためだった?

 頚を斬られても負けを認めず、鬼の生命力に寄りかかって、それで勝利と言えるのか。

 素晴らしい好敵手を屠って、勝利の猛りを口に出来るのか。

 そうだとするなら、なぜ自分はこうも()()()を感じているのか。

 

「き……せ……」

 

 不意に、か細い声が聞こえた。

 槇寿郎だった。

 倒れ伏した槇寿郎が、おそらくは無意識なのだろう、何事かを呟いていた。

 死んでいてもおかしくない負傷だ。いや、というより、()()()()

 

「る……」

 

 黒死牟は、槇寿郎が何事かを呟くのを最後まで聞いていた。

 頭の片隅に、この男を鬼にするという選択肢があったが、口にはしなかった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「もう、良いか?」

 

 槇寿郎が何も喋らなくなったのを見計らって、黒死牟は掌から新しい刀を作り出した。

 そしてその刃先を、槇寿郎の首筋に当てた。

 

(嗚呼……)

 

 もはや刃の冷たさも感じられない。

 そんな中、槇寿郎の脳裏に浮かんだのは、我が家だった。

 任務から帰ると、まず聞こえてくるのは息子達の声だった。

 庭で鍛錬をしているのか、駆け回っているのか。元気な声だった。

 

 玄関を潜れば、料理の良い香りが鼻をくすぐる。

 声をかけながら厨を覗けば、そこには並んで調理をする妻と娘の背中がある。

 それが、槇寿郎のすべてだった。十分だった。これ以上、何も望むことは無かった。

 そしてこちらに気付いた妻と娘が振り向いたのを見て、槇寿郎はこう言うのだ。

 

(ただいま)

 

 ブツッ、と、何かが切れる音がした。

 すると、槇寿郎の視界は黒く染まり、何も感じなくなった。

 死に、抱きしめられた。

 それが恐ろしいことだとは、何故か思わなかった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 ()()()()()()()()()

 目が覚めた時、瑠衣はまずそれを思った。

 粗末なあばら()の天井に、戸惑った。

 

 夜なのだろうか。酷く暗かった。

 どこかで蝋燭の火が頼りなく揺れていて、それが天井に影を作っていた。

 自分はと言えば、朽ちかけた床に別の板を敷いて、その上に敷いた布団に寝かされているらしかった。

 

(私は、確か……本部で。そうだ、上弦と……)

 

 そこまで考えたところで、はっとした。

 そうだ。自分は、鬼殺隊の本部を急襲した上弦の鬼と戦っていたのだった。

 杏寿郎はどうなった。千寿郎はどこに行った。他の皆は無事なのか。

 様々な考えが頭の中を駆け巡った。余りにも一気に溢れたので、頭痛がした。

 

「やっと起きたのか」

 

 その時、戸が開く音がした。

 同時に、やけに不機嫌そうな声も聞こえて来た。

 瑠衣が顔を横に向けると、書生のような出で立ちの青年がそこにいた。

 

 年の頃は瑠衣と同じか、少し下と言ったところだろうか。

 黒髪の、不機嫌そうな表情を除けばごく普通の青年だった。

 ――――いや、違和感があった。

 瞬き1つしない青年の瞳の、その独特の瞳孔を見た。

 

「鬼……ッ。あ、う……!」

 

 青年が鬼と気付いて、反射的に身を起こした。

 体中に痛みが走り、顔が引き攣った。

 しかし、同時に床についた手を見て、()()()()()()()()()()()と思った。

 失ったはずの腕がそこにあるという事実に、瑠衣は息を呑んだ。

 

「あまり動くな、傷が開く。別にそれでお前が死のうがどうでも良いが、せっかく治療したのが無駄になるし、何より片付けが面倒くさい」

 

 治療という言葉で、初めて全身に巻かれた包帯に気付いた。

 真新しい包帯と薬品の匂い。

 その薬品の匂いを漂わせる手の甲に、鼻を寄せて来る動物がいた。

 

「……コロさん?」

「バウッ」

 

 毛並みに多少の乱れがあったが、元気に尻尾を振っていた。

 

「そいつに感謝するんだな。そいつが俺達を見つけなければお前は死んでた。俺はそれでも良かったんだ」

「愈史郎」

 

 俺()と言った言葉の通り、もう1人、姿を見せた。

 それは本当に美しい女性で、同性の瑠衣でさえ思わず見惚れてしまう程の美貌だった。

 大人しい色字に艶やかな柄の着物の女性が、形の良い眉を寄せて窘めるような表情を見せていた。

 

「そんな言い方をするものではありませんよ」

「はい! 珠世様!」

 

 愈史郎、と、珠世。女性――珠世も、やはり鬼だった。

 鬼が、なぜ自分を助けるのか。まして治療などするのか。

 何もかもがわからない。不明だ。異常の中にいることだけがわかった。

 

「気分はいかがですか」

 

 静かな声。性格のためか、あるいは気を遣っているのかはわからないが、不快では無かった。

 コロも、警戒している様子は無かった。

 

「ごめんなさい」

 

 瑠衣は何も答えなかったが、珠世は気にした風でもなく、そのまま会話を続けた。

 そういうことには慣れていると、そんな雰囲気だった。

 

「私達が救えたのは、貴女だけです」

 

 しかしその言葉には、肺腑(はいふ)を突かれた。

 その頃には意識もはっきりしていたから、言葉は理解できた。

 理解はできたが、呑み込むことは出来なかった。

 

「貴女たち鬼殺隊は……」

 

 それはまるで、医者が患者に不治の病を宣告する時に似ていた。

 意識が言葉に追いついて来ない。あるいは、頭が受け入れることを拒否している。

 しかし、理解できなくとも、拒否しても、宣告される病名が変わることはない。

 現実は変わらない。

 

「鬼殺隊は、滅亡しました」

 

 自分以外の剣士はもういないのだと、珠世(現実)がそう告げて来た。

 瑠衣は、目の前が暗くなったように感じた。

 蝋燭の火が、弱々しく揺れた。




最後までお読みいただきありがとうございます。

やべえ。バッドエンドになりそう(え)
どうして私は主人公を妹にしておきながら、いつもハードモードな人生を歩ませるのだろう(え)
性癖だろうか(おい)

それでは、また次回。
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