翌日になると、何が起こったのか明らかになって来た。
鎹鴉による定期連絡が途絶えた。
それに対して、鬼殺隊の協力者達は一切の楽観も躊躇もしなかった。
隠や刀鍛冶、そして藤の家紋の家。
彼らは鬼殺隊本部との連絡が途絶えた時のために、その時の手順は予め定めてあった。
なので、それぞれの退避自体は大きな混乱もなく実行された。
ただ、それは心理的な負担を減らすことを意味しなかった。
「まさか、こんなことになるなんて……」
特に、特別な設備と資源の供給を必要とする刀鍛冶の里は深刻だった。
安定的に炉に火を入れ、そして陽光を含む特別な鉄の補給がなければ、日輪刀は打てない。
前回の襲撃から移転したばかりで、それらはまだ十分では無かった。
そして、今回の再移転である。
「落ち着きぃ。それぞれの長の指示に従って別れて避難するんや」
だが、刀鍛冶達はまだ幸運だった。
何故なら彼らには、長という絶対の存在がいたからである。
危機の時、人は盲目的に従える誰かを求める。
「ちょっと、鋼鐵塚さん! 避難ですって……!」
「五月蠅エまだ刀が研げてないだろうが!」
「後にしてください……って力強いなオイ!」
最も、中にはそんな状況でも変わらない者もいるわけだが。
とは言え、全体の動揺は隠しようもない。
中には鬼殺隊本部で「何か」があったことを信じようとしない者もいる。
しかし一方で、形のない不安に背中を押される感覚を感じてもいた。
彼らは皆、自分達が夜の闇の中に放り出されてしまったことを、薄々気付いていたのだった。
「小鉄君、それも持って行くのかい?」
「はい! 壊れても絶対直すって約束しましたから!」
「そうか……手伝うよ」
「あ、ありがとうございます! 流石、子供に荷車を押させて放っておくわけないですよね、鉄穴森さんは!」
「小鉄君はこんな時でもブレないなあ」
複雑怪奇な絡繰人形――縁壱零式の残骸を積んだ荷車を引いて、小鉄は額の汗を拭っていた。
面の下のその目には、暗いものは無かった。
むしろ、負けん気とやる気に満ち溢れていた。
「こんなことで、俺は負けないぞ。何度やられたって、絶対に直して見せる……!」
自分や、自分達だけじゃない。
鬼殺の剣士達。炭治郎も、瑠衣も。
きっと、誰も諦めていないはずだから。
だから小鉄も、何も諦めなかった。
◆ ◆ ◆
珠世と愈史郎は、不思議な鬼だった。
瞳の瞳孔や口内の牙から、彼女達が鬼であることは疑う余地が無い。
しかし、それ以外の部分は人間とほとんど変わらなかった。
それは、珠世と愈史郎に
人間は、鬼の食糧だ。
ご馳走を前にした人間がそうであるように、人間を前にした鬼には相応の反応がある。
それは、どれほど高位の鬼であろうと同じだ。
だが瑠衣の目の前にいる鬼は、瑠衣を見ても何らの反応も示していなかった。
「鬼殺隊は、滅亡しました」
そう告げた
言うまでもないが、鬼狩りは鬼の天敵だ。
その鬼狩りの組織が滅びたことを、鬼が悲しむ理由は何もないはずだ。
「……どうして、私を助けたのですか?」
「おい! 珠世様のお話を無視するな!」
「愈史郎」
「すみません!」
珠世と愈史郎の関係も、今ひとつ読み切れなかった。
母子のようであり、姉弟のようであり、そのいずれとも違う気がする。
わかることがあるとすれば、愈史郎が珠世を絶対視していることくらいだ。
「この子は、私が鬼にしました」
瑠衣の視線をどう思ったのか、珠世がそう言った。
随分と軽く言っているが、その言葉は、かなりの衝撃を瑠衣に与えた。
愈史郎を、
(鬼を生み出せるのは、鬼舞辻無惨だけのはず)
鬼の始祖という呼称は伊達ではない。
そして鬼は鬼舞辻無惨にしか生み出せない。これはもはや常識だった。
しかしこの珠世は、人を鬼にすることが出来るという。
「と言っても、200年かかって愈史郎1人。あの男……鬼舞辻無惨には遠く及びません」
瑠衣は瞬間的にそう思った。
たとえ鬼舞辻無惨に及ばないとしても、人間を鬼に変える鬼は危険だ。
これ以上の
しかし結局、瑠衣はそれをしなかった。
理由は2つ、いや3つあった。まず瑠衣の身体が戦いに耐え得る状態ではないこと。
次に愈史郎から明確に殺意を向けられたこと。珠世への害意を気付かれたらしい。
そして最後の1つが、手にコロの尻尾が振れたことだった。
「バウッ」
もちろん、言葉はわからない。
しかしそのつぶらな瞳が――犬井が見れば白々しく感じただろう――瑠衣に、何かを訴えてきていた。
だから瑠衣は、珠世への攻撃を思い留まった。
「……話の続きを」
そんな瑠衣に、珠世は微笑んで見せた。
その微笑は、どこか哀し気だった。
◆ ◆ ◆
珠世は、随分と長く生きている鬼のようだった。
無惨の追跡を逃れつつ、医者として人々と関わって来たのだという。
もちろん鬼狩りに見つかれば殺されるので、
流れ流れて、数百年。愈史郎に出会った後も、同じ生活を続けた。
「それが変わったのは、炭治郎さんと出会ってからです」
「竈門君が……」
時期としては、炭治郎と禰豆子の裁判の少し前のことだった。
東京・浅草。炭治郎が無惨と最初に遭遇したその時に、偶然、珠世達が居合わせたのだ。
随分と出来過ぎた偶然だが、とにかく珠世はそこで初めて人間の、それも鬼狩りと協力関係を持ったのだという。
禰豆子の存在があったとは言え、珠世にとっては大きな決断だった。
「つまり竈門君との関係で、私を助けたと?」
「いえ、貴女を助けたのは……たまたまです。これでも医の世界に一席を持つ身。助けられる命を放っておくわけにはいかなかった」
「……なるほど」
微妙に、納得がいかない。
いや、珠世は嘘は言っていないだろう。それはわかる。
しかし、何かまだ言っていないことがある。そんな気がしてならなかった。
尤も、ああも人畜無害そうな顔をして、珠世のことを一切漏らさなかった炭治郎に対しても思うところはあるのだが。
炭治郎のことだから、嘘を吐いたというより、珠世への義理を通したと見るべきなのだろう。
鬼狩りになった当初は禰豆子のことも他の隊士に黙っていたので、言うべきではない、と思い定めたことに関しては口が固い。美徳ではあるのだろう。多分だが。
「そして私達が鬼殺隊本部の近くにいたのは、協力を求められたからです」
「協力というと?」
「鬼殺隊への協力です。数日前の夜半に、ある方から鴉の使いがあったのです。鬼殺隊の長、産屋敷耀哉殿から」
そしてその炭治郎の美徳が、この珠世という慎重な女を動かしたに違いないのだ。
まあ、単純に居場所を知られてしまって観念しただけなのかもしれないが。
産屋敷が珠世をどう使うつもりだったのかは、瑠衣にはわからない。
「ですがそれも、今となっては……」
そこまで語って、珠世は目を伏せた。
哀しそうな、沈痛そうな、そんな表情だ。鬼がそんな表情をするのを初めて目にした。
だが、無理もない。何もかもが潰えたと思っているからだ。
鬼殺隊は滅亡したと、そう
「…………ません」
「え?」
「鬼殺隊は」
そんな珠世に対して、瑠衣は言った。
「私達は、滅びてなどいません」
◆ ◆ ◆
こいつは気でも触れたのか、と愈史郎は思った。
危うく口にも出すところだったが、気配を察した珠世に睨まれたので止めた。
(流石は珠世様だ。怒った顔も美しいぞ……!)
正直なところ、鬼殺隊がどうなろうと愈史郎は知ったことでは無かった。
ただ、鬼殺隊を気にしている珠世を気にしているだけだ。
だから愈史郎の危惧としては、珠世がどこまで鬼殺隊に――瑠衣に関与するつもりなのか、というところだった。
珠世の優しさと
「確かに」
と、瑠衣が言葉を続けていた。
「我々は本拠地を失ったのかもしれません。剣士も、多くが倒れたのかもしれません」
上弦に本拠地を攻撃されて、無事で済むわけがない。
本部にいた剣士のほとんどは、やられただろう。
だが鬼殺隊の長い歴史において、そんなことは
「でも、剣士のすべてが本部にいたわけではありません。外で任務についていた者も多くいます」
隠も、刀鍛冶も、そして鎹鴉も、他の拠点でまだ生きている。
本部陥落の報に動揺しているかもしれないが、離散したわけでは無い。
産屋敷家の血も、絶えたわけでは無い。
立て直せる。まだ、立て直せるはずだ。
過去、鬼殺隊は何度も滅びかけた。
そしてその度に甦り、今日まで続いて来たのだ。
だから今回もきっと乗り越えることが出来るはずだ。と、瑠衣は言った。
「無理に決まってるだろ」
愈史郎は、今度は――珠世が愈史郎の方を見ていなかったので――普通に口に出してそう言った。
「頭が潰されたんだぞ。手足だけで何が出来る」
普通に考えれば、鬼殺隊の再建は難しい。
残っているのは、いわば
彼らはこれから、無惨陣営の徹底した掃討を受けることになるだろう。
とてもではないが、鬼舞辻無惨をして「潰したい」と思わせるような組織力が回復するとは思えない。
それも、わかる。
現状を分析しても、そういう考えになるだろう。
誰がどう見ても、鬼殺隊はお終いだ。
鬼殺隊の生き残りは、各個撃破を免れない。
「それでも、私達は滅びない」
瑠衣には、その確信が――――というより、
「
鬼殺隊を出奔した父・槇寿郎の存在だ。
◆ ◆ ◆
生き残りの剣士達が個別に動けば、各個撃破されて本当に滅びてしまう。
だから、核が必要だった。
産屋敷家の後継者がいるだろうが、まだ幼い。
先代の下に集まった者達がそのまま忠誠を誓い続けるかどうか、見通せない。
多様な考え方を持つ剣士達をまとめる核となる者には、信頼と、何より実績が必要だ。
そして、それが出来る剣士は1人しかいない。
最強の柱・煉獄槇寿郎だ。
名も、実績も。煉獄槇寿郎より優れた剣士など存在しない。
槇寿郎が先陣を切れば、誰もがその背中を追うだろう。
「だから、私達は決して滅びない」
滅びない。絶対に滅びなどしない。
絶対に、諦めない。
そう念じる時、瑠衣は高揚していた。
傷のせいか、疲労のせいなのか。ふらつくのを感じた。
肉体が、精神の高揚について来れていない。
目を押さえてよろめいた瑠衣を、珠世が支えた。
その時、愈史郎は珠世の
それは常に――そう、常にだ――珠世のことを感じている愈史郎だから、気付けたことだ。
珠世の背が、瑠衣の顔を目にして固まっている。
(何だ?)
悪意や害意でないことは確かだ。
感じるのは、哀しみの色だった。珠世の哀しみを感じる。
だが、いったい何を哀しんでいるのだろう。
「珠世様、こんなやつはもう放っておいて――――」
いや、理由などはどうでも良い。
愈史郎にとって重要なのは、珠世が必要のない哀しみを背負わされている、ということだ。
だから愈史郎は、もう放っておこう、と言った。
しかし珠世の顔を覗き込もうとした彼は、自然、珠世の背に隠れる形になっていた瑠衣の顔をも、見ることになった。
そして、彼も止まった。
瑠衣の顔に、先程まで存在しなかったものが浮かび上がっていたからだ。
(何だ、
瑠衣の顔、その額から両頬にかけて、羽根のような形の紋様が浮かび上がっていた。
異なる二色の線が絡み合うように形作られたそれは、波打つ炎のようにも見えた。
その
「…………わかりました」
珠世の声は、やはりどこか哀し気だった。
「私達も、協力します」
「珠世様!?」
「元々私達は、産屋敷耀哉殿の要請に応えるつもりでした。炭治郎さんとの縁もあります」
「……貴女は、鬼です。でも」
高揚の息苦しさを感じながら、瑠衣は言った。
珠世の真意はわからない。本音を聞いていないという気もする。
けれど、瑠衣が彼女に救われたことも、また確かだった。
「助けてくれて、有難う」
自分はまだ、生きている。
生きているのなら、戦うことができる。
戦うことができるのなら、父の助けになれる。
そして自分が生きているのなら、きっと他にも無事な者がいるはずだった。
兄も、弟も、他の剣士達も。
きっと生きている。
きっと、生きている、はずだ――――……。
◆ ◆ ◆
隠や刀鍛冶とは別の意味で、鬼殺隊にとってなくてはならない者達がいる。
前線の近くで活動するため入れ替わりの激しい隠。
前線に出ずに、長く日輪刀の供給という作業に没頭する刀鍛冶。
それらに対して彼らは、ある意味で最も鬼殺隊士の立場に近い存在だった。
「何ということだ……」
深き霧立ち込める
それもかつて柱の1人に列せられた元鬼殺隊士であり、そしてあの炭治郎を剣士として育てた男でもある。
ここで重要なのは、鱗滝が「元柱」だということだった。
半年続けることでさえ困難な鬼殺の剣士を何年も続け、産屋敷家当主の前にまで到達した特別な剣士だった、ということだ。
彼は隠よりも長く鬼殺の現場にいて、刀鍛冶よりも隊の中枢に近い位置にいた。
そんな彼だからこそ、
「……義勇は。炭治郎と禰豆子は無事なのか……」
「獪岳、善逸……!」
そしてもう1人。
広大な桃園の中心で、鎹鴉の緊急連絡――鬼殺隊本部からのではない――を受けた元・鳴柱の桑島もまた、肩を震わせて愛弟子達の無事を案じていた。
同時に、鱗滝も桑島も、歴戦の元柱達は次の展開について懸念していた。
鬼殺隊本部の壊滅。
鬼殺隊の戦力は大幅に弱まらざるを得ない。
隊士が減る。つまり、鬼を狩る速度が格段に鈍る、ということだ。
今まででも鬼は増える一方で、鬼による犠牲者は増えることはあってもなくなることは無かった。
ぎりぎりのところで、鬼の増加に何とかついていっていたというのが実態なのだ。
「鬼共がこの機会を逃すとは思えん」
あの
無惨が自身の痕跡を巧妙に消し、隠れていたからだ。
なぜ隠れていたのか?
鬼殺隊を恐れていたからだ。万が一にも、討たれることを警戒していたからだ。
「無惨め、一体どうするつもりだ」
辛うじて拮抗していた戦力は、鬼側に大きく傾いた。
もはや自分のところまで到達できる者はいないと、無惨は考えるだろう。
そうなった時、どうなるのか。
その答えは、鱗滝たち生き残りが考えるよりも早く、訪れそうだった――――。
◆ ◆ ◆
――――大正時代。
それは、明治の革命体制から脱しようとしていた時代。
そして、国際規模の動乱により世界の形が変わろうとしていた時代。
「立憲政治とは、支配を制度化したものだ」
窓が開いていた。
そこには赤い満月が浮かんでおり、部屋の内側から見た時、それは1枚の絵画にも見えた。
「これまでの武力や権威による支配が通用しなくなり、権力者は憲法という本の後ろに隠れた」
「そして民衆共は憲法の下、自分達を支配する者を自分達が選んだのだと主張する」
「私はそれが、ずっと不思議で仕方が無かった」
窓枠に腰かける男は、美しい、しかし妖しい気配を纏った男だった。
豪奢な西洋風の部屋だったが、男の自室ではないのは明白だった。
それは、男の足元に初老の男性の死体が転がっていたからだ。
顔の右半分が、何かに噛み千切られたかのように抉れて消えている。
「権力者は何故、一冊の本ごときに己が権力を保障して貰おうとする?」
「民衆共は何故、誰かに自分を支配させようとする?」
「そのどちらも私には理解できない。私は誰にも己の絶対性を保障して貰おうとは考えない。私は私を誰かに支配させようとはしない」
「何故ならば私は、
男が顔を上げると、ひっ、と息を呑む音がした。
部屋の入口に、別の男が立っていた。
こちらも初老の男性で、彼は床に転がる死体を見ると、震える声で言った。
「
良く見れば、どうだ、その部屋には複数の影が見える。
黒い異形の侍、虹色の瞳の男、刺青の青年、怯えた老人、琵琶の女、そして金髪の幼女。
異様だ。余りにも異様だ。
その異様な空間の中で、窓に腰かける男が特別に異様だった。
そして、その男は言った。
「
「
「私が……この鬼舞辻無惨が、完全に完璧な生命体になるために」
「国を、兵を、民衆共すべてを動員して、日本のどこかにある青い彼岸花を探すのだ」
「あの忌まわしい鬼狩りを滅ぼした今、もはや遠慮はいらぬ」
「今日よりこの私が」
赤い月。血の色に輝く男の瞳。
首相の死を見届けた男性は、本能的に理解した。
嗚呼。自分は、自分達は。今日、この瞬間から。
「この私が、お前達の支配者だ」
――――この男の奴隷になったのだ、と。
最後までお読みいただきありがとうございます。
というわけで、日本は無惨様の手に堕ちました。
日本国民の皆様、鬼になる準備はオーケーですか?
無惨様の食糧になる準備はオーケーですか?
さあ早く探しましょう。青い彼岸花を探しましょう。
生き残りの鬼狩りも見つけ出して狩りましょう。
皆で無惨様のお役に立ちましょう。
それこそが、我々の喜びなのですから!
というわけで、唐突ですが第一部完!というところです。
正直ノリで鬼殺隊を壊滅させましたので、今後のことは何も考えていません(え)
いっそこのままバッドエンドでも良いですかね?(え)
それでは、また次回。