鬼滅の刃―鬼眼の少女―   作:竜華零

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第48話:「鬼の世」

 ――――走る。

 夜の闇の中を、懸命に走る小さな影があった。

 まるで闇に形があって、追われているような駆け方だった。

 

「くそっ、しくじった……!」

 

 眼鏡をかけた、細身の少年だった。

 黒い詰襟の、制服のような服を着ていて、ともすれば闇に溶けてしまいそうだった。

 その手には竹刀袋を持っていて、もう片方の手で額を拭った。

 もう夜風の冷たい季節だが、汗は後から後から流れてきて止まらなかった。

 

「いたぞ! こっちだ!」

 

 そう遠く離れていない位置に、不意に灯りが増えた。

 遠目に、それが人の掲げる灯り――松明や提灯――だとわかると、少年は道を変えた。

 大きな通りを避けて、より暗く狭い路地へと身を投じた。

 

「そっちに行ったぞ!」

「逃がすな! 笛を吹け、他の班も呼べ!」

 

 行く先々で、人の声と灯りにぶつかった。

 その度に道を変えるが、より小さな路地へと追い込められていることにも気付いていた。

 袋小路に追い詰められている。

 それはわかっていたが、足を止めればすぐに捕まってしまうだろう。

 

 だから、駆け続けるしかなかった。隠れるわけにもいかない。

 足元に転がっていた木桶を蹴倒しながら、また路地を曲がる。

 静かな夜の空に、甲高い笛の音が何度も鳴り響いていた。

 あれらがすべて自分を探す音だと思うと、気が滅入った。

 

「……ッ。しまった」

 

 そのせいかはわからないが、判断を誤った。

 少年の視界には、左右の建物と、そして正面に壁があった。

 まさに絵に描いたような袋小路だった。

 夜の暗さと疲労で気付くのが遅れてしまった。

 

「引き返……すのは、無理か」

 

 声と音がもうすぐ傍まで来ていた。

 路地を引き返して逃げるのは不可能だ。

 

「上……は、駄目だ。()()()に見つかる」

 

 前にも後ろにも進めず。上にも逃げられない。

 

「くそ。やるしかないのか……?」

 

 竹刀袋の留め紐に手をかけて、呻くように言った。

 そうしている間にも、笛の音は近付いていた。

 焦りが躊躇(ちゅうちょ)を押し退ける。その直前だった。

 

「おい! こっちだ!」

 

 ()()から、声がした。

 視線を下に向けると、壁の根元、木材の部分がずれていた。

 そうして出来た隙間から、誰かが顔を出していた。

 警帽で、その男が警官だとわかった。だが、だからと言って信用できるわけではない。

 

「早く!」

 

 だが、他に選択肢は無かった。

 すぐ背後にまで聞こえて来た笛の音に押されるようにして、少年は隙間に頭を突っ込んだのだった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 穴から這い出ると、埃っぽい倉庫に出た。

 中は薄暗かった。

 窓から射し込む月明かりが唯一の光源で、何の倉庫なのか判別することも出来なかった。

 

「ちょっと待っててくれ。えーと」

 

 先導していた警官が、慣れた様子で何かを取り出していた。

 ごそごそと身を動かしたかと思うと、不意に灯りがついた。

 それは少しの間だけ揺れていたが、2つに増えた後、また1つに戻った。

 振り向いた警官の手元には蝋燭と、火の消えたマッチがあった。

 

「適当なところに座ってくれ。散らかってるところだけど」

 

 改めて周囲を見ると、そこはどこかの物置のようだった。

 木箱や調度品、布に巻かれた絵画など、資産価値のありそうな物が散見された。

 どこかの金持ちの屋敷の蔵といった風で、少年は積み上げられた袋の上に腰を落ち着けた。

 

「危なかったな。俺は鈴木武雄。この町で警察官をやってる。って、それは見たらわかるか、はは」

 

 努めて、という風に、武雄は笑って見せた。

 ただ暗闇の中、蝋燭を手に持った状態でそれをやられると、むしろ不気味さが増した。

 

「はは、ははは……まあ、警戒するよな」

 

 竹刀袋を両手で握っている少年を見て、武雄は「あー」と頭を掻いた。

 そして、竹刀袋を指差して。

 

「それさ、刀だろ? 本物の……いやいや待て待て! そういうのじゃないんだ!」

 

 腰を浮かせかけた少年に掌を向けて、武雄は言った。

 

「少し前に、キミみたいな……と言っても、もう1年以上は前になるのかな。キミみたいな女の子と会ったことがあるんだ」

 

 どこか遠くを見るような表情を浮かべる武雄に、少年は怪訝な顔を向けた。

 自分のような女の子?

 そう言われて思いつくのは、1つしか無かった。

 

()()()っていうんだろ。キミみたいなのを」

「……ええ、そうですね。そして今は、()()()()側です」

「……ああ、ああ。そうだな。それも知ってる。もちろん、知っているとも」

「それで。それを知っていて、どうして僕を助けたんですか?」

「もちろん、それも説明する。だけどその前に、名前を教えてくれないか? キミ呼びじゃ話しにくい」

 

 言われて、少年は少し考える素振りを見せた。

 その間、武雄は何も言わずに待っていた。

 そんな武雄の様子を見て、少年は諦めたのか、小さく息を吐いた。

 

「僕の名前は舟生(ふなせ)知己(ともみ)。鬼狩り……鬼殺隊士です」

 

 少年――知己がそう言うと、武雄は嬉しそうな顔をした。

 何がそんなに嬉しいのかはわからないが、敵ではないらしい。

 とりあえず、それがわかれば良かった。

 今のところは、だが。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 最初は東京だった。

 ある日突然、化物が現れたのだ。

 その化物は不死身で、刺されても撃たれても死なず、そして人間を喰った。

 

 そしてその化物は、徐々に日本全国に出現するようになった。

 軍隊も警察も歯が立たず、毎夜のように現れる化物に人々は怯えた。

 町々は活気を失い、後は死を待つだけのように思われた。

 そこへ、救世主が現れた。

 

『かわいそうに。私が救ってあげよう』

 

 その男は、化物――鬼と交渉し、人々を襲わないようにした。

 実際に鬼が人を襲わなくなると、人々は男に喝采の声を上げた。

 男は言った。鬼は人の友であると。

 最初に鬼が人を襲ったのは、先に彼らを攻撃した()()()の責任だと。

 

『その者達の名は――――』

 

 ――――鬼殺隊。

 それ以降、鬼殺隊の関係者は犯罪者として追われることとなった。

 密告が奨励され、彼らの仲間と目された者は政府と鬼に差し出された。

 それには報奨金も出た。鬼狩り()()が瞬く間に日本全土に広がった。

 人間が人間を鬼に売り渡す。それはまさに、暗黒の時代だった。

 

「だけど、俺は鬼狩りを知っている。あの子が、キミ達が俺達を守るために戦っていたことを知っているんだ。そんな人達を差し出すなんて、絶対に間違ってる」

「それで、僕を助けた?」

「ああ、そうだ。俺の他にも少ないが仲間もいて、まあ、自警団のようなことをしている」

 

 とは言え、出来ることは少なかった。

 せいぜい、こうやって逃亡の手助けをするくらいだ。

 何しろほとんどの人間は鬼側で、数でも力でも太刀打ちのようがない。

 

 そしてそれさえも、上手くいっているとは言えない。

 この町でも、今までも何人もの人間が()()されてしまった。

 それでも武雄は、鬼に与することを良しと出来なかった。

 もう二度と、やるべきことをしなかったという後悔に苛まれたくなかった。

 

「とにかく、キミを何とか町の外に……」

 

 その時だった。

 突然、外から甲高い声が聞こえた。

 

「ギャアア――――ッ! アツマレッアツマレエェェッ!!」

 

 濁った、酷く耳障りな鳴き声だった。

 それは近辺の上空をぐるぐると回っているのか、遠くなったり近くなったりしながら、何度も同じ言葉を繰り返していた。

 集まれ、集まれ、広場に集まれ――――と。

 

「あれは……」

「ああ、あれは」

 

 その鳴き声を聞いた武雄は、苦しそうに表情を歪めて言った。

 

「あれは、()()()()()だ。誰かが殺される……」

 

  ◆  ◆  ◆

 

 深夜だというのに、人だかりが出来ていた。

 集まった人々の構成は老若男女様々だが、共通しているのは、誰もが広場の中央に設えられた演壇を見ているということだ。

 その演壇は木材で組まれた簡易なものだが、成人男性の頭より高い位置にあり、広場にいる誰もがその見ることが出来た。

 

「ギャアア――――ッ! チュウモクッ! チュウモクウゥ―――ーッ!」

 

 そんな人々の頭上を、不気味な鴉が飛んでいた。

 目玉は白く濁っていて、羽根や胴体は半ば骨が露出していた。

 死骸だ。鴉の死骸が喋っている。

 だがそれに目を向ける人間はいなかった。まるで、()()()()()()()()()()

 

「お集まりの諸君! 今宵も良い夜だ。ああ、良い夜だ!」

 

 人々が見ているのは、壇上の男だった。

 いや、はたしてそれを男などと、人間のように呼称しても良いものだろうか。

 それは人の形をしていない。異形だった。

 まず顔が、いや頭が酷く歪んでいた。鼻から下が異様に長く、口がまるで嘴のように飛び出している。

 

 何より、両腕が無かった。代わりに黒い羽毛に覆われた巨大な羽根がある。

 しかも服装が修験僧が着るような白衣で、まるで天狗だった。

 その天狗はカチカチと口の先を打ち鳴らしながら、(しゃが)れた声で叫んでいた。

 

「諸君の協力のおかげで、この町は実に模範的! 模範的に統治されている! あの御方の覚えも目出度(めでた)い! 実に目出度い!」

「ギャアア――――ッ! メデタイッ、メデタイイィッ!」

「鬼と人の共存! 皆がその大義に忠実! 素晴らしい! にも関わらず、今夜も残念な報告をせねばならない!」

「ギャアア――――ッ! ザンネンッ、ザンネンンンッ!」

 

 異様な光景だった。

 異形の化物が、まるで政治家か執政官のように演説を()っている。

 そしてそれを、人々は何の違和感も感じずに聞いているのだ。

 

「連れてこい!」

 

 天狗の男が言うと、壇の下から後ろ手に縛られた人間が数人、引き上げられてきた。

 その人間達は縄で繋がれ、頭に麻の袋を被せられていた。

 まるで、罪人だった。

 

「警邏隊の諸君も知っているように! つい先ほど! あの忌々しい裏切者共の一匹がこの町に潜入していたことが発覚した!」

 

 いや、まるで、ではない。

 

「そしてあろうことか! この者達は! その逃亡を手引きしたのだ!」

 

 まさしく彼らは、罪人として人々の前に立たされているのだった。

 人々の間にどよめきが起こった。

 そのどよめきを受け止めるように、天狗の男は両腕――もとい、両の羽根を広げた。

 

「それではこれより! 裏切者共の処刑を開始する!」

 

 それは、演壇ではなかった。

 天狗の男が立つそれは、()()()だった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 公開処刑。

 大正の世において、それはもはや遠い時代の因習だ。

 明治初期には死刑制度も法制化され、それは現在まで続いている。

 そしてだからこそ、町人達には()()()

 

「殺せ!」

「あたし達の町に犯罪者を引き入れるなんて!」

「死ねー! 裏切者を殺せー!」

 

 最初の一度は、流石に目を背ける者が多かった。

 いくらなんでも、という空気が漂っていた。

 しかし「罪人に裁きを下す」というわかりやすい図式が何度も繰り返される内に、徐々に人々の間に肯定的な雰囲気が現れるようになっていった。

 

 さして豊かでもなく、娯楽も少ない町だ。

 公開処刑が与える非日常的な刺激は、毒のように町人達の肌に染み込んでいった。

 今ではサーカスか何かのように、公開処刑の呼びかけが始まると広場に集まり、死刑囚の血飛沫と死に喝采を挙げるようになっていた。

 

「裏切者共を跪かせろ!」

「ひいいいい」

 

 死刑執行人と思われる男が、麻袋を被せられた罪人の首を掴んで押さえ付けた。

 かなりの力なのか、押さえ付けられた方は藻掻(もが)くことさえ出来ずにいた。

 

「いやああ、待ってお願い待って」

「やめてくれ! 俺は違う。裏切者じゃない、違うんだああああ」

「ああああああああ」

 

 罪人達の上げる悲鳴を、群衆の興奮の叫びが掻き消していく。

 異様な光景だ。

 だがこの光景を異様だと思えるのであれば、それは、まだ幸福ということだ。

 

「これが、今のこの町の日常だ」

 

 人々の中に紛れて、知己と武雄はその処刑を見ていた。

 

「前はこんなじゃなかった。豊かではなかったけれど、優しい人達だった」

 

 武雄の哀し気な声は、狂気の叫びの前では小さ過ぎた。

 どうすることも出来ない。そんな無力感に苛まれた声だった。

 

「馬鹿な真似はしないでくれ」

 

 知らず、知己は竹刀袋を握り締めていた。

 それを見て、武雄は止めた。

 今あの場に飛び出したとしても、処刑は止められないからだ。

 それは、知己にもわかっていた。

 

 あの天狗鬼――異形の鬼は、それだけで強力な鬼だとわかる。

 仮に飛び出して罪人達を救い出したとしても、群衆が彼らを捕らえるだろう。

 そして彼らを人質にでも取られれば、それで詰みだった。

 何の意味もない。それがわかるから、知己は何も出来なかった。

 

「この処刑が終われば、皆が解散する。そこに紛れれば町の外に出られる。それまで堪えてくれ」

 

 わかっている。だから堪えるべきだ。

 頭ではわかっている。わかっていた。けれど。

 けれど――――。

 

「やめろ――――ッ!」

 

 ――――けれど、止められなかった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 知己は、見た。

 人々をかき分けて、押し退けるようにしながら、1人の隊士が壇上の天狗鬼に斬りかかるのを。

 それは、知己では無かった。

 

(あれは、確か)

 

 村田、という名前をどうにか思い出した。

 知己がその名前を思い出せたのは、彼が主だった――壊滅前の――隊士の名前と顔を記憶していたからだ。

 実力的には柱に遠く及ばないものの、長年生き残り続けた村田(ベテラン)の顔は覚えている。

 

 まったくの偶然だが、村田も知己と同時期にこの町に来ていたのだろう。

 もしかすると、武雄の仲間が彼にもついていたのかもしれない。

 同じ方法で村田を逃がそうとしていたのかもしれない。

 そして村田は、おそらく、知己よりも我慢弱かったのだろう。

 

「おい、待て! 早まるな!」

 

 それが、知己には、たまらなく羨ましかった。

 気付いた時には駆け出していて、刀を抜いていた。

 そして村田に気を取られた天狗鬼に向かって、刀を振るっていた。

 

「鬼狩りを見つけたぞ!」

 

 ――――水の呼吸・壱ノ型『水面(みなも)斬り』。

 ――――竜の呼吸・弐ノ型『竜翼』。

 

「……ッ!」

 

 村田が正面から、知己が側面から。

 ほぼ同時に斬りかかって、そして、ほぼ同時に()()()()()()()

 ぎしり、と、技の途中で全てが止まってしまった。

 

「な、何だよこれ!」

 

 まるで全身を塗り固められたかのようで、村田が焦りの声を上げた。

 しかしどれだけ声を上げたところで、身動きは取れなかった。

 何が起こった。何をされた。知己は鬼を睨んだ。

 

「愚か者共! 自分の足元を良く見てみるが良い!」

 

 足元。爪先のあたりに黒い羽根が突き立っていた。鴉の羽根だ。

 だが上空の鴉のものではない。天狗鬼のものだ。

 それが、2人の影を縫い留めていた。

 夜にも関わらず、周囲は灯りで煌々と照らされている。それで影が出来ていた。

 

「我が血鬼術『黒羽影縫い』! いかがかな、意識はあるのに身体は動かない、というのは!」

 

 ――――血鬼術!

 天狗鬼の羽根に影を撃たれた者は、身体の自由を封じられる。

 単純でわかりやすく、だからこそ強力な血鬼術だった。

 

「く、くそお。お前、何とかできないか!?」

「そんなことを言われても……!」

 

 条件を満たしてしまった血鬼術を破るのは困難だ。

 それこそ、気合いでどうにかできることではない。

 不覚。しくじった。()()()()

 

「鬼狩り共を捕らえよ! 1日に2人も狩れるとは、あの御方もお喜びになるだろう!」

 

 武雄には、申し訳がないとしか言えない。

 自分と違って迂闊ではないだろうから、この騒ぎの隙に逃げてくれることを祈るしかない。

 

「カアアッ、カアアァ――――ッ!」

 

 嗚呼、鴉が五月蠅い。

 以前は頼もしいとさえ思っていたのに、敵の鴉だと思うとここまで不快なのか。

 

「カアア――――ッ! 見ツケタッ、鬼狩リヲ見ツケタアア――――ッ!」

 

 見つけた、見つけたと鴉が騒いでいる。

 人々に押さえつけられながら、知己はその声を聞いていた。

 

「見ツケタアァ――――ッ!」

 

 嗚呼。本当に五月蠅い。

 見つけたのはわかったから、もう黙ってほしい。

 

()()()、見ツケタアッ! カアァ――――ッ!」

 

 ――――仲間?

 鴉の言葉に不審を覚えて、頭を掴まれながらも、何とか顔を上げた。

 すると、見えた。

 月。処刑台を見下ろす建物の屋根の上に、立つ誰か。

 彼女は、その手に二振りの日輪刀を持っていた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 天狗鬼が気付いた時、彼女はすでに跳んでいた。

 屋根を駆け下り、壁を蹴り、擦れ違い様に刀を振るっていた。

 

「貴様、何も」

 

 の、と続くはずだった言葉は、途中で止まった。

 剣士が着地すると同時に、頚から上が宙を舞っていたからだ。

 頭があった場所に血の柱が噴き出し、頭が地面に落ちた。

 それを認識した群衆は一瞬静寂に包まれ、数秒の後に絶叫した。

 

「あ、あの子は」

 

 そんな中で、武雄だけがひとり、冷静さを保っていた。

 いや、正確には別の理由で驚いていた。

 忘れるはずもない。

 あの顔。あの出で立ち、そして刀。

 

「瑠衣さん……!」

 

 煉獄瑠衣。鬼狩りの少女。

 武雄が出会った、最初の鬼狩り。

 この町で彼女に出会って、どれくらいの時間が過ぎただろうか。

 

 一方で、声をかけるのは躊躇われた。物理的な距離だけの問題ではない。

 処刑台の上に立ち、転がった鬼の死体を見下ろす彼女。

 その瑠衣の表情が余りにも冷たくて、声をかけようと思えなかったのだ。

 そう感じる自分自身に、武雄は酷く戸惑った。

 

「……死んだふりはやめたらどうです」

 

 鬼の死体に向かって、瑠衣は言った。

 一般人の武雄や周囲の人々にはわからなかったろうが、鬼殺剣士であれば気付いた。

 ()()()()()()()()

 それは、鬼が死んでいない何よりの証拠だったからだ。

 

「クククク。隙を見せるかと思ったが、そう上手くはいかぬか!」

 

 むくり、と、頭のない死体が起き上がった。

 再びのどよめきが巻き起こるが、当然、天狗鬼に気にした様子はない。

 

「諸君! 慌てる必要はない。我ら鬼は不死身なのだ。偉大なるあの御方の加護を受けているのだ!」

 

 鬼の声が広場に響き渡る。それを聞くのは、人間だ。

 不味い。知己はそう思った。

 自分や村田がそうであるように、鬼狩りは鬼を倒すために生きている。

 何のために鬼を倒するのか。それは、()()()()()()()()

 その大義があればこそ、自分達は生物として遥かに強大な鬼に立ち向かうことが出来る。

 

「さあ、その娘も捕らえるのだ!」

 

 そして、知己の懸念が現実のものになろうとしていた。

 人々は鬼が言うままに、瑠衣を取り囲みつつあった。

 逃げてくれ。自分達を置いて逃げるべきだ。知己はそう思った。

 しかし次の瞬間に瑠衣が取った行動は、知己の考えとはまるで違うものだった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 死なない鬼。斬らなければならないが、斬れない。

 自分を取り囲もうとする人々。斬るわけにはいかない。

 そんな存在を前にして瑠衣が取った行動は、()()だった。

 

自暴自棄(ヤケ)になったか! いくら斬ろうと私は倒せぬ!」

 

 人々の手が振れるよりも速く、一足で跳ぶ。

 余りの脚力に処刑台の床が弾け、木材の破片が人々の顔を打った。

 そしてその悲鳴が耳に届くよりも先に、瑠衣の足は鬼の身体に届いていた。

 ミシリ、と音を立てて、天狗鬼の肩を踏んでいた。

 

「何のつも」

 

 りだ、と音を発する頃には、瑠衣を捕らえようと交差した両腕を斬り飛ばされていた。

 しかし、瑠衣はそれにも取り合わなかった。

 天狗鬼の肩に()()したのは、次の跳躍の踏み台にするためだったからだ。

 

 ――――風の呼吸・壱ノ型『塵旋風』。

 

 天狗鬼の肩が、足の形に陥没した。

 それ程の脚力で、瑠衣は天高く跳躍した。

 その跳躍もまた、人間離れしていた。

 二刀の小太刀を逆手に持ち、壱ノ型の突進力のまま上昇した。

 

「『塵旋風』――――『(こがらし)』」

 

 ()()()()()

 ずっと、そこにいた。鬼の頚を斬った。

 それは小さな、鴉の頭だった。

 広場の上空で人々を見下ろしていた、腐った鴉の死骸。

 ()()()()()()()()

 

「ギャアアアアアァァ――――――――ッッ!!??」

 

 胴体から離れた鴉の頭が、濁った悲鳴を上げた。

 白く飛び出た目玉が、ぎょろぎょろと回転している。

 嘴を限界まで広げているが、もはやそこから出るのは意味の無い鳴き声だけだった。

 

「ナゼッ、ワカッタッッ!?」

「別に、怪しいから斬っただけですよ」

 

 舐めて貰っては困る。

 煉獄家数百年の歴史の中で、本体に見えて本体ではなかった、等という事例(シチュエーション)は、飽きる程に遭遇してきた。

 もちろん、攻略法はそれぞれだ。幻術もあれば分身もある。それこそ上弦の肆の例もある。

 

 共通しているのは、やれることは全部やれ、だ。

 つまり、怪しいものは全て斬るべし。

 瑠衣はそれを、忠実に実践したに過ぎない。

 そしてどうやら、この天狗鬼は上弦の肆ほど条件が厳しくなかったようだ。

 

「オノレッ、ヨクモオオオオオ」

「五月蠅い」

 

 塵と崩れ始めた鴉の頭を、縦と横に一度ずつ、重ねて斬った。

 それで、静かになった。

 月明かりに照らされた瑠衣の顔には、額から頬にかけて燃える羽根の痣が浮かび上がっていた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 天狗鬼――と思い込んでいた傀儡(くぐつ)の肉体――が塵となって消え去ると、広場は今度こそ静かになった。

 村田や知己を捕まえていた人々も、何かを恐れるように後ずさった。

 張り詰めたような困惑が、そこかしこから感じ取られた。

 

「…………死んだ?」

 

 そしてその緊張は、瑠衣が地面に着地すると、決壊した。

 人々は悲鳴を上げ、我先にと広場から逃げ出そうとした。

 その様は、まさに鬼か化物を恐れる人間の姿そのものだった。

 

 瑠衣は一見、それに関心をさして払っているようには見えなかった。

 彼女は未だに膝を着いたままの罪人達に歩み寄り、縄を斬った。

 そして顔を覆う麻袋を取り去ると、そこで初めて、笑顔を見せた。

 

「大丈夫ですか?」

「あ、あ……ありがとう、ありがとう」

 

 その頃には、知己も自分で動けるようになっていた。村田も同じだ。

 彼らが自由になるのを見て取ると、瑠衣はそちらにも笑顔を向けた。

 そこで、知己は不意に瑠衣が千寿郎の姉であることを思い出した。

 笑顔の質が、どことなく重なって見えたからだ。

 

「大丈夫か!? まったく無茶をして……!」

「す、すみません」

 

 武雄がやって来て、こちらには恐縮するしかなかった。

 本気で心配している様子だったし、何より迷惑をかけたという意識があった。

 村田の方も、武雄の仲間らしき人間が小言を言っている様子だった。

 

「それと……」

 

 武雄は、瑠衣を見た。

 前に会った時は、大人びた凛々しさの中にまだあどけなさが残っていた。

 だが今は凛とした立ち居振る舞いが前面に出ていて、幼さは感じられない。

 良く研ぎ上げられた刀のような、しなやかで鋭い美しさがそこにはあった。

 

「…………」

 

 もし再会できたなら、何と声をかけようか。

 それは、ずっと考えていたことだった。

 しかしこうして実際に顔を合わせると、今まで考えていたことはどこかへと消えてしまった。

 そもそも、武雄はそこまで気の利いたことを言える男では無かった。

 だから結局、口から出る言葉はありふれたものになってしまった。

 

「ありがとう。今回も……それから、前の時も」

 

 そして、言われた瑠衣の反応も、やはりありふれたものだった。

 ただ、一瞬だけ見せたきょとんとした表情は、武雄を安心させた。

 嗚呼、あの時の少女だと、そう思えた。

 

「どういたしまして、警官さん」

 

 その笑顔は、少女らしい可憐なものだった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 内閣総理大臣、と聞いて、何を思い浮かべるだろうか。

 まず、国の――より言えば行政機関の――トップであろう。

 いわゆる「偉い人」だ。多かれ少なかれ、誰もがそう思っているだろう。

 

「ご……ご報告は、以上です……」

 

 そうとするならば、その内閣総理大臣――首相が(かしず)いている相手は、何者なのだろうか。

 御簾(みす)の向こうにいて、顔を見ることすら叶わぬ高貴な相手か。

 いや、それは一見ただの背年に見える。黒い青年だ。

 容貌は整っているが、何故だろう。空寒さを覚える。

 外国の言葉で書かれた分厚い本を読む姿は、様にはなっていた。

 

 対して首相は、明らかに老齢に達している。

 それが二十代にしか見えない青年に対して腰を折り、窺うような目を向けている。

 幼子が厳格な親の機嫌を気にするような、そんな態度だった。 

 

「ほう」

 

 ぎくり、と、首相の身が震えた。

 

「……何日だ?」

「は、は……」

「私がお前に青い彼岸花の探索を命じて、今日で何日目だと聞いている。首相」

「そ、それは……に、2か月ほどかと……」

「56日だ。首相。お前は56日前に何と言った。言ってみろ」

 

 首相の額には、玉の汗が滲んでいた。

 姿勢はそのままだが、目は左右に泳ぎ、必死に言葉を探している様子だった。

 だが残念ながら、彼に考えている時間は無かった。

 

「どうした。言ってみろ」

「は、いや。その」

()()。何だ、続けろ」

「わ、わたしは」

()()()()。何だ。努力したとでも言うのか?」

 

 空気の重みが、増した。

 巨大な蛇が全身に巻き付いているかのように、骨が、肉が、軋む音を立てた。

 

「首相。お前はこう言った。必ず見つけると。しかし未だに見つけていない。これはどういうことだ?」

「い……今少し。必ず、必ず」

「近い内に見つける。具体的にはいつまで? いかほどの時を与えればお前は私の役に立つ?」

「そ、それは……それは」

「首相」

 

 ()()()()()()()()

 あるいは、幸福だったのかもしれない。

 何故ならば首相は――その老人はもう、二度と恐怖に怯えずに済むのだから。

 

「鳴女」

 

 べべん、という琵琶の音と共に、暗がりの中から女が現れた。

 それを視界に入れることもなく、青年――鬼舞辻無惨は言った。

 

「次だ。そうだな、次の首相は陸軍の人間が良いだろう。やはり文民では駄目だ」

「承知いたしました」

「他に報告は?」

「特には……1つだけ。西の町の統括をしていた鬼が鬼狩りに討たれたようです」

 

 本のページをめくる音が、一度だけした。

 

「そうか」

 

 それだけだった。

 それ以上、無惨は何も言わず、鳴女に意識を向けることはなかった。

 夜が、静かに更けていった。




最後までお読みいただき有難うございます。

というわけで、第二部です。

日本は鬼と人が共存する理想郷になりました!
皆が仲良く幸福に暮らしています。
でも総理大臣の在任期間は2か月に届かないそうです。不思議ですね!(え)

それでは、また次回。
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