鬼滅の刃―鬼眼の少女―   作:竜華零

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第4話:「下弦の肆」

 その廃寺は、山中にひっそりと建っていた。

 元は立派な山門だったのだろうが、塀も含めて半ばから崩れてしまっていた。

 辛うじて残っている建造物も草木の蔓や苔が生い茂っていて、遠目には山に呑み込まれてしまっているようにさえ見えた。

 

「前任の隊士と連絡が取れなくなったのはこのあたりなのぉ?」

 

 相棒である少女の声に、肩に止まった鎹鴉が「ガアッ」と肯定の声を上げた。

 

「ガァッ、隊士ガ入ッテ出テコナイッ、3日経ッテイルッ」

「3日か……急がないといけないわねぇ」

「急ギ調査シッ、事ノ次第ヲ報告ウッ、急ゲ榛名アッ」

 

 鎹鴉に榛名(はるな)と呼ばれたその少女は、改めて山門を見上げた。

 整った顔立ちだが、目鼻立ちがはっきりしているせいか中性的に見えるのが特徴だった。

 陽に当たると端が赤く透ける黒髪で、腰まで伸びたそれを頭の後ろで高くまとめている。

 藤の花が描かれた着物の上に隊服を羽織るという独特の服装で、日輪刀を2振り身に着けていた。

 左腰と、何故か背中にも1本。

 

「貴方はここにいて。半日経って出て来なかったら、応援を呼んで頂戴」

「ガアッ、一緒ニ行クウッ」

「駄目よぉ。何があるかわからないものぉ」

 

 地面に鎹鴉を下ろして、その頭を撫でる。

 古来より多くの人間がそうであるように、鬼殺隊士もまた自身を担当する鎹鴉と特別な絆を通わせる者が多い。

 それは明日の生死すらわからぬ中で、鎹鴉だけが常に自分と行動を共にしてくれるからだ。

 鎹鴉もまた、誇りを持って鬼殺隊士に尽くす。

 

 そして賢い。

 榛名の鎹鴉も、万が一の連絡役としての自分がいかに重要かをきちんと理解している。

 だから榛名の言葉に一度は抵抗したが、二度は言わなかった。

 榛名の掌に自身の頭を擦りつけると、羽音を立てて飛び立った。

 彼が付近の木の枝に止まったことを確認すると、榛名も立ち上がった。

 

「さて、行きますか」

 

 山門をくぐると、当たり前だが廃寺が存在する。

 中は酷いものだった。

 石畳らしきものが足元に覗いているが、雑草が膝のあたりまで生い茂り地面との境界がわからない。

 元々は本堂や講堂等の建物がいくつかあったのだろうが、長い年月放置されていたのか、ほとんどの建物が建物としての機能を果たしていなかった。

 

「……………………」

 

 左腰の刀に手を添えて、榛名は奥へと進んでいった。

 その背中を、鎹鴉だけが見つめていた。

 ――――1日経っても、榛名は帰って来なかった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

「姉上、大丈夫ですか?」

 

 千寿郎の声に、瑠衣は「え?」と顔を上げた。

 早朝の、炊事をしている時だった。

 割烹着姿の瑠衣が竹の火吹き棒を手に顔を上げると、弟の千寿郎が心配そうな顔でこちらを覗き込んでいた。

 

「煮立ってますけど……」

「え? あ、わっ。ご、ごめんごめん!」

 

 吹き過ぎたのか、(かまど)の火がごうごうと燃えていた。

 汁物の鍋がぐつぐつと音を上げていて、慌てて火を調節した。

 無心で吹き込んでいたので、気が付かなかったらしい。

 瑠衣にしては珍しい失敗で、千寿郎のおかげで朝食を一品ダメにせずに済んだ。

 

「姉上、疲れているならお休みになられた方が良いですよ。炊事なら僕1人で出来ますから」

「いやいや、大丈夫大丈夫。ちょっとぼうっとしてただけだから」

「でも……」

「本当に大丈夫。千寿郎は優しいね」

 

 心配そうな顔をする千寿郎の頭を、瑠衣は撫でた。

 それでも心配そうな顔をする弟に、困ったような笑顔を見せる。

 心配させてしまったのは申し訳ないし、心配してくれるのは嬉しいが、これは自分の仕事だという思いがあるからだ。

 数年前に母が亡くなってから、家の中のことは娘である自分が、と思い定めている。

 

 父と兄は家事ができないし、千寿郎も全てをこなせるわけではない、というのもある。

 瑠衣がいない時には知人に頼んでお手伝いを寄越して貰っているが、いる時には炊事や洗濯は――薪割りだけは父と兄の方が異常に上手いが――瑠衣が率先してやっていた。

 ただ姉の手伝いを買って出ている千寿郎としては、家事が()()()だと知っているからこそ、剣の稽古と並行して家事をやっている瑠衣のことを心配するのだろう。

 

「さっ、出来た。父様に声をかけて来てくれる?」

「……わかりました」

 

 瑠衣の言葉に素直に頷いた千寿郎だったが、まだ心配そうな顔をしていた。

 弟にこんな顔をさせるなんて、姉失格である。

 そうだと閃いて、瑠衣はにんまりとした笑顔を浮かべた。

 千寿郎の背中に飛び掛かる。

 

「えっ!? うわっ、姉上っ!?」

「ほーらっ、そんな顔しない! 笑って笑って!」

「あ、ちょ……あはっ、あははっ。くすぐった、あはははっ」

 

 後ろから抱き着いて、脇腹のあたりをくすぐった。

 笑い声というのは不思議なもので、笑っている側も聞いている側も、じゃれている内に明るい気分になってくる。

 そうやって千寿郎の顔から心配の色が消えた頃、和やかな炊事場に似つかわしくない音が響いた。

 

「ガア――――――――ッ!!」

 

 鎹鴉の長治郎だった。

 鴉がここに来るという意味をよく知っている千寿郎が、また表情を曇らせてしまって。

 瑠衣は鴉の焼き鳥は美味いのだろうかと、一瞬だけ考えた。

 長治郎が、怯えたように距離を取っていた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 基本的に、鬼殺隊士は単独行動が多い。

 全国津々浦々に散って鬼から人々を守るには、人手が余りにも足りないからだ。

 数百人で数千万人を守らなければならない。

 鬼の出没地点が事前にわからない以上、仕方がないことだった。

 

 そのためか、鬼殺隊士はいわゆる「連携」が得意な者が少ない。

 時折、共同任務という形で戦場を共にすることもあるが、それは討伐する鬼の数が多かったり、被害地域が広範に渡っていたり、要は単純に「人手が必要だから」以上のものではなかった。

 まあ、つまり、何が言いたいのかと言うと。

 ――――鬼殺隊士は、()()の強い者が多い、ということだ。

 

「えー……っと、ですね。まずは自己紹介でもどうでしょう、獪岳さん」

 

 瑠衣は、努めて笑顔を浮かべていた。

 笑顔は人間関係を円滑にする。だから笑えるなら笑った方が良い。

 

「俺に気安く話しかけるんじゃねえ、カスが」

 

 ただ、それも相手によるだろう。

 例えば獪岳は、瑠衣が笑顔だろうが何だろうが態度を変えないだろう。

 というより、他人というものを信じていないという風だった。

 まあ、それは同期の瑠衣も良く知っているところで、今さら驚いたりはしない。

 問題は……。

 

「チョーあり得ないんだけど」

 

 瑠衣達は今、山中の川辺にいた。鎹鴉に導かれた集合場所だ。

 瑠衣は開けた場所に立ち、獪岳は木の幹を背に立っていて、そしてもう1人が大きな岩に足を伸ばして座っていた。

 腕を組み、顎に手を添えて、高い位置からこちらを見下ろしている。

 

「何でこのわたしが、こーんな弱そうな人達と組まなきゃいけないわけ? 意味がわからないんだけど」

 

 鮮やかに山吹色に輝く髪を簪で結い上げており、淡水色の瞳が水面の光を反射して煌めいていた。

 水色と黄色の折り鶴の描かれた着物の上に、隊服を羽織っている。

 防御という点では隊服をきちんと着用すべきだが、不思議とそれを言うという気にはならなかった。

 瑠衣よりも年下に見えるが、すでに貫禄のようなものを感じる。

 

「おい。コイツはともかく、俺を弱いと言ったのか?」

「あ、聞こえちゃった? ごめんなさいね。思ったことがすぐに口に出ちゃうのよ、わたし」

「テメェ……」

 

 ちろり、と、少女の赤い舌先が唇を舐める。

 悪戯っぽい仕草だが、どことなく妖しい色香も感じる。

 それを獪岳は侮辱と受け止めたのか、木から背を放していた。

 よもや殴りかかることはないだろうが、空気が緊張して張り詰め始めた。

 

一葉(いとつば)(みそぎ)です」

 

 その時だ、第4の人物が姿を現した。

 鎹鴉を連れたその女性隊士は、岩の上の少女を視線で指しながらそう言った。

 左目に眼帯を着けた彼女に、瑠衣は見覚えがあった。

 つい先日、獪岳と共に共同任務をしたことがある。

 

「その()の名前は、一葉禊と言います。以前、任務を共にしたことがあります」

「祭音寺さん!」

「柚羽で結構です。どうぞお気軽に」

 

 勝手に名前を言われたのが不満だったのか、岩の上の少女――禊が、唇を尖らせていた。

 加えて、獪岳は相変わらず禊を睨みつけている。

 そんな中での柚羽の出現は、瑠衣にとっては救いの神のように感じられた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 ――――同時刻、産屋敷邸。

 鬼殺隊本部を兼ねたその屋敷に、杏寿郎は呼び出されていた。

 父・槇寿郎を伴わない参内。初めての経験だ。

 内々に炎柱継承が決まっているとは言え、それを知るのは杏寿郎自身と槇寿郎、そして悲鳴嶼とお館様――産屋敷だけだ。

 

「よく来てくれたね、杏寿郎」

「はっ」

 

 産屋敷は、屋敷の縁側に座っていた。

 その両側を娘2人に――白髪おかっぱの童子――支えられていたが、背筋は伸びており、弱々しさは感じなかった。

 纏う雰囲気は柔らかく、高みから見下ろしていても威圧感のようなものはない。

 

 そして杏寿郎は、そんな産屋敷の前で膝をついていた。

 玉砂利が敷き詰められた庭で、庭師の腕が良いのか瀟洒な造りになっていた。

 そんな庭に、鴉が一羽まぎれ込んでいる。

 もちろん鎹鴉だが、杏寿郎の知らない鴉だった。

 

「実はここの近郊の山に、鬼が出没したようなんだ」

 

 産屋敷が自分に任務を与えようとしている。

 杏寿郎はこの瞬間にそれを確信した。

 産屋敷自らの命令を与えられるのは、柱か、あるいはよほど特別な事情がある場合だ。

 

「私の剣士(こども)達が2人、山に入って戻って来ていない」

 

 つまり、強力な鬼が出没している可能性が高い。

 そして杏寿郎は鴉のことも得心した、戻って来ない隊士の鴉なのだろう。

 

「那田蜘蛛山のこともあるから、もしかしたらそこにもいるのかもしれない」

「と、申しますと」

「うん、十二鬼月かもしれない。行ってくれるかい、杏寿郎」

 

 十二鬼月。鬼舞辻無惨直属の鬼だ。

 つい先日、那田蜘蛛山において水柱・冨岡がその内の1体を斬っている。

 それが今、こうも続け様に出没――あるいは遭遇――するとは、鬼殺隊の歴史を紐解いても数える程しかないだろう。

 人智の及ばぬところで、何かが動き出そうとしているかのようだった。

 

「十二鬼月を倒しておいで、杏寿郎。そうすれば皆、杏寿郎を新しい炎柱として認める」

「承知いたしました。この煉獄の(あか)き炎刀にかけて、お館様のご期待に応えて見せましょう!」

 

 いわばこれは、杏寿郎の柱就任の試練でもあるわけだ。

 柱になる条件は2つ。まず第1階級である「(きのえ)」であること。

 そして鬼を50体以上斬るか、あるいは十二鬼月を斬る、のどちらかだ。

 槇寿郎の後継である杏寿郎の炎柱就任においては、後者がほぼ絶対視されていると言って良いだろう。

 

「それとね杏寿郎、これから杏寿郎が行く山なんだけど。その近辺を担当する柱が、どうしても同道したいと言って来ていてね」

「同道?」

 

 一般隊士と異なり、柱は自分の警備担当地区というものを持っている。

 頂点の剣士なればこそで、広大な地区を分担して鬼殺を行っているのである。

 そして、杏寿郎がこれから向かう山を含む地区の担当は……。

 

「よもや」

 

 その場に現れた柱に、杏寿郎は驚きの声を上げた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 見たところ、ただの廃寺のようだった。

 放棄されてかなりの年月が経っているのか、今となっては草木や苔に覆われた何かと化している。

 どこにでもある、打ち捨てられた場所としか見えなかった。

 しかし何故か、嫌な感じがした。

 

(ここだけ、空気が変だ)

 

 風の呼吸を扱うからか、空気の変化には敏感な方だった。

 瑠衣が見上げているのは、いわゆる本堂で、寺の御本尊が祀られる場所だ。

 他の建物は半ば崩れ落ちてしまっているのに、この建物だけは比較的に形を保っている。

 空気の乾いた場所から湿った場所に移動したような、奇妙な感覚だ。

 

 例えば、そう、雨風を凌ぐべく誰かがここを訪れたとしたら、まず間違いなくこの建物を目指すだろう。

 他は崩れてしまっているのだから、当然、そうなる。

 そこに、瑠衣は奇妙なわざとらしさのようなものを感じたのである。

 気にしすぎと言われれば、それはその通りなのだが……。

 

「ねえ、本当にこんな最低な場所に行方不明の隊士がいるわけ?」

 

 と、後ろから声をかけて来たのは禊だ。

 獪岳もいるが、わかりやすいもので禊が口を開いている時は絶対に喋らなくなってしまった。

 そして獪岳が喋る時は、逆に禊が喋らなくなる。

 この2人が素直にここまでやって来ているのは何故かというと、瑠衣が頑張ったからだ。

 それはもう、頑張ったからだ。

 

「はい。長治郎……鎹鴉の情報によれば、5日前にこの周辺で姿を消した隊士と、2日前にそれを探しに来た隊士。最低でも2名の隊士が消息を絶っています」

 

 とは言え、2人は基本的に瑠衣の説得は完全無視だった。

 任務なので結局はこの廃寺に来たかもしれないが、2名の隊士が行方不明になっている状況で、バラバラに目的地に向かうのは避けるべきだった。

 まして、すでに夜になっている。

 それでも行動を共にしようとしない2人に対して、瑠衣は最後にはこう言った。

 

「はあ、わかりました。では私と柚羽さんでまず見てきますから、お2人はここで待っていてください」

「「行かないとは言ってない(だろ)(じゃない)」」

「……………………そうですか」

 

 天を仰いで叫びだしたくなったが、耐えた。

 どうして自分がこんなことをしなければならないのかと嘆いたが、堪えた。

 私は煉獄家の長女だと、心の中で3回唱えた。

 頑張れ私、負けるな私と、自分を鼓舞もした。

 

「何でわざわざカスを助けに行かんきゃならないんだよ」

 

 本堂の周辺を確認していると、今度は獪岳がそう言った。

 半ば舌打ちするような、声の調子だった。

 そう言いながらも任務には従うというあたりが、獪岳という男の複雑さを表してもいる。

 それに、実力はあるのだ。最終選別の時から、それは良く知っていた。

 

「やはり周囲には何もありません。隊士はおろか人がいた痕跡も、それから、鬼の気配も」

 

 他を見て回っていた柚羽が、そう言った。

 崩れた建物の中も特に奇妙な場所はなかったという、瑠衣の側も同じだった。

 余りにも何もなさ過ぎて、ますますきな臭かった。

 しかし、本堂に入らないというわけにもいかなかった。後は、ここだけなのだ。

 

 他の3人も、自分を見つめていた。

 念のため、灯りを用意した。本堂の中は暗いはずだ。

 本堂の前に立つと、流石に誰も喋らなくなった。

 しかし通路の木材ですら軋む状況では、口を閉ざす意味はあまりなかったかもしれない。

 

「…………」

 

 本堂の扉に、錠はついていなかった。

 錆び付いているようだが、開閉に支障はないようだった。

 気になるとすれば、開けた形跡が見えないということだ。

 行方不明の隊士は、ここには来ていないのか?

 

 手で、合図を送った。頷きが3つ。

 ゆっくりと、本堂の扉を開いた。

 ぎい、と、甲高い音が響いた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 本堂の中に入った瞬間、えも言えぬ匂いが漂ってきた。

 空気が腐ったようなとでも言おうか、かび臭い、鼻につく匂いだ。

 その上、酷い湿気のせいか生温くすらある。

 一言で言えば、不快だった。

 

「……何も、ありませんね」

 

 灯りを左右に振ってみれば、外観よりも広く感じた。

 廃寺になる際に多くの物は持ち出されていたのか、殺風景な空間が広がっている。

 ただ、やはり壁や床の保存状態は悪く、歩く度に音を立てる。

 しかも床板が駄目になっているのか、沈み込んだり、逆に盛り上がったりしている部分もあって、歩くだけで気を使った。

 

 そして、探索である。瑠衣の言葉通り、何もない。

 足元に木材の欠片のような物が落ちているくらいだ。

 時折まとまった大きさと量の木材が散らばっていて、もしかすると天井の梁や天板の木材だったのかもしれない。

 もしそうなら、長時間中にいるのは危険だが……。

 

「……奥」

「え?」

「寺だろ、ここ。だったら本堂の奥に本尊を祀ってる空間があるだろ」

 

 そう言ったのは、獪岳だった。

 辺りに何かないかと探っていた瑠衣は、いささか意外な面持ちで彼を見つめた。

 

「……詳しいんですね?」

「うるせーぞ、カスが」

 

 取り付く島もなかった。

 ただ言葉の割に、獪岳が本堂を眺める眼差しは、厳しさとは違う色を浮かべているような気がした。

 だから、それ以上は瑠衣も何も聞くことが出来なかった。

 

 思えば、瑠衣は獪岳が鬼殺隊に入る前にどこで何をしていたのかは知らない。

 もっともそれは獪岳に限った話ではなく、鬼殺隊士は己の過去を話そうとはしない者が多かった。

 大抵の場合、悲しい過去になってしまうからだろう。

 誰にとっても、そうだった。

 

「……行きましょう」

 

 いずれにせよ、さらに奥があると言うなら見に行く必要がある。

 本堂の奥へ進んでいくと、なるほど確かに扉があった。

 暗かったので、入口のあたりからは壁と判別することが出来なかったのだ。

 瑠衣の後を、獪岳、禊、柚羽の順に移動した。

 

「何この臭い、チョー最悪……」

 

 奥に近付いていくにつれて、匂いが強くなっていった。

 

「開けますよ」

 

 扉に手をかけて、他の3人に合図を送った。

 そして耳を傍立てつつ――引き戸だった――ゆっくりと開けた。

 何年も籠っていたのだろう、むっとした臭気が鼻をついた。

 鼻の良い者なら、まさに「鼻が曲がる」と悲鳴を上げていたかもしれない。

 

 はたして、扉の奥には獪岳の言う通り別な空間があった。

 御本尊、いわゆる仏像が確かにそこには安置されていたのだろう。

 今では、様々な仏具が置かれていたのだろう壇が僅かに残っているばかりだ。

 もちろん、行方不明の隊士の姿もなかった。

 

「誰もいない……?」

 

 困惑を隠せなかった。

 誰かがこの廃寺にいたという痕跡すらも見当たらない。

 どうしようもなく、嫌な予感を覚えた。

 何もない。安堵すべきその情報が、瑠衣の警戒心を逆に高めていた。

 ()()()()()()()()

 

「外に」

 

 出ましょう、と言おうとした、その時だった。

 首の後ろに、鋭い痛みが走った。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 どうにも嫌な予感が拭えずに、千寿郎は何度も空を見た。

 道着姿で煉獄邸の庭に出て、手には木刀を持っている。

 どうやら、鍛錬をしていたようだ。

 

「千寿郎、集中しなさい」

「あ、はい! すみません父上っ!」

「鍛錬の時は、師範と呼びなさい」

「はい! 師範!」

 

 そんな千寿郎を指導しているのは、もちろん槇寿郎だった。

 縁側に座り、木刀を玉砂利の地面に立てている。

 槇寿郎は、木刀を振り始めた千寿郎に厳しい視線を向けていた。

 千寿郎は父の視線を感じているのか、素振りに集中しながらも緊張していた。

 

 父親に見られて緊張しない息子はいない。

 しかも槇寿郎のそれは、同時に師弟としての色も帯びている。

 少しでも気を逸らせば、いつ落第を言い渡されるかわからないのだ。

 だというのに、千寿郎は胸中に生まれた靄のようなものを消せずにいた。

 そうした雑念は、剣先にはっきりと出てしまうものだ。

 

「……千寿郎」

 

 嘆息が聞こえて、千寿郎はびくりと肩を震わせた。

 木刀を手に槇寿郎が立ち上がるのが見えて、額に汗を滲ませる。

 鍛錬の時の父は厳しい。

 身を入れて鍛錬していないと思われれば――実際、心ここにあらずだった――厳しい罰を与えられてもおかしくはない。

 

「…………ッ」

 

 目を閉じて、身を竦ませた。

 しかし覚悟したものは来ず、代わりに頭に大きなものが乗ったのを感じた。

 おそるおそる目を開けると、次の瞬間には千寿郎はきょとんとした表情を浮かべた。

 槇寿郎が、息子の頭に手を置いていたのである。

 

「杏寿郎や瑠衣のことが心配か?」

 

 見抜かれていた。

 千寿郎の顔が、かっと熱くなった。

 

「兄上は、ここのところ帰ってきません」

 

 先日の柱合会議の日から、杏寿郎は任務の頻度が明らかに上がっていた。

 一方で、それまで家を空けることの多かった槇寿郎が任務に出ることが少なくなった。

 まだ直接聞いたわけではないが、千寿郎にも察するところはあった。

 

「姉上は、あまりお休みになっていません」

 

 そして瑠衣。

 千寿郎は、瑠衣が毎日のように夜半過ぎまで鍛錬に打ち込んでいることを知っていた。

 それでいて鬼殺の任務もこなし、家にいる時は家事に打ち込んだりする。

 心配だった。ただ、姉の身体が心配だった。 

 

 そんな千寿郎のことを、槇寿郎は良く理解していた。

 千寿郎はきっと、母親の血が濃いのだろう。

 強さよりも優しさの方を、より多く受け継いでいる。

 

「大丈夫だ、千寿郎。お前の兄と姉は、お前が思っているよりもずっと強い」

「……はい」

「2人とも任務を終えて、すぐに帰って来る。鍛錬が終わったら、買い出しに行くとしよう。2人ともきっと腹を空かせて帰って来るだろうからな」

「……はい!」

 

 明るい笑顔を浮かべた千寿郎に、槇寿郎も笑みを浮かべて見せた。

 鬼殺隊士である以上、危険は付きものだ。避けることは難しい。

 待っている人間に出来ることは、普段通りに迎えてやることだけだ。

 ただそれだけで気持ちが救われるのだということを、槇寿郎は良く知っていた。

 

「あ、でも父上は厨には近づかないでくださいね!」

「…………むう」

 

 それが、信じるということなのだ。

 槇寿郎は、息子達が今も立派に鬼殺隊士としての責務を果たしていることを疑っていなかった。

 きっと今も、雄々しく――瑠衣は女子だが――戦っていることだろう。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 今すぐ家に帰って、弟を抱き枕にして癒されたい。

 そう思った。

 

(い゛っ……!)

 

 かなり痛い。首の後ろだ。

 何かが首の後ろに突き刺さり、しかも痛みは体内に()()()()()()()

 注射針、が表現としては近いだろうか。

 身体の内側に、皮膚を破って異物が入り込んで来る感覚。

 

 何だ、と思う前に瑠衣が取った行動は2つだ。

 まず1つは、全集中の呼吸。呼吸を深くして血の巡りを遅らせる。毒対策だ。

 そしてもう1つは、日輪刀を構えて振り向くことだ。

 敵は後ろにいると、そう思ったからだ。

 

「…………ッ!?」

 

 しかし後ろを振り向いたところで、瑠衣が見たのは敵の姿ではなかった。

 視界に飛び込んできたのは。

 

「木、じゃない……根っ!?」

 

 天井からだ、砂色の根のような物体が幾本も垂れ下がっていた。

 いったい、いつの間に。全く気配に気付かなかった。

 だがそれ以上に問題なのは、異常に俊敏な動きによって、根が瑠衣達に襲いかかっているということだ。

 

 ――――風の呼吸・壱ノ型『塵旋風・削ぎ』!

 

 躊躇しなかった。

 風の刃を纏って突進、天井から垂れ下がっている根の大半を斬り飛ばした。

 それで、獪岳や禊達に襲いかかっていた根も含めて排除することができた。

 振り仰いで、瑠衣が声を上げた。

 

「大丈夫ですかっ!?」

 

 それを見て、畜生が、と思ったのは獪岳だ。

 今の瑠衣の攻撃は彼から見てもなかなかのものだったが、獪岳の実力をもってすれば瑠衣に先んじることも出来たはずだ。

 それが出来なかったのは、瑠衣が首に受けた()()を、獪岳は右腕――利き腕だ――に受けていたからである。

 

「ちいっ、何だよこれは!?」

 

 獪岳の右手の甲に付着したそれは、傍目には()()()()のように見えた。

 濃い紫色をしていて、表面はザラザラとしており、気のせいでなければピクピクと動いている。

 強く手の肉に喰い込んでいるようで、力尽くで引き剥がすのは得策ではないように思えた。

 しかも異物感は手の甲から手首へと徐々に広がって来ていて、悪化していることがまさに「肌で」感じられた。

 

「あの気持ち悪いのもまた生えてきてるし……!」

 

 禊は左足だった。

 ふくらはぎの辺りから膝、太ももにかけて、蜘蛛の巣のように紫色の線が走っている。

 白く肉付きの良い足だけに、痛々しい。

 そして禊の言葉通り、瑠衣が切り飛ばした根は再び天井から伸び始めていた。

 

 明らかに、攻撃されている。

 普通の状況ではない。

 その時だ、瑠衣達の前に何かが音を立てて落ちて来た。

 鈍い音を立てて床に跳ねたそれは、刀だった。水色の刃。

 

 ――――柚羽の、日輪刀だった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 日輪刀は、鬼に対抗するほとんど唯一の武器である。

 だから鬼殺隊士は、何を捨てても日輪刀だけは絶対に手放さない。

 それでも、手放す時とは?

 ――――血の気が、引いた。

 

「アハハハハハハハハハッ」

 

 声が落ちて来た。

 上だ。

 見上げると、根の節々に突起物があり、仄かな光を放っていた。

 暗闇の中、紫色の輝きは不気味としか言いようがないが、視界はマシになった。

 

「……っ」

 

 まず、柚羽の姿が見えた。

 ほっとしたのも束の間、柚羽が全身を根に絡めとられているのを見ると、すぐに緊張した。

 その柚羽の傍に、()()がいたからだ。

 

 色素の抜けた白髪、血の色の眼に紫玉の瞳、鋭い牙と爪。

 首に巻かれた何かの毛皮、血液をぶちまけたかのような赤い着物、黒い帯。

 額の、2本の角。人間ではない、鬼だ。

 鬼が、そこにいた。

 

「柚羽さん!」

 

 柚羽は瑠衣の呼びかけに応じようとしたようだったが、鬼の手が喉に伸びていて出来なかった。

 その首に、獪岳の手や禊の足にあるものと――そしておそらく、瑠衣の首にあるものと――同じ、奇妙なできものがあった。

 鬼の手は、そのできものを撫でているようだった。

 

「鬼狩りって、底抜けの馬鹿ばっかりよねえ」

 

 そうしながら、鬼は――女の鬼だ。見た目は瑠衣達よりも幼く見える――喉を鳴らして嗤った。

 

「1人捕まえたら、何もしなくても次々にやって来るんだもの。しかも、ぞろぞろやって来る奴に限って弱い」

 

 次の瞬間、瑠衣の視界に禊の後ろ姿が飛び出していた。

 右足一本で跳んでいて、どこから取り出したのだろう、長槍――日輪刀は「刀」に限らない――を持っていた。

 届かないと思っていたが、どういうわけか刃が()()()

 明らかに鬼の顔を狙っていたが、より高い場所に移動されてかわされた。禊の舌打ちが響く。

 

 そしてその後に、もう1人。獪岳だ。

 彼は空中で身を捻るようにしながら、左手に持った日輪刀を振り回した。

 利き腕でないせいか、いつもより荒っぽい斬り方だったが、それでも柚羽に絡みついた根を切断するには十分だった。

 力なく落ちて来た柚羽を、瑠衣が受け止めた。

 

「酷いことをするわ」

 

 獲物を奪い返されたというのに、あっさりとした声が落ちて来た。

 鬼は自分を睨みつける3人に対して、嘲るような目を向けている。

 いや、実際に嘲っている。

 

「そんなに乱暴に根を斬って、聞こえない? 痛い痛いって、泣いているのが」

「はっ、植物が泣くわけねえだろ。啼くのはテメェだ、ゴミが」

「……()()()()()?」

 

 鬼の口が、三日月の形に歪む。

 そうして、誰も喋らなくなった時だ。微かに聞こえて来た。

 泣き声……いや、これは呻き声だ。

 誰かが苦し気に、呻いている。

 

 鬼の傍に、根の塊が下りて来た。

 その塊は人の形をしていて、そこからシュルシュルと幾本かの根が離れていった。

 はらり、と外に出たのは、赤みがかった黒髪だ。

 根が離れて外部に露出した部分から、僅かに黒の隊服が覗いている。

 うう、と、呻き声が聞こえた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 行方不明の女性隊士――旭榛名という名の――だと、すぐにわかった。

 だから瑠衣は、再び根を斬ろうと刀を構えた。

 しかし、それ以上は動けなかった。

 

「こうすれば、動けないんだもんねえ。アンタ達は」

 

 ニヤニヤと、いやらしい笑みを浮かべていた。

 柚羽にしていたのと同じように、榛名の首を掴んでいる。

 先程と違うのは、高さだ。

 天井に近いところにいるので、一息で跳んで助けるということが難しい。

 しかも、「根の痛み」だ。

 

「この根はね、わたしの血鬼術(けっきじゅつ)で作り出したもの」

 

 血鬼術。鬼の異能。

 鬼は基本的に人間を喰えば喰う程に力を増し、さらに選ばれた鬼は異能の力――血鬼術を得る。

 時として自然現象すらも捻じ曲げる、人智を越えた力だ。

 

「わたしが植え付けた種子は、宿主の血と肉で発芽する。そして発芽した根は、宿主の体そのもの」

 

 つまり、この根を傷つけることは榛名を傷つけるということだ。

 根を斬るということは、榛名の手足を斬ることに等しい。

 しかも、榛名は明らかに生きていた。

 いや、()()()()()()()

 

 人質。盾。そのために。

 鬼の下まで跳び、斬る。これはそう難しいことではない。

 だが、まだ生きている仲間を無視できるか。

 榛名は、できなかったのだろう。

 

「本当に馬鹿よね、こいつも。先に捕まえたエサを盾にしたら、簡単にやられてくれたもの」

「……先に捕まえていた人は、どうしたんですか」

「食べたわ」

 

 もう喰った。

 口角を歪めて、あっさりと、そう答えた。

 戸棚の饅頭でも食べたかのような、そんな口調だった。

 声が落ちてくる。

 

「楽しかったわあ。こいつの目の前で食べてやった」

 

「そうしたら、みっともなく泣いてね。その人を食べないで、食べないで……うふふふふふ」

 

「次は自分が仲間を釣るエサになると知って、暴れるのも面白かった。無駄だったけど」

 

「それから、わたしの種子が根を張っていくのを見ていたわ。わたしはこれが好きなの」

 

「体の自由が少しずつ奪われて、意識さえもなくなっていく、あの恐怖と絶望で少しずつ引き攣っていく顔ときたら」

 

「うふふ、うふふふふ……アハハハハハハハハハハハハハハハッ」

 

 ……とんでもない下種(ゲス)だと、獪岳は思った。

 鬼というのは大体そうだが、こいつは格別だ。

 同時に、斬ろう、と思った。

 あの女性隊士には悪いが、こんなところで死ぬつもりが獪岳にはなかった。

 

「…………」

 

 とん、と、床を蹴る音がした。

 それは跳躍のためのものではなく、足運びのそれだ。

 とんとん、とんとん、と、拍子を打つように何度も繰り返されている。

 その音を聞いて、獪岳は動きを止めた。

 

 同時に、ヤバい、と思った。

 獪岳はこの音を、かつて一度だけ聞いたことがあった。

 最終選別の時だ。

 ()()が、出てきている。

 ()()()()()()()()()()()

 

()()

 

 低い声だった。

 誰の声か。

 

「……はあ? 何か言った?」

「――――()()()()って言ったんだよ、このクソ鬼が」

 

 瑠衣だった。

 握り締めた日輪刀の柄が、ミシミシと音を立てている。

 小柄な体躯が、大きく膨らんだようにさえ見える。

 怒らせた両肩からは、蒸気でも吹き上がりそうな錯覚さえ覚えた。

 罪のない者を嗤って殺す悪鬼に対する、それは純粋な怒り。

 

「殺す? 面白いことを言うじゃない、このわたしに――――()()()()()()()()

 

 さらりと髪をかき上げると、鬼の左目が赤く輝いた。

 浮かび上がる「下肆」の二字。

 下弦の肆。

 十二鬼月、と、禊が口の中で呟くのが聞こえた。

 

「宣言してやる、クソ鬼」

 

 父・槇寿郎は、師・不死川は、自分にこう教えた。

 見鬼必滅。

 悪鬼、滅殺。

 鬼は――――即座に斬れ!

 

「お前は、この煉獄の風刃に骨まで八つ裂かれて死ぬ」

 

 とんとん、と、瑠衣の体が小さく跳ね続けていた。

 とんとん。

 ――――とん、とん。




読者投稿キャラクター:
ひがつち様:一葉禊
グニル様:旭榛名
投稿ありがとうございました。

最後までお読み頂きありがとうございます。

第4話を「第肆話」にするか死ぬほど悩みました(え)

話もちょっと難産でした、下弦の肆のキャラクターに悩んだからです。
何しろ原作が原作ですからね…!
血鬼術も名前から考えてみましたが、大丈夫かなあ。

はあ…どうやって瑠衣達をピンチにしようかなあ(え)

それでは、また次回。
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