鬼滅の刃―鬼眼の少女―   作:竜華零

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第49話:「拠点へ」

 夜が明け切る前に、町の外に出る必要があった。

 鬼の共有感覚網(ネットワーク)はすでに天狗鬼の死を掴んでいるだろうし、朝になれば人間側も何らかの対応をするだろう。

 警察も軍隊も、今は鬼の味方だ。

 鬼はともかく、人間と敵対するわけにはいかない。

 

「じゃあ、ここでお別れだ」

「ありがとうございます」

 

 武雄は、町の郊外まで瑠衣達を見送ってくれた。

 村田と知己も一緒だ。元より瑠衣の目的は仲間の救出だ。

 むしろ武雄との再会の方が偶然だった。

 

「その、大丈夫ですか? これから……」

 

 知己が心配したのは、その武雄達の今後だった。

 正直に言って、町は混乱している。

 それでなくとも、鬼に対する抵抗運動は危険を伴う。

 町を離れた方が良いのではないか、と言外に言いたかったのだ。

 

「なあに、何とかやっていくよ」

 

 しかし武雄には、そのつもりが無いようだった。

 肝が据わっているというべきか、とっくに覚悟を完了しているというべきか。

 いずれにせよ、武雄には町から出る意思はない。それはわかった。

 

 武雄の答えを聞いてから、知己は少しだけ後悔を覚えた。

 何となく、余計なことを聞いてしまったと思ったのだ。

 ただそれを口にすることの方が余計な気がして、今度は何も言えなくなってしまった。

 形式的な場であればともかく、こうした場面での語彙(ごい)にはまだ自信が無かった。

 

「警官さん」

「ああ」

「……ご武運を」

 

 手を合わせた瑠衣に、武雄が頷いた。

 武雄が瑠衣を見つめる眼差しは、どこか感慨深そうに見えた。

 それが何故なのか。それこそ余計なことだろうと、知己は思った。

 

「ああ、瑠衣さんも。大変だと思うけど、どうか幸運を。気を付けて」

 

 空が白み始めてきたので、武雄とはそこで別れた。

 武雄は瑠衣達が丘を越えて姿が見えなくなるまで、そこに立っていた。

 また会えるのか。会えるとしていつになるのか、見当もつかない。

 その背中が消えた先を、武雄は見つめていた。

 

「おい武雄。そろそろ」

「ああ、そうだな」

 

 仲間に促されて、武雄はようやく目を離した。

 夜が明けるまでここにいるのは危ない。それは武雄も同じだった。

 天狗鬼が倒されたと言っても、鬼が滅びたわけではない。混乱もいずれは収まる。

 それどころか、明日には新しい鬼が派遣されて来て、町は元通りだろう。

 

 だから自分達がいるのだ、と武雄は思っていた。

 元通りになった町の中で、実はそうじゃないんだ、と言い続ける。

 それが彼らなりの鬼への反抗であり、鬼と戦う者達への(はなむけ)なのだ。

 武雄は、そう信じているのだった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

「それで、そのー。これから俺達はどうすれば……?」

 

 そう言ってから、村田は「あー、俺って情けないなー」と思った。

 というのも、彼が今後の方針を聞いたのは年下の、しかも女の子だったからだ。

 もっと言えば、自分より階級が――鬼殺隊の階級制度が今も有効であれば――上である。

 煉獄瑠衣。いわゆる()()()()()だ。

 

 村田は、剣士としては至って平凡な部類に入る。

 水の呼吸を使うが、刀の色は薄く、それほど剣才に恵まれているわけでもない。

 長く生き残ってはいるが、鬼の討伐数も少ない。だから階級も下から数えた方が早い。

 柱はもちろん、瑠衣の階級である「甲」も雲の上の存在なのだ。

 当たり前のように鬼を狩る剣士は、村田には眩し過ぎる。

 

(そういや、あいつらもそうだったな)

 

 炭治郎とその同期。あの世代は特に凄かった。

 上弦と戦って生き残っただけではなく、討伐戦にも関わっていた。

 ぶっちゃけ、入隊したての時点で村田よりすでに強かったかもしれない。

 まあ、それも今となっては……。

 

「僕も知りたいです。この数か月、実はいくつかの拠点に行ってみたんです。でも、どこも壊滅していて……」

 

 鬼殺隊は政府非公認の組織だが、それは()()()()()()()()()()()()()()()()()

 日本政府は鬼殺隊のことを認識していたし、調べてもいた。

 それは、()()()()知己が良く知っている。

 

「舟生君の言った通り、鬼殺隊の拠点はほとんどが鬼によって潰されました」

 

 だから、瑠衣の物言いには少々ドキリとした。

 ただ前を駆ける瑠衣は知己を振り返ることはなく、そのまま会話を続けた。

 

「もう知っていると思いますが、この国は今、鬼の手にあります」

 

 日本政府が鬼に掌握されたために、ほとんどの拠点の位置がバレてしまった。

 本来なら指揮を執るべき産屋敷の後継者も、そのせいで表立った行動がとれずにいる。

 集結する拠点がないために、辛うじて生き残った者達も苦境に立たされてしまっているのだ。

 

「なので既存の拠点は、刀鍛冶の空里(からざと)も含めて使用不能になっています」

「そ、それじゃあ、俺達はどこへ向かっている……んですか!?」

「どうぞ言葉は崩してください。私の方が年下なのですから」

 

 そう言われても、と、村田は露骨に渋い顔をした。

 

「……まあ、走りながらする話でもないので。とりあえず先を急ぎましょうか」

「だからっ。あー、どこへ?」

「どこって、それはもちろん」

 

 そこで初めて、瑠衣は後ろを振り向いた。

 その顔には、どこか悪戯めいた微笑を浮かべていた。

 

()()()()()()()()

 

  ◆  ◆  ◆

 

 そこからの移動は、過酷を極めた。

 まず、半日ほど駆け続けた。

 途中で2度ほど川辺で小休止を取ったが、ほぼ走り通しだった。

 町から半日分も離れてどこへ向かうかと思えば、今度は山に入った。

 

 しかもこの山が険しく、また深い。

 おまけに瑠衣がどう考えても遠回りだろうというルートで進むので、さらに時間がかかった。

 山中で一晩を過ごす羽目になった。

 この数か月で村田も知己も野宿には慣れたものだったが、それでも疲労は隠しようも無かった。

 

「眠る前に、少しで良いのでお腹に食べ物を入れてください。温まりますよ」

 

 瑠衣は、良く塩をまぶした握り飯を木製の椀に入れて、そこにお湯を注いで粥にした。

 村田も知己も疲れ切っていたが、口をつけると舌先に塩の味が広がって、ぐっと椀を傾けた。

 ほとんど喉に流し込むようにして椀を空にすると、胃のあたりに熱を感じた。

 

「夜明け前に出発します」

 

 身体が温まると、すぐに瞼が重くなった。

 そうして視界が途切れた。

 

「おはようございます」

 

 と思えば、笑える程にすぐに朝が来た。

 目を閉じて開ける。それで一夜だ。

 厳密には夜明け前だったが、朝は朝だった。

 

「冷えますね。ただのお湯ですが、ゆっくり飲んでください」

 

 焚火は、絶えず燃えていたようだ。薪の燃え残りの量でわかる。

 それをぼんやりと見ていると、瑠衣が白湯(さゆ)を差し出して来たので、それを飲んだ。

 流し込むと、喉から胃にかけてがゆっくりと熱を持った。

 身体が冷えていたのだと、その時に初めて気付いた。

 

「出発しましょう。村田さん、大丈夫ですか? 大丈夫じゃなくても頑張って歩……走ってくださいね」

「走るの!? 今日も走るの!?」

「走ります。あと登ります」

「登るの!?」

「崖を」

「崖を!?」

 

 実際、その日はまた山中を半日駆け回った。

 いくつ山を越えたのか。途中で数えるのをやめた。自分の位置もわからなくなってきた。

 わかっているのは、どんどん渓谷深くに入っている、ということだった。

 ただ村田と知己の疲労が大きく、途中でペースが格段に落ちた。

 仕方なく、山中でもう一夜明かすことになった。

 

 さらに翌日になると、村田と知己は喋らなくなった。

 元から口数の多い方では無いが、単に喋る体力がなくなったのだ。

 いざ崖を登る段になっても、何も言わずに登り始めた。

 呼吸を使っていても、限界はある。

 

(指先の感覚がなくなって来た)

 

 千寿郎の同期――いわば新人である知己は、まだ常中にムラがある。

 疲労が極限に達すれば、呼吸による身体強化も弱くなる。指先の痺れはそれを表していた。

 

「うっ」

 

 そのせいで、掴んだところが浮き石だと気付けなかった。

 足で踏ん張ろうと思ったが、力が入らずに靴先が滑ってしまった。

 滑落する。そう思った時、手を掴まれた。

 

「もう少しです。気を付けて」

 

 瑠衣だった。はっとするほど、その手は温かかった。

 まるで、燃えているようだ。

 岸壁に引き上げられながら、そんなことを思った。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 ――――()()

 その存在は、日本中に広まっている。

 ただ市井で好まれているのは、超人的な技能や妖しげな術を使って敵を倒す()()()の忍者だ。

 

 実際の忍者は、幕府や大名等の有力者に雇われる傭兵に近かった。

 中には独自の勢力を持つ忍者集団も存在したが、時代の流れと共に大勢力に組み込まれていった。

 諜報活動や破壊活動、暗殺等を得手とする特殊技能者――もちろん、創作にあるような「忍術」とは別――の集団。

 それが、忍者だ。

 

「信じらんねえ」

「……ええ」

 

 呆然と立ち尽くす村田の呟きに、知己は同意した。

 深い森を抜け、険しい山を越え、切り立った崖を登った。

 その果てに彼らが辿り着いたのは――()()だった。

 

 茅葺(かやぶき)屋根の、どこにでもある田舎の家が散見される。

 小さいながらも水田が広がっていて、少なくない人間が生活している様子が窺い知れた。

 ただ余りにものどか過ぎて、直前までの道のりの険しさと比例しない。

 だから村田も知己も、唖然とした顔で目の前の光景を見つめているのだった。

 

「お疲れ様です。ここまで来れば安全なので、ひとまずあちらの小屋で休んでいてください」

「あの、ここは」

()()()()。まあ、間借り状態なのですけれど」

 

 拠点と、瑠衣は言った。

 隊士でさえ来るのに苦労するこんな場所に、どうして鬼殺隊の拠点があるのだろうか。

 しかし瑠衣は「間借り」と言った。違和感のある言い方だった。

 鬼殺隊に拠点を貸すような相手が、はたしているものだろうか。

 

「詳しいことは休憩後に説明します。私は先に、()()に帰還のご挨拶をしてきますので」

「――――その必要はないよ」

 

 不意に、頭上から声がした。

 

「山に入った時点で気付いていたからね」

 

 山桜の木があり、太い枝の根元に彼は座っていた。

 村田は、自分達を見下ろすその男に、特徴を見出すことが出来なかった。

 黒髪の、中肉中背。町を歩けば何人もすれ違いそうな凡庸な容姿。

 気になるとすれば、宝石を嵌め込んだ額当て――どこかで見たような――と、目だ。

 

(いったい、どこを見てるんだよ)

 

 こちらを見ているような、そうでないような、不思議な目だ。

 目を向けられているのに、目が合わせられない。

 何を考えているのかが読めずに、背筋に冷たいものを感じた。

 

「今回は2人か」

「はい。おかげ様で」

「口が2つ増えたわけだ」

「その点は最初に説明したはずです」

 

 その男と瑠衣の会話にも、緊張感がある。

 お互い穏やかな様子な分、余計にそれが伝わる。

 

「まあ、良いさ。そちらの事情には干渉しない」

 

 音もなく、彼は着地した。

 

「払うものさえ払って貰えればね」

「ええ、勿論。その点も最初にお話した通りです」

「なら、もう何も言わないよ」

 

 そして、()()()

 村田の目にはそうとしか見えなかった。

 瞬きをした次の瞬間には、男の姿が視界から消えていたのだ。

 

「あ、あいつはいったい何なんですか!?」

「彼はここの頭領です。名前は私も知りません。ただどういう方かは知っています。彼は」

「あいつは?」

「彼は……()()()()()()です」

 

 音柱・宇髄天元。()・忍者。

 先程の不思議な男は宇髄の弟であり、そして。

 この村は、宇髄の()()なのだった――――。

 

  ◆  ◆  ◆

 

「上弦による本部襲撃の後、ここを発見したのは本当にたまたまです」

 

 宇髄一族の忍里。その一角の小屋を拠点として借り受けていた。

 拠点とは言っても、元は使われていない家屋だ。

 3人も座ると、少し手狭に感じる。

 

「ばうっ」

 

 さらに犬――コロがちょこちょこと瑠衣の後をついて歩き回るものだから、余計に狭い。

 瑠衣が帰って来たのが嬉しいのかどうなのか、しかし顔の前で子供大の大きさの犬が右に左にと動かれると、非常に気になる。

 日本の犬種と違って筋肉質なので、つい怯んでしまう。

 ただ瑠衣が座るとその膝に頭を乗せて甘える。その仕草は、なるほど可愛げもあると思った。

 

「もっと正確に言えば、たまたま山に入り込んだ時に向こうから接触して来たんです」

「な、何でわざわざこんな険しい山に」

「鬼がいたので」

「なるほど」

 

 元々、宇髄一族は産屋敷家と()()があったらしい。

 鬼狩りと忍者。ともに戦国時代から続く裏稼業だ。

 何らかの繋がりや協力関係があったとしても、おかしくはないだろう。

 ()()()の宇髄がすんなりと鬼殺隊に入れたことも、そのあたりの事情が関係しているのかもしれない。

 

「元々、明治・大正の世になって忍者の仕事は激減していたそうです。産屋敷家は数少ない()()()の1つだったとか」

「あの、それって俺達みたいな下っ端が聞いて良い話なんですかね……?」

「構わないでしょう。今さら隠す意味もありません」

 

 太平の世に忍者の居場所はない。

 鬼殺隊のように異形の化物を狩るわけでも、産屋敷家のように実業家の側面を持つわけでもない。

 なので鬼殺隊の壊滅は、宇髄一族にとっても重要な意味を持っていた。

 だからお膝元に鬼狩りが姿を見せた時に、接触してきたのだ。

 

「忍者の方々にとっても、現在の状況は困っているそうです」

「まあ、鬼が忍者を必要とするとも思えませんしね」

「ああ、なるほど」

 

 鬼の異能をもってすれば、忍者など使わずとも情報収集も暗殺も出来る。

 そもそも軍隊・警察を掌握した以上、時代遅れの忍者に頼る必要もない。

 少なくとも鬼舞辻無惨の視界に、忍者という存在は入っていないだろう。

 

 だからこそ、瑠衣達にとっては僥倖だった。

 ()退()()()だからこそ、政府との関係が薄かったからこそ、忍里は無事でいられたからだ。

 そして忍者側も、鬼に取り入る余地が無いと思えばこそ、瑠衣達と組んでいる。

 

「……ばうっ」

 

 その時、コロが外に向かって吠えた。

 警戒した風ではなく、呼びかけと言った感じの鳴き方だった。

 

「ちょっと何よ、何で増えてるわけ?」

 

 すると、小屋の扉が開いた。

 それもかなり強く。無遠慮に。いやむしろ外れかけている。

 かっと陽の光が差し込んで、眩しさに目を瞬かせた。

 数秒の後、そこに立つ少女の姿が浮かび上がった。

 

「チョーウケるんですけど」

「お帰りなさい。禊さん。見たところ、そちらは外れだったみたいですね」

「そうね。()()()()()()

 

 山吹色の髪を揺らしながら上がり込み――村田が慌ててスペースを空けていた――どかりと座った。

 コロが寄って行ったが、舌打ちしていた。動物は嫌いなのかもしれない。

 しっしと手で追い払う仕草をして、コロも諦めて尻尾を落としていた。

 

 その頃には、瑠衣は湯呑に僅かの茶葉とたっぷりのお湯を淹れていて、そっと差し出した。

 禊はそれを無言で睨みつけ、手をつけずに、懐から取り出した水筒を口にした。

 一息に呷り、水筒と一緒に取り出した紙を湯呑の横に投げ置いた。

 

「これは?」

「手紙。戻る途中で鴉が持って来たわ」

「なるほど」

()()()からよ」

 

 陽光山?

 村田が知己に目配せをする。知己は首を横に振った。

 知らない。いや山の名前は知っているが、詳細は知らない。

 彼ら一般の隊士がその山について知っていることは、1つだけだ。

 日輪刀の、()()()()()

 

  ◆  ◆  ◆

 

 日輪刀は、()()()()()

 太陽の光以外で死ぬことのない鬼を殺すことができるのは、日輪刀がその内側に太陽の力を宿しているからに他ならない。

 故にその原料となる鉄もまた、特別な鉄だ。

 

 猩々緋(しょうじょうひ)砂鉄と猩々緋鉱石。

 陽光を吸収する性質を持ち、一年中陽光が降り注ぐ――曇ることもなく雨も降らない――陽光山という山でしか採れない。

 この鉄を刀鍛冶達に伝わる技巧で打ち鍛えて、初めて日輪刀は鬼を殺す武器足り得るのだ。

 

「これは、()()()()()()

 

 手紙を一読し、瑠衣はそう言った。

 その手紙はところどころが風雨に晒されたように痛んでおり、一部の文字は滲んで読めなくなってしまっていた。

 それでも読める部分を繋ぎ合わせてみると、陽光山が危機を訴えていることはわかった。

 

「禊さん。この文をどこで?」

「ここに戻る途中で鎹鴉が持ってきたのよ。てっきりあんたかと思ったけど、知らない鴉だったわ」

「……その鴉は?」

「死んだわ」

 

 禊が手紙を受け取った次の瞬間に、喘ぐような呼吸をして、すぐに死んだ。

 手紙には、宛名がなかった。

 書き殴ったような筆跡から、差出人の悲壮さが浮かび上がって来る。

 誰か、という叫びが、聞こえてくるようだった。

 

「どうするの?」

「……行くしかないでしょう」

 

 陽光山は、日輪刀の原料を供給するほとんど唯一の場所だ。

 あの山の鉄を断たれるということは、日輪刀の供給を断たれるということだ。

 すなわち、鬼と戦う力を失うということを意味する。

 

「この救援要請が届いたのが私達だけだとすれば、放置はできません。私達が行かなければ陽光山は落ちてしまう」

 

 時間的な余裕はない。

 鴉が水も食も断って跳び続け、禊を見つけるまでの時間。

 そして禊が手紙を受け取ってからここまで戻るまで時間。

 

「もう落ちていたら?」

 

 それだけの時間を持ち堪えられる程、陽光山に武力は無い。

 だから禊が言うように、すでに落ちていることも十分に考えられる。

 

()()()()()

 

 強い言葉だ。禊は片眉を動かした。

 

「こっちの戦力は2人だけ。わたしとあんたで陽光山を奪い返すってわけ?」

「え、あの俺達も……」

「どうかしてるわよ、あんた」

「そうかもしれません。でも」

 

 無視された村田は、知己に肩を叩かれていた。

 

「ですがこれは、私達の同胞(鎹鴉)が命を賭して運んだ救援要請です。であれば、行かないわけにはいきません」

 

 何より煉獄家の娘として、同胞の危機を見過ごすことは出来ない。

 それに瑠衣や禊の日輪刀は特別な仕様だ。原料供給が断たれれば二度と打てない。

 個人的な事情としても、陽光山を放置することは出来ないのだ。

 

「ただ禊さんの言う通り、危険度の高い任務になります。私1人で行きます」

「は? なにそれ」

「私が陽光山に行くので、禊さんはここに残ってください。危ないので」

「ああ、なるほど。危ないからわたしはここにいろってことね。把握したわ」

 

 うんうんと頷いた禊は、笑顔を浮かべてこう言った。

 

「ぶっ殺すわよ、あんた」

 

  ◆  ◆  ◆

 

 実をいうと、陽光山というのは正確な名前ではない。

 これは鬼殺隊内部の呼び名であり、世間一般の呼び名は別にある。

 日本で最も高く、陽光に近い山。心当たりのある者もいるかもしれない。

 しかしそれは、つまるところ1つの事実を示していた。

 ()()、ということだ。

 

「ちょ、ちょっと……ちょっと待って……げほっ」

 

 手近な岩に手をついて、村田はぜえぜえと呼吸を荒げていた。

 口元を覆っていた布を取り、腰に下げた水筒に口をつけた。

 ごくごくと音を立てて水を飲み干す。

 よほど水分を欲していたのだろうが、その割に不思議と汗はかいていなかった。

 

「村田さん、大丈夫ですか?」

「わ、悪い。でもちょっとペース早すぎ……」

「寝惚けたこと言ってんじゃないわよ。これ以上ペース落としたら夜になるわよ。こんな場所で夜を迎えるなんて冗談じゃないわ」

 

 前後から真逆の声をかけられて、村田は改めて自分の状態を確認した。

 彼は、山を登っていた。()()()だ。登山になるのは当然だった。

 だがこの山は、宇髄一族の忍里よりも遥かに大きな山だった。()()()()()()だ。

 装備も、防寒用の外套を着込み、呼吸をする口元も布を巻く徹底ぶりだった。

 

 さらに、体を前後の仲間と縄で繋いでいた。

 足元は短い植物と乾いた砂、ゴロゴロした中小の石が転がっていて、酷く歩きにくい。

 だから命綱で繋ぎ、緩やかな――しかし滑落すればおそらく止まれない――傾斜を進んでいる。

 忍里の山ほど非常識ではないが、一方で常識的な登山が延々続くのもキツい。

 ちなみに命綱の先頭は瑠衣、最後列が禊で、村田と知己を挟み込む形になっていた。

 

(それだけでも相当に情けないけど、でもこの()達の体力も化物すぎるだろ)

 

 半ば無理に――むきになってついて来たのだが、村田はすでに後悔していた。

 というか、この数日間ずっと山登りである。いい加減うんざりだ。

 しかしそうは言っても、得体の知れない忍者に囲まれて過ごすのも忌避感があった。

 

「それで! ()()()()はまだ先なわけ!?」

「そうですね……」

 

 禊の怒声を背に、瑠衣は周囲を見渡した。

 空を見上げ、懐から地図を取り出して位置を確認した。

 

「もう少しです! このまま進みましょう!」

 

 後ろにそう叫び返して、さらに村田に声をかけた。

 声を出すのも億劫な気分で、村田は「大丈夫だ」と手を上げた。

 女の子、しかも後輩の前で、いつまでもへばってはいられなかった。

 自分にだってそれくらいのプライドはあると、村田はそう思った。

 

 それに、やはり仲間と一緒にいるというのは安心した。

 鬼殺隊壊滅直後は、瑠衣や知己と出会ったあの町に至るまで、ずっと1人で逃げ回っていた。

 毎日が不安で、今日のことばかりで、明日のことなど考えていられなかった。

 今は違う。少なくとも今は、明確な任務がわかる。

 それだけで、村田は充実していた。

 

「ばうっばうっ」

「ええ、その岩は避けましょう。コロさん」

 

 もういくらか日没の時間か、という時になって、コロが吠えた。

 この犬は瑠衣のさらに前を進んでいて、事実上の先導役になっていた。

 村田が知るどんな犬よりも賢く、瑠衣の言葉をきちんと理解しているとさえ思えた。

 

「やっと来た! 遅いですよ――――ッ!」

 

 コロの声に頭を上げたところで、()()から声が響いて来た。

 何だと顔を上げると、小さな何かが手を振ってぴょんぴょんと飛び跳ねていた。

 

「瑠衣さ――――ん。お久しぶりです――――ッ!」

 

 ひょっとこの面。刀鍛冶だ。

 小さいのは小鉄で、その傍に大人の刀鍛冶が立っていた。

 男にしては髪の長い。鉄穴森だった。

 小鉄と鉄穴森が、陽光山の入口で、瑠衣達の到着を待っていたのだった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 ――――()()()()()()()

 傍で仲間達が食事をする音を聞きながら、しかし彼は1人、何も口にしていなかった。

 空腹は、感じている。渇きも、覚えている。

 だが、彼は何かを口に入れようとはしなかった。

 

「俺は、満腹だ」

 

 考えていることと真逆のことを、言ってみた。

 もちろん、そんなことで空腹や渇きがなくなるわけではない。

 だが言葉に出して言ってみると、つまり耳でその言葉を聞くと、何となく本当のような気になる。

 ほんの(わず)かだが、気がまぎれる。

 

「俺は、満腹だ」

 

 だから彼は、何度もその言葉を口にした。

 それはまるで、自分自身にそう言い聞かせているかのようだった。

 そうやって自分を納得させないと、空腹に負けてしまいそうだからだ。

 

 何故、そこまでするのか。正直に言えば、実は彼自身にもわかっていない。

 腹が減っているのなら、食べれば良いのだ。

 渇いているのであれば、潤せば良いのだ。

 食べ物がないわけでは無い。周囲では仲間達が普通に食事をしている。

 それなのに、自分はどうしてそれに手を伸ばそうとしないのだろう。

 

「俺は、満腹だ」

 

 また、同じことを言った。

 今度は少し、効果が弱かったような気がする。

 当然だろう。所詮(しょせん)は気休めなのだから。

 何度も繰り返せば、嘘も効果を失う。

 

「俺は、満腹だ」

 

 それでも、繰り返した。

 他に頼るものもない。

 この言葉をやめれば、その時こそ、自分は耐えられなくなる。

 そんな恐怖感が、彼の唇を動かしていた。

 怯えながら、彼は自分自身に言い聞かせ続けていた。そして、()()()()()

 

「俺は」

 

 嗚呼。誰か、誰でも良いから。誰か。誰か、早く。

 早く、来てくれ。そして。

 そして。嗚呼、そしてどうか、どうか。

 

「満腹、だ」

 

 ()()()()()()()()()




最後までお読みいただきありがとうございます


新年あけましておめでとうございます。
月2回の更新だと、今年もどこまで話が進むかわかりませんが、気長にお付き合いいただけますと幸いです。

それでは、また次回。

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