鬼滅の刃―鬼眼の少女―   作:竜華零

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第54話:「裏切り」

 剣戟の音が響く。

 東京の夜、静寂の中に鋭い音が幾度も重なる。

 それは断続的に続き、やがて止まった。

 

 音もなく地面に着地したのは、鱗滝だった。

 強い衝撃を受けたのだろうか。

 天狗の面の一部が欠けていて、隙間から素顔が覗いていた。

 年相応の皺を刻んだ目元を動かして、鱗滝は()を睨んだ。

 

「おい」

「ああ……」

 

 隣に降り立った桑島が促すと、鱗滝は「わかっている」と言いたげに頷いて見せた。

 そして、続けてこう言った。

 

「勝てんな、これは」

「ふん」

 

 鱗滝の言葉に不満そうに鼻を鳴らしながらも、しかし桑島も否定しなかった。

 老いても、義足でも、2人の動きはなお鋭く、むしろ無駄の無さは現役時代よりもさらに洗練されているとさえ言えた。

 その実力は、未だ柱に届くものだ。

 

 しかしその2人が2人とも、明確に「勝てない」と考えている。

 それ程までに、目の前の敵は強大だった。

 黒い、鬼。

 どこか人間の侍のような風貌を残した、甲殻類の如き異形の鬼。

 上弦の壱――――黒死牟。

 

「まったく、よりにもよって上弦の壱と遭遇するとはな。ツいておらんわい。あ、いや。逆にツいておるのか?」

「どうだろうな」

 

 正直なところ、参ったな、というのが本音だった。

 もちろん、鬼との遭遇を想定しなかったわけではない。

 だが、流石に最強の鬼と遭遇するとは思っていなかった。

 

 当ての少ない調査に出て、上弦の壱に出くわす確率など高いものではない。

 その僅かな確率を引き当てたという意味では、確かに「ツいている」。

 現役の時は己を助けてくれた引きの強さが、今は自分達を追い詰めている。

 何とも、皮肉なものだった。

 

「ふむ」

 

 改めて、目の前の黒死牟を見た。

 異形。しかし、立ち居振る舞いは見事なものだった。

 ()()だが、体の各所から伸びた刀が放つ不可視の刃は強すぎる脅威だった。

 防御も回避も極めて困難。しかも、黒死牟はまだ全く本気ではない。

 

(死ぬな、これは)

 

 鱗滝の脳裏には、細切れに寸断されて絶命する自分の姿がはっきりと見えていた。

 桑島だけでも逃がせればと思ったが、それも無理だろうと思った。

 そもそも、桑島が自分だけ逃げることを是とするとは思えない。

 長い付き合いだ。それくらいはわかる。

 なので、2人揃って死ぬしかない。

 

(あの若者達には、申し訳ないことをしたな)

 

 無惨暗殺を焚き付けておいて、あっさりと退場する。

 そんな自分が、何とも情けない。

 ――――()()()()も、きっとそう思うだろう。

 黒死牟が手を動かすのを見つめながら、そんなことを思った。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 いよいよ、追い詰められてきた。

 これまでも何度も考えて来たことだが、今度ばかりは進退が(きわ)まって来た。

 逃げ出す手段が全くないわけではないが、逃げたところで展望など何も無かった。

 だから、やはり進退窮まっていた。

 

「せめて、無惨の居場所さえわかれば……。いえ、わかっても近付けないと意味がない、か」

 

 適当な民家の屋根から、瑠衣は通りを見下ろしていた。

 多くの人々が思い思いに歩いているが、その表情は暗くない。

 誰もが忙しないが、それは忙しさから来るもので、恐怖からでないことは見ていればわかった。

 鬼に支配されているとは思えない。思わせてくれない。

 

 ひどく、複雑だった。

 無惨を除くべきだと考えているのが、自分達だけなのではないか。

 実は自分達が間違っていて、多くの人々は現状で幸福なのだろうか。

 ふと、そんなことを思ってしまう程だ。

 

「……………………ねえ」

「はい」

 

 そんな瑠衣に、すぐ隣から声をかけてくる少女がいた。

 もちろん、禊である。

 彼女は瑠衣の横に同じように座っていたのだが、酷く嫌そうな表情を浮かべていた。

 

「………………放してくれない?」

「いえ、それはちょっと」

 

 瑠衣の手は、禊の隊服の裾を指先で掴んでいた。

 それは一見ささやかなものだったが、その実、万力の如き力で禊を引き留めていた。

 

「放しなさいよ……!」

「いやあ……いやあ、それはちょっと」

「何でよ! 放しなさいよ……いや本当に放しなさいって、伸びちゃうでしょうが!」

「いやあ~、いやああ~それはちょっと!」

 

 禊が反対側から引っ張っても、びくともしなかった。

 実に完璧な呼吸制御である。

 

「ええい、放せ! 気持ち悪いのよ!」

「痛い!」

 

 最終的に蹴られた。

 しかも割と本気で蹴られた。

 むしろ離れた後も踏みつけられた。

 

「何のつもり?」

「いや、だって捕まえておかないと禊さんどこかに行っちゃうじゃないですか」

「アンタわたしを何だと思ってるわけ? 子供じゃないっての」

「え、じゃあどこにも行きません?」

「…………ちっ」

 

 露骨な舌打ちだった。

 

「ほら、ほらあ! 絶対どこか行っちゃうつもりだったじゃないですか!」

「はああ~? 言いがかりはやめてくださーい」

「あれだけ舌打ちしておいてそれは通らなくないです……!?」

 

 この状況で、禊だけでも残っていてくれていることは、瑠衣にとっては救いだった。

 1人よりも2人とは良く言ったもので、そして実際、それは人数以上の意味を持っていた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

「一番偉いやつ」

 

 え、と瑠衣は顔を向けた。

 禊は道行く人々を見つめていたが、その横顔からは、市井の人々にさして関心があるようにも見えなかった。

 むしろ、何の興味も抱いていない様子だった。

 

「ここで一番偉いやつって、どこにいるかわかる?」

「え……」

 

 この東京で、最も偉い人物。

 少し考えた後、瑠衣は言った。

 

「……て、天皇へ「違うわ」」

 

 その場に立ち上がって、禊はある方向を指差した。

 指の先には、小綺麗な街並みが広がっている。

 

「首相ってやつがいるんでしょ」

「まあ、確かにいますけど。そして確かに政治の代表という意味では幕府というか将軍様みたいな存在ではあるので一番偉いという言葉には該当するのかもしれませんけれども。でもじゃあこの国で一番偉い人が首相かって言われると俄かには首肯し難い部分があるというか痛いです」

「アンタってたまに面倒くさいわよね」

 

 禊の言いたいことは、要するに「鬼舞辻無惨は自分以上の存在はいない」と思っている、ということだった。

 例え人間の世の慣習であれ、いや人と鬼が()()する今の世だからこそ、頂点に位置したがる。

 頂点は、常にひとりだからだ。

 

 そしてそんな無惨が、()()()()を許すだろうか。

 人の頂点でさえ、自分の支配下に置きたがるとは考えられないだろうか。

 もしもそうだとすれば、無惨は()()にいるのではないだろうか。

 

「……首相官邸」

 

 言われてみれば、その通りかもしれない。

 そうなのだ。無惨はすでに勝利者となっている。身を隠す必要がない。

 鬼殺隊の刃が自分に届くことはあり得ないと、そう思ってる。

 思い込んでいる、はずだ。

 

「行ってみましょう」

 

 幸い、愈史郎からは予備の札を何枚か貰っている。

 これを使えば、警備を擦り抜けて官邸に入り込むことは可能だ。

 難点があるとすれば、血鬼術ということか。

 鬼の警戒網に対しては、どれだけ有効かはわからない。

 まして上弦が出てくれば、期待薄だろう。

 

(本当に面倒くさいわねこいつ)

 

 嘆息しつつ、禊はそう思った。

 先程まで落ち込んでいた瑠衣が、今や率先して動こうとしている。

 目標があると元気になる人間がたまにいるが、瑠衣はそういうタイプだった。

 

「あ、コロさんも起きましたか」

 

 瑠衣の足元で日向ぼっこしていたらしいコロが、尻尾を振った。

 よいしょ、とコロを抱っこした、その時だった。

 俄かに、地上が騒がしくなっていた。

 

「……? 何でしょう」

 

 気になって、眼下を覗き込んだ。

 すると、自分達の足元に、いつの間にか人だかりが出来ていたことに気付く。

 ただ、そこにいるのは野次馬でも何でもなく、同じ制服を着込んだ人間達だった。

 彼らは瑠衣の顔を認めると、警笛を鳴らし、警棒を振った。

 

「見つけたぞ! 通報の通りだ! 捕縛しろ!」

 

 ――――それは、警官隊だった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 意外ではあったが、驚きはしなかった。

 何しろ瑠衣達の顔はすでに鬼側に知られているわけで、こういった事態は十分に予想できたことだった。

 だからこういう場合、さっさと逃げ出すことに決めていた。

 こういう状況にあっても、やはり人間を傷つけるのは望ましくないと考えてのことだ。

 

 もしも予測を裏切られることがあったとしたら、警官隊が一隊で済まなかったことだ。

 逃げる内に周辺の警官隊が集まってきて、撒くのに手間取ってしまった。

 もちろん、身体能力では常人が呼吸使いに敵うはずもない。

 

「はあ、はあ……。禊さんとは、はぐれてしまいましたね……」

 

 とはいえ、数の暴力というのはやはり厄介だった。

 追手を撒くために、一時的に禊やコロとも離れてしまった。

 

「首相官邸に、直接向かった方が良いでしょうね」

 

 おそらく、その方が禊やコロと合流しやすいだろう。

 コロは自分の匂いを追ってくるだろうし、禊はいちいち瑠衣を探したりはしないだろう。

 だったら、このまま目的地に向かってしまった方が良い。

 

「それにしても、慣れませんね。やっぱり……」

 

 繰り返しになるが、複雑な気分だった。

 人間に追われる身になるとは、数年前には思いもしていなかった。

 しかもやっていることが、町への潜入に暗殺である。もはや剣士を名乗るのも憚られる。

 ご先祖様にも、顔向け出来ない、かもしれない。

 

(それでも、無惨さえ討てれば)

 

 何もかもが好転する――――とは、流石に思っていない。

 おそらく、自分の人生はもう、好転しようが無い。それくらいはわかる。

 ただ、鬼さえ消えれば。そうすれば、この先に生まれる何百何千という命は救われる。

 自分が、鬼狩りが存在した意義も、あろうというものだった。

 

「この路地を抜けて、通りに出れば」

 

 ――――その時、水音を聞いた。気がした。

 晴れ。雨はない。水場も、ない。しかし、確かに聞いた。

 そしてその音は、常人であれば聞こえるはずのない音だった。

 また()()()が下手であれば、やはり聞こえるはずが無かった。

 それが聞こえるというだけで、瑠衣と相手の実力の高さが伺えるのだった。

 

(――――()()()!)

 

 瑠衣の身体は、反射的に後ろに大きく後退していた。

 その眼前を、日輪刀の刃が通り過ぎて行った。

 

()()()()……!)

 

 流麗。鮮やかな剣筋。打ち寄せる波のような、連撃。

 何度も後退を繰り返して、瑠衣はその斬撃を何とか回避した。

 しかし(かわ)し切れなかったのか、髪の毛が数本、散り落ちた。

 思い出したかのように、斬れた。凄腕だ。だが、()()()()()

 

「……どういう、おつもりでしょうか」

 

 ()()()()()()()()()()

 

「鱗滝、殿……!」

 

 天狗の面。

 天狗の面を被った、老齢の剣士が、瑠衣の目の前に立っていた。

 一部が欠けた面の向こう側に、水面のような静かな瞳があった。

 その瞳が、じっと瑠衣を見つめていたのだった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 その頃、禊も瑠衣と同じ状況に陥っていた。

 ただし彼女の場合、何というべきか、より()()()だった。

 

「な、何をしとるんじゃあ、貴様ァッ!」

 

 桑島がその場にやって来た時、禊は警官の男を踏みつけにしていた。

 比喩ではなく、文字通り、足で警官の後頭部を踏んでいた。

 土下座の姿勢で地面に額を擦り付けた男の後頭部に、小さな少女の足が乗っている。

 腰に手を当てて、角度も完璧。美しくさえある光景だ。

 

「何って……ナニに決まっているじゃない。ねえ?」

「お、お前っ。ちょ……むうううっ!?」

 

 だが、桑島の常識とは少しばかりズレていたようだ。

 そんな桑島を尻目に、禊はクスクスと妖艶に笑いながら、爪先を警官の後頭部にねじ込んでいった。

 すると「あっ、あっ」というくぐもった声が男の口から漏れて、それを聞いた禊の笑みはより深いものになった。

 

(わ、儂はいったい何を見せられておるんじゃ……!?)

 

 いかなる強力な鬼を前にしても動じたことはない。

 その桑島が冷や汗を掻いて動揺している。

 そういう意味では、これは相当な出来事ではあった。

 

「それで、アンタこそこんなところで何をしてるわけ?」

 

 集合場所にも戻らず。

 こんなところで()()()()()

 お前はいったい何をしに来たのか、と、禊は問うた。

 

 問いかけはしたものの、しかし禊に桑島の話を一切聞く気がない、ということは目を見ればわかった。

 今までの桑島が出会って来た女子とは、異次元の存在だった。

 これ程までに()の強い女子を、桑島は見たことがない。

 

(ええい。恨むぞ、鱗滝……!)

 

 瑠衣の方に行っているだろう同僚に、胸中で毒吐いた。

 不意に、禊が何かを振り被る動作をした。

 それは分割された日輪刀の槍であり、禊は迷うことなく、それを桑島の眉間目掛けて投擲した。

 軸足で踏まれた男が、蛙のような鳴き声を上げていた。

 

「ぬおっ!?」

 

 驚きはしたが、弾き飛ばした。

 この程度の不意討ちくらいを捌くのは、さほど難しいことでは無い。

 無いのだが、しかし、それにしても。

 

「少しは躊躇せんか、貴様……!」

「躊躇? ごめんなさいね。わたし、そういうのしたことないの」

 

 宙を舞った刀を掴み、禊が疾駆する。

 その目はまさに、躊躇することなく桑島の頚を狙っていた。

 自らも刀を構えながら、桑島は思った。

 ――――何か、立場が逆な気がする。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 瑠衣は、禊ほど躊躇しないわけにはいかなかった。

 何故ならば、相手は元柱である。大先輩だ。

 そんな人物に対して刀を向けるというのは、鬼殺隊士としてあるまじきことだ。

 

「何故ですか、鱗滝殿!」

 

 呼びかけに、応じる声は無かった。

 ただ張り詰めた空気の中、向かい合う時間が続いた。

 鱗滝の意図を測りかねて、瑠衣は動けずにいた。

 

 ちゃき、と、刀の音が嫌に耳に響いた。

 先手を打って踏み込む。ということは、やらなかった。

 そこまで甘い相手ではないし、やはり躊躇もあったからだ。

 しかしそんな瑠衣をどう思ったのか、鱗滝は溜息を吐いた。

 

「――――()()()()()

 

 腹の底から響く、そんな声音だった。

 思わず、居住まいを正してしまうような。

 

「この状況で。己に刃を向けて来た()を前にして、何を躊躇っている」

「……!」

「たとえ、どれほどの旧知の相手だったとしても。裏切った相手を前にして、なぜ躊躇する」

 

 それは。

 

「お前に覚悟が足りていないからだ」

 

 成し遂げる、という覚悟。

 どんな障害を排除してでも、目的を果たすという覚悟。

 断固たる、覚悟。それが瑠衣には足りないのだと、鱗滝は言った。

 

「お前はいったい、ここに何をしに来たんだ」

 

 言われるまでもない。無惨を討ちに来た。

 ならば躊躇するなと、鱗滝は言う。

 たとえ相手が誰であろうと、立ち塞がるなら排除しろ、と。

 何故などと、考える暇さえ必要ないのだ、と。

 裏切者に諭される。何という皮肉な状況だろうか。

 

(とはいえ……)

 

 とは言え、だ。

 鱗滝の強さは、こうして立ち合っているだけでも十分に伝わって来る。

 引退して長いとは言え、技の冴えは現役の柱と比べても遜色ない。

 簡単に、突破できる相手では無かった。

 

(まあ、禊さんなら迷わずに斬りかかるんだろうけど)

 

 自分は、そこまで大胆にはなれない。

 さて、どうしたものか。

 そう考えていると、鼻先に、奇妙な匂いを感じた。

 その匂いには覚えがあって、瑠衣は、はっと顔を上げた。

 

「む……」

 

 ――――血鬼術『惑血・視覚夢幻の香』。

 視界を、幾何学模様の紋様が覆い尽くした。

 流石に鱗滝はそれを血鬼術の幻術だと見破り、咄嗟に掌を深く自傷した。

 その痛みで、幻術から脱した。

 

「……逃げられたか」

 

 目の前から、瑠衣が消えていた。

 逃げられた。

 しかし、問題は無かった。

 何故ならば、鱗滝達の()()は――――……。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 日の届かない路地であったことが、幸いした。

 これが日中の通りであれば、瑠衣が逃れることは難しかっただろう。

 もっとも大通りには警官隊がいるから、どのみち路地に入らざるを得なかっただろう。

 

「珠世様、危険です……!」

「わかっています。愈史郎」

 

 路地の傍の民家に、珠世と愈史郎は潜んでいた。

 知己の残した地図を頼りに地下を通ったり、愈史郎の札で入り込んだり。

 そうやって苦労して瑠衣を追って、珠世は彼女を救ったのである。

 血鬼術を使うという、大きな危険を犯してまで。

 

「珠世様、いい加減にしてください……!」

 

 自然、愈史郎の口調も――実に不本意ながら――厳しいものにならざるを得ない。

 何故ならば、東京の町(ここ)は無惨のお膝元なのだ。

 そんな場所で血鬼術を何度も使えば、無惨に気付かれないわけがないのだ。

 

 愈史郎の血鬼術は、存在を隠すわけではない。あくまで誤魔化しに過ぎない。

 存在を認識されてしまえば、隠すことが出来ないのだ。

 そうなれば、直接の戦闘能力に欠ける愈史郎では珠世を守り切れない。

 それがわかっているからこその、厳しさだった。

 

「ごめんなさい、愈史郎。でも」

「でも、じゃありません! 僕はただ貴女を……ッ!」

 

 ()()()と、した。

 全身の肌という肌が、何かを感じ取っている。

 何かが、周囲に張り巡らせた結界に触れている。

 

(誰だ)

 

 瑠衣ではない。というか、人間ではない。

 愈史郎達は2階建ての建物の2階にいるのだが、念のために張っていた1階の結界が()()()()

 無造作に、何の警戒も無く札を剥がされた、そんな印象だ。

 それでいて、愈史郎の結界に弾かれない。

 好奇心が旺盛。そして、()()

 

(しまった。まだ陽が……!)

 

 窓から外に逃げようにも、タイミング悪く路地に陽が差し込んでいた。

 夕方が近い。陽が傾いたらしかった。

 視線を下げると、珠世がまだ息を荒げている。血鬼術の消耗から立ち直っていない。

 

(くそ……!)

 

 珠世を掻き抱いて、階段に通じる扉を睨んだ。

 当然、そこにも結界の札が貼られているが、それも無造作に剥がされた。

 愈史郎以外の鬼が剥がせば灼けるはずだが、そうならなかった。

 つまり、相手は愈史郎より――――強い。それも、遥かに。つまり。

 

「……おーい。おいおいおいおい。誰かが言い争ってると思って、これは仲裁しなきゃと思ってやって来てみれば」

 

 音を立てて、しかしゆっくりと、扉が開いた。

 そこから、剽軽(ひょうきん)でさえある動きで顔を出して来たのは。

 

「喧嘩は良くないぜ、仲良くしなきゃ――――そうだろう?」

 

 虹色の瞳の、鬼だった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 童磨は、上弦で最も記憶力の良い鬼だ。

 物覚えが良いというよりは、目にした物を画像として()()出来るのだ。

 いわゆる、完全記憶能力。

 もっとも、これは彼が人間だった頃から持っている技能(スキル)なのだが。

 

「う――――ん?」

 

 童磨は顎に手を当てて、珠世をじっと見つめていた。

 もちろん、彼が()()()の珠世を見間違えるはずが無い。

 鬼は姿が変わらないからだ。文字通り不変だ。

 擬態の血鬼術でも持っていない限り、鬼は鬼に対して姿を偽ることは出来ない。

 例外は、それこそ鬼舞辻無惨くらいのものだろう。

 

「とりあえず、初めましてで良いのかな? 俺は童磨。上弦の……って、わあ。消えたねえ!」

 

 童磨は、いっそ気さくとさえ言える程の笑顔で挨拶した。

 それに対する返答は、完全なる拒絶だった。

 愈史郎は姿隠しの血鬼術を発動。自分と珠世を童磨の視界から消した。

 

「姿隠しの血鬼術か。珍しいね。幻術かな? 姿だけじゃなくて、匂いや気配も消せるんだ。凄いねえ」

 

 褒める。褒める。

 褒めながら彼が懐から取り出したのは、黄金の扇だった。

 金地に蓮が描かれた逸品で、見ただけで特別なものだということがわかる。

 そして、童磨はそれを、無造作に一振りした。

 

 ――――血鬼術『凍て(ぐもり)』。

 瞬間だった。空気が、急速に冷え込んだ。

 余りにも急に気温が下がったために、窓ガラスが甲高い音を立てた。

 そして冷えた空気は、キラキラと輝きながら室内に充満した。

 

「ぐあっ」

 

 まさしく、ガラスが割れるような音が響いた。

 姿を現した愈史郎はその場に膝をついたが、その顔は()()()()()()()()

 室内に充満した冷気――いや、凍気によって、服から露出した肌の表面が凍りつつあった。

 皮膚に広がる白斑、一部には水疱。

 医学の知識を持つ愈史郎は、己の状態を瞬時に理解した。

 

(凍傷! しかも深い……! 何をされた!? やつは扇子を振っただけだぞ!)

 

 血鬼術。だが物を凍らせるというのは、口で言うほど簡単なことではない。

 それを、無造作に。しかも広範囲。かつ強力。

 あからさまに過ぎて、逆に正体が読めない。

 そこまで考えたところで、愈史郎はハッとした。

 

「珠世様!」

 

 珠世が、床に倒れ込んでいた。

 腕から肩にかけて、身体の半身が白く()()()いた。

 矛盾する表現だが、事実その通りなのだった。

 

「やあ、きみを庇ったんだね。痛かっただろうに。我が子を守ろうとする親心ってところかな? 参ったな、俺はそういうのに弱いんだ」

 

 愈史郎は、童磨の言葉など聞いていなかった。

 珠世が傷つき、倒れている。しかも自分を庇ってだ。

 許せない。

 何より誰より、()()()()()()()()()()()()()()

 

「貴様、生きて帰れると思うなよ……!」

「わあ、待って待って。俺は荒事は苦手なんだよ。だから……」

 

 ――――血鬼術『蔓蓮華(つるれんげ)』。

 氷の蓮の花が、咲いた。

 そして花の根元から無数の氷の蔓が伸び、愈史郎目掛けて殺到した。

 その内の一本の動きにすら、愈史郎はついて行けなかった。

 

「くそ……っ!」

 

 出来ることは、珠世に覆い被さることだけだった。

 それですらも、どれ程の意味があるのか疑問だった。

 

「氷漬けにしちゃえば、鬼でも意味ないよね……って、うん?」

 

 その時だった。

 不意に何かに気付いた童磨が、反対側――まだ陽射しの気配が残っているので、お互いに近付けない――へと視線を向けた。

 そこに、影が差した。それから、振動も。

 誰かが、ここへ飛び込んで来ようとしている。童磨はそれを瞬時に理解した。理解したが。

 

「過激だなあ」

 

 感想は、実に淡泊だった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 冬にはまだ早いというのに、路地が異常な寒さに見舞われるのを見て、瑠衣は血鬼術を知覚した。

 相手に隠す気が無かったのか、あるいは瑠衣の感覚の鋭さか。

 血鬼術の気配が最も()()場所に対して、瑠衣は突撃を敢行した。

 もちろん、今回は一切の躊躇なしである。

 

 ――――風の呼吸・壱ノ型『塵旋風・削ぎ』。

 窓を、ガラスごと――さらにその向こう側を覆いつつあった氷の壁ごと、砕き散らせた。

 室内に充満していた雪と氷の結晶を、暴風が吹き散らせた。

 この点は、現実の事象を引き起こす風の呼吸ならでは利点だった。

 

「……ッ。珠世さん! 愈史郎さん!」

「気をつけろ! 冷気を操る血鬼術を使う! 異常に強力な術だ!」

 

 冷気。なるほど、この気温変化と氷はそのためか。

 そして、異常な強さという意味もすぐにわかった。

 何故ならば、瑠衣の突入によって砕き開かれた穴が、即座に氷によって埋まってしまったからだ。

 

(陽光で溶けない? ……凍結は血鬼術そのものじゃなくて結果だからか)

 

 パキ、と、足元で氷の砕ける音がした。要するに足元が悪い。

 さらに、どう見ても広範囲に影響を及ぼす血鬼術だ。

 本来、こういう限定空間は瑠衣の本領を発揮(ホーム)できる場所(グラウンド)だ。

 だが、この相手に限っては違うと思った方が良さそうだ。

 

「愈史郎さん、できるだけ下がっていてください」

「…………すまん」

 

 正直なところを言えば、少しばかり驚いた。

 あの愈史郎が、まさか他人に対して礼を言うことがあるとは。

 それほどまでに、追い詰められていたということか。

 

(……そして)

 

 ()()()()()()()

 上弦の鬼。血を被ったような金髪に、虹色に輝く瞳。

 容姿からして独特だが、問題はそこではない。

 

 何も感じない。

 闘志だとか覇気だとか、あるいは殺意だとか、そういったものを何も感じない。

 圧倒的なはずの鬼気でさえ、どこか薄い。

 一見、無害そうに見える。だからこそ、逆に不気味だった。

 

「う――――ん」

 

 そしてその不気味な鬼、童磨は、顎に手を当てて瑠衣を見つめていた。

 扇を手の中で弄びながら、彼は言った。

 

「何でかなあ、直接話をするのは初めてのはずなのに。きみを見ていると」

 

 笑顔はそのままに目を細めて、小さく首を傾ける仕草をする。

 美しい。しかし、不気味さが損なわれることも無かった。

 

「他人のような気がしないぜ」

 

 言葉も態度も、軽薄そのもの。

 ――――だが、やはり不気味だった。




最後までお読みいただき有難うございます。

よし、また一歩、主人公を追い詰めたぞ…!(竜華零は 混乱 している!)
このまま衣を剥ぐように追い詰めていけば、やがて限界を迎えるだろう。
ふっふっふっふっ……。

……やっべ(え)

それでは、また次回。
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