鬼滅の刃―鬼眼の少女―   作:竜華零

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第55話:「最後の夜」

 ――――陽が落ちる。

 もう幾度この言葉を繰り返したかわからないが、今日も陽が落ちる。

 夜が来る。当然のように、夜はやって来る。

 

 しかしこの東京(まち)は、夜も眠らない。

 夜闇を拒絶するかのように、文明の光が煌々と街を照らすからだ。

 人々は夜の恐怖を忘れて、賑わいは朝まで途絶えることが無い。

 そう、人々はもはや、夜を恐れない。

 

「あっ、旦那! どうですか一杯!」

「おう。じゃあ寄って行くとするか」

 

 人が、鬼を店に誘う。

 無論のこと、鬼の客に()()()()()()()()()()

 しかし鬼を誘う彼に、悪意も躊躇もない。

 それはすでに、人々にとって当然の世界となっているからだ。

 

「今日は活きの良いのが入ったんですよ!」

「おお、そいつは楽しみだ」

 

 飽食の時代は、美食の時代の到来と同義だ。

 かつて人目を忍び、危険を犯しながら数少ない食糧に飛びついていた鬼。

 しかし今や彼らの()()()()は解決してしまった。

 ()()()()――――()()()()()

 人は、ついに自分達でさえ事業にしてしまった。

 

「うおっ、何だ……って犬か」

「今どき逆に珍しいな。野良犬なんて……うん? あの犬、何か咥えてなかったか?」

「え、何も見えませんでしたけどね。そんなことより旦那、ささ、店の中へ」

 

 そんな人と鬼の行きかう道を、一匹の犬が駆けて行った。

 年老いたドーベルマン。コロだ。

 道行く人々の足もを縫うようにして駆けていたコロは、不意に大きく曲がり、路地へと入って行った。

 

 路地は、思い出したかのような薄暗さに包まれていた。

 それでも、人工の照明が所々を照らしている。

 コロは幾度か立ち止まり、その度を鼻先をスンスンと鳴らした。

 そして進むべき道を決めると、また駆ける。これを何度も繰り返していた。

 

「――――バウッ」

 

 そして、不意に立ち止まり、そこからは動くことがなくなった。

 四肢を地面につけて、吠えた。

 喉を逸らして、高く、催促するかのように。

 コロは、吠えた。

 

「バウッ。…………バウッ」

 

 何度も。何度も吠えた。

 

「バウッ。バウバウッ。バウバウッ」

 

 何度も。

 

「バウッ。バウバウッ。バウバウッバウバウバウッ!」

 

 何度も……。

 

「バウッ。バウバウッ。バウバウッバウバウバウッ! バウッ! バーウッ! グルル、バウッ! バウバウバウバウッ、バウバウバウバウッ!」

 

 ……いや、ちょっと吠えすぎじゃない?

 

  ◆  ◆  ◆

 

 ()()()()()

 陽光山を登った時でさえ、ここまででは無かった。

 まるで肺の内側を、小さな針で突き刺されているかのような不快感。

 それ程までに、童磨の放つ冷気は強烈だった。

 

 ――――風の呼吸・伍ノ型『木枯らし颪』。

 天井を蹴り、童磨の頚を狙う。

 その突撃の速度たるや、瑠衣の姿がブレて見える程だった。

 しかしその突撃に対して、童磨は。

 

「わあ、速いねえ」

 

 などと言いつつ、手にした扇を盾として、日輪刀の切っ先を受け止めてしまった。

 表情は朗らかな笑顔のままで、しかしその腕力は凶悪だった。

 瑠衣が体重と跳躍力を乗せて放った突きを、片腕だけでビクともせずに受け止めてしまったのだから。

 

「……ッ!」

 

 拮抗――互角とはとても言えない()()――は、瑠衣の側から破った。

 軸線をズラして、刀と扇が擦れる嫌な音と共に小さく後退した。

 着地と同時に、降り積もった雪と氷の欠片を蹴散らせながら、再び突撃。

 

 ――――風の呼吸・壱ノ型『不知火』。

 炎の型を、風の呼吸で放つ。

 速度は先の一撃よりもさらに速く、瑠衣は瞬きの間に童磨の側面にいた。

 叩き付けるように、頚の後ろに2本の小太刀を撃ち込む。

 

鬼狩り(きみ)たちはいつもそうだねえ」

 

 見もせずに、腕だけ回して扇で受け止めて来た。

 今度は膠着させず、すぐに弾いて距離を取った。

 そうしなければ死んでいたと、2秒後に気付いた。

 次の一瞬、離れた瑠衣の眼前をもう1本の扇が擦過したからだ。

 物理的にも心理的にも、ヒヤリとした。

 

「いつも最後は頚を狙うんだから。まあ、他は斬られても死なないからね。俺達は」

 

 実際、その通りだった。

 どれだけ攻撃しようと、あるいはどれだけ牽制しようと、最後は頚を狙わざるを得ない。

 だから防ぐのは簡単だと、童磨は言う。

 上弦の再生速度であれば、頚以外の負傷はほとんど何もされていないに等しい。

 

(それにしても、()()ひとつしないなんて)

 

 鬼とて、痛覚がないわけではない。感情もある。

 腕でも足でも、斬り付けられれば怯む。硬直する。

 それが隙となり、頚へのとどめの一撃へと繋がるのだ。

 しかし、童磨にはそれすらない。

 

(まるで、何も感じていないみたい)

 

 吐く息が白い。また気温が下がったようだ。

 冷気で、肺が軋む。

 それに耐えながら、瑠衣は日輪刀を握り込み、大きく息を吸った。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 ()()()()

 その場で小さく跳ねる瑠衣を、童磨は興味深そうな顔をして見つめていた。

 ただその表情は、脅威を感じているというよりは、単に観察しているだけのようにも見えた。

 ()()()()()()()

 

(今、全力で行く……!)

 

 童磨が真剣に戦う気を起こす前に、決着をつける。

 勝機を見出せるとしたら、そこだった。

 次の瞬間、瑠衣の足元が爆ぜた。

 

 次に、天井が爆ぜる。

 さらに壁が、また床が、瑠衣に踏み抜かれた部分が砕ける。

 常人の目には、何かが部屋中を跳びはねているようにしか見えないだろう。

 しかし、童磨は違ったようだ。

 

「綺麗な足だねえ、ウサギみたいだ」

 

 金属音。

 通り過ぎ違い様の一撃を、童磨は事も無げに防いで見せた。

 瑠衣の動きを正確に追えていなければ、出来ない芸当だ。

 再び、四方が爆ぜ続ける状況に戻る。

 

 童磨は同じ場所に立ったまま動いていない。

 しかし目と頭は、絶えず微かに動いていた。瑠衣の動きを追っているのだ。

 そして、不意に訪れる瑠衣の()()の一撃を簡単に弾き返してくる。

 何とか振り切るしかない、と瑠衣が考えた時だった。

 

「足の曲げ伸ばしにコツがあるんだねえ。うーんと」

 

 何かを思い付いたかのように、童磨が屈むのが見えた。

 そして、次の瞬間だった。

 童磨が()()()

 

(――――は?)

 

 というのが、正直な感想だった。

 それはそうだろう。

 童磨の足元が瑠衣のそれと同じように爆ぜ、そしてその顔が目の前にあったのだから。

 思わず、呆然としてしまうのも無理は無かった。

 

「こんな感じかな?」

「こ、の」

 

 加速。限界いっぱい。全力で跳んだ。

 もはや足場は爆ぜるというより、破壊されていた。

 当然ながら、瑠衣は振り切るつもりで駆けた。

 追いつけるものかと、そう思った。

 

「あはは、待て待て~」

 

 が、童磨は普通について来た。

 ついて来られてしまった。

 しかも交錯するのではなく、完全に追随して来ている。

 つまり、瑠衣がどちらの方角に跳ぶかまで完全に予測しているということだ。

 

 石材、木片。そして雪と氷。

 2人の脚力で、部屋はおろか建物全体が軋み始めていた。

 周辺の住居に住んでいる者達からすれば、恐怖でしか無かっただろう。

 ただ、今の瑠衣にそれを気にかける余裕は無かった。

 

(ちょっと、見ただけで)

 

 この脚力を、この走り方を得るのに、どれだけの時間が必要だったか。

 自分より格上の相手ばかりの中で、まともに戦えるようになるために、どうやって編み出したか。

 それを、童磨はただの一瞥(いちべつ)で模倣――いや会得してしまった。

 こんなバカなことがあるかと、思ってしまうのも無理はない。

 

「……この、おっ!」

 

 着地と同時に、跳ねる。跳ぶのではなく、勢いを受けて跳ね上がる。

 縦に回転し、追随してきた童磨を迎え撃った。

 両側から頸動脈を狙った。斬撃は、扇によって弾き返されてしまう。

 軽く振り、しかし込められた腕力は尋常ではなく、瑠衣の身体が空中で一回転してしまう程だった。

 

「くあ……っ!」

 

 しまった、と思った。

 焦って打ち込み、そしてバランスを崩された。

 不味いと考えるよりも先に、童磨が扇を振るうのが見えた。

 衝撃よりも先に、冷気が肌に触れるのを感じた。

 

「いただきまーす」

 

 ――――そして、視界を幾何学模様が覆ったのだった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 今さら、己の命を惜しもうとは思わない。

 もう十分に生きた。命の使い道があるというのなら、躊躇はしない。

 己の血肉をより深く抉りながら、珠世はそう思っていた。

 

「愈史郎、今の内に瑠衣さんを」

 

 どうしてそこまでと、愈史郎の目が言っていた。

 だが、もう瑠衣しかいないのだ。

 だから何としても、瑠衣を――己の命よりも優先して――守らなければならない。

 

 ()()()()()()()()()()()()()

 それを当然のことと考えていて、しかも僅かでも実現できる可能性を持った剣士は、もう瑠衣しか残っていない。

 無惨を殺す。そのために、珠世は己の命を懸けるのだ。

 

「面白い血鬼術だねえ。匂いかな? 俺の術とちょっと似てるね」

 

 ――――血鬼術『冬ざれ氷柱(つらら)』。

 全身を、大量の氷柱が貫いた。

 氷柱と言っても、一本一本が柱のように太い。

 貫くというより、抉ると言った方が正しいかもしれない。

 

「か、は……!」

 

 しかも不味いことに、傷口まで凍り付いていた。

 再生が阻害され、身動きが取れない。血鬼術も発動できない。

 

(私の血鬼術では、もう時間を稼ぐことさえ……!)

 

 強すぎる。強力すぎる。

 いくら上弦と言っても、何もかもが通じなさすぎる。

 慄く珠世に対して、童磨が浮かべるのは相変わらずの朗らかな笑顔だ。

 

「悪いけど、ちょっと大人しくしててよ」

 

 その頭に、瑠衣が小太刀を撃ち込んだ。

 そのせいで、童磨の「大人しく」の対象が珠世なのか瑠衣なのか、判然としなくなった。

 もっとも、そんなことは大勢には影響しない。

 童磨が気を取られることもなく、不意討ちを狙って瑠衣の攻撃も意味を成さない。

 

(隙が、ない。攻略の糸口が見えない)

 

 今までも、猗窩座や半天狗といった反則気味に強い鬼と戦ってきた。

 だが童磨は、今まで戦って来た鬼のどれとも違う。

 単純に、手に負えない。

 ここまで「どうしようもない」という感覚は、流石に無かった。

 

 ふう、と、息を吐いた。

 落ち着け、と自分に言い聞かせる。

 確かに童磨に有効打は与えられていないが、しかし瑠衣も負傷しているわけではない。

 何とか攪乱して、頚を狙うのだ。

 

「…………ん?」

 

 ふと、童磨が自分を見つめていることに気付いた。

 それ自体はおかしなことではないが、戦う相手を見る目、とも違う気がした。

 

「やっぱり、他人の気がしないなあ」

「……どういう意味です」

「似てると思って。きみと俺がね」

 

 瑠衣が不快そうに眉を寄せると、童磨は一層面白そうな顔で、こう言った。

 

「だってきみ、ぜんぜん怒っていないじゃないか」

 

  ◆  ◆  ◆

 

 まず、言葉の意味がわからなかった。

 自分が、怒っていない?

 いやいやいやいや、と心の中で瑠衣は反論した。

 これで怒っていないのだったら、どういう状態が「怒る」に分類されるのか、という話だ。

 

「今まで色々な女の子とお喋りしてきたけど、きみみたいな()は初めてだよ」

 

 扇で口元を隠して狐のように笑いながら、童磨は言った。

 

「他の女の子達はね、凄くわかりやすかったよ。嬉しい時も哀しい時も。ああ、こういう時にはこうなるんだなあ、っていうのがね。真に迫るっていうのかな、ああいうの」

「……同情しますよ。その()()()達に」

「酷いなあ、みんな俺の中で生き続けているんだぜ。今はもう何も苦しくない」

 

 まあ、それは良い。

 問題は、童磨が言いたいことは、つまりはこうだった。

 

()()()()()()って、言われたことはないかい?」

 

 しかし、会話をする気はなかった。

 踏み込み、二刀で頚を狙う。

 小太刀と扇の打ち合う音が、断続的に響き渡る。

 そしてその間も、童磨の口は動き続けていた。

 

「しのぶちゃんって娘がいたんだ。鬼狩りでね、知っているかな?」

 

 勿論、瑠衣はしのぶを知っている。

 そして童磨は、瑠衣が知っているだろうことを理解していて、あえて聞いていた。

 露骨な煽りだ。

 

「あの娘はね、凄かったなあ。怒りとか殺気とか、もう全身から発していたもの」

 

 ()()()()()

 胡蝶しのぶという剣士は、目で、言葉で、行動で、それをぶつけてきた。

 それを、童磨は肌で感じることが出来た。

 

「感情を表すっていうのは、ああいうことを言うんだろうなあ」

 

 瑠衣は、すでに牽制を捨てていた。

 この鬼に対して、牽制はまさしく牽制以上の意味を持たない。

 ならば、手数である。

 あらゆる方向から、回数を重ねて、ひたすらに頚に打ち込み続ける。

 

「わあ、凄いねえ。頚を斬られそうだ。でも、大丈夫かい?」

 

 そしてそれらを完璧に、かつ事も無げに捌きながら、童磨は言った。

 

()()()()()()()()()()()()?」

 

 その、次の瞬間だった。

 ()()()()()()

 胸の奥に激痛が走り、視界が狭窄して、全身が脱力した。

 足が体重を支え切れずに折れ、膝を――いや、手足を床についた。

 

 自分の身体に何が起こったのか、一瞬、理解が追い付かなかった。

 不意に、咳き込んだ。胸の奥で嫌な音が何度もした。

 掌で口を押さえた。

 その掌に生温かい液体が飛び散るのを、瑠衣は感じた。

 ――――血を吐いたのだと気が付くのに、少しかかった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 何だ、これは。

 己の肉体の異常に、瑠衣は咄嗟に理解が及ばなかった。

 ヒューヒューと、聞いたこともない呼吸音が聞こえる。

 それが自分の呼吸する音だと、とても信じられなかった。

 

「うわあ、苦しそうだね。血を吐くまで我慢する子はなかなかいないよ」

 

 冷気が、増した気がした。

 それに伴って、胸の痛みが増した。

 息を吸うだけで苦しい。胸に、肺に鋭い痛みが走る。

 

「可哀想に。じっとしていて、首を落として楽にしてあげるよ」

 

 下を向いた瑠衣の視界には、童磨の足先しか見えなかった。

 しかし頭上で風を切る気配があって、次の瞬間に起こるだろうことを正確に予測した。

 死の予感に、瑠衣は()()した。

 足に血を巡らせて、全力で後ろに跳んだ。

 

 喉元に、冷たい何かが擦過した。

 転がるようにしながら、何とか避けた。

 しかし、その代償は小さくなかった。

 

「――――ごぷっ」

 

 転がって、そして起き上がることが出来なかった。

 肺を裂くような冷気を、呼吸した瞬間に大量に取り込んだ。

 その結果、甚大な被害に見舞われた。

 ()()()()()()()

 

 戦うための呼吸だけではなく、生きるための呼吸さえ満足に出来なくなっていた。

 鬼狩りの剣士にとって、呼吸は全ての根幹だ。

 言ってしまえば燃料である。燃料がなければ、車も船も動くことは出来ない。 

 だから呼吸を封じられるということは、それ即ち死を意味した。

 

「苦しいでしょ? 俺の血鬼術を吸って肺胞が壊死しているからね。それで全力で動きなんかしたら、肺が潰れてしまうよ」

 

 童磨の血鬼術は、雪と氷を操る術だ。

 そして普通であれば、それだけのことだ。強力だが、しかしそれだけでしかない。

 しかし童磨という鬼の恐ろしいところは、その柔軟な発想力だった。

 

 己が血鬼術で作り出した雪と冷気を相手に吸わせる。

 言葉にすれば簡単だが、実際に思いつくかと言われるとどうだろう。

 しかも相手に不審を抱かせずに実践するとなれば、口で言うほど難易度は低くない。

 それを、この童磨という鬼はさも当然の顔をしてやってのけているのである。

 

(ま、不味い。これは、不味い)

 

 呼吸困難。吸うことも吐くことも至難。

 手先から肌が異常に白くなりつつあり、血液の循環に異常を来たし始めているのがわかった。

 わかってはいたが、身動きは出来ないのだ。

 視界の端に童磨の足先があったが、次は避けられそうに無かった。

 

「る、瑠衣さん……!」

 

 それは、磔にされている珠世から見ても明らかだった。

 しかし、珠世も指先一つ動かせない状態だ。

 血鬼術で援護することも出来ない。

 

「きみには興味もあるし、もっとお話したいけど。でもあの御方のご命令だから、仕方ないよね」

 

 嗚呼、希望が死ぬ。

 それに対して、珠世は叫び声を上げた。

 そしてそれと同時に、氷柱の表面が僅かに光った。

 ()()が、僅かに輝きを発したように見えた。

 

 そしてその輝きの中から、飛び出す者がいた。

 突然、人間大のものが飛び出して来る。

 鏡の血鬼術。

 経験した者は、それがすぐにわかった。

 

「……え?」

 

 顔を、久しぶりに見た。

 瑠衣が思ったのは、まずそれだった。

 何故ならば、氷の()()から飛び出して来た男に見覚えがあったからだ。

 少し乱れた(ボサボサ)の金髪の、その男は。

 

「いぬ――――」

 

 ――――水の呼吸・漆ノ型『雫波紋突き』。

 日輪刀の切っ先が、自分の胸に深く沈み込むのを見た。

 そのまま鍔のあたりまで深く刺し込まれて、突きの勢いで身体が浮いた。

 

 胸に強烈な圧迫感が来て、残り少ない空気まで吐き出してしまった。

 当然、その吐息には血が混ざっている。

 視界が高速で後ろへと流れて、背中が壁に衝突するまで続いた。

 その衝撃で、また血が零れた。

 唇の端から血を溢れ流しながら、瑠衣は何とか顎先を上げた。

 

「ごめんねえ。おじさんにも、色々と事情ってもんがあるからさ」

 

 声も、もはや懐かしさを覚える程だった。

 震える手で、日輪刀を胸に突き立てている相手の手に、触れる。

 言葉を発そうと努力はしたが、圧迫感と呼吸困難のために上手くいかなかった。

 

「いぬ、い、さ……」

 

 その代わりに、触れた手にぎゅっと力を込めた。

 しかしそれは、力を込めたというには余りにもささやかなものだった。

 やがて、視界が暗くなっていった。

 意識を保とうとしたが、それは無駄な努力に終わった。

 瞼の重さに、耐え切れなかった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 そのまま、瑠衣は動かなくなった。

 身体の下に広がりつつある血溜まりは、それだけで致命傷を受けたことを伝えて来た。

 そして貫かれた位置は、間違いなく急所だった。

 

「瑠衣さん! ああ、そんな……!」

 

 氷柱に貫かれた身体が引き裂かれそうな程に、珠世は手を伸ばそうとした。

 だが、不意にそれは止まった。

 瑠衣を刺した犬井が、じっと珠世のことを見つめていたからだ。

 

 何のつもりか。自分も殺すつもりなのか。

 珠世はそう思ったが、しかし犬井に動く様子は無かった。

 まるで、静かにしていろとでも言われた気分だった。

 何よりも不可解なのが、自分がその視線の()()を素直に聞いた、ということだった。

 

「…………驚いたなあ」

 

 そして、次に言葉を発したのは童磨だった。

 

「まさか、きみがこんなところに出て来るなんて。どういうことなのかな。妹さんのことは放っておいて良いの?」

 

 それに対する犬井の返しは、実につれないものだった。

 

「アンタに話す義理はないなあ」

「まあ、それはそうなんだけどね。きみは別に俺の配下ってわけじゃないし」

 

 犬井は、人間だった。

 少なくとも珠世が見る限り、鬼にされた様子はない。

 つまり人間のまま鬼に(くみ)して、鬼狩りの仲間であるはずの瑠衣を刺したのだ。

 裏切り。傍目に見える結論は、それしか無かった。

 

「何だ、()()()()()?」

「んー、まあ。そういうわけじゃないけれど。ただ、こんな風に意地悪をされたことはなかったからね」

 

 だがそれにしては、童磨と犬井に間には不自然な緊張感があった。

 いったい、目の前で繰り広げられている()()は何なのか。

 明晰(めいせき)な頭脳を持つ珠世にも、わからなかった。

 

「そんなことより、あのお方がお呼びだよ。とっとと言った方が良いんじゃないのか」

「あのお方が俺を?」

「そうだ」

「…………ふうん?」

 

 そして、2人の間の緊張感はさらに強くなっていった。

 童磨はどこかへ――「あのお方」のところへ――行く様子を見せなかったし、犬井も瑠衣の前からどく様子もなかった。

 知らず、珠世は固唾を呑んで2人のやり取りを静観する形になっていた。

 

 下手な介入は、事態を悪化させかねないと考えたからだ。

 1つだけはっきりしているのは、この場で起こる「何か」が、自分の――自分達の運命を決するだろう、ということだった。

 そうやって様子を窺っていた珠世だったが、変化は、またしても予期せぬ方向からやって来た。

 

『――――――――ッッ!!!!』

 

 変化(それ)は、()で起こった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 それは、言うなれば剛直さと巧妙さの戦いだった。

 桑島と禊の戦いである。

 不思議なことに、2人は元居た路地から出ようとはしなかった。

 理由は2つある。

 

 まず第1に、路地という限定空間が義足と鋼糸を用いての戦闘に都合が良かったこと。

 桑島は壁を蹴って独楽(コマ)のように飛び回っていたし、禊は日輪刀の分割と接続を繰り返しながら致命の一撃を撃ち込み続けていた。

 しかし実際のところ、2人が路地という戦地の外に出ようとしないのは、もう1つの理由の方が大きかった。

 

(チッ、しぶとい爺ね)

(何て頑固な小娘なんじゃ)

 

 一言で言えば、先に戦地や戦法を変えてしまうと、何だか「負けた気分」になるからだ。

 要するに、お互いに意固地になってしまっているのだ。

 そういう意味では、この2人は似た者同士なのだった。

 

『――――――――ッッ!!!!』

 

 ()()が聞こえたのは、そんな時だった。

 意固地になって戦いを続けていた禊と桑島でさえ、動きを止めてしまう程だった。

 いったい、何事が生じたのか。

 

「何だ、あれは」

 

 屋根の上を走っていた鱗滝の目には、()()がはっきりと見えていた。

 さほど遠くない場所で、黒煙が上がっていた。

 火事。倒壊している建物もある。しかし、重要なのはそこではない。

 

 化物だ。

 

 化物が、そこにいた。

 そう、それは化物としか言いようのない生き物だった。

 見た目は赤ん坊――いや、もはや胎児だ。

 生まれる前の胎児が外に出て、叫び声を上げている。

 

「……大きいな」

 

 捻り出すような声で、鱗滝はそう評した。

 実際、その胎児は異常に大きかった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()程度には、大きい。

 だから、その濁った叫び声は東京の町中に響き渡るのだった。

 いずれ、いやすでに。それを目にした人々がパニックを起こしかけている。

 

『――――――――ッッ!!!!』

「――――悪い子だわ」

 

 そして胎児の化物(それ)を、また別の場所から眺める者がいた。

 ただし彼女は人ではなく、鬼である。それも瞳に数字を刻まれた、上弦の鬼。

 虚空に頬杖をつくようにして、亜理栖は胎児の悲鳴を聞いていた。

 

「悪い子ばかりで困ってしまうわ」

 

 亜理栖に、恐怖した様子はない。動揺した様子もない。

 もっとも、そもそも亜理栖にそんな感情があるのかは微妙なところだが。

 しかし、どこか不機嫌そうではあった。

 恐怖も動揺もしていないが、苛立つ程度には「困って」いるのだった。

 

「お兄ちゃんが、困ってしまうわ」

 

 そして。

 ()()()()()()()()()()()

 今日この日、この場所で、鬼殺隊は完全に終焉を迎えることになる。

 千年に渡る鬼と人の闘争の、最終日。

 それが今日なのだと、この時、人も、そして鬼も、気付いていないのだった――――。




最後までお読みいただき有難うございます。

鬼狩りは今夜潰す。私がこれから皆殺しにする(え)

実は私は鬼舞辻無惨だった…?(え)

それでは、また次回。
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