自分はいったい、何回死ぬのだろうか。
そう思わざるを得ない人生を瑠衣は送って来たが、今回は極めつけだった。
「……手当て、の必要は無さそうですね」
隊服をはだけて胸元を探っていた瑠衣は、肌を擦りながらそう言った。
というのも、犬井に刺された――記憶が間違っていなければ――部分に、傷ひとつ無かったからだ。
確実に刺されたはずだが、負傷が無い。手当てがされていたわけでもない。
傷自体が、そもそも無いのだった。
「はあ……」
その事実に嘆息を零してから、瑠衣は顔を上げた。
「珠世さん達は、どこかへ連れて行かれたのでしょうか……」
童磨と戦ったその場所に、瑠衣は放置されていたようだ。
どこかへ連れて来られたわけでも、喰われたわけでも無い。
珠世と愈史郎、そして犬井の姿も無かった。
「バウッ」
そして、コロだけが傍にいた。
尤もコロが傍にいることについては、もはや当たり前のようになっていた。
手を伸ばして頭を撫でると、ふんふんと鼻先を掌に押し付けて来た。
もう一方の手で、瑠衣は顔を覆った。
はあ、と大きく息を吐く。
自分が呼吸できるということを、瑠衣は改めて理解した。
「コロさん。私は何か、うわ言を言っていましたか?」
「バウ?」
「……そうですか」
頷いて、瑠衣は立ち上がろうとした。
幸い、立てないということは無かった。
意識に加えて四肢の感覚も、正常そのものだった。
だからこそ、次の瞬間に訪れた危機に対応することが出来たのだ。
「…………え?」
立ち上がって、窓の外――とうに氷は溶け、外が見えるようになっている――を見た時だ。
外はとっくに夜になっているが、しかしはっきり見えた。
大きな大きな、
巨大な
瑠衣がコロの首根っこを掴んで部屋の奥に下がるのと、肉の胎児が叫び声を上げるのは、ほとんど同時だった。
そして肉の胎児の手が壁を突き破って来た時には、瑠衣は通路へと転がり出ていた。
「ちょっと、冗談でしょう……!?」
メキメキと足元からしてはならない音が響いていて、それが建物が倒壊しかけていることを教えてくれた。
咄嗟に奥に逃げたが、判断を間違えた。
そうこうする内に足元が傾き始めて、瑠衣は歯を噛んだ。
「寝起きにこれは、流石にないでしょう!」
コロを胸に掻き抱いて、通路の端に倒れ込んだ。
そのまま身を丸めた直後、致命的な音が響いて、建物が斜めに崩れ、倒れたのだった。
◆ ◆ ◆
最初は手で、そして最後には身体全体で押し潰すようにして、肉の胎児は瑠衣のいた建物を崩壊させてしまった。
泣き喚き、木材や瓦礫を掴んで放り投げる様は、まさに駄々をこねる赤子そのものだった。
探し物が見つからずにダンダンと地面を叩く様などは、特にそうだった。
ただこの場合、肉の胎児がどう振る舞っているかよりも、何を求めているかの方が重要だった。
すなわち、彼が瓦礫や木材の中に手を突っ込んで
そしてその答えは、すぐに判明した。
「…………!」
手探りで瓦礫の中を探っていた肉の胎児が、何かを引きずり出して来た。
パラパラと小石と土埃を零しながら持ち上げられたそれは、瑠衣だった。
片足を肉の胎児に握られ、持ち上げられる。
だらりと脱力したその姿は、気絶しているように見えた。
「――――!」
肉の胎児が、瑠衣の身体を目前に近付けて、そして叫び声を上げた。
それは正面に風圧を生む程の声量で、瑠衣の身体を揺らした。
次の瞬間には、肉の胎児が瑠衣を地面なりに叩き付けるだろうことは明らかだった。
「……!?」
その瞬間だった。瑠衣の顔に痣が浮かび上がった。
同時に目を開き、羽織の袖口から日輪刀が両掌に落ちて来た。
逆さまのまま上半身を起こし、目前にまで迫っていた肉の胎児の両目を斬った。
無論、それで死にはしない。
だが肉の胎児は見た目通り
あっさりと瑠衣から手を放し、両手で顔を覆ってのたうち回った。
「ギャアアアアアッ!!」
おぞましい悲鳴に、瑠衣は片耳を押さえながら着地した。
見上げた敵は、ぶくぶくと膨張を続ける肉の胎児だった。
今まで何匹も鬼を見て来たが、その中でも異彩を放つおぞましさだった。
そしておそらくは厄介さについても、一、二を争う相手であろう、とも思っていた。
「ちょっと寝ている間に、大事になっているようですね」
肉の胎児の移動の跡であろう。
ここに至るまでの道々で、
そして傷が再生したのか、肉の胎児が腹這いになってこちらを向こうとしていた。
特殊な血鬼術を使う様子はない。逆に、だからこそ手強いとも言えた。
「コロさん、潰されないように注意してくださいね」
「バウッ」
瑠衣は、とんとん、と小さく跳び始める。
猗窩座と言い、亜理栖、童磨と来て、この肉の胎児。
まったくもって、命がいくつあっても足りやしない、という状況だった。
しかしそれも、今夜で最後だろう。
成功するにせよ失敗するにせよ、次の夜明けまでには結果が出る。
今はそういう局面だと、瑠衣を含む誰もが理解していた。
◆ ◆ ◆
肉の胎児は、執拗に瑠衣を追って来た。
「アアアアッ、アアアアアアアッ!!」
「……っ。こんな可愛くない赤ん坊の泣き声は初めてです」
屋根から屋根へと跳び移って行く瑠衣だが、肉の胎児の速度自体は問題にならなかった。
その巨体故か、肉の胎児の動きは非常に緩慢なものだったからだ。
だが、瑠衣はつかず離れずの距離を維持していた。
理由は2つ。まず近付き過ぎればあの大きな手に捕まってしまう。
先程は不意討ちが上手くいったが、二度同じことが出来るとは思っていなかった。
と言って、離れすぎるのもまた問題なのだった。
「きゃあああっ、化物!」
「と、止まれ。撃つぞ……い、いや、撃て! 撃てえ!」
距離が離れ過ぎて瑠衣を見失ったと判断すると、肉の胎児の標的が他に移ってしまうのだ。
肉の胎児が襲う相手は、逃げ遅れた一般人や駆け付けた警官など様々だ。
要するにその時、最も手近にいる人間を襲う。
計画性はなく本能的なものだが、だからこそ放置は出来なかった。
「――――ッ!」
体を支えるために寄りかかっていた建物の、屋根だとか壁だとかを掴み、そのまま投げる。
建物を崩したわけではないから、ちょっとした石材や瓦などだ。
しかし普通の人間にとっては、それが飛んで来るというだけで十分に脅威だった。
――――風の呼吸・壱ノ型『塵旋風・削ぎ』。
そういった時には、彼らの前に出て飛来物を弾き飛ばさなければならなかった。
すると当然、肉の胎児の視界に入ることになる。
「アアアアアアアアアッ!!」
次の瞬間には、決まって肉の胎児は狂ったように瑠衣を目掛けて突進してくる。
その度に、瑠衣は庇った相手を突き飛ばし、あるいは抱えて跳ばねばならない。
「逃げてください! できるだけ遠くへ!」
「ひ、ひいいい!」
そのために、つまり自分自身を守るための行動が2手は遅れる。
(塵旋風……)
自分を守ろうとする時には、肉の胎児はもう目の前にいる。
日輪刀を後ろに振り被った体勢から、瑠衣は跳んだ。
(――――削ぎ!)
回転斬り。これまで幾度となく鬼の頚を斬り落としてきた技だ。
しかし、最初の一撃が肉の胎児に入った瞬間、その回転が止まってしまった。
いや、攻撃は当たっていた。だが、刃が肉を裂いていない。
「ぐ……!」
刃が、
日輪刀は、肉の胎児の表皮を破ったところで肉に挟まれていた。
つまり肉の胎児の肉体は、文字通り分厚い
「斬れない……!」
まさに、肉の
◆ ◆ ◆
肉の胎児は、防御という点において極めて無防備だった。
何しろ動きが緩慢な上、胎児の形をしているために可動域も大きくない。
ために、蜂のように跳び回りながら攻撃してくる瑠衣を捕らえることは出来ない。
しかし、
(攻撃が! 通らない! くそお……!)
今さら言うまでもないことだが、表皮をいくら傷つけたところで意味はない。
肉を斬り裂き、頚を刎ねなければ意味がない。
しかし、この肉の厚みを鋭さだけで突破するのは無理があった。
それこそ眼球であるとか、肉に覆われずに外部に露出している部分くらいなものだろう。
もちろん、手段がないわけではない。
例えば、このまま肉の胎児をこの場に留め続けて、夜明けを待つという手がある。
いくら肉の鎧を纏っていようが、陽光の前には無力だ。
太陽の光で焼き尽くす。手段としてはあり得る。
(そんな時間はない)
目の前の1体を倒すために、そこまで時間をかける余裕は無い。
何しろ、瑠衣達は「無惨暗殺」という作戦をすでに始めてしまっている。
しかも作戦はすでに露見してしまっていて、人間も瑠衣達を捕縛しようとしてきている。
瑠衣達に、
「アアアアアアアッ!!」
木材、瓦。大量に投擲されてくるそれらを、弾き、
(
腕の力だけでは、あの肉の厚みを斬り裂くことは出来ない。
ならば、それ以外の力をかけ合わせるしかない。
瑠衣は跳んだ。
肉の胎児が投げつけて来た破片でさえ足場にして、空中高くに跳んだ。
「――――ッ!」
自然、肉の胎児は瑠衣を追って仰け反るように身を反らした。
頚の可動域が小さいため、喉を逸らして、つまり頚の表面が大きくなった。
瑠衣の狙いは、そこだった。
――――風の呼吸・伍ノ型『木枯らし颪』。
最速。そして最も突進力のある技で、瑠衣は飛び込んだ。
全霊の力を込めて、晒された喉に二振りの日輪刀を叩き付けた。
ぞぶ、と、独特の感触と共に刃が肉の突き立った。
「ギャアアアアアアッ!!」
突進の威力のままに振り抜けば、頚の半ばまでは達する。直感的にそう理解した。
残り半分は刀を支点に抉り込めば斬れる。
だがそのためには、あと二動作が必要だった。
しかしその二動作が終わる前に、肉の胎児の両腕が瑠衣を捕らえに来る。
「バウッ!」
コロの声が聞こえた時には、肉の胎児はすでに両側から瑠衣を挟もうとしていた。
瑠衣の日輪刀はすでに深い位置にまで刺し込まれており、回避には刀を手放すしかない。
しかし、それは出来ない。だから先に斬り切るしかない。
その、瀬戸際の一瞬のことだった。
「ギャアッ」
突然、肉の胎児の両腕が
何の前触れもなく、丸太が斧で両断されるが如く、腕が落とされたのだ。
それを視界の端で捉えながらも、瑠衣は目の前の頚に集中した。
刀を握ったまま身体を振り、ぐんっとそのまま反対側へ足先を振る。
そうして生まれた力でもって、無理矢理に刃を通していった。
肉の胎児の悲鳴が、噴き出した血によって濁って行く。
「はあああ……ああっ!」
グエッ、と、聞くに堪えない声が響いた。
それは逆さまに――胴体から切り離されたために――なった肉の胎児の口から発されたものだった。
伍ノ型とその後の斬撃の勢いのままに着地に移りながら、瑠衣はようやく思考できた。
肉の胎児の両腕を斬り飛ばしたのは、誰だったのか、と。
そしてその答えは、すぐにわかることになる。
◆ ◆ ◆
グルル、と、唸り声が聞こえた。
傍らを見ると、コロが全身の毛を逆立たせていた。
そしてそんなコロの視線を追いかければ、そこに、いた。
隠れる気など毛頭ない。全身で、こちらにそう伝えてきている。
容貌は、重厚にして異形。
侍の風貌を持ちながら、しかし甲殻類のような
「……上弦の鬼、ですね。もちろん」
「上弦の壱、黒死牟…」
眼に刻まれた数字で、相手が上弦の壱であることはわかる。
瑠衣は日輪刀の構えを解くことなく、相手を睨んだ。
相手の全身から発される鬼気は、これまで感じた誰よりも強かった。
あの童磨よりも、なお強い。
そして黒死牟の側もまた、瑠衣を見つめていた。
六ツ眼を細めて、瑠衣の頭から爪先までをじっと見つめている。
けして威圧的ではない。しかし、重い。視線が重いと感じたのは初めてだった。
(この鬼、強い。しかも、たぶん、今までで一番強い鬼だ……!)
背中に、冷たい汗が滲んで来た。
その時だった。
頚を飛ばされて倒れ伏していたはずの肉の胎児が、頭が無いままに起き上がったのだ。
頭がないので声も無く無造作に起き上がってきたため、その様は先程よりも不気味だった。
「な……っ」
黒死牟に集中していたので、瑠衣の反応は遅れた。
頚なしの肉の胎児は、全身で瑠衣を押し潰そうとして来た。
回避は困難。ならば攻撃を。しかし、どこを攻撃すれば良いか。
一瞬の思考が、頭を駆け巡った。
――――月の呼吸・陸ノ型『
風が、頬を撫でた。瑠衣はそう感じた。
自分の周囲、肌を撫でられたと錯覚する程の距離を、
それも、無数にだ。
そう感じた次の瞬間、ボトボトと鈍い音が響いた。
「くだらぬ…」
肉の胎児の肉体が、細切れになっていた。
余りにも一瞬で、そして余りにも無数の攻撃を同時に受けたために、ダメージが再生力を上回った結果だった。
「そのようなことをしても…。我が
それはあの上弦の肆の、最初の姿――老人鬼だった。
ただ、指先ほどに小さい。
「ひいいい、ひいいい……」
それを見て、瑠衣は察した。
これが、この指先ほどの鬼が、上弦の肆の本体なのだ。
過去に戦った時、何度頚を刎ねても死ななかったのは、このためだ。
そしてこれまで何百年もの間、鬼殺隊の剣士達がどうやって殺されてきたのかを、理解した。
ギッ、と、己の奥歯が音を立てるのを聞いた。
「ひ、ひいいいいいいいいっ!」
――――風の呼吸・捌ノ型『初烈風斬り』!
その小さな頚に、日輪刀をぶち当てた。
硬い。なるほど、他の分身体とはまるで違う。
反対側から、さらに小太刀を撃ち込んだ。
二振りの日輪刀が、両側から頚に食い込んだ。
その交差した峰に足を乗せて、強靭な脚力と体重を乗せて、押し込んだ。
上弦の肆はもがいていたが、急激な肉体変化の反動と黒死牟の一撃で力を使い果たしていた。
さらなる変化は起こらず。そして。
「ギ、イ……ッッ!?」
醜い断末魔と共に、上弦の肆、半天狗の頚がついに斬られた。
瑠衣は斬り落とした頭を踏みつけて、聞くに堪えない声がさらに響かないようにした。
「もういいです。お前は、もう死んでください」
瑠衣のその言葉が届いたのかどうなのか、足裏で、ぼんっと音を立てて、半天狗の頭が塵と化した。
次いで、傍らに落ちていた肉塊も塵となって消えて行った。
再生しない。逃げ隠れも、もう出来なかった。
上弦の肆・半天狗は、ここに滅びたのだった。
「さて、と……」
しかし、その事実にいつまでも浸ってはいられなかった。
何故ならば、瑠衣の目の前には半天狗よりもずっと大きな存在がいたからである。
そして、異形の侍は、そんな瑠衣を未だ見つめていたのだった。
◆ ◆ ◆
周囲には、逃げる者はすでに逃げたのか、
瑠衣と黒死牟が、少しばかりの距離を置いて、互いを正面から見つめているだけだ。
(……強い)
出で立ち、そして先程の一撃。
それを抜きにしても、こうして対峙しているだけで強さがわかる。
小動物が肉食獣を前にした時、本能的に身の危険を感じるのに近い。
そしてその場合、小動物側がとる行動は2つしかない。
闘争か、あるいは逃走か、だ。
しかしそのいずれを選んでも、多くの場合は小動物側の死をもって事態は終わる。
例外は、少ない。
「見事だ…」
不意に、黒死牟が声をかけて来た。
「先程の一撃…」
油断なく小太刀を構える瑠衣に対して、しかし黒死牟は自然体のままだった。
対照的な2人の反応は、両者の実力差を如実に表していた。
「
「……お褒めに預かり光栄ですが」
もちろん、言葉の通り「光栄」などと思っているわけではない。
ただ、少しでも時間を稼ぎたかっただけだ。
会話をしながら、黒死牟に隙が見出せないか探っていたのだ。
だが、どうしてもそんな隙は見出せないのだった。
「私は……――――ッ!」
身体を、真っ二つに両断されたかと思った。
反射的に――思考するよりも素早く――日輪刀を前に出していなければ、実際にそうなっていただろう。
衝撃の後に音が聞こえてくるのは、それだけ黒死牟の剣速が凄まじかったからだ。
一太刀。しかし、複数回斬り付けられたかのような感覚。
ジンジンと痺れる両腕に、顔を顰めた。
不味い受け止め方をしたのか、掌を通して、日輪刀が悲鳴を上げているのを感じた。
そこまで至ってようやく、黒死牟が攻撃してきたのだと、理解が追い付いて来た。
またしても、不可視の斬撃。
(これは……本気で、危ないかもしれない)
小動物は幸福だと、瑠衣は思った。
闘争か逃走か。2つも選択肢があるのだから。
瑠衣は、1つしか選べない。
「ほう…。挑んでくるか…」
「……当然です。見鬼必滅、それが、鬼殺隊ですから」
闘争。そして唯一の例外を掴み取る。
そうするしか道は無かった。
だから瑠衣は、大きく息を吸った。
呼吸を強く、そして深くする。
そしてそれに呼応するかのように、顔の痣がより色濃くなっていった。
◆ ◆ ◆
面白い、と、黒死牟は思った。
瑠衣に一太刀を浴びせた後の、率直な感想である。
自分の攻撃を、
「ふ……っ!」
そして、野猪か猛兎かと言うようなその脚力である。
黒死牟と戦うに際して、瑠衣は最初から様子見などしなかった。
最初の一歩目から、全速で跳んだ。
四方八方から、瑠衣は黒死牟に斬りかかった。
黒死牟の六つある眼がそれぞれの方向を見やり、正面を向いた。
そして、黒死牟は瑠衣の斬撃1つ1つを
瑠衣の腕に、日輪刀に、重い衝撃が連続で走った。
黒死牟の攻撃の重さに耐え切れず、瑠衣の身体がふわりと飛ばされた。
(来る……!)
――――月の呼吸・弐ノ型『
肌が粟立つのと、実際の衝撃が来たのはほぼ同時だった。
瑠衣に向かって放たれたのは
だが、黒死牟は刀を握ってはいない。
その肉体から飛び出した刃が、斬撃を飛ばしているのだ。
鬼らしい攻撃と言えばそうだが、侍然とした姿からは不自然でもある。
まるで、あえて刀を持たないようにしているかのようだった。
いや、今はそういう考察をしている場合では無い。
(この斬撃は、普通じゃない!)
斬撃を
見た目は一振り。だが実際は、そうではない。
「シイイイィィ……!」
――――風の呼吸・肆ノ型『昇上砂塵嵐』。
斬撃を潜るように膝をつき、その上で全方位を斬り払った。
威力を砕くことは出来ず、逸らすのがやっとだった。
しかし予想の通り、瑠衣が斬り払った斬撃は
(恐ろしい剣技!)
黒死牟の斬撃には、その他に大小の別の斬撃が付属している。
しかも始末の悪いことに、その形も数も定型ではない。
さらには全てが不可視。
己の直感と肌感覚だけが頼りという、余りにも危険な状況だった。
(とにかく、動き回らないと。止まったら駄目だ)
いかに不可視で無数の付属刃を伴うと言っても、主たる斬撃は1つに過ぎない。
注意深く判断して捌けば、凌げない程ではないはずだった。
そのためにも動き回り、懐に飛び込み、必殺の一撃を叩き込む。それしかない。
そう判断して、瑠衣は顔を上げた。
「あ……」
そして、黒死牟の全身から無数の刃が生えているのを見た。
◆ ◆ ◆
――――致命傷を、避けることさえ困難だった。
いくつかは、迎撃できたと思う。逸らせたと、そう思う。
しかし、それがどれだけ意味があったのかはわからない。
「かふっ」
呼吸をしようとして、喉が血で詰まった。
自分の意思とは無関係に、膝が折れそうになっていることがわかる。
だが、瑠衣はまさに残りの全ての力を使って立ち続けていた。
それは、戦意のためでは無かった。
瑠衣の身体の全面で、血に濡れていない場所は無かった。
羽織も隊服も形こそ保っているが、布地が切れて地肌を晒していた。袖などは落ちている。
そこから、
「ふむ…。動かない方が良いな…」
言われるまでもなく、動けなかった。
何故ならば、動けば、あるいは膝をつけば、その衝撃で死んでしまうからだ。
余りにも鋭く斬られたがために、傷口がまだ
だから動けば、思い出したかのように傷口が開き
そんな現象を、瑠衣は初めて見た。
「最初こそ面白きこと、と思ったが…」
そんな瑠衣に、黒死牟はゆっくりとした足取りで近付いて来た。
それに対して、瑠衣に出来ることは無かった。
ただ、膝を折らぬように必死だった。
ブルブルと、自分の身体が震えていることがわかる。
決壊寸前の傷口を、筋力と気力で抑え込んでいるからだ。
何という無様。
だけど、良かった。死ぬわけにはいかなかった。
(もう、私しかいないんだ……!)
こんなところで終わるわけにはいかない。
その想いが、辛うじて瑠衣の意識を繋ぎ止めていた。
「犬畜生が刀を持つとは…。奇妙な時代になったものだ…」
そんな瑠衣の前に、コロが立った。
前傾姿勢で唸り声を上げる彼に、黒死牟はさしたる興味を向けた風ではなかった。
自分から進んで相手にする気はないと、態度で語っていた。
「バウッ!」
吠え声ひとつ。コロが飛び掛かった。
それに対する黒死牟の対処は、極めて簡潔だった。
「ギャウッ」
これまでに聞いたことも無いような鳴き声を上げて、コロが吹き飛んでいった。
すぐに視界から消えて、何かにぶつかる音が聞こえた。
身体を動かすことが出来ない瑠衣は、コロの姿を追うことも探すことも出来ない。
顔中に脂汗を流して、立っていることしか出来ない。
「さて…。これからお前は死ぬが…」
目の前。まさに指呼の距離にまで迫った黒死牟を、目だけで見上げた。
「名も残さずに死ぬのは哀れ…。せめて名乗ってから頚を刎ねてやろう…」
鬼に名乗る名など持ち合わせてはいないが、少しでも時間を稼ぐ必要があった。
回復と、起死回生の時間。いずれも何の根拠もないけれど。
「れん……煉獄、る……る、瑠衣……!」
「煉獄…」
そこで、黒死牟の顔の端がピクリと反応した。
反芻するように「煉獄」と呟いて、言った。
「あの男と同じ名…。奇妙なり…」
あの男、という言葉には、瑠衣も反応した。
煉獄という名を聞いて思い浮かぶ人間など、そう多くはない。
「貴様はあの男の…。煉獄槇寿郎の関係者か…」
やはり、という思いと共に、奥歯を噛んだ。
「煉獄槇寿郎は、私の……父だ……!」
「父親…。娘と…。ふむ…」
黒死牟の反応は、やはり奇妙だった。
疑問に思っている。不思議に思っている。戸惑いと困惑、疑問。
能面のような顔に、何故かそんな感情の動きを読み取ることが出来た。
胸の奥に、何か重しを乗せられたような気がした。
何故そんな反応をするのかと、急激に嫌な予感を覚えた。
どうしてか、これ以上は聞くなと自分の中の何かが言っている。
「しかし…」
傷の痛みと、胸のざわめきと。
血を失い過ぎた肉体の、不気味な冷たさの中で。
「
心を斬られる音を、確かに聞いた。
最後までお読みいただき有難うございます。
愉しい(え)
妹主人公を追い詰めるのは実に愉しい(え)
もっと、もっと苦しめたい(え)
それでは、また次回。