鬼滅の刃―鬼眼の少女―   作:竜華零

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第58話:「混迷」

 ――――それは、救済だった。

 

「ひいっ。か、体が凍り付いて……!」

「やめ、おやめください! 上弦様、どうしてこんな!」

「ギャアアアアアッ」

 

 童磨は常々、鬼という存在が()()だと思っていた。

 何故ならば、()()()()()()()()()()だからだ。

 

「鬼になったって、大して何も変わらなかった」

 

 確かに鬼は、不老不死と強靭な肉体を得た。

 しかし結局、食べねばならない。

 太陽の光や鬼狩りによって、死を与えられる。

 飢えからも死からも逃げ切れなかった。中途半端な存在だ。

 

 だから、解放されなかった。

 人だった頃からあった「生きる苦しみ」から、解放されなかった。

 童磨はずっと、それを憐れだと思っていた。

 しかし今日、ついに無惨から赦しを得たのだ。

 

「もう、苦しまなくて良いんだよ」

 

 そう言って童磨は、断末魔の叫びを上げる鬼達を次々に氷像に変えていった。

 無惨という特別な例外を除いて、鬼に鬼は殺せない。

 ただそれは直接的に命を奪えないという話で、死を与えられないという意味ではない。

 再生には限界がある。

 

 そして下位の鬼には、童磨の氷の血鬼術を破る力は無い。

 つまり氷漬けにして朝まで放置しておけば、夜明けと共に死ぬのだ。

 極低温下におけば、鬼でさえ肉体活動が緩慢になる。

 朦朧とした意識の中、眠るように死を迎えることが出来る。

 

「嗚呼、今日は素晴らしい夜だ。こんなにも皆を救済できるだなんて!」

 

 素晴らしい。童磨は何度もそう繰り返した。

 その顔に張り付いているのは、笑顔だった。

 同胞の虐殺――人間が巻き添えでも、もちろん気にしない――を、笑顔で行っていた。

 

「黒死牟殿の方はちゃんとやってるかなあ。俺ばっかりが真面目に仕事をしているんだから。でも、どうせあのお方は黒死牟殿や猗窩座殿を褒めるんだろうな。贔屓だよねえ」

 

 言葉自体は不公平を訴えるものだが、表情のせいか雰囲気のせいか、耳に残らなかった。

 

「…………」

 

 そして、そんな童磨を、珠世が見つめていた。

 何か声をかけようという風ではない。

 ただ、困惑の色だけは浮かべていた。

 

(何故、私を生かしているの……?)

 

 殺すでもなく、無惨に差し出すでもなく。

 さりとて逃がすわけでもない。

 いったい何がしたいのか、珠世には童磨の真意が読めなかった。

 そもそも真意と呼べるような類の何かがこの男にあるのだろうかと、そう思った。

 

『羨ましいなあ』

 

 あの時、瑠衣が犬井に刺された直後。

 童磨は、珠世に対してそう言った。

 その言葉の意味するところを、珠世は掴めずにいるのだった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 ()()()()()

 そう言われた時、瑠衣は強烈な吐き気を覚えた。

 喉を通り過ぎて溢れたそれは、大量の血だった。

 すでに下唇から顎にかけては真紅に染まり切っており、深刻な状態であることは明らかだった。

 

「男女の差はあれど…」

 

 六つの眼を細めて、黒死牟は瑠衣を見下ろしていた。

 その身からは、戦闘の気配が消えている。

 決着はついたと、そう考えていることがわかった。

 

「肉質…。骨格…。細胞…。親子であれば類似するもの…」

 

 まるで瑠衣の身体を()()()()見ているかのような、そんな眼だった。

 あまり、心地よい感覚では無かった。

 

「お前達の間にはそれが無い…」

 

 黙れ。つまらぬ世迷言に騙されるものか。

 頭の中では、そう思っていた。

 だが、それを口にすることは出来なかった。

 喋ろうとすれば、言葉の代わりに血を吐くことになるからだ。

 

 死というものを、間近に感じた。

 血の気が引き、指先はおろか手足の感覚さえなくなってきていた。

 死ぬわけにはいかないのに、死につつある。

 そして死は徐々に、瑠衣の意識を覆おうとしていた。

 

(あ……諦める、な……!)

 

 筋肉を、引き絞れ。傷口を塞げ。

 呼吸を維持して、破壊された血管を閉めろ。

 無事な血管を選んで、血の巡りを保て。

 

 (ふいご)のように、ヒュウヒュウという頼りない呼吸音だった。

 それでも、意思だけは保った。

 たとえ肉体は動かせなくても、意思だけは。

 

「もっとも…」

 

 そんな瑠衣を見てどう思ったのか。

 黒死牟は懐から取り出した何かを、瑠衣の足元に放った。

 ガチャ、と金属音を立てたそれを、目が勝手に追った。

 

 それは、折れた刀だった。

 根本近くで折れていたが、紅い刀身と悪鬼滅殺の四文字を見逃すことは無い。

 何より、()()()()()()()()()

 それが誰の刀であるのか、瑠衣にわからないはずは無かった。

 

「あの男は、もうおらぬ…」

 

 ()()()()()

 その言葉は、血鬼術よりも刀傷よりも、瑠衣を強く殴りつけた。

 

「故に今さら…。血縁の有無など(せん)なきこと…」

 

 黒死牟は何やら勝手に納得しているようだが、瑠衣はそうはいかなかった。

 足元に落ちた刀――()()()

 それは瑠衣の視界を歪める程に、強く、酷く。

 瑠衣を、どうしようもなくさせた。

 

「貴様アッ!!」

 

 血よりも、言葉が先に出た。

 だが、それが致命的だった。

 集中が切れたことを意味するからだ。

 

 血は、すぐに言葉に追いついて来た。

 そして意識の集中を失った瑠衣の身体は、血に続くものを吐き出した。

 身体の前面から、それらは出て来た。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 ――――立てない。

 地面に膝をついて、瑠衣は腹を抱くようにしていた。

 血は、その勢いを緩めていた。

 だがそれは、事態の好転を意味しない。

 

 傷口が大きく広がった結果、吐き出すべき血をほとんど出してしまった、というだけだ。

 すなわち瑠衣の身体は、その生命活動を支える血液(燃料)を失ってしまったのだ。

 肌は蒼白くなり、僅かな汗が顔に滲み、呼吸――脈拍は早く、弱い。

 端的に言えば、すでに死人の顔をしていた。

 

「死が恐ろしいか…」

 

 自らの腹を掻き抱く瑠衣に、黒死牟はそう声をかけた。

 切り刻まれた隊服の一部が、奇妙な盛り上がりを見せていた。

 瑠衣の腕はそれを押さえ付けようとしており、カタカタと震えていた。

 死への恐怖か、あるいは肉体の生理現象か。

 

「ならば…」

 

 黒死牟が、ぐっと拳を握った。

 骨と肉が軋むような音を立てたかと思うと、掌が破れたのだろう――彼の強靭な皮膚と肉を裂くほどの力――ポタポタと、血が滴り落ち始めた。

 ただ瑠衣は顔を上げることが出来ない上、聴覚にもすでに以上を来たしていた。

 だから、黒死牟がしようとしていることに気付くことが出来なかった。

 

「……っ」

 

 髪を掴まれて、無理矢理に顔を上げさせられた。

 そこでようやく、血に濡れた手を見ることができた。

 ただ意識はすでに半ば落ちていて、何の反応も返せずにいた。

 

()()()…。()()()()()()()…」

 

 上弦の鬼は、他の鬼とは比較にならない程に鬼舞辻無惨の血が()()

 体内を循環する無惨の血を、凝縮して体外に出せる程に、だ。

 そして無惨の血には、人間を鬼に変貌させる作用がある。

 つまり上弦の鬼には、限定的ながら人間を鬼に変えることが出来るということだ。

 

 その方法は、至極単純だ。

 瑠衣の眼前で拳を握り込み、掌から滴る血の量が増した。

 すでに自分の血で汚れてい瑠衣の唇に、黒死牟の――()()()()がボタボタと落ちる。

 生温かい血が唇に触れ、口内に入り込む感覚に、瑠衣は呻いた。

 

「う……」

 

 急速な失血によるためか、異常な渇きを覚えていた。

 そのせいもあって、瑠衣の舌が口内に侵入する水分を舐め取る。

 喉が、焼け付くようにヒリついた。

 その瞬間、瑠衣の意識が一気に覚醒した。

 

「あ、ぐ……うえっ。うううう、ん。ぐ、ううう」

 

 顔を背けようとすると、固定され、口を抉じ開けられた。

 手指を捻じ込まれて見悶えると、腹から嫌な音が響く。動けない。

 どうすることも出来ずに、されるがままに身を侵される。

 やがて、瑠衣の身体は生理的反応として、ビクビクと跳ねるだけになっていった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 げえげえと、嘔吐し続けた。

 およそ少女の出す音ではないが、そんなことを考える余裕は無かった。

 身を起こす力もないので、横向きに倒れた体勢で吐き戻す。

 ごぼごぼという危険な音は、喉と肺腑、胃の全てから聞こえていた。

 

「げっ……ふっ……」

 

 口を開く度に、どす黒い血の塊が噴き出す。

 それを見つめる瑠衣の瞳には、色がなかった。

 腹を掻き抱いていた両腕もだらりと地面に落ちて、()()()()ままになっていた。

 

「やはりな…」

 

 陸に上げられた魚のように悶える瑠衣を見下ろしながら、黒死牟は言った。

 

「そうなると…。思っていた…」

 

 すでに、瑠衣の意識はない。

 全身の血を失い、そして無惨の血を飲んでしまった時点で、気絶してしまった。

 出血のショックと、異常な輸血の結果だった。

 

「すでに血液は失われ…。心の臓も肺腑も機能せず…。肉体は死に瀕していると言って良かろう…」

 

 いつ死んでもおかしくない。

 いや、むしろ死んでいるべきだ。

 今の瑠衣の状態を見れば、誰であれどう判断するだろう。

 しかし、だ。

 

「何だ…。その肌は…」

 

 消えかけた痣が、顔から身体へと侵蝕を始めていた。

 それは手足の先にまで及び、血管のように蠢いてさえいた。

 そして痣の部分から、蒼白だった肌に血色が戻り始めている。

 

「何だ…。その身体は…」

 

 ()()()()と、異常な音が腹部から聞こえていた。

 隊服の盛り上がりが少しずつ失われ、やがてなくなった。

 肉が混ざり合うかのような音を最後に、それは止んだ。

 

「何だ…。その目は…」

 

 動かなくなっていた瑠衣が、ゆっくりと、しかし確かな力強さで起き上がり始めた。

 地面に置く手も、身を支える足も、しっかりと動いている。

 何よりも大きな変化は、目だった。

 前髪の間から覗く瑠衣の、()()()()()()

 金色に波打つ光彩。およそ人の目ではない。人のものではないなら、それは何だ。

 

「調子ニ」

 

 声も、やはり違う。

 元の声に別の声が重なっているようにも聞こえる。

 いずれにせよ、()()()

 全身を軋ませて、彼女は言った。

 

「調子ニ乗ルナヨ、オ前」

 

 黒死牟の六つの眼が、再び透明な気配を帯びる。

 彼は瑠衣の身体を隅々まで、改めて観察した。

 そして、即座に理解する。

 瑠衣が()()していることを、理解した。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 肉の胎児が滅びたことで、被害の拡大は止まった。

 しかし一度広がった混乱は、容易には収まるものではない。

 もちろん現場から離れれば離れるだけ「化物が暴れている」という()()()()()()()()は、人間の常識に収まる範疇に修正されていく。

 例えば「猛獣が暴れている」「浪士崩れが警官と撃ち合っている」「陸軍のクーデター」等だ。

 

 混乱の時代はすでに過去とは言え、人々の心には漠然とした不安が残っていたのだろう。

 そうした不安が急に訪れた非日常によって爆発し、収拾がつかなくなった。

 ()()()()()()()()()()()()

 表面的にはどれほど受け入れているように見えても、本心は別だった。

 

「おい、こっちで合ってるのかよ!」

「知るかよ、とにかく走れ!」

 

 路地裏を走って逃げる男達も、どこに行けば良いかわかっていない様子だった。

 ただ走って逃げることだけが助かる道だと、そう信じている様子だった。

 

「――――あっ!?」

 

 不意に、1人の頭が千切れた。

 それに気付いて悲鳴を上げる前に、もう1人の頭も千切れた。

 路地の陰に潜んでいた鬼が、2人の頭を両手に掴んだのだ。

 

「くそっ、こうなったら命令なんて無視して喰いまくってやる」

 

 握力だけで人間の首を引き千切った鬼は、額のあたりから頭を割り、口をつけた。

 脳髄を啜る音が、路地に響いた。

 東京の鬼は、無惨の命令で無差別の捕食を禁じられていた。

 人と鬼の共存というお題目のためだ。

 だが()()は質も量も多くなく、下位になればなるほど不満は溜まっていた。

 

 だから、こういう非常時には禁を破る者も出てくる。

 もっとも、無惨が粛清を――無論、他の鬼は知りようもないが――決断した以上、今さらそのような掟には何の意味も無かった。

 はっきりしているのは、彼の運命は決まっている、ということだった。

 

「あ?」

 

 奇しくも、彼の最期の言葉は、先ほど彼が殺した人間と同じだった。

 そして、死に方も同じだった。

 背後から無造作に頭を掴まれ、そして引き千切られた。

 違いがあるとすれば、彼はそれでも死に切れなかったということだ。

 

「邪魔」

 

 放り捨てられた頭も、倒れ伏した胴体も、地面に血溜まりの水面――()()に、吸い込まれて消えた。

 それを行った者、つまり亜理栖は、それ以上の興味を抱かなかったようだ。

 最終的に、路地に立っているのは亜理栖だけになった。

 

『――――出せ』

 

 しかし不思議なことに、声はもう1つ聞こえた。

 亜理栖はそれに反応しなかったが、聞こえていないわけではない。

 それは、彼女の額に血管が浮き出ていたことからもわかる。

 努めて無視している。その証明だった。

 

『――――俺を出せ!』

 

 同時にそれは、努力しなければ我慢できない状況だと言うことだ。

 ()()()()()

 亜理栖にとって重要なのは、その限界が、彼女の兄が示すタイミングに合うかどうか、ということなのだった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 『透き通る世界』。

 あるいは『無我の境地』。あるいは『明鏡止水』。

 武や、()を極めた者が辿り着く境地。

 そこに至った者は、己自身でさえも()()になるのだという。

 

「…………ふむ」

 

 黒死牟は、()()にいた。

 だからなのか、驚きの声を上げたように見えても、眉ひとつ動かしていない。

 つまり目の前で起こったことは、黒死牟にとっては驚く程のことではなかった、ということだろう。

 

 しかし、彼の目の前で起こった出来事――すなわち瑠衣に起こった変化は、驚嘆すべき事柄だった。

 瑠衣から、()への変化。

 ()()()()()()()()()()()

 それは人格という意味合いだけでなく、肉体そのものの変化を意味していた。

 

「間違いなく…。今のお前は鬼だ…」

 

 黒死牟の眼は――『透き通る世界』に到達した彼は、瑠衣の肉体の内側でさえ視ることが出来る。

 瑠衣の血縁や肉体の変化を見抜いたのは、彼女の身体をまさに透かして見ていたからだ。

 だから理解した。

 今の瑠衣が人間ではなく、鬼になっていることに。

 

「しかもその再生速度は…。上弦に匹敵している…」

 

 それも、並の鬼ではない。

 黒死牟の眼は、変化を見抜くと同時に鬼としての瑠衣が食人していないことも見抜いている。

 それでもなお瑠衣の再生速度、内臓が漏れ出る程の重症が一瞬で治癒されるのを見た。

 ずっと不可解だった。

 

 かつて無限列車で猗窩座が頚を刎ねられ、吉原で妓夫太郎・堕姫を滅ぼされた。

 そのいずれも彼女の存在が絡んでいたことを、黒死牟は無惨との情報共有で知っていた。

 だが人間もどきの鬼もどきに猗窩座達が遅れを取るとは、どうしても理解できなかった。

 しかしそれも、いざ彼女を前にして氷解した。

 

「人と鬼を行き来する…。血鬼術か…」

 

 まさに、()()

 煉獄瑠衣は、鬼として凄まじい潜在能力を秘めていた。

 

「他の者が敗れるのも…。無理からぬこと…」

 

 今まで数多の鬼を見てきた黒死牟だったが、これ程の才気を見たのは初めてだった。

 見事だと、感心してしまう程だ。

 

「五月蠅イナ」

 

 当然ながら、黒死牟の感心など瑠衣は必要としていなかった。

 次の一瞬で瑠衣の身体が消えたように見えて、さらに次の一瞬で黒死牟の目前にいた。

 そしてその六ツ眼を宿す顔面に、小太刀を振り下ろした。

 

「オ前ニ付キ合ッテイル暇ハナインダヨ」

「無粋…」

 

 同時に、黒死牟は再び全身から刃を生やしていた。

 暴風が、辺りに吹き荒れた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 ――――月の呼吸・陸ノ型『常世孤月・無間』。

 長射程・広範囲の斬撃、それも不可視の付属刃を持つ斬撃が、再び瑠衣を襲った。

 その斬撃の衝撃は、黒死牟に斬りかかった瑠衣の肉体を細切れにするはずだった。

 

「見エテイルヨ」

 

 それを空中で、しかも至近距離で迎撃する。

 二振りの小太刀を逆手に持ち替えて、横回転した。

 金属音を幾度も響かせる様は、まるで銃弾でも弾いているかのようだった。

 

 そして黒死牟の斬撃の威力を利用して、独楽(コマ)のように回りながら距離を取った。

 足先を振って空中での角度を器用に変え、曲芸師の如く付属刃の間を擦り抜ける。

 着地。それから再びの突進。その間は1秒にも満たなかった。

 

「器用なことをする…」

 

 ――――月の呼吸・捌ノ型『月龍(げつりゅう)輪尾(りんび)』。

 横薙ぎの斬撃。主たる斬撃の幅が広く、その分だけ付属刃も多い。

 縦の跳躍を素早く繰り返して、瑠衣はそれをかわした。

 

 ――――月の呼吸・玖ノ型『(くだ)り月・連面(れんめん)』。

 落ちてくる斬撃。稲妻のように地面を打ち、付属刃が拡散する。

 瑠衣は無数に落ちてくる斬撃を一瞥するや、その内の1つに自分から跳び込んだ。

 地面に落ち、付属刃が拡散する直前の隙間に身体を捻じ込んだのだ。

 

「何と…」

 

 素晴らしい観察力と洞察力だった。

 何より果断だ。躊躇というものが見えない。

 上弦並の再生力があるから、という慢心も無い。

 最小限の被害で切り抜けられる場所を見抜き、迷わずに突っ切る。

 

「しかし…」

 

 斬撃の間を抜けてきた瑠衣の日輪刀が、黒死牟の頚を捉えた。

 人間とは思えない膂力で振るわれたそれは、黒死牟の強靭な頚でさえ斬り裂いていった。

 擦れ違うように交錯し、瑠衣が黒死牟の背後に着地する。

 ごろりと落ちた黒死牟の頭は、地面に落ちる前に塵となって消えてしまった。

 瑠衣は、舌打ちをした。

 

「すでに気付いているようだが…」

 

 振り向いて立ち上がると、メキメキと音を立てて黒死牟の頭が再生するところだった。

 猗窩座と同じだ。 

 

「頚を斬られても…。死なぬ…」

 

 黒死牟は、頚の切断による死を克服した鬼だ。

 いかに日輪刀とは言え、急所を克服されてはただの刀と変わらない。

 今の黒死牟を倒すためには、太陽の光を直接当てるしかないだろう。

 あるいは。

 

「関係ナイヨ。再生デキナクナルマデ殺セバ良インダカラ」

「威勢の良い…。ことだ…」

 

 聞き終わる前に、瑠衣は黒死牟に跳びかかっていた。

 再生しかかっている頚を、再び斬りに行く。

 その行動には、一切の迷いが無かった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 この時、瑠衣と黒死牟の戦いを見ていた者が2人いた。

 まず1人は、不可視の血鬼術で近くまで来ていた愈史郎だった。

 彼もまた、珠世と同じように犬井・童磨の邂逅時に()()されていた。

 童磨を監視するという珠世の頼みで――心底から嫌々だが――瑠衣を探していた。

 

 最も騒がしい場所にいるだろうと踏んでやって来たが、案の定だった。

 問題は、彼が到着した時には黒死牟との戦闘が始まっていた、ということだった。

 黒死牟の剣技が余りにも凄まじく、近付くことが出来なかった。

 まごついている内に、今の状態にまで発展してしまった。

 

「おい、大丈夫か」

 

 唯一できたことと言えば、瓦礫の中でぐったりとしていたコロを拾ったことぐらいだ。

 胴を深く斬られていて、危険な状態だった。

 獣医の経験などなかったが、応急措置として傷口を縫合した。

 それでも、命の危機にあることには変わりない。

 

「いいか、動くなよ。動いたら傷口が開いて死ぬぞ」

「クゥン……」

 

 再起不能。絶対安静。今、言えることはそれだけだった。

 コロを抱きかかえて、愈史郎は顔を上げた。

 そこには、幾度も突進を繰り返す瑠衣の姿があった。

 

「あれが、珠世様の仰っていた……。化物だな、どちらも」

 

 元々戦闘向きではない愈史郎には、黒死牟の斬撃は単なる線にしか見えない。

 しかし今の瑠衣にとっては違うようで、彼女が愈史郎が感知し得ない斬撃をも回避していた。

 黒死牟もそうだが、今の2人が何を見ているのか。もはや愈史郎にはついて行けない。

 見ていることしか出来ない自分自身に、愈史郎は本人でさえ気付けない内に、苛立ちを覚えていた。

 

 そして、もう1人。

 ただし彼はその場にいるわけではなく、黒死牟の視界を通じて見ているだけだ。

 ――――鬼舞辻無惨である。

 

(何だ、手を止めた……?)

 

 交戦中だった鱗滝は、無惨の突然の停止を訝しんだ。

 それを追撃の好機と思えなかったのは、無惨の戦闘力が予想の遥か上を行っていたからだ。

 だいたい追撃するも何も、実は()()()()()()()()()()()()()

 そして実際、この時、黒死牟の視界を通じて瑠衣を見ていた無残は、目の前の鱗滝達のことを思考の外に追い出してしまっていた。

 

「…………素晴らしい」

 

 訝しむ鱗滝を他所に、無惨は言った。

 それは、黒死牟に対する明確な命令だった。

 

「黒死牟、その娘は殺すな。殺さずに私の下へ連れてこい」

 

 今まで、特に関心を持っていたわけではない。

 だが今日、()()()()()見るに至って、そして今の状態を見るに至って、無惨は考えを改めた。

 

「面白い()()()()()だ。青い彼岸花の前に、その娘を取り込んでおくとしよう」

 

 無惨は、無駄が嫌いだった。

 だから「無駄に」増やした鬼を粛正するわけだし、それは変化への忌避と並んで一貫した無惨の姿勢でもあった。

 しかし逆に言えば、有用なものは何であれ、例え敵側にあるものでも評価する。

 かつての黒死牟が、そうであったように。




最後までお読みいただき有難うございます。

愉しい(え)
間違えた、楽しいですね(え)

物語はいよいよラストスパートです。
さて、はたして誰か生き残れるのかどうか…。

それでは、また次回。
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