鬼滅の刃―鬼眼の少女―   作:竜華零

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第5話:「零余子」

 十二鬼月・下弦(かげん)()――――名を零余子(むかご)

 数多いる鬼の中で最強の1体。

 数多くの人間を喰い、鬼狩りでさえ屠ってきた鬼だ。

 その彼女が、今はただ戸惑っていた。

 

(あの鬼狩り(瑠衣)、どこへ消えた?)

 

 瑠衣を、見失っていた。

 小さく、()()()()と跳んでいた瑠衣が、いきなり姿を消したのだ。

 鬼は瞬きをしない。瞳が常に潤っているためだ。

 まして十二鬼月である自分が見失うなど、あるはずがない。

 ないはずなのに。

 

「……?」

 

 音。

 まず、音が来た。

 ドンッ、という、衝撃を伴う強い音だ。

 音を追うと、いつの間にか別の場所でとんとんと跳ねる瑠衣を見つけた。

 

 この音が()()()()()()なのだと気付くのに、少しかかった。

 そして強く踏み込んだ次の瞬間、瑠衣の姿が目の前から消える。

 足元の床板が砕けて、人の頭ほどの大きさの穴が開いていた。

 数瞬の後、別の方向からまた音がした。

 

「速……」

 

 呟く間に、さらに別の方向から音が聞こえてくる。

 やはり目が追い付く前に、瑠衣は消える。

 一歩につき10尺(約3メートル)は軽く移動しているか。

 いや、それ以上に移動している時もある。逆に短い時もある。

 それが何度も繰り返された。本堂の床に、瑠衣の「足跡」が次々に刻まれていく。

 

 無論、零余子もただ見ていたわけではない。

 根を向かわせる。しかし話にならなかった。

 追いつけない。仮に追いついたと思っても、次の一瞬には擦り抜けてしまう。

 触れることすらできない。

 音はもはやドンッ、という単発から、ドガガガ、という連続したものに変わりつつあった。

 

「あ……」

 

 単発ではダメだ。仕留め切れない。

 そこまで考えて、零余子はハッとした。

 ()()()()()()()

 今、自分は何を考えたのか?

 

 十二鬼月である自分が、たかがエサに過ぎない人間を相手に、事もあろうに。

 仕留め切れないだと?

 鬼が、人間を仕留め切れないとは何だ。

 怒りが急激に高まり、それは容易に沸点を越えた。

 

「ああ、ああああああもうっ、鬱陶しいっっ!!」

 

 余りにも苛立ったのだろう、人質(榛名)の首からも手を放してしまった。

 両手を眼下で跳び回る瑠衣へと向ける。

 そして力の集中を表すかのように、両手がメキメキと音を立てていた。

 ――――血鬼術!

 

  ◆  ◆  ◆

 

 ――――血鬼術『百腕(ひゃくわん)肉芽(にくが)』。

 天井と、床。

 上下から100本に及ぶ砂色の根が湧き出し、()()()ながら瑠衣に襲い掛かる。

 それはまさに視界を埋め尽くさんばかりで、蟻の這い出る隙間もなくなるのではないかと思えた。

 

「アハハハハハハハハッ! 調子に乗るのもここまで――」

 

 その時だ、零余子は見た。

 100本の根に迫られながら、瑠衣が笑ったのを。

 この期に及んで、と、零余子は顔面に血管が浮かぶ程の怒りを感じた。

 

「――――死ね!!」

「死ぬのはお前だ、クソ鬼」

 

 …………は?

 次の瞬間、零余子は目が点になっていた。

 瑠衣が言葉を発したと同時に、また姿を消したのだ。

 瑠衣の踏み込みによって砕け散った床板の破片が、ゆっくりと落ちていくのが見えた。

 ――――鬼の本能か、左手を上げた。

 

「へえ、やるじゃないか」

「こ……の……!」

 

 その左手に、瑠衣の日輪刀が振り下ろされた。

 重い音が響く。

 刃は表皮を僅かに斬ったのみ。

 血鬼術発動のために力を腕に集中していたから、斬れなかった。

 だが、零余子の受けた衝撃は大きかった。

 

「家族以外で、私の()()()()をまともに受け止めたのってお前が初めてだよ。凄いね、褒めてあげる」

「な、な、な」

 

 ()()()()()

 人間が、鬼を、褒める?

 何という傲慢。高慢。増上慢。

 

「舐めるなあっ!!」

 

 右手を振るった。

 左手を同様に硬く、当たれば頭蓋を砕いただろう。だが。

 

「結構、速いね。凄い凄い」

 

 身を捻り、瑠衣は回避した。

 しかも右足で零余子の脇腹を蹴り、そのまま距離を取ってしまう。

 馬鹿め、と、蹴りの痛みを堪えながらも零余子は笑った。

 足場などない。真っ逆さまに落ちてしまえ、そう思った。

 しかし次の瞬間、零余子の笑みは凍り付いた。

 

 ()()()()()()()()()

 

 零余子の『百腕肉芽』の根は、大きいものであれば人間の腕くらいの太さがある。

 瑠衣はそれらを蹴り、それらの上を駆けていた。

 根は衝撃で弾かれはするが、切られてはいないので、人質のダメージは最小限に抑えられる。

 零余子も今まで何人かの鬼狩りを見て来たが、こんな動きが出来る人間は初めてだ。

 

(これが人間の動き!? 冗談でしょっ!?)

 

 余りにも人間離れした芸当に、零余子は戦慄した。

 ちらりと、何かを確認するように斜め下へと視線を向けた。

 何を見たのかわからなかったが、瑠衣はその機を見逃さなかった。

 身を捻って根の攻撃を紙一重でかわし、一際太い根に足裏を叩きつけた。

 深く高い呼吸音。噛み締めた歯の間から漏れ聞こえてくる。

 

「ヒッ……!」

 

 日輪刀を腰に構えた、抜刀の姿勢。

 そのまま高速で突進してきた瑠衣に、零余子は息を呑んだ。

 斬られる、と、本気で感じた。

 瑠衣の眼光が「斬る」と告げていた。

 

 

 頚に、灼熱感が走った。

 

 

 ――――はっとして、零余子は頚を押さえた。

 左側、人間で言えば頸動脈の部分が浅く――それでも、血が噴き出していたが――斬られていたが、頚を斬り落とされてはいなかった。

 どっ、と汗が溢れ出て来た。斜め下に視線を向ける。

 人質の鬼狩り(榛名)が、うう、と呻き声を上げていた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 瑠衣の舌打ちが、ここまで聞こえてきそうだった。

 

「ちょっと、外したわよ!」

 

 禊の甲高い声は、それだけ今の一撃が惜しかったことを意味している。

 そして外した理由を、獪岳は正確に見抜いていた。

 

(足場が悪かった)

 

 固い床ではなく、()()()根だったので、踏み込みの力が足りなかったのだ。

 それから、体に打ち込まれた種子だ。

 獪岳の利き手もそうだが、呼吸で侵蝕を押さえているとは言え、痛みと異物感は徐々に増してきている。

 しかし、それでもなお、だ。

 

(相変わらず、えげつねえ技だ)

 

 その凄まじさを最も理解していたのは、獪岳であったろう。

 呼吸の剣技ではない。体術と足運び――歩法、いや()()とでもいうのが正しいか。

 理屈は簡単だ。

 全集中の呼吸で力を足に溜めて、踏み込みの際に解き放つ。これを繰り返すだけだ。

 だがそのためには、尋常でない程の脚力が要る。

 

 また、それに耐え得るだけの強靭な足腰や体幹も必要だ。

 さもないと、踏み込みと移動の衝撃に耐えきれずに上半身が砕けるだろう。

 どちらも一朝一夕に身に着くものではない。

 雷の呼吸にも、似たような技はあるが……。

 

(……本当に、気に入らねえ女だ……)

 

 ぎり、と、獪岳は奥歯を噛み締めた。

 最終選別の時から、獪岳は瑠衣を嫌っていた。

 最も、彼はほとんどの人間を嫌っているのだが。

 

「それにしても、あの瑠衣さんがあれ程に怒るとは思いませんでした。もちろん私も怒りは覚えましたが、鬼気迫るとはあのような姿を言うのでしょうか」

 

 獪岳の隣で瑠衣を見上げていた柚羽が、そんなことを言った。

 そんな柚羽に対して、獪岳は思った。

 

(何もわかってねえな)

 

 瑠衣は、確かに怒っている。これ以上はない程に怒っている。

 だがその怒りの理由は、少なくとも柚羽が思っている理由ではない。

 獪岳はその理由を知っている。

 獪岳は瑠衣が嫌いだが、瑠衣のその怒りの理由、すなわち()()()()()()()()()()()

 

「おい、何してる」

「……あの根」

 

 柚羽が己の手を、日輪刀の柄に括りつけていた。

 どうやら握力を失っているらしく、端を歯で噛みながら、手拭いで縛っている。

 

「あの根に捕らわれると、血を吸われます。上手く手に力が入らないので、縛っています。そうすれば少なくとも刀は振れます」

 

 よくよく見て見れば、柚羽の隊服のところどころに染みが出来ていた。

 血流は全集中の呼吸と密接に絡んでおり、血を吸われるというのは致命の要素だ。

 おそらくあの根は、血を栄養として成長しているのだろう。

 

「相手は十二鬼月です。難しいですが、全員でかかれば」

「は? チョー意味不明なんだけど」

 

 そんな柚羽に、禊が不愉快そうな表情を浮かべた。

 

「手を柄に縛らなきゃ刀も振れないような奴の隣で戦うとか冗談でしょ、邪魔」

「しかし」

「邪・魔・よ」

「あ、ちょ」

 

 ビッ、と柚羽の手から手拭いを奪い取り、わたわたと揉み合ったりしている。

 努力して見れば仲睦まじいようにも見えるかもしれないが……。

 

「うるせえよ、どっちも邪魔だ」

「……は?」

 

 禊は獪岳を睨んだが、彼は全く意に介していなかった。

 元より他人にどう思われるかなど、気にしていない男だ。

 むしろ、そんな彼が禊や柚羽を止めているのは「親切」と言っても良い。

 

 ちょうどその時、瑠衣が彼らの目の前に下りて来た。

 しかしすぐにあの「とんとん」という小さな跳ねが始まり、次の瞬間には迫りくる根を打ちながら姿を消した。

 床板が弾け飛び、穴だけが残る。まるで。

 

「今のアイツは、ただ目の前の鬼を斬ることしか考えてねえ」

 

 まるで、獪岳らのことなど見えていないかのように。

 いや、実際に意識の外に追いやっている。獪岳にはわかる。

 不用意に近付けば、まかり間違って味方をも斬りかねない。

 だから柚羽の言うような「皆でかかる」ようなことは出来ない。

 まあ、瑠衣の本性を知らない人間には言っても無駄だろうとも思う。

 

「まあ、黙って見てろよ」

 

 獪岳は笑みを浮かべた。

 

「もしかしたら、面白いものが見れるかもしれねえからよ」

 

 その目は、零余子を捉えていた。

 瑠衣の攻撃を紙一重でかわしながら、ある方向をチラチラと確認し始めている鬼の姿を。

 

  ◆  ◆  ◆

 

(こ……こいつ! この人間!)

 

 零余子は、もうはっきりと恐慌状態に陥っていた。

 目の前の鬼狩りの余りの異常さに、

 柱2人の教えを受けた瑠衣の実力は、並の隊士とは比べ物にならない。

 だが零余子は恐れているのは、剣の腕前ではなかった。

 

「……っ!」

 

 また、頚の側面から血が噴き出した。

 瑠衣の姿はやはり追えない。零余子の目が追えても根が追い付かないのだ。

 そして頚の傷は確実に、徐々に深くなってきていた。

 このままあと何度か交錯を繰り返せあ、その内に本当に頚を落とされかねない。

 

(ひ、人質を……)

 

 榛名を使うという手がまず浮かんだが、恐怖が残った。

 もし榛名の首を掴んで人質に取ったとして、瑠衣は止まるのか、という恐怖だ。

 今の瑠衣の目には自分しか映っていない。

 もしかすると人質を無視して攻撃を続行してくるかもしれない。

 万が一そうなった時、頸を斬られないという保証はない。

 

(クソッ、クソッ!)

 

 何だ、何なのだと、零余子は思った。

 こんな人間は初めてだ。

 こいつ、と瑠衣を睨んだ時、零余子は気付いた。

 瑠衣の首元、自らが打ち込んだ種子の状態に気付いた。

 ニヤリと、零余子は笑みを浮かべた。

 

「……!」

 

 零余子がこちらに手を向けるのを、瑠衣は見た。

 しかし、関係なかった。

 相手が何をどうしようと、瑠衣がやることは変わらないからだ。

 そう思って、再び日輪刀を構えた時だ。

 

 身体の中で、何かがぎしり、と音を立てた。

 具体的には首の後ろ、体内に伸びた種子がいよいよ致命的な場所にまで伸びつつあるらしい。

 一瞬、瑠衣の動きが止まる。失速する。

 鼻腔と口の端から、赤い血が垂れる。

 

「アハハハハハハハハッ、今度こそ終わりよ! クソ人間っ!!」

 

 ――――血鬼術『担根(たんこん)薯蕷(じょうよ)』!

 視界一杯に、粘性のある白い液体が噴き上がった。

 それは周囲の根から放たれたもので、瑠衣を覆い包むような形で放たれていた。

 どのような効果かはわからないが、触れない方が良さそうというのは明らかだった。

 

 しかし、それでも瑠衣の目はただ1つのものだけを見据えていた。

 鬼の頚。

 ただ、その1点だけ。

 だから瑠衣の次の行動は、回避でも迎撃でもなく。

 

「アハハハハ――――は?」

 

 零余子は唖然とした。

 瑠衣が、零余子の放った粘液などまるで気にせず、そのまま跳んだからだ。

 真っ直ぐ、こちらに突っ込んできた。

 頭がおかしいのではないかと、零余子は本気で思った。

 

 しかし結果として、それが瑠衣の命を救うことになった。

 もし後ろや左右、上下に移動していたのであれば、粘液の膜とも言うべきそれは、瑠衣を押し包んでしまっただろう。

 だが正面に跳んだことで、膜が閉じ切る前に脱出することが出来た。

 

「そ、そんな馬鹿なっ!」

 

 それでも全ての粘液をかわせたわけではなく、ジュッ、と、粘液の雫が隊服を溶かした。

 鬼殺隊の隊服は並の鬼では傷つけることも出来ない。

 それが溶けるということは、やはり零余子は力ある鬼なのだろう。

 だが、零余子にとっては何の慰めにもならなかった。

 

「私の任務対象を、よくも殺したな」

 

 そして瑠衣にとっても、零余子の受けた衝撃など関係なかった。

 今度こそ。擦れ違いざま、零余子の頚を狙う。

 服を溶かした粘液が肌を焼こうと、頸の種子が血を流そうと、構わない。

 日輪刀を、振るった。

 

「…………っ!?」

 

 振るった日輪刀に、手応えが無かった。

 零余子が自身の身に根を巻いて、真下に身体を下げたのだ。

 瑠衣の刀が斬ったのは、髪の数本に過ぎなかった。

 反撃が来るかと思ったが、来なかった。

 何故なら、零余子が()()()()()()()()

 

  ◆  ◆  ◆

 

 零余子が鬼の頂点の1人に立てた理由は2つある。

 第1に強い。並の鬼であれば何体か束になったところで彼女には勝てない。

 そしてもう1つ、見切りの速さ。

 すなわち、()()()()()

 

 そもそも鬼にとって人間は食料に過ぎない。

 今時、よほど飢えていない限り食事()()()に命は懸けられない。

 だから零余子は、戦況が芳しく無ければ逃げる判断を躊躇わない。

 戦闘狂でもあるまいし、まして戦いに美学を求めたりもしない。

 例えば目の前の鬼狩りが柱であれば、零余子は姿さえ見せずに最初の段階で逃げていただろう。

 

(柱でもない奴に……!)

 

 十二鬼月としては屈辱だが、命あっての物種だ。

 零余子はもはや人質にも瑠衣達にも目もくれずに、本堂の出口へと駆けた。

 まさに一目散。人間に追い(すが)れるはずも。

 

「よお、待ってたぜ」

 

 ――――雷の呼吸・参ノ型『聚蚊(しゅうぶん)成雷(せいらい)』。

 ぐるん、と、零余子の目の前で黒い何かが回転した。

 獪岳だった。

 雷の紋様が刻まれた刀身が、零余子の肩と喉元を掠めた。

 

「な――――何で!?」

「はっ! あれだけチラチラ出口を確認してたら、馬鹿でも逃げようとしてるってわかるだろうぜ!」

 

 利き腕が使えない分、精度が落ちていた。

 そうでなければ零余子は、より深く傷を負っていただろう。

 傷自体はすぐに治癒するが、零余子が精神的に受けた衝撃は計り知れなかった。

 逃げ道を塞がれた。しかも、この男(獪岳)は瑠衣と実力にほとんど差がないと見える。

 

 ならば別の道だ。

 何も律儀に扉から出ていく必要はないのだ。

 ばっ、と、両手を獪岳へと向ける。

 ――――血鬼術『百腕肉芽』。

 

「ちっ……!」

 

 ――――雷の呼吸・弐ノ型『稲魂』。

 殺到する根を雷速の剣技で捌く、その間に零余子は背中を見せていた。

 そしてその駆け出した先には。

 

「……!」

 

 柚羽がいた。無論、根に血を吸われた影響は抜け切っていない。

 刀を構えているが片手の握力が弱く、振るのは難しい。

 いっそ投げでもした方がマシかもしれない。

 と、そんな2人の間にゆらりと立ち入って来た者がいた。

 

 禊だった。

 羽織った隊服の隙間から、着物の折り鶴が顔を覗かせている。

 まるで無数の鶴が零余子を見つめているような、そんな錯覚を覚えた。

 もちろんのこと、その手には槍が構えられているが。

 

(間合いに入られたら槍なんて邪魔なだけじゃない!!)

 

 零余子が速度を緩めなかったこと、禊が途中で割って入ったこと。

 これらが重なって、接近した時にはすでに零余子は禊の懐深くに入り込んでいた。

 こうなれば、単純に力の強い方が勝つのは道理と言える。

 嵩に懸かって繰り出された零余子の拳を、禊は何とか槍の柄で受けた、

 だが鬼の膂力(りょりょく)に耐え切れるはずもなく、日輪刀の槍は甲高い音を立ててバラバラに砕け散った。

 

「アハハハハハハッ、頼みの刀を壊されてどんな気ぶ」

 

 ――――欺の呼吸・壱ノ型『石跳び』。

 

「んグえ」

 

 ごぼ、と、逆流した血液が零余子の口から噴き出した。

 何事かと思い眼球が下を向く、すると。

 

「あはっ、イ~イ顔♪」

 

 零余子の喉を、槍の穂先が刺し貫いていた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 系統としては、水の呼吸の派生に当たる。

 水系統の呼吸特有の流れるような動作に、禊が生まれ持つ優れた空間認識力を合わせた独特の呼吸法。

 周囲の空間を余さず把握し、時には己の隙すらも利用して敵の隙を穿つ。

 数いる鬼殺隊士の中で、禊のみが使用する呼吸法だ。

 

「人呼んで、(あざむき)の呼吸」

 

 誰も呼びはしないけどね、と禊は笑った。

 彼女がやったことは、言葉にすると単純だ。

 まず日輪刀。彼女の槍は()()()()()であり、普段は部品ごとに隠し持っている。

 つまり零余子の攻撃を受けた際に砕けたように見えたが、実は禊が自分で解体していたのだ。

 

 そして宙を舞った穂先の部品を掌底で叩き、零余子の喉に叩き付けたのである。

 だがこれは、まさに「言うは易し」の典型と言える。

 鬼の間合いの中で、一瞬とは言え隙を晒し、さらに一瞬とは言え獲物を手放すのである。

 しかも返しの一撃を外せば、当然ながら超至近距離で鬼の反撃を喰らうことになる。

 並の神経では出来ることではないが、幸か不幸か、この禊という少女は並ではなかった。

 

(こいつ、穂先を……!)

 

 禊の手が穂先を握る。短刀のようにも扱えるということか。

 喉を貫かれた状態で横に振られれば、頸を斬られることになる。

 

「ガアアッ!」

 

 床板を蹴り抜き、禊が離れるのに合わせて後ろに跳んだ。

 喉から穂先が抜ける。

 その時、根を捌いて迫っていた獪岳が後ろから横薙ぎに刀を振るった。

 だがそれも、零余子は高く跳躍することでかわしてしまう。

 

「ゴぼっ……!」

 

 喉に穴が開いたぐらいでは死なない。

 今はそんなことを気にしている場合ではない。

 早く逃げなくては。早く。

 ()()が。()()()が、迫ってきているのだ。

 

 近付いてくる。

 根を蹴り、宙を駆けるようにして近付いてくる。

 踏み込みの音。

 零余子が振り向いた時、すでに瑠衣は刀を大上段に振りかぶっていた。

 

(舐めるな……!)

 

 当然、零余子は迎撃の構えを取る。

 最大の脅威である瑠衣に、全ての意識を向けた。

 そしてそのために、零余子は()()()()()()に気付くのが遅れた。

 塞ぎかけた喉の穴に、そうはさせじと刃が突きこまれる。

 

 獪岳だった。

 

 柚羽が声を上げた。

 瑠衣が振り下ろしのモーションに入ったところでの攻撃で、タイミングとして最悪だったからだ。

 要は、このままでは零余子ごと瑠衣に斬られかねない。

 だからこそ零余子も獪岳を意識を向けなかったわけだが、それでも危険な行為だった。

 何故、彼がそこまでして攻撃に及んだかと言えば……。

 

(十二鬼月を斬れば、俺が柱だ!)

 

 十二鬼月の討伐は柱就任の条件の1つに過ぎないものの、一方で最重視される条件とも言える。

 鬼殺隊がその特性上、実力主義を採らざるを得ないからだ。

 素行が全く考慮されないわけではないが、鬼を斬る腕前の方がより重要だった。

 十二鬼月の討伐者というだけでも、他の隊士から一目置かれ、認められる存在になるのだ。

 

 獪岳は瑠衣が零余子と戦い始めてから、ずっとこのタイミングを待っていたと言って良い。

 だからこそ、先程も逃走する零余子を先回りすることが出来た。

 そして今も、零余子の虚を突く形で喉を貫くことに成功している。

 空中で跳び退くことは出来ず、根も間に合わない。

 零余子にも、逃れる術はなかった。

 

「ガッ……ッ」

 

 獪岳の刀が、零余子の頚を斬り落とそうとしていた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 山の中で、地面を掘っていた。

 

 非力な少女だった自分は、着物を汚していくら掘っても、途中で折ってしまってばかりいた。

 

 それでも、他に食べ物を得る方法を知らなかった。

 

 ああ、ダメだ。

 

 こんなに細くて、小さくて、しかも折れてしまっているものじゃダメだ。

 

 早く、もっと大きくて、もっと成長したものを。

 

 上手く掘り出して、持って帰らなければ。

 

 持って帰るんだ。

 

 持って……帰る……?

 

 ()()()

 

  ◆  ◆  ◆

 

 零余子の両手が、刃を握るのを見た。

 獪岳がいくら力を込めても動かず、しかも指が切れることもなかった。

 

「ガアアアアアアッ!!」

 

 文字通り血を吐きながら、零余子はそのままの(刺さった)状態で上半身を回した。

 人間の肉体ではあり得ない可動域とバネ、そして力だった。

 刀を握る獪岳の方が振り回されてしまう。

 しかも、狙っていたのだろう。獪岳の身体は刀を振り下ろさんとしていた瑠衣にぶつかった。

 

 獪岳の口から、蛙が潰れたような呻きが漏れた。

 だが零余子にとっても予想外だったのは、瑠衣が血を吐いたことだ。

 零余子の種子はずっと瑠衣の身体を蝕んでいたが、無理矢理呼吸で抑え込んでいた状態だった。

 それが今、ついに限界を迎えたのだ。

 

(か……)

 

 勝った、そう思った。だが。

 

(か……か、刀を……刀、で……!)

 

 獪岳の刀の、峰の部分。

 そこに、瑠衣が己の刀を打ち付けていた。

 零余子まで刃が届かないと悟り、代わりに、獪岳の日輪刀を打ったのだ。

 そのまま、血反吐を吐きながら、満身の力を込めて。

 

「ガ、アア、アアア、アアアアアアアアアアアアアッッ!!」

「うううあああああああああああああああああああっっ!!」

 

 獪岳の刀が、刃が、押し込まれていく。

 だが、足場が悪い。いや足場がない空中だ。

 純粋な腕力で鬼に勝てるわけがない。

 刃はある地点で拮抗し、止まる。そこへ。

 

「ガッ、は」

 

 斜め下から、脇腹に槍が突き刺さった。

 禊だった。

 バラバラになった槍を組み立て、投擲(とうてき)してきたのだ。

 意識の外だったため、力を集中しての硬化も間に合わなかった。

 

 ぐらりと視界が傾いた。筋力が失われる。

 咆哮。

 瑠衣のものか、零余子のものか。凄まじい叫びだ。

 そして次の瞬間、肉の斬り千切れる音と共に、獪岳の刀が振り抜かれた。

 頚を。

 

(――――()()()()()()()()!)

 

 まさに、首の皮一枚。

 喉を刺し横に薙ぐということは、反対側が残るということだ。

 零余子の頚は今、首の右側の皮と肉で辛うじて胴体と繋がっていた。

 足場のない瑠衣と獪岳は、一度下に降りるしかない。

 禊の槍も刺さったまま、柚羽に攻撃の余力はない。

 

(今なら、逃げ切れる……!)

 

 零余子はそう思ったが、彼女も限界だった。

 特に頚の傷が不味い。

 ここまでの損傷となると、再生に相当のエネルギーを要する。

 ()()()()()()

 

 そう考えた零余子は、人質――榛名を手元に引き寄せた。

 これはもうほとんど本能的な行動と言って良く、飢餓寸前の状態の彼女にとって、安全に食すことが出来る食料がそれしかなかったのだ。

 しかし結果として、それが彼女の運命を決定付けた。

 

「複雑ですね」

 

 柚羽の声。零余子の横を何かが通り過ぎて行った。

 

「結局、縛らない方が良かったわけですから」

 

 零余子の優れた動体視力は、それが柚羽の日輪刀であることを見抜いていた。

 振ることは難しくとも、投げることは出来る。

 しかし零余子からは大きく外してしまっている。

 だが柚羽の表情からは、「外した」と口惜しさが全く感じられなかった。

 

「わかりませんか? 呻き声を上げているということは、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 首を振る、という行為が今の零余子にはできない。だから目だけで後ろを見た。

 そこには零余子自身が引き寄せた榛名がいて、零余子の力が弱まったせいか、根による拘束がかなり緩んでいて、そして。

 そして、榛名の手が柚羽の日輪刀を掴んでいた。

 呻き声が、ちゃんとした呼吸に。

 

「な」

 

 ――――炎の呼吸・弐ノ型『昇り炎天』。

 切り上げの斬撃が、零余子の頚の右側を狙っていた。

 しかし零余子もさるもの、咄嗟に両腕を頚の横で交差させた。盾だ。

 普段なら表皮で刃は止まる。しかし零余子も弱っていた。

 刃は易々と腕に喰い込み、肉を裂いて行った。

 

「よくも姉さんを傷つけたな、汚らしい鬼め」

 

 榛名がそんなことを言っていたが、零余子は聞いていない。

 人間の戯言(たわごと)などに付き合っていられる状況ではなかった。

 両腕が斬り飛ばされる。

 だが頚は守った。

 補給は諦めるしかないが、まだ操れる根を使って逃げるしかない。

 

(この場さえ離れられれば……!)

 

 と、零余子が思った時だ。

 ()()()()()()

 

  ◆  ◆  ◆

 

 床を蹴り、根を駆けて、刀を構えて突進する。

 頚が千切れかけ、両腕さえも失った零余子にかわす術はなかった。

 振り下ろされた深緑の刃が、残った肉と皮を音を立てて切断した。

 今度こそ、零余子の頚が胴から離れた。

 

(ああ、ああっ。身体が、再生、できない)

 

 鼻から口から、顔中から血を流している状態の瑠衣が、回る。

 頚を落とされたから、視界がぐるぐると回っているのだ。

 その間も身体を動かそうと、あるいは再生しようと試みるが、出来なかった。

 陽光を浴びた鉄で打たれた日輪刀で、鬼殺の刃で頚を斬られれば、鬼でさえ死ぬ。

 

 死ぬ。

 その事実に、零余子の肌が総毛だった。

 死にたくない。

 だって、あんなに。

 

(あんなに、大きく、育ったのに)

 

 根を探さなくては、と、それだけを思った。

 ぐるぐると回る視界のどこかに、あったはずなのだ。

 探して。見つけて。

 持って帰って。食べさせてあげなければ。

 わたしの。

 

「かあさ」

 

 斬った。

 縦に1回、横に2回。頚を細切れに切断した。

 発されようとした言葉は、斬撃の音に掻き消されてしまった。

 

「さっさとくたばれ、クソ鬼」

 

 それで、終わりだった。

 零余子の胴体がばっと塵に変わって消えた。

 着ていた着物だけが、はらりと床に落ちた。

 鬼は死体も残らない。

 

 術の主である鬼が消えたことで、瑠衣達を犯していた種子も消えた。

 傷口から血が溢れ出したが、呼吸で破れた血管を探り応急的な止血を施した。

 術者を失ったせいか、天井からボトボトと根が落ちている。

 軋むような音がそこかしこから聞こえてきていて、早めに外に出た方が良さそうだった。

 

「……ッ」

「瑠衣さん!」

 

 刀を杖代わりにして、膝をつくことだけは堪えた。

 心配した柚羽が傍に寄ったが、それも手で制した。

 顎先から滴り落ちる血を手の甲で拭い取って、血に汚れた手を見つめた。

 

「……情けない……」

 

 本当に悔しそうな顔をするので、柚羽はどうして瑠衣がそんな顔をするのかわからなかった。

 十二鬼月を斬ったのだから、もっと違う反応をしても良いと思うのだが。

 

(畜生……!)

 

 そしてそんな瑠衣を、獪岳が歯噛みしながら見つめていた。

 日輪刀の柄をみしみしと音を立てる程に握り締めながら、畜生、と呟いている。

 自分が斬るはずだった頚を、瑠衣が斬った。

 

(俺が、負けたってのか?)

 

 身体が震える程、屈辱を感じた。

 そんなことは認められない。

 絶対に、認められなかった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 外に出ると、もう幾何(いくばく)もしない内に夜明けだろうという時刻だった。

 瑠衣達もそうだが、数日に渡り零余子の根に囚われていた榛名の消耗は激しかった。

 瑠衣と柚羽の羽織を地面に敷いて――獪岳は羽織を着ていないし、禊は貸さなかった――その上に寝かせた。

 

「大丈夫ですか……?」

「う……あまりぃ……」

 

 水筒の水を飲ませると少しは意識がはっきりしてきたらしく、掠れた声で返事をしてきた。

 衰弱は隠しようもない。

 根に血を吸われながら、極限状態で呼吸を絶やさなかったのだ。当然だろう。

 

「ありがとうございました。貴女が最後に腕を斬ってくれたおかげで、鬼の頸を斬れました」

「……なんのことぉ……」

「いや、だから最後の」

「……ごめんなさい。わからないわぁ」

 

 記憶が混乱しているのだろうか、話が通じなかった。

 意識が朦朧とする中での、反射的な行動だったのかもしれない。

 鬼殺の技は、無意識にでも出てしまうくらいには繰り返し鍛錬しているものだから。

 

「ああぁ……あの人、助けられなかったわぁ……」

 

 それでも、目の前で鬼に喰われた隊士のことは覚えているのだろう。

 鬼殺隊士なら誰でも同じような経験がある、というのは慰めにならない。

 それがわかっているから、瑠衣は何も言えなかった。

 出来ることと言えば、休ませること。そして1人にすることだった。

 

 そう思って立ち上がると、話し声が聞こえた。

 柚羽と獪岳だった。

 それも、あまり良い雰囲気ではなさそうだ。

 少し離れた位置に禊もいたが、彼女は2人のやり取りにそもそも興味がない様子だった。

 何やら小道具を出して、爪を磨いていた。

 

「どうしてあんな無茶を……」

「しつけえな。あいつが来てるなんて気が付かなかったんだよ」

「気が付かなかったって……まかり間違えば、互いに斬り合っていたかもしれないんですよ」

 

 どうやら2人は、先程の戦いの終盤のことを言い合っているようだった。

 と言って、柚羽も詰問しているという風ではなく、どちらかと言うと心配している様子だった。

 もっとも、どちらにせよ獪岳は聞く耳を持たなかっただろうが。

 嘆息一つ落として、瑠衣は2人に近付いた。

 

「柚羽さん、大丈夫です」

「でも……」

 

 獪岳の顔を見て、瑠衣は笑顔を浮かべた。そして言う。

 

「獪岳さんはわざとそんなことをする人じゃないですし。それに戦いの中での出来事ですから、私も気にしていません」

 

 獪岳の眉がひくついた。

 射殺さんばかりの視線で、瑠衣を睨みつける。

 眉に皺を寄せて、歯さえも剥き出しにしていた。

 

「……良い子ちゃんぶってるんじゃあねえぞ」

 

 わかっているんだ、と、獪岳は言った。

 

「てめえだってあの時、俺のことが見えてなかったんだろ? もしあの鬼が俺をてめえにぶつけなかったら、俺ごと斬ってたくせによ」

 

 柚羽が「言葉が過ぎる」と非難めいた視線を向けたが、当の瑠衣の表情は変わらなかった。

 困ったように微笑んで、小さく首を傾げるだけだ。

 それがまた、獪岳を苛立たせるとも知らずに。

 

「はっ、祭音寺さんよ。てめえがどれだけこいつのことを買っているか知らねえが、こいつはてめえや俺のことなんてこれっぽっちも考えてないんだ。こいつはな!」

 

 瑠衣を指差しながら、続ける。

 

「自分の家族以外の奴らを、カスだと思っているんだからな!!」

 

 今度こそ、柚羽が非難の声を上げた。

 目の前で本当に言い争いを始める2人に、瑠衣は困ってしまった。

 自分は()()気にしていないのに、と、どう収めるべきか悩み始める。

 その内に鴉が来て、今後のことについて指令が来るはずだ。

 だからそれまでには落ち着いていないとと、そう考えた時だ。

 

 声が聞こえた。

 獪岳達の声ではないし、禊や榛名が何か言った様子もない。

 しかし、確かに聞こえた。

 獪岳達の言い争いの声に混じって、そう、山門の方から……。

 

「ヒイイイイイ」

 

 何だ、と、瑠衣は山門の方を見た。

 最初は暗くて良く見えなかったが、月にかかっていた雲が晴れて、見えた。

 誰かが、崩れかけた山門の陰からこちらを窺っている。

 

「恐ろしい、恐ろしい……」

 

 老人。多分、男だ。

 やけにしわがれた声なのが気になるが、それ以上に気になるのは額。

 額に、赤子の頭程もあろうかという大きな(こぶ)があった。

 だがそれ以上に目を引いたのは、やはり頭の両側に生えている、禍々しい角だ。

 この老人は。

 

「恐ろしい。どうしてこんなところに鬼狩りがいるんじゃ……ヒイイイ」

 

 ――――鬼だった。




最後までお読み頂きありがとうございます。

ヒイイイ、どうして私はこいつを登場させてしまったんだ。

正直、面白そうだからやりました。

下手したら次で最終回になるかもしれないけど、後悔はありません。

だって、面白そうだったから(どやさ)

それでは、また次回。

次回から後書きでは瑠衣以外の主人公候補でも公開しようかなと思っています。

あ、心配しないで下さい。

全員、妹キャラなんで(え)
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