鬼滅の刃―鬼眼の少女―   作:竜華零

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第64話:「煉獄瑠衣」

 ――――()()

 まず、鉄球だった。悲鳴嶼の日輪刀である。

 彼は瑠衣が鬼化したことを感じ取るや、有無を言わさず攻撃に出たのだった。

 

(鬼化の直後であれば、まだ肉体は脆いはず)

 

 煉獄槇寿郎亡き今、悲鳴嶼は鬼殺隊最強の剣士と言って良い。

 その彼が放った渾身の一撃は、瑠衣の頭部を確実に捉えた。

 少女の額に、凶悪な形の鉄球が無慈悲に叩き付けられた。

 

(絵面がヤバイ)

 

 と、善逸が思った程である。

 そして本来であれば、善逸は瑠衣の頭が砕け脳髄を撒き散る様を目撃していただろう。

 たとえ鬼であっても、そうなっていたはずだ。

 

 しかし実際には、そうはならなかった。

 悲鳴嶼の手に伝わって来たのは、頭蓋や肉を潰した独特の感触では無かった。

 例えるなら、そう。巨岩を叩いたが如き()()。それを感じた。

 

「何と……!」

 

 砕けたのは、鉄球の方だった。

 高純度の鉄の塊が、硝子細工か何かのようにバラバラになった。

 破片が落ちると、何事も無かったかのような涼し気な少女の顔が見えるようになる。

 

 その頚を、別の日輪刀が一閃した。

 時透の『移流斬り』。滑り込むような一撃だった。

 だが、結果は同じだった。瑠衣の肌に触れるか触れないか。

 そこへ達するや、時透の日輪刀は半ばから折れてしまった。

 

「おいおいマジか」

 

 宇髄が、呻くように言った。

 時透は今、いわゆる「正しい角度」で刀を振るっていた。

 最年少の柱。鬼殺隊始まって以来の天才と謳われるに相応しい、完璧な角度の斬撃。

 折れない角度だ。それが、棒切れか何かのように簡単に折れてしまった。

 

「鬼になっちまった。ってことだなァ」

 

 もしも身内が鬼になってしまったら、どうするか。

 鬼殺隊士ならば、その問いに対する答えをすでに持っている。

 何故ならばその問いは、自分が鬼になったらどうしてほしいか、という問いと同義だからだ。

 鬼殺の剣士ならば、鬼狩りならば、誰しもが覚悟している。

 

(斬らなければいけない)

 

 理性ある鬼(禰豆子)の兄である炭治郎でさえ、それは変わらない。

 

(瑠衣さんを、斬らなければいけない)

 

 自分が心まで鬼と化して人を殺す前に、人間として殺してほしい。

 それが、鬼殺隊士に共通する覚悟だ。

 だが、もしも。

 もしも鬼殺隊士がその覚悟を捨て、自らの意思で鬼になったのであれば。

 その時は、どう対するべきなのだろうか。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 そして、()()は終わる。

 外見は大きく変わらない。黒死牟のように異形と化すわけでも無い。

 顔に浮かび上がる炎のような、広がる羽根のような痣も同じだ。

 ただ、発する雰囲気は全く違っていた。

 

「珠世様、出ては駄目です!」

 

 陽が昇り切る前に、珠世は愈史郎によって屋内に避難させられていた。

 それでも瑠衣を良く見ようと身を乗り出す珠世を、愈史郎が必死に押さえている。

 そして珠世の目は、瑠衣の肉体の変化を確実に見抜いていた。

 

「これは……」

 

 ――――()()()

 そう、珠世は瑠衣を見て美しいと思った。

 鬼化に伴って再構築されたその肉体は、まさに細胞レベルで完璧な構成だ。

 負傷や病はおろか、欠陥と呼べる部位がまったく無い。

 

 人間の肉体には、強靭な部分と脆弱な部分がある。

 個体によってその部分は異なるのだが、瑠衣の肉体にはそれが無い。

 これほどの完璧な肉体を()()のは、それこそ無惨以来だ。

 いや、あるいは今の瑠衣は、無惨さえも超えている。

 

「完全な、生物」

 

 不老不死。不死身。

 肉体のポテンシャルにおいて、地上で――否、世界で彼女を超える者は存在しない。

 誰も、個体として彼女の敵う者は存在しない。

 完全な、完璧な、そして究極の生命体。

 瑠衣がその地点に到達したことを、珠世は認めざるを得なかった。

 

「――――瑠衣」

 

 その時、瑠衣に話しかける者がいた。

 輝利哉だった。

 彼の鎹鴉が、翼をはためかせてその肩に降りて来た。

 まさか彼が直接出馬することはない

 

「お館様!?」

「危険です。どうかお下がりを!」

「良いんだ。大丈夫、危険はない。それに、これは僕の責任だから」

 

 ()()()――――産屋敷輝利哉。

 小さな少年だ。だが、誰もが彼を主君と仰ぐ。

 かつては、瑠衣もそうだった。

 だが、何故だろう。

 

「瑠衣、きみの今までの貢献は素晴らしいものだった。改めて、お礼を言わせてほしい」

 

 労わるように、そして諭すように、輝利哉は言った。

 先代の、父親とそっくりな話し方だった。

 かつてはその言葉に感銘を覚え、(かしず)いたものだった。

 だが、何故だろう。今は。

 

「…………貢献?」

 

 今は、その言葉に感銘など覚えなかった。

 むしろ今は、何故だろう。別のものを感じる。

 例えるならば、そう。それは。

 無惨の言葉に受けた印象と、まったく変わらないものになっていた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 輝利哉は、まだこの時点では話し合える余地があると思っていた。

 それは、鬼化した直後の瑠衣が理性を保っていたからだ。

 通常、鬼は変化直後の強い飢餓感に襲われる。

 それが様々な悲劇に繋がるのだが、瑠衣は理性を保っている。

 

 これは、瑠衣が生存に人間の捕食を必要としないことを示している。

 禰豆子の例があるので、あり得ないことでは無い。

 だから輝利哉としては、話し合いで解決できると考えたのだ。

 そしてそれ以上に、下手に刺激して第2の無惨になることを避けたかった。

 

「瑠衣。父上が亡くなり、鬼殺隊が壊滅してから、きみには苦労をかけ通しだったと思う」

 

 事実である。

 ()()()において、瑠衣は自分達が最後の鬼殺隊だと思っていた。

 だから危険を犯して東京に踏み込み、無惨暗殺へと動いたのだ。

 支援も補給もほとんど無く、孤立無援。孤軍奮闘の日々。

 精神を擦り減らしながら、瑠衣は歩んできた。

 

「きみがこの状況を作ってくれたんだ、瑠衣。だから……」

()()()

 

 不意に、瑠衣が言葉を遮って来た。

 表情から、考えを読むことは出来なかった。

 

「1つ、教えていただきたいのです」

「……聞きましょう」

 

 正念場だと、輝利哉は察した。

 おそらく次に来る問いが、この後を決定付けるだろう。

 この後、お互いの関係を。

 鬼殺隊と、煉獄瑠衣の関係を。

 

「何故、教えていただけなかったのでしょう」

 

 柱達と他の剣士は、鏡の中で眠っていた。

 だが輝利哉だけは、起きていたはずだ。

 それはそうだろう。

 そうでなければ、無惨を仕留める機会を見定めることなど出来ない。

 

 鏡を、あるいは鎹鴉を通じて、彼は正確に外界の情勢を把握していた。

 瑠衣と生き残りの剣士達の様子を、見ていたはずだ。

 外界の仲間達の苦境を、知っていたはずだ。

 知っていて、伝えなかった。

 

「……作戦が、無惨の陣営に漏れるのを防ぐ必要がありました」

 

 用心深い無惨を欺くには、瑠衣達と不用意に連絡を取ることは出来なかった。

 もしも漏れれば、無惨は隠れる。少なくとも亜理栖は粛清されていた。

 そうなれば、何もかもが水の泡になる。

 

「では、もう1つ」

 

 しかし、それは。

 

()()()。何故、私達を本部に集めたのでしょう」

 

 鬼殺隊壊滅のあの日、本部には柱を始めほとんどの隊士がいた。

 偶然ではない。意図的にそうしたのだ。

 鬼殺隊を壊滅させたと、無惨に思い込ませるために。

 無惨を欺くために、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 いや、思えば鬼殺隊とは、産屋敷家が無惨を討つためだけに設立した組織だった。

 剣士のほとんどは鬼への復讐心を持つ、だから鬼の殲滅を掲げる組織に違和感など覚えない。

 だが実のところ、1つの一族の目的を達するための組織。それが鬼殺隊の正体だった。

 つまり多くの剣士が、産屋敷家の悲願のために死に続けて来た。

 

「……作戦のため。悲願のため。目的のため。そのために」

 

 瑠衣も、違和感を覚えたことは無かった。

 ()()()()()()。初めて、気付いた。思ってしまった。

 産屋敷家にとって、剣士(こども)達は。

 

「私達がどうなろうと、どうでも良かったんだ」

 

 ――――私達は、何だったのか、と。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 自分が斬らねばならない。

 と、伊黒は思った。

 瑠衣を斬るべき人間がいるとすれば、それは自分しかいない。

 

(甘露寺や杏寿郎に斬らせるわけにはいかない)

 

 自分にしか、出来ない。

 

「瑠衣ちゃん……そんな……」

 

 甘露寺は、衝撃を受けている。すぐには動けそうにない。

 杏寿郎は、実の兄だ。妹殺しなどという業を背負わせるわけにはいかない。

 そして他の者が斬ってしまえば、甘露寺や杏寿郎はその者に隔意を覚えるだろう。

 頭ではわかっていても、そうなる。そういうものだ。

 

 だから、自分が斬るべきなのだ。

 甘露寺や杏寿郎のような正道を行く人間は、手を汚すべきではない。

 妹を殺したら、同僚を恨んだりすべきではない。してほしくない。

 そんなことは、自分のような汚らしい生まれの人間がやれば良い。

 それで2人に恨まれるのは身を裂かれるよりも辛いが、それでも決意は変わらなかった。

 

「この、馬鹿弟子がァ!」

(不死川……!)

 

 しかし、伊黒よりも先に不死川が動いていた。

 おそらく不死川も、自分と同じような思考をしていたのだろう。

 ああ見えて、人の心の機微に聡い男だった。

 

「大丈夫ですよ、師範」

 

 瑠衣と不死川は、文字通り擦れ違った。

 その擦れ違いの中で、不死川の風の刃が瑠衣を斬り裂く――ことは無かった。

 瑠衣の指先、2本の指の間に日輪刀の刃先が挟まれていた。

 不死川の日輪刀を、折っていた。

 

(動きが、見えなかった!)

 

 剣の速さにおいて、不死川は鬼殺隊でも一、二を争う腕前だ。

 その不死川よりもなお速く動き、刀を折ってみせた。

 刀を折る。

 文字にすればたった四文字。しかし達人の振るう刃を、いとも容易(たやす)く。

 もはや人間のすることではない。

 

「隊士は殺しません。柱の皆様も殺しません。誰も、殺しません」

 

 瑠衣は、生存に人間の捕食を必要としない。

 無惨のように、同類を増やす必要もない。

 

「でも、()()()()()()()()

 

 人は殺さないが、鬼殺隊は潰す。

 矛盾するようだが、実はそうではない。

 この矛盾を解消する条件は、奇しくもすでに整っているのだから。

 

()()()()()()()()()()()()

 

 陽光山はもう、日輪刀の原料になる鉄を採掘することは出来ない。

 刀鍛冶衆はほぼ全滅した。

 今ある日輪刀を折ってしまえば、再生産することは出来ない。

 ()()()()だ。

 

「けれど」

 

 伊黒は、はっとした。

 瑠衣の目が、何を捉えているか気付いたからだ。

 

「やめろ、瑠衣――――!」

 

 輝利哉だ。

 先代同様、輝利哉自身は呼吸も剣技も使えない。

 

()()()だけは、つけさせていただきます」

 

 何の反応もできないままに瑠衣の接近を許し、そして。

 そして、立ち塞がったのは()だった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

「ど、どうして……?」

 

 輝利哉の前に立ち塞がり、己が身を盾としたのは黒死牟――巌勝だった。

 無惨の滅亡により、肉体は崩壊しかけている。

 鬼としての組織が壊れてしまっているためか、陽光焼けの速度は緩慢だった。

 死につつあるせいで陽光の痛みを緩和できるというのは、皮肉なものだった。

 

 しかし、それでも苦痛は想像を絶するものだろう。

 もはや指一本を動かすことさえ出来ないはずだ。

 それが立ち上がり、瑠衣の凶刃から輝利哉を守ったのだ。

 その身を貫かれながら、微動だにせず。

 

「……何故?」

「さあ、な…」

 

 瑠衣が問うても、巌勝は何も答えなかった。

 答える資格を持たなかった。

 

(……お館様)

 

 巌勝の思う「お館様」は、もちろん先代でも輝利哉でもない。

 彼が人間として、鬼狩りとして生きていた時代の「お館様」だ。

 かつて彼が裏切り、その首を無惨の手土産にした。かつての主君。

 

 けじめと言うのならば、これこそがけじめだった。

 もちろん、こんなことをしても何にもなりはしない。

 だが、せめても責務を果たすべきだと思った。

 

(こんな時でも、頭に浮かぶのは()()の顔か)

 

 他の何を忘れても、それだけは忘れなかった。

 かつては疎んだ。

 今は、それだけを地獄に持って逝こうと思った。

 ――――しかし。

 

()()()()()()()()()()()()()

 

 ()()()()()()()()()()()。 

 鬼が死ねば灰になり、その魂は地獄に送られる。

 人の道を外れた者の末路だ。当然の報いだ。

 

 だが今の瑠衣は、()()()()()()()()

 ()()()()と、刺し貫いた刀をさらに進めて、巌勝に直に振れた。

 そして、触れられた瞬間、巌勝は己の内側から吸い上げられるような感覚に陥った。

 それは、大きな不快感。そして苦痛を感じた。

 

「これは…」

 

 メキメキと音を立てて砕けていく己の肉体に、巌勝は六ツ目を細めた。

 上弦の壱である彼、そして透き通る世界の入門者である彼は、瑠衣が今、何をしているのかを正確に理解した。

 そして、己の末路をも悟った。

 

「そうか…」

 

 それでも、巌勝は最後まで威厳を失うことは無かった。

 己が死を、それも最悪の死の形を前にしても、彼は動じなかった。

 その姿はまさに、()と呼ぶに相応しいものだった。

 

「それが…。お前の…」

 

 そして、巌勝に永遠の闇が訪れた。

 それは比喩ではなく、本当に視界が、いや全ての感覚が闇に溶けたのだ。

 消えたのではない。

 ()()()()()()()()()()

 

  ◆  ◆  ◆

 

 今、何が起こったのか。

 特殊な訓練を受けていない輝利哉や小鉄、未熟な剣士や隠にはわからなかっただろう。

 だが、柱や炭治郎達のように一定以上の実力がある者には理解できた。

 

(く……)

 

 今、目の前で起こった恐ろしい出来事が。

 

(……()()()()()()!)

 

 鬼が共食いをするのは良く知られている。

 それは無惨が配下の鬼が徒党を組むのを好まず、鬼同士が互いに嫌悪感を抱くよう調整したからだ。

 だが鬼同士の戦いでお互いが死ぬことはない。不死身だからだ。

 

 しかし、何事にも例外はある。

 例えば創造主である無惨は、例外的に配下の鬼を殺すことが出来た。

 瑠衣は無惨系統の鬼の創造主ではない。

 

「お、俺の『鬼喰い』と同じ……?」

(違う)

 

 玄弥の呟くような声を、不死川は脳内で否定した。

 彼の弟は――実に業腹なことに――鬼を喰うことで、一時的な鬼化を果たすものだ。

 鬼化によって、喰った鬼の能力が反映されることもある。

 だがそれはあくまで一時的なもので、しかも不安定なものだった。

 

「鬼喰いは言葉尻が悪いですね」

 

 瑠衣はそう言ったが、現象はまさに「鬼喰い」であった。

 ただし玄弥のそれとは違う。力を模倣するのではない。

 文字通りの鬼喰いである。

 上弦の壱・黒死牟という鬼の存在そのものを、吸収したのだ。

 それを表すかのように、額や頬の痣が大きくなり、鎖骨のあたりまで広がった。

 

「名前は、まあ、後で何か考えることにします」

 

 これまで、鬼は食物連鎖の頂点だった。

 動物を人が喰い、鬼が人を喰う。

 そして今、鬼は頂点から引きずり降ろされた。

 

 瑠衣は、鬼を喰う鬼なのだ。

 人間とは比べ物にならない鬼の強力なエネルギーを、体内に取り込んだのだ。

 まして上弦。まして壱。無惨を除けば最強の鬼。

 瑠衣から放たれる威圧感が、さらに重みを増したように感じられた。

 

「あと、()()

 

 瑠衣の言葉の意味を、()()が理解した。

 愈史郎は、珠世を屋外の奥深くへと引き込んだ。

 炭治郎は、あるいはその仲間達は、禰豆子を庇うように立った。

 そして不幸にも、瑠衣に最も近い位置にいたのが。

 

「……オレ達ってわけかい。お嬢さん」

「ええ、そうですね。残念ながら」

 

 犬井と、亜理栖の2人だった。

 兄の腕の中で消滅しようとしている亜理栖に、瑠衣は手を伸ばした。

 犬井は、その掌をじっと見つめていた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 伸ばしかけた手が、止まった。

 亜理栖に向けたその腕に、コロが噛み付いていた。

 瑠衣は、それを不思議そうな目で見つめた。

 

「グルル、グルルルッ」

 

 コロは瑠衣の腕に噛み付いて、唸り声を上げていた。

 毛は逆立ち、尻尾を高く上げている。

 噛み付く力は甘噛みではなく、本気のそれだった。

 

「コロ」

 

 そして、コロだけでは無かった。

 瑠衣達の足元から、花弁が広がるように赤い血が彼女達を包み込んだのだ。

 それは、亜理栖の血鬼術だった。

 

「……ああ、なるほど」

 

 いつか通った、血の鏡の道。

 その中を落ちて行きながら、瑠衣はあたりを見渡した。

 血色の世界は、どこか色褪せて見えた。

 能力の持ち主の状態を表しているのかもしれない。

 

()()()()()()()()()()()()

 

 亜理栖という鬼は、気が狂っていた。

 だからこそ無惨を欺き、鬼殺隊の勝利に繋がった。

 しかし今、瑠衣と共に血色の世界を落ちていく亜理栖の目には、明らかな理性があった。

 

 とは言え、だ。

 この血色の世界を維持できない程、消耗している。

 そんな状態で瑠衣を取り込んだところで、大したことは出来ない。

 何故ならばそれは、血鬼術を通じて瑠衣に()()()()()()()ということだからだ。

 

「お兄ちゃんに、酷いことはさせないわ」

 

 それは、どちらの意味合いなのか。

 瑠衣が犬井に酷いことをするという意味か。

 犬井に酷いことに手を染めてほしくない、という意味か。

 あるいは両方か。

 それとも、両方違うのか。

 

「やりたいことはわかりましたが、今さらこんな血鬼術。私には効きません」

 

 ()()()()()()()()()()()、瑠衣は言った。

 そして時間が経てば経つ程、亜理栖の顔色は悪く、表情は苦しいものに変わって行く。

 しかしそれでもなお、亜理栖の目には力があった。

 

「ここは亜理栖のお腹の中よ」

 

 その言葉に、瑠衣は僅かに目を見張った。

 ここは亜理栖の腹の中。

 ()()()()亜理栖の、中。

 

「……道連れにする気ですか」

「お姉さんは、きっと。きっと、()()()()()()()()()()

「…………」

「だから、ここで亜理栖と――――死ん」

 

 言葉は、ごぼっという水音と共に途切れた。

 口から血が噴き出し、言葉を掻き消した。

 瑠衣の腕が、深々と小さな胸板を貫いていた。

 

「貴女が私を道連れにする前に、私が貴女を取り込めば済む話です」

 

 その腕を、亜理栖が掴む。

 口からは血が噴き出し続けている。

 いや、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ――――血鬼術『悪厘珠(アリス)』!!

 亜理栖の肉体だけではない。その場の全ての血が、世界そのものが1つの形を成していった。

 大きく、獰猛で、暴力的な形。

 欧州の御伽噺に登場するという、翼ある蜥蜴(トカゲ)――西洋竜。

 血の西洋竜が、閉鎖世界の中で咆哮を上げた。

 

「これは……」

「お兄ちゃんは」

 

 ()()()()()()()()それが、術者である亜理栖ごと、瑠衣を押し潰した。

 

「――――亜理栖が、守るわっ!!」

 

 瑠衣の視界は、赤に。そして次いで黒に塗り潰された。

 血の匂いだけが、瑠衣を包み込んでいった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 一瞬、だった。

 ほんの一瞬、飛び散った血が人の形になった。

 小さな女の子が、微笑んだように見えた。

 

「ゴメンナサイ」

 

 それが、最期の言葉だった。

 そして、()()()()()

 犬井が手を伸ばすよりも先に、文字通りに砕け散ったのだった。

 砕け散った後には、別の女がいた。

 

 まるで女の子の中から、()()を破って出て来たかのようだった。

 そしてそれは、あながち間違った表現では無かった。

 瑠衣は今まさに、亜理栖の肉体を喰い破って、外界に帰還したのだから。

 髪についた血の破片を、軽く頭を振って払った。

 

「上弦2体を、無傷で一蹴とは」

 

 誰かが、呻くように言った。

 確かに巌勝も亜理栖も、万全の状態とは言い難かった。

 しかしそれでも上弦。死にかけでも強大さは変わらない。

 それを、まったく歯牙にもかけない。

 絶句し、呻いてしまうのも無理は無かった。

 

「…………?」

 

 そして、瑠衣。

 彼女は今、不思議な感覚の中にいた。

 それは生還の喜びとも、勝利の高揚とも違うものだった。 

 

 それは、()()()だった。

 とてもとても単純で、だからこそ重要な気付き。

 柱の刀を折り、上弦の鬼を屠った。

 それも、いとも容易(たやす)く。

 

「……あれ?」

 

 思えば、瑠衣の戦いは苦難と苦境と苦心の連続だった。

 何体もの上弦と戦ったが、その度、痛みと苦しみを味わった。

 地面を転がり、傷だらけ。汗と泥と、血と涙とに塗れて。

 そればかり。そればかり、だけだった。

 それが今は――――あれ?

 

「もしかして」

 

 ()()()()()

 もしかして、もしかして。

 いやいやまさか、まさかそんな。

 そんなことが、あるのだろうか。

 

「皆さん」

 

 それは、例えるなら「猛獣の子供」だ。

 猛獣、あるいは肉食獣と言えど、最初は幼い子供だ。

 力弱く、獲物も獲れず、強く逞しい群れの大人達を見上げるばかりの存在。

 

「私より」

 

 しかし彼はある日、気付くのだ。

 それまで見上げるばかりだった大人達が、いつしか隣に。

 そして、いつしか。

 

()()()()()?」

 

 いつしか、下に。

 

「…………アハッ」

 

 気付いてしまったら、それで終わりだ。

 みんなみんな、お終いだ。

 猛獣がとうとう、群れの本当の序列に気付いてしまったのだ。

 自分の強さの位置を、確信してしまったのだ。

 

「アハッ、アハハッ、アハハハハハッ!」

 

 弱かった。

 惨めだった。

 それがどうだ。今はどうだ。

 嗚呼、何て、何て――――何て!

 

「アハハハハハハハハハハハハハッッ!」

 

 ()()()()()()

 

「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッッッッ!!!!」

 

 それは、その場にいる誰もが初めて見るものだった。

 満面の、何の遠慮会釈もない、純粋で、心の底からの。

 楽し気な、瑠衣の笑顔と笑い声だった。

 

 それを、ある者は厳しい顔で見つめていた。

 あるいは恐れ戦いていた。あるいは哀しんでいた。

 そして、さらにあるいは。

 

「何よアレ……」

 

 あるいは。

 

「……チョー、サイコーじゃない」

 

 あるいは、全く別の感情で、瑠衣を見つめていた。




最後までお読みいただき有難うございます。

いやあ、これ以上ないハッピーエンドでしたね(え)
無惨は滅び、鬼は全滅しました。
鬼滅の二次作品は数あれど、鬼の全滅をここまで繰り返し強調する作品はそうはないはず(根拠はない)。
あとは皆で幸せになるだけですね!(くもりなき眼)

それでは、また次回。
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