珠世は、諦めていた。
愈史郎は珠世を生かそうと必死に努力をしているが、意味がないことだった。
夜になれば逃げ道もあるだろうが、おそらく自分達に
今日が、自分達の死ぬ日なのだ。
「愈史郎」
血鬼術の姿隠しの符――屋内なら陽の光に焼かれることもない――を天井や壁に貼っていた愈史郎を、呼び止めた。
無惨の死の影響が残っているせいか、酷くか細い声だった。
しかし、愈史郎が珠世の声を聞き逃すこともまた無かった。
「珠世様! もしやお身体の具合が……!」
「それは、大丈夫です」
何しろ自分も「無惨の鬼」である。
支配から逃れて数百年が経っているとは言え、
影響が皆無だと思ってはいなかったし、最悪の場合には道連れに死ぬだろうとも思っていた。
死なずに済んだだけでも、
だが、今回は駄目だ。
死ぬ以外の想定が出来ない。その想定を覆すだけの準備も、無い。
なすすべなし。そういう心境自体は、新鮮ではあった。
「無駄な努力をするのは、やめなさい。あの人には……瑠衣さんには、血鬼術は一切意味を持たないでしょう」
無惨を除けば、珠世は最古の鬼だ。
鬼として生きて来た時間で言えば、あの黒死牟――継国巌勝さえ上回る。
その珠世から見て、瑠衣はかなり特別な
それが蒼い彼岸花を接種したことで、変質した。
「瑠衣さんは、端的に言って……
我ながら何の捻りもない表現だと思ったが、他に言い様がないのも確かだった。
煉獄瑠衣は、鬼舞辻無惨を遥かに超える鬼となった。
それは呼吸や剣技による差異だけではない。
「瑠衣さんにはもう、弱点はありません」
太陽の光はもちろん、日輪刀も瑠衣には効かない。
不老不死。
不死身。
人も、鬼も、瑠衣を殺すことは出来ない。
「私達にできるのは、祈ることだけ」
それは、人が神に祈るようなものだった。
怒れる神を前に、人は手を合わせることしか出来ない。
「だから、やめなさい」
「珠世様……!」
――――最初に。
初めて瑠衣に出会った時、珠世はすぐに瑠衣の
その病巣が徐々に大きくなっていくことにも、気付いていた。
けれど、無惨への復讐を優先した。
毒を以て、毒を制したのだ。
だから、
(何とか愈史郎だけでも、とは思うけれど……無理でしょうね)
心残りがあるとすれば、それだけだった。
だがそれも、事ここに至ってはどうすることも出来ない。
だからただ、祈るしかない。
自分達の生殺与奪の権を握る者がやって来る、その時まで。
◆ ◆ ◆
最初は、確かめるように。
次いで、戸惑うように。
そして最後に、確信して。
まるで、覚えたてのダンスを見せびらかす童女のように。
「強い」
岩の戦斧を、手の甲で打ち払った。
たったそれだけのことで、戦斧は跡形もなく消し飛んだ。
鎖は踏むだけで砕けたし、何なら当たったところで簡単に引き千切れた。
爆発する日輪刀は、音の大きさには驚いた。
端で見ているのと受けるのとでは、実際に受ける印象は違うものだ。
ただ逆に言えば、驚いただけだった。
指先で摘まみ、引く。それだけで2本とも半ばから折れた。
「強い!」
視界の中を滑るような、まさに「流れるような」剣筋だった。
余りにも動きが自然過ぎて、まさに水のような、見逃してしまいそうな程だ。
だが、今は酷く遅く感じる。
剣筋を完全に見切る眼と、反応できるだけの反射神経を得たからだ。
「いや強すぎないっ!?」
瑠衣が冨岡の日輪刀をバラバラに折ったあたりで、もう耐えられない、と言わんばかりに善逸が叫んだ。
実際、叫びたいのは彼だけでは無かった。
その場にいる誰もが、鬼と化した瑠衣の強さに恐れ慄き、衝撃を受けていた。
上弦の鬼を一蹴し!
鬼殺隊の柱さえも寄せ付けない!
そんな人間を、あるいは鬼を、その実在を信じることが出来ない。
信じたくないと、その場にいる誰もが思っていた。
「誤解しないでほしいね」
そんな善逸に――聴覚さえも人並外れている。あるいは
わざわざ言った。
まるで、今まで黙っていたことを初めて公言するかのように。
「
何を言っているんだ、と善逸でなくとも思っただろう。
確かに瑠衣は以前から強かったが、柱や上弦に及ぶものでは無かった。
少なくとも、ここまで圧倒的では無かった。
ただ一方で、表情を変えなかった者もいた。
杏寿郎、そして不死川である。
その場にいる者の中で最も瑠衣の力に触れる機会があった彼らだから、そうなった。
「
繋がりという名の枠。しがらみという名の枷。
人間は誰しもそれを持っている。
それは時として人間を強くするが、同時に弱くもする。
瑠衣は、その典型だった。
つまり、瑠衣は今、生まれて初めて――――
◆ ◆ ◆
ずっと怖かった。
怯えていたと言っても良い。
周りから「お前は違う」と言われることを、瑠衣はずっと恐れ、怯えていた。
ここで問おう。
煉獄瑠衣という少女にとって、何が一番大切だったのか。
何が、彼女の心の根幹を成していたのか。
そう、瑠衣は常々こう言っていたはずだ。
「
それが、瑠衣にとって何もかもの基準だった。
血の繋がりがないとわかった後も、それは変わらなかった。
目に見えない枠であり、無意識の枷だった。
しかし、今は違う。
鬼となった今となっては、そんな価値基準には何の意味も無かった。
今さらだった。
だからもう、何も気にする必要がない。
(――――軽い)
軽かった。身体が、何より心が軽かった。
背や肩に
嗚呼、とようやく息を吐けたあの瞬間に似ている。
(どうして、あんなものを気にしていたんだろう?)
自分で、過去の自分が不思議で仕方がない。
どうして、あんなにも「煉獄家に相応しい人間でいること」にこだわっていたのだろう。
そのせいで、とても窮屈だった。
息苦しくて、仕方が無かった。生きるのが辛いと思い悩む程に。
苦しくても、辛くても、続けなければならなかった。その生き地獄に。
「……!」
その時、視界に
それは布のように薄い刃。くるくると瑠衣の顔――頚に巻き付こうとしていた。
日輪刀。それもこんな独特な形のものは、この世に1つしかない。
恋柱・甘露寺蜜璃の日輪刀だ。
「日輪刀で頚を刎ねても、私には意味がありません」
ぎし、と、刃が頚を絞める。
鬼に触れれば肌を焼くはずの日輪刀だが、瑠衣には効果が無かった。
「そもそも、日輪刀では私は斬れません」
それ以前に、薄皮一枚さえ傷つけることが出来ていない。
瑠衣は鬼として、日輪刀に対して強固な耐性を持っていた。
何度も繰り返すが、太陽を克服した鬼を日輪刀で殺すことは出来ない。
「……ああ、なるほど」
だが、そんなことは相手も――甘露寺も、百も承知だったようだ。
斬れないまでも煩わしいので、甘露寺の日輪刀を掴んで引き千切ろうとした、次の瞬間だった。
両腕を振り上げた甘露寺が、目の前に飛んで来た。
「貴女には、
「――――瑠衣ちゃんッ!!」
捌倍娘。
その名に恥じない膂力が、瑠衣に向かって振り下ろされた。
◆ ◆ ◆
止めなければ、と思った。
その後のことは何も考えていなかったが、とにかくそれだけを考えていた。
だから全力で瑠衣の肩を掴み、押さえ込んだ――――押さえ込もうとした。
「……嗚呼」
溜息を漏らすように、瑠衣が息を吐いた。
その手は甘露寺の手首を掴み、内側から、力付くで押し退けようとしていた。
最初は拮抗して見えたそれは、徐々にだが広げられていった。
信じられない光景だった。
鬼の強靭な肉体でさえ引き千切る甘露寺が、純粋な腕力で押されている。
甘露寺自身にとっても、それは初めての経験と言って良い。
純粋な腕力で負ける。その事実に、甘露寺は両目を大きく見開いた。
「
甘露寺の両腕から、嫌な音がした。
途端に力が抜けて、小さな悲鳴を上げ、甘露寺が崩れ落ちた。
両腕が
「――――瑠衣!」
「来ると思った。でも」
口を開くよりも先に、手が動いている。
しかしその手を擦り抜けて、伊黒の日輪刀は瑠衣の頚に届いた。
曲がる剣筋。これを捉えるのは、さしもの瑠衣も難しかった。
「でも、意味なんてない」
届き、触れた。
瑠衣の肌に触れた瞬間、日輪刀は折れる。
その伊黒の腕を掴み、思い切り投げ飛ばした。
手近な建物の壁を突き破って、伊黒の姿は見えなくなった。
「アハッ、アハハハハハッ」
心の底から、瑠衣は笑った。
先程も言ったが、「ずっとこうしたかった」のだ。
「子供の頃、伊黒さんが家に来ました。1年ほど修行して、すぐに兄様と同じくらいに強くなりました」
伊黒は、父・槇寿郎が鬼から救った。
煉獄家にいたのはほんの一時だが、付き合いは続いた。
瑠衣にとっては、もう1人の兄のようなものだった。
「少し大人になった頃、蜜璃ちゃんが家に来ました。半年で私より強くなりました」
そして、甘露寺も煉獄家で修業した。
剣筋が独創的に過ぎて、あるいは人柄が余りにも一般人で、他では面倒を見切れなかったからだ。
結果として奏功し、甘露寺はその才能を開花させた。
伊黒と共に、あっという間に柱にまでなった。
「それが」
それが、幼少時から修行を続けていた瑠衣にとって。
「それがどれだけ、憎らしかったか」
兄のように才能があれば、弟のように修行を始めて間もない頃であれば、そうは思わなかっただろう。
醜い嫉妬だと、人は言うかもしれない。
当時の瑠衣にとって、後から修行を始めた人間にあっさりと抜かれるということが、どれほど深刻な事態だったか。
「だけど、もう良いです。だってもう、どうでも良いです」
甘露寺の腕を折るために地面に突き立てていた自らの日輪刀を、掴んだ。
人外の握力で握られたそれに、不意に変化が訪れた。
「皮肉ですよね」
要らなくなった途端に、欲しいものが手に入ったのだから。
◆ ◆ ◆
太陽の光も、日輪刀も効かない。
そんな存在を前にした時、残された可能性は少ない。
そして炭治郎は、己がその「数少ない選択肢」の1つであることを理解していた。
「瑠衣さん!」
ヒノカミ神楽。あるいは、日の呼吸。
はじまりの呼吸であれば、今の瑠衣にさえ効果があるかもしれない。
無惨にも日輪刀はほとんど効果が無かったが、日の呼吸による斬撃は効いた。
だからきっと、瑠衣にも効果を発揮するはずだ。
後はそう、覚悟の問題だ。
日の呼吸は、炭治郎にとっても扱いの難しいものだ。
完璧な動き。完璧な角度。そして完璧な振りが必要だ。
瑠衣に対して、その覚悟が持てるかどうかだった。
「今から、貴女を斬ります!」
不意打ちが出来ない性格か、それとも己を奮い立たせるためか。
実に馬鹿正直に、攻撃する前に炭治郎が叫んだ。
「いいですよ」
そんな炭治郎に対して、瑠衣は言った。
「珠世さん達は隠れてしまったようですから」
その言葉の意味を、炭治郎は正確に察した。
途端、全身に力を漲らせた。
それはそうだ。そうならざるを得ない。
何故なら瑠衣は、
燃えるような、独特の呼吸音。
気配が薄れていき、まるで植物を前にしているかのような、存在感の消失。
それを目の当たりにして、瑠衣は感嘆した。
その動作1つで、炭治郎が格段に強くなっていることを察したからだ。
「はあああああっ!」
この直後、2つの出来事が立て続けに、あるいはほとんど同時に起こった。
まず1つ目は、当然ながら炭治郎による攻撃だった。
日の呼吸による斬撃は、結論から言えば失敗した。
他の攻撃と同じく、炭治郎の日輪刀は瑠衣の頚――肌に触れるや、折れてしまった。
(これは、もう確定だ)
煉獄瑠衣は、太陽の光への耐性の前に、日輪刀に対する強い耐性を持っている。
まるで刃と肌の間に壁でもあるかのように、反発してしまうのだ。
刀の色や呼吸の種類に関わらず、日輪刀では瑠衣を斬ることは出来ない。
「
そして、2つ目。
胡蝶しのぶが、炭治郎の斬撃を縫い潜るようにして、突きを放っていた。
その突きは、驚きに薄く開かれた瑠衣の口に突き込まれた。
毒の突きを、文字通り
◆ ◆ ◆
しつこいようだが、もう一度言おう。
「アハッ」
毒の刃を3つにへし折り、襟を掴んで地面に叩き付けた。
悲鳴のような声を上げて跳びかかって来た
その日輪刀を指先で
蝶の如く宙を舞っていた足を掴み、投げ飛ばす。
「アハハハハハッ」
全力で、地面を蹴った。
その加速は人間の目では追い切れない。
透き通る世界を視ることが出来る炭治郎だけは、僅かに追うことが出来た。
柱の持つ日輪刀が、炭治郎の仲間達の日輪刀が、次々に折られていく。
余りにも速すぎて、ほとんどの者は反応さえ出来なかった。
時間にして、1分にも満たなかっただろう。
その場に存在する日輪刀が、折られるまでの時間は。
「アハッ、アハハハハハハッ、アハハハハハハハハハハハハハハッ!」
生まれて初めて、炭治郎は心の底から恐怖した。
これまでも、何度も恐怖や絶望は感じてきた。
だがここまでのものは、身体が震えて動かなくなるような、ここまでの恐怖は初めてだった。
そしてそれ以上に、炭治郎の目と鼻はある疑問を彼に抱かせた。
「貴女は」
目の前で嗤う、この女性。
この
「貴女は、誰ですか」
笑うのを止めて、瑠衣が炭治郎を見た。
何も映していない、そんな目だった。
「おかしなことを言う竈門君ですね。私は煉獄瑠衣。良く知っているでしょう?」
確かに外見も中身も、瑠衣だった。
だが違う。違い過ぎる。
そんな矛盾した感覚の前に、炭治郎は二の句が告げずにいた。
「いいや、きみは正しい。竈門少年」
そう思える程の存在感を、その男は全身から放っていた。
杏寿郎。赫刀ではない、赤い刃の日輪刀を持つ男。
純粋な炎の刀を持つ、最後の男が、言った。
「
杏寿郎の口から放たれたのは、聞き覚えの無い名前だった。
瑠衣の金瞳が、威圧するように細められた。
「瑠衣の姉であり」
それでも、杏寿郎は言葉を止めなかった。
瑠衣も、止めようとはしなかった。
だからその言葉は、最後まで紡がれることになった。
「
そうして浮かび上がった微笑みは。
まさに、鬼が笑ったかのように、凄絶なものだった。
◆ ◆ ◆
杏寿郎が、物心つくかどうか。そんな頃だった。
父・槇寿郎は、ある任務で女の鬼を斬った。
任務自体は、簡単に終わった。
だがその鬼を斬った後、よもやの出来事が起こった。
「その鬼は、子を身籠っていたそうだ」
その子は、母親の体が灰となって崩れた後、産声を上げた。
まさに奇跡だった。
しかし鬼の胎で育った赤子が、普通の人間と同じであるはずがない。
槇寿郎は悩んだ。
柱としての理性は、斬るべきだと告げていた。
だが、槇寿郎にはその決断が出来なかった。
母も、そんな父を責めることは無かった。
「それがお前だ」
「……アア、良ク覚エテイルヨ」
鬼殺隊で、この事実を知る人間は3人しかいなかった。
先代の産屋敷輝哉と槇寿郎。だがこの2人はもういない。
だから、今では杏寿郎しか知らないはずの事実だった。
「瑠花……
名付けたのは、母だと聞いている。
母の名は瑠火。同じ音の名前を、瑠衣とは別に付けた。
理由はわからない。おそらく、父も正確にはわかっていなかっただろう。
しかし本人は――瑠花自身には、その意図するところが明白だったのだろう。
だからこそ、彼女は表に出て来なかった。
否、
彼女が初めて表に出て来たのは、無限列車の時。
悪夢に
「父にお前の話を聞いた時、母が瑠衣を剣士にしたくないと考えていた理由が、ようやくわかった」
瑠衣が剣士だったからこそ。
剣士として足りなかったからこそ。
この「姉」という存在は、表に出てくることが出来たのだから。
「本当ニ鬱陶シイ
そう言って笑う顔は、瑠衣のものだった。
肉体的に鬼化したことで、人間の部分が失われた。
つまり、姉妹を分け隔てていた壁が失われたのだ。
今の彼女は以前の瑠衣とも、瑠花と名付けられた鬼の姉でも無い。
「ずっと、辛かったんです。兄様のようになれない自分。炎の呼吸の才能が無い自分。弱い、本当に弱い自分が」
煉獄瑠衣という、
「でも、今は違います。とても身体が、心が軽いんです。今まで背負って来たものが全部なくなって、本当に清々し「それは違うぞ、瑠衣」、い……?」
別固体だなどと笑わせる。
杏寿郎の目から見れば、瑠衣も、そして瑠花も。等しく妹だった。
だから兄として、杏寿郎のすべきことは何も変わらない。
「それは軽くなったんじゃない。
兄として、妹に範を示す。
それだけだった。
「――――もう良いです」
心の底から「もう飽きた」というような顔で、瑠衣は言った。
「もう鬼殺隊も、兄様も、どうでも良いです」
炭治郎や杏寿郎が、この場にいる剣士が束になったところで、瑠衣は殺せない。
日輪刀の多くを折られた今、捕縛することも難しいだろう。
しかし厄介なことに、呼吸による強さは健在だ。
だからこの場で、輝利哉を討つことも難しくなってしまった。
いや、殺すこと自体は簡単だ。
だが、他の誰かを巻き込まずに殺すことは難しい。
禰豆子も同じだ。そして珠世と愈史郎の探索も、自由にはさせて貰えないだろう。
「きっと兄様は、これからも。そうやって正しく生きていくのでしょうね」
かつてはそれを、眩しいと思っていた。
愛していた。
けれど今は、同じように想うことは出来ない。
「嗚呼、何て……何て、苛々する」
「――――ああ~……ああ。わかるぜ、その気持ち」
不意に、そんな声をかけて来る者がいた。
瑠衣がそちらに目を向けると、黒髪の、見覚えのある男がいた。
「……獪岳」
「ああ、良いね。今のお前の
にやりと笑って、以前と変わらぬ姿で。
「前よりずっと、見れるじゃねぇか」
獪岳はそこにいた。
◆ ◆ ◆
「か、獪岳っ!?」
獪岳の登場に驚いた人間は何人かいたが、最大の反応を示したのは善逸だった。
何しろ獪岳は彼にとって兄弟子であり、雷の呼吸の後継者の1人――もっとも、獪岳の側はそんな認識を露とも持ってはいないだろうが――だ。
驚くな、という方が無理だろう。
「…………」
「ああ、待て待て待て。俺は他の奴とは違う。お前と戦う気なんてねえよ」
即座に日輪刀を折る体勢に移行した瑠衣に手を向けて、獪岳は言った。
自分には、瑠衣と戦う意思はない、と。
生きていたことに今さら驚きはしないが、瑠衣に対する態度の変化には驚いた。
何しろ獪岳は、瑠衣を嫌い抜いていたはずだからだ。
「いいや、今のお前は悪くないぜ」
悪くない。獪岳は、そう繰り返した。
瑠衣の視線に何の意味を感じたのか、口の端を歪める嫌な笑い方をしていた。
「わかるぜ。
わかるとも。
何故ならそれは、獪岳自身も考えていたこと。
「
だって、そうだろう?
どう考えてもおかしいだろう?
どんなに性格の歪んだ捻くれ者だって、ちょっと待てよ、となるだろう。
鬼殺隊壊滅から今まで、現場で踏ん張ってきたのは瑠衣だ。
窮状の中で努力し、
それは、誰がどう見てもそうだ。
「それなのに、柱が戻って来た途端に
輝利哉にかけられた称賛の言葉は、虚しく響くだけだ。
どれだけ言葉を尽くしたところで、意味は同じだ。
それは、瑠衣の今までを過去のものにしてしまう悪魔の言葉。
あんなに苦しんだのに。
もう、他の生き方なんてわからなくなってしまったのに。
それなのに。
あっさり、もういらない――――ってなるんだ。
「ふざけるなよなあ。許せないよなあ」
わかるぜ、と獪岳は言った。
「
それはきっと、正道を行く者にはわからない感覚だ。
個を、いや、
だからこそ、獪岳は以前の瑠衣が嫌いだったし。
今の瑠衣に、強い親近感を覚えるのだった。
「お前もそうだろ?」
「アンタと一緒にするんじゃないわよ。というか、気安く声をかけるんじゃないわよ」
日輪刀の槍を肩にかけたまま、禊が言った。
瑠衣と獪岳の間に降り立った彼女は、瑠衣を見て。
「アンタは誰?」
と、そう言った。
それに、瑠衣は答えた。
「……私は、瑠衣です。何度も言わせないでください」
「あっそう」
「ええ……」
はあ、と、瑠衣は溜息を吐いた。
息を吐いて、そして。
全てを終わらせようと、そう思った。
◆ ◆ ◆
「お館様」
改めて、瑠衣は輝利哉と向き合った。
殺すのはやめた。
しかし、その代わりのものを貰っていく。
何故ならばそれは、
「まずは
鬼舞辻無惨は、産屋敷家の執念と策略の前に敗れ去った。
見事だ。本当に、見事だ。
「
無惨を討って、おめでとう。
しかし、完全には勝たせてやらない。
鬼は、生き残る。
鬼となった瑠衣が、この先も永遠に生きる。
だから鬼殺隊の任務も、永遠に終わることがない。
――――
「さようなら、お館様。今までお世話になりました。そして、これからもどうぞ
ぐっと掌を握り締めると、何かが噴き出すような音がした。
それは、裂けた掌から零れた血だった。
びちゃびちゃと足元に滴って行くそれは、徐々に大きな水溜まりになっていった。
禊と獪岳の足元にまで広がったそれは、2人の足首を……いや、
「馬鹿な、あの血鬼術は……!」
上弦の陸・亜理栖の血鬼術だ。
先ほど滅びた鬼の能力を得ている。
「……なるほどねえ」
それを見た犬井は、座り込むのをやめた。
のんびりと立ち上がり、怪我をしたコロを地面に下ろし、
「瑠衣ちゃあん。こっちも頼むよお」
「…………ええ」
不思議なことに、離れた位置にも血の鏡は発生した。
犬井の足元にも。ただ、
「……達者でな、コロ」
これで決定的だ。
あの血の鏡は、選択を迫るものだ。
問いは単純。
来るか。来ないか。
「……行くのね」
妹達を介抱していたカナエに、柚羽と榛名が頭を下げていた。
2人は特に、蝶屋敷に世話になっていたからだ。
そして何となくこうなるだろうことを、カナエは気付いていた。
「あ、ええ? えっと、ええ?」
「……小鉄君。良いんですよ、気にしないでください」
「る、瑠衣さん。俺は」
「刀、有難うございました。でも、もう刀は打たないでくださいね」
殺したくないので。
瑠衣が静かにそう告げると、小鉄はビクリと震えた。
そして、何も言えなくなる。
「堕ちるところまで堕ちたなァ、馬鹿弟子」
「いいえ、それは違います。師範。堕ちるも何も、最初から私はどこにも立っていなかった。いえ……そもそも、誰も立ってなどいなかった」
誰も彼も、鬼も、神でさえも。
何物も、そこには立っていない。
だがそれも、今日までの話。
「今日からは、私がそこに立ちます」
そう言って、ついには瑠衣自身が血の鏡へと沈んでいった。
「あ、姉上……?」
千寿郎は、目の前の展開についていけなかった。
状況に置いて行かれている、といった方が正しい。
理解が遅く、判断も遅く。だから、何も出来なかった。
「兄上」
だが、兄は違うはずだった。
自分と違って、杏寿郎は理解も判断もできるはずだった。
「兄上! 姉上が!」
しかし、杏寿郎は動かなかった。
地に沈みゆく妹を、ただ見つめていた。
動けなかったのか。動かなかったのか。
それは、誰にもわからなかった。
「瑠衣」
ただ。
「
「
ただ、それは、2人にしか通じないこと。
そして、これが最後。
これで、おしまい。
「それでは、皆さま」
鬼舞辻無惨は死んだ。
鬼は滅んだ。
もう、誰も鬼に襲われて死ぬことはない。
悲願の成就。そう。
「
これで、ハッピーエンドだ。
最後までお読みいただき有難うございます。
いやあ、感慨深いですね。
主要キャラが欠けずにここまで来れたこと、とても嬉しく思います。
こんなハッピーエンドで終わる鬼滅二次創作って、実はあまりないのでは?
などと、つい思い上がってしまいました。
よし、ではここでハッピーエンドを祝して皆で拍手しましょう。
えー、こほん。はーい、拍手~(パチパチパチパチ)
…あれ?
どうして拍手してくれないんですか?