鬼滅の刃―鬼眼の少女―   作:竜華零

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第70話:「七不思議・口裂け女」

 1か月も通っていると、日常になってくるものだ。

 犬人間事件の治療――と言っても、外傷はほとんど無かったのだが――とカウンセリングで、胡蝶姉妹は近所のクリニックのお世話になっていた。

 もっとも、最近はただおしゃべりに来ているだけになっているが。

 

 というのも、実はこのクリニックには子供の頃から良く来ていたのだ。

 いや、良く来ていたというのはやや語弊があるだろうか。

 怪我や病気などをした時に来る、いわゆるかかりつけ医というものだ。

 なので、クリニックの先生とも顔見知りだった。

 

「良かったわ。2人ともだいぶ元気になって」

 

 珠世、という女性の先生だった。

 しのぶは自分の姉がこの世で最も美人だと思っているが、珠世もまたかなりの美人だった。

 実際、珠世を目当てに通う者もいるくらいだ。

 美貌もそうだが、たおやかな物腰や優しい性格が、人を惹き付けるのだろう。

 

「ありがとうございます。先生のおかげです」

 

 もちろん、美貌も性格も姉のカナエが一番なので、その次ということに――しのぶの中では――なっているが、これはしのぶにすれば破格の高評価ということになる。

 まあ、それを口にすることはないわけだが。

 

「あれ、こんな写真ありました?」

 

 その時、しのぶは珠世のデスクの写真立てが目に入った。

 それ自体は珍しいことではないが、古そうな写真で、気になったのだ。

 少し色褪せてはいるが、それでも、そこに映っている人間が珠世だということはわかる。

 ただ一緒に映っている青年は、見たことがなかった。

 

「先生、この人は?」

「え? ああ……家族です」

「ご家族? あ、茶々丸ちゃんもコロちゃんも映ってますね」

 

 家族写真か、と、何となく受け取った。

 それをデスクに置いておきたい気持ちは、何となくわかった。

 自分も姉との写真をスマホの待ち受けにしている。

 まあ、写真というのはいささか古風かな、とも思ったが。

 

(それにしても、古い写真ですね……)

 

 表面が色褪せていて、端が傷んでいる。

 しのぶも余り写真に詳しい方ではないが、状態が良くないということはわかった。

 ただ、それだけ大切な写真なのだろう。

 

 余り触れるのも失礼かと思って、しのぶは写真を珠世に返した。

 珠世はそれを両手で受け取って、大事そうにデスクに戻していた。

 ただその目は、どこか哀しそうに見えた。

 やはり、しのぶは触れなかった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 炭彦も、以前とは別の日常を始めた1人だった。

 まず犬人間事件だが、あの日以来、ぱったりと止んだ。

 瑠衣は犬人間が「竈門君に思わぬ反撃を受けて逃げたんですよ」と言っていたが、炭彦の記憶は犬人間に殴られたところで途切れていた。

 

 だから、自分が犬人間を撃退したと言われても、実感は何も無かった。

 けれど犬人間はこの1か月間は現れていないし、本当にいなくなったようだった。

 世間も学校も、犬人間のことなど忘れてしまったかのように静かだった。

 けれど、変わったこともあった。

 

「桃寿郎くん。剣道をやってみたいんだけど、良いかな」

 

 と、桃寿郎に頼んだのが1週間ほど前のことだった。

 以前の炭彦であれば、剣道はおろかどんなスポーツもやろうとは思わなかった。

 寝る時間が減るし、何より()()()ことがわかっていたからだ。

 けれど、決めたのだ。

 

(強くなるんだ。瑠衣さんを守れるくらいに)

 

 あの時、たぶん、単純な身体能力では自分は犬人間を超えていたと思う。

 しかしいくら身体能力で上回っても、使い方がわからなければ宝の持ち腐れだ。

 使いこなせない力は、ただの無力でしかない。

 瑠衣は自分が犬人間を追い払ったと言ったが、そうだとしても、気絶してしまったのだ。

 今回はきっと、運が良かった。運が悪ければ、もっと酷い結末になっていたに違いなかった。

 

「うむ! もちろん大歓迎だ、うちの道場に来ると良い!」

 

 ちなみに、炭彦も桃寿郎も帰宅後にしこたま叱られた。

 それはそうだろう。深夜に出歩き、危険な目に合ったのだ。

 実弘がそれぞれの家に来て、謝罪したのも大きかった。

 いわゆる「うちの子がご迷惑を!」だ。

 それはもうこっぴどく叱られたが、それ以上の使命感が炭彦を突き動かしていた。

 

「よーし、やるぞ!」

 

 そして、これが良くなかった。

 その使命感――瑠衣を守る――に燃えるままに、桃寿郎の実家の道場に入門して。

 桃寿郎が余りにも炭彦を褒めちぎるものだから、年上の門下生がむきになってしまって。

 まだ竹刀の握り方さえわからないままに、炭彦は先輩と立ち合うことになってしまって。

 

 もう一度いうが、これが良くなかった。

 桃寿郎でさえ勝てない年上の門下生と、入門初日の炭彦。

 普通に考えれば、結果は明らかだった。

 しかしそれは、あくまで規格内の常識内の話。

 

「よもや」

 

 と、桃寿郎が思わず呟いてしまう程だった。

 炭彦は、年上の門下生が竹刀を振るおうとした刹那に打ち込んだ。

 瞬きの間に3発。とどめに1発。

 打ち込まれた先輩門下生が立ち合いの結果を知ったのは、()()()()のことだった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 桃寿郎の父・藤寿郎は、衝撃を受けていた。

 衝撃は、2つあった。

 まず、門下生と炭彦の立ち合い。

 炭彦が見せた動きを、藤寿郎はまったく視ることが出来なかった。

 

(両の小手に打ち込んだ後、突き……か? それから、胴を薙ぎ)

 

 それは、打たれた門下生の手当てをして初めて理解できた。

 打たれた箇所が、骨には異常が無さそうだったが、真っ赤に腫れ上がっていたからだ。

 藤寿郎の目には、炭彦の手から先が消えたようにさえ見えたのだ。

 そんな馬鹿なと、聞けば人は思うだろう。正直なところ、藤寿郎もそう思っている。

 

 だが、これは現実だった。

 聞けば炭彦は、剣を握ったのは今日が初めてだと言う。

 もしもそれが本当ならば、初日で格上の剣士を圧倒したことになる。

 倒された門下生の実力は教えた藤寿郎が一番よく知っている。

 どんなに油断していたとしても、ここまで一方的に負けるような子では無かった。

 

「炭彦……」

 

 心配だったのは、桃寿郎のことだった。

 やや思い込みが激しいところがあるが、努力家だった。

 幼い頃から何年も鍛錬を続けていて、親の色眼鏡を抜きにしても、良くやっていると感じる。

 しかし、今の炭彦の立ち合いは、そうした積み重ねをすっ飛ばしたものだった。

 

 圧倒的な、神がかり的な才能。

 

 藤寿郎が見る限り、炭彦は初日の時点で、桃寿郎の数年間の努力を上回ってしまった。

 どんな人間でも、ショックを受けてしまうだろう。

 どれ程の人格者だとしても、嫉妬という感情はあるのだから。

 まして子供だ。だから藤寿郎は、どうフォローすべきかと考えあぐねていた――――が。

 

「……凄い」

 

 が、彼の息子は、父親が思う以上に真っ直ぐな少年だった。

 

「凄いぞ炭彦! 今のはどうやったんだ!?」

「え、ど……どうって。普通に」

「いや、あの動きは普通に出来るものじゃない! 何か秘訣があるのか!?」

「ひ、秘訣かあ。息を思い切り吸って、力をこう、ぎゅーんって」

「ぎゅーん!?」

 

 とりあえず、心配したような事態にはならなかったようだ。

 もちろん、桃寿郎以外の門下生は畏怖の籠った目で炭彦を見ている。

 道場で迎え入れるとなると、色々とトラブルになりそうだ。

 だが、それは大人(自分)が何とかする話だった。

 

(それにしても、()か)

 

 衝撃は2つ。1つは炭彦の才能。

 そしてもう1つは、期せずして炭彦自身が言及した「息」という単語だ。

 動き出す直前、確かに、炭彦は深く息を吸っていたように思える。

 藤寿郎はかつて、幼い頃に祖父に聞いたことがあった。

 

(何と言ったか、あれは、そう)

 

 祖父はたしか、こう呼んでいた。

 ――――全集中の呼吸、と。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 炭彦が剣道の道場に通い始めたと伝えると、瑠衣は嬉しそうな顔をしてくれた。

 正直なところ、そんな風に喜んで貰えるとは思っていなかったので、炭彦も嬉しかった。

 そしていつものように、胡蝶姉妹の()()()を渡した。

 

「ありがとうございます」

 

 それは、胡蝶姉妹が通っているクリニックで貰えるご褒美の飴だった。

 どうしてかはわからないが、瑠衣はこの飴を欲しがった。

 瑠衣の――出会ってからはおそらく初めての――願いなので、胡蝶姉妹に頼んで飴を譲って貰った。

 

 飴が好物なのかと思ったが、他の飴は渡そうとしてもやんわりと断られてしまうのだ。

 それに、瑠衣は貰った飴を食べるわけでもなかった。

 ただ手の中で弄んで、しばらく眺めているだけだった。

 

「う……」

 

 陽の光のせいだろうか、視界が一瞬、眩しくなった。

 思わずごしごしと目を擦っていると、その手を瑠衣が取った。

 

「駄目ですよ。擦ったら目が痛みます」

「う、うん」

 

 綺麗な顔が目の前にあって、どぎまぎとしてしまった。

 目を覗き込まれる形になっているので、炭彦からも瑠衣の瞳が良く見えた。

 大きくて、吸い込まれそうで。いつまでも見ていられるような気がした。

 

「竈門君の目は、とても綺麗ですね」

「え、そ、そうかな」

「ええ、とても」

 

 頬のあたりに手が振れて、目の周りを指先が撫でた。

 心臓がばくばくと音を立てていて、どうにかなってしまいそうだった。

 ただ、どうしたらいいのかわからず、固まっているばかりだったが。

 そんな炭彦の様子を見て、瑠衣はくすりと笑った。

 

「良い目ですから、大事にしないといけませんよ」

 

 帰ったら目薬をさそうと、そう思った。

 

「さあ、呼吸の練習をしましょうか」

「う、うん」

 

 そして、呼吸の練習だ。

 最初は戸惑いもあったが、最近は慣れて来たような気がする。

 普段の生活でも呼吸を意識するようになって、いつでも――たぶんだが、寝ている時も――同じような状態が当たり前になっていた。

 

 そのせいかはわからないが、身体の調子も良かった。

 桃寿郎の実家の道場では、余りにも調子が良すぎてやり過ぎてしまった程だった。

 座禅を組んで目を閉じると、調子の良さというか、呼吸の深さがよりわかるような気がした。

 

「良いですね。とても」

 

 意識の端で、瑠衣の声が聞こえた。

 その声がまた嬉しそうで、つられて炭彦も嬉しくなってしまった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 珍しいことに、実弘は事務所に引きこもっていた。

 

「先輩、メシ買ってきました」

「おう、サンキュー」

 

 正直なところ、書類仕事や調べ物は荷が苦手な方だ。

 外に出てパトロールでもしていた方が性に合っているのだ。

 それでも気になったことがあって、ここ数日はデスクに齧りついている。

 

 後輩が買ってきてくれた食事を片手に、ファイルやパソコンで調べ物を続ける。

 調べているのは、あの店のことだった。

 青葉が通っている、あのバーである。

 

(あの時は特に何も思わなかったが……)

 

 いくつか、気になるところがあった。

 別に犯罪がどうとかではない。いや喧嘩沙汰にはなっていたか。

 それはそれとして、ほんの少し違和感を覚えたという程度だ。

 実弘も、今の時点で何か具体的な考えを持っているわけでは無かった。

 

(あの女、普通(カタギ)とは思えねえ)

 

 言ってしまえば、ただの直感だ。

 ナイフを振り回す暴漢を取り押さえた時でさえ、()()は思わなかった。

 しかしあのバーの女主人は、一目見た瞬間にヤバいと思った。

 だからこそ、青葉にも「あいつはやめておけ」と言ったのだ。

 まあ、もっとも青葉はあのバーに足繁く通っている様子だったが。

 

「……あ?」

 

 まず、ホームページは無かった。SNSにもそれらしいものは無かった。

 ただこれは、別に珍しい話ではない。

 1店きりの小規模な店の中には、ネットを使わない店もあるだろう。

 まあ、SNSでも掠りもしないという点は意外ではあったが。

 

 しかし、である。

 バーを開業している以上、届け出というものはされているはずだ。

 もちろん警察内の情報管理の不備というのも、あるのかもしれない。

 だが、全くそういう記録がない、ということはあり得ない。

 

「いや……っていうかよォ」

 

 何度も確認した。問い合わせも入れてみた。

 しかし、結論は常に同じだった。

 それを理解するにつれて実弘の額には皺が寄り、表情はより厳しいものになっていった。

 とん、と、指先が書類ファイルの表面を叩いた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ()()()()()()()()()()

 いや、バーだけではない。あの店が立っている場所には、何も無い。

 無許可営業、ですらない。本当に、何も存在しないはずなのだ。

 しかし、だとすれば。

 だとすれば、あの女主人は、店員達は、いったい何者なのか。

 

  ◆  ◆  ◆

 

「――――珠世ぉ?」

 

 ()()()()()()

 実弘にそう言われていることなど露とも知らず、その店内で、やや素っ頓狂な女性の声が響いた。

 開店前の店内は静かな分、余計に甲高く響いだ。

 店内にいる()()は、5人。

 

「…………って、誰だっけ?」

 

 ドレスの女、店の女主人――一葉(ひとつば)禊。

 

「誰じゃねえよ。とうとう脳みそ腐ったか?」

 

 黒服の男――獪岳(かいがく)

 

「まあまあ、結構あれも昔の話だしねえ」

 

 同じく黒服の男――犬井(いぬい)透。

 

「…………(十年前)」

 

 眼帯・隻腕の女バーテンダー――祭音寺(さいおんじ)柚羽(ゆずは)

 

「ほら、いたじゃない。お医者様のぉ」

 

 同じく女バーテンダー、車椅子の女――(あさひ)榛名(はるな)

 

「あ~……思い出したわ。いたわね、そういえば」

 

 店の酒を呑むという暴挙を平然と行いながら、禊は思い出すように天井を見上げていた。

 昔を懐かしむ、というには、いささか表情の色が薄い。

 

「それだけかよ、冷たい女だな」

「五月蠅いわね。アンタだって言われるまで忘れてた癖に」

「そんなことは…………いや、あるな」

「でしょうよ。アンタはそういう奴だもの」

「お前にだけは言われたくねえ」

 

 10年前ねえ、と、禊は呟いた。

 獪岳は肩を竦めて、新しい酒のボトルを開け始めた。

 

(やっす)い酒を呑んでんじゃないわよ。もう1本奥のにやつにしなさいな」

「普通逆だろ」

「わたしの酒じゃないもの」

「だったらなおさらだろ……」

 

 しかしボトルを持ち帰るあたり、酒に対しては素直だった。

 

「珠世とかいう女のことは覚えてないけど、あっちは良く覚えてるわよ。もう100年くらい前になるかしら。そう、()()()()()()!」

「また始まったよ。お前酔うとその話ばっかだな」

 

 げんなりとした様子の獪岳に、禊はけらけらと笑って見せた。

 

「だって仕方ないじゃない。あれだけは本当に楽しかったんだもの。()()()なんて、もう二度と出来るもんじゃない」

「出来てたまるか。俺はもう御免だ」

「へえ、そう? わたしの記憶だと、アンタが一番楽しそうだったけどね」

「…………」

「あら、機嫌を損ねちゃったかしら」

 

 笑いながら空いたグラスを置く。

 すると、榛名がついと新しいカクテルを出して来た。

 ありがと、と言って、グラスを手に取る。

 強烈なウォッカの香りと、香りに反する酸味の強い赤。まるで血のような酒だ。

 それをグラスの中で弄びながら、禊は機嫌よく鼻歌を歌い始めた。

 

「……で、本当に覚えてないのかよ?」

「しつこいわねえ。知らないわよ」

 

 く、と血色の酒を口内に流し込んで、息を吐くように言った。

 

「アイツに喰われて死んだやつのことなんか」

 

 覚えてんじゃねーか、と、獪岳が呆れたように言った。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 呪い、というものを信じるだろうか。

 医師である珠世は、おそらく信じなかった。

 何しろ彼女は、()()()()()()()()のプロフェッショナルだ。

 それが故に、呪いというものを信じなかった。

 だから、信じない。

 

「……コー」

 

 しかし、どんな医者も匙を投げた患者を前にすれば、呪いのせいにしたがる気持ちも理解できた。

 特段の原因も見つからないのに、身体が腐っていく。

 遺伝性の難病と言えば少しは聞こえも良いのかもしれないが、何の慰めにもならなかった。

 どんな呼び方をしたところで、治せないという結果は変わらないからだ。

 

「お久しぶりです。()()()()()

 

 珠世クリニックは、往診もしている。

 それ自体は不思議なことではないが、産屋敷という患者は特別だった。

 それは、特別な難病を抱えている、という意味合いでもあるし。

 両者が特別な関係、という意味合いもあるのだった。

 

 産屋敷と呼ばれた男は、一見すると老人のようだった。

 それは爛れた肌のせいでもあるし、全身の小ささのせいでもある。

 体中の穴という穴に医療用のチューブを繋がれたその姿は、半死人と言って差し支えない。

 あらゆる生命維持装置に繋がれ、薬品を投与され、ようやく生きている、という様子だった。

 

「……コー」

 

 呼吸器とチューブを差し込まれた口は、言葉を発することは出来ない。

 唯一の会話手段は、視線で入力するタイプのタブレット端末だけだ。

 もっとも珠世は産屋敷の顔を見ていて、タブレットの画面を見てはいなかった。

 まるで、端末よりも正確に産屋敷の意思を読み取れる。そんな自信があるかのようだった。

 

「ええ、()()()()()()()()

 

 珠世は医者だが、薬剤師でもある。

 とは言え、製薬会社の発達した現在では、薬剤師の意味合いも違うのだが。

 

「今は臨床試験をしているところですが、経過は良好です。きっと、役立つでしょう」

 

 珠世の言葉に、産屋敷が僅かに身じろぎしたような気がした。

 ほんの僅かな身じろぎ。

 しかし、それが産屋敷の精一杯の意思表示であることを、珠世は理解していた。

 

「ええ、大丈夫です。()()につられて、必ず現れるでしょう。あの……」

 

 穏やかな表情とは対照的に、珠世の瞳には一瞬、苛烈な色が走った。

 

「あの、煉獄瑠衣が」

 

 ――――呪いというものを、信じるだろうか。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 竈門家は、一般的な家庭だった。

 お金持ちというわけではなく、かと言って貧乏というわけでもない。

 一戸建てを持てるほどではないが、マンションのローンを組める程度には資産がある。

 自慢があるとすれば、田舎に山を一つ持っていることだろうか。

 

「いただきまーす」

 

 カレーライス、である。

 これと言った特徴のない、ジャガイモのカレーライス。

 見事な晩御飯である。

 炭彦はしかし、母の作ってくれたカレーライスが大好物だった。

 

「今日は父さん遅いの?」

「残業なんですって」

「ふーん」

 

 母とカナタの話をしているが、炭彦はカレーライスを食べ続けていた。

 これは別に会話を拒否しているわけではなく、食べながら喋ることが苦手なだけだった。

 実はカナタの方がお喋りなのだが、クールな印象のせいか余り知られていない。

 

 竈門カナタ。近所でも評判の美少年である。

 美人という意味では胡蝶姉妹の方が有名だが、カナタも静かな人気を誇る。

 何しろ、クールな出で立ちの割に情が深い。

 弟の面倒を見たり、胡蝶姉妹の見舞いに行ったりしていることからからも窺える。

 

「カナタは部活とか始めないの?」

「僕は良いよ。炭彦みたいに体力お化けじゃないし」

 

 カレーライスで口を一杯にしている炭彦を横目に、そんなことを言った。

 確かに炭彦に比べれば、カナタは運動が得意とは言えない。

 ただそれは炭彦が異常なだけで、カナタもまた、一般的な基準で言えば「できる」方なのだった。

 しかもこのルックスなので、体育の授業などでは黄色い声援を受けたりする。

 

「それに週末は父さんと稽古だし。時間もないしね」

 

 ふう、と、息を吐いて、スプーンを置いた。

 意外と食が早く、弟よりも先に食べ終えていた。

 

「父さん遅いね」

「そうねえ」

 

 その時、カナタがちらと視線を向けた先には、壁に飾られた日本刀だった。

 由来も縁も知らないが、子供の頃からある物だ。

 それが何か、というのは考えたこともない。

 

 ただ、父がそれをとても大事にしていることは知っていた。

 だから、カナタもそれを大事にしようと思っていた。

 とは言え、使う予定のない――日本刀を使うなど、現代ではない――物だから、大事にすると言っても、それこそ飾るくらいしか用途はないだろう。

 

「……まあ、僕は大丈夫だよ」

 

 そう言って、カナタは母の淹れてくれたお茶に口をつけた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 定番、というものがある。

 晩御飯と言えばカレーライスという具合に、何事にもそれは存在する。

 例えば、七不思議。

 トイレの花子さんであるとか、勝手に鳴るピアノだとか、そういう意味合いだ。

 

「うわあああああああっ!」

 

 青葉は、自分の不運を呪わずにはいられなかった。

 青い彼岸花を枯らされ、仕事を失い、さらに犬人間騒動に巻き込まれ。

 いやあ神様もう良いでしょう、と思っていた矢先のことだった。

 

 就活帰り――ニュースで面が割れているせいか、結果は芳しくない――に、禊の店に向かおうとしていると、不意に声をかけられたのだ。

 当然、良い予感はしなかった。肌に悪寒が走りさえした。

 そうして、まさに文字通り恐る恐ると言った風に、振り向くと。 

 

「――――キレイ?」

 

 やはり、いた。

 長身の女だった。長い黒髪で、マスクで口元を覆っていた。

 それ自体は、普通だろう。

 しかし残念ながら、その女の見た目は「普通」では無かった。

 

「アタシ、キレイ?」

 

 先日見た犬人間――思い出すだけでも悍ましいが――は、明らかに化物だった。

 それに比べると、目の前の女は一応、人間の形をしてはいる。

 しかしそれが一層、恐怖を与えてくる。

 青白い肌。真っ黒な眼球。()()()()()()()()額の角。

 ――前言撤回。これも、どう見ても化物だった。

 

「ネエ、アタシ――――キレイイイイィッッ!?」

「え、正直キレイじゃないです。顔色悪すぎて」

「…………」

「…………………あっ」

 

 しまった。つい本当のことを。

 と、思ってしまった時にはもう遅かった。

 

「キイイイイアアアアアアアアアアッ!!」

 

 マスクの下は、耳まで裂けた牙だらけの口。

 口裂け女かよ、と思わず胸中で悪態を吐いたが、襲われているという事実は消えない。

 今度こそ死んだと、そう思った。

 

 しかし、だ。

 結論から言ってしまうと、青葉は死ななかった。

 何故ならば、口裂け女が彼に掴みかかるよりも先に()()()()()()()からだ。

 余りにも一瞬のことだったので、何が起こったかわからなかった。

 

「大丈夫ですか?」

 

 ()()()()()

 普通に生きていて、そんな場面に出くわすことはまず無いだろう。

 しかし実際、今、青葉は人の――いや化物だが――頭が、ぼとりと落ちる場面を見た。

 そしてその頭が、いや体が、塵のように崩れる様を。

 まるで御伽噺のような、そんな光景を見ていた。

 

「あの~、大丈夫ですか?」

「え、あっ、すみません!」

 

 いつの間に、そこにいたのか。

 スーツ姿の男性――30代後半か、40代ほどだろうか――が、立っていた。

 穏やかな顔をした男性で、どこか安心するような、そんな雰囲気を纏っていた。

 何故か、()()()()()()()()持っていたが。

 

「ああ、すみません。しまい忘れていました」

 

 青葉の視線に気付いたのか、辺りを見回して、地面に落ちていた木製の(ケース)を拾った。

 普通に考えれば、こちらも十分に不審者だろう。

 ただ不思議と、怖いとは感じなかった。

 というより、どこかで会ったような、面影があるような、そんな気さえしていた。

 

「あの、貴方は……?」

「ああ、すみません。申し遅れました」

 

 包丁をビジネス鞄にしまいながら、その男性は言った。

 

「私は竈門炭吉と言います。サラリーマンです」

 

 最近のサラリーマンは包丁を持ち歩くのか、と、青葉はそんなことを思ったのだった。




最後までお読みいただきた有難うございます。

口裂け女をやっつけました。
これで町の平和が維持されることでしょう(お目目ぐるぐる)

それでは、また次回。
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